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みきの日記帳

長年勤めた会社を定年退職
今は御隠居生活の「みき」(♂)と申します。
山登り、写真、パークゴルフ、PC、家庭菜園
を趣味とするオヤジです。
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是非遊びに来て下さい。

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2005-05-01 地蔵さんの衣にヒメギフチョウが…
2005-04-25 一輪のみだが今年もあった・福寿草
2005-04-19 長靴登山・積丹岳方面
2005-04-15 孫がやってきた
2005-03-30 自分だけじゃない先生も歳とったな〜
2005-03-22 エゾリスの駆けっこ見た
2005-03-10 映画「北の零年」見た
2005-03-07 義経を見て伊豆を想い出す
2005-02-22 短気は損気
2005-02-09 大倉山へ縦走


2005-05-01 地蔵さんの衣にヒメギフチョウが…

 旭山寺の山開きに今年も妹達に誘われて行ってきた。雨の降る空模様だったが幸いにも寺に到着した頃には雨は上がっていた。昨年は旭山動物園に入る車が列をなし渋滞していたが今年は雨模様の天候のせいか車は少なかった。地蔵さんの並んでいる参道は水気をたっぷり含んだ道で気をつけて歩かないと滑ったり泥んこになったりであったが、エゾエンゴサク、カタクリ、ナニワズ、ザゼンソウ、福寿草と退屈させなかった。カタクリは蕾みが多くこの山全体に分布している。1週間後ぐらいが見ごろかと思う。さぞかし壮観なピンク一色の景色になるだろう。子供の頃何度も遊びに来ているはずだが、こんなに素晴らしい花景色の記憶はない。贅沢な環境に住んでいたのを今さらながらマータイさんの言葉を借りれば“もったいない”だった。65番位の地蔵さんの衣に静かにへばりついて居るように止まっている蝶を発見。此の時期に蝶を見るのは珍しく鮮やかな羽色に思わずシャッターを切る。ギフチョウに似ているとは思ったがまさかこの山に生息しているとは…神居古潭の近くで夏ネットを持って探していたのに気付き半信半疑で家に帰ってから調べるとどうも間違いないらしい。カタクリの開花とギフチョウの羽化はほぼ同時期との説明がある。北海道に生息しているのは分布図によるとヒメギフチョウのようだ。写真を貼り付けて置きますので間違っていたらお知らせ下さい。1時間位で寺に戻り護摩法要を終え、先月末に介護施設に入所した母を兄妹で見舞い旭川市内で食事をして別れた。その後、妻の母これも別の施設に見舞うと不自由な身体なのに廊下のエレベータの所まで「気いつけて帰りな」と杖でやっと身を支えながら見送ってくれた。皆に感謝しつつ暖かいものを感じつつ爽快感にも似たスカッとした気持ちで帰路につく。
 ヒメギフチョウ


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2005-04-25 一輪のみだが今年もあった・福寿草

 福寿草もうそろそろ咲いている頃だろうな〜。と思いつつ今年は雪が多かったので昨年より2週間ほど遅く様子を見に行ってきた。銭函天狗山の登山口から30分ほど登った所にその場所はある。今年は登山口の所からまだ雪の道になっている。昨年だとエゾエンゴサクが咲いていたのだがまだ雪の下だ。今日は偵察だからと自分自身を慰めつつ(こんなにまだ積雪があれば咲いていないと思ったので)雪の上を歩く。エゾシカの足跡があったり去年と同じだなと思いつつ進むと札幌山岳会所属の【銭天荘】があり黒く年代を感じさせる銘板があり「山に登るべし、山に登るべし、山に登らねばならぬ。」となにか必死になって登る様が浮かんでくる。もっとのんびり風景や草花を楽しみながら登る方法もあるのにと一人呟いていた。歳のせい?負け惜しみ?どちらも実感として身に染みるこの頃である。10分程先に進むと山の斜面の一部分に雪の解けた所があり、ここいら辺りだったと注意深く探しながら歩くと黄金色にも見えた福寿草が一輪、あたかも自分を待っていてくれたかのように。樹の影にひっそりと咲いていた。他はと探すがこの一輪以外見当たらず。諦めていただけに嬉しかった。1、2週間程早いようだ。あっけないほど早く見つかったので斜面を散策キクザキイチゲが蕾みで見つかる。咲いているのもあったがいま開いたばかりでトンボや蝶々が羽化したばかりのような弱々しい花びらを遠慮しがちに広げていた。まだまだ寒いのでしよう、2日前にはみぞれ混じりの雪が降った、ここいらは完全な雪が降ったことだろう。1時間ほど雪の斜面を散策遊んで引返したのだがこの次来る時は頂上を目指そうと樹林の間から見える日本海を眺めながら思いに耽るのだった。
  福寿草   銭函天狗山


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2005-04-19 長靴登山・積丹岳方面

 朝目覚めると快晴。予報では気温も高くなるとのことで山はまだ雪化粧がきれいな所ばかりだが、小樽の塩谷丸山に登ることにする。夏タイヤ交換オイルもエレメントも交換してあったので快適に登山口に着いた。駐車する道路は一寸道を外れるとまだ雪の山だ。雪の壁にぴったりと引っ付くように一台の車が止まっていた。先客は一人いるのかなと思いつつ雪道を登る。間もなく左側に足跡が二分されていたが夏道と違う道なので直進する。足跡はめっきり減ってアイゼンのついた足跡が一人今日の足跡のようだ。夏には何度も登っているのでだいたいの見当はつく、心配なことはない気分はルンルンこの冬で5キロも増えた身体と心臓は汗と心泊の協奏曲。呼吸を何度も整えながら、長靴を湿った雪に突っ突くような感じで一歩一歩登る。杖代わりの1脚忘れてきちゃった。準備しているようでどこか抜けている自分、歳のせいにはしたくないのだか…。1時間ほど登った所で一人の登山者が降りてきた。てっきり男と思い「おじさん上には誰か登っていますか」と聞くと女性の声で「二人ずれが頂上にいますよ。今日は見晴しも良く最高ですよ」と言ってすれ違った。急な坂を登りきり無線の反射板の所にきて気がついたのだが雪の上何処を歩いても抜からない、気ままに好きな所を頂上目指して歩く。実に愉快な気分。ここら一帯は笹薮なので雪の下所々白樺や針葉樹それにネコヤナギのような樹が所々に雪の下から出ている。一方反対の海の方は小樽築港の方から余市その奥に積丹の山並がくっきりとパノラマだ果てしなくつづく地平線を見ていると地球の円さが実感。地球のいや宇宙のちっちゃな生き物それが今の自分等と壮大な気持ちにさせてくれる。1時間50分程で頂上に到着。風が冷たく感じる。少し奥の下がった所で老年カップルが火力を使って食事をしているようだ。羊蹄山や無意根山を眺めながらコンビニで調達したおにぎりをそそくさと食べ写真をとり寒いので下山開始。下りは長靴のままでもスキー、スノーボードよろしくバランスさえうまくとれば滑れるのだ。シートに座って滑った跡もあり、実に愉快な気持ちで抜からないことをいいことにどんどん滑り降りると登った所とは違う所に居ることに気がついたが足跡があるのでその足跡を辿ってどんどん下る。多分登山口近くの左道に入った所あたりに出るのではと思いつつ下った。案の定予想通りの道に出て一安心。登った時の自分の足跡を探したが解けたのかハッキリとした足跡は見当たらなかった。下りは1時間で一気に下ってきた。これだから今の季節長靴登山止められないんだよな〜。じっと冬眠よろしく冬ごもりしていた気分が一気に解放された自然に感謝したい。

 積丹岳方面   塩谷丸山頂上から


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2005-04-15 孫がやってきた

 孫がやってきた〜。娘の熱烈ファン某歌手のチケットが手に入ったからと連絡を受けていたがコンサートに子供を(1才11ヶ月)連れて行くには大変なので預かったのだ。正月以来3ヶ月ぶりだが家に入った当初は初めて来た時のようにきょろきょろ茶の間を見渡していたが落ち着くとじっとしていない。楽しくもありハラハラと余計な心配をして見守る「爺バカ」になっていた。買物もあるからと娘は早めに出かけた。慣れているのか母親がいなくともおもちゃで遊んだり幼児用のビデオを持ってきてまだ喋れないので掛けてほしいと指をさす。だいたいのコミュニケーションは素振りでわかる。こちらのいうことは分るようなので話し掛けると駄目な時は首を横にイヤイヤをする。爺も孫に慣れてくると簡単な幼児言葉が分り楽しくなってくる。ブロックを積んだり壊したり爺がせっかく積んだのに壊すので「あ〜あ!」と言うとまねして同じ言葉を何回も言う。危ない所にはダメと怒ってピンするよ、と言うと暫くは近づかないが爺の顔色うかがいながら少しずつ近づいて行く。興味のある所は何度怒っても駄目のようだ。夕御飯の時間になりマンマ、マンマと言うので用意していった「おむすび」を食べさせる。2個あったが1個しか食べなかった。普段だと風呂に入れるのだか爺は省略して寝かせようと布団に一緒に入ったが寝付かず泣き出し茶の間に出てきてしまった。大粒の涙ぽろぽろ頬を伝う「ネンネしよう」一心にイヤイヤする。やはり寝る時は母親と一緒でなければ駄目のようだ。抱いてやると泣き止み指をしゃぶっていたがスルスルと腕の中から降りてアンパンマンで遊び出した。うまくいったわい…と思っていると突然「ワーン」と大粒の涙。何度かこんなことを繰り返していたが、9時半頃泣いて爺の腕の中に入ってきたので少し強く抱き締めていると重たく感じたので顔を見ると眠っていた。まさにバタンキューの感じだ。待って、待っていたのに我慢出来なかったのだろう。寂しい思いをしていたんだろうな〜。20分程すると娘が「よかったー」と言って帰ってきた。
 自分が小学校3-4年生の頃母が旭川の兄妹の所へ行って…多分1泊して次の日だと思うが何時も居る母がいないのを寂しそうにしていたのを祖母が○時の電車で帰ってくるので迎えに行くように言われ2才上の兄と暗くなりかけた道を迎えに行った。全国的に有名になった旭山動物園の下に電車の終点があり、すっかり暗くなった2キロ程の道を行くと途中で暗闇の中から「○○かい」と母の声、あの時の寂しさと嬉しさは何故か今でも甘酸っぱい感覚で思い出す。孫もこれから色々と人生経験して大きく成長してゆくんだろうな…愛おしく感じる爺バカでした。

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子育て頑張って!そうやってみ〜んな大きくなった。 / みき。 ( 2005-04-19 14:57 )
みき様のお陰で、中島み○きのコンサートとても楽しんで来れました。中学生の頃から足を運んでいるのですが、行く度に年齢層が上がって行くので、自分も歳を取ったんだなぁ〜と、そんな所で実感させられます(^^;又何か有りましたらよろしくねってもう懲りたかな?(苦笑) / ルンルン ( 2005-04-15 21:35 )

2005-03-30 自分だけじゃない先生も歳とったな〜

 慢性的ななが〜い付き合いの皮膚病?(水虫)で初めの頃は薬局で塗り薬を買って付けていたが、かなり以前から皮膚科の専門医にかかっていた。入社して3ヶ月ほど属したところが革靴を履いて油まみれの作業服で、でかい機械の間を駆け回った、仕事を終えると一斉に芋の子を洗うような風呂に入る生活で頂いた“水虫の菌”だ。この3ヶ月で得た菌が今につづいている。病院で出される塗り薬のほうが安上がりだった(当時は1割負担)ので定期的に塗り薬がなくなると貰いに行く、診察は何度かに一度は皮膚の一部を切りとつて顕微鏡で調べているらしいが、この菌が決定的に激滅完治する薬には出合っていない。今回も検査したほうが良いと言うので片足の足裏堅い所の皮膚を三ケ所程切り取った。いつもの塗り薬を貰って帰ってきたのだがチクチクと痛む…夕方茶の間で靴下をみると一点血で赤く染まっていた。皮だけ切り取ったのが肉まで切り取ってしまったらしい。年輩の医者なので手元が狂ったようだ、必要以上の血液検査などしないので年はとっているが安心して任せていたのだが…。患者も若い人は少なく中年以降の患者が多いのも検査漬けの病院を嫌ってのものと思っていたのだが考え違いだろうか。風呂あがりに思い出したように塗り薬をつけるくらいで家族にけむたがられ治療に専念しない患者なので尚更長引いているのかもしれないが先生の治療もピントがずれているようでどうしたものかと考えさせられた。

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2005-03-22 エゾリスの駆けっこ見た

 昨日久し振りにJさんから電話があり運動不足の身体ならしに三角山に登る事になった。やっと春らしい暖かさがやってきて自宅前の氷割りもあまり力をいれなくとも面白い程かるく割れるようになった。約束の時間に迎えにきて途中昨年山荘で楽しんだ新人のY君をひろい登山口へ三人で登る。踏み固められた雪の上を長靴に簡易アイゼンをつけて歩く湿り気を帯びた雪上に食込み快適だがすぐ呼吸が荒くなり、こんなはずではなかったのにと冬の運動不足を反省するのだった。冬の間に5キロも体重が増えちゃった!野鳥の餌場についたがシジュウカラとゴジュウカラだけ他のは見当たらず残念に思いながら頂上をめざす。35分程で頂上に立ったが呼吸を整えるのにしばらくかかった。今日は身体ならしということで大倉山に通じる途中の道から回り下った。歩いた足跡の少ないせいか時々チヨット足を踏み外すとボコッと抜かりながら歩いていると直ぐ近くの倒木にエゾリスがいるのを見つけた。登ったり降りたり雪の上を駆けっこしたり4疋だ、しばらくそのままの姿勢で見ていたがカメラを向けると離れたところで相変わらず駆け回っている。雪にリスの足が埋まる事がないのが不思議なんとも軽妙な軽業師だ。餌場の近くまで降りてくると今度はトトトトトトトと樹を突く独特の音、音のする方向を探すとアカゲラだ。暖気につられ野鳥も活発に活動しているようだった。メンバーは一様にこんなに楽しめた事は初めてと感謝感激、次回の山行き計画をするのだった。

 エゾリス   三角山にて


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2005-03-10 映画「北の零年」見た

 久し振りに映画を見てきた「北の零年」JRタワーの映画館には初めて入つた。開始時間を見計らって20分程前に行ったのだが30人程並んでいた。若い人はおらず中高年のオバタリアンが殆どペチャクチャとうるさい。中程の場所に座り丁度良いかと思っていたが映画が始まると首が疲れるもう少し上の椅子に座ればよかった。北海道に開拓移住した先人の苦労を少しでも知りたくなりやってきたのだ。移住するについてはそれぞれの並々ならぬ事情があったのだろう。淡路島から北海道の日高地方静内に入植しドラマが展開される。感激のためか音響効果良いためか必要以上に涙腺が緩み手の平で何度も拭ってしまった。子供の頃祖母に聞かされた二週間程石狩川沿いを歩き続け辿り着いたという話しがだぶり、とめどもなく…、可愛がってくれた祖父母の開拓の苦労を想い感謝の気持ちが涙腺を緩めたようだ。ストーリーは良かったが最近のドラマにつきものの濡れ場は神聖な開拓の精神を汚すようで別の方法はなかったか、また領主様の家を建てている材料がやたら角材が多くあの時代だったら原木を大きなマサカリで墨つぼの水糸で付けた墨付けの跡を削って行く木材が使われていなかったのか?少しガッカリ。昔の古い家の柱など丹念に削ったマサカリの跡が一層時代を感じさせるだろうにと思うのだった。大きな画面で吉永小百合のチョッピリ年令を感じさせる表情、渡辺謙の凛々しさ、豊川悦司の過去を背負った無言の愛、良い映画だったができればハッピーエンドのストーリーであってほしかった。

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2005-03-07 義経を見て伊豆を想い出す

 大河ドラマ義経を見ていて6年程前に伊豆へ行った時の事を思い出した。三島駅で乗換え伊豆長岡に行くのだが時間に余裕があったので一緒に行ったTさんと街をぶらつき三島神社を見学した。入口の近くに大きな石灯籠があり刻み込まれた【紋】に興味があった。菱形に三の文字だった。四国の愛媛県地方の【紋】に似ている。自分の家系を辿って行くと三の数字がギザギザだったり波形だったりと数種類に別れてはいるが似た紋なのだ。名前も“三島神社”“大三島の大山祇神社”共通のものがあり日露戦争でバルチック艦隊と戦った武将が水軍の神を祭ってある大山祇神社に参詣して出陣したとか…。詳しい事は分らないが親しみを感じて砂利を敷いてある参道を進んだ。歴史はあるかも知れないが特別観る物はないように思っていたが中程に大きめの腰掛けるに程よい石があり説明板には【源頼朝】の戦勝祈願の時座った石の説明があり又近くには【北条政子】ゆかりの庵があったが詳しい説明は忘れてしまった。ドラマを見ていてもう少しじっくりとあの場所を見てくれば良かったと悔やまれるがせんかたなし。また伊豆に入ってからかこの街だったか定かではないが歩道伝いにとうとうと流れている2メートル幅程の生活用水路のきれいな事、川底まで透き通って見え小魚が藻の間を流れに逆らって群れているのを見ると贅沢な川だな〜と思った。清流の源泉は富士山からの水脈があり湧水場所が何ケ所もあるらしい。伊豆長岡の宿からみた富士山きれいだったな〜誇るべき山だ。

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2005-02-22 短気は損気

 用意してあった確定申告用紙を提出しょうと朝出掛けたのだが雪が今日も、わっさ、わっさと降り続く札幌市の除雪予算は使い果たし追加予算を組んだとか、他の用事を済ませ税務署に向かったが駐車場に入る車が列をなしていた。やっと駐車場に誘導され署内に入り書類を確認してもらうため案内された相談員一人で3人くらい相手に必要以上に大きな声で書類作成の相談に対応している。これで良ければタッチパネルの方に回してほしいと告げると、書類を確認して1ケ所間違いを指摘される。「手引書をよく読んで書いて下さい!」と言って別の人の方へ向かっている、決められた数字の記入間違いだった。記入すべき数字を教えてくれない…カチンときたのが第一印象、待っていた…間をおいて教えてくれたが、医療費控除のところで高額医療費支払いの戻ってきた分の欄が空白を指摘される。各病院の領収書とかかった日付けを一覧表にして持って行ったのだが戻ってきた分は付けていなかった。証明書などは発行されておらず自己申告になっているので記入して無かった。昨年は相談員が概略計算してくれ記入したのだが今年の相談員は銀行口座の通帳に戻されたのをひろいだし記入せよとの話し。「12月分はまだ戻ってきていないので…」だいたいの数字でよい 「領収書があるので概略の計算で駄目なんですか、この雪の中やっと出てきたのに1日パーですよ、通帳を持ってこなきゃ駄目なんですか!」(だんだん不誠実な対応に血圧があがってきた)通帳のコピーが必要の場合もありますよ!(あくまでも、もう一度出直させるつもりらしい、キレタ!)「なんでいちいち通帳まで持って来なくちゃならないんだよう!領収書で毎年まにあっているのに…」いや持ってこいとは言ってません必要の場合もあると言っているのです「それじゃ高額支払いの分カットしてタッチパネルに回して下さい」(我慢できず言ってしまった)タッチパネルに記入された還付金の欄を見てがっくり、結構な支払いの金額だったのでカットしてもほぼ戻ってくると、たかをくくっていたのだ。この相談員は冷ややかな顔している。税理士アルバイトでいるのだろう相談にならない。おまけに銀行口座の書き方が悪いという、昨年と同じに記入しているにもかかわらずだ、まったく相談にならない。やむなく提出しようと立ち上がったが昨年の還付とあまりにも違うので受付の税務署員に相談、結局用紙を新たにもらい書き直す事にした。高額医療費の所は自分で概算して正確な通帳の数字ではないが百円単位の違いくらいを記入する。腕章をつけた若い税務署員?が確認してくれタッチパネルに回した。還付金の欄を見て驚き5万も違うのだ…短気は損気…を地でいってしまった。

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ねんねこ先生さま、人それぞれと言うけど融通のきかない頑固頭の相談員にあたつたのが不運、納税者の困る顔みて楽しんでいるようなところがあった。 / みき。 ( 2005-02-24 09:11 )
少しでも国民に還元したくない国の政略か?(笑) / ねんねこ先生 ( 2005-02-23 12:42 )

2005-02-09 大倉山へ縦走

 さつぽろ雪まつり開催中で普通なら街え向かって行くのだろうけど自分はやっぱり山が良い…。
ここ二三日暖気があり過ごし易い3月の気候とか。予報では明日からまた冷え込みが続くらしい、今日は日中の最高温度0度、窓から手稲山を見ると上から半分程は霞んでいたが今日行かなければしばらく山に登る機会が無いように思えて慌ただしく出かけた。お気に入りの三角山だ。登り始めて間もなくアカゲラ2羽に出合いルンルン気分、快調に登る。頂上には夫婦連れと一人の年輩者がいたが自分は大倉山へ縦走するため休む間もなく直ぐ縦走の急な雪道を下った。長靴に軽アイゼンを付けていたので快適だが先人の歩いた跡が少なく時々ボコッと抜かる事もあった。途中一人の年輩者が降りてきたので聞くと雪が深いので途中から引返して来たとの事。もう独り先に登っている人がいると聞いたのでそのまま登る。大倉山が近くなった頃完全武装で派手なセータを(山ではあたりまえだけど)着たごつい体格の人に出合う。挨拶し進むとまもなく大倉山のジャンプ場リフトの頂上の所に来たのだが、先に進めない。観光客やジャンパーの練習者がリフトを降りているのが見えるのだがその場所に行けない。ジャンパーの写真を撮りたくなったが3、4メータの絶壁になっている、フェンスの反対側は谷のような急な斜面、降りるのは何とかできるとしても帰り同じ所を登らなければ帰れない。リフトの係員が来て「何処からきたの、ここは降りられませんよ!」夏には道があるのだが冬はないらしい。なおも未練たらしくどうしょうか考えていると「死ぬよ!」と言ってリフトの所え戻って行った。年寄りの爺さんと思われたのかな〜と苦笑しつつも戻るよりしょうがないな〜と納得したのだった。

  大倉山従走路より三角山を振り返る


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