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みなみの「さぼのーと」

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★からだ内観日記(パーソナルトレーニングの記録)★

★お買い物ブログ 「こんなものを買った」

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2007-11-16 想像以上にショック、ショック、ショック
2007-11-15 ひさしぶりにあるいてみる
2007-10-30 トクベツなワタシ
2007-10-28 僕らはみんな、生きている
2007-10-26 浄化
2007-10-24 無題
2007-10-23 シャルコー・マリー・トゥース病
2007-10-22 スーパーで、より新しい食品を棚の後ろの方から取り出してカゴに入れることについて
2007-10-21 けめ子近況
2007-10-21 けめ子近況


2007-11-16 想像以上にショック、ショック、ショック

今度新しくホームページを作ろうと考えているのだけれど、、
そうだ、昔ホームページを作っていた時に使っていたイラストが使えないかと、
ふと思いついて、古いデータを探してみた。

そしたら、ホームページ用の画像(自分で作ったイラストと写真)がない、ない、ない、全部ない。
そうだった、自分の管理がめちゃくちゃいいかげんだったせいで、
パソコンを変えたり、プロバイダを変えたりした時に、
画像データは、ちゃんと保存しなくって、全部捨ててしまったんだった。

自分で言うのもばかみたいだけど、面白いのが一杯あったはずなのに。
画像の部分だけがぽっかり空いた、htmlファイルを眺めながら、
残念でたまらない。

もー二度と描けない、もー二度と撮れない。イラストに対しても写真に対しても、昔のような興味や感性は、もー何も持ってない。




ま、いっか、早いとこあきらめよう。それに限るわ。




あ、でもでもでも、思いがけない収穫もあって、「ヒトガタ」の写真を全発掘しましたよ!!>いしざきともこさん
今改めて見ると、ああ下手だなと思うけれど……。
(当時はカメラもコンパクトだったので、今使っている一眼レフと比べると、
写真の出来や画角の自由度がぜんぜん違うんです。)

先頭 表紙

若いころの感性ってそのときでしか再現できないだろうね。私は論文というものを書き上げているけれども、やはりその感覚はわかるような気がする。でも、感性が失われていく反面の蓄積される経験もあるよね、同時に。だから、亡くしたわけではないのだなぁと思うんだよね。 / ちゃな坊 ( 2007-11-22 02:21 )
そのときの感性はそのときのものだもんね。ってそのまんまだけど(^^; だから「そのとき」を生きるのがおもしろいし、大事だし、大変なんだろうなー、なんてわかったようなわからないようなことを書いてみたり。 / みー@でもそのショックはわかる! ( 2007-11-20 01:51 )
みなみさんと遣り取りさせていただくようになって日が浅いっちゃあ浅いので、見たいですねえ、無責任になんとかならんのか! と思ったり。 / 揚水 ( 2007-11-19 21:27 )
あ〜、これは、わかります。昔の感性で物は書けないもの。私も消えたら泣きますよ。ホームページ作ったら教えてくださいね / 霜月 透子 ( 2007-11-18 20:54 )
駄目モトですが、Wayback Machineで検索されてはいかがでしょうか? / Artgha ( 2007-11-17 17:52 )
わはは、いいなあ、諦め早っ!(笑)イラストの古いのに関しては、取ってあるのに越したことは無いけど、無くなるのもいいような気がします。これから描くのが傑作なんですきっと(笑)写真は残念でしたね・・。ホームページ楽しみにしています。 / ( 2007-11-17 06:05 )
わぁ!!!それ見たいです〜〜!!!!本気で!<ヒトガタの写真全発掘 / いしざきともこ ( 2007-11-16 23:28 )

2007-11-15 ひさしぶりにあるいてみる

今日、用事があって市役所に行った。
最近車に乗ってばかりなので、たまには前のように歩いてみようと思い
徒歩で行ってみた。(大人の足で30分弱、約2キロの道のり)


近所の保育園では、1歳児は1キロ、2歳児は2キロ、3歳児は3キロ……というように
年齢に応じた距離を歩かせているらしい。
けめ子がどれくらい歩けるものかと興味もあった。
結果から言うと、とても1キロは歩けなかった。せいぜい600m弱かなあ。


結局、徒歩とおんぶを併用して1時間20分かかった。
1時間半はかかるだろうと見積もっていたので、予定よりは早かった。


学んだこと……


最初から歩き通せないと分かっている距離を歩かせるのは、よくない。
必然的に、おんぶやだっこをしたり、ベビーカーに乗せたりすることになる。
疲れたら自分の足で歩かなくていいと子供は勘違いする。絶対。
現にけめ子は、その市役所への片道だけで、味をしめたようである。





帰りは、夕方だったし、また1時間半もかけて歩くなんて
冗談じゃないので、バスに乗った。


けめ子をひざの上に乗せて座ったら、向かいには若いカップルが乗っていた。
男の子と女の子、でもないし、男の人と女の人、でもない。
その狭間、いい感じに絶妙な若さの2人であった。
20歳……いや、19歳といったところか。
ありふれた格好ではない、かといって嫌味ではない、少し個性的なおしゃれをしていた。


その2人が、ずっと、けめ子を見つめて、ニコニコしていた。
いや、ニコニコというより、それは本当に、とろけるような、
擬音をつけるならまさに「トロロローン」という感じの、ステーキーな笑顔なのだった。


ああ、2人はきっととても幸せなんだなあー。
平和っていいね……。
君たちもぜひ、結婚して子供を産みたまい。楽しいぞきっと。
と思った。(なんかつくづくオバサン化しとる私)


バスを降りるとき、けめ子に「お兄さんとお姉さんにバイバイしなさい」と言ったら
完全にあさっての方を向いて、かすかに右手を振っていた。
普段はあいさつ魔、バイバイ魔で、
道行く人に、大声で「ばばーい」とか言うくせに。
親的に肝心の時にはしないんだよねー、やっぱり(笑)


まあ、それでも、お姉さんは受けていたが。





本日のまとめ


・徒歩+バスはそれなりに楽しさもあるがストレス&デメリットの方が大きい
・車マンセー
・おんぶ紐→封印決定

先頭 表紙

ケメタソの「ばばーい」なんて聞いたら悶死しそうだ。 / 揚水 ( 2007-11-19 21:28 )
毎日、30分くらいずつでも歩くといいですよ〜♪キレイな土踏まずができるし。それでだっこのお兄ちゃん、お姉ちゃん達を尻目に、うちは2歳の誕生月で2時間歩きとおしてましたもん。丈夫になると思うな。 / 雅(みやび) ( 2007-11-17 00:29 )
とろけてくれる人っていますよね。私も同じような感想を抱きます。幸せなんだなあとか、心に余裕のある人だろうなあとか。とろけすぎて、勇気をふりしぼって(る感じで)話しかけてくる人なんかは、ほんと嬉しいですよね。 / フィー子 ( 2007-11-16 21:42 )
よし僕も年齢に応じたキロ数歩るこ・・・(挫折) / pirucol ( 2007-11-16 12:52 )

2007-10-30 トクベツなワタシ

無断リンクしてしまいますが。
私は、以前に拝見したこの日記が忘れられないのですよ。



同時に、私の好きな、BUMP OF CHICKENの
『とっておきの唄』という曲の、その中でも私が特に大好きな歌詞を紹介します。

単純な僕の単純な唄
大事な人の為だけの唄
よくあるLOVE SONG
でも二人の前だけで特別であればいい
よくある唄でいい




そしてさらに、これまた私がよく楽しみに拝見している、Artghaさんの日記に
通奏低音のように流れている……と感じられる、

自分の感覚世界を他人に話すと、そう感じるのが間違っているとばかりに、一般論や常識を援用して「それはおかしい」という反応が来ることが多くて、その度に、でもそう感じるのは事実なんだから!と反発心が湧いてくるのですが、

という思い。
(2007-10-28 08:15にいただいたつっこみから、引用させてもらいました。
 これまた無断ですみません。問題ありましたら言ってください>Artghaさん)



ああ、そしてもっと思い出すならば、これまた私の好きな
THE YELLOW MONKEYの『紫の空』、

この恋は 人から見れば 5足で1000円の靴下さ
なのに僕は 心底それが 欲しいのさ
どうにかなって しまいそうかも




言いたいことを、言えそうで、うまく言えないのですが、
こういう言葉で表される他人の思考のエッセンスに触れて
私自身も
「みんな同じ」「誰だって同じ」「よくあること」「あなただけが特別なんじゃない」
そういう根拠で、自分の感じ方、考え方、経験をはかられることに
違和感を覚える感性が育ってきたように思います。

良くも悪くも、いや、善悪からかけ離れたところで、
自分は唯一無二で、自分の感覚も唯一無二で、ある意味絶対でトクベツなんでしょう。
もちろん自分を他人と比較して相対的に見ることも必要だけれど。

自分の絶対さ、トクベツさは、自分で大事にしていかなければと思っています。

先頭 表紙

ご無沙汰です。自分は一人しかいないんすから。自分を大事にしたいです。 / りゃん吉 ( 2007-11-13 21:57 )
わわわ!ありがとうございます。 / Artgha ( 2007-10-30 22:05 )
ゆめっちさん>自分が気持ちよく生活できるように、考え方も必要によって変える。それ、いい言葉ですね。考え方にふりまわされない、というか。目的を持って自分の考え方、感じ方をコントロールするのは大事だと思います。私も数年前、あることをきっかけに「何でも前向きに考えよう、思考操作(^^;)しよう」と思ったことがあって、以来少し楽しくなったと思います(笑) / みなみ ( 2007-10-30 11:20 )
「みんな同じ」〜違和感を覚える感性が育ってきたように思います。 のところ、まさにわたしもなんですよ。だから共感しちゃうのかも。 わたしの場合は「感じすぎちゃう」ということなんです。相手のことを深読みしすぎちゃって、でもその人はわたしが感じてるようには思ってないだろうと考え、自分の感じたことを抑えて対応してしまいます。口に出すと不思議がられるような気がするので言いませんけど、自分の感覚を大切にしたいなと思いました。 / マッキィ ( 2007-10-30 11:18 )
いしざきさん>自分の経験や感覚が特別なのも、特別ではないのも、どちらもそうですよね。 / みなみ ( 2007-10-30 11:17 )
自分の存在意義とか、たまに考えますが、結局良くわかりません。でも「存在する以上は自分が気持ちよく生活できるように考え方も必要によって変えていかなければいけないし、前向きに」って思うようにしています。 / ゆめっち ( 2007-10-30 10:55 )
ああ、、、わたし真逆なのかもしれないって思いました。若いころの方が自分は唯一無二で特別って思ってきて、今は逆に、わたしだけが特別なんじゃない、という感覚を持っているところです、不思議ですよね。人間の気持ちって、その時々とか経験によって変わってゆくものなんですよね。 / いしざきともこ ( 2007-10-30 01:13 )

2007-10-28 僕らはみんな、生きている

CMTショックからは完全復活しました(断言)。
ご心配をおかけしました。
それから、たくさんの心のこもった言葉を、本当にありがとうございました。m(_ _)m
自分でも不思議なくらい、この日記には素直な気持ちを書けます。
家族にも友達にも面と向かっては言えないことを書けます。
こういう場所があることに、私は、本当に、本当に、助けられています。
ROMを含め、このページを訪れてくださるすべての方へ……読んでくれてありがとう☆ (*^3^*)

さて、

CMTのことを詳しく調べてしまってから、朝、起きた直後に
「シャルコー・マリー・トゥース、シャルコー・マリー・トゥース……」と
この長〜い病名が呪文のように何度も頭の中を駆け巡っていたのだけれど(冗談のようだが本当)、
今日あたりからは、そういうこともなくなった。

というか、先の見えない(そして進行の”きわめて遅い”)病気のこと以上に
取り組まなくてはいけない目の前の問題ができて、
まずはそちらに集中しなければ……というのが本当のところ。
人生、面白いようにできてるもんです。
落ち込んでいる暇はないらしいよ。

今週はCMTショックと風邪のせいで家事も滞りがちだったので
来週からは心を入れ替えて頑張ろう。(風邪ウイルスも、そろそろ出て行ってくれないだろうか)
とりあえず明日は映画を観に行きたい。行けるかしら。

ではでは。

先頭 表紙

直子さん>直子さんの日記で私ははじめて過敏症を知りました。いつも勉強させてもらってますよ! 絵、褒めてもらってうれしいです☆ / みなみ ( 2007-11-22 23:40 )
揚水さん>懐かしいでしょ☆ / みなみ ( 2007-11-22 23:38 )
私も一生治らない過敏症だとわかった時は泣き暮らしましたよ・・・今もどうしよ〜って思いながら生きてますけど・・・^^;みなみ様トップの絵上手ですね?! / 直子 ( 2007-11-08 09:23 )
わはは。 / 揚水 ( 2007-10-30 22:38 )
ゆめっちさん>単館系の作品なので、上映しているところ少ないですよね。こちらでも、マニアックな映画をかける映画館で上映していますが、上映期間は1週間だけ、それもレイトショーだけです。気になる映画はできるだけ映画館で観たい派なんですが……これはもう無理かなー。少なくとも県内ではもう観られそうにないかも。 / みなみ ( 2007-10-30 11:23 )
「ショートバス」、見ましたよー。たしかに映像としては激しいけれど、登場人物が抱えてる悩みに共感できる部分もあって、見てよかったなって思いました。 / マッキィ ( 2007-10-30 11:23 )
「ショートバス」は私も観たかったけれど、近場で上映館がみつけられませんでした(ノ_・、) / ゆめっち ( 2007-10-30 10:38 )
霜月さん>いえいえー、聞いてくれてありがとうです。昔お酒のついでにでも話したのかしらん。こう言う言い方でもし皮肉に聞こえたら申し訳ないのだけれど(そのつもりは一切ないです)、人に話すことによって何かが得られるとか、何かが変わるとか、そういうことは一切期待してなかったんです。でも話したい気持ちはあったのかな。いろいろな人に話したような気はします。中には意外な反応をくれた人もいますが……。(ってだんだんとりとめのない話になってきた……ごめんね。あんまり深い意味はないです……) / みなみ ( 2007-10-30 00:25 )
うっきーさん、ゆめっちさん>「ショートバス」が観たかったんですが、結局行きませんでした。好きな映画を作った監督の最新作だったので、絶対観たいと思っていたんですが……。レイトショーだったのと、どうもセックス描写の多い&ハードな映画らしく、それを楽しむにはちょっと体調がいまいちで自信がなかったので(笑)、残念ですが見送りました。もうスクリーンで観るのは無理かも……。 / みなみ ( 2007-10-30 00:18 )
揚水さん>アホーダンスとか、アホーざんすの時を思い出しませんか(笑)。 / みなみ ( 2007-10-30 00:15 )
マッキィ。>高級ワイン! これはまた、センスのいいつっこみを……(笑) 私自身、先生に病名を言われた時、ほとんど聞き取れませんでした。さらに「聞いたことありますか?」と尋ねられ、内心とっさに「あるわけねーよ!」と思ってしまいました(笑) 神経学者3人の名前(フランス系なのかな?)からつけられた病名らしいです。 / みなみ ( 2007-10-30 00:14 )
少し安心しました。安っぽい励ましの言葉を書くのも場違いと思い、こっそり見守っていました。昔少しだけ聞いたことがある記憶があるんですが、その時は真剣にきかなくてごめんなさい。何か困ったことがありましたら、できる範囲で協力します / 霜月 透子 ( 2007-10-29 13:33 )
明日は映画を観にいけますように♪ / ゆめっち ( 2007-10-28 20:50 )
映画、何かみたいのがあるんでしょうか。 行かれましたか〜? / うつぎ ( 2007-10-28 20:28 )
あああ、よかったー。横レスですが、マッキィさんと似たようなこと考えてました。すみません。 / 揚水 ( 2007-10-28 18:35 )
失礼なことだと思うんですが、病名をここではじめて見たとき、高級ワインの名前か?と思ってしまいました。すみません、こんなアホなこと考えちゃって。 わたしも、ひまじんには、素直なことが書けてしまいます。誰が読んでるかもわからないというのに。でもここがあるから救われるなと思います。 / マッキィ ( 2007-10-28 11:19 )

2007-10-26 浄化

CMT患者の交流ホームページを見つけて、早速、掲示板に書き込みをしてみる。
いくつもレスをいただいて、思いがけず少し涙が出る。
この感覚は、なんだろう。

しばらく考えてみて、それは自分の孤独に気づいたからだ、と思い当たる。
孤独に気づいたということは、ある意味では、その孤独が解除されたのだともいえる。
わたしは今までずっと、たぶん、きっと、とても孤独だったのだ。

CMTの症状(感覚低下)が始まってから、私の記憶が正しければもう17年くらい経つ。
この感覚低下は、私は「薄い手袋をはめたような感じ」と表現しているのだが、
これは、健康な人であればまず感じることはない感覚だろう。
今ではすっかり慣れたが、最初はかなり強烈な違和感があった。

当然のことながら、感覚が低下していることは、外から見てはわからない。
自分が訴えない限り他人には感知できない。
しかし、たとえ訴えても、その感覚低下がどんな感じのものか、
また、それがずっと続くことがどれだけわずらわしいか、そしてどういうふうに嫌なものか、
他人に想像してもらうことは、難しいと思う。

自分の感覚世界は、完全に閉じていて、他人には体感できない。
同様に、他人の感覚世界を私が体感することもできない。
それを実感したのが、CMTが発症したとき、つまり中学生のころ。

以来、この感覚低下について、あえて人に話さないようにしてきたということはなく、
機会があれば話題にしてはいたのだけれど、
振り返ってみれば、根底には常に、「どうせ他人にはわからない」という思いがあった。
それに、病院でも原因不明と言われ、すでに日常と化してもいる
自分の身体的な不調について、長々と聞かされたい人もいないだろうと思っていた。
だから私は、他人に、手先の感覚がおかしいとか、
指が思い通りに動かない、という事実は話しても、
それに対する不安や恐怖感、つまり愚痴は、
ほとんど他人に話した記憶がない。
(記憶がないだけで、話したことはあるかもしれないが)

どうせわかってはもらえないと思いながら症状について話すこと。
そもそも気持ちを話さないこと。
それは本当に孤独で寂しいことだったのかもしれないと今の私は思う。

同じ病気を持った人であれば、私の気持ちを理解してくれるかもしれないし
私も相手の気持ちを理解できるかもしれない。
そういう期待によって、私は、自分が長いあいだ孤独だったことに気がついた。
だから涙が出たのだろう。

先頭 表紙

よっしぃさん>いやいや、こちらこそあたたかい言葉をどうもです(^.^)そうなんですよねー、病気って自分の管理の範囲外ですよね。もちろん、その管理の良し悪し、管理の及ぶ範囲の大小はありますが、そこからはみだしちゃうからこそ、病気になるわけで……。病気の時は、通常とは違う状態になるから、それはまるで未知のことだし、不安にもなる。私のかかった病気は、マイナーでなおかつ解明されていない部分の多いようなので、その分なおのこと、ネットでの患者同志の情報交換がとても勉強になります。 / みなみ ( 2007-10-30 00:13 )
Artghaさん>そうそう、理屈で言えば「他者理解は絶対に成立しない」。それが正しいと思います。でもそれにこだわる(こだわりすぎる)ことには、意味……というか有用性はないように感じます。それと、Artghaさんの2つめと3つめのつっこみに書いてあること、揚水さんの言葉を借りますが、すとんと胸に落ちました。「肯定」ではなく「認識」……。ポイントを衝いている感じがします。 / みなみ ( 2007-10-29 23:48 )
みなみさん、あたたかいコメントありがとうございます。病気って自分の管理の及ぶ範囲じゃないのでだれもが陥ることなんですよね、そのとき孤独を感じないためにネットで同じ状況の人と話せるのは本当救われます。現に今もみなみさんとのやり取りもそうですし。コメントしづらい突っ込みはどんどん右から左へ流しちゃってください(笑) / よっしぃ ( 2007-10-28 11:08 )
(さらにつづき)ただ、「そう感じてるんだ…」と、自分の感覚を認めてもらえるだけでも、ずいぶん楽になるんです(「認める」というのは、「肯定」の意ではなく、「認識」ですね)。 / Artgha ( 2007-10-28 08:15 )
(つづき)…と書いてて思ったけど、もしかしたら、「理解されている」というより、「自分の感覚世界を認めてくれる」ということがポイントかもしれない、と思いました。自分の感覚世界を他人に話すと、そう感じるのが間違っているとばかりに、一般論や常識を援用して「それはおかしい」という反応が来ることが多くて、その度に、でもそう感じるのは事実なんだから!と反発心が湧いてくるのですが、 / Artgha ( 2007-10-28 08:15 )
独我論的に言えば、他者理解は絶対に成立しない、人が分かりあうことはあり得ない…のですが、「共感」という魔法の前には、本当に分かりあえてるかどうかなんて、どうでもよくなる…んですよね。(つづく) / Artgha ( 2007-10-28 08:12 )
よっしぃさん(さらに続き)>ところで、レスしにくいということはないので……愚痴もOKですよ(笑) 本当にレスしにくいと思ったら軽く流させてもらいますからぁ〜(えっ、ダメ?) / みなみ ( 2007-10-28 01:17 )
よっしぃさん(続き)>病気ってあまり大々的に(たとえば仕事や趣味のことのように)話題に出すものではなかったりもするし、そもそも身近に同じ病気の人がいなかったりもする。でもネットだったら、そういう問題も、住んでいる場所も乗り越えて、同じ病気で悩んでいる人と情報交換ができるし、気持ちを分かち合うこともできる。そこから発展性だって生まれる。これって本当にすごいし、いいことですよね。 / みなみ ( 2007-10-28 01:16 )
よっしぃさん>心無いことを言う人がいるものですね。しかも面と向かってですか……それは傷つきます。そういう人は、何か悩みができた時、病気になった時、同じようなことで悩んでいる人たちのコミュニティにアクセスしてみようという気にはならないのかな。 / みなみ ( 2007-10-28 01:15 )
Artghaさん>自分がその人に理解されていると「思う」ことが肝心で、本当に理解されているのかどうかはさほど問題ではないような気がします。ただ、理解してもらえる「かもしれない」と「思う」だけでも、心の平穏は得られるものだと思いました。って、ナンダカなつっこみ返しで、少々申し訳ありません(^^;) / みなみ ( 2007-10-28 01:15 )
マッキィ。>同じ(似た)症状だからといって、その人も自分と同じことを感じているかどうかはわからない。いろんな人、いろんなケースがあって、それぞれ感じることや考えることは違うはず……でもやっぱり、同じ病気を持った人がいる、ということは不思議と心の支えになりますねえ。他の人は自分自分には分からない何かを抱えているのかもしれないという、マッキィのその視点はとても勉強になるよ〜。それが、他人に対する思いやりの気持ちだとも思います。 / みなみ ( 2007-10-28 01:14 )
雅さん>雅さん、ありがとう。叱ってもらって私は幸せです。朝に雅さんのつっこみを読んで、しばらく涙、涙でした。孤独というのは、状態を指すのではなくて、心のあり方を指すのだなあ……。雅さんが指摘してくれたように、この場所があって、ここには何でもと言っていいくらい自分の気持ちを書くことができて、そしてそれを雅さんや他のみんなに読んでもらって、私は本当に助けられています。これからは、それを忘れないようにしますね。左手の写真のことは自分ですーっかり忘れてました……(^_^;) / みなみ ( 2007-10-28 01:14 )
僕はメンタル系で10年ぐらい病院にお世話になっていますが、ある知り合いに「病状を掲げて掲示板に書き込みをして、お互いに馴れ合って、その場で治った気になっている」といわれたことがあります。あの悪意の発言はいまだに心に残っています。インターネットのよさってそういうところなのに、それを平気で否定されてしばらく人間不信になりました。レスしづらい書き込みですみません、ちょっと愚痴っちゃいました・・・。 / よっしぃ ( 2007-10-27 18:36 )
自分のことを、心の底から、理解してくれている人がいるというのは、本当に安心しますよね。 / Artgha ( 2007-10-27 14:44 )
「どうせ他人にはわからない」 わたしもよくそう思ってました。mixi で症状のコミュに入ると、わたしだけじゃない、わかってくれるひとがここにいる、というのが不安を少しずつ拭っていきました。みんなそれぞれ違う問題を抱えていると思えるようになって、わたしのわからない何かを抱えてるのかもしれないと、他の人を見れるようになってきました。困ることも悩むこともあるでしょうけど、無理せずやっていきましょう! / マッキィ ( 2007-10-27 12:36 )
孤独だった?そう言っちゃうとみんな孤独だよね。でも、みなみちゃんには5年以上も前からここがあったじゃない。みなみちゃんの左手のことを気にかけていたのは私だけじゃないと思うよ。毎日、みなみちゃんの左手の画像を愛でていたころをふっと懐かしくおもってたら切なくなっちゃうじゃない。それに。「治らない病気」って誰しももってるものじゃないかな。年取って、死ぬことを誰も止められないのと一緒だよ。 / 雅(みやび) ( 2007-10-26 23:24 )
皆様つっこみありがとうです(^^) お返事書きますのでちょっと待っててねー / みなみ ( 2007-10-26 19:32 )

2007-10-24 無題

今日は風邪のため、午前に入っていたスイミングと
午後に入っていたビリーの会、両方ともキャンセル。
母が食事の支度をしてくれたのをいいことに
薬を飲んで、家事は一切せず、漫画を読みながらゴロゴロ。

昨日からCMTのおかげで動揺していたが
丸一日経ってだいぶショックも抜けてきた。
しかし、何か強い不安に取り付かれている感じは拭えない。
そこで、不安の原因を分析してみる。

・CMTは不治である
・どこまで症状が進むかわからない

不安の原因は非常にクリアで、この2点以外には思いつかない。
両方とも、心配してもしょうがない、悩んでもしょうがないことだな。
しかし、考える余地と感じる余地は常にある……
それは決して悪いことではなく、良いことだに。



・CMTの典型的な症例;
足から筋力低下・筋萎縮が始まり、進行すると手に及ぶ。
異常は左右対称に現れる。

・私の症状:
左手の異常は顕著だが、右手と足はまだ感覚低下のみ。
足の感覚低下は手に比べると鈍い。
つまり、上肢先行で、さらに左右非対称。

もし、CMTという診断が確定したとしても
これは幸運なケースかもしれない。
CMTの進行はきわめてゆっくりであるそうなので、
足の発症が遅いということは、
歩行困難までには、おそらく、かなり間がある。
右手も同様。この利き手を温存できれば……。

CMTの発症は、思春期から青年期にかけてが一般的なもよう。
私もまさにその通り。
しかし、発症する前――物心ついた時から運動はすべて不得意で、筋力も特に弱いし
筋肉そのものが付きにくかった。これは遺伝子のせいだったのか?
でも、これからは、筋力低下を食い止めるために、意識して筋トレしないと……。
できるかなあ……。というか、やらなくちゃいかんのかー。



私が本当にCMTであるなら、それは新しい扉の鍵を手に入れたことになる。
健常であれば開かれることのない扉の鍵。

病名が判明したのが今でよかった。
症状が出始めた頃、急に悪化した時など、
今までに大きなショックを受けた時期は何度かあって、
その時にもし病名を同時に知っていたら、かなり精神的に打撃を受けたと思う。

今も、ショックは受けてはいるけれど、これといって辛くはない。
失業してノイローゼ気味だった時の辛さを100とすると、今回はせいぜい2か3くらいだな。



とはいえ、今日は憂鬱でだるくてなんとなく落ち着かない。
風邪と風邪薬(パブロンエース。かなり強いよねアレ)のせいも大きそう。

先頭 表紙

揚水さん>流石だなんて、持ち上げすぎですってば(笑)。 / みなみ ( 2007-10-28 00:49 )
すずちさん>いえいえ、わざわざこんなつっこみにくそうな日記につっこんでいただいてありがとうございます。これからもよろしくお願いします☆ / みなみ ( 2007-10-28 00:49 )
いしざきさん>その後、風邪の具合はどうですか? 私の風邪はなかなかしつこいです。リウマチについて、知っているようでいて何も知らなかったので、調べてみました。お年寄りによく聞く病気なので、メジャーなイメージを持っていましたが、まだまだ未知の部分がたくさんある病気なんですね……。病気ってなんだか不思議です。そう、病気も何かの縁かもしれない。場合によっては、かかりたくても(?)一生かかれない病気もあるわけだし……(笑)。どうせなら楽しむ心意気で行きたいですね。 / みなみ ( 2007-10-28 00:48 )
マッキィ。>精神修行。確かにそうかもしれません。私も、病名がついてみて初めて経験した心の動きがあって、新鮮といえばかなり新鮮です。ほんの少しだけれど、自分の幅が広がったかも……。これから寒くなって体調を崩しやすくなる時期だし、マッキィ。も、どうぞお大事に! / みなみ ( 2007-10-28 00:44 )
先に下につっこみ入れてからこちら読みました。不謹慎かもしれないけど流石だなあと思いました。みなみさんの書かれる言葉はいつもすとんと心に落ちてきます。 / 揚水 ( 2007-10-25 21:28 )
みなみさん、こんにちは。遡って少し読ませてもらいましたが・・・なんとも今はコメントできなくてすみません。でも、これからよろしくお付き合いください^^ / すずち ( 2007-10-25 16:25 )
そうなんですよね。「健常であれば開かれることのない扉の鍵」。わたしもリウマチって病名がわかるまでの期間が一番つらかった。病名がわかってからは、また別の視点で物事が見れるようになった気がします。まだまだ治らない病気原因のわからない病気は多いですが、何かの縁があってこの病気になったんだろうからせいぜい末永く付き合ってやろうと思っています。風邪は、早く治しましょう、お互いに。 / いしざきともこ ( 2007-10-25 00:03 )
わたしも、今病気と言うかある症状を抱えていて、それを言われたときはショックでした。一生付き合っていくかもしれない症状とも、調べてわかったし。でもどうしたら少しは改善するかとか、症状を理解することで、だんだんとショックは薄らぎ今は至って普通です。病気って経験してみて、はじめてわかることって多いので、これも精神修行の1つかなって思います。みなみさんもお大事に。 / マッキィ。 ( 2007-10-24 21:47 )

2007-10-23 シャルコー・マリー・トゥース病

通院のことはmixiに書いているんですが、
大事なことはこちらに書いておきたいので
やっぱりこちらへ書いてみる。

最近、10代から続いている手足の感覚異常と、
同じく20代から続いている左手の麻痺
(数度の通院はしたが、原因不明と診断された)の原因解明と治療のため
改めて病院に通い始めました。

今日、医師からその病名を教えてもらったのですが、
シャルコー・マリー・トゥース病(CMT)という、
神経を構成するたんぱく質の遺伝子異常に起因する、神経の病気のようです。

診察の時に詳しいことを聞きそびれたので、CMTについて
自分でネットで調べてみました。
主な症状は、四肢の筋力低下、筋萎縮、感覚低下。
生命への心配はないが、進行性の、根本的な治療法はない難病で、
一般には下肢から発症し、
進行すると歩行困難となることもあるそうです。

私の症状は主に上肢に現われているので、典型的な症例には当てはまらないようです。
とりあえず今日は、原因となる遺伝子を調べるための
遺伝子検査(採血)をしました。
結果が出るのは3〜4ヵ月後だそうです。(長い……)

あーあ、治らないっていうのがなあ。
一応、それはずっと昔から覚悟も予想もしてた。
というか、原因すらわからないまま一生を終えるのかと思っていた時期もあったので
原因が分かっただけでもよしとするべきなんでしょうね。
しかし、改めて「治らない」と言われると(正確には、言われたのではなく読んだのだが)
まったく平静というわけにもいかん。やっぱりショックだなー。あー。
ずっと慣れ親しんでいる症状はそのままで、ただ名前がついただけなのに、
なんだかちょっと今日は疲れた。
ネットで何でも自分で調べられるのも良し悪しかも。

命に別状のない病気でも「ああ、ショックだ」と思うくらいだから
これがもし、癌の告知だったり余命宣告だったりしたら、本当に辛いのだろうね。

さて、

もともと、本格的な治療をする気になったのは、
オーボエを再開するにあたり、指が動かなくて演奏に支障を感じたから。
指が治らないと分かった今、オーボエはどうしようかなと考え中。
正直、練習の時に思うように指が動かないと本当にイライラすんの。
上達しても、思うように吹けることはないとわかっていながら、
楽しく練習を続けられるのか、
自分自身のイライラにこの先ずっと付き合う気はあるのかなあと。
できればやめない方が何かと良い影響がありそうだし
急ぐ必要もないと思うので、ゆっくり考えてみるつもりだけど
まあ、なんかいろいろと萎えてしまったのは事実ですわ。

先頭 表紙

揚水さん>(つづき)しかし、祖父母の結婚がなければそもそも私は生まれなかったので、そこで「なんでじゃあ」とは思わないんです。原因が祖父母でなく、まったく別の親族なり祖先なりにあっても同じことです。ま、清冽というよりはあきらめというか(笑)。もっとも、もっと症状が重くかったら、同じような感想を持っていたかどうかはわかりません。 / みなみ ( 2007-10-29 23:10 )
揚水さん>ははー、なるほど<「氏ね」で発散。しかし私の考えが清冽ってことはないですよ(笑)。遺伝子を恨むと、病気以前に自分自身の存在を否定することになっちゃうんで、それは選択肢にないんですよね。問題の遺伝子がどこから来ているのは定かではなく、解明もできないと思いますが、祖父母が近親婚(いとこ婚)なので、それが原因の可能性はある(というか大きい)と思っています。 / みなみ ( 2007-10-29 23:09 )
うーんと、僕の場合、よくないことだとは思いながら、恨む相手がいるというのは、理不尽なことをされて恨むのですから逆説的ですが、ある意味楽だと思うのです。後ろ向きですが「氏ね!」と思うことで発散するみたいな。誰のせいでもないから(その点の)ショックはないと言い切れる清冽さが↑のつっこみの「流石」にあたるのですね。 / 揚水 ( 2007-10-29 22:42 )
揚水さん>蹴られて折られた部分が半分外れたままついてしまったって、それは相当ショックでしょう。適切に治療できればと後悔もするでしょうし、そもそも外道な人(お勤め先でしたよね)に折られたということが嫌ですよね。それだけでも十分ショックですよ。私の病気は、原因はとりあえず誰のせいでもないし、防ぎようもなかったので、その点のショックはないんですよー。 / みなみ ( 2007-10-26 20:08 )
「名もなき」草花や野鳥の名前を知るとかいうのとはわけが違いますものね。簡単に「わかっただけでもよし」ですね、なんてもちろん言えませんし。蹴られて折られた右手親指の関節が半分外れたまま治ってしまって、それをお医者から「元には戻らないよ」って言われただけでもショックだったくらいです。なにも言わずにおくのがいいのかなと思ったのに、つっこませてもらいました。 / 揚水 ( 2007-10-25 21:17 )
でむでむ>本当、病名がつくのは、良し悪し、両方あるねー。不安になるのは、良い方に解釈すると、想像力があるからかも。それだけよく物を考えられる、感受性がある、ということなのかもしれない。でむでむの手の病気も再発しないと良いね!! / みなみ ( 2007-10-24 18:16 )
病名がつくのって、良くも悪くもいろいろあるよね。。ワシも右手の骨腫瘍が判明するまでは「なんだろう」って思ってたし、手術が終わって経過が順調な今でも「再発の場合は悪性に」っていう不安はあるわけで。。だから今でも天気が悪いと痛んだりするんだけど、そういうときはいろいろ思うことはあるよ。。。 / 電ボ屋 ( 2007-10-23 23:48 )

2007-10-22 スーパーで、より新しい食品を棚の後ろの方から取り出してカゴに入れることについて

そのような行為は地球の温暖化を促進します。


と、温暖化防止のために個人ができることは何か、という旨のパンフレットに
書いてあったのを読んだ。
賞味期限の遅い食品を、棚の後ろの方から取り出してしまうことは、
その分、ムダになる食品、廃棄しなくてはならない食品が増えるということ。
そして、廃棄(焼却)しなくてはならないということは、
その分、使用されるエネルギーも、排出される二酸化炭素も増えるということ。

今までは私もついそういうことをしていたのだけれど
それを読んでからやめることにした。
温暖化がどうの、ということを差し引いても、
わざわざ、そこでより新しい商品を求めるのは、自分のエゴだなと思ったので。
要は、何でも、賞味期限内においしく食べられれば良いかなと。
まあ、食品は、賞味期限内であっても、製造日から早ければ早いほど美味しいものだけれどね。
私はそこまで美食にこだわるわけじゃないし。



さらに、そのパンフレットで勉強したところによると、
もっとも地球温暖化を促進し、環境を破壊するムダなものは、戦争なのだそうだ。
戦闘機や戦車を動かすためには、莫大な燃料が必要とのこと。
自動車の燃費は、リッターあたり10キロ程度なのに対し、
それが戦車だと200メートルから250メートル、
戦闘機だと50メートルから60メートルだそうですよ。

誰だって、戦争になんて反対だと思うけれど、
しかし、私たちは知らず知らずのうちに戦争に加担しているかもしれない。
たとえば、私たちが加入・購入している年金やファンド。
それは外国の株式や債券で運用されている。
その国や企業の中には、戦争を支援している国、
軍需で利益を上げている会社もあるはずだから。
詳しくはこのへん参照。↓
「エコ貯金ナビ」国債に流れたお金が戦争に! 

「投資資料館」運用でも戦争反対?
↑のHPの試算にれば、私たちが10万円の日本の国債を購入すると、
そのうちの最低でも500円は、米国の軍事費になっているらしい。



なんというのか、ね。

たとえば、友達のバイトするコンビニで
賞味期限切れで廃棄される大量の食料品を見たときには
私は「なんてもったいない!」と思った。
たとえば、「戦争に使うお金を貸してください。戦争で儲けて利子をつけて返しますから」と
誰かに言われたって、私は一円も貸さないと思う。

目の前の、目に見える問題に対して、自分の良心を発動させるのは、簡単なこと。
問題は、それがもっといろいろな、複雑な様相を持った隠れ蓑の後ろ側に回ったとき、
その問題の所在と正体を見抜くことができるかどうか。
その上で、自分の良心に従うことができるかどうか。

そこでキーとなる、問題を見抜く力というのは、情報であり、知識や見識であり、
なおかつ、
「自分が買わなかった賞味期限間近の食品はどうなるのか?」
「自分が金融商品に投資したお金はどのように運用されるのか?」
そういうことにまで興味を持って思いを馳せられるような
”想像力”であると思うのです。

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pircolさん>あー、なんかその気持ち分かります。古いのから買えよオラ! っていう無言の圧力。感じます感じます。いっそ新しい商品は古いのが売切れるまで陳列しない。っていうのはやっぱり、スペース的に不可能なんでしょうねえ。 / みなみ ( 2007-10-24 18:31 )
霜月さん>本当に知りたいことって、人はたぶんあんまり教えてくれないですね。特にえらい人は地位や体面があるからなあ。うちは賞味期限の管理、甘いです。時々無駄にして捨てちゃう。気をつけないと。 / みなみ ( 2007-10-24 18:29 )
麦さん>赤福のアレの理由、「もったいない」……まあ、確かにその気持ちはすごくわかるんですけど、でも違うだろー!! と言いたくなります(呆) 肉の行方、気になりますね。そういえば、昔、あるひまじんさんの日記をきっかけに、ペットショップで売れ残った動物はどうなるのか気になって、調べたことがありました。当時、家の近所にペットショップがあって、そこでバイトなんかしてみたいなと思っていたのですが、以来、その気持ちはふっとびましたね。 / みなみ ( 2007-10-24 18:27 )
揚水さん>へえ、古いものから先に取るのが常識化している国もあるんですね。初めて知りました。明らかに痛んでいるものは別として、日本でもそういうマナーが定着するといいですよね。 / みなみ ( 2007-10-24 18:23 )
別に古い方から買ってもいいけど、古いものと新しいものを混在させて売っておきながら、しれっと古いものを前の方に陳列する店の根性(?)が嫌だわー。16日製造はこっち。17日製造はこっちって仕切って陳列してくれれば、今日使うから古い方でもいいかと素直に協力してあげたくなるんだけどw / pirucol ( 2007-10-24 14:55 )
偉い人はあんまり関係ないところを大げさに騒ぎたて、本当に都合の悪いことは隠してるものですね。賞味期限については今日食べちゃう物と保存しておくものとでシビアに分けてますよ。 / 霜月 透子 ( 2007-10-23 11:45 )
想像力ってホントに大事だと思います。アレコレ想像したら、偽装問題なんか、ないものと信じるほうがおかしいかもなあ・・とさえ思います(笑)毎日四年間バックヤードで45リットルのゴミ袋いっぱいになった野菜とか魚とか見てますが、肉類を見かけたことがないんですよね。肉はどこに行くのかなあ・・。 / ( 2007-10-23 11:36 )
あー、うちも雑誌か新聞かTVかからの勉強でしかないのですが、またその上どこのお国か忘れたけど、賞味期限の古いもの、どっちかというといたみかけている野菜や果物から選ぶのが当たり前だ、というのを知って心がけてます。魚は値引きシール内でおいしそうなものを選びますが。リンク先まだ見てませんすいません。自分の無知をひとたび認めると、どれだけ膨大なことを知り考えなければならないのだろうかと思い、途方に暮れました。 / 揚水 ( 2007-10-22 23:15 )
無知は罪だよにぃ。 / みなみ ( 2007-10-22 13:23 )

2007-10-21 けめ子近況

怒涛のけめ近況、3連発。
ここは自分のための私生活記録帳でもあるので、多めに見てくださいませ。



けめ子、1歳6ヶ月。

ここのところ、成長が著しい。
10日前、20日前の記録と比べて、本当に日々進歩という感じ。
毎日、できることや、しゃべれる言葉が増えていく。

■発声

・だーまさん、だーまさん(♪だるまさん、だるまさん<歌の出る絵本に合わせて歌う)
・ぷっ (だるまさんの歌の最後の「あっぷっぷ」の部分の真似)
・でーた、でーた(♪出た出た、月が〜<歌の出る絵本に合わせて歌う)
・だくー(抱っこ。抱っこを要求するときに言う)

「キラキラ星」は、一緒に歌ってやると、一曲通して歌えるようだ。
もちろん、歌詞はけめ語だけど……(笑) ちゃんとおおまかな音程はとれている。

■遊び

ここ1週間ほど、絵本に対してかなり興味を示すようになった。
もともと、私や盲腸君の真似をして、文庫本や漫画本はよくめくっていたけれど。
8日に私が買ってやった「歌の出る絵本」も、大活躍している。

犬のぬいぐるみ「みーちゃん」を擬人化(?)して遊ぶことができる。
「みーちゃんにちゅーして」「なでなでして」「抱っこして」「ゆーらゆーらして」
などと指示を出すと、その通りにする。
寝るときに、みーちゃんを抱っこするけめ子を
みーちゃんごと抱っこしてやると、幸せな気持ち♪(*^_^*)

階段は、手を引いてやるとかなりスムーズに上り下りできる。
今日、初めて、緑地公園の道路の縁石を、お尻をつかずに降りた。
直径20センチ強の切り株状の遊具(高さ数センチ)の上に一人で乗ることもできる。
(かなり得意気)
最初は苦労して乗っていたが、何回か行くうちにだいぶ上達した。

外遊びを1日2回するようになってから、洗濯物の量が増えた。
靴も毎日ドロドロになる。
運動靴が1足と、あとは長靴しかないので、少々心もとない。
長靴は脱げやすいようだ。

外遊びの時、その場所に連れて行ってから
けめ子の気分が乗るまでに時間がかかることが多い。
10分から20分、長いと30分くらいぐずっている。疲れる。
でも、外遊びは私もとっても楽しい♪

■チャイルドシート

外遊びを増やしてから(=外出する機会が増えてから)
けめ子が、なんと、自分からチャイルドシートに乗るようになった。
車のドアを開ければ、あとは勝手にシートによじ登って座ってくれるので、とても楽。

時々、「子どもがチャイルドシートを嫌がって泣くから、チャイルドシートには乗せない」
なんていう話を聞くことがあるけれど、それはただ単に習慣化していないからなのでは? と思う。
(実は、身内にもそういうウチがあるんだよね……(-_-;)
 子どもたちのためを思うと、ちゃんとチャイルドシートに乗せてやってほしい)

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2007-10-21 けめ子近況

10月10日記す。けめ子、1歳5ヶ月。

■発声

日に日に聞き分け可能な言葉が増えている! すごい。

・おあよー(おはよう)(朝の挨拶ができるようになった!)
・あぼりー(かわいい)(ナゼここまでかけ離れるのか、謎。これは「七つの子」の歌に合わせてかなり前から言っていた)
・びいゆー(ビール)
・ぱーい(かんぱーい・動作付き)
・ぽんちゅ(ぽんしゅ)
・にゅーにゅー、ぬーぬー(牛乳)(初めて聞いたとき感動……かわいす)

■動作

・テーブルをふきんで拭く
・手が汚れると服やふきんで拭きたがる(気持ち悪いという感覚が芽生えたらしい)
・なでなで、いいこいいこ
(「けめちゃん、なでなでして」と私が頭を差し出したら、
 まるでシャンプーするように 自分の頭を両手で「なでなで」していた。
くく……。最近はちゃんとこちらの頭も「なでなで」してくれる)
・ごろごろ
(「ボールを転がしてごらん」という意味で「ごろごろしてごらん」と
言ったら、自分自身が地面に転がっていた)
・ねんね
(「ねんね」と声をかけると、「ねんね〜」と言いながら、
布団もしくは私の体の上に寝転がる。これはかなり前から)
・うんちの後、おまるに行く(まだ一回だけ。でもびっくり!)
・おしっこの後、おしりふきで拭こうとする
(おしりふきをいじり始めた時、またいたずらする気だなと思って
取り上げようとしたら、なんと自分で拭いていた! これまたびっくり)
・パンツをはこうとする
(自分ではいてごらん、というと、片足を上げて自分ではこうとする。
また、私がはかせようとすると、自分から足を上げる)

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