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みなみの「さぼのーと」

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★からだ内観日記(パーソナルトレーニングの記録)★

★お買い物ブログ 「こんなものを買った」

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2013-06-18 復活途上ー
2013-06-18 ぴ子近況(農家の幼稚園&幼稚園まで散歩)
2013-06-17 けめ子近況(帰宅後のスケジュール)
2013-05-30 プレーンな努力
2013-05-28 簡単に行かないことは、やめろ (その1)
2013-05-28 簡単に行かないことは、やめろ (その2)
2013-05-28 シンプルなものを複雑に
2013-05-26 星野道夫著『長い道の途上』
2013-05-23 きんきょーほーこく
2013-04-12 感性に合う土地


2013-06-18 復活途上ー

今日も、子供たちが園・学校に行っている間、ほとんど何もしなかった。


やったこと

・立花隆『宇宙への帰還』読了(再読)
・石田スイ『東京喰種(トーキョーグール)』4巻読了
・昼食作り(一時帰宅したダンナと食べる)
・昼寝


どんだけやる気なくても読書と昼寝はできる不思議……
昼寝はしたくてしているわけではない。
現実逃避のためにしているので、苦痛ですらある。


しかし、こんな感じでも、数日前に比べるとかなり良くなってきてはいる。
先週に比べると劇的と言って良いかもしれない。
数日前、よそに自分の鬱の現状と原因分析をずらずらと書き連ねてみて
それでだいぶ整理が進んだ。
ひとつひとつ具体策を考えている。


朝はとにかく起きるのが辛いので
その「辛い」という主観にのめりこまないようにして
自分に訪れているその辛さを外側から眺めるようにした。
どのように辛いのか、なぜ辛いのか、具体的にどうすれば辛さを軽減させられるか
考えながら辛さを眺める。


やっぱり、「○○しなくちゃいけない」と思うと起きるのが辛くなる。
起きなくちゃいけない、朝食作らなくちゃいけない、弁当作らなくちゃいけない、
○時までに子供を登校させなくちゃいけない、etc.
「○○しなくちゃいけない」を「○○しよう」に置き換えると
それだけでかなりマシになる。気がする。


とりあえず今日はあまり辛くなく起きられた。
夕方は、子供の面倒を見たり、庭の植物の手入れをするのが結構楽しい。
その時間帯はそういう感覚が出てきて、時間の管理も徐々にできるようになってきたので
これを朝と日中にも拡大していければ良い。


布団の中でまどろんでいる間に、いろいろなことをぼんやりと考えるが、
それがどちらかというとマイナス&ネガティブなイメージを
伴っていることが多いので、
敢えて楽しいことを考えてみる。
心に浮かぶ「楽しいこと」って意外と少ない。


それにしても、鬱だやる気がないと言いながら三度の食事は割とまともに作っているので
自分にしてはすごいなあ。
家族の存在というのはとてもありがたい。

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2013-06-18 ぴ子近況(農家の幼稚園&幼稚園まで散歩)

ぴ子が4月から通っている幼稚園、我が家では「農家の幼稚園」と呼んでいる。

理事長&園長先生夫妻は、幼稚園の敷地内に住んでいて、幼稚園の隣に大きな畑を持っている。
朝、担任の先生方は長靴をはいて園庭を掃き掃除。集めた落ち葉は一輪車で畑の肥場へ。園内はお花がたっぷり。園舎やテラスの日よけは寒冷紗。理事長先生は毎日畑で農作業。
取れた作物は弁当の時間に園児に振舞われる他、時々お持たせにしてくれる。先日は100個ほどレタスを収穫したそうで、レタスだった。早速夕飯でサラダにしていただく。新鮮でおいしい。


毎日欠かさずに(!)発行される園長便りは、B4の用紙にびっしり(!!)手書き。
必ずといっていいほどお天気の話から始まって、その日の保育の様子、週の見通し、農作物の育ち具合などなど。子供のことをよく観察してあり、感心する。
天候の話は、決してどうでもいい世間話として書かれているのではなく、保育と密接に関係しているから必要なのだということがよくわかる。気温や天候によって保育予定や子供の様子が変化する。その点、農作物も子供と同じようだ。今年は少雨で作物に影響が出ているらしい。特にじゃがいもは不作とのこと。


前に通っていた幼稚園は比較的町の中だったので、駐車場が狭かった(一台分のスペースがとにかく狭い。どこより狭い。おかげさまで駐車技術が向上!)。またそのせいで、学年による時差降園だった。母さん仲間で集まると、駐車場や時差降園(時間の間隔の短さや、渋滞したり危険だったり……)に対する不満や、それに関する園の対応についてが、共通の話題としてしょっちゅう出ていた。今度の園では、保護者はその点ストレスフリーなようだ(駐車場が畑の中に何ヶ所もあり、ほぼ止め放題)。今思うと、前の園では、保護者の園に対する不満のうち、結構な部分が時差降園の間隔の短さと駐車場関連だったような気がする……。ハードの差というのは、結構、大きいなと思った。





今日は、父の日参観の振替休日で幼稚園が休みだったので、幼稚園まで歩くとどれくらいかかるのか、ためしにぴ子と歩いてみた。


距離にして2キロほど。いつもは車で数分。最短ルートを選ばなかったことと、ぴ子も遊びながら歩いたこともあって、行きは50分、帰りは40分ほど(実際には2時間ほど歩いた)。
最短ルートは比較的交通量の多い道沿いで、歩いていて面白みはない。そのルートを少し外れると、古くからある住宅街だったり、川沿いの自然たっぷりの道だったりして、本当にのどかで雰囲気が良くて楽しい。住宅街は、田舎なのでどの家も敷地が広く、畑や庭が丁寧に手入れされている。榎の巨木があったり、お寺があったり、戦没者の慰霊塔を見つけたり、散歩しがいがあった。


ぴ子も、通りがかりのおじいさんに飴をもらったり、神社の公園で遊んだり、タニシを見つけたり、川の中の鯉を眺めたり、石を拾ったり、赤いベリーを採ったり、どこかの子が幼稚園の遊具の上に置いていったパールのビーズを見つけたり、とても楽しかったらしい。まだ5歳になったばかり、いろんなことが初めてなんだな〜〜と、改めて思った。
自分とぴ子の運動のためにも、毎朝、歩いて幼稚園まで連れて行ければいいんだけど……さて、できるかなぁ。

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2013-06-17 けめ子近況(帰宅後のスケジュール)

最近のけめ子のスケジュール。


6:30 起床
7:30 登校
3:20 帰宅・その日の持ち物の始末と明日の支度
4:00 おやつ・宿題・日記
5:00 自転車の練習、自由遊び


帰宅してからダラダラしがちなので、
5:00までに明日の支度とおやつ、宿題、日記までは絶対に終わらせることにした。
家に帰ってすぐは甘えが出るのか、
とにかく、持ち物の始末と明日の支度に手間がかかる。
ママ手伝って!! とうるさく言ってみたり、ぴ子と喧嘩したり。
まあしょうがない。考えてみたら、まだ学校に通い始めて2ヶ月だもんね……。


宿題は今のところ、ひらがなのプリントと算数のプリントが2〜3枚、
国語の教科書の音読と、1桁の数字の足し算を声に出してやるのを各数回ずつ。
ひらがなや数字の書き方は、
乱雑な字、薄い字、消しゴムで消した後が汚いところ、名前の各文字のバランスの悪さなど
細かく注意してやり直させる。
反発しないのでやりやすい。


日記は今年の1月から書かせているもの。すっかり習慣になった。
学校からは、宿題以外に自主学習をするよう言われているのだけれど、
とりあえずこの日記でいいかな、と考えている。
ひらがなのプリントに比べればかなり乱雑な字で書くけれど
こちらは大目に見ている。
文章だけでなく絵を描いたりする日もあり。
最後に私が赤字でコメントを入れて(けめ子曰く「赤ペン先生」)終了。


5:00からは少し(20分くらい)外で体を動かさせると決めた。
自転車はそれで4日くらい練習したら、乗れるようになった。
(ちなみに昨日初めて乗れた! 本人はかなり嬉しいようで、
 以来自転車に対するモチベーションがかなり高い)
逆上がりがあまり上手ではなく、
1回はなんとかできるけれど、2回目以降ができなくなるので、
「自転車で近くの公園まで行き、鉄棒で5回逆上がりをして帰ってくる」というのを
今後のメニューにするつもり。


外遊びの後は、今日はレモンスカッシュ作り。
誕生日にリクエストされて買ってやったお菓子作りの本があり、
それを見て本人が作りたいと言ったレシピ。
子供と料理したり後片付けしたりするのは
正直かなりイライラするがなんとか頑張ったw


平日はこんな感じで、やるべき事をやらせるだけで5時になってしまう。
何か習い事でもさせたいと思うけれど、
この私の時間管理能力で、習い事を入れると
学校の支度や宿題、日記といったごく基本的なことが
絶対おざなりになってしまい、
寝る直前にあわてて……という感じになってしまうと思うので、
習い事をさせるなら土日かなぁ。

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1600個目の記事をお送りしました! / みなみ ( 2013-06-17 23:45 )

2013-05-30 プレーンな努力

1つ&2つ下の記事を書いて思ったこと。



「努力」って、自分を鼓舞して歯を食いしばって苦しい思いをして、みたいなイメージがあるけど
本来の「努力」という概念には、そういう苦しさというか、ネガティブさは
含まれてはいないんだろうな……と。



だって、苦しくない努力、強いずとも可能な努力、楽しい努力みたいなものだって
あるわけだから。
でも、私にとっては、努力とは苦しく、大変さを伴うもの、というイメージがある。
「努力」そのものと、それに伴う「偏った」イメージがセットされ、一体化して、
「努力自体が苦しく大変なもの」という固定概念になっている。
だから、
「努力」という言葉は嫌いだから、意識して「工夫」と置き換えるようにしていた。



「努力」って実はもっとプレーンなものなんだろうな、って思う。
「努力」に分離しがたく混ぜこまれた苦しさやネガティブさを切り離して、
”努力とはプレーンなもの”と心底思える努力の仕方を、生き方を、私はしたい。

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でむぼつん>そうそう刷り込み! その刷り込みって少なからずあるよね、やっぱり。で、自分の子供ができないことに対して手伝いしてると(自転車の練習とかw)やっぱり本人が多少嫌がってもやりなさいとか、頑張りなさいって言わざるを得ないわけで……。「苦しく大変なものを敢えてやるからえらい」もあながち100%間違ってはいないだけに、はて? どうやって子供に努力について伝えようか? と思う今日この頃です。 / みなみ ( 2013-06-17 22:46 )
pirucolさん>そういえば学生時代、美術科の友達が「同じ学科の友達の部屋に行ったら、足の踏み場もないくらい部屋中画材だらけで凄かった。部屋ではひたすら絵を描いているらしい」と話してくれたのを思い出しました。で、ふと思ったんだけど、「努力した結果をお金に結ぼうとしちゃうので苦痛が多い」の「ので」に含まれる前提は何でしょうか。世の中には「努力した結果をお金に結ぶのが楽しい」人もいるのかも、思って。 / みなみ ( 2013-06-17 22:37 )
雅さん>うらやましいです。最初から(もしくは早い段階から)私もそういう風に思って生きてこられたら良かったなー。 / みなみ ( 2013-06-17 22:30 )
ちょうど同じような話を為末大さんがしてた。ワシもやっぱり「努力」はつらく苦しく大変なものではないと思う。でも子供の頃から努力は「苦しく大変なものを敢えてやるからえらい」と刷り込まれてきた気がする。 / でむぼ ( 2013-06-17 00:22 )
確かに絵が好きな人が絵を毎日のように描き連ねるのも努力なのだけれど、それはちょっと天才的で大半はやはりネガティブなんでしょうね。僕みたいな凡人では努力した結果をお金に結ぼうとすぐしちゃうので苦痛が多いですわ。確かに本来は努力と苦痛は同じじゃないですね。でも努力を工夫に置きかえれるかなぁ。難しい。 / pirucol ( 2013-06-14 03:11 )
苦しみを伴ったものを私は努力とは言わないな〜。自分が欲しいもの。なりたいものにたどり着くために階段を上っていくように必要なことを積み重ねていくことを「努力」だと思ってます。 / 雅(みやび) ( 2013-06-10 18:36 )

2013-05-28 簡単に行かないことは、やめろ (その1)


しばらく前に、『人生を複雑にしない100の方法』という本を読んだ。
私の好きなブログで紹介されていて、興味を持ったんである。
(読後、バザーに出して処分しちゃったけど)


この本が提案する「人生を複雑にしない方法」の1つに、
「簡単にいかないことは、しないでおく」ということがあった。
(本が手元にないので、正確な言葉で再現することはできないけれど、)
私は、
スムーズにできないことは、結局、
不得手であったり、それに対する適性がなかったり、
何かしら無理や障害のあることなので、
それにこだわってエネルギーや時間を費やすより、思い切って諦めて
スムーズにできる(=得意な)ことをした方がよい。
というような意味に受け取った。


確かにその通りかも、と思った根拠の一端は、
私は、ここにUPしているような駄文を書くのが大好きで、
これだけが本当に唯一得意なんだ、と自覚したことにある。
言い換えれば、それは、
ブログを書いたり、自分の考えや気持ちを文章に書き表したりすることに憧れるけれど、できない。
という人が身近にいると知ったことだった。


特に、私が憧れても手に入れられない音楽的な能力を持っている、
私の尊敬と羨望の対象である友達が、
「ブログを書ける人に憧れる。自分も挑戦してみるけど、2〜3回は頑張って書けても、続けられない」と
話しているのを聞いた時は驚いてしまった。
(私の得意分野がまさにそれであることを彼女は知らない)
お互いがお互いの持っているものに憧れている。
自分にないものに憧れている。


また、私の片付けブログを読んでくれた友達と話していて、
「どうやったらそういう風に、自分の考えや気持ちをうまく書き表せるようになるのか、
 自分は上手にできない」と聞かれたので、
「うまく表現できないと思った時こそが文章が上達するチャンスだから
 そういう機会に巡り会ったら、すぐに諦めないで、
 自分の考えや感情に沿う表現ができるように努力するといいと思う」と答えたのだけれど、
その時、自分が言った「努力」という言葉にはっとした。


私はその努力を努力と思っていない。
自分の考えや感情を文字に表すために試行錯誤することはちっとも苦ではないし、
むしろ楽しみでしかない。
つまり、その点に関しては、私は努力と意識せずにひとりでに努力をすることができる。
そして上達できる。
ただ、これが不得意分野となると、努力するために苦痛がつきまとう。
だから、自分の得意分野に関して、それが不得意な人に
「こういう風に努力するといいよ」と言ったところで
その「努力」が指すものは、自分と相手の間では、乖離していて、異質。



……まあとにかく、事前に、そういう2つの経験とそれに伴う気付きがあったので、
『〜100の方法』の中の「簡単にいかないことは、しないでおく」という項目には
とても説得力を感じた。

先頭 表紙

もも茶さん>はじめまして! あー、それも多分にありますね。やってみたら意外と簡単とか。 / みなみ ( 2013-06-17 22:29 )
難しい思っていることって、 ただめんどくさいだけだったりしますね。 / もも茶@お初です ( 2013-06-08 07:24 )

2013-05-28 簡単に行かないことは、やめろ (その2)

私の2人の友達は、自分の生活や考えや気持ちを文章で上手に表現するということに憧れているけれど、
スムーズにそれを実現できない、という。
彼女たちがその憧れを実現するためには、きっと、それに向けて努力するための努力が必要なのだろう。



私にとっての「努力するための努力が必要なもの」は、楽器だった。



振り返ると、
ただ単純に、楽器を演奏するのが楽しいから、面白いから、という理由で、私は楽器を続けてこられなかった。
常に、努力するための努力や、楽しむための努力が必要だった気がする。
まるで修行のような気持ちでやっていた時期もあった。
たぶん、どこかに無理があったから……。
最近はっきりと自覚したが、楽器全般、自分にはあまり向いていなかったと思う。
この結論に至るまで30年以上かかってしまった。長かった。
私の触れた楽器は、エレクトーン、ピアノ、オーボエ、それくらいしかないけれども
(ギターもやりたかったが、ほとんど始める前にやめた。病気で手が動かなかったので)
どれも中途半端で続けられなかった。
続けられなかったということはつまりそういうことなんだと思う。




楽器が演奏できるようになりたい、
楽器に触れている自分でありたい。
それも間違いなく私の願いではあったのだろうけれど
なんだか……呪縛だったのかもね。自分で自分にかけていた呪縛。
ダラダラとではあるけれども直近まで続けていたオーボエもやめることにした。
きっかけはあったけれども、その決断自体は、たいしたものではなかったというか
自然にあっさりと決断できた。
未練は、最初ちょっとあるかなと思ったけど、すぐになくなった。
今のところはない。たぶん反動は来ないと思う。
今は特に吹きたいと感じないから離れる。また吹きたくなったらその時吹けばいい。
趣味の分野でくらい、自分が真に求めてやまないものは何なのか
しっかり見極めたらいい、
それだけにエネルギーを注いだらいい。



というわけで、断捨離。
憧れも、場合によっては、執着となりうるから、
そうなってるかも、と思ったら、いったん捨てて離れて、ってすればいいよね。

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秋さん>いやいやそんなw まだ30代なのにこんなにとっとあれこれ手を引いちゃってどうするとも思ってますww 世襲で自分に合うものに出会えたらかなり幸せですよね。そういう人が世間で脚光を浴びますが、世襲で環境がばっちりでも合わずに辞めてしまう人も多いんだろうなあ。 / みなみ ( 2013-06-17 22:28 )
そ〜んな若いうちから見極められてたら、ますますみなみちゃんに嫉妬しちゃいます。この年になってやっと絞れてきました。でも歌舞技とか演奏家などを見てると、早くに出会った場合は続けられることこそが才能なのかなぁって思います。 / 秋 ( 2013-05-31 15:13 )
killicoさん>そう、「好きこそものの上手なれ」! この文字数で真実を的確に言い表している……すごい諺ですよね。このあたりのことを考えていると、人は本当にみんなそれぞれだって、本当にしみじみ思います。 / みなみ ( 2013-05-30 17:17 )
生まれつきお腹が弱い、甘いものが好き等 人それぞれに得意不得意、得手苦手、体質、価値観、優先順位いろいろあるのだと思います。好きなものこそ上手なれ、とはよく言ったものですよね。 / killico ( 2013-05-28 22:37 )

2013-05-28 シンプルなものを複雑に

友達Aさんが、デロンギのオイルヒーターを処分しようかどうしようかと話していた。
あれ、本体が高いのに加えて、めちゃくちゃ電気代かかるんだよね。
うちにもあるけど、買ったの後悔してる。
ふんわりした暖かさでとても気持ちいいし、本体が熱くならないので
赤ちゃんがいる時には安心なんだけど、なにしろランニングコストが高すぎる。
周囲に、デロンギヒーター持ってるけど死蔵している、という人が自分以外にも含め数人いる。
デロンギ、商売上手いよ……。っていうか、やられたっていう感じ。
もっとよく調べて買えば良かった。



Aさんは、他の友達Bさん(私も友達)にずっとそのヒーターを貸しているそうで、
Bさんは気に入っているみたいだから、買ってもらえないか聞いてみようかと迷っている、という。
Aさんの家はすでに全室暖房完備で、そのヒーターがなくてもいいそうなので、
私や、その場にいたCさんは、「売っちゃえ売っちゃえ」派。



Aさんのそのヒーターは、お姉さんから出産祝いにもらったお金で買ったらしい。
Aさんは、Bさんにヒーターを売ったお金で子供に服でも買ってあげればいいかなあ、と言う。
私は、その気持ちはもちろんわかるし、否定はしないけれど、
シンプルなことを自ら複雑にするのって、こういうことなのかもと思った。
お祝いのお金で買ったヒーターが自分のニーズにぴったり合わず
期待していたほど使い切れなかった罪悪感を、
別の形にして補おうとするということ。
それにエネルギーを費やすこと。




お祝いをもらいました。
それで、自分が良いと思ったヒーターを買いました。
子供が赤ちゃんのうちは十分活用しました。
でもずっと使い続けるにはコストが高すぎました。
残念だけど、物としてはニーズに合わず不要なので処分しました。
終了。



で、いいんじゃないか。(とAさんに言ってみた)





お祝いのお金や物は、いただいた時点で、気持ちをありがたく受け取って(もちろん御礼はして)、
後は純粋にお金として・物として、自分が最善だと思う方法で使い、
もしそれが失敗してしまったとしたら、



申し訳ないけど、失敗しちゃったな、次は失敗しないようにしよう、と反省して、
それでいいんじゃないかと思うです。

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2013-05-26 星野道夫著『長い道の途上』

旧友に貸してもらった
星野道夫著『長い道の途上』を読んだ。



この本を開いている間は
普段とは別の時間が流れるよう。



あと20年早く読みたかった。
世の中にはこういう世界があり、
こういう生き方をしている人がいることをもっと早く知りたかった。
彼の書いた他の本や写真集も読んでみたい。



>子供のころに見た風景が、ずっと心の中に残ることがある。
>いつか大人になり、さまざまな人生の岐路に立ったとき、
>人の言葉でなく、いつか見た風景に励まされたり、
>勇気を与えられたりすることがきっとある。

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2013-05-23 きんきょーほーこく

GWに引っ越しました。


2〜3日後に引越し業者が見積もりに来るという日の朝、
「おう、今からトラック持って行くから!」と義父から電話があり、
2時間後、トラックと自家用車に分乗した
義父母・義弟夫妻・甥っ子1〜3号(けめぴこ遊び要員?)が到着。
怒涛の自力引越し開始。ひぃぃぃ。



新居は、隣接する県道の騒音や振動が想像以上にひどく、
(大型トラック・トレーラーもたくさん通る。道路と家とは2メートル程度)
24時間その騒音から逃れられないので
そのうちノイローゼになるのではと思いましたが
(実際、家にいてもいなくても四六時中騒音のことばかり考えていた)
3週間経ってだいぶ慣れてきました。
数日前、遊びに来てくれた友達(静かな住宅街在住)が
「私は騒音のあるところで育ったからこれくらい音がある方が落ち着く。
 自分の家は静か過ぎて落ち着かない」と言っていて
そんな人もいるのか、とびっくりし
なんとなくそれ以来、前ほど騒音が気にならなくなった気もします。



騒音そのものや、カーテンや窓をあまり開けられない(騒音や視線が入る)ことを除けば
新しい家は非常に快適で、
注文住宅の間取りと最新の住宅設備はすごい!! と感心しています。
何しろ今まで築数十年の古い社宅住まいだったものでーー。
離れてみてわかるあの不便さ。
もう社宅には戻れない……。
(設備や間取りは別として社宅での生活そのものは好きでした。)



旧居の掃除はかなり大変でした。一週間ほど毎日通いました。
(その割に、会社の退去立会い点検はものすごくゆるくて、
 こんなに一生懸命掃除する必要なかったかもと思った)
引越し前に、子供を連れて行った床屋で松居一代の掃除の本を読んだところ
「一見普通に見える家でも掃除してみるとものすごく汚い」と書いてあったのですが
実際に引越しの後の掃除をしてみると、その意味がよくわかりました。
(普段、自分の家が「普通」のレベルで掃除されてたとはそもそも思ってないけど)
でもま、
【家具周り】 【水周り】 【窓周り】 【コンロ周り】
日々、この4つを押さえておけば、後の掃除は大したことないかなーーー。
と後々の参考にいたしました。



市内にもかかわらず、引越しはやはりとても大変でした。
引越しが一段落した頃に鬱になるだろうと予測していましたが
案の定、引っ越し鬱というか、五月病な感じになり、
最近は、子どもの送迎と食料の買出し以外は、最低限(以下)の家事だけして
後は引きこもり、家でゴロゴロしています。(堂々とw)
3月下旬以降ずっと悩まされていた、ひどい手荒れと右瞼の痙攣
(原因は間違いなく、引越しその他の精神的・物理的ストレス)はかなり治まってきました。
完治まであと2、3歩というところ。



けめぴこは元気に新しい小学校&幼稚園に通っています。
楽しそうです。
私は、引越しを機に、それまでやっていた活動はすべて休んだり辞めたりしましたーーー。
また動きたくなった時に動けばいいやってことでw リセットリセット。
前の幼稚園のコーラスだけは、今月末の新入部員勧誘が最後に参加できる行事になるので
練習&本番に行くつもり。歌うの楽しみ(^_^) 合唱はまたどこかでやりたいな。

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2013-04-12 感性に合う土地

今度引っ越す予定のところは、同じ市内でも郊外になり
今住んでいる所より田舎。


散歩をすると、家々に、広い庭がある。畑がある。
今の季節は、色とりどりの花や緑がとてもきれい。
芝桜とムスカリが色鮮やかにみっしり植えられた花壇とか
葱坊主の並んだ畑とか、見ていてとても楽しい。


10分ほど歩くと、その間に、
庭いじりをしている、定年退職したと思われるお父さんたちを
3〜4人は見かける。



家々はみなそれぞれによく手入れされている。
大きくて立派な家もたくさんあるけれど、
街なかのそういう家のように、威圧感がない。
そこが不思議なところ。
田舎の立派な家は、瓦と漆喰でできた、クラシックな家。
それと、広い庭と倉庫(耕運機が置いてある)、という感じ。
高い塀で囲まれていても、門から中が見える。
街なかの立派な家はどうしてあんなに威圧感があるんだろう。
高価そうなタイル張りの塀や、ガレージに囲まれて
豪華だけど、他人を拒絶するような、冷たい雰囲気の家が多い。気がする。



小学校への通学路の途中には、神社がある。
その前には馬頭観音がある。言葉では言い表せない風情がある。
まるで飯野農夫也の世界。
美しい。何気ない風景だけれど、本当に美しい。
飯野農夫也は私の育ったところの郷土画家。
(私の祖父は学校の美術部で彼の後輩。
 祖父、祖母、母は飯野さんとお付き合いがあったようだ)


私はここに住むことにして良かったんだろうな、と思う。
今住んでいる町も、住みやすいところだけど、
もうちょっとコンクリートやアスファルトが多くて、
家々の庭も狭くて、これほどには散歩を楽しめる雰囲気じゃないのよね。



今、家を建てている土地を買うまでに、2年ほど探したのだけれど、
一番最初に「このあたりの感じがいいね」とダンナと話した地域、
結局、そのあたりの土地を買うことになった。
要するに、お互いが生まれ育った町(別々だけど)と、ここは似ているのだと思う。
幼い頃から自然と叩き込まれた感性が、ここを選んだ。
多分後悔はしないだろうと思う。

先頭 表紙

秋さん>なるほど。私は逆に、いかにも関東平野〜〜っていうところで育ったので、山=旅先、と感じます(笑)。 / みなみ ( 2013-05-23 20:49 )
みぴたんさん>そうですね♪ 前のところは8年住んでいたので、周囲に友達も多かったし、スーパーなんかに行くと店内や行き帰りの道で、かなりの確率で知り合いに会ったりしていたのですが(そもそもお店の人も顔なじみ)、新しいところでは当然そうもいかず……。淋しいなとも思いますがこれからかな。頑張ります☆ / みなみ ( 2013-05-23 20:48 )
本当にそうだと思います。後悔なく幸せな暮らしが待っていますよ、きっと! 私は山の中に育ったので家の前に山がないとダメ!と思っていたので山の中です(笑)。 / ( 2013-04-13 17:54 )
新しい土地での素敵な出会いや経験も楽しみですね^^ 住んでみて益々『ここに越して良かった〜』と思えると良いですね! / みぴたん ( 2013-04-13 12:46 )

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