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アーシャの「モスクワ生活 & イギリス大学院留学日記」

バーミンガムから今度はロシアのモスクワへ大移動です。
大学院での奮闘日記は2003−2004年分をご覧下さい。

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目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2005-01-28 出発
2005-01-25 イタリアンな日
2005-01-24 社会復帰
2005-01-17 やることが一杯
2005-01-01 新年
2004-12-31 大晦日に想う
2004-12-27 再会
2004-11-30 後遺症
2004-11-15 終わった
2004-11-08 とうとう


2005-01-28 出発


あっという間に出発です。

昨日は23時過ぎに帰宅。それから荷造り。
殆ど寝てない。 

結局飛行機の中で爆睡し、17:00過ぎにモスクワ到着。
渋滞につかまり、ホテルにチェックイン出来たのは8時過ぎでした。
つかれた。 

モスクワ 雪 マイナス10℃

雪のモスクワ。さすがに寒い。
一年半振りのモスクワ、車の中から街を見ながら
「あ〜、とうとうここに帰ってきたなぁ」となんとも言えない気持ちに。

今日から暫くはホテル暮らしです。 

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2005-01-25 イタリアンな日


今日は仕事の後、ロレンツォとイタリアンレストランで食事。
え、ロレンツォは誰かって?
ロレンツォは、実はコテコテの日本人。 
本人イタリア人の生まれ変わりと信じており、自らロレンツォと名乗る
不思議な男。

ロレンツォがイタリア人の生まれ変わりなら、アーシャはロシア人の
生まれ変わりなのかねぇ。

さすが、ロレンツォの選ぶイタリアンレストランはなかなかの味で、
楽しい会話とおいしい食事で大満足の夜を過ごした。

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2005-01-24 社会復帰


本日より正式に社会復帰とあいなりました。
昨日までは朝は11:00に起きる生活でしたが、今日は
6:30起き。 きつい。 眠い。 寝かせろ〜。

この時点で、出発の28日迄の夜の予定は全て埋まってる恐ろしさ。
いつ荷造りするんだ???

今日はVolodya君と会い、帰りは・・・12時を回ってた。
はあ、明日起きれるのか?

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2005-01-17 やることが一杯


今月末のモスクワ入りをひかえ、いろいろやっておくことがあって
結構忙しくなってきた。 12月末まではあんなに暇だったのになあ。

今日はまず運転免許の更新。
本当は今年の9月が更新だけど、海外に行く人は特例で
早く更新手続きが出来る。 

夕方は大学の時の友達に会った。
彼女に会うのは本当に久しぶり。
気の置けない友人と話をするのは楽しいね。

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鳥さん初めまして。 そうなんですよ、モスクワ住むことになりました。鳥さんの日記を拝見させて頂きました。 アメリカに行かれるのですね。 / アーシャ ( 2005-01-26 01:48 )
はじめまして。モスクワに住むんですか?ヨーロッパやロシアは一度もいったことないです。日記、楽しみにしてます。 / ( 2005-01-23 21:37 )

2005-01-01 新年


いやぁ、2005年ですね。

皆様、明けましておめでとうございます。
今年もアーシャを宜しくお願い致します。

今月末にモスクワに移動するので、イギリス大学院留学日記改め
モスクワ生活日記として続けますので、今後ともご贔屓下さいませ。

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2004-12-31 大晦日に想う


そろそろ年が明ける。
本当にめまぐるしく、そして早い一年だった。
全てが終わり、好きなだけ朝寝坊を楽しみ、好きな本を読み
テレビを見たりしてると、バーミンガムで格闘していたことが
まるで夢の中の出来事のよう。
帰国してテレビを副音声で見て、ペーパーバックを読んではいるけど
殆ど英語を話さない毎日。自分は今でも英語を話すのだろうか?
それすら疑問に思ってしまう。 
でも、あの時期あの場所に確かに私は存在した。
帰国した今も頻繁にメールをくれる、バーミンガムでアーシャを支えて
くれた人達や素敵な仲間達がその証明。

テレビで誰かが、「正という字は一に止まる」と書く、
その意味は、初めに止まる(戻る)ことは物事の基本であり
それは即ち正しいということだと言っていた。
もしそうなら、新しい出発の地にモスクワを選んだアーシャは
正しいということかもしれない。 正確には選んだのではなく
導かれたのかもしれない。 最後に決断したのは自分だけど、
なるようになれと流されたらモスクワに行き着いた。(笑)
大学2年の時のモスクワ大留学から全てが始まり、
あの留学のお陰で視野が広がり言葉だけなくいろいろ
学んだ。モスクワは今のアーシャの原点。
バーミンガムでの貴重な経験を人生にプラスして、モスクワでの
新しい生活が始まる。

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2004-12-27 再会


2ヶ月ぶりに一時帰国中の僚三と会い一緒にご飯を食べた。
バーミンガムシックのアーシャにはうれしい再会。
帰りは嫌がる僚三を水道橋から東京駅まで歩かせ、ミレナリオを見に
行くも、時間が遅くもう終わってた・・・。 がっくし。

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2004-11-30 後遺症


燃え尽き症候群なのでしょうか、論文提出後
何も手につかない状態が続いておりまする。

バーミンガムシックからも立ち直っておらず、
物足りなさを感じる毎日。 勉強なんて当分したくないと
思ったのに、学び足りないなどと思ってしまう。

こんなんで社会復帰できるのだろうか?

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2004-11-15 終わった


期限の14日は日曜日、事前にそれなら15日の朝一に提出すれば
良いと確認していたので、UK時間の朝に論文をメールで提出。
僚三も巻き込みてんやわんやの提出。
Mareaから受け取り確認のメールが来た時は思わずヘナヘナとなってしまった。
「I'm glad you have completed it too, but always had faith
that you would.」
Mareaの言葉が心に染みた。

しかし、こんな出来が悪い学生をヒラリーは最後まで見捨てず面倒みてくれた。
ヒラリーがスーパーバイザーでアーシャは幸せ者だ。
マイク爺にも論文提出を報告。爺はWell doneと返事をくれた。

通る自信はないけど、今は結果の事は考えず、解放感を味わおうと
思う。今のアーシャにこれ以上の物は出来なかったし、取りあえず
投げ出さず最後までやり通した自分を認めてあげよう。
そして、今までアーシャを支えてくれた全ての人に深謝。

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2004-11-08 とうとう


来ちゃいましたよ、ヒラリーからプッシュのメールが。

「あなたが日本に帰ってからもう1週間何の音沙汰もないことを
ちょっと心配しています。期限は14日よ。これ以上の延長は
もう私にはあげることが出来ないけど大丈夫?」

との親身なメールで、目が覚めました、はい。

ヒラリーには「フルーにかかってしまって」→ 嘘 (ゴメン、ヒラリー)
と返事をいれ、猛烈に追い込み状態に突入。

やるしかない。 気合入れます。

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