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みなみの「さぼのーと」

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★お買い物ブログ 「こんなものを買った」

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2019-04-22 けめぴこ近況
2019-04-12 儀式について・「禊の旅」
2019-04-12 ピアッシング。
2019-04-05 春休み。
2019-03-17 電撃的な経験 依存から自立へ
2019-03-13 自分の長所を20個あげてみた
2019-03-13 もうすぐ18年
2019-02-13 愛って何かな(プラグとコンセント篇)
2019-02-09 twitter
2019-01-17 亡くなった先生と、フレディ・マーキュリー 映画『ボヘミアン・ラプソディ』


2019-04-22 けめぴこ近況

時々は日記を書いておかないとね、ということで。

この春はけめ子が中学に入学しました。
もう「女の子」から「娘さん」になってきましたね。
私も中学生の母かーーー。早いなぁ。

本人が、5年生の秋ごろに
公立中学を受験したいと言い出して、
春休みから1年間頑張って通塾していましたが
(そして私も送迎など頑張ってましたがw)
残念ながら落ちました。

受験の日、塾の先生方が
中学校の校門の前で
横断幕を持って応援してくれていて、感動しました。
朝早いのに。

倍率5倍の難関でした。
同じ小学校から受験した
同じ塾の子3人は、全員不合格。( ノД`)シクシク…
隣の塾に通っていた3人は全員合格。

うーん、塾選び間違ったか?

んまー、こんなこともありますわね。
最初に両方の塾に行かせて、
本人が「こっちの方が楽しい」と言った方に
通わせたので、まぁいいか……。

地元の中学は近いし、友達がたくさんいるし、
親の私も知り合いがいるしで、
これはこれでよかったです。

入りたい部活も決まったみたいで。
楽しそうです。





ぴ子は5年生になりました。
妖精みたいな子です。
可憐なやつじゃなくて、
ちっちゃい緑のおじさん系?

家のあちこちに、ケサランパサラン
(鼻をかんで丸めたティッシュ)を生み(放置し)、
鼻血をふりまいて歩いています。
(そこらへんの床に落ちてる)

アレルギーなのか? 心配です。
ダンナが耳鼻科に連れて行く約束なんだけど、
早く連れて行ってくれー。

幼い頃の癒し系の面影はどこへやら、
よく、「シャーーーーッ!!!」と
威嚇されます。
荒ぶる魂の猫です。

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2019-04-12 儀式について・「禊の旅」

「儀式」というのは、
自分で、自分の道に
マイルストーンを置くことです。

儀式の内容は、なんでもいい。
小さなことでかまいません。
ただし、
自分が心からやりたいことである
必要があります。

儀式をきっかけに
自分の行動や、心の持ち方を変えます。
これも、小さな変化でいい。
しかし、確実に変える必要があります。

儀式は、
自分のこれまでの生き方と、
自分のこれからの生き方を変えて、
新たなステージに移行するための
ものなのですから。

どんな色の、
どんな形の、
どんな大きさの石にするか。
それをいつ置くか。
すべて自分で自由に決めます。
心のままに。

石を置く時を決めたら、
それまでは、今までの生き方をします。
それを自分に許して、自分を甘えさせます。

そして儀式をきっかけに、
それを変えます。





2月6日にした儀式は、「禊の旅」。

5時に起きて、風呂に入り、
きちんとお化粧をして、
気に入ったものだけを身につけました。
新しいバッグを下ろして、
その中にも、気に入ったものだけを入れました。
ボールペン一本、
ハンカチ一枚に至るまで。

車に乗ってから、
車内のそうじと洗車もしておけばよかったなと
思いました。
そこまでの時間はなかったので、
席に積んであった荷物をトランクに片付けて
出発しました。

そして、高速に乗り、地元へ。

小学校以来の友人に付き合ってもらって、
更地になった実家と、
子供のころ通った小学校と、
実家から車で40〜50分のところにある
大きな神社に行きました。

長年私を悩ませた実家が
きれいにさっぱりなくなった。
それを、友人と一緒に確認して。
隣の家の夫妻(私の幼馴染の両親)とも
立ち話をして。

通学路と、小学校の構内を
当時と今との違いを確認しながら、
いろいろな思い出を語らいつつ、散歩して。

神社では、
大きな注連縄と、
神秘的な天井画の下で祈って。
良く晴れた、まだ浅い春の境内を散策して。
大切な人たちのために
お土産やお守りを買って。

レストランで昼食をとって、
その後、地元に戻って、
23時までファミレスでおしゃべり。
深い哲学的な話になりました。

彼女に話したかったことを話すために
自分の中のブロックを外すのが少し大変でした。
でも、それができて
なりたい自分に一歩近づけたと思う。

ファミレスを出て、
自分の車のある実家まで送ってもらい、
それでもまだ話は尽きずに、
車内で1時間くらい話をしました。

深夜0時、私はようやく帰路へ。
家に着いたの、午前2時(笑)





不思議なことに気付きました。
儀式をすると決めると、
自然と、そのように導かれていくのです。

そして、儀式には、
意識するにせよ、しないにせよ、
誰かが必ず力を添えてくれるのです。

「禊の旅」には、
友人の手伝いをお願いしました。
しかし、それ以外にも、
実家を更地にしてくれた弟がいてこそ
私は「禊の旅」に出られたわけです。

自己変容・自己改革は、
自分一人でできるものではない。
そう思います。





私は、「禊の旅」をきっかけに、
「アダルトチルドレンの自分」から
卒業しました。

これまでの自分に区切りをつけて、
これからの自分に目を向けました。

Twitterでたくさんフォローしていた、
うつ病・毒親・アダルトチルドレン関係の
アカウントも、
ほとんど全部フォロー解除したの。
タイムラインが
とっても軽やかな雰囲気になりました。

4月9日の儀式についても
もう少し整理がついたら、
書きたいと思います。

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2019-04-12 ピアッシング。

あの日は、仕事でした。
深い溝に片足を突っ込んで、踏ん張って作業していたら
ズボンの内股が30センチくらいぱっくり裂けてしまって。
夕方には東の空に淡い虹が出ました。
夜にはびっくりするメールが届きました。

それから丸1年後の、4月9日。
初めてピアスホールを開けました。
お洒落のためもあるけど、
それ以上に、「儀式」としてね。

最近、
自分を変えるための
「儀式(マイルストーン)」を
意識して設定するようにしているのです。
詳しい話は、またいずれ。




イヤリングは、
片方の耳が必ず痛くなるし、
そちら側のイヤリングがいつも落ちてしまうんです。

弟の結婚式と、
次女の七五三と、
2回連続で同じ大事なイヤリングをつけました。
そうしたら、2回とも落としてしまって。

結婚式の時は、式場に頼んだら
スタッフ全員がインカムで即時に情報共有してくれて、
すぐに見つけてもらえましたが、
七五三の時は、神社で落としてしまったみたいで
なくなっていまいました。

その時、ピアスにしようとつくづく思った。
あれから3年も経ったんだな。





ピアスホールを空けるために
初めて美容外科へ行ったのだけれど、
なんというか、独特の雰囲気でしたねぇ。

医師の診察・施術の前に
美容コンシェルジェと称する女性が
いろいろ説明してくれるんですが、
彼女の目元が凄かった。
きっと整形しているのでしょう。
エジプトの壁画みたいな、
ド迫力の目ヂカラでした。

美容整形は、
心と身体の健康に支障のない範囲なら、
なんでもアリだと思います。





ピアッシングは怖かったです。
本当に、
耳たぶにホッチキスを打ち込む感覚なんだね。
思ったより痛かったし。
手のひらに脂汗をかきました。

こんなこと、みんな、よくやるなぁと思った(笑)

ピアスホールが安定するのが楽しみです。
自分でも、アクセサリーを作っているので。
すでに完成している自作のピアスをするのが夢です。

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2019-04-05 春休み。

この業界は、例年3月下旬〜4月上旬はお仕事がありません。
というわけで春休み中です。
4月になっても仕事があるかどうかはわからない、
と言われてましたが
どうやら仕事自体はあるみたい。
でも連絡来るのはぎりぎりだろうなぁ。
というわけでのんびり過ごしてます。

何か、単発で他の仕事を探そうかなーと思ったんだけど。
日々何かしらやることはあるし、
やることない日はゴロゴロ寝て充電してると
あっという間だから、まーいーか。
お金は欲しいけど。。

3月31日は長女の卒業旅行に、仲良し母子4人でディズニーシーへ。
4月1日は育成会の資料の組み込み。
4月2日は小学校からの友人Rと宝塚歌劇『20世紀号に乗って』を観劇。
渋谷のシアターオーブにて。
楽しかったです!

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2019-03-17 電撃的な経験 依存から自立へ

2月に、大きな、精神的な変化がありました。

それが訪れたのは、
職場の昼休みだったんですけども。

つらいことで心の中がいっぱいで、
その日は朝からずっと泣いていました。
仕事中、顔を隠せるので、
泣いていても他の人からはわからないんです。
たぶんw

でも、やっぱり上の空だったので
休憩中に「魂抜けてるよ」
なんて心配されてました。

で、昼休みは車の中で泣いていたのです。
そこで、母のことを考えた。
本当につらくて、母に助けてほしいと思った。

今までの母に対するわだかまり、
自分なりに整理がついていたと
考えていたわだかまりが、
ある意味、
究極の場所まで行ったのだと思います。

おかあさん、おかあさんと
声を上げて泣きました。

母には母の、
私に対する愛があって、
私にも母への
愛があったんだなぁと思いました。

そしたら、パッと
悩みに対する考え方が変わったんです!
黒から白へ、
まるで、オセロの駒をひっくりかえすみたいに。
「あれっ? こう考えたらいいじゃん?」って。
とっても心が軽く、明るくなりました。

ちょうど、昼休みが終わる時間だったので、
トイレに行きました。
そうしたら、生理がはじまりかけてた。

あっ、落ち込んでいたのは、
このせいもあったのかーってw

午後は、晴れ晴れとした気持ちで
仕事できました。
午前中に「魂抜けてるね」と心配してくれた人も
「あれ? 元気になったね」って。


とっても不思議な経験でした。


それ以来、
自分ががらりと変わってしまったんですよね。
長年のパイプの詰まりが取れたみたいです。
周囲に依存せず、
しっかり自立できるようになったと思います。


私の毒親・アダルトチルドレン問題にも
ようやく終止符が打てたみたいです。

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雅さん>こればっかりはねー。自分のペースで良いのでしょうね。相手の生死はあまり関係ない気がしますよ。 / みなみ ( 2019-04-05 19:47 )
おめでとう!お母様が生きていらっしゃるうちに気持ちの整理がついて本当に良かったです。私はもうちょっと時間がかかるかな。父の時も亡くなってずいぶん経ってから父の優しさに気が付きました。 / 雅(みやび) ( 2019-03-19 00:06 )

2019-03-13 自分の長所を20個あげてみた

最近、あるカウンセラーさんのブログを愛読している。

そこに、「自分の良いところを20個書いてみましょう」と書いてあったので、その場でやってみたら、サラサラ・スラスラと、あっという間に20個書けた。3分もかからなかった。まだまだ書けそうだった。

これ、20個パッと書ける人は珍しいのだそうだ。たいていの人は、10個くらいで詰まってしまうらしい。

私は、1年か2年か3年前までは、頭を抱えて、4〜5個ひねり出すのがやっとだった。実際に同じようなことをした記憶があるので覚えている。それが、自分を客観視できるようになり、認知の歪みも取れたのだろう。

人って、変われるんだな。強く望んだから、変わった。
自分を愛せるようになって、人生が一変したと感じている。

先頭 表紙

未ログインだった。 / みなみ ( 2019-04-05 19:46 )
ありがとう! 雅さんもきっと自分の好きな良いところがたくさんあって、でもただ書けないだけのはず。スイッチ入ればパッと照明がついて、部屋の中にあるものが見えるようになると思います! / みなみ ( 2019-04-05 19:44 )
長所全然あげられない・・・。私はまだ浮上できてないんだわー。でも、みなみちゃんが自分を愛せるようになれたのが私は嬉しい。 / 雅(みやび) ( 2019-03-18 00:04 )

2019-03-13 もうすぐ18年

気がつけば今年も3月15日が間近。
私がここで日記を書き始めてから
丸18年になります。

2001年3月15日の日記の本文はなし。
その後、
一ヶ月分の日記を削除してしまったのが
本当に惜しいなと思うけれど、
書き始めた日のタイトルとコメントだけは
残しておいてよかった。

18年という時間は、
昨年からの私にとっては
大きな意味のあるもの。
18年前の私を思い出すと、
本当に長い月日でした。
いろいろなことがありました。
大人になったな、と思います。

18年前の私も、今の私も、
自分の気持ちを
文章にすることが大好きで、
それはずっと変わらない。

最近は主にブログとTwitterの二本立てです。
事情があり、
ここに書けない話が多いのが残念ですが、
そしてブログも
こちらでお知らせできないのが残念ですが、
とにかくまあ、毎日何かしら書いています。

昨年春から、今年1月にかけては
特にたくさん書きました。
原稿用紙二千枚分くらい
書いたのではないかしら。
一時期は腱鞘炎(スマホ指)になって
困ったほどでした。

毎日、心が動くことがたくさんあって
書けども書けども尽きません。
自分の心模様を文字に写し取ることが
大好きです。

ここの日記がにぎやかだった頃、
「書きたいけれど書くことがない」と
書いている人が大勢いたのを
不思議な心持ちで見ていました。
私は逆に
書きたいことは際限なく湧いてきたから。

でも、自分に本当に満たされていたら
「書くこと」を手放せるのかもしれないと
最近、ちらりと思うようになりました。

実際、ここ3〜4年の私の
特に大きな、だいじな経験の数々は、
自分の内面を書き残す上で
いちばん特別な場所である
ここには記していませんから。
(どこかしらには書いているのですが)

そういうことを考えたのは
昨年・今年が初めてでした。

18年前の3月に私が聞いていたのは
THE YELLOW MONKEYの『プライマル。』。
イエモンが、長い長い活動休止の前に
最後にリリースした曲です。

今度の4月17日。(長女の誕生日^^)
19年ぶりのニューアルバム発売。
とっても楽しみです。

先頭 表紙

2019-02-13 愛って何かな(プラグとコンセント篇)

プラグとコンセント
そのどちらにも愛はある
でも、両方の形が合わなければ
愛は流れない


相手に愛があっても
自分の受け取れる形でなければ
ないものと勘違いしたりする

自分に愛があっても
相手が受け取ってくれる形でなければ
ないことにして引っ込めたりする

愛が流れないあまりの苦しさに
そこに愛はないのだということにして
背を向けて逃げたりする


本当は、愛はちゃんとあるのに


相手のプラグの形を変えることはできない
だから自分のコンセントの形を
変えなくてはいけない
それは時として、とても難しい
自分のこれまでの価値観、常識、理想
そういうものを変えることだから
柔軟さが必要になる


お互いに
自分のコンセントやプラグの形を
変えようと努力して
一瞬だけ繋がっても
また形が変わって
合わなくなってしまったりする


何度も何度も試行錯誤して
そのたびに愛が流れて
そのたびにまた合わなくなって


ただ、何度も愛が流れれば
そこに愛があるということは
信じられるようになる

先頭 表紙

この日記大好き❤ / 雅(みやび) ( 2019-03-18 00:03 )

2019-02-09 twitter

もう何年も前。

ひまじんで知り合ったAさんと相互フォローさせてもらってた。
でも私がどうしても接触したくない共通の知人がいて、
Aさんがその人の発言をリツイートすると、
私のタイムラインに表示されてしまう。
それを見ると心が乱されて体調が悪くなってしまう。

その頃、私はミュートやブロックを知らなかったのか
それともTwitterの機能が制限されていて
ミュートやブロックを使えなかったのか
今となってはわからないんだけど、
私はとにかくAさんのフォローを解除するしかないと思って
そうしてしまった。
でもAさんはそうは思わなかっただろう。
自分が敬遠されたと思ったに違いない。

Aさんに一言事情を説明するべきだった。
タイミングを逃してしまった。

先頭 表紙

雅さん>ありがとう。もうAさんは来ないかもしれないなー。でも、それはそれで仕方ないかなって感じです。 / みなみ ( 2019-02-13 21:30 )
私はひまじん仲間であるみなみちゃんが大好きで、だからココに記事を読みに来るの。Aさんもくそうじゃないのかな?当時のみなみちゃんの事情を察してくれてたらいいね。そしてこの記事にも、気が付いてもらえますように。 / 雅(みやび) ( 2019-02-10 22:56 )

2019-01-17 亡くなった先生と、フレディ・マーキュリー 映画『ボヘミアン・ラプソディ』

不思議だな。
素晴らしいタイミングで必要なものが私の前に現れる。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』は、1ヶ月前に、友達に勧められてからずっと観ようと思っていた。
でも、今日観たことに意味があった。
オペラの先生のお葬式の翌日に。

以下、ネタバレ注意。





『ボヘミアン・ラプソディ』の終盤で、フレディ・マーキュリーは、
バンドメンバーに自分がエイズであることを告白する。

「悲劇の主人公になるつもりはない。
 俺が何者かは自分で決める。
 俺はパフォーマーだ」

先生とフレディが完全に重なった。

先生も、自分の残り時間が少ないことを知りながら、
その時々でできる最大限のことを、覚悟を持ち、妥協することなく、
すべてやり尽くした。希望も捨てていなかった。

だって、先生はカルメンを演じるつもりだったのだ。
あんな大作を。

偶然にも、映画の中で、フレディがカルメンのレコードをかけた。
アルバム「オペラ座の夜」から
その中の一曲「ボヘミアン・ラプソディ」を
シングルカットしたいと、
クイーンのメンバーがプロデューサーを説得する場面だ。
しかし交渉は決裂し、彼らはプロデューサーの元を去る。

そのシーンで流れるカルメンのアリア「ハバネラ」は、
恋を、野を飛ぶ自由な鳥に例えた歌だ。
もちろん、クイーンになぞらえているのだろう。

フレディはバンドメンバー、元恋人のメアリー、
新しい恋人のジムという「家族」の愛に支えられて、
パフォーマーとしての人生を全うする。
先生にも、先生をサポートするご家族がいた。
特に奥さんのN先生。
N先生の心の内を想像すると言葉もない。

昨年5月の夫妻のコンサートの前に、N先生が話していたのを忘れない。
「今回のコンサートは、他の歌手には真似のできないプログラムにする。
 オペラ歌手の生き様を見せる。」と。
彼女はまるで死地に赴く侍のようだった。
覚悟を決めていたのだろうなと思う。

自分がオペラ歌手であることの、
そして愛する伴侶を、最期まで、
オペラ歌手であらしめるべく、
それを全力で支えることの。

先生が、最期まで、
オペラ歌手、パフォーマーであったのは
N先生の先生に対する、
そして先生のN先生に対する愛があったから。
本当に頭が下がる。





フレディ:「俺はバイセクシュアルなんだ」
メアリー(妻):「あなたはゲイよ」

というシーン、心臓がぎゅーっとなって、痛くて苦しかった……。

その告白の後、フレディとメアリーはぎくしゃくし始め、向かいの家に別居。
夜、メアリーに電話をかけ、窓際で電気スタンドを点滅させるように頼むフレディ。
乞われるままに光で合図を送り合いながら、
フレディは「乾杯しよう。君もそこにグラスを持ってきて」と言う。
メアリーは乾杯するふりをしてため息をつく。
本当にフレディが不器用すぎて切ない。

あと、あれね。フレディは父親に否定されて育った。
要するにこれはアダルトチルドレンの物語なのね。

クイーンが、ライブ・エイド(チャリティコンサート)に出演して、
アフリカの飢餓を助けるために行動すると決めた時、
フレディの父親はフレディのことを初めて受け止める。
あのシーンは感動して、思わず「うっ」と変な声が出てしまった。

ロックが好きだから観たんだけど、
音楽もストーリーは良かったし、
セットやファッションなども魅力的だったし、
自分の内面との思いがけないリンクがたくさんあって、
予想以上に楽しかった。観てよかったです。

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