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みきの日記帳

長年勤めた会社を定年退職
今は御隠居生活の「みき」(♂)と申します。
山登り、写真、パークゴルフ、PC、家庭菜園
を趣味とするオヤジです。
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是非遊びに来て下さい。

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2004-04-13 銭函天狗山で鹿の足跡を辿ると福寿草が咲いていた
2004-04-09 出会った老人のように・アカゲラの突いた穴
2004-04-05 年金で思った事・羊蹄山
2004-04-01 気持ちはピカピカの一年生・遊水池
2004-03-21 新撰組と土方歳三
2004-03-18 「野の花」の言葉に惹かれて・シジュウカラ
2004-02-27 ギター・エゾリス
2004-02-18 親方が身近に感じて・散歩道
2004-02-16 母が風邪引いて・オオウバユリのサヤ
2004-02-11 靴下から親指が・アカゲラ雌


2004-04-13 銭函天狗山で鹿の足跡を辿ると福寿草が咲いていた

 朝から快晴だった。こんな時はじっとしておれない、昨年福寿草を撮ったのはもっと後22日だった。少し遅い時期だったので今年は一週間程早くと思っていたチャンスとばかり意気込んで出かけたのだが、駐車場の所は雪で入れず民家の横に止める。雪の登山道進むと以外と抜からない、夜中の冷気で雪が締まっている。何日か前の歩いた跡が残っているので、たどって進む。雪が深く福寿草の咲いていた場所は分らない、もちろん夏の道とは違う近道だ。途中エゾ鹿の足跡があった、冬場の餌探しに歩いているのだろう、こんなに歩きやすいのなら頂上まで登ってみようと長靴登山に挑戦。日当たりの良い所は地肌が出ている、伝って登るロープが見える、でも雪の下だ。木の枝や笹につかまりながら登る。雪の上の方が一歩一歩足を蹴り食い込ませながら登るので登りやすい。1:20分程で頂上にたどり着く。墨絵のような山並がグッと身近に吸い寄せられるような感じで“満足だ”しばし見とれる。反対側は眼下に石狩湾その奥には増毛連山だろうか連なっている。ゆっくりしていると暖気で雪にボコボコ抜かったら困ると思い草々に下る事にする。鹿の足跡のあった所まで下りて足跡の先を辿ると雪の解けた斜面に続いていた。足跡を辿り斜面に登り目を凝らすと一点黄色く咲いている福寿草を見つける。ヤッタ−!ついに見つけた、つい最近芽をだし咲いたばかりのようだ。三ケ所くらいこれからあちこち芽を出してくるのだろう。諦めていたので大満足の一日だった。
 
  銭函天狗山(銭天岳)頂上付近から石狩湾方面 福寿草とエゾ鹿の足跡


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2004-04-09 出会った老人のように・アカゲラの突いた穴

 久し振りに三角山に登ってきた。登り口の駐車場で長靴を履き準備をしていると中年の女性が挨拶して先に登っていった。踏み後が雪解けで小高くなっている幾らも歩かないうちに息ずかいが荒くなってしまった。普段平地ばかり歩いていたので傾斜のある山歩きはやはり筋肉の使うところが違うのできつい。地肌の見え懸かった峰を歩いていると一本の落葉木にくぎ付けアカゲラが突いて沢山の穴を開けた跡だ。程なく中間地点付近に野鳥が寄ってくる場所がある(餌が置かれている)ゴジュウカラがいた。先に登った女性の姿はもう見えなくなってしまった。速い!いや自分が遅いのだろう。頂上には数人の人が札幌市内を眼下に登山談義をしていた。まあ年寄りが殆どだけど・・いけねぇ!自分も仲間の入口に立っているのかな。先ほどの方に「速いですね…」と挨拶。呼吸を整えてゆっくりと下った。下りは大倉山方向へ行き途中から回り道して帰った。あまり歩く人が少ないのか所々雪道が抜かるんだりして傾斜地では注意しながら下りた。野鳥の場所に来ると50センチ程の太く長いレンズを付けたカメラを構えている老人(75歳とか)に出会う。野鳥やエゾリスを狙っているとの事。デジカメの一眼レフに500ミリのズームレンズを付けていた。パソコンに取り込むといっていた。3倍ズーム、デジタル6倍ズームの自分のカメラでは限界がありボケ写真のことを言うと最近14倍ズーム?とか随分コンパクトのデジカメで性能の良いものが出ていて娘さんの撮った野鳥の写真ですごく良いのがあったと知らせてくれる。新しい製品はOSに合わないのが多いので頭を痛める。色々と楽しい話しをしてくれた老人と別れ下ると駐車場近くでエゾリスが木につかまっている。そーっと近づいてカメラを向けると同時に残雪の上を一目散山上の方え駆けていった。残念。

  アカゲラの突いた穴   三角山にて


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ルンルンさま、気持ちは若いんだけど頭の方がかってに歳食っちまって新しいものは苦手になってきた。掲示板注意ありがとう。ここのところ開いた事がないもので…。 / みき。 ( 2004-04-11 20:53 )
入り口では無くどっぷりと漬かっていると思います(苦笑)OSXにする?お金かかるけどね。と言うより使いこなすのが大変か・・・(苦笑)PS. HPの掲示板に書き込み有るよ。 / ルンルン ( 2004-04-10 09:20 )

2004-04-05 年金で思った事・羊蹄山

 妻の掛けた厚生年金の給付額を一ヶ月程前に聞きに行った時誕生日が過ぎた時(満60歳)手続きしなさいと言って記入用紙を貰ってきていたので昨日から必要項目を記入し区役所で15年度所得証明、戸籍謄本、住民票等揃えて社会保険庁に提出してきた。学校を出て4年程の掛け金なので僅かではあるが助かる。空白期間が5年程あって任意の国民年金を掛けていたのは65歳給付になっている。最近新聞テレビ等で盛んに話題になっている年金、国民年金は4割が払っていないという。高級官僚のやりたい放題を許してきた政治家にも大いに責任があると思う。本来なら政治家が官僚を使わなければならないのに巧妙に使われているのが実体だったのではなかろうか。厚生年金基金で厚生施設と称してあちこち建てた高級な施設も赤字、株式運用も大赤字、なぜかお役人の共済年金は黒字だという。同じに運用しているはずなのになぜこんな差がつくの、国鉄共済が赤字で厚生年金に統合されたり、その他にも具合の悪いものは厚生年金に入れ、共済年金とも一緒になるとは言われながら一向に統合される気配はない。給付額も平均的なサラリーマンとは違うようだしどこかこの国はおかしい。政治が貧しいと民が苦しむ。真っ当な政治家を国政に送り出さないと益々おかしくなるような気がする。だけど投票率の低さはいつも残念な結果だ。自分の将来は投票に懸かっている位の気持ちで選んでほしい。国会議員の公約、行動に注視しょう。

  羊蹄山   中山峠にて3月下旬


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2004-04-01 気持ちはピカピカの一年生・遊水池

 今朝窓の外を眺めると真っ白、つい先日札幌は積雪ゼロの発表があった。住宅地の空き地や畑等まだ雪が残っているのだが無くなるのは時間の問題だと楽しみにしていたのが逆戻り。今日から新年度ピカピカの一年生緊張のうえにも希望に夢膨らませ社会人としてのスタート位置についた事だろう。昨日は陽気がよかったので散歩するのもいつものコースは歩かず気の向くまま北に向かって歩いた。30分程歩くと発寒川にたどり着いた。下流で石狩川に合流している。防波堤はサイクリングロードになっているので車等一切気にする事無く風景を楽しみながら歩く事ができる。昨年ミズバショウを撮った遊水池の所で南に戻り帰ってきた。右足の親指に違和感を感じ靴下を脱いでみるとマメが出来ていた。靴が合わなかったのか1時間30分程の行程、万歩計9,400歩だった。先日梅沢俊さんの花のスライド上映会があり同じ花でも細かいところでは随分と違うものが多く興味深く説明を聞いたのだがカタカナ言葉を羅列されると只でさえ覚えられないのが押して知るべし。全然頭に残っておりません…でも楽しかった足腰鍛えて新しい種目の花を見つけたいと今年も意気込んでおります。気持ちはピカピカの一年生。

  遊水池の湿性植物園


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2004-03-21 新撰組と土方歳三

 新撰組のテレビを見ていたら昔懐かしい栗塚旭が土方歳三の兄役で出ている。ウン十年前「新撰組血風録」モノクロの時代に土方歳三役で冷静沈着、冷徹とも思える役柄にすっかりほれ込んだ。土方は後に函館戦争で散ったのだが、生きざまに共感する所有り歴史上の人物の中で好きな一人である。函館に観光で行った折公園の中にあった函館戦争で命を落とした人々を弔った碑「碧血碑」を見てきたが、野に咲く花をさり気なく飾ってあった。散歩の途中に咲いていた花を摘んで供えたというような感じで素朴ながらもいつまでも人の心を引きつけるものがあった。五稜郭タワーの中にあった土方歳三の写真を観察し女性のファンが多いと聞かされなるほどと思える甘いマスク、京都街中の見回り粛正に命をかけた人とは思えない風貌。山本耕史の扮する歳三と何処か似た感じがする。札幌の北大正門の近くに新撰組生き残りの永倉新八が後に剣道の指導に訪れた標識がある。それぞれの時代に精一杯自分の信念で私心を捨て生きた姿は美しく想える。

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ルンルンさま、美味しい!!そりゃ−良かった。道路もきれいで運転疲れの心配ない。いつでも行くよ。 / みき。 ( 2004-03-25 19:17 )
今日はわざわざ有り難うございましたm(__)m早速出来上がったのを食べてみたんだけど言葉に出来ないくらい美味しい!!!今度食べさせてあげるよ♪ / ルンルン ( 2004-03-23 21:37 )

2004-03-18 「野の花」の言葉に惹かれて・シジュウカラ

 久し振りに街に出かけてきました。“近郊で楽しむ野の花”の講演があったので日頃重い腰を上げたのです。このような催しがあるのも春が近づいてきた証拠でしょう。なんとなく春めいてウキウキ気分で会場に向かいました。90人の会場とのことでしたが老若・・イヤ老老紳士淑女がびっしりでした。元現役のプロ講師も自分より10歳程年上と言っておりましたがビデオ撮影したものを編集してバックミュージック、ナレーターを奥さんに頼んで二人で作品を作ったそうです。画面もDVD編集で綺麗でスマートに出来上がっていた。札幌近郊にこんなにも多くの自分の知らなかった花があったかと感心する。あいにくビデオは持っていないが構図ゃアップの方法など教わりたくなる事ばかり、あっと言う間の2時間半楽しいひとときでした。
  
  シジュウカラ   防風林にて


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2004-02-27 ギター・エゾリス

 最近物置きの隅に眠っていたギターを引っ張り出してベン、ベン、と辿々しくも簡単な譜面を見ながら歌謡曲だったりフォークなど気侭に弾いている。それが結構楽しいのだ。このギターを手に入れたのはマイホームに住むようになって、青春時代に弾いてみたいと憧れつつも住宅事情や仕事等で心のゆとりがなく自分で弾く気が起こらなかったのだが、ある時、狸小路の楽器店の店頭に格安で並んでいた一つにくぎ付け思いきって購入。それ以来我流で弾いている、何時まで経っても成長しない当たり前なのかも知れないが教室等と名のつく所が大の苦手なのでこのまま何時ものように投げ出すかも知れないがそれでもいいと思っている。それなりに、いや下手なりに自分のリズムで練習?している。若かりし頃は歌声喫茶が流行っていて一杯のコーヒーで歌集をみながらリードしてくれる歌声に合わせて歌ったのが懐かしい。いまのカラオケのような歌の上手、下手が分らなかったのが幸いした。歌集の譜面とにらめっこの日が当分続きそうだ。

  エゾリス  昨年藻岩山で


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ルンルンさま、一週間でマスター?いまだに新品手垢つかずで眠っております。今となっては自己流が一番!!。 / みき。 ( 2004-03-16 17:49 )
そう言えば1週間でマスター出来る!!!みたいな本を買って練習してなかったっけ?どう考えても1週間でマスター出来ない内容だったよね(^^; / ルンルン ( 2004-03-05 08:47 )

2004-02-18 親方が身近に感じて・散歩道

 先日旭川に行って兄と話していたら友達に相撲の髷結い床屋(正式な呼び名は分らず)をやっていたのが定年になりパーティに招待され行ってきたと言って写真を見せてくれた。兄嫁と一緒に写っていたのはかっての歌手「高田みづえ」だった。若島津で現在松ヶ根親方の奥さんである。着物姿も相変わらずのクリッとした美人である。子供が二人?いるとか話していた。親方も一緒にといったのだが写真には納まらなかったようだ。双子山親方の顔もあった同門の集まりで忙しかったのだろう。ずうっと以前に大乃国、北勝海が十両か幕内に入ったばかりの頃巡業で旭川に来た時一席設け贔屓のまねごとをしていたのは知っていたが同級生に髪結い床がいたとはちっとも知らなかった。その友達の話によると大好きだった千代ノ富士九重親方の評判が良く無いらしい。一般の人には分らない部屋同士の確執があるのかもしれない。部屋付きの髪結い床なので片寄った言い分なのだろうと思う。雑誌かテレビか遠い所の人と思っていたのが以外と近くにいるような気がして嬉しくなった。

  防風林の散歩道
  


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2004-02-16 母が風邪引いて・オオウバユリのサヤ

 元気だった母が風邪を引いてからすっかり元気がなくなったと妹(長女)から連絡が入ったので札幌にいる妹(次女)とお世話に成っている妹(三女)の所え行ってきた。車で行きたかったのだが冬道スリップ事故が心配で電車にした。旭川駅につくと兄と三女の旦那が車で出迎えてくれた。久し振りに兄妹5人集まり一人東京にいるので全員とはいかなかったが四方山談義。肝心の母はベットに横に成っていたが血圧が不安定になったりで午前中に点滴して貰ったためか眠っていた。声をかけると目覚めたようだが弱々しく元気が無い。満90歳なので一寸した事で悪化しないとも限らないので心配したらしい。午後近くの掛かり付けの医師が往診に来てくれた。それなりに安定している。母の事では妹達には本当に世話になっている男兄弟は何も出来ないものだ。幸い兄の商売が順調なので我々サラリーマン、年金暮しに心配を掛けてくる事はない。兄嫁の理解があればこそと有り難く思っている。そろそろ帰ろうかと用意をしていると横になっていた母が妹に手を取られてトイレに行った帰り、椅子に座り財布を取り出し黙って小遣いをくれる。「俺小遣い渡さなきゃならないのに貰えないよ」と言うと兄妹皆が「貰っておけ!」と言うので複雑な気持ちであったが貰った。孫にも渡していた。あんなに弱々しく成っていても顔見て嬉しかったのだろうと思った。昨年から暫く顔見せなかったからな〜親不孝者です。反省しています。それと兄妹に感謝。

  オオウバユリのサヤ   屯田防風林にて


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2004-02-11 靴下から親指が・アカゲラ雌

 衣食住、全てにおいて恵まれている現在、遠い昔となってしまった幼い頃の一場面をなぜか思い出した。ストッキングの親指の所が破れ指が出ていた。自分が小学校に入ったのは終戦の翌年昭和22年だった。多分一年生の時だと思うが物資不足の折満足な制服なぞ無かった。テンデンバラバラの服装だったが一人の女生徒で他の生徒から比べると一際目立つぐらい整った服装の生徒だったが教室から出て帰る時玄関で草履を履いている足の親指がストッキングの破れた所から両方ともはみ出ているのが何故かいまだに印象に残っている。確か当時村の警察官の娘だったように記憶している名前など思い出せないが一年間ぐらい居たが親の転勤で引っ越していった。我々は農家や番外地の商店街の子供達で下駄やズック靴衣服もほころびがあっても、ちっとも不思議でない時代だった。靴下を履いていたのも珍しいぐらい殆どは素足だった。小学校入学の時は父が旭川の闇市を歩き回ってやっと布製のランドセルを見つけてきたと語っていた。グランドにはまだ大きな柳の木の下に1メータ程の深さの大きな穴が残っていた。多分空襲に備えての避難壕だったのだろうと思う。

  今日見たアカゲラ雌   屯田防風林


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