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みなみの「さぼのーと」

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★お買い物ブログ 「こんなものを買った」

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2014-11-08 慶應生のママが贈る 賢い子の育て方 ブログ
2014-11-05 プラスチックの食器をやめる
2014-11-04 自戒
2014-11-04 家と人
2014-11-04 ポル・ポト
2014-10-30 ぴ子、就学時健診
2014-10-29 たとえばこんなバラ色の一日
2014-10-29 悩まない
2014-10-28 考えを持つ
2014-10-26 ひまじんさんの新居襲撃 & 懐かしくて涙が出そうになった話


2014-11-08 慶應生のママが贈る 賢い子の育て方 ブログ

慶應生のママが贈る♡ 賢い子の育て方 ブログ


アイキャッチ効果を狙ってか、タイトルは……という感じだけど、
まず最新のエントリ「母の存在」に心打たれて引き込まれた。





他のエントリより引用……




ダメ出し を されて育つと

『 自分は まだまだ出来ていないんだ 』



自己肯定感 が 低くなってしまったり

満足感・達成感の得られないまま

育ってしまいます。


そして


『 だって・・・ 』 と

言い訳の方に 

思考が巡って

いつも

誰か(何か)のせいに してしまうという

考え方の癖が 

ついてしまうようになります





なるほど……。そういえば、うちの母親は言い訳よくする。
言い訳思考は無益かつ有害なので嫌いです。





「 早くしなければ ならない 」

「 勉強しなければ ならない 」

「 ご飯を食べなければ ならない  」



そういう

『 〜をしなければならない 』 という

思考・行動パターン を

小さいうちから 

習慣化 してしまうと



本当に 『 やりたいこと 』 に

気づくこと にも

鈍くなったり


本当に 『 やりたいこと 』 を

やる能力 も

どんどん

失われていくように 感じます


これを

改善していく 方法は

親の 言葉の 変換も

大事なんだと 思います 



「 早くしなさい!! 」 を

「 もうちょっと 急いでみようか  」
「 もうちょっと 早くできるかな ? 」



「 勉強しなさい!! 」 を

「 勉強 そろそろ 始めてみようか (^ω^) 」
「 勉強 何時時計から やる〜? 」



「 ごはん 食べなさい!! 」 を

「 ごはん たくさん食べようね 」
「 ごはん 食べたら 大きくなるよ 」




のように

変えて みましょうね



命令口調だと

お子さんの気持ちも

『 やらなきゃなぁ・・・ 』

『 しなきゃならないんだよな・・・ 』

と なり

自発性が 失われてしまいます 




これ私のことかと!!


親からそう躾けられた記憶はないけど
10代後半から20代にかけて、「〜ねばならない」と「やりたいことがない」の2つに強烈に苦しめられてきた。
特に大学受験、就職活動、転職活動、まさにそれ。もう本当辛かった!
この2つってセットだったのかなあ。


自分の子にはそうなって欲しくない……。
今からでも、子どもに「〜しなさい」と言う回数減らそう。言い方変えて。
なくすのは無理でも、減らそう。

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雅さん>子供に「言い訳させない」親の心がけって大事かもしれないですね。私も子供が言い訳していないか、していたらどんな風で、自分のどんな働きかけの結果なのか気をつけてみよう。 / みなみ ( 2014-11-10 16:17 )
反省します。うちの次女の言い訳が多くなってきたのは私の言い方のせいでした。せっかちで時間に厳しい母vs時間を守れないマイペースな次女。毎朝毎晩バトルです〜。もっと心に余裕を持たなきゃですね。 / 雅(みやび) ( 2014-11-10 13:05 )

2014-11-05 プラスチックの食器をやめる

今日は用事ついでに友達の家をいきなり訪問、30分ほどお邪魔。
例によって片付け話など。


友達曰く、
「子供用のプラスチックの食器をなくすとすっきりするよ!」
「プラスチックをやめたら、子供に大事なお皿を割られちゃって。でも、それ以来お皿を丁寧に扱うようになったよ」
「子供の友達が遊びに来ても普通の食器で十分対応できるよ」
確かにプラスチックの子供用食器って、割れる心配はなくていいけど、
色がカラフルで、安っぽくて、ものすごく目障り。
子供が成長した後も使いたいか? というと答えはNo。
コップやおやつ用の皿など、何も考えずに、しかも便利と思って使っていたけど、
けめぴこももう、割れ物の食器をきちんと扱える年齢だなぁ。


うちの主なプラスチックの食器は、IKEAで買ったコップとお皿、それぞれ6個一組を2セット。
引越し前、幼稚園の近くの社宅にいた時は、幼稚園の友達が遊びに来て
子ども6〜7人におやつを食べさせることが週に1〜2回はあったから、2セットあっても良かったんだけど、
もうそんなに一度に子供が遊びに来ることはない。


「分かった、プラスチックは処分する!」と即答。
(全部は処分しないかもしれないけど。。
 まだ迷っている部分がある。一部アウトドアで使いたい気もするので)、
ともかく数は減らして、普段使いもやめるつもり。
それに色もわざわざカラフルなのにする必要ないよね……


友達の家の、すっきりしたキッチンを見て、家に帰ってから
プラスチック以外の食器も見直して少し処分した。
(プラスチックはまだ処分しきれてない)
やっぱり、自分一人で生活を見直すんじゃなくて、他の人の話を聞くって重要だな。


それ以外にもいろいろ良い刺激をもらってきたよ!
30分なのに濃かった〜。


p.s.東京インテリアで、気泡の入ったガラス製に見えるプラスチックコップが売っていて(片付けのお客さんの家で見て教えてもらった)、それは前々から気になってます。ただ、値段はIKEAのプラスチックコップの6倍だけど(^^;) ←なので、ちょっと買い替えたいなと思いつつ、ためらっていたというのもある。

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2014-11-04 自戒

自ら偏見を持っている人ほど、
他人からの偏見に怯える。

「〜でありたい」と「〜ねばならない」を混同している人ほど、
一見、真面目そうに見える。

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2014-11-04 家と人

昨日と今日、友の会の知人の家に2日連続でお邪魔してきた。
昨日はちょうど私の親と同じ世代のAさん宅。
今日は私と同年代のBさん宅。
どちらも素敵なお家だったーー!



やっぱり、家は人を語るね。
それに、家は、その人に関する一番重要な風景だと思う。
その風景の中に存在するその人自身って
ものすごくリアル。
相手の家で会うのと、それ以外の場所で会うのって、違うなと思う。



友の会の面白いところは、
価値観や方向性が自分に似た人と出会って、
その家まで見せてもらえるところかな。
それもたくさん。



ほんとに面白いし、楽しい。
友の会の人に限らず、だけど、
相手の人柄が溢れた、工夫や努力のちりばめられた家を見せてもらうと、
テンションが上がる。
生活するって楽しいことなんだろうな。

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秋さん>なるほど。逆に言えば、家の中さえ自分の思い通りになれば秋さんの気持ちや自信は今よりすごく変わるんではないかなと思いました。 / みなみ ( 2014-11-09 23:36 )
おそろしいと思った部分はね 「家は人を語る」「家は、その人に関する一番重要な風景」 そして 「相手の家で会うのと、それ以外の場所で会うのは違う」 というところ。実際家の外でかなり気取って(気取ってないけど)人と会っても後ろに構えてる家の中の惨状は自分だけが知っていて・・・という(^^; それを見透かされてしまったというか、言葉にされてしまったかぁ〜!っていう意味です。 / 秋 ( 2014-11-09 16:51 )
麦さん>あっ、そうか。何かがちょっと腑に落ちました。秋さんのコメント読んで「ねばならないじゃなくて、〜でありたいでいいんだよ」っていうのが出てくる麦さんはすごいなあ。私も一生、〜でありたいと思い続けよう。 / みなみ ( 2014-11-08 21:58 )
秋さん>え、おそろしい? どこが……?(真面目に) / みなみ ( 2014-11-08 21:55 )
ほらほら秋さん、逃げなくても大丈夫!〜でありたい、と、ねばならないとは違うって、みなみちゃん言ってますし( ̄∇ ̄))ワタシは〜'でありたい、と一生思い続ける人生を選びますよ( ̄∇ ̄) / 麦 ( 2014-11-07 19:37 )
・・・そんなおそろしい究極なこと言わないで〜(笑)。ひぃ〜! / 秋 ( 2014-11-07 08:43 )

2014-11-04 ポル・ポト

池上彰が出ていた、世界の独裁国家特集を見た(途中からだけど)。


予想通り、ポル・ポト政権は大きく取り上げられていた。
元ポル・ポト派の兵士(戦争で失ったとのことで片足がなかった。自分の村がポル・ポト派だったから選択の余地がなくその兵士になったという。国民虐殺当時、戦争の前線にいたので、虐殺のことは知らなかったそうだ。インタビューの依頼は何人もの元兵士が断り、その中で依頼を受けた人らしい)のインタビューがあったけど、彼の返答はまるで当たり障りがなく前向きで、それが逆に虐殺の爪痕の深さを思わされた。一言で言えばものすごく不自然な感じがした。


ポル・ポト政権の大虐殺は35年前のことだが、現在の30歳前後のカンボジア人数人(日本語を勉強している人たち、外国語に堪能なので多分ある程度の教育的エリートかと)は学校で習って初めて大虐殺を知ったという。あまりに忌まわしい過去の為、思い出すことだけでも嫌で、親たちは自分の子どもに語ることすら不可能なのだそうだ。悲惨すぎる過去ゆえに、それには敢えて手を触れず、そのまま忘れることにしましょう……的なノリで今のカンボジアは発展している、というような池上彰の解説があった。


そしてダンナはポル・ポトを知らなかった(^_^;)

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2014-10-30 ぴ子、就学時健診

ぴ子が「しょうがっこうにいくー!」とずっと楽しみしていた就学時健診。
同じ幼稚園から同じ小学校に行く子は、ぴ子以外に3人。男の子1人、女の子2人。
おそらく幼稚園側の配慮なのか全員同じクラス。
特に女の子2人とは普段かなり仲良くしてもらっていることもあり、
健診に行くのが楽しみで楽しみで仕方なかったもよう。


当日は、学校に一番近い子の家に母さん全員集合。
少し早目のご飯を食べながらおしゃべり。
その後、私が車で幼稚園に子ども達を迎えに行く。
車の中では「チーム○○〜!」(○○は小学校名)などと言ってみんな大盛り上がり。
お母さん達と合流して、徒歩で学校へ。
うまいこと4人一緒のグループになるように注意して受付を済ませ、そして健診無事終了!


子どうし、親どうし、
末永く(中学までずっと一緒なので)仲良くしてもらえたらいいなぁ。
けめ子は入学と同時に引っ越したので、こういうつながりがないのがちょっと残念〜。

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2014-10-29 たとえばこんなバラ色の一日

先日、知人から片付けのお手伝いを頼まれて、第一回目の作業をした。 
本気で丸一軒片づけたい、というので、それじゃ私も本気で付き合いますよと。


片付けの手伝いは大好きだけど、他にもやりたいことはいっぱいある。
片付けに行ったら、その間、他のことは何もできない。
貴重な時間を割くのだから、相手が本気じゃないと付き合いたくない。
ガツガツ食いついて来てくれるくらいじゃないと嫌。
そのかわり自分も本気でやる。


「うちの片付けも手伝って〜」というオファーは時々あるのだけれど
私は最初、原則受け身で、相手の出方を観察することにしている。
相手から積極的にアプローチしてこなければ、私からアプローチはしない。
本気な人、その本気をちゃんと伝えてきてくれる人とだけ一緒に作業したいから。
そうじゃなかったら、バカみたいな安い作業料と引き換えで自分の時間を捧げる意味がない。


だから本気な人と出会ったら精一杯大事にしたい。
相手の熱意と、一緒に作業させてもらえる僥倖を。


次の作業日が楽しみ!

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バラ色濃度上昇。 / みなみ ( 2014-10-30 21:51 )
秋さん>わおっ。こないだホームセンター行って、ツリー見て、そういえば! って思い出してました。楽しみに待ってます!! / みなみ ( 2014-10-30 20:38 )
クリスマスツリー、まだ飾りませんよね? 仕事繁忙期につきシーズン終わるまでお待ちください。約束、わすれてないよん。 / 秋 ( 2014-10-30 20:07 )

2014-10-29 悩まない

見つけた。


11年前の私。


あなたが苦しみながら悩みぬいてくれたから、今の私がある。
「悩まない私」を、自由で自在な私を、あなたが作ってくれた。
そのことに、私は今、どれだけ助けられているか分からない。
中でも特に、子育てにおいて。


お金にならない。キャリアにならない。他人からは一切評価されない。
それでも自分の内面に傾注する理由はこれだ。
自分自身のため。


過去の私へ、
大丈夫、あなたの将来バラ色っ。
灰色じゃないよ。
薬も全然いらないよ。
そりゃ、痛みを感じることも、病気になることも、いろいろあるけど
全部自分で治せるようになる。
あなたが irrationalな悩みの回路を捨ててくれたから
私は、ありふれて平穏な、けれどバラ色の日々の中にいられるよ。









以下過去ログより抜粋



2003-06-09 いつまで付けてんだい? その自前の手錠をさ


私がユーウツに陥った時のひとつの思考パターンとして
こういうのがあります。

まず自分には薬があるわけ。
それを飲めば痛みが取れて幸せになれる薬。もちろん薬というのは例えですが。
今はそれがたまに手に入る程度だけれど、できることなら私はそれを常用したい。
その効果を強烈に信奉しているから。
でも、「薬を常用したい」とそう思った時点で私はとても不安になる。
その薬を常に飲める状態になったとして、もしその状態に慣れてしまったら?
薬をやめられなくなってしまったら?
薬が効かなくなってしまったら?
もっと強い薬をやるしかない。
でもそれにまた慣れてしまったら?
薬は強ければ強いほど手に入りづらくなる。
薬が見つからなくなるのが先? それとも薬に頼りきった廃人になるのが先?

今、こうして冷静になってみればわかる。
常用できるだけの量の薬さえ確保していない今、中毒になった時のことを
考えても、しょーーーーーーーーーーーーーーーーがない!!!!! んだと。
そんなこと心配しても何も意味ない。
とりあえず薬が欲しいなら、その薬を確保してから考えればいい。
中毒になってから次の手を考えればいい。
もしかしたら、それ以上強い薬を求めずに、薬断ちすればいいと思えるかもしれない。

ただ、ユーウツに入っている時はその回路から抜け出せないわけですよ。
「なんかこれ間違ってるよな」と頭の片隅で理解しつつも
でもやっぱり将来ってそういうもんじゃん、とかいう思いこみに囚われて
自分の未来は灰色になってしまうわけです。
しかも、根本にあるそういうネガティブな考え方、大問題は
まったく変わっていないにも関らず、そこに至るまでの表面的なトラブルは
年々深刻になっていきます。(←あくまで主観的な話ですが)

先頭 表紙

根本の問題は変化がなく、しかし表面的なトラブルは肥大するって的を射ている。今の自分の抱えている問題は、表面的なものなのかどうなのかって常に考えよう。最近立ち止まってるかも……前進しよう。 / みなみ ( 2014-10-29 18:07 )
自然にバラ色の日々っていう言葉が出たもんな。 / みなみ ( 2014-10-29 01:43 )
そうかこれがバラ色の日々なのか。2001年1月8日から13年と9か月、やっとひとつ答えが出たぁ。 / みなみ ( 2014-10-29 01:42 )

2014-10-28 考えを持つ

田中周子(ひろこ)さんという方の講演を聞いたことがある。
内容は覚えていないが、田中さんの別の講演録を持っていて
たまに読み直している。


曰く、



私たちは、私は、こう考えていきたい。
私は子育てをこう考えてやりたい、私の家庭生活はこんな風に、というように「考えをもつ」。
まわりばかりみて考え方を探すのではなくて、自分の中から自分の型紙を探す。
(中略)
でも、「考えを決める」ではない。決めると、うちはこうですから、こうなっていますと、
考えなくなってしまうので、「考えを持つ」。




うん、大丈夫。
考え、持ってる。
自分の型紙、持ってる。


ちょっとのんびりしすぎることもあるけど、
焦らず自分の型紙に沿って切っていけばいい。
自分の人生。自分の生活。自分そのもの。


自分の良いと思うことをする。
誰とも比べない。
誰の尺度も用いない。


いつの間にこんなに地に足がついたんだろう。

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2014-10-26 ひまじんさんの新居襲撃 & 懐かしくて涙が出そうになった話

この週末は、某ひまじさん母子と一緒に、某某ひまじんさん一家のステキ新居☆へ。
初日は某山の公園へ。見たことのないゴージャスな遊具があっておもしろかった!
夜は某某ひまじんさん宅でバーベキュー&飲み。
夏にみんなで旅行に行った時に
「酒は夕方4時から飲み始めると大変具合が良い」という教訓を得たので
今回もその通りに。
たっぷり飲んで食って話して、「なんだか深夜感漂ってきた(*^。^*) 今何時?」
と思って時計を見るとまだ7時半とか8時とかそういう感じww
炭火焼きうま! 日本酒うま! 焼酎うま! お喋り楽しい! 幸せ!!


翌日は、朝は4年前の旅行のDVDをみんなで見た。
子ども達がみんなちっちゃい! けめ子は4歳、ぴ子は2歳〜!!
うちはビデオカメラがないので小さい頃の我が子の映像はとっても新鮮。
その後、某オートレース場へ。
子ども達、工作したり水上バルーン(?)に乗ったりして遊ぶ。


また来年の夏もみんなでどこか旅行しようね、という約束をして解散。






行き帰りの道で、中学生の時にオーボエを教わっていた先生の家の近くを通った。
中学を卒業してから20年以上、ずっと、その辺りには行ったことがなかった。
先生の家の前を通ってみたかったけど、周辺の様子がだいぶ変わっていて、
どの角を曲がればいいのか分からず、通り過ぎた。


家に帰ってから先生の住所をネットの電話帳で調べてみた。
先生のお年はよくわからないけれど、多分もう80歳近いはず。
もしかしたら……とも思ったけれどちゃんと名前が出てきた。
しかし、google mapで検索しても家の場所が分からず、しばらくあれこれと試行錯誤した。


ストリートビューで先生の家を見た時、すぐにこの家だと分かった。
白い壁、ごつごつした岩が組まれたアプローチ、毛筆書きの立派な表札がかかった玄関。
いつも、チャイムを押してから応答があるまでの間、
表札を見上げて、先生の下の名前はなんて読むのかなあと思いながら待っていた。(読めなかった)
玄関を入って右手がレッスン室。
そうだ、この窓に背を向けて吹いていた。立派な木製の譜面台にHINKEを乗せて。
この壁の部分にはグランドピアノが並べて2台置いてあるはずだ。
その足元にはコントラバスだ。
懐かしい。あまりの懐かしさに涙が出そうになった。


先生の家は、ガレージが建て増しされているくらいで、その他は昔のままだったけれど、
周りには当時の面影がほとんどない。
私が通っていた20年以上前、新しく造成が始まったばかりと思われる場所に、先生の家はあった。
道路はやたらと広くてまっすぐで、
道沿いには一軒だけ大きなマンションがそびえて見えたくらいで、
他にはほとんど建物がなく(実際にはあったのだと思うが、そう思ったほど印象に残っていない)、
風景がスカスカしていた。
一度、レッスンを終えて帰る途中、遠くから先生の家を振り返ったら、
先生が庭に出て土いじりをしているのが小さく見えた。
どこまでも見渡せそうな、だだっ広くて、殺風景な、生まれたばかりの町。


今、先生の家の隣には有名なチェーンの弁当屋がある。
例のマンションの一階には進学塾。近くにはレストランもある。
街路樹も、あちこちの家の庭木も大きく育っている。
遠くから見ると、庭に出ている人の姿はおろか、家そのものだって見えないだろう。
あの記憶の中の殺風景な景色と、何か、普通の町の風情があるストリートビューの景色と。
ギャップがあってなんとも不思議だった。

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