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みなみの「さぼのーと」

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2017-02-06 神谷明講演会 「匠」としての声優 〜心を伝えるコミュニケーション〜 (その2)
2017-02-06 神谷明講演会……からの脱線\( ^0^)/  「感謝」について。
2017-02-06 片山真理 アーティストトーク &展覧会 「19872017」 (その1)
2017-02-06 片山真理 アーティストトーク &展覧会 「19872017」 (その2)
2017-01-30 漫画 『この世界の片隅に』 考察(6) バケモノの正体――代用品ではなく、縁の物語
2017-01-30 漫画 『この世界の片隅に』 考察(5) りんどうの茶碗と鷺の羽根のペン
2017-01-30 漫画 『この世界の片隅に』 考察(4) 水原哲の生死
2017-01-30 漫画 『この世界の片隅に』 考察(3) 周作・すずの初夜の傘問答と、それが表すもの
2017-01-30 漫画 『この世界の片隅に』 考察(2) 径子と、弟・周作の結婚
2017-01-30 漫画 『この世界の片隅に』 考察(1) 小林の伯母さんと、甥・周作の結婚


2017-02-06 神谷明講演会 「匠」としての声優 〜心を伝えるコミュニケーション〜 (その2)

神谷さんの話で印象的だったのが、「○○役を演じさせていただく」「仕事をさせていただく」という姿勢。話の最初から終わりまで、これがすごく徹底していた。


最後の質疑応答で、冴羽遼の熱心なファンという女性が2人、立て続けに質問。一人は「声優業界内のライバルは?」、もう一人は「蹴落としてやりたいと思った人は?」。私は特定の声優のファンだったりすることはないので、よくわからないのだが、ファンはその辺気になるものなのか???


神谷さんは、最初の質問の回答で、役の選考の際にバッティングすることの多かった声優さんを挙げながらも、「ライバルは自分。他の人は全員、自分に良い刺激をくれる人。水が上から下へ落ちるように、自分が思いあがって上にいては人から良いものをもらえない。」と言い切る。


私は、「第一線で活躍している人はさすがだなぁ、こういう人だから大成できるんだろうなぁ」と素直に感心して聞いていたが、ダンナは「いや、表ではそう言うしかないでしょ。裏では絶対いろいろある!」とクールに見ていた(^_^;)


しかし、私がそう思ったのは神谷さんの話だけではなく、プロ野球選手になった同級生から聞いた話があるからだ。彼と最後に交流があったのは小学生の時だったが、数年前に同窓会で会った時、久しぶりに……というか、改めて話をさせてもらったら、彼はとてもいい話をしてくれた。


彼のお母さんもスポーツはずば抜けて得意そうな人だった。それが印象的だったので、そのことを話したら、「親には厳しくされた。家では親が注意してくれて、学校でも自分が良くないことをしたら友達が教えてくれて。本当に有り難いよね」と……。それは正直、私が感じたことのない感覚だった。


彼の話から感じたのは、なんというんだろう、自由というのか……のびやかさというのか……安堵感だった。自分の根っこがしっかり張っていない人、私自身が多分そうなのだが、そういう人は、自分が注意されたら、自分が否定されたような気持ちになってしまうのだと思う。そこには感謝の気持ちも生まれない。ただ、自分を防御しなければ、自分を正当化しなければという緊張感と不安感が生まれる。でも彼の話からは、そんなこととは無縁の、身構えなくていい、安心していいんだ、という景色が見えた。

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麦さん>成功体験、達成感、それはもちろんあるでしょうね。私は子どもの頃、成功体験をしたことがほとんど無いです。それは比較的早く、20歳になる前に気づいて大きな問題だと思ってましたが、どうやったら成功できるのかも全く分からないので気づいてもどうしようもなかったですね。いじめは学校より親が先なのか。それは新しい視点です! なるほどー。 / みなみ ( 2017-02-07 21:13 )
私は、ある程度の成功体験と達成感による余裕みたいなものも、人徳を支える気がするなあ。そうでない者の僻みかなあ。旦那様側の意見よりかも。自分の根っこを張らせてくれるのはやっぱり親の愛情だよねえ。親に虐められた子は社会でも虐められるってこの間K先生も言ってたなあ。 / 麦 ( 2017-02-07 20:14 )

2017-02-06 神谷明講演会……からの脱線\( ^0^)/  「感謝」について。

自分で自分の価値をしっかり認めて、揺らぎがなければ、自分の良くないことを指摘された時も素直にそれを受け止められる。誰にも自分の人格(真我?)が傷つけられることはないと信じていられる。そして、相手は自分にとってよい助言をしてくれたと思えば、感謝が生まれる。そういう心の回路を身に着けている人が、プロとして大成するのだろうなと思った。


彼は「子どもに野球を教えているけれど、技術よりも、周囲への感謝が大事なんだと、それを一番に教えている」とも言っていた。私の質問に答えて、「野球選手と言ってもオーナーに雇われているのだから、そういう点でも気が使えることが大事」という話も聞かせてくれた。彼は引退後も球団に残ってコーチをしている。私はプロ野球のことは全然知らないけれど、それが誰にでも可能ではないことは分かる。彼のような人は周囲から必要とされるだろう。


多分、彼のような心の在り方には、いや、全ての人の心の在り方には、親(またはそれに代わる存在)が強い影響を及ぼしている。(そこで私はまた彼のお母さんを思い出すのであったw きっといい育て方したんだろうな、それができる人なんだろうな)


ひるがえって自分の身の回りを眺めると……。私の友人は、まさに彼と同じ、「人から注意されて感謝する」ということができる人だ。彼女のお母さんも素晴らしく彼女を育てた人だと思っている。彼女とそのお母さんのことは尊敬している。見習いたい。


あることをきっかけに絶縁状態になってしまったある人は、私が身を切る思いで呈した苦言にひねくれた反応を示し、あることないことまで勝手に頭の中で作り上げた末に、私を拒絶した。どこかで、本気で忠告してくれる友人はとても貴重だ。しかし、本気で忠告すると嫌われる。」という言葉を読んだ時、胸に刺さった(笑)。


まあ何だな、そういうのは相手をよく見極めてやることだなwwww  誰もが、元野球選手の彼や、私の尊敬する友人と同じフィールドにいるとは限らない。私もそのフィールドの住人になりたいが、そういった見極めもできなかったということは、私自身がそのフィールドにいなかった(いない)証拠なんだなぁ。


神谷さんの講演会の話のはずが、毒親問題にシフトしちゃったよ! この問題も書き出すときりがないので、またいずれ。(あっ、「この日記を好きなもので埋める」という目標から外れちゃうかも!! まぁいっか!)

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2017-02-06 片山真理 アーティストトーク &展覧会 「19872017」 (その1)

昨日は片山真理さんのアーティストトーク、今日はガトーフェスタハラダの彼女の展示に行ってきた。片山さんの存在は、このたび群馬県立近代美術館で個展がが始まることをきっかけに初めて知ったのだが、かなり作風が好みなので期待していた。


トークの方は、司会の方がもっと切り込んだ話をしてくれたら……と思うような内容で、彼女の魅力が十分引き出されているとは思えず、惜しかった。背後に常時投影されていたスライドも、操作がずいぶんガチャガチャしていて、気持ちよく見ることができなくて残念だった。


トークの間ずっと、片山さんの手の動きが印象的で気になっていた。指が2本のその左手も、くるくると、柔らかく、滑らかに、快活に、楽しそうによく動く。その動きを見るだけで相当器用な方なのだろうと思わされた。そして、「ありとあらゆるものが人の手によって作り出されている、そして人の手によって多くのものが壊されている」という話が心に残った。私はそういう視点で「もの」や「手」について考えたことがなかった。


私にとっての「手」は不自由と死の象徴だ。小学校高学年の頃から、手先の感覚が低下し始め、まるで薄いビニール手袋をしているかのように、触覚に常に違和感がある。20歳を過ぎてからは筋肉がごっそり落ちて指を思うように動かせなくなってきた。感覚低下も筋力低下も年々ほんの少しずつだが確実に悪化している。治療法もない。でも、指に限らず、死んだら何も感じなくなる、何も動かせなくなる。ああそうだ、自分はそこに向かってるんだっけ、とリアルタイムに私に思い知らせるのが私の手。


でも、私の手だっていろんなものを生み出しているのかもしれないな。例えば、(別に好きじゃないけど)料理とか、ソウタシエ(ビーズ刺繍)とか、この文章とか。もともと手は自由に動かせたし、指先で世界の質感をダイレクトに感じられていたから、それらを失った喪失感が大きかった(楽器も演奏できなくなったし……)。考えてみたら欠落にばっかり目が行っていたかもしれない。


(偶然だが、今私が夢中になっている『この世界の片隅に』も、「手」が重要なキーとなっている。主人公のすずは、絵が描くのが大好きで、それが彼女の重要な表現手段なのだけれど、彼女は空襲で右手を失ってしまう。『この世界……』における「右手」というテーマは、私にとってはボリュームがありすぎて、まだ全然消化できていないので、これから映画ももう一度観ていろいろ考えていくよー(*´艸`*))

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先月辺りに美術館でもらった今回の展覧会のチラシ?フライヤー?がめちゃくちゃ分厚い上質な紙を使っていて宝物。家に飾ってまーす。残り2枚のうちの1枚だったの! Getできてよかった。ヾ(*´∀`*)ノ / みなみ ( 2017-02-06 18:30 )

2017-02-06 片山真理 アーティストトーク &展覧会 「19872017」 (その2)

ハラダの展示は、入場無料なのがなんだかもったいないくらい、質も量も良かった。時々その生々しさと奇抜さにギョッとしつつ……そこにある作品はすべて彼女の分身に見える。執拗なほどに、徹底して、自分の”身体”を表現している贅沢さ、心の豊かさ。根っこにとてもどっしりした安定を感じた。


実際に作品のオブジェを見ると、あの手からこれが生み出されているのか……と納得がいった、あるいは、実感が沸いた。手仕事たちがとにかく細かくその量が圧倒的。そしてそういうオブジェたちは、実に有機的というか、生物的に見える。


私は、こまごましたものがたくさん集まって構成された画面やインスタレーションが好き。引きで全体を観ても素敵で、なおかつ、細部を近視眼的に見るとそこに緻密な世界があって引き込まれるようなものが。それもあまり整然としすぎていない物がいい。そういうのは有機的で何とも言えない魅力が出る。
例えば見事なバラの花に顔を近づけて、その花の中を覗き込む感覚。花びらの巻きがどんどん密になっていくのをミクロな目で追って行くと、その中心に心が吸い込まれていきそうになるあの感覚。


ただ自分は細かい作業が苦手なので、そういうのを自分で作るのは絶対ムリ。と思ってたんだけど、昨年ソウタシエ(ビーズ刺繍)を始めた。全体がキレイで、同時に一粒一粒のビーズが、気が遠くなるような細かさで連なってる様子がいい。たまーに気が向いたら描くゼンタングルも全く同じで、細かい細かい書き込みが集まって一つの作品になってるところがいい。あ、意外と私の好きな物って一貫性があるな……。



展示室の一番奥、ソファが置かれ、シャンデリアが吊るされ、窓際には蟹の模様のカーテンが吊るされたコーナーで、腰を下ろして作品ファイルをめくっていると、まるで片山さんの部屋にいるような感覚になった。他にお客さんもいなかったし、とても落ち着く空間だったので、他の展示を見ては戻ることを繰り返し、3回くらいそこで過ごしてしまったw BGMは(これも他の作品同様 for sale であった)、その中に、絵を描いているような音や、クロッキーをめくるような音、その他にもいろいろな、誰かが何かをしているようなカサカサした音などが織り込まれていて、まるでそこに片山さんがいるような感じがした。


近代美術館の展示も近々観に行く予定! 楽しみです。

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2017-01-30 漫画 『この世界の片隅に』 考察(6) バケモノの正体――代用品ではなく、縁の物語

敢えてこの作品を簡単に言い表すとしたら、「すずという少女の成長物語」、これに尽きると思う。幼かった女の子が、大人としての自己を確立する話。


婚礼の日、すずは故郷の広島から嫁ぎ先の呉まで、両親・妹と一緒に、汽車に乗っていく。そして物語のラスト、広島で原爆孤児に出逢ったすずは、周作と一緒に、彼女を育てることに決め、汽車で呉へ連れて帰る。この対比が素晴らしい。最初は、自分が育った浦野家の娘として呉へ行く。最後は、孤児の母となる覚悟を決めて、周作とその子、つまり自分の新しい家族と呉へ帰る。すずにとって、見知らぬ土地であり、流されて行く場所だった呉は、すずが自ら選んだ居場所、帰るべき土地になった。呉へ行った時は、ただ幼いばかりだったすずが、呉へ帰る時は、さまざまな経験と成長を積んで、孤児(小説は未読だけど、そこではヨーコという名前らしい)を自分の子として育てると決めるまでの大人になっている。


「あんた……
   よう広島で生きとってくれんさったね

くれー くれー(汽車のアナウンス)

「……くれ?」

「ほうよ ここが呉」



この3コマの会話が泣けるんだぁぁぁぁ……( ノД`)


広島はすずにとって幼少期のすべてがあった街で、この「よう広島で生きとってくれんさったね」という台詞には、本当にいろいろな意味、いろいろな思いが込められていると感じる。


ところで、2ちゃんねるの『この世界の片隅に』スレッドを読んでいたら、この作品を「代用品ではなく縁という物語」という書き込みがあって、うまいことを言うなぁと思った。そこからちょっと自分なりのイメージを広げてみる。


周作にとってすずは、結婚できなかったリンの代用品

ヨーコにとってすずは、原爆で死んだ母親の代用品

すずにとってヨーコは、授かることができない自分の子どもの代用品

北条家にとってヨーコは、空襲の時限爆弾で死んだ晴美の代用品


そう思えば、そう取れないことはない。現にすずは、自分がリンの代用品として周作に愛されているのではないかと思って苦しむのだけれど、周作といろいろありつつ暮らしていく中で、自分の居場所を作り上げていく。自分はちゃんと自分として周作に愛されていること、そこが自分の居場所であることを実感していく。自分が誰かの代用品だからではなく、縁があってそうなったのだと思えるようになったから、ヨーコと出会った時に、彼女を引き取るという選択をしたのだと思う。


すずが周作と出会うきっかけになった「バケモノ」の正体は、「縁」なのかなあ、と思う。バケモノは、すずと周作が出会った時と、すずと周作がお互いの大切さを素直に言葉にした時、つまり2人に縁が生まれた時と、その縁が確固たるものになった時に現れている。


「わしは すずさんは いつでもすぐわかる
 ここへほくろがあるけえ すぐわかるで」

「周作さん ありがとう
 この世界の片隅に うちを見つけてくれてありがとう
 周作さん
 ほいで もう離れんで
 ずっとそばに居って下さい」



「縁」は、普段は本当にあるかどうか分からない、目に見えない、不思議な、白昼夢のようなもの。だから、現実離れしたバケモノの形で現れる。しかし、それはたしかに実在するというのを示すのが、すずと周作がバケモノと再会するシーンだったのかな……と。

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萩さん>萩さんからつっこみもらってすぐ「よぼし」検索かけてたのに、例のページ見逃してました(^^;) よぼし親制度も面白いですねぇ。それも人と人との縁結びのような。それが籠の名前につけられているというのが興味深いですね。 / みなみ ( 2017-02-06 18:54 )
烏帽子を「よぼし」と読むところからきています。と、私も今回調べて知りました。籠の大きさでいえば畳んだお布団くらいの大きさがあったので、収穫した野菜入れると重かったのですが、畑の段差を利用してすこし高めの所に籠を起き担ぐので(映画では舟を降りたすずが石塀に荷物を押しつけて担いでいました)重量挙げのように下から重いものを持ち上げる苦労はなかったです。 / 萩 ( 2017-02-03 21:37 )
萩さん>素敵な思い出ですね〜!! よぼし籠……夜干し?? すずと周作が入ったよぼし籠、かなりの大きさですよねぇ。重さも2人込みで一体何キロ……バケモノだから問題ないのか。 / みなみ ( 2017-02-03 19:13 )
すずと周作が出会った背中の籠は私の育った地域では「よぼし籠」と言って畑へ行くときに大人が担いでいました。私も幼少期に祖母や父の背中の「よぼし籠」に入って畑まで連れて行ってもらっていた記憶があります。手伝える年頃になってからは自分が担いで蕗など運んで手伝ったものです。懐かしかった。 / 萩 ( 2017-02-02 06:33 )
「よう生きとってくれんさったね」のコマで、ヨーコの左手がすずのなくなった右手に触れ、すずの左手がヨーコの右手を握っているという……。なるほど! これを「回路」と呼んでいる方がいて、感心した。 / みなみ ( 2017-02-01 23:52 )

2017-01-30 漫画 『この世界の片隅に』 考察(5) りんどうの茶碗と鷺の羽根のペン

りんどうの茶碗は、すずとの結婚前に周作がリンのために買ったもので、納屋の中に置かれていた。それをすずが見つけて、みんなで誰の物かとわいわい言っていると、小林の伯母さんの例の発言があり、それを屋根の上で聞いていた周作が、すずに言う。


そりゃわしのじゃ
すずさんにやる
使うたってくれ
嫁に来てくれる人にやろう思うて
昔買うとった物じゃ



周作君……そんなこと言われて使う人いないよwwwww


捨てられることなく、しかし大事にしまわれていたという感じでもなく、念入りに隠されていたわけでもなく、納屋の中にころがっていたりんどうの茶碗は、周作の心の中のリンの存在そのものだ。茶碗はもうすずのものなのだから、捨てたってかまわないのに、すずはそんなことはせずに、また納屋へしまっておく。



青葉の乗組員になった水原が入湯上陸ですずを訪ねてきた夜、周作は、もう会えないかもしれないから2人で過ごすようにと言い、すずを水原が泊まっている納屋へ行かせる。水原はすずに軍艦の上で拾った鷺の羽根をやり、すずはその場でそれを削ってペンに加工する。水原がすずを抱こうとする時、すずの視界に棚の上の茶碗が目に入る。その時すずは、周作にリンという人がいたのなら、私だって……と思ったのではなかろうか。うまい。とにかくうまい。一コマの茶碗に託されたその葛藤、その心理描写が秀逸。


その後、茶碗は、すずがリンの同僚・テルちゃん経由でリンに渡す。後に、リンのいた娼館は空襲を受けて瓦礫と化し、その中にすずは茶碗の破片を見つけて、リンの死が暗示される。


周作とりんどうの茶碗。それと対になるように、すずには鷺の羽根のペンがある。すずはそれを大事に手提げに入れている。その手提げには、他に、周作から写生用にもらったノートと、テルちゃんの遺品である口紅が入っている。どれもすずの宝物。


やがてすずは右手を失い、さらに自宅の周りで機銃掃射に遭う。その最中に周作と交わした口論を経て、すずは周作を愛していることを実感するのだけれど、同時に羽根のペンは撃たれて失われてしまう。(口紅も、その中に入っていた桜の花びらごと放り出されて失われる。)


すずの中の、懐かしい時代への未練は、ここで終わったのだと思う。

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2017-01-30 漫画 『この世界の片隅に』 考察(4) 水原哲の生死

映画を観た時、着底した青葉を仰ぎ見る水原を見て、彼は死んでしまったのかと思った。原作者のこうの史代さんによれば、水原は生きていて、そこを通りかかったすずが話しかけなかったのは、事情を知らない近所の人(刈谷さん)と一緒だったからだそうだ。


あのシーンは観る人・読む人によっていろいろな解釈があっていいと思うが、私は、映画の後に漫画を読んで、水原は生きていると思った。すずや刈谷さんがそうであったように、水原にもしっかりと影があって、生きている人と同じような質感で描かれていたし、


生きとろうが
死んどろうが
もう会えん人が居って
ものがあって
うちしか持っとらん
それの記憶がある




というすずのセリフがあったから。


死んでいてもう会えない人は、晴美やリンや鬼いちゃんや両親。
生きていてもう会えない人は、水原。
もうないものは、すずの右手。水原がくれた鷺の羽根のペン、りんどうの茶碗、テルちゃんの遺品の口紅。そして、埋め立てられてなくなってしまった江波の海、原爆で焼けてしまった広島の街。などなど。


仮に刈谷さんがいなくても、すずは水原に声をかけなかったかもしれない。もし話したとしても、それはかつてすずと水原が話した時とは、違う意味合いを持つ。呉で周作や家族とともに生きると覚悟を決めて大人になったすずは、もう水原に心を乱されることはない。水原は、すずの幼少時代の象徴。


すずの右手に、鷺の羽根のペンがふんわりと舞い降りて、着底してしまった青葉の上に、在りし日の青葉の雄姿と、波の白うさぎが描かれる。

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2017-01-30 漫画 『この世界の片隅に』 考察(3) 周作・すずの初夜の傘問答と、それが表すもの

嫁入りが決まったすずに、祖母が心得を教える。


祖母 「ほいでのう すずちゃん
向こうの家で結婚式をあげるじゃろう
その晩に婿さんが『傘を一本持て来たか』言うてじゃ
ほしたら『はい 新なのを一本持て来ました』言うんで
ほいでむこうが『さしてもええかいの』言うたら
『どうぞ』言う ええか?」

すず「…………? なんで?」


祖母「なんでもじゃ」 



それを聞いたすずは衝撃を受けて絶句する。とぼけた性格のすずにもその意味は分かったらしい。(ちなみに映画では、このシーンの直後に「うちは大人になるらしい」というモノローグが挿入されていた。)



そして婚礼の日の夜。


周作「ああ すずさん 傘を持って来とるかいの」
すず「『はい 新なのを一本持』」
周作「ちょい貸してくれ おお! こりゃええ 待っとれや」



周作はすずの傘で軒下の干し柿を取る。


周作「獲れたー! ほれ一個取れ 早う!」
すず「はあ」
周作「やー ハラ減ったのー ん? 何じゃ まだ渋かったか?」
すず「……………イエ
 ちゃんと口から食べてじゃけえ 安心しました」
周作「うぐ」
すず「昼間何にも食べてんなかったでしょ?」
周作「ああ 安心せえ安心せえ いまタネまで飲みました ちゃんと口から!」




映画で観た時は「ハァ?! タネ飲んだ? それって……?!」とは思ったものの、このシーン全体が何を意味するのかまでは分からなかった。周作の行動はいったい何なのだろうと、理解ができなかった。彼がこの問答の意味を知らない訳がないし。


しかし、漫画で読んでみて、驚愕した。


新婚の夫婦の間で、本来ならきちんと最後まで交わされるべき定型の問答が、周作とすずの間では、終わっていない!!


それは、すずにとっては嫁入りの意思を表明していないこと、周作にとってはすずの意思を確認できていないことになり、そういう一番大事なことを欠いたまま二人が結婚することを意味する。そしてそうなってしまった原因は、すずの緊張を解こうとした周作の優しさであり、自分の都合ですずを結婚に巻き込んだ(と思っている)周作の罪悪感である。周作には、すずに「今回は急いてすまんかった よう(嫁に)来てくれたのう」とはいえるものの、結婚そのものについて『ええかいの』と聞く勇気も、『はい』と答えさせる勇気もなかったのである。勇気は図太さと言い替えてもいい。そしてさらに、周作は柿の種を飲んでしまった。これは、二人の間に子どもができないことを意味する。



周作&すずの夫婦関係がこのシーンにすべて暗示され、集約されている……!
凄いよ!!



婚礼の宴席で、周作は両手を握りしめ、硬い表情で一点を見つめてご馳走にも手を付けずにいた。その間、周作の中には万感の思いがあったのだろう。それは、緊張でもあっただろうし、リンのことでもあっただろうし、すずへの諸々の思いでもあっただろうし、これから先のすずとの生活のことでもあっただろう。傘を柿で取ることだって、この時に考えていたに違いない。

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2017-01-30 漫画 『この世界の片隅に』 考察(2) 径子と、弟・周作の結婚

周作の姉・径子は、すずに対して、


わたしは周作にはもっと慎重に嫁を選ばせたかったのですが


と言っている。
それも婚礼当日、帰る間際の捨てゼリフ!((((;゜Д゜))))ガクガクブルブル



周作とすずの結婚はそもそも、周作の母が足を悪くしたために、かわりに家事や畑仕事をする嫁が欲しいという北条家の都合があった。それに加えて、周作とリンの仲を裂くためにすずとの結婚話がすすめられたと考えると、径子の発言にも一層の説得力が出てくる。


径子は、親の決めた相手と結婚するのが当たり前の世相に反して、自分で好きな相手を見つけて恋愛結婚をしたように、自分の意志で行動することを大事にしている人なので、弟の結婚のなりゆきが気に入らなかった。(径子が周作とリンの仲に賛成したとは思えないが、小林の伯母さんや円太郎よりはまだ少し理解があったかもしれない)


径子にとっては、周作が子どもの頃に一度だけ会っただけのすずは、どこの馬の骨とも知れず、その点ではリンとは大差なく、しかしまあ遊女よりはマシ程度の認識だったのだろう。のちに、「家事や母親の面倒は自分がやる、あんたは広島へ帰れ」という内容のきつーい提案をすずにしたりするのも頷ける。

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2017-01-30 漫画 『この世界の片隅に』 考察(1) 小林の伯母さんと、甥・周作の結婚

 小林の伯母さんは、周作の父(円太郎)の姉。甥の周作・姪の径子とはそっくりな顔立ちをしている。みんなで縁側でお茶を飲んでいる時、伯母さんはすずに言う。


すずさんはええ嫁じゃね
よう働いてじゃし 大らかなし
何より周作君が明るうなった気がするわ

好き嫌いと合う合わんは別じゃけえね
一時の気の迷いで変な子に決めんで
ほんま良かった



 それを聞いて凍り付く一同。幼い晴美(径子の娘)以外の全員が顔色を変えている中で、伯母さんは一人涼しい顔でお茶を飲み続けている。その態度から、彼女がついうっかり口を滑らせたのではないことは明らか。それどころか内心「すずさんも知っておいた方がええけえ」とでも思っているだろう。すずは動揺し、汗と半笑いを浮かべながら慌ててその場を立ち去る。


 映画にはないこのシーンを読んで、「ああ、小林の伯母さんは、見た目じゃなくて性格も径子に似ているんだな」と思った。多分きつい性格なんだろうなぁ……。(径子が小林の伯母さんに似ている、が正しいか) 


伯母さんの発言を聞いた時の、小林の伯父さんの表情が特にいい。他のみんなは、ギョッとした顔をしているが、伯父さんの表情だけは微妙に違い、「こん人はまたいらんこと言いよった……」みたいな、妻に対する非難があるような……その発言に心底辟易している雰囲気。チョイ役の伯父さんの顔が正面からまともに描かれているのは全篇通じてこの一コマくらいか。


すずがその場から逃げ、屋根に上がると、そこには周作がいた。周作は今しがたの下での会話を聞いていて、「おしゃべりな伯母さんじゃのう」と憤慨し、ネコの蚤を取ってやりながら、おばさんのいる方向へ投げつけている。伯母さんはそれには気付かず、「径子ちゃんにもエエ話持って来てあげんとねえ」と、出戻りで独身の径子に話しかけて径子を慌てさせている。


「径子ちゃん”にも”」ということは、小林の伯母さんは、周作とすずの結婚に深くかかわっているのだろう。婚礼の日、初めて北条家を訪れたすずを、仲人として一番最初に家の近くまで迎えに出てきたのも小林の伯母さん。


周作が遊女のリンと恋仲になり結婚しようとした時、あきらめさせようと猛反対した家族に対して、周作は無理難題を出すつもりで、「子どもの頃に広島で一度だけ会ったことのある浦野スズとなら、リンをあきらめて結婚してもいい」と言ったのかもしれない。そこでよしきたとばかり、率先してすずを探し出したのが伯母さんではないだろうか。


すずとの婚約を申し込みに、周作と円太郎が初めて浦野家を訪れた場面で、円太郎は、


こちらのお宅を探し出すんのも大事でしたわ
のう周作



と言うが、周作は同意することもなく、下を向いて「……………」と沈黙している。一見照れているようにも見えるが、周作は、すずを能動的に見つけたというより、父や伯母たちに「見つけられてしまった」のであって、その沈黙には複雑な気持ちが含まれている。自分ですずを強く求めて探していたなら、円太郎に同意するはず。周作自身、まさか見つかるとは思っていなかったすずが見つかってしまい、自分で言い出したことなので後に引くこともできず、伯母や父の熱意に折れるしかなかったのだろう。


……なーんてことを妄想していたら、小説では、周作がリンの身請けをするため、小林の伯父さんに大金を無心し、不審に思った伯母さんが事情を察知するというシーンがあるらしい。やっぱりなーw

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