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アーシャの「モスクワ生活 & イギリス大学院留学日記」

バーミンガムから今度はロシアのモスクワへ大移動です。
大学院での奮闘日記は2003−2004年分をご覧下さい。

HPはこちら → Asha's world 遊びに来てね。

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2005-01-01 新年
2004-12-31 大晦日に想う
2004-12-27 再会
2004-11-30 後遺症
2004-11-15 終わった
2004-11-08 とうとう
2004-11-05 論文崖っぷち
2004-11-02 帰国
2004-10-31 帰国前日
2004-10-30 帰国2日前


2005-01-01 新年


いやぁ、2005年ですね。

皆様、明けましておめでとうございます。
今年もアーシャを宜しくお願い致します。

今月末にモスクワに移動するので、イギリス大学院留学日記改め
モスクワ生活日記として続けますので、今後ともご贔屓下さいませ。

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2004-12-31 大晦日に想う


そろそろ年が明ける。
本当にめまぐるしく、そして早い一年だった。
全てが終わり、好きなだけ朝寝坊を楽しみ、好きな本を読み
テレビを見たりしてると、バーミンガムで格闘していたことが
まるで夢の中の出来事のよう。
帰国してテレビを副音声で見て、ペーパーバックを読んではいるけど
殆ど英語を話さない毎日。自分は今でも英語を話すのだろうか?
それすら疑問に思ってしまう。 
でも、あの時期あの場所に確かに私は存在した。
帰国した今も頻繁にメールをくれる、バーミンガムでアーシャを支えて
くれた人達や素敵な仲間達がその証明。

テレビで誰かが、「正という字は一に止まる」と書く、
その意味は、初めに止まる(戻る)ことは物事の基本であり
それは即ち正しいということだと言っていた。
もしそうなら、新しい出発の地にモスクワを選んだアーシャは
正しいということかもしれない。 正確には選んだのではなく
導かれたのかもしれない。 最後に決断したのは自分だけど、
なるようになれと流されたらモスクワに行き着いた。(笑)
大学2年の時のモスクワ大留学から全てが始まり、
あの留学のお陰で視野が広がり言葉だけなくいろいろ
学んだ。モスクワは今のアーシャの原点。
バーミンガムでの貴重な経験を人生にプラスして、モスクワでの
新しい生活が始まる。

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2004-12-27 再会


2ヶ月ぶりに一時帰国中の僚三と会い一緒にご飯を食べた。
バーミンガムシックのアーシャにはうれしい再会。
帰りは嫌がる僚三を水道橋から東京駅まで歩かせ、ミレナリオを見に
行くも、時間が遅くもう終わってた・・・。 がっくし。

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2004-11-30 後遺症


燃え尽き症候群なのでしょうか、論文提出後
何も手につかない状態が続いておりまする。

バーミンガムシックからも立ち直っておらず、
物足りなさを感じる毎日。 勉強なんて当分したくないと
思ったのに、学び足りないなどと思ってしまう。

こんなんで社会復帰できるのだろうか?

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2004-11-15 終わった


期限の14日は日曜日、事前にそれなら15日の朝一に提出すれば
良いと確認していたので、UK時間の朝に論文をメールで提出。
僚三も巻き込みてんやわんやの提出。
Mareaから受け取り確認のメールが来た時は思わずヘナヘナとなってしまった。
「I'm glad you have completed it too, but always had faith
that you would.」
Mareaの言葉が心に染みた。

しかし、こんな出来が悪い学生をヒラリーは最後まで見捨てず面倒みてくれた。
ヒラリーがスーパーバイザーでアーシャは幸せ者だ。
マイク爺にも論文提出を報告。爺はWell doneと返事をくれた。

通る自信はないけど、今は結果の事は考えず、解放感を味わおうと
思う。今のアーシャにこれ以上の物は出来なかったし、取りあえず
投げ出さず最後までやり通した自分を認めてあげよう。
そして、今までアーシャを支えてくれた全ての人に深謝。

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2004-11-08 とうとう


来ちゃいましたよ、ヒラリーからプッシュのメールが。

「あなたが日本に帰ってからもう1週間何の音沙汰もないことを
ちょっと心配しています。期限は14日よ。これ以上の延長は
もう私にはあげることが出来ないけど大丈夫?」

との親身なメールで、目が覚めました、はい。

ヒラリーには「フルーにかかってしまって」→ 嘘 (ゴメン、ヒラリー)
と返事をいれ、猛烈に追い込み状態に突入。

やるしかない。 気合入れます。

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2004-11-05 論文崖っぷち


帰ってきて早3日。 
論文やらねばならぬとわかってはおるが、ぼーっとして
今一やる気がでないのお。→ 麻呂かお前は?
やばい、本当にやばいのだが。
帰る数日前にヒラリーと最後に会い、「これじゃパスしないわよ」と
厳しい言葉を貰い激落ち込み。 時間も無いことだし、2週間の延長を
貰ったのに、何もしないまま日々は過ぎていく。

期限まであと9日。立て立つんだ〜アーシャ!
気分だけは明日のジョー。 はぁ。

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2004-11-02 帰国


今朝無事成田に到着。
昨日はヒースローで散々な目にあい、激疲れ。
予想通り、荷物が多すぎると言われ超過料金を払えと言われた。
当然アーシャは金を持ってないと突っぱねる。 ところが
カウンターの女は全然融通がきかず、金を払えないなら荷物を出せの
一点張り。 しょうがないので、スーツケースを空け荷物を出して
カウンターに戻ると、担当のお姉ちゃんがいない。
違う人とまた一からやり取りして、同じ動作を繰り返し、やっと
オーケーが出た。 まあこの人はリーズナブルで、結局は5−6キロ
まけてくれたけど。 
最近、特に荷物の重量は厳しくなってるみたい、荷物の多い留学生、
お気をつけ下さい。

久々に成田に降り立った感想は「暑い」だった。
日本は何ですか? 冬は来ないのですか? 
バーミンガムの気候慣れした体にこの暑さはきついっす。
 

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2004-10-31 帰国前日


明日はいよいよ帰国。 いつの間にかこの日が来てしまった。
最後の夜は僚三/かな/しゅうへいと一緒に過ごす。
僚三作激辛パスタに失神寸前。(笑)
3人が家まで送ってくれた。 別れは苦手だ。
別れ際にいつも思うが、ハグは偉大だと思う。
ハグをすると別れ際の気まずさをごまかすことが出来るから。
でも、日本人相手、特に相手が男の子だと、何かハグするのが
はばかられるんだよなぁ。EricやMarkだと自然に出来るのに・・・。

ともあれ、バーミンガム最後の夕食を共にしてくれた3人の友情に感謝。

しかし、あっという間の大学院生活だった。 
まだ修士論文が終わってないけどね。 

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2004-10-30 帰国2日前


一年以上も暮らしたバーミンガム。
友達もたくさんでき、勉強は「げっ」だったが、今思うと
エキサイティングな毎日を過ごしてような気がします。
帰る前に会いたい人も多く論文そっちのけで帰国前の時間を忙しく
すごしております。

今日は、かな達とMAIL BOXにある回転寿司(あるんだよバーミンガムにも)で
食べ放題10ポンドのお昼を食べたあと、ブルリングのDruckersで
あきことゆかと最後のお茶。この二人とは最後の4ヶ月結構濃密な関係を
築き、なくてはならない友達になりました。 最後に3人で写真とっておけば
よかったな。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

<バーミンガム豆情報>

MAIL BOXの寿司バーは、内容今一なので日本人の食通にはあまり
お勧めできません。 でも、10ポンド食べ放題なので、物は考えようかも
しれませんが。 ブルリングのDruckersというカフェはケーキの種類が
多く、しかもどれも超美味しい、値段もお手ごろで◎ですよ。

 

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