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カリフォルニアの台所から

キャンベルと申します。
2002年9月より、オットの都合でカリフォルニアのサンタバーバラという小さな田舎町に1年の予定で仮住まい中です。
家族への近況報告と備忘録を兼ねて。

9月末日、帰国決定!日本上陸は10月1日!!

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2003-02-26 (WED)
2003-02-25 (TUE)
2003-02-23 (SUN)
2003-02-22 (SAT) ユニバーサルスタジオへ
2003-02-18 (TUE) またお別れ会
2003-02-17 (MON)
2003-02-16 (SUN)美容院へ
2003-02-15 (SAT)チャイナタウンへ
2003-02-14 (FRI)ヴァレンタイン
2003-02-13 (THU)


2003-02-26 (WED)

カリグラフィーのクラスの先生はとてもきれいな方で、継続している生徒さんの中には先生が好きだから続けていると仰る方も多い。40代くらいに見えるけど、意外と50代に突入している可能性も否めない‥くらいに思っていたが、今日なんと60歳だと伺った。ショック。ニコニコ笑いながら、でもしわはみないでねぇ、なんて言いながら。
特別高いお洋服ではないが、明るい色で清潔感のあるお洋服、いつもぴしっとお化粧して爪も髪もきれいにされていて、ニコニコされている。いつも見とれていたのだが、今日はいつも以上に見とれさせていただいた。たまたま荷物を届けに見えた息子さんは33歳だそうだが、並んでもとても親子になんて見えない。
見習わなければならない。

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2003-02-25 (TUE)

朝からアパートの前で涙ながら見送り。
もうさみしすぎて書くこともないくらい。

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2003-02-23 (SUN)

オットは土曜日休んだかわりに出勤。読書などして過ごす。
二週間くらいかかった村上龍さんの「希望の国のエクソダス」をやっと読了。メインの中学生の反乱以外のことは本当になりそうで怖い思いをする。悲観的過ぎるのかどうか不明。でも大げさという感じはしなかったのがますますコワイ。

*万一既に読んだ方がここを見てくださったら、感想をお聞かせください。

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2003-02-22 (SAT) ユニバーサルスタジオへ

オットが珍しく土曜日に休んでくれたので、ユニバーサルスタジオへ。
すごいところだった。建物の全て、アトラクションの全てが。お金もかかっていて、いろんなところにちょっとすごい技術を使っていそうで、よくも悪くもこれこそアメリカ!というイメージそのものだった。意外に空いていて殆どの乗り物に乗れたのも満足。

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2003-02-18 (TUE) またお別れ会

同じアパートの女の子が帰国するので我が家でお別れ会。ポットラックパーティ(一人一品料理を持ち寄る)で、運良くすごいご馳走が集まり大変すばらしい会になった。男の子が多いとありがちなのだが、お酒を買ってくる人が重なってしまい、全員がお腹いっぱいになるのはとてもムリだろう、なんていうときも稀にあって、一応それに備えてすぐに出来てお腹にたまるものも備蓄しておいたが、今日は男の子もちらし寿司やらチャーハンを作ってきてくれて、備蓄の品も活躍しなかったばかりか全部食べ切れなかったほど。帰る女の子の人望の賜物だ。皆さんご馳走様でした。

ご主人様はお仕事で、片付けも終わった日付の変わる頃にご帰宅。毎週のことなので、遊ぶのは火曜日と決めている。

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2003-02-17 (MON)

大統領の日で私の学校はおやすみ。オットは祭日など関係なく例によって出勤。宿題などして過ごす。
特別に書くこともないので、この辺のことや学校のことなどを少し。

カリフォルニアはもともとメキシコだった土地だそうで、州としては新しい方らしい。(地理や世界史があまり好きではなかったのでお恥ずかしい限りである。)渡米前に読んだ本によれば最近のカリフォルニアにはメキシコ移民が多く、そのうち彼らがカリフォルニアのマジョリティになってあわよくば奪取するだろうとか冗談めかして書いてあったが、住んでみると案外本当になってしまうかもしれない勢いだということがわかる。本で読んでいたときは、メキシコ移民=不法滞在者のようなイメージを持っていたが、そういうことでもないこともわかってきた。

カリフォルニアの昨年の新生児ではヒスパニック系が過半数を超えたそうである。ニュースではヒスパニックなどと言っているが要するにメキシコ人である。アパートの住人には見当たらないが、ご近所にはかなり普通にたくさんいらっしゃって、今いろいろ見かける頻度を書いてみたがうまく説明できないのでご勘弁ください。要するに結構いる。サンディエゴに遊びに行ったときはメキシコとの国境の町なのでもっと多かった。スペイン語は既に事実上第二公用語の地位を得ていて、例えばライフラインの関係の会社に電話すると、最初に必ずテープで、英語かスペイン語か選ぶようになっている。州立大付属の語学学校へ行っていたときは生徒の殆どが日本人か韓国人だったが、今の市立短大付属の方では価格が異常に安いことと(我々外国人の価格は別に儲けてあって彼らより少し高く、州立大付属より安い)、大学に編入できる制度のお陰でメキシコ人ばかり。話を聞くとご両親がメキシコにいる人もたまにはいるが、ここの地元の高校を出ている、カリフォルニア占領軍の急先鋒ばかりだ。私が今接しているのは殆ど2世の皆さんで、合法的にここに住んでいる人たちばかりだ。しかも女の子などとジュークかハタチで子持ちである。前出の統計など見るまでもなく3世の皆さんもすごい勢いで生まれている。若い結婚なので離婚も多いようで、(そういうのが面倒だから30まで結婚しないんだ!なんて言っている男の子にも会ったが)再婚したら恐らくまた子供を作るだろう。いずれにしても彼らはすごい勢いでその数を増やしていて、恐らく10年後、20年後のこの町は、かなり様子の違ったものになっているはずで、それはそれで見てみたいものだと思う。

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2003-02-16 (SUN)美容院へ

ロスアンゼルスのサンタモニカへ、オットとともに散髪へ出かける。こちらに来てからはじめての美容院。オットは髪が短いので何度か行っているが、やっぱり日本人に切ってもらうのがいいそうで、いちいち遠出になる。ご近所の皆さんはお互いにやりあっていて結構皆上手なのだが、若い人に頼むのもなんとなく悪く、オットを待っている間についでに私もお願いする。久しぶりの散髪で気分一新。

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2003-02-15 (SAT)チャイナタウンへ

若い人たちとロスアンゼルスの中華街へ。台湾の女の子が、どうしても飲茶を食べたくなったとかで便乗させてもらう。車窓から中華街を見たときはキャーキャー言って喜んでいたが、歩いてみたら香港の人たちが多いとかで台湾と違うといって少しがっかりしていた。台湾に遊びに来てくれたらわかる!と言って誘ってもらった。実現できるかどうかわからないけど、行く気だけは満々になる。

私のほうは中華街と言えば横浜しか知らないし、あそこの道が狭くてごちゃごちゃした感じが大好きなので、道があんまり広いのがちょっと感じが違ったが、やっぱり久しぶりの本格中華はおいしく、満足だった。

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2003-02-14 (FRI)ヴァレンタイン

こちらのヴァレンタインは当然、男性から女性へのプレゼントが中心で、あとは仲のいい人にカードを送ったりするのが習慣ということだが、まぁ日本人なので朝オットにチョコレートをプレゼントした。
なんとご近所の子たちがチョコレートをくれて、ウチにチョコレートが沢山で嬉しい限り。

夕方日本人の牧師さんのお宅にお邪魔して映画鑑賞。奥様がいろいろヴァレンタインに関するデータを集められていて、今のところ確認できた限りでは、女→男というのは日本と、中国と韓国だけらしい。そういえば学校でよく聞いてみればよかったと後悔した。

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2003-02-13 (THU)

午後から天気がよくなって、夕方ちょっとした野次馬根性でUCSB(カリフォルニア大学サンタバーバラ校)敷地内の幼稚園(プレスクールと呼ばれる)の見学へ。
1月からのクラスメイトの方の3歳になるお嬢さんのお迎えに便乗させていただいた。クラスメイトに日本で通っていた保育園との違いなどを興味深く伺う。日本の保育園ではクラスの皆で決まった何かをやっていたが、この幼稚園ではほぼ一日中好きなことをして遊んでいていいそうで、それがお嬢さんには楽しくて仕方ないらしく、幼稚園から帰りたくないときもあるほどだとか。どちらの教育方法がいいか悪いかわからないが、とりあえずこの年頃の子供には”楽しい”ということが重要のような気がした。

(*但し幼稚園により教育方針は違うかもしれない。結局行かなかったが、冬休みにボランティアをしたいと思って調べた幼稚園はかなりしっかり読み書きを教えることを謳い文句にしていたので。)

しばらく園舎をご案内いただいたり、ちょっとお子さんたちに遊んでいただいたりしたのだが、そんな中驚いたことが二つあった。

ひとつはその幼稚園に入るのが難しそうなこと。幼稚園のご担当の方に園内をご案内いただいたが、見学する理由としてちょっと野次馬できましたとは言えず、この3-4年のうちには子供を作るかもしれないので何か参考になればと思ってという話をしたところ、妊娠しているならWaiting Listに名前を書くように言われてしまった。慌てて、半年後に日本に帰るしまだ妊娠してないことを話すと誤解は解け、子供が快適に楽しく過ごせることを大事にしたシステムについてご丁寧にご説明いただいた。妊娠したら直ちに入園申し込みをしなければならないほど、人気の幼稚園らしい。連れてきてくださったクラスメイトの方も、アメリカ以外の幼稚園関係者が見学に来るような幼稚園だと話していた。

もうひとつは簡単に何でもやってあげないこと。子供と接する機会が今のところ少ないので、どう接していいかわからないことも手伝って、困っている様子だったら何でもやってあげたくなってしまうが、どうもそれは子供のためにならないらしい。考えてみればゆくゆく自分でやらなければならないのだから当然だが。
2歳くらいの小さい女の子が三輪車に乗っていて、段差のところに引っかかって動けなくなっているのを見て、動かしてあげようかどうしようか迷っていたら、保母さんが彼女に「困っているの?助けて欲しい?」と優しく聞いて、女の子が「YES」と答えるまで手を出さない。
そうかぁ、助けてあげれば済むことじゃないのねぇ、と結構感心した。

本当は幼稚園でボランティアが出来れば、お子さんたちとたくさん英語でコミュニケーションできていいかも、と淡い期待もあったが、それこそUCSBの学生たちがWaiting Listに名前を連ねていてちょっとムリらしいのでそのまま帰ってきた。

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