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みなみの「さぼのーと」

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★お買い物ブログ 「こんなものを買った」

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2013-07-02 王様の耳はロバの耳
2013-07-02 自分の本名で検索かけると
2013-06-30 謎が解けた(ような気がする)
2013-06-26 私はかなしくあわれむもの
2013-06-26 youtubeで犯罪番組見てみた
2013-06-26 ぴ子、お誕生会
2013-06-25 再読・小林紀晴
2013-06-19 amenomori
2013-06-18 復活途上ー
2013-06-18 ぴ子近況(農家の幼稚園&幼稚園まで散歩)


2013-07-02 王様の耳はロバの耳

あーしんどいなって時は
ブログとかSNSに完全非公開で記事書くのがけっこういい。
やっぱり、自分の中にあれこれ溜めるのがよくない。
どんな形であれ自分の外にアウトプットすると多少整理がつく。







友の会は、4月から休んでいる。
まだ当分休ませてくださいと言って、会費を数か月分前払いした。
そのことで相当心配されてるっぽい。
信用ないのかね私……いや普通に心配される行動か?
とりあえず今やる気がないのは確か。

引越し前は日中家にいる日はないくらい外で忙しく活動していたけど
今は幼稚園とスーパー以外行ってないw

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2013-07-02 自分の本名で検索かけると

ふと思い出した……


自分の本名で検索かけると
誰かが書いた小説がトップ表示されるんですよ。
2ページ位の短いやつ。
その登場人物のフルネームが私のフルネームと同じ。
内容、正直へたくそで全然面白くなくって、読むとなんかテンション下がるという……


作者が、登場人物にはこんな名前がいいだろうって考えた名前が
ずばり私の名前なわけですね。作者のセンスがそうなんですね。




余談だけど、



既婚女性ばかりが載っている名簿を眺めると
皆、姓はご主人のものであるにもかかわらず
ミスマッチでどうしようもないフルネームにはなっていなくて
どの名前もそれなりにまとまっている。



子供が生まれると親は一生懸命名前を考えてつけてやるじゃない。
姓と名前の字面や音や、場合によっては字画とかも考えて。


でも、女の人は結婚したら、多くの場合、慣習に従って半自動的に相手の姓に変わって
親が一生懸命考えてつけてくれたフルネームも台無しww


しかも、偶然のように選ばれたその姓と、持ち前の名前が、
それなりに違和感なくまとまっちゃうんだから、
まあ、姓名なんてどうでもいいかもね。

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2013-06-30 謎が解けた(ような気がする)

子供を作らない約束なのに、子供が欲しいという妻 ご報告
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2013/0625/601642.htm?g=11


発言小町のこのトピックのレスで初めて
「Aセクシャル」「アセクシャル」なる概念があるのを知った。
要するに、恋愛感情&性的指向を持たない人々のことを示す言葉らしい。



常々、思ってはいた。
この世間、特にマスコミが作る情報の大半は(例えばドラマとか映画とか小説とか漫画とかテレビ番組とか)、
人々に恋愛欲と性欲があることが前提とされていて、
そうでない人がいたとしたら面倒だろうな、興味がもてないことばっかりだろうなぁと。
現にそういう人々が存在する……ということか。









★参考サイト

アセクシャル・Aセクシャル・無性愛【恋情無】 10
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/gay/1353955178/
※2ちゃんねるのスレッド。


アセクシャル〜ひとりでみんなと生きていく〜
http://hitorideminna.blog.fc2.com/
※アセクシャルを自認する女性の漫画ブログ。









恋愛感情や性的指向の有無や方向性って人それぞれで
それを分類しようと思えばかなり細分化されるんだね。
なるほど……。


今回、Aセクシャルや、その周辺の(いわゆる性的マイノリティな)カテゴリーを知ったことで
はっ!! と思いついたことがある。
昔の友人で、私と彼女では、どうも異性との交際の仕方が大きく違うみたい……と感じる人がいた。
それはもちろん、というか、多分、異性との交際だけに限ったことではなかったと思う。
その証拠か、私と彼女の共通の友人には、
「2人を見ていると、お互いにお互いを宇宙人のように思っているみたいで面白い」
と言われたことがある。


まあ、私は彼女を宇宙人なんて思ったことはないけれど、
きっと、お互いに、相手のことを、自分とは違うなあ、変わっているなあ、不思議だなあ、
よくわからないなあ、と思っていたのは確かで、
かといってそれが相手や相手の価値観の否定に結びつくことはなかった。
彼女は大事な友人で、親しくしてもらっていた。
共通の要素を持ちながらも、考え方や感覚がかけ離れているところがあって、
それについて話し合うと刺激が多くて、
付き合っていてとても楽しかった。


今回思ったのは、
彼女は、性的指向は持ちながら、恋愛感情は持たないか、
もしくは持っていても希薄だったのではないか? ということだ。
今となっては、本当のところはわからない。
ただ、私の中では、私の中でだけは、そう考えると
彼女の(私にとっては不思議だった)恋愛の仕方が、腑に落ちる。


当時、この考えに至っていれば、私は彼女に直接ずばりと尋ねていたと思う。
なぜ私と彼女の恋愛はこんなに違うのか、
違うのは分かっていても、お互いそこに少なからず興味は持っていて
「なんでだろうね?」と話すことはあっても、
その違いの根拠について、いまいちはっきりとした切り口が掴めなかったので
そこまで深く話せないままだった。


彼女にまた会える日が来るかは分からないけど、もし来たら聞いてみる。かもしれない。

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2013-06-26 私はかなしくあわれむもの

もう何年も前に買って読み、以来家にあることすら忘れていた
小林紀晴の『ASIAN JAPANESE 2』を読んだ。
(1巻は印象が強いので、忘れたことはなかったんだけどね)


20代の小林青年は、ヴェトナムのハノイで、一人の小説家に出会う。
その旅の中で知り合った現地在住の日本人女性が、突然彼にその小説家を引き合わせるのである。



>「明日の朝はどう? グェンさんは、いつも決まったカフェで、毎朝コーヒーを飲んでいるの、
> だからそこに、朝八時半から九時半までの間に行ったらきっと会えるわ」



彼女によると、そのグェン・フィー・ティエップ氏は、
ヴェトナムで新しい文学の流れを作ったと評価されている、絶大な人気を持つ小説家であるとのこと。


>彼の向かいの椅子に座って、まじまじと彼の顔を見ると、正直なところただの人に思えた。
>年は四○代半ばといった風に見えた。
(中略)
>もしかしたら、彼女はグェンさんのことをかなり大袈裟に言っているのだろうかと僕は思った。
>まわりの人も彼に対し、特別な態度を見せていない。
>どう見てもただのおじさんとしか僕には思えなかった。
>もし、ここが日本で、そのなんでもない喫茶店に村上春樹がいたら、こうはいかないだろうと
>いう思いがその裏にあったからだろうか。
>ただ、僕は彼の話を聞いているうちに、彼が有名な作家だろうが、そうでなかろうが
>そんなことには関係なく彼の話に引き込まれた。
>そしてこの人はすごい人なのだと実感としてわかってきた。


小林青年は彼に自分の著書を渡して見てもらう。
そして失礼を承知で、どういう小説を書いているのですかと訊ねる。
すると彼はこう答える。

>「芸術家というものは、例えば私のような小説かも含めてだが、読む人の、
>その人自身の生活や人生を信じさせるような芸術を作らなくてはいけないと私は思っている。
>そして、そうありたい。
>何故なら人間はかなしく、あわれむものだからだ。だから芸術のなぐさめが必要なのだ。
>けっして、芸術が人を惑わすものであってはいけないと思う。
>いまあなたがどんな写真を撮っているか、私にはわかった、だからあなたもそうであると信じたい」


以前この本を読んだ時は、そこまでピンと来なかった。
でも今は違う。
この言葉と、この言葉を身の内に育て発することのできるグエン氏という存在に……
……いや、何といったらいいのかなあ。
思いつく限りのどんな形容をしても表現の陳腐さの方が勝る。


私はかなしくあわれむもの。だから芸術のなぐさめが要る。
私自身の生活や人生を信じられるような、そんな芸術を見つけていこう。
そしてそういう芸術は、時として自分の本棚の中に埋もれ、忘れられているわけだ。







グェン・フィー・ティエップ;

1988年、代表作『退役将軍』が映画化。http://www.city.fukuoka.lg.jp/fu-a/ja/film_archives/detail/264.html
2007年、フランス芸術文化勲章を受賞。

小説を読んでみたい。映画を見てみたい。でもハードル高そう。
ヴェトナムは遠いな、文化的に。

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2013-06-26 youtubeで犯罪番組見てみた

<尼崎変死事件>NHKに抗議…弁護人「番組、予断与える」 (毎日新聞 - 06月26日 07:48)

 兵庫県尼崎市の連続変死事件で、自殺した角田美代子元被告(当時64歳)の親族7被告=殺人罪などで起訴=の弁護人らは25日、事件を取り上げたNHKのテレビ番組が「裁判員になる可能性のある視聴者に予断と偏見を与える」として、報道指針を厳守するよう求める申し入れ書をNHKに郵送したことを明らかにした。番組は9日放送の「NHKスペシャル未解決事件『尼崎殺人死体遺棄事件』」。






この「NHKスペシャル未解決事件」シリーズは、第2弾のオウム真理教を扱ったものを見たけど、クオリティ高かった。
第3弾の尼崎事件のは見ていなかったので、youtubeで探して早速視聴。
この番組から与えられる程度の予断と偏見なら、私はすでに他のニュース番組で与えられていた気がするけど……。



この番組以上に、あっと思ったのが、「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の検証番組。
1989年に放映された番組がyoutubeにupされていた。
http://www.youtube.com/watch?v=ATs-pJWSqf8



20年の時を経てテレビの報道ってこんなに変わったんだ、と思った。
被害者のフルネームに写真、被害者宅や加害者宅の映像、被害者の同級生の涙ながらの弔辞、
顔も隠さず、ボイスチェンジャーも通さずに証言する近隣住人、
顔は隠しているものの特定しようと思えばすぐ特定できそうな未成年の証言者、
学校の緊急懇談会、公式会見ではない取材に応じる学校の教師、
「レイプ」や「性的いたずら」といった直接的な犯罪表現。


今より昔の報道の方が良かったというつもりはないけれど、
今は全部が包み隠されていて、すべてが霧に包まれたようなマイルドさで、
なんだか逆にそれが怖い気もした。

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よっしぃさん>今となっては貴重な映像かも。確かに余計なコメントもなく淡々としてますね。 / みなみ ( 2013-06-28 18:16 )
コンクリート事件の報道は淡々としていますね。これすごい映像ですね。速攻ダウンロードしました。 / よっしぃ ( 2013-06-28 10:39 )

2013-06-26 ぴ子、お誕生会

今日はぴ子の幼稚園のお誕生会に行ってきた。

ホールに全園児が集まって、6月生まれの子を一人ひとりインタビューしたり、歌を歌ったり
先生方のお芝居を見たりと、ここまでは以前通っていた幼稚園とほぼ同じ。
みんなの前に立ったぴ子は、超ニコニコで私に手を振りまくり。よほど嬉しかった様子。


終了後は、クラスで子供たちと一緒におやつ。(今日は午前保育のため)
おやつを食べながら、ぴ子が生まれた時のエピソードを子供たちに話してください、とのことなので
産婦人科でもらったカード(生まれた直後の写真や足型を貼ってある)、
やはり生まれた直後に産婦人科でかぶせてもらった帽子、個体識別用のリストバンド、
へその緒、ベビー服などを子供たちに見せて話をした。
いいね、こういうお誕生会。

もう一人同じクラスに、やはり今月がお誕生日の子(Mちゃん)がいた。
Mちゃんのお母さん曰く「もしかして、産婦人科は○○病院? グッズに見覚えがあるんだけど」。
Mちゃんは6月11日生まれ。ぴ子は6月12日生まれ。
おおっ、同じ病院で1日違い!
ということは、同じ新生児室で2人が一緒に並んでいたり
母同士、廊下ですれ違ったり、絶対してたよね! という話に。
Mちゃんのお兄ちゃんも、同じ病院で生まれていて、けめ子と2ヶ月違いらしく、
お互い知らないだけで、産婦人科のエアロビクスや赤ちゃん体操に
一緒に参加していたことがあったみたい。

まあ、それだけなんだけど(笑)

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2013-06-25 再読・小林紀晴

なんつーか、あれだ、重いね。


ここに何か書こうとしても重い。書きたいものがというか気持ちがというか。
最近元気ないのでしょーがないといえばしょーがない。
一日中、寝ている。



気づくとネット上の友達がどんどん減っている。
ここ10年くらい積極的にネットで友達作りしていないから
まあ減っていく一方なのは当たり前か。
みんな場所を移っていったりネットそのものから離れていったりしてるんだろうな。
友達少ないとあんまり楽しくないね。
かといってどうやって友達増やせばいいのか、やり方を忘れてしまった。
昔はそんなことを考えなくても良かったのだが。







ここしばらく、数年ぶりに、手持ちの小林紀晴の本を読み返していた。5冊ほど。
”小林紀晴”というワードでひまじん内を「けんさくん」すると
5件の記事がヒット。全部自分の書いたもの。
最初の記事が2003年、最後の記事は2005年。
私の世界はある意味で2005年から止まっている。
2005年以来、好きな本も映画も音楽も……そういう世界から全部離れちゃったから。


昔は、小林紀晴の本を、自分とこんなに感性が似ている人がいる!! って
心底から思いながら、驚きながら、読んでいた。
自分がブログを書くようになって、
「自分も同じです!」「自分が思っていながら、言葉にできないことが書かれています!」
みたいな感想をたまにコメントで頂くようになって、
受け取る側としては、そうですか、と割と淡々と思うのだけれど
これが反対に、自分が共感する(コメントする)側だと、すごい興奮するんだよね。
私も経験があるのでわかる。
「自分と同じ人がいた!!!!」みたいな感じで。


私は小林紀晴に激しく共感していた。
でも、今は、「ああ、違うな」と思う。当たり前だけど、この人は自分とは違うなって。
それはつまり、彼の持つすごさが今ようやく分かってきたということかもしれない。



手持ちの本のカバーに印刷されている彼の肖像写真はどれも若く、
ずっとその印象しかなかったから、
つい昨日、彼の最近の写真を検索してびっくりした。
40代半ばだもんね、そりゃ雰囲気も変わるか。



なんとなく、この人に会いたかったなと思う。
できれば年齢ももう少し近く生まれて。
友達の友達の友達みたいなご縁で出逢って、
東京のどこかの居酒屋で一緒に飲みたかった、一度でいいから。

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2013-06-19 amenomori

雨の森に行ってきた


一人で。


いろいろ書きたいけど


とりあえず


蟻の観察が面白かった


とだけ書いておく。


大木の根元に大きな蟻のコロニー。



視界がすべて蟻、蟻、蟻。になったりした。



他の巣もいくつか観察した。



すべて種類の違う蟻が住んでいる。



よく見ていると



当たり前だが



蟻はこんなに小さくとも



一匹一匹がそれぞれに意思を持ち



それに従って行動していることに気づく。



2時間ほど散歩して終了。

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2013-06-18 復活途上ー

今日も、子供たちが園・学校に行っている間、ほとんど何もしなかった。


やったこと

・立花隆『宇宙への帰還』読了(再読)
・石田スイ『東京喰種(トーキョーグール)』4巻読了
・昼食作り(一時帰宅したダンナと食べる)
・昼寝


どんだけやる気なくても読書と昼寝はできる不思議……
昼寝はしたくてしているわけではない。
現実逃避のためにしているので、苦痛ですらある。


しかし、こんな感じでも、数日前に比べるとかなり良くなってきてはいる。
先週に比べると劇的と言って良いかもしれない。
数日前、よそに自分の鬱の現状と原因分析をずらずらと書き連ねてみて
それでだいぶ整理が進んだ。
ひとつひとつ具体策を考えている。


朝はとにかく起きるのが辛いので
その「辛い」という主観にのめりこまないようにして
自分に訪れているその辛さを外側から眺めるようにした。
どのように辛いのか、なぜ辛いのか、具体的にどうすれば辛さを軽減させられるか
考えながら辛さを眺める。


やっぱり、「○○しなくちゃいけない」と思うと起きるのが辛くなる。
起きなくちゃいけない、朝食作らなくちゃいけない、弁当作らなくちゃいけない、
○時までに子供を登校させなくちゃいけない、etc.
「○○しなくちゃいけない」を「○○しよう」に置き換えると
それだけでかなりマシになる。気がする。


とりあえず今日はあまり辛くなく起きられた。
夕方は、子供の面倒を見たり、庭の植物の手入れをするのが結構楽しい。
その時間帯はそういう感覚が出てきて、時間の管理も徐々にできるようになってきたので
これを朝と日中にも拡大していければ良い。


布団の中でまどろんでいる間に、いろいろなことをぼんやりと考えるが、
それがどちらかというとマイナス&ネガティブなイメージを
伴っていることが多いので、
敢えて楽しいことを考えてみる。
心に浮かぶ「楽しいこと」って意外と少ない。


それにしても、鬱だやる気がないと言いながら三度の食事は割とまともに作っているので
自分にしてはすごいなあ。
家族の存在というのはとてもありがたい。

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2013-06-18 ぴ子近況(農家の幼稚園&幼稚園まで散歩)

ぴ子が4月から通っている幼稚園、我が家では「農家の幼稚園」と呼んでいる。

理事長&園長先生夫妻は、幼稚園の敷地内に住んでいて、幼稚園の隣に大きな畑を持っている。
朝、担任の先生方は長靴をはいて園庭を掃き掃除。集めた落ち葉は一輪車で畑の肥場へ。園内はお花がたっぷり。園舎やテラスの日よけは寒冷紗。理事長先生は毎日畑で農作業。
取れた作物は弁当の時間に園児に振舞われる他、時々お持たせにしてくれる。先日は100個ほどレタスを収穫したそうで、レタスだった。早速夕飯でサラダにしていただく。新鮮でおいしい。


毎日欠かさずに(!)発行される園長便りは、B4の用紙にびっしり(!!)手書き。
必ずといっていいほどお天気の話から始まって、その日の保育の様子、週の見通し、農作物の育ち具合などなど。子供のことをよく観察してあり、感心する。
天候の話は、決してどうでもいい世間話として書かれているのではなく、保育と密接に関係しているから必要なのだということがよくわかる。気温や天候によって保育予定や子供の様子が変化する。その点、農作物も子供と同じようだ。今年は少雨で作物に影響が出ているらしい。特にじゃがいもは不作とのこと。


前に通っていた幼稚園は比較的町の中だったので、駐車場が狭かった(一台分のスペースがとにかく狭い。どこより狭い。おかげさまで駐車技術が向上!)。またそのせいで、学年による時差降園だった。母さん仲間で集まると、駐車場や時差降園(時間の間隔の短さや、渋滞したり危険だったり……)に対する不満や、それに関する園の対応についてが、共通の話題としてしょっちゅう出ていた。今度の園では、保護者はその点ストレスフリーなようだ(駐車場が畑の中に何ヶ所もあり、ほぼ止め放題)。今思うと、前の園では、保護者の園に対する不満のうち、結構な部分が時差降園の間隔の短さと駐車場関連だったような気がする……。ハードの差というのは、結構、大きいなと思った。





今日は、父の日参観の振替休日で幼稚園が休みだったので、幼稚園まで歩くとどれくらいかかるのか、ためしにぴ子と歩いてみた。


距離にして2キロほど。いつもは車で数分。最短ルートを選ばなかったことと、ぴ子も遊びながら歩いたこともあって、行きは50分、帰りは40分ほど(実際には2時間ほど歩いた)。
最短ルートは比較的交通量の多い道沿いで、歩いていて面白みはない。そのルートを少し外れると、古くからある住宅街だったり、川沿いの自然たっぷりの道だったりして、本当にのどかで雰囲気が良くて楽しい。住宅街は、田舎なのでどの家も敷地が広く、畑や庭が丁寧に手入れされている。榎の巨木があったり、お寺があったり、戦没者の慰霊塔を見つけたり、散歩しがいがあった。


ぴ子も、通りがかりのおじいさんに飴をもらったり、神社の公園で遊んだり、タニシを見つけたり、川の中の鯉を眺めたり、石を拾ったり、赤いベリーを採ったり、どこかの子が幼稚園の遊具の上に置いていったパールのビーズを見つけたり、とても楽しかったらしい。まだ5歳になったばかり、いろんなことが初めてなんだな〜〜と、改めて思った。
自分とぴ子の運動のためにも、毎朝、歩いて幼稚園まで連れて行ければいいんだけど……さて、できるかなぁ。

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