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みなみの「さぼのーと」

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★からだ内観日記(パーソナルトレーニングの記録)★

★お買い物ブログ 「こんなものを買った」

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2014-11-04 ポル・ポト
2014-10-30 ぴ子、就学時健診
2014-10-29 たとえばこんなバラ色の一日
2014-10-29 悩まない
2014-10-28 考えを持つ
2014-10-26 ひまじんさんの新居襲撃 & 懐かしくて涙が出そうになった話
2014-10-23 【こんなものを買った】大きなアイロンマット
2014-10-19 松岡修造テニス合宿
2014-10-17 kotoba wo tebanasu
2014-10-17 松岡修造のファブリーズのCMの新作が……


2014-11-04 ポル・ポト

池上彰が出ていた、世界の独裁国家特集を見た(途中からだけど)。


予想通り、ポル・ポト政権は大きく取り上げられていた。
元ポル・ポト派の兵士(戦争で失ったとのことで片足がなかった。自分の村がポル・ポト派だったから選択の余地がなくその兵士になったという。国民虐殺当時、戦争の前線にいたので、虐殺のことは知らなかったそうだ。インタビューの依頼は何人もの元兵士が断り、その中で依頼を受けた人らしい)のインタビューがあったけど、彼の返答はまるで当たり障りがなく前向きで、それが逆に虐殺の爪痕の深さを思わされた。一言で言えばものすごく不自然な感じがした。


ポル・ポト政権の大虐殺は35年前のことだが、現在の30歳前後のカンボジア人数人(日本語を勉強している人たち、外国語に堪能なので多分ある程度の教育的エリートかと)は学校で習って初めて大虐殺を知ったという。あまりに忌まわしい過去の為、思い出すことだけでも嫌で、親たちは自分の子どもに語ることすら不可能なのだそうだ。悲惨すぎる過去ゆえに、それには敢えて手を触れず、そのまま忘れることにしましょう……的なノリで今のカンボジアは発展している、というような池上彰の解説があった。


そしてダンナはポル・ポトを知らなかった(^_^;)

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2014-10-30 ぴ子、就学時健診

ぴ子が「しょうがっこうにいくー!」とずっと楽しみしていた就学時健診。
同じ幼稚園から同じ小学校に行く子は、ぴ子以外に3人。男の子1人、女の子2人。
おそらく幼稚園側の配慮なのか全員同じクラス。
特に女の子2人とは普段かなり仲良くしてもらっていることもあり、
健診に行くのが楽しみで楽しみで仕方なかったもよう。


当日は、学校に一番近い子の家に母さん全員集合。
少し早目のご飯を食べながらおしゃべり。
その後、私が車で幼稚園に子ども達を迎えに行く。
車の中では「チーム○○〜!」(○○は小学校名)などと言ってみんな大盛り上がり。
お母さん達と合流して、徒歩で学校へ。
うまいこと4人一緒のグループになるように注意して受付を済ませ、そして健診無事終了!


子どうし、親どうし、
末永く(中学までずっと一緒なので)仲良くしてもらえたらいいなぁ。
けめ子は入学と同時に引っ越したので、こういうつながりがないのがちょっと残念〜。

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2014-10-29 たとえばこんなバラ色の一日

先日、知人から片付けのお手伝いを頼まれて、第一回目の作業をした。 
本気で丸一軒片づけたい、というので、それじゃ私も本気で付き合いますよと。


片付けの手伝いは大好きだけど、他にもやりたいことはいっぱいある。
片付けに行ったら、その間、他のことは何もできない。
貴重な時間を割くのだから、相手が本気じゃないと付き合いたくない。
ガツガツ食いついて来てくれるくらいじゃないと嫌。
そのかわり自分も本気でやる。


「うちの片付けも手伝って〜」というオファーは時々あるのだけれど
私は最初、原則受け身で、相手の出方を観察することにしている。
相手から積極的にアプローチしてこなければ、私からアプローチはしない。
本気な人、その本気をちゃんと伝えてきてくれる人とだけ一緒に作業したいから。
そうじゃなかったら、バカみたいな安い作業料と引き換えで自分の時間を捧げる意味がない。


だから本気な人と出会ったら精一杯大事にしたい。
相手の熱意と、一緒に作業させてもらえる僥倖を。


次の作業日が楽しみ!

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バラ色濃度上昇。 / みなみ ( 2014-10-30 21:51 )
秋さん>わおっ。こないだホームセンター行って、ツリー見て、そういえば! って思い出してました。楽しみに待ってます!! / みなみ ( 2014-10-30 20:38 )
クリスマスツリー、まだ飾りませんよね? 仕事繁忙期につきシーズン終わるまでお待ちください。約束、わすれてないよん。 / 秋 ( 2014-10-30 20:07 )

2014-10-29 悩まない

見つけた。


11年前の私。


あなたが苦しみながら悩みぬいてくれたから、今の私がある。
「悩まない私」を、自由で自在な私を、あなたが作ってくれた。
そのことに、私は今、どれだけ助けられているか分からない。
中でも特に、子育てにおいて。


お金にならない。キャリアにならない。他人からは一切評価されない。
それでも自分の内面に傾注する理由はこれだ。
自分自身のため。


過去の私へ、
大丈夫、あなたの将来バラ色っ。
灰色じゃないよ。
薬も全然いらないよ。
そりゃ、痛みを感じることも、病気になることも、いろいろあるけど
全部自分で治せるようになる。
あなたが irrationalな悩みの回路を捨ててくれたから
私は、ありふれて平穏な、けれどバラ色の日々の中にいられるよ。









以下過去ログより抜粋



2003-06-09 いつまで付けてんだい? その自前の手錠をさ


私がユーウツに陥った時のひとつの思考パターンとして
こういうのがあります。

まず自分には薬があるわけ。
それを飲めば痛みが取れて幸せになれる薬。もちろん薬というのは例えですが。
今はそれがたまに手に入る程度だけれど、できることなら私はそれを常用したい。
その効果を強烈に信奉しているから。
でも、「薬を常用したい」とそう思った時点で私はとても不安になる。
その薬を常に飲める状態になったとして、もしその状態に慣れてしまったら?
薬をやめられなくなってしまったら?
薬が効かなくなってしまったら?
もっと強い薬をやるしかない。
でもそれにまた慣れてしまったら?
薬は強ければ強いほど手に入りづらくなる。
薬が見つからなくなるのが先? それとも薬に頼りきった廃人になるのが先?

今、こうして冷静になってみればわかる。
常用できるだけの量の薬さえ確保していない今、中毒になった時のことを
考えても、しょーーーーーーーーーーーーーーーーがない!!!!! んだと。
そんなこと心配しても何も意味ない。
とりあえず薬が欲しいなら、その薬を確保してから考えればいい。
中毒になってから次の手を考えればいい。
もしかしたら、それ以上強い薬を求めずに、薬断ちすればいいと思えるかもしれない。

ただ、ユーウツに入っている時はその回路から抜け出せないわけですよ。
「なんかこれ間違ってるよな」と頭の片隅で理解しつつも
でもやっぱり将来ってそういうもんじゃん、とかいう思いこみに囚われて
自分の未来は灰色になってしまうわけです。
しかも、根本にあるそういうネガティブな考え方、大問題は
まったく変わっていないにも関らず、そこに至るまでの表面的なトラブルは
年々深刻になっていきます。(←あくまで主観的な話ですが)

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根本の問題は変化がなく、しかし表面的なトラブルは肥大するって的を射ている。今の自分の抱えている問題は、表面的なものなのかどうなのかって常に考えよう。最近立ち止まってるかも……前進しよう。 / みなみ ( 2014-10-29 18:07 )
自然にバラ色の日々っていう言葉が出たもんな。 / みなみ ( 2014-10-29 01:43 )
そうかこれがバラ色の日々なのか。2001年1月8日から13年と9か月、やっとひとつ答えが出たぁ。 / みなみ ( 2014-10-29 01:42 )

2014-10-28 考えを持つ

田中周子(ひろこ)さんという方の講演を聞いたことがある。
内容は覚えていないが、田中さんの別の講演録を持っていて
たまに読み直している。


曰く、



私たちは、私は、こう考えていきたい。
私は子育てをこう考えてやりたい、私の家庭生活はこんな風に、というように「考えをもつ」。
まわりばかりみて考え方を探すのではなくて、自分の中から自分の型紙を探す。
(中略)
でも、「考えを決める」ではない。決めると、うちはこうですから、こうなっていますと、
考えなくなってしまうので、「考えを持つ」。




うん、大丈夫。
考え、持ってる。
自分の型紙、持ってる。


ちょっとのんびりしすぎることもあるけど、
焦らず自分の型紙に沿って切っていけばいい。
自分の人生。自分の生活。自分そのもの。


自分の良いと思うことをする。
誰とも比べない。
誰の尺度も用いない。


いつの間にこんなに地に足がついたんだろう。

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2014-10-26 ひまじんさんの新居襲撃 & 懐かしくて涙が出そうになった話

この週末は、某ひまじさん母子と一緒に、某某ひまじんさん一家のステキ新居☆へ。
初日は某山の公園へ。見たことのないゴージャスな遊具があっておもしろかった!
夜は某某ひまじんさん宅でバーベキュー&飲み。
夏にみんなで旅行に行った時に
「酒は夕方4時から飲み始めると大変具合が良い」という教訓を得たので
今回もその通りに。
たっぷり飲んで食って話して、「なんだか深夜感漂ってきた(*^。^*) 今何時?」
と思って時計を見るとまだ7時半とか8時とかそういう感じww
炭火焼きうま! 日本酒うま! 焼酎うま! お喋り楽しい! 幸せ!!


翌日は、朝は4年前の旅行のDVDをみんなで見た。
子ども達がみんなちっちゃい! けめ子は4歳、ぴ子は2歳〜!!
うちはビデオカメラがないので小さい頃の我が子の映像はとっても新鮮。
その後、某オートレース場へ。
子ども達、工作したり水上バルーン(?)に乗ったりして遊ぶ。


また来年の夏もみんなでどこか旅行しようね、という約束をして解散。






行き帰りの道で、中学生の時にオーボエを教わっていた先生の家の近くを通った。
中学を卒業してから20年以上、ずっと、その辺りには行ったことがなかった。
先生の家の前を通ってみたかったけど、周辺の様子がだいぶ変わっていて、
どの角を曲がればいいのか分からず、通り過ぎた。


家に帰ってから先生の住所をネットの電話帳で調べてみた。
先生のお年はよくわからないけれど、多分もう80歳近いはず。
もしかしたら……とも思ったけれどちゃんと名前が出てきた。
しかし、google mapで検索しても家の場所が分からず、しばらくあれこれと試行錯誤した。


ストリートビューで先生の家を見た時、すぐにこの家だと分かった。
白い壁、ごつごつした岩が組まれたアプローチ、毛筆書きの立派な表札がかかった玄関。
いつも、チャイムを押してから応答があるまでの間、
表札を見上げて、先生の下の名前はなんて読むのかなあと思いながら待っていた。(読めなかった)
玄関を入って右手がレッスン室。
そうだ、この窓に背を向けて吹いていた。立派な木製の譜面台にHINKEを乗せて。
この壁の部分にはグランドピアノが並べて2台置いてあるはずだ。
その足元にはコントラバスだ。
懐かしい。あまりの懐かしさに涙が出そうになった。


先生の家は、ガレージが建て増しされているくらいで、その他は昔のままだったけれど、
周りには当時の面影がほとんどない。
私が通っていた20年以上前、新しく造成が始まったばかりと思われる場所に、先生の家はあった。
道路はやたらと広くてまっすぐで、
道沿いには一軒だけ大きなマンションがそびえて見えたくらいで、
他にはほとんど建物がなく(実際にはあったのだと思うが、そう思ったほど印象に残っていない)、
風景がスカスカしていた。
一度、レッスンを終えて帰る途中、遠くから先生の家を振り返ったら、
先生が庭に出て土いじりをしているのが小さく見えた。
どこまでも見渡せそうな、だだっ広くて、殺風景な、生まれたばかりの町。


今、先生の家の隣には有名なチェーンの弁当屋がある。
例のマンションの一階には進学塾。近くにはレストランもある。
街路樹も、あちこちの家の庭木も大きく育っている。
遠くから見ると、庭に出ている人の姿はおろか、家そのものだって見えないだろう。
あの記憶の中の殺風景な景色と、何か、普通の町の風情があるストリートビューの景色と。
ギャップがあってなんとも不思議だった。

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2014-10-23 【こんなものを買った】大きなアイロンマット

ずっと欲しかった大きなアイロンマットを買いました。
友の会では曰く、古いウールの毛布でも自作できるそうだけど、そういう毛布は持っていないので、
ちょっと高かったけど、買いました。
100×60cm。大きい〜〜♪
今まではその1/4くらいの小さなマットを使っていたので、ワイシャツのアイロンがけが不便で不便で……。
今度からは楽になるはず!
小さいマットは小さいなりに、ハンカチ用には便利なんだけどね。

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2014-10-19 松岡修造テニス合宿

昨日、炎の体育会TVの”松岡修造テニス合宿第二弾”見ちゃいました。
途中食事のため30分ほど見られなかったけど……(子どもがいる時はテレビは消すことにしているので、泣く泣く)。
昨年の第一弾がものすごく面白くて大爆笑したので期待しつつ。


今回は、テニスをやっている小学生(4〜6年生)6人のメンタルを、2泊3日で修造が鍛える! というもの。
いや〜、やっぱり修造いいわ〜。改めて惚れ直したわ〜。
目力すごいし。弾け具合も真面目具合も半端じゃないし、
何より、人を大事にする人なんだなっていうのがすごくよく伝わってきた。
あれだけ真剣に自分に向き合ってくれる、そしてきちんとそれを伝えてくれる大人がいれば、
子どもは即、変われるんだなあ。
技術的な指導が功を奏すのは勿論だけど、
それ以上に、メンタルが変わると体の動きが変わるんだね。本当に。
見ていてはっきり分かった。
きっとあの小学生たちはあの合宿を一生忘れないでしょう。


小学生たちとその親たちの心の交流にも涙。
親子というのは良いものだねー。
やっぱり子は親にとって真にかけがえのない宝物だねー。
なんて感動した後に、1歳の男の子が母親の交際相手に殺されたというニュースを見ました。
なんともやるせなし。

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変えられる&変われば君はもっと素晴らしい!<そう、それそれ! またその伝え方が、実践伴っててすごい説得力ありましたねー。子供の頃に「自分を変えられる、変わったらもっと素晴らしい」って体感・実感できるなんて! あの子たちはいいなぁ。 / みなみ ( 2014-10-23 22:48 )
お〜・・語ってる〜(笑)  わかる、わかるよ。 子供そのものの存在にはとても敬意を払っていて、一人ひとりが素晴らしい存在なんだという事を子ども自身に信じさせてくれる。今泣いていることも、弱いことも、変えられる。変われば君はもっと素晴らしい!という眼差しがブレないんだよね。指導してほしい20歳以上の大人もたくさんいると思うなあ。 / 麦 ( 2014-10-20 13:15 )
子どもに対して「お前のなりたい自分はそれじゃないだろう!」みたいに厳しく喝は入れるけど、そもそもの子どもの理想は一切否定することなく全肯定しているというのかなあ…… 説教は厳しいし、オーラももの凄いけど、嫌な威圧感は全然ないというか…… / みなみ ( 2014-10-20 00:45 )
修造の説教は、自分が子供の頃教師にされた説教とは何かが違う……と思いながら見ていた。まず子どものありのままを出させて、それを本人の望む方向に伸ばしてやるという感覚が徹底されているというか、いい意味でそれしかしていないというか、子供に「大人(修造)によく見せる自分」を作らせていないというか…… / みなみ ( 2014-10-20 00:41 )
麦さん>ですよね〜!! まったく同感です。あの絶妙感。あのバカっぽさも土台あってこそのもので、それとあいまって尚映えていると思います。 / みなみ ( 2014-10-20 00:30 )
修造の何が好きって、あの体格のすばらしさはもちろん、体の重心や背筋がちゃんとしてて物理的なブレ感がないところがいい。すっごい安定感。ああいう姿勢になりたいw / みなみ ( 2014-10-20 00:27 )
私も惚れなおしました!・・松岡修造氏のCMの数が絶えないわけもよくわかります。真っ直ぐで、誇り高く、思いやり深く、品があるけど、いい感じにプライドも捨てられる絶妙。ああいう教師が学校にいっぱいいたらいいのにな。 / 麦 ( 2014-10-20 00:25 )

2014-10-17 kotoba wo tebanasu

ナントカ系という言葉で、自分の傾向を自分で定義づけるならば、私は「言葉系」であろうと思う。
何かにつけて言葉を介して現実処理するタイプだ。
自分の考えや喜怒哀楽の何もかもを言葉に変換したい。
そのことによっていろいろなものを消化し、あるいは発散して生きている。


だから、あるミニマリストのブログで
「言葉を手放して自分の感覚をあるがままで味わいたい」
というような内容の記述を読んだ時は、その発想そのものに驚いた。
現象や感覚と、言葉とは、本来は無関係に存在しているものだと教えてくれたのは、
学生時代の友達であるが。


友の会に入って間もなく丸4年が経つが、「言葉系」の私にとって、友の会は居易い場所だ。
ありとあらゆる場面で、自分の考えを言葉で表すことを求められる。
読書の感想の発表、各種レポート、例会でのスピーチ、会報の原稿書き、とにかく言葉、言葉、言葉。
手前味噌だが、褒めてもらえることが多い。
それは自分の考えや経験を言葉にする技術(慣れ)が私にあるからだろうと思う。
考えや経験そのものに特筆すべきものがあるわけではなく、表現の仕方、まとめ方の問題だ。
それは他人の発表を聞いていて実感することがある。
誰だって自分の中の思いを十全に表現することができれば
思い自体はささやかなものでも、表現された結果は見応え・聞き応えのあるものになるはずなのだ。
なのにそうなっていない、惜しい、勿体ない!! と思うことが結構よくある。


自分の考えを言葉でまとめることが好きな私には、
友の会での言葉を多用した活動は、非常に合っているのだけれど、
その一方で、言葉依存が強化されるのではないかと危惧している。


ある意味、自分の考えや感覚を理屈(??)で統制しなくては、それを文章にすることはできない。
常に自分の考えを文章にする癖があるということは、直感で動くということと相反しやすい気がする。
いろいろな人を観察していると、時々、野性的な直感に優れた人に出会う。
そういう人は、人生の重要な局面で、直感的な判断を下し、そして成功する。
一方、言葉に、文脈や理屈に囚われすぎる人もいる。
私はどちらかというとそっち。


言葉が大好きでそれに依存しているだけに、言葉を手放す、ということを
具体的にどう訓練していったらいいのかよくわからない。
でもそれはやってみたいと思っている。
方法は自分で見つける。
「自分で思い定めた目的に至るルートを自分で探して踏破すること」こそが「自由」だから。
言葉を手放すということも含めて、言葉と、言葉とともにある自分をコントロールしたい。
言葉を使わない、という言葉の使い方も身につけてみたい。
言葉に対して自由になりたい。

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揚水さん>揚水さんも言葉系ですか。揚水さんの分野、造園や彫刻というとどちらかというと言葉より映像的・感覚的なイメージがあります。うまくいえないけどなんだか面白いなぁ。脳のしくみってどうなってるんでしょうね。 / みなみ ( 2014-10-20 00:53 )
秋さん>秋さんの書く物読んでるとどっちかというとそういうイメージではなかったけれど、そうなんですねー。私の身の回りは映像系の人もけっこういるようで、そういう人に話を聞くと自分とはまた違って独特で面白いなぁと思います。 / みなみ ( 2014-10-20 00:48 )
間違いなく僕も「言葉系」」ですね。いろいろ共感します。でも、性懲りもなく言葉の力も信じています。 / 揚水 ( 2014-10-18 19:37 )
映像&直観系(優れているわけじゃない)です。感覚で物事を考えて判断しているので、それを言語化して排出するのはとても労力を要します。 / 秋 ( 2014-10-17 23:26 )

2014-10-17 松岡修造のファブリーズのCMの新作が……

やばい、かわいい……


なんだかんだ言って松岡修造好きなんだよなぁ……。

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揚水さん>じゃ、つい「いいね!」したくなった時は、「いつクリック!」で。 うーん、ダメ? / みなみ ( 2014-10-20 00:46 )
ごめんなさい…。「いつ」でなく、「つい」です。「さいます」みたいにヒットにはなれないなあ。 / 揚水 ( 2014-10-18 19:31 )
フェイスブックに慣れちゃうと「いいね!」をいつクリックしたくなりますね。 / 揚水 ( 2014-10-18 19:29 )

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