himajin top
みなみの「さぼのーと」

「さぼのーと」は世界中でこのページだけ♪
一発検索可能です。

学生街の片隅にひっそりとある
レトロな喫茶店のように営業中です☆
まったりどーぞ(o^_^o)

ほぼ毎日更新!
★からだ内観日記(パーソナルトレーニングの記録)★

★お買い物ブログ 「こんなものを買った」

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2017-02-07 伝えたかったけど伝えられなかったことを書いてみるよ \(^o^)/
2017-02-07 変なおばさんからのメールうざい\(^o^)/
2017-02-07 変なおばさんからのメールまじうざい\(^o^)/
2017-02-07 毒親うざい\(^o^)/ 素晴らしいエントリを発見したよ!
2017-02-06 神谷明講演会 「匠」としての声優 〜心を伝えるコミュニケーション〜 (その1)
2017-02-06 神谷明講演会 「匠」としての声優 〜心を伝えるコミュニケーション〜 (その2)
2017-02-06 神谷明講演会……からの脱線\( ^0^)/  「感謝」について。
2017-02-06 片山真理 アーティストトーク &展覧会 「19872017」 (その1)
2017-02-06 片山真理 アーティストトーク &展覧会 「19872017」 (その2)
2017-01-30 漫画 『この世界の片隅に』 考察(6) バケモノの正体――代用品ではなく、縁の物語


2017-02-07 伝えたかったけど伝えられなかったことを書いてみるよ \(^o^)/

あるところに、ある人が人がいたよ。


その人は私にいろいろなことを話してくれたけど、自分のお母さんのことになると口が重くなるようで、お母さんの話はほとんど聞いたことがなかったよ。


その人は、子どもを叩いたりしてしまうと、子育てについてとても悩んでいて、いろいろなカウンセラーに相談していたよ。


カウンセラーからは必ず「自分が子どもの頃、親から同じようにされたとか、何かありませんでしたか」と聞かれるけれど、彼女に心当たりはなかったそうだよ。


その話を聞かせてくれた時、その人は私にこう言ったよ。


「何かをする時に、親が他のきょうだいを優先することがあって、その間待たされたりするのが嫌だったりはした。でも、それって、誰でもそうだよね。」


私は、あまり深く考えずに、「うん、そうだね。」と言ってしまった。



でも、後でよく考えてみたら、私にもきょうだいはいたけど、同じ思いをしたという記憶はなかったよ。


その人の経験、その人の欠落は、その人だけのもので、それがどんなに小さく思えても、「たいしたことではない」と封じ込めてはいけない。その人はきっと幼い頃の心の傷を自分でも気づかないうちにいっぱい溜め込んでいて、それが大人になったその人を苦しめている。その人のインナーチャイルドが、私に気づいて、私の声を聞いてと、悲痛な叫びをあげている。



私がそれに気づいたのは、私がその人と離れた後、自分自身が似たような問題で苦しんだ後。その人からお母さんの話をほとんど聞いたことがなかったということも。


その人にそのことを話せればよかったけれど、話せないままになってしまった。でもきっと多分今ごろは、その人が自分で気づいていると思うよ。


共通の知り合いに、「あの人最近どう?」って聞いたら、「相変わらずだよ」って答えが返ってきて、ちょっとがっかりはしたけどねwwww

先頭 表紙

2017-02-07 変なおばさんからのメールうざい\(^o^)/

変なおばさんからたびたびメールが届くんで困ってます。



数か月前から、変なおばさんからのメールは基本的に読まないことにしました。仮に読むとしても、読んでもいいかなーと思えた時だけ読むことにしました。(その結果、受信から1〜2ヶ月経って読んだメールが何通か)


という感じで、受信はするけれど、極力見ないようにしてたんですが、先日うっかりメールの文面が目に入ってしまい、私の精神が非常に汚染されるのを感じたので、昨日ついに迷惑メールの設定をしました。これで今後は、変なおばさんからのメールは、アプリが自動で迷惑フォルダに振り分けて、私の目の触れないところにおいといてくれます。すがすがしい毎日を送れることでしょう。というか、メールアドレスを変えた時になぜ変なおばさんに教えてしまったのか……自分があほだった。


メールは読まない、返事をしないと決めたのはとても良かったです(*´艸`*) 読めば必ずものすごくイヤな気持ちになって、さらにいろいろな負の感情がゴーッとやってくるし、返事をしなければと思うと、何をどう書こうと考えなくてはならず、そこでますますイヤーな気持ちになるし。そういうの全部カットカット!!


ちなみにうっかり読んでしまったメールというのは、昨年の夏に実家の庭にある木を伐採したことに対して私を責める内容でした。
その木は、とても成長が遅く、実家にあったその木のように大きなものはとても珍しいそうです。樹齢は数百年経っていると思われました。近所では有名な木だそうです。私はそれを伐採するかどうか決める日に、近所に住む親戚のおばさんから初めて聞きました。
子どもの頃から親しんでいる木だし、そんな話を聞いて伐採したくないのは私だってそうです。でもその木は誰も手入れをする人がいなくなり、アメリカシロヒトリにひどくやられてほとんど枯死寸前でした。その木のあまりにひどい健康状態と、これからも誰も手入れができる人がいないことを考えて(昨年、私が庭師の手配をするまで庭がジャングル状態になっており、近所に大変迷惑をかけていた)、父と親戚のおばさんと植木屋さんと私で話し合って、残念だけれど伐採すると苦渋の選択をしたのです。


どうしてその決断に至ったのか、そんな過程も心の内もまったく想像しようともせずネチネチと私を責める内容のメール。もうほんとにやだ。多分私には心もなにもないと思われているのでしょうwww  そんなに木を切られたくないならてめえで面倒見ろよ!!!!

先頭 表紙

2017-02-07 変なおばさんからのメールまじうざい\(^o^)/

つーか、あの木を伐採したって変なおばさんに言ったやつ誰だよw どーせぐじゃぐじゃ文句言うに決まってるんだし、どーせ変なおばさんは自分の目じゃ見られない(笑)んだから知らせるよ! 変なおばさんに無用なストレス与えるだけだろ、それも考えずに話すなんてほんと無能だな!!!! 私は怒ってますよ。相手誰だか知らんけどwww(十中八九、父かなー。あほだから)


と一通のメールだけでこのストレスっぷりなんですよwwwwwwwwwwwww これが40年も延々と繰り返し続いてきたわけですよ。そりゃ人格くらい歪むわ! 犯罪犯してないのが奇跡的だよ!


でもねー、うっかりメールを読んでしまって、「ああこの変なおばさんは、私が何も考えずに、おばさんの気に入らないことばかりすると思ってるんだなー」とつくづく思いました。私には私の思慮や思いやりがちゃんとあるのに、そういうものを全部ないことにしてるんだなー。彼女の中に、私の人格は「無い」みたいに見える。


その方が、自分の中の怒りや悲しみといったストレスを私に思う存分ぶつけることができて楽なんだろうなー。私は変なおばさんにとって、きっと子どもの頃からそういう対象なのでしょう。そして私は心のない標的として汚いものをぶつけられていることに気付きもせず、ただそれを従順に受け止めてきたのでしょう。


私は、私の内面を、もっとも身近だった人間からないがしろにされて育ったのを今、重く自覚しました。まあ、それがおばさんの生き方なんでしょうね。自分が背負いきれない負のいろいろを、もっとも身近な他人にぶつけて覆いかぶせて生きるというのが。でももうその標的にはならないヾ(*´∀`*)ノ


そうやって、一方的に送られてくる(これだけでもいかにおばさんの神経がおかしく、私の心が無視されているかが分かる!)メールを分析してみるのも面白いかなと思いましたが、当然ながらメリットよりも毒の凄まじさの方が圧倒的に勝るのでやめました。


変なおばさん関係については、こういう怒りの感情が生まれたらどんどんここに吐き出して行こうと思います。その方が自分にとって良い気がするので。感情がいい感じにガンガン出てきたことは、最近元気になってきたことと関係ある気がします。そうそう今月から仕事も始めるよ! 単発&登録制のバイトのぞいては11年ぶりのお仕事だよ! 楽しみー!! \(^o^)/

先頭 表紙

2017-02-07 毒親うざい\(^o^)/ 素晴らしいエントリを発見したよ!

親に愛されてきた人が語る決定的に間違った毒親との関係

>子供の頃から「変な人」に育てられると、まずほぼ物心がついた時もしくは十代のうちに「自分ちは人んちとはなんか違う」という衝撃を受けます。

まさにそう。その次は、「他の人は自分のように『自分の家が他の家とはなんか違う』という衝撃を受けていない」ことに気づき、さらなる衝撃を受けるのですwwww


>なお、親を憎むほどひどい抑圧を受けた場合はけっこう早いうちに限界が来て親から離れ、その後寛解することが多いですが、耐えられない程ではなかった人ほど気づくのが遅れ、三十を過ぎてからもしくは子供が生まれてから苦しんだりもします。

私、これこれーーー!! ヾ(*´∀`*)ノ
激しい虐待は早期からの自覚を引き起こすだろうけど、そうでないものはそうでないものの深刻さを持ち合わせていると思いまするよ。


>それでも私たちはそろそろ、母親を許しませんか?

>許す必要はありません。


ほんとそうだよね〜〜。母親を一人の女性とみて許してあげましょうとか、なんじゃそりゃ。そういう偽善めいたアホくさい考え方が全くしっくりこなかった理由がこのエントリを読んでよくわかったわ。



>そして母親は一人の間違った人間で、自分に害をなす存在であると認識しましょう。あなたの親をあなたが育てる必要はありません。あなたが親を一人の人間として解放してあげる必要はありません。あなたの親は大人なのですから、自分自身で生きれるはずです。手を離して世話をやめても死んだりしません。大丈夫です。


100%同意!!! ヾ(*´∀`*)ノ 親は大人なんですよ! 


>今でもまだ親がおかしい、好きになれないという話をネット以外でするのは非常に難しいことです。


これも同意ー! 私もネットでは散々あれこれ言っているけど、本当に古くからの、親について似た感覚を持っている友達2,3人だけは特別として(みんな遠くに住んでる)、それ以外はダンナにも、身近ですごく信頼してる友達にも言わないよ! 健やかに育った人と毒親育ちは親に関する感覚の回路が根本から全く違うので、そこんとこは理解し合えないと私は思っているよ! そういう人たちとはそもそも違う話をしたいしね!!ヾ(*´∀`*)ノ

先頭 表紙

麦さん>毒親関係の専門カウンセラーさんがいて気になってます。私とFBでつながっているひとみさんという方です。ご自身もかなり壮絶な経験をしている方で、たぶん麦さんにもブログなど興味深いのではと思うので、もし興味があったら見てみてください。彼女に入門したい気持ちはありますが私にとってはお金や気力がかなり必要なのでそこまで踏み出せません。。 / みなみ ( 2017-02-07 21:09 )
麦さん>はぁ〜……。私んとこの変なおばさんは完全介護の施設に入っているので、死ぬまで資金尽きるなよ!!と願うのみなのでいいですが、面倒見ないとリアルに死にそうな場合はアレですよね。お友達もきっとそれに近い状況だったのではとお察しします。除霊……w / みなみ ( 2017-02-07 21:06 )
知人は親が弱ってきて手のひら返して懐かれて、不定期共依存になっちゃった。本人、勉強しまくって全部解ってるのに。親の毒ってどうやったら中和出来るんだろうね。悪霊なら除霊してくれる人がいるのに。 / 麦 ( 2017-02-07 17:57 )

2017-02-06 神谷明講演会 「匠」としての声優 〜心を伝えるコミュニケーション〜 (その1)

そういえば1月末に、声優の神谷明さんの講演会に家族で行ってきました。神谷さんの声は、私の世代だと、キン肉マン・北斗の拳のケンシロウ・シティハンターの冴羽遼などのキャラクターがなじみ深い。最後の質疑応答に挙手していたのも、私と同じくらいの年代のシティハンターファンが目立っていた。


いろいろなお話があったけれど、やはり、そのどれよりも、声優歴47年の職人技が絶品。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を、最初から最後まで、15分ほどかけて朗読するのだけれど、その途中でBGMがどんどん切り替わる。それに合わせて、話し方もガンガン切り替わる。日本昔ばなし風あり、民謡風あり、野球の実況解説風あり……その他その他、数え切れない。いったい何種類あったんだろう。あんまりすごすぎるので、正直どれくらいすごいのかいまいち実感しきれないほど。その『蜘蛛の糸』は、10年ほど前に始めたもので、その当時に比べて技はさらに磨かれ、パワーアップしているそうです。。


『蜘蛛の糸』を聞きながら、神谷さんは日本の古典芸能をかなり勉強しているな……と気付いたのだけれど、やはり狂言をやっていらっしゃるとのこと。


神谷さんが声優業界に入った頃は、新人は年に2人くらいしかおらず(!)、しかも声優人口はきれいなピラミッド型で、新人もベテランと一緒に仕事ができ、その熟練の演技に直に触れて勉強することができた。しかし今や新人は年に数百人がデビュー、しかも声優人口は底辺が短い台形で、高さもない。当然、新人がベテランと仕事する機会もないのだそうです。他にも、デジタル技術が発展するにしたがって、声優が以前ほど必要とされなくなってきたこと、声優でなく俳優がアテレコを席巻していることなど。いやぁ声優って本っっ当に厳しいお仕事なんだなぁ……。


神谷さんの世代では、テレビやラジオから民謡がいつも流れていて、自然と耳にしていたのが、若者がそういう形で民謡を耳にすることもなくなったので、その手のことができる声優は全くいなくなるんじゃないか、という話もありました。仮に私が声優を目指す若者だったら、そこに活路を見出すなー。民謡、浪曲、活弁、能、狂言、歌舞伎……そのあたりを攻められる声優さん、どうかな? ニッチだよー!! \(^o^)/


(その2)につづく!

先頭 表紙

2017-02-06 神谷明講演会 「匠」としての声優 〜心を伝えるコミュニケーション〜 (その2)

神谷さんの話で印象的だったのが、「○○役を演じさせていただく」「仕事をさせていただく」という姿勢。話の最初から終わりまで、これがすごく徹底していた。


最後の質疑応答で、冴羽遼の熱心なファンという女性が2人、立て続けに質問。一人は「声優業界内のライバルは?」、もう一人は「蹴落としてやりたいと思った人は?」。私は特定の声優のファンだったりすることはないので、よくわからないのだが、ファンはその辺気になるものなのか???


神谷さんは、最初の質問の回答で、役の選考の際にバッティングすることの多かった声優さんを挙げながらも、「ライバルは自分。他の人は全員、自分に良い刺激をくれる人。水が上から下へ落ちるように、自分が思いあがって上にいては人から良いものをもらえない。」と言い切る。


私は、「第一線で活躍している人はさすがだなぁ、こういう人だから大成できるんだろうなぁ」と素直に感心して聞いていたが、ダンナは「いや、表ではそう言うしかないでしょ。裏では絶対いろいろある!」とクールに見ていた(^_^;)


しかし、私がそう思ったのは神谷さんの話だけではなく、プロ野球選手になった同級生から聞いた話があるからだ。彼と最後に交流があったのは小学生の時だったが、数年前に同窓会で会った時、久しぶりに……というか、改めて話をさせてもらったら、彼はとてもいい話をしてくれた。


彼のお母さんもスポーツはずば抜けて得意そうな人だった。それが印象的だったので、そのことを話したら、「親には厳しくされた。家では親が注意してくれて、学校でも自分が良くないことをしたら友達が教えてくれて。本当に有り難いよね」と……。それは正直、私が感じたことのない感覚だった。


彼の話から感じたのは、なんというんだろう、自由というのか……のびやかさというのか……安堵感だった。自分の根っこがしっかり張っていない人、私自身が多分そうなのだが、そういう人は、自分が注意されたら、自分が否定されたような気持ちになってしまうのだと思う。そこには感謝の気持ちも生まれない。ただ、自分を防御しなければ、自分を正当化しなければという緊張感と不安感が生まれる。でも彼の話からは、そんなこととは無縁の、身構えなくていい、安心していいんだ、という景色が見えた。

先頭 表紙

麦さん>成功体験、達成感、それはもちろんあるでしょうね。私は子どもの頃、成功体験をしたことがほとんど無いです。それは比較的早く、20歳になる前に気づいて大きな問題だと思ってましたが、どうやったら成功できるのかも全く分からないので気づいてもどうしようもなかったですね。いじめは学校より親が先なのか。それは新しい視点です! なるほどー。 / みなみ ( 2017-02-07 21:13 )
私は、ある程度の成功体験と達成感による余裕みたいなものも、人徳を支える気がするなあ。そうでない者の僻みかなあ。旦那様側の意見よりかも。自分の根っこを張らせてくれるのはやっぱり親の愛情だよねえ。親に虐められた子は社会でも虐められるってこの間K先生も言ってたなあ。 / 麦 ( 2017-02-07 20:14 )

2017-02-06 神谷明講演会……からの脱線\( ^0^)/  「感謝」について。

自分で自分の価値をしっかり認めて、揺らぎがなければ、自分の良くないことを指摘された時も素直にそれを受け止められる。誰にも自分の人格(真我?)が傷つけられることはないと信じていられる。そして、相手は自分にとってよい助言をしてくれたと思えば、感謝が生まれる。そういう心の回路を身に着けている人が、プロとして大成するのだろうなと思った。


彼は「子どもに野球を教えているけれど、技術よりも、周囲への感謝が大事なんだと、それを一番に教えている」とも言っていた。私の質問に答えて、「野球選手と言ってもオーナーに雇われているのだから、そういう点でも気が使えることが大事」という話も聞かせてくれた。彼は引退後も球団に残ってコーチをしている。私はプロ野球のことは全然知らないけれど、それが誰にでも可能ではないことは分かる。彼のような人は周囲から必要とされるだろう。


多分、彼のような心の在り方には、いや、全ての人の心の在り方には、親(またはそれに代わる存在)が強い影響を及ぼしている。(そこで私はまた彼のお母さんを思い出すのであったw きっといい育て方したんだろうな、それができる人なんだろうな)


ひるがえって自分の身の回りを眺めると……。私の友人は、まさに彼と同じ、「人から注意されて感謝する」ということができる人だ。彼女のお母さんも素晴らしく彼女を育てた人だと思っている。彼女とそのお母さんのことは尊敬している。見習いたい。


あることをきっかけに絶縁状態になってしまったある人は、私が身を切る思いで呈した苦言にひねくれた反応を示し、あることないことまで勝手に頭の中で作り上げた末に、私を拒絶した。どこかで、本気で忠告してくれる友人はとても貴重だ。しかし、本気で忠告すると嫌われる。」という言葉を読んだ時、胸に刺さった(笑)。


まあ何だな、そういうのは相手をよく見極めてやることだなwwww  誰もが、元野球選手の彼や、私の尊敬する友人と同じフィールドにいるとは限らない。私もそのフィールドの住人になりたいが、そういった見極めもできなかったということは、私自身がそのフィールドにいなかった(いない)証拠なんだなぁ。


神谷さんの講演会の話のはずが、毒親問題にシフトしちゃったよ! この問題も書き出すときりがないので、またいずれ。(あっ、「この日記を好きなもので埋める」という目標から外れちゃうかも!! まぁいっか!)

先頭 表紙

2017-02-06 片山真理 アーティストトーク &展覧会 「19872017」 (その1)

昨日は片山真理さんのアーティストトーク、今日はガトーフェスタハラダの彼女の展示に行ってきた。片山さんの存在は、このたび群馬県立近代美術館で個展がが始まることをきっかけに初めて知ったのだが、かなり作風が好みなので期待していた。


トークの方は、司会の方がもっと切り込んだ話をしてくれたら……と思うような内容で、彼女の魅力が十分引き出されているとは思えず、惜しかった。背後に常時投影されていたスライドも、操作がずいぶんガチャガチャしていて、気持ちよく見ることができなくて残念だった。


トークの間ずっと、片山さんの手の動きが印象的で気になっていた。指が2本のその左手も、くるくると、柔らかく、滑らかに、快活に、楽しそうによく動く。その動きを見るだけで相当器用な方なのだろうと思わされた。そして、「ありとあらゆるものが人の手によって作り出されている、そして人の手によって多くのものが壊されている」という話が心に残った。私はそういう視点で「もの」や「手」について考えたことがなかった。


私にとっての「手」は不自由と死の象徴だ。小学校高学年の頃から、手先の感覚が低下し始め、まるで薄いビニール手袋をしているかのように、触覚に常に違和感がある。20歳を過ぎてからは筋肉がごっそり落ちて指を思うように動かせなくなってきた。感覚低下も筋力低下も年々ほんの少しずつだが確実に悪化している。治療法もない。でも、指に限らず、死んだら何も感じなくなる、何も動かせなくなる。ああそうだ、自分はそこに向かってるんだっけ、とリアルタイムに私に思い知らせるのが私の手。


でも、私の手だっていろんなものを生み出しているのかもしれないな。例えば、(別に好きじゃないけど)料理とか、ソウタシエ(ビーズ刺繍)とか、この文章とか。もともと手は自由に動かせたし、指先で世界の質感をダイレクトに感じられていたから、それらを失った喪失感が大きかった(楽器も演奏できなくなったし……)。考えてみたら欠落にばっかり目が行っていたかもしれない。


(偶然だが、今私が夢中になっている『この世界の片隅に』も、「手」が重要なキーとなっている。主人公のすずは、絵が描くのが大好きで、それが彼女の重要な表現手段なのだけれど、彼女は空襲で右手を失ってしまう。『この世界……』における「右手」というテーマは、私にとってはボリュームがありすぎて、まだ全然消化できていないので、これから映画ももう一度観ていろいろ考えていくよー(*´艸`*))

先頭 表紙

先月辺りに美術館でもらった今回の展覧会のチラシ?フライヤー?がめちゃくちゃ分厚い上質な紙を使っていて宝物。家に飾ってまーす。残り2枚のうちの1枚だったの! Getできてよかった。ヾ(*´∀`*)ノ / みなみ ( 2017-02-06 18:30 )

2017-02-06 片山真理 アーティストトーク &展覧会 「19872017」 (その2)

ハラダの展示は、入場無料なのがなんだかもったいないくらい、質も量も良かった。時々その生々しさと奇抜さにギョッとしつつ……そこにある作品はすべて彼女の分身に見える。執拗なほどに、徹底して、自分の”身体”を表現している贅沢さ、心の豊かさ。根っこにとてもどっしりした安定を感じた。


実際に作品のオブジェを見ると、あの手からこれが生み出されているのか……と納得がいった、あるいは、実感が沸いた。手仕事たちがとにかく細かくその量が圧倒的。そしてそういうオブジェたちは、実に有機的というか、生物的に見える。


私は、こまごましたものがたくさん集まって構成された画面やインスタレーションが好き。引きで全体を観ても素敵で、なおかつ、細部を近視眼的に見るとそこに緻密な世界があって引き込まれるようなものが。それもあまり整然としすぎていない物がいい。そういうのは有機的で何とも言えない魅力が出る。
例えば見事なバラの花に顔を近づけて、その花の中を覗き込む感覚。花びらの巻きがどんどん密になっていくのをミクロな目で追って行くと、その中心に心が吸い込まれていきそうになるあの感覚。


ただ自分は細かい作業が苦手なので、そういうのを自分で作るのは絶対ムリ。と思ってたんだけど、昨年ソウタシエ(ビーズ刺繍)を始めた。全体がキレイで、同時に一粒一粒のビーズが、気が遠くなるような細かさで連なってる様子がいい。たまーに気が向いたら描くゼンタングルも全く同じで、細かい細かい書き込みが集まって一つの作品になってるところがいい。あ、意外と私の好きな物って一貫性があるな……。



展示室の一番奥、ソファが置かれ、シャンデリアが吊るされ、窓際には蟹の模様のカーテンが吊るされたコーナーで、腰を下ろして作品ファイルをめくっていると、まるで片山さんの部屋にいるような感覚になった。他にお客さんもいなかったし、とても落ち着く空間だったので、他の展示を見ては戻ることを繰り返し、3回くらいそこで過ごしてしまったw BGMは(これも他の作品同様 for sale であった)、その中に、絵を描いているような音や、クロッキーをめくるような音、その他にもいろいろな、誰かが何かをしているようなカサカサした音などが織り込まれていて、まるでそこに片山さんがいるような感じがした。


近代美術館の展示も近々観に行く予定! 楽しみです。

先頭 表紙

2017-01-30 漫画 『この世界の片隅に』 考察(6) バケモノの正体――代用品ではなく、縁の物語

敢えてこの作品を簡単に言い表すとしたら、「すずという少女の成長物語」、これに尽きると思う。幼かった女の子が、大人としての自己を確立する話。


婚礼の日、すずは故郷の広島から嫁ぎ先の呉まで、両親・妹と一緒に、汽車に乗っていく。そして物語のラスト、広島で原爆孤児に出逢ったすずは、周作と一緒に、彼女を育てることに決め、汽車で呉へ連れて帰る。この対比が素晴らしい。最初は、自分が育った浦野家の娘として呉へ行く。最後は、孤児の母となる覚悟を決めて、周作とその子、つまり自分の新しい家族と呉へ帰る。すずにとって、見知らぬ土地であり、流されて行く場所だった呉は、すずが自ら選んだ居場所、帰るべき土地になった。呉へ行った時は、ただ幼いばかりだったすずが、呉へ帰る時は、さまざまな経験と成長を積んで、孤児(小説は未読だけど、そこではヨーコという名前らしい)を自分の子として育てると決めるまでの大人になっている。


「あんた……
   よう広島で生きとってくれんさったね

くれー くれー(汽車のアナウンス)

「……くれ?」

「ほうよ ここが呉」



この3コマの会話が泣けるんだぁぁぁぁ……( ノД`)


広島はすずにとって幼少期のすべてがあった街で、この「よう広島で生きとってくれんさったね」という台詞には、本当にいろいろな意味、いろいろな思いが込められていると感じる。


ところで、2ちゃんねるの『この世界の片隅に』スレッドを読んでいたら、この作品を「代用品ではなく縁という物語」という書き込みがあって、うまいことを言うなぁと思った。そこからちょっと自分なりのイメージを広げてみる。


周作にとってすずは、結婚できなかったリンの代用品

ヨーコにとってすずは、原爆で死んだ母親の代用品

すずにとってヨーコは、授かることができない自分の子どもの代用品

北条家にとってヨーコは、空襲の時限爆弾で死んだ晴美の代用品


そう思えば、そう取れないことはない。現にすずは、自分がリンの代用品として周作に愛されているのではないかと思って苦しむのだけれど、周作といろいろありつつ暮らしていく中で、自分の居場所を作り上げていく。自分はちゃんと自分として周作に愛されていること、そこが自分の居場所であることを実感していく。自分が誰かの代用品だからではなく、縁があってそうなったのだと思えるようになったから、ヨーコと出会った時に、彼女を引き取るという選択をしたのだと思う。


すずが周作と出会うきっかけになった「バケモノ」の正体は、「縁」なのかなあ、と思う。バケモノは、すずと周作が出会った時と、すずと周作がお互いの大切さを素直に言葉にした時、つまり2人に縁が生まれた時と、その縁が確固たるものになった時に現れている。


「わしは すずさんは いつでもすぐわかる
 ここへほくろがあるけえ すぐわかるで」

「周作さん ありがとう
 この世界の片隅に うちを見つけてくれてありがとう
 周作さん
 ほいで もう離れんで
 ずっとそばに居って下さい」



「縁」は、普段は本当にあるかどうか分からない、目に見えない、不思議な、白昼夢のようなもの。だから、現実離れしたバケモノの形で現れる。しかし、それはたしかに実在するというのを示すのが、すずと周作がバケモノと再会するシーンだったのかな……と。

先頭 表紙

萩さん>萩さんからつっこみもらってすぐ「よぼし」検索かけてたのに、例のページ見逃してました(^^;) よぼし親制度も面白いですねぇ。それも人と人との縁結びのような。それが籠の名前につけられているというのが興味深いですね。 / みなみ ( 2017-02-06 18:54 )
烏帽子を「よぼし」と読むところからきています。と、私も今回調べて知りました。籠の大きさでいえば畳んだお布団くらいの大きさがあったので、収穫した野菜入れると重かったのですが、畑の段差を利用してすこし高めの所に籠を起き担ぐので(映画では舟を降りたすずが石塀に荷物を押しつけて担いでいました)重量挙げのように下から重いものを持ち上げる苦労はなかったです。 / 萩 ( 2017-02-03 21:37 )
萩さん>素敵な思い出ですね〜!! よぼし籠……夜干し?? すずと周作が入ったよぼし籠、かなりの大きさですよねぇ。重さも2人込みで一体何キロ……バケモノだから問題ないのか。 / みなみ ( 2017-02-03 19:13 )
すずと周作が出会った背中の籠は私の育った地域では「よぼし籠」と言って畑へ行くときに大人が担いでいました。私も幼少期に祖母や父の背中の「よぼし籠」に入って畑まで連れて行ってもらっていた記憶があります。手伝える年頃になってからは自分が担いで蕗など運んで手伝ったものです。懐かしかった。 / 萩 ( 2017-02-02 06:33 )
「よう生きとってくれんさったね」のコマで、ヨーコの左手がすずのなくなった右手に触れ、すずの左手がヨーコの右手を握っているという……。なるほど! これを「回路」と呼んでいる方がいて、感心した。 / みなみ ( 2017-02-01 23:52 )

[次の10件を表示] (総目次)