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みなみの「さぼのーと」

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★お買い物ブログ 「こんなものを買った」

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2019-04-12 ピアッシング。
2019-04-05 春休み。
2019-03-17 電撃的な経験 依存から自立へ
2019-03-13 自分の長所を20個あげてみた
2019-03-13 もうすぐ18年
2019-02-13 愛って何かな(プラグとコンセント篇)
2019-02-09 twitter
2019-01-17 亡くなった先生と、フレディ・マーキュリー 映画『ボヘミアン・ラプソディ』
2019-01-16 お葬式
2019-01-14 遅ればせながらあけましておめでとうございまっす。


2019-04-12 ピアッシング。

あの日は、仕事でした。
深い溝に片足を突っ込んで、踏ん張って作業していたら
ズボンの内股が30センチくらいぱっくり裂けてしまって。
夕方には東の空に淡い虹が出ました。
夜にはびっくりするメールが届きました。

それから丸1年後の、4月9日。
初めてピアスホールを開けました。
お洒落のためもあるけど、
それ以上に、「儀式」としてね。

最近、
自分を変えるための
「儀式(マイルストーン)」を
意識して設定するようにしているのです。
詳しい話は、またいずれ。




イヤリングは、
片方の耳が必ず痛くなるし、
そちら側のイヤリングがいつも落ちてしまうんです。

弟の結婚式と、
次女の七五三と、
2回連続で同じ大事なイヤリングをつけました。
そうしたら、2回とも落としてしまって。

結婚式の時は、式場に頼んだら
スタッフ全員がインカムで即時に情報共有してくれて、
すぐに見つけてもらえましたが、
七五三の時は、神社で落としてしまったみたいで
なくなっていまいました。

その時、ピアスにしようとつくづく思った。
あれから3年も経ったんだな。





ピアスホールを空けるために
初めて美容外科へ行ったのだけれど、
なんというか、独特の雰囲気でしたねぇ。

医師の診察・施術の前に
美容コンシェルジェと称する女性が
いろいろ説明してくれるんですが、
彼女の目元が凄かった。
きっと整形しているのでしょう。
エジプトの壁画みたいな、
ド迫力の目ヂカラでした。

美容整形は、
心と身体の健康に支障のない範囲なら、
なんでもアリだと思います。





ピアッシングは怖かったです。
本当に、
耳たぶにホッチキスを打ち込む感覚なんだね。
思ったより痛かったし。
手のひらに脂汗をかきました。

こんなこと、みんな、よくやるなぁと思った(笑)

ピアスホールが安定するのが楽しみです。
自分でも、アクセサリーを作っているので。
すでに完成している自作のピアスをするのが夢です。

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2019-04-05 春休み。

この業界は、例年3月下旬〜4月上旬はお仕事がありません。
というわけで春休み中です。
4月になっても仕事があるかどうかはわからない、
と言われてましたが
どうやら仕事自体はあるみたい。
でも連絡来るのはぎりぎりだろうなぁ。
というわけでのんびり過ごしてます。

何か、単発で他の仕事を探そうかなーと思ったんだけど。
日々何かしらやることはあるし、
やることない日はゴロゴロ寝て充電してると
あっという間だから、まーいーか。
お金は欲しいけど。。

3月31日は長女の卒業旅行に、仲良し母子4人でディズニーシーへ。
4月1日は育成会の資料の組み込み。
4月2日は小学校からの友人Rと宝塚歌劇『20世紀号に乗って』を観劇。
渋谷のシアターオーブにて。
楽しかったです!

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2019-03-17 電撃的な経験 依存から自立へ

2月に、大きな、精神的な変化がありました。

それが訪れたのは、
職場の昼休みだったんですけども。

つらいことで心の中がいっぱいで、
その日は朝からずっと泣いていました。
仕事中、顔を隠せるので、
泣いていても他の人からはわからないんです。
たぶんw

でも、やっぱり上の空だったので
休憩中に「魂抜けてるよ」
なんて心配されてました。

で、昼休みは車の中で泣いていたのです。
そこで、母のことを考えた。
本当につらくて、母に助けてほしいと思った。

今までの母に対するわだかまり、
自分なりに整理がついていたと
考えていたわだかまりが、
ある意味、
究極の場所まで行ったのだと思います。

おかあさん、おかあさんと
声を上げて泣きました。

母には母の、
私に対する愛があって、
私にも母への
愛があったんだなぁと思いました。

そしたら、パッと
悩みに対する考え方が変わったんです!
黒から白へ、
まるで、オセロの駒をひっくりかえすみたいに。
「あれっ? こう考えたらいいじゃん?」って。
とっても心が軽く、明るくなりました。

ちょうど、昼休みが終わる時間だったので、
トイレに行きました。
そうしたら、生理がはじまりかけてた。

あっ、落ち込んでいたのは、
このせいもあったのかーってw

午後は、晴れ晴れとした気持ちで
仕事できました。
午前中に「魂抜けてるね」と心配してくれた人も
「あれ? 元気になったね」って。


とっても不思議な経験でした。


それ以来、
自分ががらりと変わってしまったんですよね。
長年のパイプの詰まりが取れたみたいです。
周囲に依存せず、
しっかり自立できるようになったと思います。


私の毒親・アダルトチルドレン問題にも
ようやく終止符が打てたみたいです。

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雅さん>こればっかりはねー。自分のペースで良いのでしょうね。相手の生死はあまり関係ない気がしますよ。 / みなみ ( 2019-04-05 19:47 )
おめでとう!お母様が生きていらっしゃるうちに気持ちの整理がついて本当に良かったです。私はもうちょっと時間がかかるかな。父の時も亡くなってずいぶん経ってから父の優しさに気が付きました。 / 雅(みやび) ( 2019-03-19 00:06 )

2019-03-13 自分の長所を20個あげてみた

最近、あるカウンセラーさんのブログを愛読している。

そこに、「自分の良いところを20個書いてみましょう」と書いてあったので、その場でやってみたら、サラサラ・スラスラと、あっという間に20個書けた。3分もかからなかった。まだまだ書けそうだった。

これ、20個パッと書ける人は珍しいのだそうだ。たいていの人は、10個くらいで詰まってしまうらしい。

私は、1年か2年か3年前までは、頭を抱えて、4〜5個ひねり出すのがやっとだった。実際に同じようなことをした記憶があるので覚えている。それが、自分を客観視できるようになり、認知の歪みも取れたのだろう。

人って、変われるんだな。強く望んだから、変わった。
自分を愛せるようになって、人生が一変したと感じている。

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未ログインだった。 / みなみ ( 2019-04-05 19:46 )
ありがとう! 雅さんもきっと自分の好きな良いところがたくさんあって、でもただ書けないだけのはず。スイッチ入ればパッと照明がついて、部屋の中にあるものが見えるようになると思います! / みなみ ( 2019-04-05 19:44 )
長所全然あげられない・・・。私はまだ浮上できてないんだわー。でも、みなみちゃんが自分を愛せるようになれたのが私は嬉しい。 / 雅(みやび) ( 2019-03-18 00:04 )

2019-03-13 もうすぐ18年

気がつけば今年も3月15日が間近。
私がここで日記を書き始めてから
丸18年になります。

2001年3月15日の日記の本文はなし。
その後、
一ヶ月分の日記を削除してしまったのが
本当に惜しいなと思うけれど、
書き始めた日のタイトルとコメントだけは
残しておいてよかった。

18年という時間は、
昨年からの私にとっては
大きな意味のあるもの。
18年前の私を思い出すと、
本当に長い月日でした。
いろいろなことがありました。
大人になったな、と思います。

18年前の私も、今の私も、
自分の気持ちを
文章にすることが大好きで、
それはずっと変わらない。

最近は主にブログとTwitterの二本立てです。
事情があり、
ここに書けない話が多いのが残念ですが、
そしてブログも
こちらでお知らせできないのが残念ですが、
とにかくまあ、毎日何かしら書いています。

昨年春から、今年1月にかけては
特にたくさん書きました。
原稿用紙二千枚分くらい
書いたのではないかしら。
一時期は腱鞘炎(スマホ指)になって
困ったほどでした。

毎日、心が動くことがたくさんあって
書けども書けども尽きません。
自分の心模様を文字に写し取ることが
大好きです。

ここの日記がにぎやかだった頃、
「書きたいけれど書くことがない」と
書いている人が大勢いたのを
不思議な心持ちで見ていました。
私は逆に
書きたいことは際限なく湧いてきたから。

でも、自分に本当に満たされていたら
「書くこと」を手放せるのかもしれないと
最近、ちらりと思うようになりました。

実際、ここ3〜4年の私の
特に大きな、だいじな経験の数々は、
自分の内面を書き残す上で
いちばん特別な場所である
ここには記していませんから。
(どこかしらには書いているのですが)

そういうことを考えたのは
昨年・今年が初めてでした。

18年前の3月に私が聞いていたのは
THE YELLOW MONKEYの『プライマル。』。
イエモンが、長い長い活動休止の前に
最後にリリースした曲です。

今度の4月17日。(長女の誕生日^^)
19年ぶりのニューアルバム発売。
とっても楽しみです。

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2019-02-13 愛って何かな(プラグとコンセント篇)

プラグとコンセント
そのどちらにも愛はある
でも、両方の形が合わなければ
愛は流れない


相手に愛があっても
自分の受け取れる形でなければ
ないものと勘違いしたりする

自分に愛があっても
相手が受け取ってくれる形でなければ
ないことにして引っ込めたりする

愛が流れないあまりの苦しさに
そこに愛はないのだということにして
背を向けて逃げたりする


本当は、愛はちゃんとあるのに


相手のプラグの形を変えることはできない
だから自分のコンセントの形を
変えなくてはいけない
それは時として、とても難しい
自分のこれまでの価値観、常識、理想
そういうものを変えることだから
柔軟さが必要になる


お互いに
自分のコンセントやプラグの形を
変えようと努力して
一瞬だけ繋がっても
また形が変わって
合わなくなってしまったりする


何度も何度も試行錯誤して
そのたびに愛が流れて
そのたびにまた合わなくなって


ただ、何度も愛が流れれば
そこに愛があるということは
信じられるようになる

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この日記大好き❤ / 雅(みやび) ( 2019-03-18 00:03 )

2019-02-09 twitter

もう何年も前。

ひまじんで知り合ったAさんと相互フォローさせてもらってた。
でも私がどうしても接触したくない共通の知人がいて、
Aさんがその人の発言をリツイートすると、
私のタイムラインに表示されてしまう。
それを見ると心が乱されて体調が悪くなってしまう。

その頃、私はミュートやブロックを知らなかったのか
それともTwitterの機能が制限されていて
ミュートやブロックを使えなかったのか
今となってはわからないんだけど、
私はとにかくAさんのフォローを解除するしかないと思って
そうしてしまった。
でもAさんはそうは思わなかっただろう。
自分が敬遠されたと思ったに違いない。

Aさんに一言事情を説明するべきだった。
タイミングを逃してしまった。

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雅さん>ありがとう。もうAさんは来ないかもしれないなー。でも、それはそれで仕方ないかなって感じです。 / みなみ ( 2019-02-13 21:30 )
私はひまじん仲間であるみなみちゃんが大好きで、だからココに記事を読みに来るの。Aさんもくそうじゃないのかな?当時のみなみちゃんの事情を察してくれてたらいいね。そしてこの記事にも、気が付いてもらえますように。 / 雅(みやび) ( 2019-02-10 22:56 )

2019-01-17 亡くなった先生と、フレディ・マーキュリー 映画『ボヘミアン・ラプソディ』

不思議だな。
素晴らしいタイミングで必要なものが私の前に現れる。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』は、1ヶ月前に、友達に勧められてからずっと観ようと思っていた。
でも、今日観たことに意味があった。
オペラの先生のお葬式の翌日に。

以下、ネタバレ注意。





『ボヘミアン・ラプソディ』の終盤で、フレディ・マーキュリーは、
バンドメンバーに自分がエイズであることを告白する。

「悲劇の主人公になるつもりはない。
 俺が何者かは自分で決める。
 俺はパフォーマーだ」

先生とフレディが完全に重なった。

先生も、自分の残り時間が少ないことを知りながら、
その時々でできる最大限のことを、覚悟を持ち、妥協することなく、
すべてやり尽くした。希望も捨てていなかった。

だって、先生はカルメンを演じるつもりだったのだ。
あんな大作を。

偶然にも、映画の中で、フレディがカルメンのレコードをかけた。
アルバム「オペラ座の夜」から
その中の一曲「ボヘミアン・ラプソディ」を
シングルカットしたいと、
クイーンのメンバーがプロデューサーを説得する場面だ。
しかし交渉は決裂し、彼らはプロデューサーの元を去る。

そのシーンで流れるカルメンのアリア「ハバネラ」は、
恋を、野を飛ぶ自由な鳥に例えた歌だ。
もちろん、クイーンになぞらえているのだろう。

フレディはバンドメンバー、元恋人のメアリー、
新しい恋人のジムという「家族」の愛に支えられて、
パフォーマーとしての人生を全うする。
先生にも、先生をサポートするご家族がいた。
特に奥さんのN先生。
N先生の心の内を想像すると言葉もない。

昨年5月の夫妻のコンサートの前に、N先生が話していたのを忘れない。
「今回のコンサートは、他の歌手には真似のできないプログラムにする。
 オペラ歌手の生き様を見せる。」と。
彼女はまるで死地に赴く侍のようだった。
覚悟を決めていたのだろうなと思う。

自分がオペラ歌手であることの、
そして愛する伴侶を、最期まで、
オペラ歌手であらしめるべく、
それを全力で支えることの。

先生が、最期まで、
オペラ歌手、パフォーマーであったのは
N先生の先生に対する、
そして先生のN先生に対する愛があったから。
本当に頭が下がる。





フレディ:「俺はバイセクシュアルなんだ」
メアリー(妻):「あなたはゲイよ」

というシーン、心臓がぎゅーっとなって、痛くて苦しかった……。

その告白の後、フレディとメアリーはぎくしゃくし始め、向かいの家に別居。
夜、メアリーに電話をかけ、窓際で電気スタンドを点滅させるように頼むフレディ。
乞われるままに光で合図を送り合いながら、
フレディは「乾杯しよう。君もそこにグラスを持ってきて」と言う。
メアリーは乾杯するふりをしてため息をつく。
本当にフレディが不器用すぎて切ない。

あと、あれね。フレディは父親に否定されて育った。
要するにこれはアダルトチルドレンの物語なのね。

クイーンが、ライブ・エイド(チャリティコンサート)に出演して、
アフリカの飢餓を助けるために行動すると決めた時、
フレディの父親はフレディのことを初めて受け止める。
あのシーンは感動して、思わず「うっ」と変な声が出てしまった。

ロックが好きだから観たんだけど、
音楽もストーリーは良かったし、
セットやファッションなども魅力的だったし、
自分の内面との思いがけないリンクがたくさんあって、
予想以上に楽しかった。観てよかったです。

先頭 表紙

2019-01-16 お葬式

お世話になっていたオペラの先生が亡くなってしまった。まだ50歳だった。

お葬式はキリスト教式で、賛美歌を歌ったり、
棺の中の先生は、当たり役だったという
蝶々夫人のピンカートンの衣装を身に着けていたりして、
(私がお別れをした時は、もうお花でいっぱいで帽子しか見えなかったけど)
声楽家の先生によく似合うセレモニーだった。

先生と、その奥さん(N先生)が数年前に立ち上げたオペラ団体。
一昨年の秋、私は入団した。
昨年2月の公演で、先生は主役を務めた。
でもそのころ既に体調が悪く
稽古にはほとんど来られず、アンダー(代役)を立てていた。

公演が近づき、やっと会えた先生は、プロフィール写真とは別人のようだった。
心配になるくらい痩せていた。
本番当日、私たち団員を仕切って舞台設営などもしていたが、
本当は舞台に立つのがやっとだったと思う。
体調は悪そうだった。
腰が痛いとベルトをしていた。
その時は整形外科的な痛みかと思っていたけど、真相は違ったのだろう。

公演の準備中、先生が皆に四つ葉のクローバーのしおりをくれた。
先生は四つ葉を見つけるのが得意らしい。
稽古の時とはまた全然違う印象だった。
先生が四つ葉を摘んで、
一つ一つラミネーターで加工しているところを想像した。
素敵な人だなと思った。
もっとこの先生のことを知りたいと思った。

昨年5月、横須賀に先生夫妻のコンサートを見に行った。
コミカルな演技をしながらのアリアは、
さすが夫婦、息がぴったりで、とても楽しかった。
二人の演じる全幕物をどうしても見てみたい。
来年(2019年)の2月、次の公演で舞台の上から見られる。
そう思うと心の底から嬉しく、楽しみだった。

夏の終わりのバーベキューに先生は来なかった。
先生が、自分のお気に入りのキャンプ場を指定したらしいのに。
その前日に先生は倒れていた。

秋口に、N先生は団員を集め、それを知らせて
丁寧なミーティングを開いた。
一時は命の危険すらあったほど先生の状態は悪いということで、公演は無期延期になった。
N先生が一方的に通達するのではなく、
皆の意見を聞き、皆で決める形にしてくれた。

先生が復帰して、一緒の舞台に立てることを、
練習を続けながら楽しみに待った。
まさか亡くなってしまうなんて。

先生の病気はがんだったと、お葬式で初めて知った。

先生に会えたのは、数回しかない。
個人的に話したこともほぼない。
先生は私の顔と名前もよく知らなかったんじゃないかな。
でも、先生が亡くなって、私は自分の父が死んだ時より悲しい。

先生と一緒に次の舞台をする。
それをとても楽しみにしていた。
だからきっとこんなに悲しいんだと思う。
先生と過ごす未来を心の中に持っていたからだ。

舞台は、みんなが一つの目的に向かって力を合わせる、
とても純粋で、とても貴重な、奇跡のような場。
その場に、同じ方向を向いて、一緒にいられたからだ。

美声と絶賛される先生の歌声。
公演の時と、コンサートの時と、2回だけそれを聞けた時、
この声は、元気な時とは程遠いのだろうと感じた。
先生は。
ギリギリまで歌い続けた。
その時その時でできる、最大限のことを、
覚悟をもって、妥協せずに、すべてやり尽くしたのだろう。
そしてH先生はそれを全力で支えたのだろう。

考えてみたら、先生の最後の1年に出逢い、
その歌を2回も聞かせてもらい、
うち1回は同じステージに立たせてもらえたというのも凄いことだ。

先生、
素晴らしい人生を見せてくださって
ありがとうございました。

先頭 表紙

萩さん>そうですね、間に合ったんですね。一緒にやった公演楽しかったです^^ / みなみ ( 2019-01-19 21:43 )
素晴らしい出会いに間に合って良かったです! / 萩 ( 2019-01-16 15:59 )

2019-01-14 遅ればせながらあけましておめでとうございまっす。

12月は第九のコンサート。私にとって2回目の第九本番でした。
本当に華やかできらきらしい演奏会で素敵でした。

マエストロの指揮がすごかった!! 超カッコいい!
めちゃくちゃ楽しい指揮で、ステージの上で何度もニヤニヤしちゃいました。
休憩時間にはみんなでキャーキャーいいまくり。
CDを買うとサインしてもらえるので、楽屋に行ったら、
なんと息子さんの写真を見せてくれたり、一緒に写真を撮ってくれたり、
カッコいいだけでなく、とても気さくな方でした。
ファンになってしまうわー。

しかし、第1楽章〜第3楽章までの1時間ほど、
ステージの雛壇で動かずに座っているのは辛かったです。
前日慣れない登山をして体もすごく疲れてました。
本番前に山登りなんてアホだった。


登山は、幼稚園時代のママ友が登山サークルを作っていて、
そこで誘ってもらいました。
私、本当に持久力がなくて、下りはともかく上りは本当にダメなので、
ママ友が私の荷物を全部持ってくれました。
私たちが山頂まで一往復する間に、走って二往復(!)している男性がいました。
彼に山頂付近で声を掛けられ、話をしたり、写真を撮ったりしました。
東京に用事で行って、新潟に帰宅する途中に寄ったとのこと。
とっても面白い方でした。
ウェアにスポンサーのロゴがたくさん入っていたので、
プロのトレイルランナーだろうなと思っていたら、
ママ友が彼のFacebookを発見。
やはりプロで、国際大会で活躍している方でした。
東京の用事も、トレイルランニングのイベントだったみたい。
普段行かない場所に行くと、面白い人に会えるなー。

1月は新春早々、オペレッタの本番。娘二人と一緒に出演しました。
時間内に3人分の舞台メイクをしなくちゃいけないので大変!
オペレッタは、オペラと違って台詞とダンスがあるので、
ダンスが苦手な私は苦労しました。
歌って芝居していればOK! な、オペラの方が好きです。
でも終わってみたらやっぱり楽しかった。
ステージに段差がなく、客席も300ほどしかない小さな会場だったので、
会場の一体感が素晴らしかったです。
打ち上げも感動的で楽しかった。

そんな感じで楽しくやってます。ひまじんも、時々遊びに来ています。
2019年もよろしくお願いします!

先頭 表紙

ありがとう。楽しいですよ〜。今年もよろしくお願いします! / みなみ ( 2019-01-16 00:33 )
みなみちゃん、前向きに生きてる感じが素敵。今年も充実した一年になりそうですね〜。 / 雅(みやび) ( 2019-01-15 22:26 )

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