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みなみの「さぼのーと」

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★お買い物ブログ 「こんなものを買った」

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2013-06-26 私はかなしくあわれむもの
2013-06-26 youtubeで犯罪番組見てみた
2013-06-26 ぴ子、お誕生会
2013-06-25 再読・小林紀晴
2013-06-19 amenomori
2013-06-18 復活途上ー
2013-06-18 ぴ子近況(農家の幼稚園&幼稚園まで散歩)
2013-06-17 けめ子近況(帰宅後のスケジュール)
2013-05-30 プレーンな努力
2013-05-28 簡単に行かないことは、やめろ (その1)


2013-06-26 私はかなしくあわれむもの

もう何年も前に買って読み、以来家にあることすら忘れていた
小林紀晴の『ASIAN JAPANESE 2』を読んだ。
(1巻は印象が強いので、忘れたことはなかったんだけどね)


20代の小林青年は、ヴェトナムのハノイで、一人の小説家に出会う。
その旅の中で知り合った現地在住の日本人女性が、突然彼にその小説家を引き合わせるのである。



>「明日の朝はどう? グェンさんは、いつも決まったカフェで、毎朝コーヒーを飲んでいるの、
> だからそこに、朝八時半から九時半までの間に行ったらきっと会えるわ」



彼女によると、そのグェン・フィー・ティエップ氏は、
ヴェトナムで新しい文学の流れを作ったと評価されている、絶大な人気を持つ小説家であるとのこと。


>彼の向かいの椅子に座って、まじまじと彼の顔を見ると、正直なところただの人に思えた。
>年は四○代半ばといった風に見えた。
(中略)
>もしかしたら、彼女はグェンさんのことをかなり大袈裟に言っているのだろうかと僕は思った。
>まわりの人も彼に対し、特別な態度を見せていない。
>どう見てもただのおじさんとしか僕には思えなかった。
>もし、ここが日本で、そのなんでもない喫茶店に村上春樹がいたら、こうはいかないだろうと
>いう思いがその裏にあったからだろうか。
>ただ、僕は彼の話を聞いているうちに、彼が有名な作家だろうが、そうでなかろうが
>そんなことには関係なく彼の話に引き込まれた。
>そしてこの人はすごい人なのだと実感としてわかってきた。


小林青年は彼に自分の著書を渡して見てもらう。
そして失礼を承知で、どういう小説を書いているのですかと訊ねる。
すると彼はこう答える。

>「芸術家というものは、例えば私のような小説かも含めてだが、読む人の、
>その人自身の生活や人生を信じさせるような芸術を作らなくてはいけないと私は思っている。
>そして、そうありたい。
>何故なら人間はかなしく、あわれむものだからだ。だから芸術のなぐさめが必要なのだ。
>けっして、芸術が人を惑わすものであってはいけないと思う。
>いまあなたがどんな写真を撮っているか、私にはわかった、だからあなたもそうであると信じたい」


以前この本を読んだ時は、そこまでピンと来なかった。
でも今は違う。
この言葉と、この言葉を身の内に育て発することのできるグエン氏という存在に……
……いや、何といったらいいのかなあ。
思いつく限りのどんな形容をしても表現の陳腐さの方が勝る。


私はかなしくあわれむもの。だから芸術のなぐさめが要る。
私自身の生活や人生を信じられるような、そんな芸術を見つけていこう。
そしてそういう芸術は、時として自分の本棚の中に埋もれ、忘れられているわけだ。







グェン・フィー・ティエップ;

1988年、代表作『退役将軍』が映画化。http://www.city.fukuoka.lg.jp/fu-a/ja/film_archives/detail/264.html
2007年、フランス芸術文化勲章を受賞。

小説を読んでみたい。映画を見てみたい。でもハードル高そう。
ヴェトナムは遠いな、文化的に。

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2013-06-26 youtubeで犯罪番組見てみた

<尼崎変死事件>NHKに抗議…弁護人「番組、予断与える」 (毎日新聞 - 06月26日 07:48)

 兵庫県尼崎市の連続変死事件で、自殺した角田美代子元被告(当時64歳)の親族7被告=殺人罪などで起訴=の弁護人らは25日、事件を取り上げたNHKのテレビ番組が「裁判員になる可能性のある視聴者に予断と偏見を与える」として、報道指針を厳守するよう求める申し入れ書をNHKに郵送したことを明らかにした。番組は9日放送の「NHKスペシャル未解決事件『尼崎殺人死体遺棄事件』」。






この「NHKスペシャル未解決事件」シリーズは、第2弾のオウム真理教を扱ったものを見たけど、クオリティ高かった。
第3弾の尼崎事件のは見ていなかったので、youtubeで探して早速視聴。
この番組から与えられる程度の予断と偏見なら、私はすでに他のニュース番組で与えられていた気がするけど……。



この番組以上に、あっと思ったのが、「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の検証番組。
1989年に放映された番組がyoutubeにupされていた。
http://www.youtube.com/watch?v=ATs-pJWSqf8



20年の時を経てテレビの報道ってこんなに変わったんだ、と思った。
被害者のフルネームに写真、被害者宅や加害者宅の映像、被害者の同級生の涙ながらの弔辞、
顔も隠さず、ボイスチェンジャーも通さずに証言する近隣住人、
顔は隠しているものの特定しようと思えばすぐ特定できそうな未成年の証言者、
学校の緊急懇談会、公式会見ではない取材に応じる学校の教師、
「レイプ」や「性的いたずら」といった直接的な犯罪表現。


今より昔の報道の方が良かったというつもりはないけれど、
今は全部が包み隠されていて、すべてが霧に包まれたようなマイルドさで、
なんだか逆にそれが怖い気もした。

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よっしぃさん>今となっては貴重な映像かも。確かに余計なコメントもなく淡々としてますね。 / みなみ ( 2013-06-28 18:16 )
コンクリート事件の報道は淡々としていますね。これすごい映像ですね。速攻ダウンロードしました。 / よっしぃ ( 2013-06-28 10:39 )

2013-06-26 ぴ子、お誕生会

今日はぴ子の幼稚園のお誕生会に行ってきた。

ホールに全園児が集まって、6月生まれの子を一人ひとりインタビューしたり、歌を歌ったり
先生方のお芝居を見たりと、ここまでは以前通っていた幼稚園とほぼ同じ。
みんなの前に立ったぴ子は、超ニコニコで私に手を振りまくり。よほど嬉しかった様子。


終了後は、クラスで子供たちと一緒におやつ。(今日は午前保育のため)
おやつを食べながら、ぴ子が生まれた時のエピソードを子供たちに話してください、とのことなので
産婦人科でもらったカード(生まれた直後の写真や足型を貼ってある)、
やはり生まれた直後に産婦人科でかぶせてもらった帽子、個体識別用のリストバンド、
へその緒、ベビー服などを子供たちに見せて話をした。
いいね、こういうお誕生会。

もう一人同じクラスに、やはり今月がお誕生日の子(Mちゃん)がいた。
Mちゃんのお母さん曰く「もしかして、産婦人科は○○病院? グッズに見覚えがあるんだけど」。
Mちゃんは6月11日生まれ。ぴ子は6月12日生まれ。
おおっ、同じ病院で1日違い!
ということは、同じ新生児室で2人が一緒に並んでいたり
母同士、廊下ですれ違ったり、絶対してたよね! という話に。
Mちゃんのお兄ちゃんも、同じ病院で生まれていて、けめ子と2ヶ月違いらしく、
お互い知らないだけで、産婦人科のエアロビクスや赤ちゃん体操に
一緒に参加していたことがあったみたい。

まあ、それだけなんだけど(笑)

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2013-06-25 再読・小林紀晴

なんつーか、あれだ、重いね。


ここに何か書こうとしても重い。書きたいものがというか気持ちがというか。
最近元気ないのでしょーがないといえばしょーがない。
一日中、寝ている。



気づくとネット上の友達がどんどん減っている。
ここ10年くらい積極的にネットで友達作りしていないから
まあ減っていく一方なのは当たり前か。
みんな場所を移っていったりネットそのものから離れていったりしてるんだろうな。
友達少ないとあんまり楽しくないね。
かといってどうやって友達増やせばいいのか、やり方を忘れてしまった。
昔はそんなことを考えなくても良かったのだが。







ここしばらく、数年ぶりに、手持ちの小林紀晴の本を読み返していた。5冊ほど。
”小林紀晴”というワードでひまじん内を「けんさくん」すると
5件の記事がヒット。全部自分の書いたもの。
最初の記事が2003年、最後の記事は2005年。
私の世界はある意味で2005年から止まっている。
2005年以来、好きな本も映画も音楽も……そういう世界から全部離れちゃったから。


昔は、小林紀晴の本を、自分とこんなに感性が似ている人がいる!! って
心底から思いながら、驚きながら、読んでいた。
自分がブログを書くようになって、
「自分も同じです!」「自分が思っていながら、言葉にできないことが書かれています!」
みたいな感想をたまにコメントで頂くようになって、
受け取る側としては、そうですか、と割と淡々と思うのだけれど
これが反対に、自分が共感する(コメントする)側だと、すごい興奮するんだよね。
私も経験があるのでわかる。
「自分と同じ人がいた!!!!」みたいな感じで。


私は小林紀晴に激しく共感していた。
でも、今は、「ああ、違うな」と思う。当たり前だけど、この人は自分とは違うなって。
それはつまり、彼の持つすごさが今ようやく分かってきたということかもしれない。



手持ちの本のカバーに印刷されている彼の肖像写真はどれも若く、
ずっとその印象しかなかったから、
つい昨日、彼の最近の写真を検索してびっくりした。
40代半ばだもんね、そりゃ雰囲気も変わるか。



なんとなく、この人に会いたかったなと思う。
できれば年齢ももう少し近く生まれて。
友達の友達の友達みたいなご縁で出逢って、
東京のどこかの居酒屋で一緒に飲みたかった、一度でいいから。

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2013-06-19 amenomori

雨の森に行ってきた


一人で。


いろいろ書きたいけど


とりあえず


蟻の観察が面白かった


とだけ書いておく。


大木の根元に大きな蟻のコロニー。



視界がすべて蟻、蟻、蟻。になったりした。



他の巣もいくつか観察した。



すべて種類の違う蟻が住んでいる。



よく見ていると



当たり前だが



蟻はこんなに小さくとも



一匹一匹がそれぞれに意思を持ち



それに従って行動していることに気づく。



2時間ほど散歩して終了。

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2013-06-18 復活途上ー

今日も、子供たちが園・学校に行っている間、ほとんど何もしなかった。


やったこと

・立花隆『宇宙への帰還』読了(再読)
・石田スイ『東京喰種(トーキョーグール)』4巻読了
・昼食作り(一時帰宅したダンナと食べる)
・昼寝


どんだけやる気なくても読書と昼寝はできる不思議……
昼寝はしたくてしているわけではない。
現実逃避のためにしているので、苦痛ですらある。


しかし、こんな感じでも、数日前に比べるとかなり良くなってきてはいる。
先週に比べると劇的と言って良いかもしれない。
数日前、よそに自分の鬱の現状と原因分析をずらずらと書き連ねてみて
それでだいぶ整理が進んだ。
ひとつひとつ具体策を考えている。


朝はとにかく起きるのが辛いので
その「辛い」という主観にのめりこまないようにして
自分に訪れているその辛さを外側から眺めるようにした。
どのように辛いのか、なぜ辛いのか、具体的にどうすれば辛さを軽減させられるか
考えながら辛さを眺める。


やっぱり、「○○しなくちゃいけない」と思うと起きるのが辛くなる。
起きなくちゃいけない、朝食作らなくちゃいけない、弁当作らなくちゃいけない、
○時までに子供を登校させなくちゃいけない、etc.
「○○しなくちゃいけない」を「○○しよう」に置き換えると
それだけでかなりマシになる。気がする。


とりあえず今日はあまり辛くなく起きられた。
夕方は、子供の面倒を見たり、庭の植物の手入れをするのが結構楽しい。
その時間帯はそういう感覚が出てきて、時間の管理も徐々にできるようになってきたので
これを朝と日中にも拡大していければ良い。


布団の中でまどろんでいる間に、いろいろなことをぼんやりと考えるが、
それがどちらかというとマイナス&ネガティブなイメージを
伴っていることが多いので、
敢えて楽しいことを考えてみる。
心に浮かぶ「楽しいこと」って意外と少ない。


それにしても、鬱だやる気がないと言いながら三度の食事は割とまともに作っているので
自分にしてはすごいなあ。
家族の存在というのはとてもありがたい。

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2013-06-18 ぴ子近況(農家の幼稚園&幼稚園まで散歩)

ぴ子が4月から通っている幼稚園、我が家では「農家の幼稚園」と呼んでいる。

理事長&園長先生夫妻は、幼稚園の敷地内に住んでいて、幼稚園の隣に大きな畑を持っている。
朝、担任の先生方は長靴をはいて園庭を掃き掃除。集めた落ち葉は一輪車で畑の肥場へ。園内はお花がたっぷり。園舎やテラスの日よけは寒冷紗。理事長先生は毎日畑で農作業。
取れた作物は弁当の時間に園児に振舞われる他、時々お持たせにしてくれる。先日は100個ほどレタスを収穫したそうで、レタスだった。早速夕飯でサラダにしていただく。新鮮でおいしい。


毎日欠かさずに(!)発行される園長便りは、B4の用紙にびっしり(!!)手書き。
必ずといっていいほどお天気の話から始まって、その日の保育の様子、週の見通し、農作物の育ち具合などなど。子供のことをよく観察してあり、感心する。
天候の話は、決してどうでもいい世間話として書かれているのではなく、保育と密接に関係しているから必要なのだということがよくわかる。気温や天候によって保育予定や子供の様子が変化する。その点、農作物も子供と同じようだ。今年は少雨で作物に影響が出ているらしい。特にじゃがいもは不作とのこと。


前に通っていた幼稚園は比較的町の中だったので、駐車場が狭かった(一台分のスペースがとにかく狭い。どこより狭い。おかげさまで駐車技術が向上!)。またそのせいで、学年による時差降園だった。母さん仲間で集まると、駐車場や時差降園(時間の間隔の短さや、渋滞したり危険だったり……)に対する不満や、それに関する園の対応についてが、共通の話題としてしょっちゅう出ていた。今度の園では、保護者はその点ストレスフリーなようだ(駐車場が畑の中に何ヶ所もあり、ほぼ止め放題)。今思うと、前の園では、保護者の園に対する不満のうち、結構な部分が時差降園の間隔の短さと駐車場関連だったような気がする……。ハードの差というのは、結構、大きいなと思った。





今日は、父の日参観の振替休日で幼稚園が休みだったので、幼稚園まで歩くとどれくらいかかるのか、ためしにぴ子と歩いてみた。


距離にして2キロほど。いつもは車で数分。最短ルートを選ばなかったことと、ぴ子も遊びながら歩いたこともあって、行きは50分、帰りは40分ほど(実際には2時間ほど歩いた)。
最短ルートは比較的交通量の多い道沿いで、歩いていて面白みはない。そのルートを少し外れると、古くからある住宅街だったり、川沿いの自然たっぷりの道だったりして、本当にのどかで雰囲気が良くて楽しい。住宅街は、田舎なのでどの家も敷地が広く、畑や庭が丁寧に手入れされている。榎の巨木があったり、お寺があったり、戦没者の慰霊塔を見つけたり、散歩しがいがあった。


ぴ子も、通りがかりのおじいさんに飴をもらったり、神社の公園で遊んだり、タニシを見つけたり、川の中の鯉を眺めたり、石を拾ったり、赤いベリーを採ったり、どこかの子が幼稚園の遊具の上に置いていったパールのビーズを見つけたり、とても楽しかったらしい。まだ5歳になったばかり、いろんなことが初めてなんだな〜〜と、改めて思った。
自分とぴ子の運動のためにも、毎朝、歩いて幼稚園まで連れて行ければいいんだけど……さて、できるかなぁ。

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2013-06-17 けめ子近況(帰宅後のスケジュール)

最近のけめ子のスケジュール。


6:30 起床
7:30 登校
3:20 帰宅・その日の持ち物の始末と明日の支度
4:00 おやつ・宿題・日記
5:00 自転車の練習、自由遊び


帰宅してからダラダラしがちなので、
5:00までに明日の支度とおやつ、宿題、日記までは絶対に終わらせることにした。
家に帰ってすぐは甘えが出るのか、
とにかく、持ち物の始末と明日の支度に手間がかかる。
ママ手伝って!! とうるさく言ってみたり、ぴ子と喧嘩したり。
まあしょうがない。考えてみたら、まだ学校に通い始めて2ヶ月だもんね……。


宿題は今のところ、ひらがなのプリントと算数のプリントが2〜3枚、
国語の教科書の音読と、1桁の数字の足し算を声に出してやるのを各数回ずつ。
ひらがなや数字の書き方は、
乱雑な字、薄い字、消しゴムで消した後が汚いところ、名前の各文字のバランスの悪さなど
細かく注意してやり直させる。
反発しないのでやりやすい。


日記は今年の1月から書かせているもの。すっかり習慣になった。
学校からは、宿題以外に自主学習をするよう言われているのだけれど、
とりあえずこの日記でいいかな、と考えている。
ひらがなのプリントに比べればかなり乱雑な字で書くけれど
こちらは大目に見ている。
文章だけでなく絵を描いたりする日もあり。
最後に私が赤字でコメントを入れて(けめ子曰く「赤ペン先生」)終了。


5:00からは少し(20分くらい)外で体を動かさせると決めた。
自転車はそれで4日くらい練習したら、乗れるようになった。
(ちなみに昨日初めて乗れた! 本人はかなり嬉しいようで、
 以来自転車に対するモチベーションがかなり高い)
逆上がりがあまり上手ではなく、
1回はなんとかできるけれど、2回目以降ができなくなるので、
「自転車で近くの公園まで行き、鉄棒で5回逆上がりをして帰ってくる」というのを
今後のメニューにするつもり。


外遊びの後は、今日はレモンスカッシュ作り。
誕生日にリクエストされて買ってやったお菓子作りの本があり、
それを見て本人が作りたいと言ったレシピ。
子供と料理したり後片付けしたりするのは
正直かなりイライラするがなんとか頑張ったw


平日はこんな感じで、やるべき事をやらせるだけで5時になってしまう。
何か習い事でもさせたいと思うけれど、
この私の時間管理能力で、習い事を入れると
学校の支度や宿題、日記といったごく基本的なことが
絶対おざなりになってしまい、
寝る直前にあわてて……という感じになってしまうと思うので、
習い事をさせるなら土日かなぁ。

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1600個目の記事をお送りしました! / みなみ ( 2013-06-17 23:45 )

2013-05-30 プレーンな努力

1つ&2つ下の記事を書いて思ったこと。



「努力」って、自分を鼓舞して歯を食いしばって苦しい思いをして、みたいなイメージがあるけど
本来の「努力」という概念には、そういう苦しさというか、ネガティブさは
含まれてはいないんだろうな……と。



だって、苦しくない努力、強いずとも可能な努力、楽しい努力みたいなものだって
あるわけだから。
でも、私にとっては、努力とは苦しく、大変さを伴うもの、というイメージがある。
「努力」そのものと、それに伴う「偏った」イメージがセットされ、一体化して、
「努力自体が苦しく大変なもの」という固定概念になっている。
だから、
「努力」という言葉は嫌いだから、意識して「工夫」と置き換えるようにしていた。



「努力」って実はもっとプレーンなものなんだろうな、って思う。
「努力」に分離しがたく混ぜこまれた苦しさやネガティブさを切り離して、
”努力とはプレーンなもの”と心底思える努力の仕方を、生き方を、私はしたい。

先頭 表紙

でむぼつん>そうそう刷り込み! その刷り込みって少なからずあるよね、やっぱり。で、自分の子供ができないことに対して手伝いしてると(自転車の練習とかw)やっぱり本人が多少嫌がってもやりなさいとか、頑張りなさいって言わざるを得ないわけで……。「苦しく大変なものを敢えてやるからえらい」もあながち100%間違ってはいないだけに、はて? どうやって子供に努力について伝えようか? と思う今日この頃です。 / みなみ ( 2013-06-17 22:46 )
pirucolさん>そういえば学生時代、美術科の友達が「同じ学科の友達の部屋に行ったら、足の踏み場もないくらい部屋中画材だらけで凄かった。部屋ではひたすら絵を描いているらしい」と話してくれたのを思い出しました。で、ふと思ったんだけど、「努力した結果をお金に結ぼうとしちゃうので苦痛が多い」の「ので」に含まれる前提は何でしょうか。世の中には「努力した結果をお金に結ぶのが楽しい」人もいるのかも、思って。 / みなみ ( 2013-06-17 22:37 )
雅さん>うらやましいです。最初から(もしくは早い段階から)私もそういう風に思って生きてこられたら良かったなー。 / みなみ ( 2013-06-17 22:30 )
ちょうど同じような話を為末大さんがしてた。ワシもやっぱり「努力」はつらく苦しく大変なものではないと思う。でも子供の頃から努力は「苦しく大変なものを敢えてやるからえらい」と刷り込まれてきた気がする。 / でむぼ ( 2013-06-17 00:22 )
確かに絵が好きな人が絵を毎日のように描き連ねるのも努力なのだけれど、それはちょっと天才的で大半はやはりネガティブなんでしょうね。僕みたいな凡人では努力した結果をお金に結ぼうとすぐしちゃうので苦痛が多いですわ。確かに本来は努力と苦痛は同じじゃないですね。でも努力を工夫に置きかえれるかなぁ。難しい。 / pirucol ( 2013-06-14 03:11 )
苦しみを伴ったものを私は努力とは言わないな〜。自分が欲しいもの。なりたいものにたどり着くために階段を上っていくように必要なことを積み重ねていくことを「努力」だと思ってます。 / 雅(みやび) ( 2013-06-10 18:36 )

2013-05-28 簡単に行かないことは、やめろ (その1)


しばらく前に、『人生を複雑にしない100の方法』という本を読んだ。
私の好きなブログで紹介されていて、興味を持ったんである。
(読後、バザーに出して処分しちゃったけど)


この本が提案する「人生を複雑にしない方法」の1つに、
「簡単にいかないことは、しないでおく」ということがあった。
(本が手元にないので、正確な言葉で再現することはできないけれど、)
私は、
スムーズにできないことは、結局、
不得手であったり、それに対する適性がなかったり、
何かしら無理や障害のあることなので、
それにこだわってエネルギーや時間を費やすより、思い切って諦めて
スムーズにできる(=得意な)ことをした方がよい。
というような意味に受け取った。


確かにその通りかも、と思った根拠の一端は、
私は、ここにUPしているような駄文を書くのが大好きで、
これだけが本当に唯一得意なんだ、と自覚したことにある。
言い換えれば、それは、
ブログを書いたり、自分の考えや気持ちを文章に書き表したりすることに憧れるけれど、できない。
という人が身近にいると知ったことだった。


特に、私が憧れても手に入れられない音楽的な能力を持っている、
私の尊敬と羨望の対象である友達が、
「ブログを書ける人に憧れる。自分も挑戦してみるけど、2〜3回は頑張って書けても、続けられない」と
話しているのを聞いた時は驚いてしまった。
(私の得意分野がまさにそれであることを彼女は知らない)
お互いがお互いの持っているものに憧れている。
自分にないものに憧れている。


また、私の片付けブログを読んでくれた友達と話していて、
「どうやったらそういう風に、自分の考えや気持ちをうまく書き表せるようになるのか、
 自分は上手にできない」と聞かれたので、
「うまく表現できないと思った時こそが文章が上達するチャンスだから
 そういう機会に巡り会ったら、すぐに諦めないで、
 自分の考えや感情に沿う表現ができるように努力するといいと思う」と答えたのだけれど、
その時、自分が言った「努力」という言葉にはっとした。


私はその努力を努力と思っていない。
自分の考えや感情を文字に表すために試行錯誤することはちっとも苦ではないし、
むしろ楽しみでしかない。
つまり、その点に関しては、私は努力と意識せずにひとりでに努力をすることができる。
そして上達できる。
ただ、これが不得意分野となると、努力するために苦痛がつきまとう。
だから、自分の得意分野に関して、それが不得意な人に
「こういう風に努力するといいよ」と言ったところで
その「努力」が指すものは、自分と相手の間では、乖離していて、異質。



……まあとにかく、事前に、そういう2つの経験とそれに伴う気付きがあったので、
『〜100の方法』の中の「簡単にいかないことは、しないでおく」という項目には
とても説得力を感じた。

先頭 表紙

もも茶さん>はじめまして! あー、それも多分にありますね。やってみたら意外と簡単とか。 / みなみ ( 2013-06-17 22:29 )
難しい思っていることって、 ただめんどくさいだけだったりしますね。 / もも茶@お初です ( 2013-06-08 07:24 )

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