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みなみの「さぼのーと」

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★からだ内観日記(パーソナルトレーニングの記録)★

★お買い物ブログ 「こんなものを買った」

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2004-12-11 今この瞬間のわたし
2004-12-10 あーーーーーーーーーーー
2004-12-09 コンプレックス (その1)
2004-12-09 コンプレックス (その2)
2004-12-09 『”大地の子”を育てて』 (その1)
2004-12-09 『”大地の子”を育てて』 (その2)
2004-12-08 最近思ったこと
2004-12-07 ドーピングしてでも……
2004-12-07 アンケート結果 第3弾
2004-12-05 行動記録


2004-12-11 今この瞬間のわたし

『ギンギラギンにさりげなく』を
大声で歌いたい

のあーーーーーーーーーーー!!!



今日は職場の忘年会でした。
職場の飲み会ははっきり言ってあまり気の乗らないものですが
なんだかんだと楽しい時間を過ごせました。よかったです。

先頭 表紙

うぃっちさん>キャンディーズの「優しい悪魔」が……思い浮かばない! どんな曲でしたっけ?(汗) それにしても昔のアイドル歌謡曲って、曲の良さもそうですが、作詞のレベルも高いと思いませんか? / みなみ ( 2004-12-15 00:34 )
同感です>かっこいい歌謡曲。私はキャンディーズの「優しい悪魔」と「春一番」が・・・。 / うぃっち ( 2004-12-14 20:45 )
なおさん>マッチもトシちゃんも最近みないね。何やってるのかな? 昔のアイドル歌謡曲ってかっこよくない? / みなみ ( 2004-12-12 10:41 )
マッチらぶ(笑)トシちゃんも好きでした。 / なお ( 2004-12-11 01:20 )

2004-12-10 あーーーーーーーーーーー

思いっきり声出したい。叫びたい。歌いたい。発声練習やりたい。合唱やりたい。腹に力入れたい。うわーーーーーーー。

歌はいつか習いたいもののひとつ。

今日はバンプの新しいDVD買いました。今週末ライブだからね♪ 気分盛り上げねば♪

で、何着てけばよいのだ? 上着どうする? 荷物どうする? オールスタンディング。

幕張メッセのスタンディングライブってどんなんですか?

経験談求む。

ここ数日、職場のCD屋さんに行くと、出られなくなって困ります。

(ベスト盤発売のおかげでいつもイエローモンキーが流れているから)

先頭 表紙

那智さん>そういえば前みんなでカラオケ行ったねー。確か冬だったような……もう1年前? はやっ。 / みなみ ( 2004-12-12 10:37 )
なおさん>メールみましゅ。 / みなみ ( 2004-12-12 10:36 )
なおさん>おおお今連絡しようと思ってたとこ。そうか売り切れか……残念 / みなみ ( 2004-12-12 10:36 )
1分しないで売り切れました。・・・メールしたので君からの連絡待つ。 / なお@シクシク・・・・ ( 2004-12-12 10:33 )
みなみさんの記事読んでたら・・・カラオケ行きたくなっちゃった。本当にご無沙汰だったからな・・・大声出して歌いたい!! / 有末那智。 ( 2004-12-11 16:25 )
あれ?違うバンドと間違えたか?<交代/カウントダウンのチケット、12日発売なのです・・・・ / なお@飲みから帰ってきた。 ( 2004-12-11 01:17 )
うっきーさん>わたしも「車輪の唄」大好き!!! あのアルバムで新しくリリースされた曲の中では断然、いちばん好きです。そうなんです藤原くんの声がいいんです☆ あー、うっきーさんと趣味合うかも、と勝手に盛り上がってみたりして(笑) それはそうと、イルミネーション楽しみですね☆ / みなみ ( 2004-12-10 22:24 )
なおさん>ロッカーはたぶんあると思うんだけど絶対混むよねぇ。それに、サイズ小さいのに300円とかするんだよねきっと。荷物、足で固定したいがたぶん無理。踊るから(笑)。かといって手で持つのも鬱陶しいし、どーしよー。 カウントダウンはちょっと考えさせて☆/イエモンはメジャーデビューしてからはメンバー交代はしていないのだ。気になる曲、歌詞の一部でも、曲の感じでも、覚えていたら教えて♪ 脳内検索しちゃる。 / みなみ ( 2004-12-10 22:21 )
ああ私も歌いたい。けど人と合わせられないから合唱はむりだわー。 ライブいいなあ。結局買ったアルバムでは「車輪の唄」が今はいちばんすきかな。ボーカルの声が好きです♪楽しんできてね〜。 / うつぎ ( 2004-12-10 19:32 )
おいらも歌いたい。ちゅーか踊りたい(笑)最近ライブに行ってなかったので、かなり自分が盛り上がっていることに気がついた。がんばれ三十路なワタシ。/どう?チケット代もつのでカウントダウン行きません?(笑)って言ってみるテスト。大晦日は用事あったんだよね、たしか。すみませんすみませんすみません・・。 / なお@かいちゃ。 ( 2004-12-10 13:27 )
「バンプ」って何?って感じで思わず検索してしまった(笑)スタンディングの場合、荷物はロッカーに入れておくのが良いかと思うが幕張メッセはあるのかな?私は昔、ライブには紙袋もって上着から荷物までつっこんで足元おいてた。(というか足ではさんて固定)/イエローモンキーって昔、聴いてかっこいいな〜とか思った曲があったけれど、曲名わかんないや。たしかボーカルが交代?になったころかも。 / なお@かいしゃ。 ( 2004-12-10 13:18 )

2004-12-09 コンプレックス (その1)

昔から、風になびき宙を舞うスーパーのビニール袋のように
日々流されて生きております。
自分のしでかしたことに自己嫌悪することもたびたびですが
基本的に元気です。みなさまもお元気でしょうか。



お世話になっている書道の先生がおっしゃっていた言葉を
自分の言葉で再現してみます。(ですから、これはあくまで自分の捉えた内容です。)

「絵や書、音楽などの”表現されたもの”を好きな人は、とてもたくさんいる。
でも、それを表現する人、表現できる人はとても少ない」

その言葉に、わたしは彼我を隔てる壁を見ました。
わたしは明らかに前者です。
表現するための資質を備えた人ではなく、表現されたものを楽しむ人です。
大人になればなるほど、自分が見えてきて、それはそれで楽しい。
表現者としての資質に欠けるからといって、表現することを自分に禁じる必要も
ないし、
要はその、「自分」という、自然から与えられた範囲の中で何をどうするか、です。



中学生の時、わたしのコンプレックスのひとつはピアノだった。
わたしは当時、吹奏楽部に入ってオーボエを吹いていた。
音楽科のある高校に行きたいと思ったこともあったが、
音楽科に入るためにはどこでも必ずピアノの試験がある。
幼稚園から小学校低学年にかけて、2年ほどエレクトーン教室に通っていたから
ブルグミュラーの簡単な曲くらいなら弾けないこともなかったが
やはりそれは、「弾ける」というには程遠かった。
かといって自分にはピアノをものにしようと試みるほどの情熱もない。
そのころからそういう性格だったわたしはそのように自己分析して、
音楽科は最初からあきらめていた。
(ちなみに美術科も同じ理由であきらめていた)

部活の合間に、音楽室ではよく皆でピアノをいじって遊んだ。
ピアノを上手に弾ける子は、たくさんではないが、それなりにいた。
その子たちのピアノを聞くたびに、わたしは、
ピアノに関する鬱屈した気持ちが自分の中にあることをはっきりと自覚しはじめた。
それは、幼いころにエレクトーンを辞めてしまったことに関係があるようだった。

エレクトーン教室に、自分から通いたいと言った記憶はない。
親に通わされていた。
練習はほとんどしなかった。レッスンも行きたくなくてよくさぼった。
ソルフェージュも練習せず、いつも教室でぶっつけ本番だった。
当然レッスンにはついていけない。
たぶん、同じクラスの生徒のうちで一番下手だった。

(つづく)

先頭 表紙

ビッケさん>あ、そうか、そういう考え方もできるね。勇気とか勢い。そうそう、やってみたい、できるようになりたいことはあるんだけど、長い間そのままほったらかしになってしまっている。そんなこと、結構あるかも。やってみたら案外難しくなかったりするんだって、頭ではわかっていても、実行するのは大変だね。 / みなみ ( 2004-12-10 01:16 )
心に引っかかってる事って結構あるけど、やりたいと思うのと実際に行動に移す事とではその間に大きな壁があるね。最初の一歩を踏み出す勇気と言うか勢いと言うか、その一歩のためらいがコンプレックスなんだろうね。 / ビッケ ( 2004-12-10 00:06 )

2004-12-09 コンプレックス (その2)

中学3年の春になった時、わたしはついに
自分を苛むピアノコンプレックスに耐えられなくなった。
そして、母親の知り合いで、ごく近所に住んでいる主婦が開いている
ピアノ教室に通い、個人指導を受けることにした。
「音高や音大の受験を考えているの? だったらそのための教え方をしなくちゃいけないけど」
一番最初にそう聞かれたので、
「それは考えていません。趣味です」
と、きっぱりと答えた。
レッスンは、バイエルから始めた。平行してハノンもやった。
一度始めてみれば、曲がりなりにも部活で楽器をやっているせいか、飲み込みは早かった。
練習もきちんとした。それはまったく苦ではなく、楽しみだった。

結局、その教室は、「高校生になったら勉強が忙しくなる」
という(いかにも嘘くさくて根拠のない希望に満ちた)ことを理由にして、
中学校を卒業するとき、ブルグミュラーの途中でやめてしまった。
もちろんそれは自分と先生に対する建前で、本当の理由は、
弾けない曲にぶつかって気力が萎えたせいだった。
けれども、本当の本当の理由は、そうではない。
今になってそう思う。
それは、ピアノを始めた一番の目的を達成したから。
その1年間で、ピアノに対するコンプレックスをあとかたもなく消し去ることに成功したからだ。

風に飛ぶスーパーのビニール袋のようなわたしにとって、
「自分を変える」という明確な目的を持って、自分の意思で行動を起こし、
望み通りに目的を果たした経験は、
あの時くらいしかないような、そんな気がする。

先頭 表紙

2004-12-09 『”大地の子”を育てて』 (その1)

先日、中国残留孤児とその養父母を取り上げた、NHKの特集を見ました。
事実は小説より奇なり、とはよく言ったもので
彼女たちが歩んできた半生は
下手な映画などではとても敵わないようなものでした。



当時20歳だったひとりの養母は
日本人の警官に妊娠中のお腹を蹴られて流産し
子供の産めない身体になるという経験を持ちながら
ひとりぼっちで路上にいた日本人の小さな女の子を
連れて帰り、育てます。
「どうしても放っておけなかった」「子供に罪はない」
と話す彼女は、今はちいさなおばあさんになり、病気を患っています。
中国では医療保険制度が充実しておらず、
1回医者にかかるには1万円(=現地の1ヶ月分の収入)もの
費用がかかります。

無事に育てられた娘の青山さんは、11年前に日本国籍を取得して
今は日本で暮らしています。
しかし、日本での暮らしは生活保護に頼るしかなく、生活費はぎりぎり。
養母に会うための中国への里帰りも、国から旅費の補助が出るのは最初の1回だけ。
あとは全部自腹なので、滅多に行くことはできません。
また、中国へ滞在している間は、生活保護のお金が支給されません。
かといって、中国に帰りたいとと思っても
現地では仕事がなく、中国国籍を失っているため社会保障も受けられず、
帰るに帰れないのだそうです。

番組の中で、青山さんはあちこちから借金をし、10日間だけ中国へ帰ります。
養母の医療費について、親族会議が開かれます。
「彼女はわたしの母親じゃない。でも親類だから面倒を見ている。
でもわたしの親だって病気だから、これ以上の負担はできない。
あなた(青山さん)の負担は軽すぎると思う」と、親類の女性。
俯く青山さんの隣で、養母が顔の皺に涙を伝わらせて泣いています。
自分の病気が諍いの原因であることも、それで娘が責められることも
きっとたまらなく辛いことでしょう。

養母は、青山さんが会いに来た時も、日本に帰るときも
「次はいつ来るの」「会いたい、そばにいてほしい」と
まるで子供のように泣くのです。
青山さんは経済的な理由からなかなか中国へ戻ることができない。
養母の病気は進行している。
もしかしたら次は会えないかもしれない。
ということでした。

「わたしの人生を変えたあの戦争を恨んでいます」
と、青山さんは言いました。

先頭 表紙

しかし、中国ってさすがに感情表現が豊かというか……日本人だったらこの番組に出てきた人たちのようには人前で泣けないんじゃないかと思うんだけど、どうなんだろう。 / みなみ ( 2004-12-10 00:31 )
それだけ中国の国民も自国に対して閉塞感を感じているんだ、と思いました。それにしてもこの日記を書きながら思いっきり思いだし泣きしていたワシ…… この日記、コピぺなりプリントアウトなりしていただいてもかまいません。それほど間違った要約はしていないつもりです。あくまでつもりだけど(笑) / みなみ ( 2004-12-10 00:21 )
あれっ、前のつっこみで「さん付け」になった……(笑) /残留孤児(この言い方も変かもしれませんが)が、日本に帰ることなく中国で暮らすことを選んだら、こんな状況も起こらなかっただろうけれど、それでも子供は日本に魅力を感じたのでしょうね。身元の判明した孤児の9割が日本へ移住したそうです / みなみ ( 2004-12-10 00:18 )
みほさん>ノンフィクションの報道番組ってどこまで信用してよいものやら微妙なんですが、それを差し引いてもこの特集は考えさせられました。(最初からではなく途中から見たんですが……) 番組の中には、日本へ行った子供から連絡が途絶えてしまい、子供の居場所すらわからなくってしまった人も2人ほど出てきました。 / みなみ ( 2004-12-10 00:17 )
学校で、朝4時のコンピュータばかりある教室で、友人が横で机にうつぶせになって寝ている中、読みました。友人が目が覚めて、この日記の話をしましたが、上手く言葉にできなくて、本当にもどかしかったです。 / みほ ( 2004-12-10 00:07 )

2004-12-09 『”大地の子”を育てて』 (その2)

(つづき)

番組に登場したもうひとりの養母は、当時30歳でした。
夫が、帯にくるまれて捨てられていた
日本人の女の子の赤ちゃん(氾さん)を拾ってきました。
この子を本当の子供だと思って育てよう、そう2人で決めた3日後、
夫は日本人に殺されてしまいました。
周囲の猛反対を押し切って、彼女は赤ちゃんを育てます。
日本人だということは本人にも言わずに、中国人として育てました。

それから長い月日が経ち、「自分が死ぬ前に本当のことを教えてあげたい」と
養母は、氾さんに帯を渡し、出生の秘密を教えました。
「母からは返せないほどの恩をもらいました。
わたしたちは本当の親子より強い絆で結ばれています」と、氾さん。

現在、氾さんには、娘夫婦と孫がいます。
中流以上の所得を持つ娘夫婦。IT関連の技師である娘婿は、
氾さんに日本国籍を取得してもらい、それを使って日本で暮らしたいと考えています。
「普通、中国から外国へ行くことはとても時間と手間がかかり、難しい。
でも、日本で暮らすことができれば、収入も増やせるし、新しい技術に触れることもできる。
子供にも良い教育を受けさせたい。
このチャンスを逃がしたくないのです」
と、彼は言います。

しかし、養母は、日本へ行くのはいやだと言います。
知り合いの一人もいない、言葉も通じない国。
「絶対に母と離れない」と誓っている氾さんは
中国で暮らすことに決めていましたが
娘夫婦や孫の将来を考えると、その心は揺らぎます。

葛藤の末に氾さんが選んだのは、日本へゆくことでした。
「母も行くと言ってくれました。背負ってでも日本に行きます」
と語る氾さん。
彼女は、
「母にはたくさんの友人や知人がいます。
でも、母は日本で、そういう人たちに二度と会うことなく死ぬでしょう」
と、声をあげて泣きます。

そして、養父(養母の再婚相手)の墓に、
「お父さんをここに置いていきます。ごめんなさい。
でも子供たちの将来のためです。わかってください」
と謝って、また泣くのです。



日本人の子を拾い、育てると決めた当時の彼女たちは
考えてみれば、今のわたしと変わらぬ若い女性なのです。
戦争中に、敵とされた国の子供を育てることは、どう考えても並大抵のことではありません。
その出自にこだわらず、子供を立派に育て上げたということは、
世間や国にではなく、自分の良心に従わなければできないことです。

しかし、その子供の出自によって、彼女たちが
今こんなに悲しみ、辛い思いをしている。
それがなんとも切なく、悲しいです。
国どうしの争いによって子供とめぐり合い、
ふたたび、国(国籍、経済格差、物理的距離、etc)によって、
子供と離れ離れになる。

たとえば、氾さんの養母は、氾さんが本当は日本人であることを
教えるのではなかったと、後悔したことがあるだろう……
わたしはそう想像します。
しかし、氾さんが、自分や母親の中国での生活を犠牲にしてまでも
子供一家の幸せを願うように、
彼女は、本当のことを教えないわけにはいかなかったのでしょう。

70年近い年月が経った今も
戦争のもたらしたものは確かに続いているのだと思いました。

先頭 表紙

2004-12-08 最近思ったこと

最近思ったこと

精神的な安定を手にしようとしても
自分ひとりでは無理。

大勢の他人がいて、
その中に自分がいる。

自分の生活には
その大勢の他人が関わっていて
自分の世界は
その大勢の人たちと
自分とのかかわりそのものでできている

その中には
友達とか家族とか恋人とか
そういう特別なカテゴリーに属する人たちもいるし
反対に、どんなカテゴリーにも入れられない人もいる
親しい人もいるし
そうでない人もいる
そういうひとりひとりの人とわたし自身の関係こそが、
他でもない、わたしの世界の構成要素であるわけで。

悩みを聞いてもらえるとかもらえないとか
一緒に遊んでストレス発散できるとかできないとか
いやなことを言われるとか言われないとか
そういうのとはまた違う、もっと根本的な次元で
他人との関係は自分の精神状態に深く関わっている……
というか、
なんというか。

とある知人のことをぼんやり考えていて
なんとなくそんなことに思い至った。

その人とは特別に親しいというわけではない
どちらかというとよく知らないくらいで
けれども、その人はとても平らかで動じることがない
その様子を見ていると、
自分の中の波風までもが静まっていくのを感じる。

わたしが何かをその人に向かって投げたら
きっと、きちんと受け取って
同等の重さの何かを投げ返してくれるだろう
と思える。

そういう人が周囲にいるというだけで、
自分に対する、何か不思議な作用がある。
少なくとも今この日記を書かせるくらいの何ものかを
わたしは受け取った。

たぶんわたしは、その知人だけでなく
身の回りにいるありとあらゆる人たちから
それぞれ異なる不思議な作用を受け取っているはずだ。
この日記を通じてできた友達も、そう。

何だろ

日々は時に 快晴の抜けるように青い空のよう
そして時に 嵐の前の墨色の空のよう
なんだけども

自分がひとつの歯車であること
他の歯車と連動して動いていること
を思ったら

周囲が見えなくなるくらいの状態
にはならずに済むと思う。


ここのところ、忙しくてすっかり余命の更新忘れてた!
半年前に比べて、今の自分は良い方に来ている
と思います。少しずつですが……。

先頭 表紙

あ、ちなみに平日か土曜が確実です。場所は八王子からでもたどりつけるところを希望(笑) / みなみ ( 2004-12-10 00:41 )
りゃん吉さん>お仕事お疲れ様ー(^^) くれぐれもお体には気をつけて。   わたしも最近忙しくなってきました。しかし、楽しみながら仕事に取り組めているのでこれ幸い。   飲みいいっすね、12月はちょっと忙しいのですが、1月ならだいたいいつでも大丈夫です。そのうちメアドの交換でも。 / みなみ ( 2004-12-10 00:39 )
みなみさん、人間は常に葛藤と戦いながら?共生しながら生きているんですよね。何かに悩んだ時はアタマを抱えて自分で立ち止まってしまい、解決したときはほっと一息ついていつのまにやら次へ進もうとしておる。ずっとその繰り返しかもしれませんね。やっと仕事が年末モードに入ってきました。この時間で帰れるなんて夢の様(爆) ホントに今度おいしい酒でも呑みましょう。いつにしますか? / りゃん吉@お疲れ様ー ( 2004-12-09 19:39 )
ばぁびぃさん>ほんとにそうですね、コントロール。歯車について……たとえば、身近にいる気分屋な人の、その日の気分につられてしまったりすることもあります、ワタシ。そういうことを考えても、やっぱりひとりで全部を完結できるわけじゃないな、なんて思います。しかしもうすぐ年の瀬ですねぇ……早いなあ。うん、来年もがんばりましょ♪ / みなみ ( 2004-12-09 01:14 )
みなみさんの書いていること凄く判る気が。アタシもたまに凄く考えたりします。自分がひとつの歯車ってほんとそうなんだな〜。精神状態って自分でコントロールできると良いよね。いい意味で。来年も今年より成長せねば☆ / ばぁびぃ ( 2004-12-08 13:38 )

2004-12-07 ドーピングしてでも……

ひまじんネット内を散歩していると、時々とても素敵な日記に出会います。
わたしは電柱の陰から相手を見つめるタイプなので、基本的にROMです。
しかし、数ヶ月経ったころ、ついに我慢しきれず、自分という読者の
存在をアピールしたくなり、つっこみを入れる……というのが自分のパターンのひとつ。

それにしても、「これは」と思う日記を読んだ後、自分のページに戻ってくると
「なんだこの日記は……」と少々愕然とします。
それでいいのだと思いますが。



さて
12月は予定がたくさん入って、遊びも仕事も忙しい〜。

去年の冬は体調を崩して相当ひどい目にあったので、今年の冬は
体力低下や病気に十分気を付けたい。
体調管理に気をつけるのは、社会人として最低限の身だしなみだと思います。
むやみに風邪をひいたりするのは恥ずかしいことだと感じるようになりました。
これから寒さが厳しさを増し、仕事もきわめて多忙になる時期、
どこまで健康を保てるかというと、自信はありませんが(^^ゞ。

とりあえず実行している風邪の防止策は、うがい・手洗い。
これがなかなか侮れないらしいと聞き、仕事中などでも、気がついたときに実行。
そして、少しでも調子がおかしいと思ったら、すぐに薬を飲む。
今まで体調にはほとんど気を使ったことがなかったのですが、意識していると
「ん? 今日はちょっとおかしいな」と感じるもの。
寝起きが悪い、喉が痛む、肩が凝る、など。
特に、普段と違う肩凝りの時は、すぐに葛根湯を飲むよう気をつけています。
するとだいたい1時間くらいで治る……。
肩が凝る時は、やはり、身体が弱ったり、風邪を引きかけたりしている時のようです。

職場の某さんは、数日前からコエンザイムを飲みはじめたそうです。
わたしもコエンザイムには以前から興味があるんだけど、どうなんだろう。
飲んだことのある方、いらっしゃいましたら、効果を教えてください。
あと、健康に良いお茶って何かありませんか?
薬局に行っていろいろ探してみるんだけれど、どれがいいのやらサッパリ。
とりあえず今日は、青汁の粉末を買ってきました。
あきらかに野菜不足の食生活なので。
近々、大豆の粉末も買おうと思います。

これから春まで、ドーピングをしてでも無事に乗り切りたい。
それが、史上最強の高熱と歯痛で倒れた、去年の自分へのリベンジなのです。
是非、みなさまの健康法を教えてくださいまし。

先頭 表紙

瀬名さん>へー、そんなのもあるんだー。気軽に食べられて良さそうですね。職場では、乾燥した空気に喉がやられそうだなーと思ったら、飴やガムを食べてます。効果あったらレポートしてくださいませ♪ / みなみ ( 2004-12-09 01:11 )
コエンザイムのキャンディーなるものをみつけ、買ってみましたー。何かしら効果があれば・・・。 / 瀬名 ( 2004-12-08 21:52 )

2004-12-07 アンケート結果 第3弾


■次に挙げる2つの言葉のうち、どちらがより「さぼのーと」のイメージに近いですか?
【夏/冬】

夏のような熱や開放感のある日記ではない。
夏と冬なら冬。春と秋なら秋。秋と冬なら秋。自分では、そんな日記だと思っています。【冬】

【アンケート結果】
イラスト山椒〜。
5人にひとりが、夏。
夏。
夏!
なんかうれしいです。

先頭 表紙

2004-12-05 行動記録

11月27日

友達と、竹久夢二展を見に、世田谷文学館へ行った。
無料のチケットをもらったので。
夢二と言って思いつくのは、「宵待草」と「黒船屋」。
ありきたりだけど。

中学校のころ通っていた塾は
ぐるりに縁側のある、古い平屋のお座敷で
長押には骨董の藍皿がいくつも飾ってあった
その家に先生は一人で住んでいた
先生はいつも揺椅子に腰掛けていて
わたしたちは長机を並べて勉強した

その和室に、「黒船屋」のリトグラフがかかっていた。
先生に言われたことがある。
「黒船屋」の女の人とわたしが似ているって。
……似ている似ていないはさておき、そう言われて悪い気はしなかった(笑)
だからきっと今でも覚えているのね。



夢二の作品は、雑誌の挿絵、レコードのジャケット、装丁を手がけた本。
そんなものがいっぱい。独特の雰囲気が、素敵、素敵。
そして、夢二そのひとは、なんだか「アリとキリギリス」のキリギリスみたい。
蝶よ花よ夢よ、そんな素敵な世界を自分で作り出せる人は
本人も蝶よ花よ夢よって感じの、恋多き男。
なんだね。
夢二が建てたという家も、形式にこだわらない個性的な作りだったみたいだし
資材難の時に建てたおかげで、割とすぐ取り壊したという話。性格出てるね絶対。
「うげ……自分だったら夢二とは結婚したくねえ!!」とか思ってしまうあたり
夢の欠片もない大人になっちゃったなぁ私、って感じです。



それにしても世田谷には、ずいぶんたくさんの文学者が住んでいたんだなあ。
と、常設展を見て思いました。
でも、もともと世田谷出身という人はほとんどいない。
みんな、地方からやってきて、世田谷に移り住んでいる。

昔、世田谷はのどかな田舎だったようだから
文人たちは皆、土に親しむ生活に憧れてやってきたのでしょう。
かといって、出版社のある都心まで、さして遠くもなし。
割と手軽に田舎ライフを満喫できる、ちょうどいい土地だったのでしょうね。

話は変わりますが
茨城の笠間は陶芸のメッカであり、陶芸家の人々が
大勢、他の地域から集まってきています。
のどかな自然があり、焼き物の店や直販センターがあり、小さな美術館があり、
さらに、センスのいい喫茶店がたくさんあるところです。
美大出の若い芸術家なんかもけっこういるみたい。

そういう陶芸家たちが笠間に来る理由と
昔の文士たちが世田谷に集まった理由は
きっとほとんど同じだよ。
土と暮らす日々! キーワードはナチュラル&スピリチュアル!
そしてその中で芸術活動!!!
断言する。絶対、皆、そういうのに憧れてるね。求めてるね。
ヒッピーに通じる魂を感じる。

というわけで、わたしと友人は
「昔の世田谷=現代の笠間だ!」
という結論に至りました。



あと、衝撃だったのは、常設展にあった、大藪春彦の生原稿。
字が小さすぎるーーーーー!!!
文字が米粒のよう。丸くて小さい。
本当に米粒より小さいんじゃないかというくらい小さい。
読みづらさの極地!!!!
編集者や、活字を起こす人たちの苦労が忍ばれました。
一見の価値あり。



展覧会を見た後は、焼き鳥屋で焼酎。
最後に河岸を変えて、居酒屋でたこ焼き。
たこ焼きなのに、油でカリッと揚がっていて、おいしかった。

先頭 表紙

なおさ>なんか、顔立ちとか体の線の細さとかが似てる気がするのよん。      話は変わって、夢二の奥さんや彼女は皆すごい美人でした……面食いらしい。 / みなみ ( 2004-12-07 01:26 )
今検索してみて絵を見たけれど、似てるかな〜。絵のほうが断然美人ですわ。 / なお@かいちゃ ( 2004-12-06 13:25 )
ビッケさん>そーなのよ、書き殴りかと思いきや……。友達も「この字でハードボイルド書いてるのか……」とつぶやいとりました。相模湖にはどんな芸術家がいたのかな……。 / みなみ ( 2004-12-05 23:42 )
大藪春彦の原稿の字が小さいのかぁ・・・ハードボイルドらしく書き殴ってると思ったらちと意外。相模湖辺りも戦後、芸術家が集まってたらしいね。やっぱ都会から離れすぎず静かな所ってのが良いのかな。 / ビッケ ( 2004-12-05 22:52 )
電ぼつち>伊香保だっけ? 夢二美術館、生地の岡山にもあるらしいね。そっちでは家まで復元してあるらしい。夢二の絵に浸れる子供がいたら、かなり早熟って感じかもね。 / みなみ ( 2004-12-05 22:42 )
なおさん>竹久夢二展見てさー、夢二の絵に出てくる女の人ってなおさんに似てるーとオモタよ。美術館や写真展、興味があっても行かずに終わることが多いワシ……。めんどくさがりで出不精(汗) 陶芸はわたしも以前からチャレンジしてみたいと思ってるのだ。でも習うの高そうなんだよね……。 / みなみ ( 2004-12-05 22:40 )
竹久夢二は群馬に美術館があるよねん。昔一度いったことあるけど、子供だったのでよく分かりませんでちた。。。 / 電ボ屋 ( 2004-12-05 19:54 )
美術館とか写真展とかいってみたいんだけれど、機会がないんだよね。(知識もないけれど・・・)あと、陶芸にチャレンジしてみたいんだよね。ただ、あまりセンスはないかもしれないけれど(笑) / なお ( 2004-12-05 19:23 )

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