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みきの日記帳

長年勤めた会社を定年退職
今は御隠居生活の「みき」(♂)と申します。
山登り、写真、パークゴルフ、PC、家庭菜園
を趣味とするオヤジです。
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是非遊びに来て下さい。

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2004-03-21 新撰組と土方歳三
2004-03-18 「野の花」の言葉に惹かれて・シジュウカラ
2004-02-27 ギター・エゾリス
2004-02-18 親方が身近に感じて・散歩道
2004-02-16 母が風邪引いて・オオウバユリのサヤ
2004-02-11 靴下から親指が・アカゲラ雌
2004-02-06 千鳥足はどこへ・キレンジャク2
2004-02-01 キレンジャクを見た
2004-01-30 連日の飲み会・カケス
2004-01-23 野鳥


2004-03-21 新撰組と土方歳三

 新撰組のテレビを見ていたら昔懐かしい栗塚旭が土方歳三の兄役で出ている。ウン十年前「新撰組血風録」モノクロの時代に土方歳三役で冷静沈着、冷徹とも思える役柄にすっかりほれ込んだ。土方は後に函館戦争で散ったのだが、生きざまに共感する所有り歴史上の人物の中で好きな一人である。函館に観光で行った折公園の中にあった函館戦争で命を落とした人々を弔った碑「碧血碑」を見てきたが、野に咲く花をさり気なく飾ってあった。散歩の途中に咲いていた花を摘んで供えたというような感じで素朴ながらもいつまでも人の心を引きつけるものがあった。五稜郭タワーの中にあった土方歳三の写真を観察し女性のファンが多いと聞かされなるほどと思える甘いマスク、京都街中の見回り粛正に命をかけた人とは思えない風貌。山本耕史の扮する歳三と何処か似た感じがする。札幌の北大正門の近くに新撰組生き残りの永倉新八が後に剣道の指導に訪れた標識がある。それぞれの時代に精一杯自分の信念で私心を捨て生きた姿は美しく想える。

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ルンルンさま、美味しい!!そりゃ−良かった。道路もきれいで運転疲れの心配ない。いつでも行くよ。 / みき。 ( 2004-03-25 19:17 )
今日はわざわざ有り難うございましたm(__)m早速出来上がったのを食べてみたんだけど言葉に出来ないくらい美味しい!!!今度食べさせてあげるよ♪ / ルンルン ( 2004-03-23 21:37 )

2004-03-18 「野の花」の言葉に惹かれて・シジュウカラ

 久し振りに街に出かけてきました。“近郊で楽しむ野の花”の講演があったので日頃重い腰を上げたのです。このような催しがあるのも春が近づいてきた証拠でしょう。なんとなく春めいてウキウキ気分で会場に向かいました。90人の会場とのことでしたが老若・・イヤ老老紳士淑女がびっしりでした。元現役のプロ講師も自分より10歳程年上と言っておりましたがビデオ撮影したものを編集してバックミュージック、ナレーターを奥さんに頼んで二人で作品を作ったそうです。画面もDVD編集で綺麗でスマートに出来上がっていた。札幌近郊にこんなにも多くの自分の知らなかった花があったかと感心する。あいにくビデオは持っていないが構図ゃアップの方法など教わりたくなる事ばかり、あっと言う間の2時間半楽しいひとときでした。
  
  シジュウカラ   防風林にて


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2004-02-27 ギター・エゾリス

 最近物置きの隅に眠っていたギターを引っ張り出してベン、ベン、と辿々しくも簡単な譜面を見ながら歌謡曲だったりフォークなど気侭に弾いている。それが結構楽しいのだ。このギターを手に入れたのはマイホームに住むようになって、青春時代に弾いてみたいと憧れつつも住宅事情や仕事等で心のゆとりがなく自分で弾く気が起こらなかったのだが、ある時、狸小路の楽器店の店頭に格安で並んでいた一つにくぎ付け思いきって購入。それ以来我流で弾いている、何時まで経っても成長しない当たり前なのかも知れないが教室等と名のつく所が大の苦手なのでこのまま何時ものように投げ出すかも知れないがそれでもいいと思っている。それなりに、いや下手なりに自分のリズムで練習?している。若かりし頃は歌声喫茶が流行っていて一杯のコーヒーで歌集をみながらリードしてくれる歌声に合わせて歌ったのが懐かしい。いまのカラオケのような歌の上手、下手が分らなかったのが幸いした。歌集の譜面とにらめっこの日が当分続きそうだ。

  エゾリス  昨年藻岩山で


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ルンルンさま、一週間でマスター?いまだに新品手垢つかずで眠っております。今となっては自己流が一番!!。 / みき。 ( 2004-03-16 17:49 )
そう言えば1週間でマスター出来る!!!みたいな本を買って練習してなかったっけ?どう考えても1週間でマスター出来ない内容だったよね(^^; / ルンルン ( 2004-03-05 08:47 )

2004-02-18 親方が身近に感じて・散歩道

 先日旭川に行って兄と話していたら友達に相撲の髷結い床屋(正式な呼び名は分らず)をやっていたのが定年になりパーティに招待され行ってきたと言って写真を見せてくれた。兄嫁と一緒に写っていたのはかっての歌手「高田みづえ」だった。若島津で現在松ヶ根親方の奥さんである。着物姿も相変わらずのクリッとした美人である。子供が二人?いるとか話していた。親方も一緒にといったのだが写真には納まらなかったようだ。双子山親方の顔もあった同門の集まりで忙しかったのだろう。ずうっと以前に大乃国、北勝海が十両か幕内に入ったばかりの頃巡業で旭川に来た時一席設け贔屓のまねごとをしていたのは知っていたが同級生に髪結い床がいたとはちっとも知らなかった。その友達の話によると大好きだった千代ノ富士九重親方の評判が良く無いらしい。一般の人には分らない部屋同士の確執があるのかもしれない。部屋付きの髪結い床なので片寄った言い分なのだろうと思う。雑誌かテレビか遠い所の人と思っていたのが以外と近くにいるような気がして嬉しくなった。

  防風林の散歩道
  


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2004-02-16 母が風邪引いて・オオウバユリのサヤ

 元気だった母が風邪を引いてからすっかり元気がなくなったと妹(長女)から連絡が入ったので札幌にいる妹(次女)とお世話に成っている妹(三女)の所え行ってきた。車で行きたかったのだが冬道スリップ事故が心配で電車にした。旭川駅につくと兄と三女の旦那が車で出迎えてくれた。久し振りに兄妹5人集まり一人東京にいるので全員とはいかなかったが四方山談義。肝心の母はベットに横に成っていたが血圧が不安定になったりで午前中に点滴して貰ったためか眠っていた。声をかけると目覚めたようだが弱々しく元気が無い。満90歳なので一寸した事で悪化しないとも限らないので心配したらしい。午後近くの掛かり付けの医師が往診に来てくれた。それなりに安定している。母の事では妹達には本当に世話になっている男兄弟は何も出来ないものだ。幸い兄の商売が順調なので我々サラリーマン、年金暮しに心配を掛けてくる事はない。兄嫁の理解があればこそと有り難く思っている。そろそろ帰ろうかと用意をしていると横になっていた母が妹に手を取られてトイレに行った帰り、椅子に座り財布を取り出し黙って小遣いをくれる。「俺小遣い渡さなきゃならないのに貰えないよ」と言うと兄妹皆が「貰っておけ!」と言うので複雑な気持ちであったが貰った。孫にも渡していた。あんなに弱々しく成っていても顔見て嬉しかったのだろうと思った。昨年から暫く顔見せなかったからな〜親不孝者です。反省しています。それと兄妹に感謝。

  オオウバユリのサヤ   屯田防風林にて


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2004-02-11 靴下から親指が・アカゲラ雌

 衣食住、全てにおいて恵まれている現在、遠い昔となってしまった幼い頃の一場面をなぜか思い出した。ストッキングの親指の所が破れ指が出ていた。自分が小学校に入ったのは終戦の翌年昭和22年だった。多分一年生の時だと思うが物資不足の折満足な制服なぞ無かった。テンデンバラバラの服装だったが一人の女生徒で他の生徒から比べると一際目立つぐらい整った服装の生徒だったが教室から出て帰る時玄関で草履を履いている足の親指がストッキングの破れた所から両方ともはみ出ているのが何故かいまだに印象に残っている。確か当時村の警察官の娘だったように記憶している名前など思い出せないが一年間ぐらい居たが親の転勤で引っ越していった。我々は農家や番外地の商店街の子供達で下駄やズック靴衣服もほころびがあっても、ちっとも不思議でない時代だった。靴下を履いていたのも珍しいぐらい殆どは素足だった。小学校入学の時は父が旭川の闇市を歩き回ってやっと布製のランドセルを見つけてきたと語っていた。グランドにはまだ大きな柳の木の下に1メータ程の深さの大きな穴が残っていた。多分空襲に備えての避難壕だったのだろうと思う。

  今日見たアカゲラ雌   屯田防風林


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2004-02-06 千鳥足はどこへ・キレンジャク2

 大雪の降った夜だった。あれは10年ぐらい前になるかな…12月下旬、仕事を終えて朝の2時半頃だったハイヤーで帰宅したが幹線道路優先で除雪が間に合わず自宅の2丁先で車は進めず降りて歩く事になった。膝までの積雪の中を一歩一歩進んだのだが、一人のふらふらといかにも千鳥足で歩いたような足跡が続いている。とっさに思ったのは「隣の旦那、酒好きだからな〜」想像して思わず可笑しくなり、一人ほくそ笑みながら進むと、隣の入り口には入っていない?なんと我家にその足跡は続いていたのだ。息子か娘かは聞かず仕舞いだったが社会人。茶の間で冷えた足を暖めながら寝酒のビールを飲んでいると、なぜか妻のいびきだけが大きく響いてきた夜だった。


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闇猫さま、最近すっかり野鳥の虜になっています。キレンジャクは闇猫さんが言っていたので注意していたのですがなかなか巡り合えなくて見かけた時はすっかり嬉しくなり数日有頂天になっていました。 / みき。 ( 2004-02-16 17:49 )
キレンジャクって千代の富士(ウルフ)に似てません?(笑) / 闇猫 ( 2004-02-12 10:51 )

2004-02-01 キレンジャクを見た

 先日も見ていたんだけど綿のようなふんわりとした雪の降った後の晴天にキレンジャクがまた見られるかも…とわくわくしながら散歩に出かけた。往復約1時間の防風林だが、行きは全然野鳥に出会えなかった。がっかり諦めかけて近くの家路にターンする頃ナナカマドの実をついばんでいるキレンジャクに出会い嬉しくなって写真を撮った。サッカー選手で一年程前のベッカム選手の髪型よろしく頭の毛を立てて尻尾の羽の一部が黄色で他の野鳥と比べて見分けやすい。割り合いと警戒心もじっとしていると近く迄きてくれ少ないようだ。ラッキーな一日だった。

 キレンジャク  屯田防風林にて


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2004-01-30 連日の飲み会・カケス

 28、29と珍しく連日飲む機会がありそれぞれ楽しい思いをした。元勤めていた会社の定年者Yさんの激励会がありOBとして喜んで出席させていただいた。久し振りに会う面々互いに若かりし頃のハメをはずした話しに花が咲き良き時代を懐かしんだ。本来なら2次回に行くのだが二日続くので体力を考え義理を欠いて先に失礼した。二日目の今日は高校時代の同級生10人が札幌に集まっての新年会だった。旭川、当麻、苫小牧と札幌近郊からそれぞれ元気な顔を見せてくれ、近況を語り合った。40名入学したのが卒業時には36名だった。勉強にも規則にも厳しい時代だった。まだ余裕で働いている人もいるが殆どが年金生活者。年中行事のパークゴルフや一寸足を延ばして本州の方で大阪、名古屋、東京の連中と合流しよう。等と話しは尽きない。アッという間の3時間だったが夏のパークゴルフ大会は旭川で開催する事に決めそれぞれ汽車に飛び乗って帰っていった。

  三角山で見かけたカケス


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2004-01-23 野鳥

 防風林を歩いていると一角に野鳥の群れがひしめいているように押し寄せては散っていくのを見つけ近づくと道路を挟んで向側の庭にあるナナカマドの実に群がっていた。道路を車が通る度にパーッと散るように逃げていたのだ。あまりに見事だったので写真撮ろうと思い待っていると家の中から上品な老婦人が出て来て私の様子を眺めていたが、野鳥が近づいてこないのでシビレを切らしたのか話し掛けて来た。「この鳥は臆病なので車や人が近づくと来ないですよ…」と言うので「そのようですね」といって諦めて防風林の中の道に入ると待っていたかのように野鳥の群れの波が押し寄せるように枝に止まり残り少なくなった赤いナナカマドの実をついばんでいた。家の方を見ると窓際に先ほどの老婦人の顔が見えた。どうも自分が庭の野鳥を楽しんでいたのを邪魔したみたいだ。思わず「済みません」と独りで呟いてしまった。昨日BSでやっていたヒッチコックの“鳥”を思い出させるような一場面ではあった。


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ルンルンさま、分りました。スキャナー修理して戻って来たのでホッとしている。 / みき。 ( 2004-01-29 23:20 )
スキャナーの件了解しました!!!何だか忘れてしまいそうなので、3月 例の件で札幌入りする時に一言声をかけて下さい。って、2人して忘れたくらいにして(^^; / ルンルン ( 2004-01-27 08:36 )
闇猫さま、散歩中やられました。軍手だったのでどおって事は無いのですが気分が悪い。 / みき。 ( 2004-01-24 12:01 )
はい、昨日車に爆弾を2個おとされました。T^T / 闇猫 ( 2004-01-24 00:07 )

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