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みきの日記帳

長年勤めた会社を定年退職
今は御隠居生活の「みき」(♂)と申します。
山登り、写真、パークゴルフ、PC、家庭菜園
を趣味とするオヤジです。
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是非遊びに来て下さい。

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2006-05-22 家庭菜園
2006-04-24 今年もPG同好会
2006-04-08 ルーツの旅 2
2006-04-03 ルーツの旅 1
2006-04-02 墓参 1
2006-03-14 激励会
2006-03-07 墓参旅行計画
2006-03-01 愛犬の落し物は責任もってね
2006-01-29 集合
2006-01-15 懐かしき電話


2006-05-22 家庭菜園

 コツコツとスコップで耕していた畑作業もやっと終盤、ジャガイモ、枝豆、トマト、なす、シシトウ、ピーマン、一通り少しずつ植えてみた。それにタマネギの苗を某花屋さんで売っている事を聞きさっそく買って来て植えてみた、苗の高いこと32本で600円出来上がりと変わらない値段じゃないかと思ったけれど植えてみたかったのです。パークゴルフで友達になったFさんに話すと丘珠のタマネギ農家から譲ってもらったのが余っているのでただであげると言うので頂いちゃった。カンカン照りの日に植えたので翌日朝畑をのぞいてみるとペタ−と枯れかかったような感じに慌てて水をまいて様子を見ていると少し元気になったようだ。
花壇用の花の苗も種から今年も育てている寒さに強いマリーゴールド、ペチュニア、ビオラなど簡単なものばかりだが道路ぶちに植えようと思っている。チュウリップはもう花期終盤枯れかかっている。道路ぶちの車駐車等で踏まれたりしてきれいに咲き揃わなかったが楽しませてくれた。パークゴルフ、山菜採り、できれば山にも登りたい気持ばかり先にたつがどれだけ実行できるか…が問題そのためにも健康を維持しなくちゃ。


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ヨッタンさま、ギョウジャニンニク、ウドと息子の友達が持って来てくれ正油漬け、ウドは酢みそ和えと天ぷらでいただきました。ごっくん美味しかった。最近映画見たことないけれどこの映画はぜひとも見なければと思っております。 / みき。 ( 2006-05-27 14:52 )
北海道にも春が来ましたね!先日新聞で五稜郭の桜が載っていましたが上から見ると綺麗ですね。帯広の主人の義理の姉からタラの芽も送られて来て天ぷらで苦い味を楽しみましたヨ。最近こちらは雨も多くて山行も中止が多いです。このまま梅雨に入るのではと恐ろしいです。主人と映画「明日の記憶」を見てきました。ご夫婦で見に行かれると良いです、とても感動しました。ハンカチは忘れずに・・ / ヨッタン ( 2006-05-25 00:02 )

2006-04-24 今年もPG同好会

 やっと隣接地の畑の雪が完全に解けた。道路ぶちのクロッカスも一斉に白い花を咲かせている。チューリップの芽も出て来ているが寒気に成長がストップしているような感じだ。
パークゴルフ同好会の総会があり今年も50名ちかくの会員になりそうだ。自分には苦手な会計の仕事を仰せつかって一年限りとの約束で引き受けざるを得なかった。当然年会費を集める事になって前列の会長の隣で会員と向かい合って座っていると気の弱い自分?は目のやりどころに正視できずうつむき加減で集金していた。昨年の会員名簿に新入りの名前連絡場所など記入してもらい集金した金を入れ物用意しなかったので机の横に積み上げる。まだ全員の名前を覚えていないのでチェックに気を使う。順調に集めたのだが、ある人は千円札を一枚づつ正方形に折り畳んでいて、それを開きながら“そぉ−つと”出されるのを見て・・・どこかで見た光景を思い出し複雑な気持ちだった。年金生活者ばかりなので当然なのかも知れないが自分が思い出したのは過去によく釣りに出かけていた頃、釣り好きの○さんに声をかけて約束したのだが、餌など必要なもの全部自分が買うついでに頼まれたので一緒に買って来た。明け方が釣れるので暗い3時頃迎えに行って一緒に車で出かけ楽しんだのだが予想より釣果が少なかった釣れる時はホッケ100匹も稀ではない。経験があるばかりに10匹以内だと物足りない気持もあった。帰りは疲れもあり口数少なく運転しているのだが「餌代○○円だったから…」答えがない眠っている風でもなし以前にも何度も一緒に行ったことがあるのでそれ以上催促がましいことは言えなかった。彼の自宅前につき荷物を降ろすと「なんぼさ…」そして出されたのがきっちりと折り畳んであった札であった。大事に大切にしているものを貰うのに忍びなかったが貰うものは貰った。以後釣りに誘ったことはない。無理強いしているようで嫌だった。幸か不幸か向こうからも音信がない。苦い思い出だった。
 新琴似地区7(同好会)団体にも管理の名を連ねることになり忙しくなりそう。のんびりと過ごさせてはくれないようだ。昨日三角山を歩き雪のない所で早くも花の蕾を見つけ……あんなに覚えていた花の名が頭から出てこない暫く歩き頂上に近くになって「キクザキイチゲ」「ナニワズ」自分の頭はリセットされていた。復帰には大分かかりそう。適度の刺激がありボケ防止には良いのかも…と断わりきれない自分の弱さを慰めている。
 

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ヨッタンさま、弘前城の桜見物ですか中学の修学旅行で見ました…半世紀前…アイスクリーム食べて北海道のとあまりにも違うのでがっかりしたの覚えています。今では全国同じ味なんでしょうがネ。 / みき。 ( 2006-05-04 08:45 )
ご無沙汰!お墓参りから1ヶ月、お疲れも取れたかな?と思ったら気を遣う会計さんですか?ご苦労様です!でも人のために役に立つって素晴らしいことだと思いますヨ。明日の夜行バスで私、青森の弘前城に桜を見に行きます。北海道は見えないかな?24日の日記は笑えました、ルーツの旅は思いがけず歴史のお勉強が出来ました。 / ヨッタンより ( 2006-05-02 00:05 )

2006-04-08 ルーツの旅 2

 墓参旅行に行く前に23年前父と一緒に訪れている親戚Oさんに何も知らない我々兄弟なので少しでもと予備知識を仕入れに行き話しを聞いた「土地の有力者5人で建てた寺があり、その一人であり。5人衆の旦那寺がある」と伝えられているが何処にあるのか分らないということだった。ネットで調べていると「五人衆聖霊堂」が見つかり急きょAさんにお願いして予定に繰り込んでもらった。鷹ヶ森城当時の領地、鬼原にあった。車中Aさんの説明によると「謀反を企てたのが発覚、首を切られた場所」とのことだった。細い道鬼原集会所を先に進むと五人衆聖霊堂の碑があり右手に一人歩けるほどの細い道を10メートル程登ると御堂があり中には奥のほうに五輪塔のようなものと石仏等が5つ並んで納められていた。寺と思っていたので予想外の結果だったが、お参りした証拠に写真を撮って来たのだがデジカメで撮ったのは天井が写っていたり右半分斜に三体が写っていたりと後で知った詳しい由来にゾ−ッと冷や汗かく思いがしたのであった。フィルムの一眼レフで撮ったのは異常がなかった。帰宅後ネットで調べると「正岡一族の歴史抄」正岡 徹 正岡会会長 の記述の中に「鬼原の5人衆聖霊堂」について当時の事を詳しく書かれている。
 以下抜粋 直径の子は正岡丹後守道縄(道綱)である。その子右近太夫通高は河野晴通の娘と結婚した。母方の伯父の別宮修理太夫の日高城に住んでいたが、晴通が言うには正岡通高はまだ若いので親代わりとなって後見せよとのことで、修理太夫も府中米田に住まいをうつした。ところが天正7年正岡家代々の家老であった鳥生石見は通高も修理太夫も行いが悪いと改革を企て、鷹森城主越智駿河守と相談して、通高を殺して来島家に走ろうとしたがそれが露見し、別宮修理太夫父子とその甥の縫殿助の3人は、石見守を幸門城内で討ち取り、さらに石見守の屋敷に急いだ。石見の家族は高森(鷹森)に逃げようとしたが、これを急追して妻子ら5人は鬼末村(鬼原境)で討ち果たされた。
ところがその後いろいろな祟りがあったのでその村ではこの5人を祭り、今でも五人衆と言い伝えられていて鬼原には五人衆正霊堂がある。
 デジカメの写りは祟り…なにか障りがあったのかと後味が悪かったが、よく考えてみると御堂の中は雨模様の天気で暗かったのでストロボ使ったつもりが手元狂いタイマーシャッター設定になっていたようだ。ヤレヤレ・・・!。Aさん曰く祖父の母親が鬼原から嫁いで来ているのでそのような言い伝えになったのではとの推測であった。歴史は知れば知るほど面白いAさんは郷土史を発掘発表活躍されている。2册ほど出版されている本も頂いてきた。幕末の今治地方米国使節ペリー来航によるあわてぶり今治城が海岸に近いため真剣に移築が検討されその場所が「鷹ヶ森城趾」だったとはAさんの古文書発掘によって日の目をみた鷹ヶ森城趾興味深く読ませていただいた。

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2006-04-03 ルーツの旅 1

 今回の墓参観光でぜひとも訪れてみたい所が二つありその一つの「鷹ケ森城趾」は山あいの中の一つにNTT携帯TVアンテナ等の建っている山である。舗装された細い山道を杉林や孟宗竹(Aさんによると種類が違うらしい聞いたが忘れてしまった)のような太い竹林の急勾配の山であった。砦(城)を築き鈍川村、鬼原村、畑寺村を領地として築城し本丸・二の丸・三の丸の他鬼原城・大西城の出城を構え五百余年に亘り繁栄治めたが天正13年(1585)織田信長亡きあと百日天下の明智光秀を討ち取り全国制覇にのり出した豊臣秀吉の軍門に下った小早川隆景によって滅ぼされたのである。現在の高知地方を治めていた長曽我部一族も同年軍門に下り四国制覇されている。頂上付近にどうやってここまで運んで来たのかと思うほど大きな石碑「鷹ケ森城趾」が末裔によって建てられている。碑文によると小早川隆景の進攻をうけ将兵共々自刃し落城、自害に先立ち弟に妻子を託し落ち延びさせたと伝えられている。同姓のよしみで先祖の猛々しく家紋の旗をなびかせ敵対している姿を想像して図太く逞しく生きなければと勇気のようなものが身体にみなぎるのであった。近くに咲いていた真っ赤な椿の花がなぜか印象に残っている。地元の人によると開花時期が短く花蕾がすぐ落ちるので良い印象は受けていないとのことだった。

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2006-04-02 墓参 1

 ついに一度は行ってみたいと思っていた先祖の眠っている地へ行って来ました。幸いにも遠縁のAさんに3泊4日のスケジュールはお任せ、右も左も分らない我々兄弟だったが祖父がこの土地に生まれ北海道に開拓入植して約100年になるのだ、松山の八十八カ所石手寺観光後、予想以上に山坂の多い細い道が入り組んだ祖父の故郷、鈍川温泉に一泊、松山空港に迎えに来てくれたAさん明日2日雨の予報を心配していたが夜中車が通るたびにシャーッと水を跳ねる音に先祖の墓を訪ねてゆけるか気掛かりであった。明け方外をのぞくと雨は降っていないが山肌にへばりつくように建っている温泉街の上をガス雲が流れていた。街路灯に照らされた桜は咲きかけ2部咲きといったところ。Aさんが迎えに来て同姓の管理をしているOさんに挨拶事前にお願いしてあったこともあり一家で(親子三代)歓待していただき感激。シキミの植林地を登り杉林に近い所にひっそりと大小入れると数十基の石仏・墓がシキミの木の影に隠れるように横に三列並んでいた。刻名などはほとんど判別できなかったが、割合はっきりと過去帳と合致したのが一つあり23年前に父たちが参りにきたのもこの地であり、あいにくの空模様に感傷に耽る余裕もなく写真を撮り菩提寺(光林寺)へ向った

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2006-03-14 激励会

 昔同じ職場にいたY君激励会の案内がきていたので出席してきた。大分年が違うように思っていたが定年と聞いて驚いてしまった。当時はボウリングブームで重たいマイボール・マイシューズを持って寸暇を惜しんであちこち練習したりスポンサーの付いた素人大会に出かけた事もあった。
爆発的ブームは去り、今考えるとウソのようだ。当時3つの職場で150名ほどいて皆若く朝野球など眠い目をこすって始発の市電で球場に向った事もあり活気があった。そのご徐々に機械化・コンピューターに替わり他の職場に転出する者が増えた。Y君もずっと後になって営業職場に行き慣れない仕事に苦労した。
ホテルにつき席に付くと懐かしい面々「あの人誰!」なんて聞いてしまった、すっかり風貌の変わったNさん欠席者も体調が悪いとか入院中なんてのもあり普段会う事がないので改めて経過年月の重みと早さを感じた一日だった。一緒に帰ったシゲちゃん以前からマッサージや介護に興味を持っていたのは知っていたが北区のビルの一角に開業しているのを知り頑張りと熱意に敬服する。

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2006-03-07 墓参旅行計画

 四国今治市に住む遠戚Aさんより「墓参旅行計画書」がファックスで送られてきた。旭川に住む兄と一月頃から一度祖父の出身地に行ってみたいと話し合っていたのだが4月1日より松山まで夏ダイヤで直行便が就航するのを知りAさんに電話したが不在夜には帰ってくると言ってくれていたのだが、思い立ったが吉日とばかりせっかちにも航空券を購入した。事後報告で夜電話すると1週間後なら桜の季節で綺麗だけど変更できないかと残念そうに言われたが航空券キャンセルすることもできず続行の意志伝えるとAさんの奥さんが花の展示会していて車で案内したいのだが出来ない(Aさん無免許)との返事に営業車を使う事になった。
 30年程前に父の従兄弟同士で墓参りに行っているので簡単に考えていたがその墓の場所が分かっている人がいない。Aさんの母は分かっていたらしいが本人は住所をたよりに探してみたが分らないと連絡が入り困った。父の従兄弟の一緒にいったトシさんに兄と一緒に当時のことを聞きに行った。きちんと整理してあるアルバムを見せていただき「建物の左側のあぜ道のような道を進むとある、後方には石垣になっている」とのことだった又父の元気な姿があり懐かしく拝見させていただいた。墓の近くに住む同姓の電話番号があり3年ほど前まで年賀状がきていたがこなくなり住所も分らなくなっていた。電話番号をたよりにAさんに連絡すると早速電話し雨の中訪ねていってくれた。祖父がその地を離れて100年過ぎているので墓も苔むし石に刻んだ文字も分らないのが殆どだが一つだけ日付け等がぴったり合うのがあったと連絡受けホッとする。
だんだんと疎遠になり全く分らなくなるのがあたりまえなんだな…と実感したのが実情。我々兄弟が行働起こさなければ全くの無縁仏になるところだった。少子化時代我々の後に続くものがいるかが問題なのだが取りあえず後に続く人の為に場所をしっかりと忘れないよう記録しておかなければと思った。Aさんの計画書によると3泊4日びっしりと30分単位で墓参りや菩提寺、観光地とホテル宿泊所とお世話になる奥さんも3日目には花の展示会が終わるので一日一緒に案内してくれるらしい。すっかり行く前から恐縮している。

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2006-03-01 愛犬の落し物は責任もってね

 自宅の台所から朝食のかたずけをしながら雪の残っている外を眺めていると立派な毛並みの犬(ゴールデンリトルリバー)を連れて散歩している女性が目についた。立ち止まってクンクン座り込んだのかと思っていたらどうも便をしている様子に目が離せなくなり窓越しに観察していると便を始末する素振りがないのでいよいよ目が離せない。雪解けの春にはこれらの一部の不届きものによって道端の畑には糞があちこち残り雪解けをまたずにチュゥリップの芽が出てくるので片付けに手間取るのだ。やはり始末をしないで自宅の前を通り過ぎようとしていたのでこのままではすますものかと出て行って玄関フード越しにドンドンとガラスを打つと相手も気がついて顔を向けたので「始末して行ってね」指さすと、うなずいて戻って行った。犬を連れて場所にいってチョロチョロしているがやはり始末する気配がない、用意してきていないようだ。窓を開けて「片付けて行ってね!」と再度言うと「いまします…」ますます目が離せなくなりジッと窓越しに注視しているとやおらポケットから取り出したマスクでつかみ持って行った。
掴んで歩いている姿を見るとその後も気になったが付けてゆくわけにもいかず、まずは処分したのだから良しとしよう…見ていない所に捨てられそうな感じだった。なんとも後味の悪い気持ち「あの持ち主の顔は忘れないぞ」とすっかり忘れっぽくなった頭にインプット。

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ルンルンさま、ありがとう。2月28日のつもりだったんだけど違ったかな。ポカボケ…かな。待っているよ〜 / みき。 ( 2006-03-06 10:55 )
まっちゃんさま、やったね!デビューおめでとう。愛犬骨折とはそんなに簡単に骨折するんですか!今日散歩中ハスキー犬のような狼を思わせるような繋がれている犬に行く時は黙って伏せっていたのに帰り道の時車の影からワン!!飛びついて来たのにはビックリ顔知っているはずなのにとっさに飛び退いたけど後で考えるとあれも愛情表現のひとつだったのかと思っています。 / みき。 ( 2006-03-06 10:49 )
ヨッタンさま、今開いてみてビックリ3件も入っている事なかったもので嬉しい悲鳴…でも日付けが間違っていたとか?全然知らないでいました指摘ありがとうございました。梅ねこちらは4月下旬桜は5月5日位かな春が待ち遠しい畑はまだ山のように雪が積もっております。 / みき。 ( 2006-03-06 10:32 )
日付け直しておきました。今週末 またしてもお邪魔しまーす♪ / ルンルン ( 2006-03-06 10:00 )
やっとデビューしました、我が家のわんちゃんはトイプードルです、室内犬なので行儀は良いですよ、とわ言ってもはしゃぎ過ぎちゃって骨折、約1か月の入院でまだ添え木生活です。子供たちも巣立ちゃった今では良いいやしと夫婦の会話の話題にはこの子も新しい家族になりました。みきさんもいかが? / まっちゃん ( 2006-03-05 13:20 )
みきさん、日付間違ってますよ〜。いらっしゃるんですよね、こういう人。 自転車で走っていると 梅の匂いが漂い梅の木を捜してしまいます。こちらはもう春ですヨ! / ヨッタンばぁば ( 2006-03-04 23:07 )

2006-01-29 集合

 今年もほぼ同じ顔ぶれが集まった。高校時代の同級生8名、遠方から参加する人の事も考え午後3時札幌駅西口に集合だった。店の予約席に着き互いの健康に乾杯しつつ雑談になった。懐かしい面々ほとんどは昨年秋のパークゴルフ大会で会っている4ヵ月ほどの再会なのだがいつも新鮮な気持ちにさせてくれる。話題はやっぱり青春時代の思い出話しに花が咲き静かに始まったトーンも次第と上がり青春に戻っていた。酒量は年相応飲み放題とはいえあまり進まなかったが青春フェロモンいっぱいの気分で愉快だった。Y君話しぶりがおかしい?舌がもつれたような聞き取りづらいので聞くと昨年2ヵ月ほど入院していたとのこと声が出ない時期もあったらしく現在糖尿でインシュリン注射も毎日続けているとのことだった。ひと回り小さくなったように見え心配な状態じゃないかと気になったが本人は皆の顔が見たくて雪の中出てきたのだろう。血糖値の高い人も多く薬の段階で治まっているもの140でまだ薬は飲んでいない等見かけは健康でも個人差はあるがガタが少しずつ油切れのように出てきているようだ。ある年齢を過ぎるとひとつやふたつの薬を飲んでいるのはあたりまえ、上手に薬と付き合って(正確でないかもこのような主旨)・・・黒柳徹子のCMを思い出した。
ベルトの穴ズラシ、ファスナ−はきつく張裂けんばかりになってしまった腹…散歩しなければと改めて運動不足の自分に言い聞かせた一日でもあった。


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ヨッタンさま、ご主人は身体に(健康に)自信があるんですよ。寒かったり吹雪いたりして三日も家に閉じ込められていると窒息するような感じで体調に良くない自分平然と過ごせるのがうらやましいです。人間の無責任な欲がある限り争いは絶えません個人同士ならまだしも組織的なもの国と国や宗教に起因するもの等危ういところにさしかかっているようなきがします。 / みき。 ( 2006-02-16 17:36 )
健康に気をつける年齢ですよね。夫もビールを毎日浴びており、例外無くお腹がぽっこりです。でも、言っても馬の耳に念仏。気が付いているミキさんは偉いです。今日、スピルバーグ監督の「ミュンヘン」を観て来ました。シリアスな映画でした。今でも世界ではテロや戦争は終わらず、人間は学ぶことが出来る筈なのに悲しいですね! / ヨッタンばぁ〜ば ( 2006-02-16 00:54 )

2006-01-15 懐かしき電話

 友遠方よりきたる・・・・・じゃ・な・く・て・・・電話がきた。
妻の友達の主人からだった。毎年年賀状だけの挨拶になって20数年になる、懐かしさを込めた2行ほどの近況に子供同士同年齢の親で親しかった朝○さんに会ったと書かれてあった宮城県に住む市○さんだ。
妻の入院など心配してのことであったが主人の話しによると故郷に帰り定年、マイホームに住み旅行やホノルルマラソンなどにでたりと、定年後を楽しんでいたのだが奥さんの腎臓?手術、股関節骨折などで現在健康ではあるが歩くときは杖が手放せないとの事だった。妻同士が話すのじゃなくて当時ほとんど話した事もない夫同士が何でこんなに懐かしく感じて話せるのか不思議なくらいだった。上場企業の営業マンだった主人で滑らかな話しぶりにすっかりこちらも打ち解けて話す事が出来た。20数年前は今住んでいる所も家がまだマバラで市○さんは100メートル程先の二階建てのアパートのニ階に住んでいた。自分の家までは雑草地帯で遮るものは何もなかった。二階の窓から大声を出せば聞こえるので子供どうし声をかけたり、かけられたりで遊ぶ場所には不自由しなかった。長男と長女、市○さんの長女と長男がそれぞれ同年齢で自然母親同士も親しくなっていた。東北弁のナマリも懐かしく思い出された一日だった。

先頭 表紙

ルンルンさま、にぎやかだった一週間今年もソリ遊びできて楽しかった。単調で静かな生活に戻っております。 / みき。 ( 2006-01-17 16:53 )
先週は騒がしくして申し訳ございませんでしたm(__)m市○さん懐かしいね。長男様と喧嘩してよく泣かせていた事を思い出します(^^; / ルンルン ( 2006-01-16 10:55 )

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