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みなみの「さぼのーと」

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学生街の片隅にひっそりとある
レトロな喫茶店のように営業中です☆
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ほぼ毎日更新!
★からだ内観日記(パーソナルトレーニングの記録)★

★お買い物ブログ 「こんなものを買った」

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2013-07-11 悲しみ
2013-07-09 暑いよー
2013-07-07 心屋仁之助さんのことば
2013-07-03 居場所論
2013-07-03 勉強、、、
2013-07-03 それでも、生きてゆく♪
2013-07-02 あー、居場所だ!
2013-07-02 王様の耳はロバの耳
2013-07-02 自分の本名で検索かけると
2013-06-30 謎が解けた(ような気がする)


2013-07-11 悲しみ

週末に同窓会のために帰省する都合で、母と電話した。
以前は母と話すとイライラしたり憤ったりしていたのだが、
今はもうその段階を超えてしまい、なんだか、ただただ物悲しかった。
電話を切ったあとしばらく泣いた。(←やっぱりちょっと精神的におかしい今日この頃)



※その話の中でのやりとり
母「うち今エアコンがないの」私「なんで?」 母「壊れちゃって直してない」
母「今車に乗れないの」  私「なんで?」 母「車検が切れちゃって」
水は高きから低きに流れ、ダダ漏れしている。



物悲しさの原因を自分なりに分析すると、ただひとつのことに尽きる。
私には、自分の母親にはこうあって欲しいという理想があるが、
実際の母親はそれに合致しないということだ。
言いかえると母は私の要求に応じてはくれないということだ。



母は、以前からの約束通り、同窓会の間、子供を預かってくれるとのことなので、
本当はそれだけでも感謝しなくてはいけないのだけれど。
もうずっと前に、相手に対する自分の要求が高すぎることに気づいてから、
自分なりにどんどんどんどん要求を下げてきたのだが
なかなか、「相手が(元気で)いてくれているだけで嬉しい」という境地には至れないなあ。



別にものすごいことを求めているわけではなく、
私にとってはごくささやかな理想・要求であるつもりなのだけれど、
それはたぶん、重度の育児放棄をしている人に
「子供に1日3食食事を与えなさい」と、ごく一般的な、当たり前のことを言っても
本当にできない人には、そもそも能力も、やる気も、習慣もなにもなく、できないように、
母には、その私の要求に応えることはできない。
不可能。
母に要求をして、それを拒否されるとつい、
「その気になればできるでしょ、どうしてしてくれないの」って思ってしまうけど、
だから今までは腹が立ったんだけど、
ああ絶対無理なんだな、相手にはその能力もないし、できないんだ。
そもそも私の要求に応えようとしてくれる気もないんだ。
って
しみじみ分かる(認められる)ようになったから、悲しいという境地(段階)に至ったのだろう。



この悲しさは、相手に「こうしてほしい」と伝えても、無視される悲しさでもあるけれど。



今の「認める」という段階を超えたら、おそらく次はいつか、「受け入れる」という段階に至ると思うが、
そうしたらたぶんこの悲しさもなくなるのでは、と想像する次第。









話は変わるが、子供と暮らしている中で、ついつい、
自分がやりたいことに夢中になっていて(読書とかインターネット)
その間、子供に話しかけられても、生返事ばかりしてしまうことがある。
自分が子供の頃、まったく同じことを母親にされていたことに、
ある日はっと思い至った。
自分が子供だった時、親からされたことは、自分が親になった時に子供にしてもいいと、
本当に無意識のうちに判断して、繰り返してしまうようなのだ。
私はたぶん、自分の子供に、してはいけないことをたくさんしている。
これからもしてしまうと思う。気をつけなければ。


これまた余談だけれど、
子供には、プラスを与えようとするより、マイナスを与えないようにすることの方が大事かもしれないと思う。
小さいころに親によってマイナスを与えられた子どもが、そのマイナスを抱えたまま大人になった場合、
それを自分で埋め直すためにかなりのエネルギーを取られてしまうと思うから。

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(続き)私も悲しいことに、両親の影響を受けています。何故悲しいかと言うと、彼らのようにはなりたくないからです。しかし、遺伝子は確実に伝わっている。それが、悔しくてならないのです。今のところ、facebookだけは知られていませんが、ひまじん、ブログは両親に知られています。特に何も言いませんが。とりとめのない話しでごめんなさい。 / ガス欠コイン ( 2013-07-14 10:44 )
ご無沙汰しています。何だか、もの悲しいですね。私の母は完璧主義者で、それが私をイライラさせます。もう、子供を持つことはないでしょうが、もしそうなったらと考えてしまいます。本を読む時間は、私も誰にも奪われたくないです。だから一人でいる時間が心地よいのです。忙しくて、書く暇はありませんが。マイナスを与えないようにすることの方が大事ですか?そうかも知れませんね。最近、良い本に出会いましたか? / ガス欠コイン ( 2013-07-14 10:38 )
大丈夫だよ。子どもたちは、深い意味までわからなくても、みなみちゃんのその悲しみを感じ取ってくれる女性に成長するはずです。心配しないで・・・。 / 秋 ( 2013-07-12 09:54 )

2013-07-09 暑いよー

不快指数高すぎる。引越してからエアコン工事していないので(一応本体はある)かなり辛い。



引越し鬱が治らなくてつらいので、精神科 or 心療内科デビューしたいと思っているんだけど、ちょっと調べてみたら、その手の病院ってみんな予約制、しかもすぐには予約取れないっぽいね……。仮に2週間予約が取れなかったとしたら、もう夏休みに入っちゃうじゃん。

先頭 表紙

いきなり暑くなりましたもんね。キツイ・・・。初診だと時間かかるので、余計予約取りにくそうですね。ご自愛くださいませ。 / よっしぃ ( 2013-07-10 10:38 )
至急エアコンが使えるように手配しましょう。今週の暑さは尋常じゃありません〜。私、今日、徒歩15分のところまで往復しただけで頭ががんがんしました。 / 雅(みやび) ( 2013-07-09 19:59 )

2013-07-07 心屋仁之助さんのことば

心屋仁之助さんのHPより 
(http://www.kokoro-ya.jp/「心理学コラム集」より抜粋)

*で区切ったそれぞれの文章は、それぞれ別のコラムからの抜粋です。
冒頭に接続詞があっても、前の文章と繋がってはいません。




>自分のことを「物分りがいい」「あきらめがいい」「自分の意見を言わない」って
>感じてる人は「もしかしたら、何かから逃げてるだけじゃないのかな」って
>ちょっと自分を見つめてみてください。

>摩擦することから
>傷つくことから
>努力することから
>馬鹿にされることから

>『逃げてないか』


>逃げるために、自分を卑下してないか 〔先に言い訳を作っている〕

>そのために、自分が正しいと主張してないか 〔アピールしてないか〕
>そのために、勝手に孤立してないか 〔被害者になってないか〕
>そのために、周りを悪く見てないか 〔戦う体制をとっていないか〕










>では、どうすればいいのかというと
>「その都度、吐き出す」
>「その都度、行動する」

>それだけなんです。

>怒り・悲しみ・喜び・悲しみ などの感情や、
> 「ふとした思い付き」「アイデア」
>「優しくしよう」「謝りたい」「手伝おう」「ゴミを拾おう」などの何気ない思いを

>その都度、飲み込まずに、出す、言う。

>で、それが出来なくて困ってるんですよね
>その都度出して「小言ばばあ」みたいになるのがイヤですもんね。

>大丈夫です。
>出さなくても、周囲の人には溜めてるの ちゃんとばれてます(笑)
(中略)
>「今の感情」は、相手にぶつけるのではなく、ただ出す。
> 「私はこう感じている」と言って、ただ見せる。
> ぶつけない。

>そして、相手の反応を求めない。
>勝手に相手の反応を期待して、求めない。

>「私が決心して正直に言ったのに」 なんて求めない(笑)














>そして、その「優しさ」っていうのは
>「笑顔」や「優しい言葉」とは限りません。

>もしかして「本気」なら
>けんか腰かもしれません、口が悪いかもしれません、

>ちからづくかもしれません。

>そんなの「嫌われてもいい」
> 「自分はどう思われてもいい」

>と思えないと出来ないです。
>だから「本気」です。














>「感情」「感じたこと」が例え「ネガティブな言葉」であっても
> 「ちゃんと吐き出す」「ちゃんと使う」「隠さない」「飲み込まない」
>ということを心がけて欲しいのです。

>飲み込みすぎると、心の容量を超えてブレーカーが落ちて うつになり
> 心も体も動かなくなります。
>飲み込みすぎると、周囲の人にあふれ出して、周りを不幸にします。

>そして、もっと怖いのが
> 「飲み込みすぎると、自分の思っていること・感じていることが分からなくなる」
>ということです。

>「いい、わるい」の判断なく、飲み込む癖がついているのです。

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2013-07-03 居場所論

町田マチルダさんの日記を読んで思い出したこと、
そういえば、ここひまじんネットが賑やかだったころは
(というか、それに限らず、よく機能しているネットワークでは)
「○○さんがこういうことを書いているのを読んで思ったのだけれど……」という前振りで
いろいろな人がいろいろな記事を書いていたということだ。


それは、はっきりと「みなみさんの記事を読んで」と書かれる場合もあれば、
そうではなくても、「あ、この記事は私のあの記事に呼応して書かれているな」と分かる場合もある。
つっこみ(レス・コメント)という、直接のやりとり以外にも
そういう交流の仕方があった。
また、ここひまじんネットではすべての記事がオープンなので
他の人同士のそういうやりとりを読んで、双方の記事を見に行ってみたりすることも可能だった。
(mixiみたいな場所ではそれが難しい。そもそも記事が公開されていない場合も多いので)



インスピレーションを与え合い、また、それによって得られたインスピレーションについて表現し合うという関係性。
自分が水面にもたらした波紋が、他の人に届いてはね返り、少し違う波紋になって戻ってくる、ような感じ。



コミュニティが不活性化していくと、これがなくなるんよね。
波紋は広がっていったっきり、戻ってこない。
簡潔に言えば、反応がなくなる。(仮に読まれていても、反応が返ってこない状態になる)


そういえば、昔、テレビに、盲目でありながらスケボーに乗れるアメリカの少年が出ていた。
なんと彼は「音で物を見る」ことができるのだそうだ。
チッ、チッと常に小さな舌打ちの音を発し、それが物にはね返って戻ってくるのを聞く。
それによって、どこに何があるのか、周囲の状況を把握できるらしい。
初めてそれを彼のお母さんが知った時、
彼とお母さんは車に乗っていた。
彼が、「そこにビルがあるね」と言い当てた時、お母さんはとても驚いたという。
彼は、自分が乗った車の音がビルに反射するのを聞いていた。



さて、ここでようやく本題の「ネットの居場所論」に入る。


ネット上で居心地のいい場所ってどんなところだろう、と考えると、
その前提は、「自分が心おきなく情報を発信でき、かつ、それに対する反応があるところ」なのではと思う。
自分が発する情報は、”音で物を見る少年”が発する舌打ちの音に該当する。
その情報は、周囲にいる人々に当たり、何らかの変化をもって、戻ってくる
(あるいは、その情報はただただ拡散して行き、戻ってくることがない)。
それによって、自分を取り巻く環境を把握することができる。
(中には沙漠みたいに茫漠としたところがいいという人もいるだろう。
長くひまじんネットを利用している方の中にはそういう方もいるのでは、と見受けられる)



そうして「環境」を把握することは、「居場所」を求める上で必ず必要だ。






……考えがまとまらなくなってきたので、今回はここまで。

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わたしからもおねがいします。 / 町田マチルダ ( 2013-07-04 01:11 )
そして続きはかかれない可能性大。どなたかインスピレーション下さい(他力本願)。 / みなみ ( 2013-07-03 22:51 )

2013-07-03 勉強、、、

勉強をする必要性を簡単に教えるには?
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2012/0703/520964.htm?o=0&p=0




>勉強の真価を知らぬ人の言葉は虚しく響くだけ   野うさぎ 2012年7月3日 11:01

>新しいことを知り、覚え、使い、より新しいことことを生み出すというのは、
>実はエクスタシーなんですけどね。勉強は必要か否かではなく、気持ちいいからやる。
>それを幼少期に経験させておけば、勝手に伸びていったはずですが。

>もう5年生なら、手っ取り早いのは親が背中を見せることでしょう。
>勉学の先には、自分の能力を活かして社会に役立ち、多くの人に幸せを与え、報酬を得て、
>希望に沿った幸福な毎日を送ることができるのだと。

>ちなみに私や妹や弟は、働く両親の背中を見て、自然と勉学に励みました。
>本当に幸せそうで輝いていたから。
>それぞれ大学は首席卒、希望通りの職に就き、贅沢な暮らしをしています。
>子供たちや姪や甥たちも勉強大好き。楽しいことをした上に、
>幸せな生活を築く力を培えるなんて、勉強ほど平等で安易で便利なものはないんですけどね。
>その真価を実感したことのない人が必要性を説いても、
>子供の心には届かないのではないでしょうか。



ああ……。堂々と子供の見本にしてやれる背中を持っているなら何も悩まなくて済むんだけどね……。
能力はなく、職ももたず、役に立たず、多くの人に幸福も与えられず、もちろん報酬もありません。
楽しくありません。


今日けめ子に「勉強楽しい?」と聞いてみたら、「学校より家での勉強の方が楽しい」と。
学校の勉強は簡単すぎるけど、家で私が出してやるプリントは多少難しいところがあるので
そちらの方が楽しいらしい。
学校の授業は、10までの数の足し算引き算とか、国語もひらがなだけとか、
まだまだそんなもんだから、物足りないのもしょうがない。
本人の興味を引き出せて、かつ、学校の授業をあまり先取りしすぎないものを
家ではやらせていこうとおもいまつ。
今はネットでいくらでも子供の学習プリントをダウンロードできるので、お手軽で良いですにー。


しかし……これからあと十年以上、子供の教育(勉強)について考えなくちゃいけないのか……。
考えただけでしんどい。私やっぱり勉強嫌いだと思う。勉強の真価ももちろん知りません。

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2013-07-03 それでも、生きてゆく♪

EXEIL ATSUSHI×辻井伸行の『それでも、生きてゆく』。


発売直後かな? しばらく前にラジオで聞いて「あっ、これ、いい!」と思った。
ビビッと来る、というのかな。
そういう事ってなかなかなくて……。



(ちなみに、今までそうやってビビッと来たのは
 エレファントカシマシ『心に花を』
 BUMP OF CHICKEN『天体観測』
 和田アキ子の『真夏の夜の23時』の3曲)



以来何度かラジオで聴いたり、ネットで動画見たりして。
ただ、悲しいことに、昔に比べて脳が劣化しているのがありありと分かる。
メロディが(サビですらも)頭に入らない。
歌詞が頭に入らない。
タイトルが頭に入らない。
あの曲好きだ、と思って頭の中で再生しようとしても再生できない!
こんな分かりやすい曲、昔だったら2回も聴けば体に染み付いちゃったのに。



最近は公式HPにブックマークして、時々聴いているので、
メロディとタイトルは覚えられた。歌詞は無理だけど……(爆)



動画は公式サイトにて→ http://exile.jp/ikiteyuku/



辻井伸行のピアノはもちろん、
ATSUSHIの声がいい。うっとり。



初めて聞いたときのイメージは、暗闇。
そこに光がキラキラと……いや、キラキラ光る桜の花びらが舞っている。
私は、音楽を聞いて、画が明確に頭に浮かぶことってあまりないような気がする、んだけど、
この曲は違った。もうはっきりと脳内投影された。



公式サイトに載せられているのより、もう少し私のイメージに近い、
気に入っていた動画があったんだけど、見つからなくなっちゃったorz
公式サイトの動画のATSUSHIには、どうも半被を着せたくなっちゃうんだよ……
お祭りなるとどっからかいっぱい湧いてくるじゃん、こういうとっぽい雰囲気のお兄ちゃん。



自分が学生の時にもしこの曲がリリースされていたら、カラオケで十八番にしたと思う。
歌いまくったねー、たぶん。
男性ボーカルにしてはキーも高めだし。

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L⇔R「KNOCKIN' ON YOUR DOOR」懐かしい! この曲がきっかけで、、L⇔Rに一時期はまってました。 / うつぎ@横から失礼… ( 2013-07-05 00:32 )
ラジオで…っていうとSINGLIKETALKINGの「心のevergreen」ですね。曲名しか解らなくて、数年後に別経路からこのバンドを聞くようになって、この曲にたどり着いたときはかなり感動しました。 / うつぎ ( 2013-07-05 00:27 )
じぇじぇってでちまう!和田アキ子の「真夏の夜の23時」!かっこいいよね。右に同じく、ラジオで聞いてびびっときた。私は、直近だと清水翔太の「366日」あと、ラジオじゃありませんが、最近久々に聞いた「Younger than yesterday」にびびっときた(L⇔R) / 華 ( 2013-07-04 08:11 )
マチルダさん>検索してみます。 / みなみ ( 2013-07-03 00:42 )
わたしは、L⇔R「KNOCKIN' ON YOUR DOOR」でした。最高。 / 町田マチルダ ( 2013-07-03 00:39 )

2013-07-02 あー、居場所だ!

ネット上で、自分の居場所がなくなりつつある。
これだ。これなんだ。最近ネットが加速度的に退屈になってきたのは。



片付けブログは1年間みっちり更新して、他の人との交流もできて、楽しかったけど、
これ以上の更新はちょっと無理かもなぁと思っている。
もともと期間限定のつもりで始めたし。



居場所は自分で探したり、作ったりしないと無いよねー。
ネット上でも、結局、興味が似ていたり、何らかの接点がある人を探さないと
他人と交流する楽しみも持てない。
最近、自分周りのネット上の人間関係もすごく希薄になってきたなと思うのは、結局それが原因だ。
昔はネット友達と共通の話題がいっぱいあったけど(たとえばオフ会したら「楽しかったね」って言い合うし)、
でも、今はそれが少ないんだね。



要するに自分がネット上で何がしたいかってことなんだと思うけど……。
ネットは、ツールとしての機能は十分なのに、
それを存分に使って楽しめていないというもどかしさが常にある、最近。



ま、ここは細々と続けますけどね。
お客は全然来ないけど偏屈マスターが常駐している学生街の喫茶店とゆうことでw

先頭 表紙

2013-07-02 王様の耳はロバの耳

あーしんどいなって時は
ブログとかSNSに完全非公開で記事書くのがけっこういい。
やっぱり、自分の中にあれこれ溜めるのがよくない。
どんな形であれ自分の外にアウトプットすると多少整理がつく。







友の会は、4月から休んでいる。
まだ当分休ませてくださいと言って、会費を数か月分前払いした。
そのことで相当心配されてるっぽい。
信用ないのかね私……いや普通に心配される行動か?
とりあえず今やる気がないのは確か。

引越し前は日中家にいる日はないくらい外で忙しく活動していたけど
今は幼稚園とスーパー以外行ってないw

先頭 表紙

2013-07-02 自分の本名で検索かけると

ふと思い出した……


自分の本名で検索かけると
誰かが書いた小説がトップ表示されるんですよ。
2ページ位の短いやつ。
その登場人物のフルネームが私のフルネームと同じ。
内容、正直へたくそで全然面白くなくって、読むとなんかテンション下がるという……


作者が、登場人物にはこんな名前がいいだろうって考えた名前が
ずばり私の名前なわけですね。作者のセンスがそうなんですね。




余談だけど、



既婚女性ばかりが載っている名簿を眺めると
皆、姓はご主人のものであるにもかかわらず
ミスマッチでどうしようもないフルネームにはなっていなくて
どの名前もそれなりにまとまっている。



子供が生まれると親は一生懸命名前を考えてつけてやるじゃない。
姓と名前の字面や音や、場合によっては字画とかも考えて。


でも、女の人は結婚したら、多くの場合、慣習に従って半自動的に相手の姓に変わって
親が一生懸命考えてつけてくれたフルネームも台無しww


しかも、偶然のように選ばれたその姓と、持ち前の名前が、
それなりに違和感なくまとまっちゃうんだから、
まあ、姓名なんてどうでもいいかもね。

先頭 表紙

2013-06-30 謎が解けた(ような気がする)

子供を作らない約束なのに、子供が欲しいという妻 ご報告
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2013/0625/601642.htm?g=11


発言小町のこのトピックのレスで初めて
「Aセクシャル」「アセクシャル」なる概念があるのを知った。
要するに、恋愛感情&性的指向を持たない人々のことを示す言葉らしい。



常々、思ってはいた。
この世間、特にマスコミが作る情報の大半は(例えばドラマとか映画とか小説とか漫画とかテレビ番組とか)、
人々に恋愛欲と性欲があることが前提とされていて、
そうでない人がいたとしたら面倒だろうな、興味がもてないことばっかりだろうなぁと。
現にそういう人々が存在する……ということか。









★参考サイト

アセクシャル・Aセクシャル・無性愛【恋情無】 10
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/gay/1353955178/
※2ちゃんねるのスレッド。


アセクシャル〜ひとりでみんなと生きていく〜
http://hitorideminna.blog.fc2.com/
※アセクシャルを自認する女性の漫画ブログ。









恋愛感情や性的指向の有無や方向性って人それぞれで
それを分類しようと思えばかなり細分化されるんだね。
なるほど……。


今回、Aセクシャルや、その周辺の(いわゆる性的マイノリティな)カテゴリーを知ったことで
はっ!! と思いついたことがある。
昔の友人で、私と彼女では、どうも異性との交際の仕方が大きく違うみたい……と感じる人がいた。
それはもちろん、というか、多分、異性との交際だけに限ったことではなかったと思う。
その証拠か、私と彼女の共通の友人には、
「2人を見ていると、お互いにお互いを宇宙人のように思っているみたいで面白い」
と言われたことがある。


まあ、私は彼女を宇宙人なんて思ったことはないけれど、
きっと、お互いに、相手のことを、自分とは違うなあ、変わっているなあ、不思議だなあ、
よくわからないなあ、と思っていたのは確かで、
かといってそれが相手や相手の価値観の否定に結びつくことはなかった。
彼女は大事な友人で、親しくしてもらっていた。
共通の要素を持ちながらも、考え方や感覚がかけ離れているところがあって、
それについて話し合うと刺激が多くて、
付き合っていてとても楽しかった。


今回思ったのは、
彼女は、性的指向は持ちながら、恋愛感情は持たないか、
もしくは持っていても希薄だったのではないか? ということだ。
今となっては、本当のところはわからない。
ただ、私の中では、私の中でだけは、そう考えると
彼女の(私にとっては不思議だった)恋愛の仕方が、腑に落ちる。


当時、この考えに至っていれば、私は彼女に直接ずばりと尋ねていたと思う。
なぜ私と彼女の恋愛はこんなに違うのか、
違うのは分かっていても、お互いそこに少なからず興味は持っていて
「なんでだろうね?」と話すことはあっても、
その違いの根拠について、いまいちはっきりとした切り口が掴めなかったので
そこまで深く話せないままだった。


彼女にまた会える日が来るかは分からないけど、もし来たら聞いてみる。かもしれない。

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