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みなみの「さぼのーと」

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★お買い物ブログ 「こんなものを買った」

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2012-11-20 「経済的に子どもを大学まで行かせられないから子どもは持たない(○人目は作らない)」という考え方について
2012-11-13 ねばならないワタシ
2012-11-13 携帯のメールアドレスが決まらないっ
2012-11-13 だって好きなんだもん (その1)
2012-11-13 だって好きなんだもん (その2)
2012-11-01 これが答えだ!!(tabun)
2012-10-31 カタストロフィ
2012-10-27 好き嫌いは許しません。
2012-10-27 TBS金曜ドラマ『大奥〜誕生(家光・有功篇)』
2012-10-26 イメージ重要


2012-11-20 「経済的に子どもを大学まで行かせられないから子どもは持たない(○人目は作らない)」という考え方について

「経済的に子どもを大学まで行かせられないから子どもは持たない(○人目は作らない)」



みたいな話をあちこちで結構よく聞くんだけど
そして私はそういう人に対して直接何か言ったりするわけじゃないんだけど
その考え方、私にはどうもまったく馴染まないんだよね。



教育って、それも特に高等教育って、子どもあってのものじゃないかな。
先に教育ありきで子どもを産む産まないを決めるものなのかなー。
産まれても何の教育も受けられない可能性があるならともかく
今の日本なら中学校までは必ず行けると保障されているわけだし……。
子どもが生まれました、じゃあ親は自分たちにできる限りで最大限の教育を与えましょう。
それでいいんじゃないかなーと思う。



子供が生まれても、明日やる食べ物にも困るから、産みませんというのならわかるんだけど。
高等教育ってある意味嗜好品みたいなもんじゃないかな。
あれば豊かに(場合によっては裕福に)暮らしていけるけど
それがないから豊かになれないなんてことはない。ましてや生きて行けないなんてこともない。
それを与えられる自信がないから子供は持たないというのは
「自分のしたい通りに子供を育てられないなら子供はいらない」というのと同じように思えてしまうのだけれど。



そもそも子ども自身が高等教育を受けたがるかっていうことからして
子どもが生まれる前の時点ではわからないし
特別な事情でもない限り、どうしても高等教育が受けたければ
子どもは自分でなんとかするよ。
最低でも18歳になってるんだから。



と私は常々思っているのですが、どうでしょうね。
不快に感じる方がいたらすみません。

先頭 表紙

私もそういう言い方好きではないんだけど、多分平気でそれを口にできる人は真剣に子供の進学とか考えてるわけじゃなくて、ただ子供を欲しくないことにはなんらかの後ろめたさを感じて社会(要は子育てってお金ばっかりかかってってことかなと思って)のせいにしてるだけかな、くらいに思ってたんだけど。貧しくてももう一人欲しかったなって思う気持ちも、進学等含めてあれこれ子供が望むようになるとまぁ、実際問題二人だからなんとかしてやれるかもって思えるとこがあるのも真実ではあるのですが。 / レイ ( 2012-11-26 23:39 )
う〜ん。そこのところで「なんとかなる」「きっとなんとかできる」という希望を親が持てなくなっていることが問題なのかもしれませんね。新しい将来の可能性を否定しているのが他ならぬ自分自身だという落とし穴に気づかないと… / YIN ( 2012-11-26 02:54 )
同感で〜す。むかし「子どもは打ち出の小槌を持って生まれてくるの」と何かで聞いたか読んだかしました。私も今月の生活費でやっとの暮らしでも3人なんとかなったし(笑)。 / 秋 ( 2012-11-21 17:03 )

2012-11-13 ねばならないワタシ

7月12日に書いた
「吹奏楽は遠くにありて思うもの」という記事を読んでみたら
今、私のスタンスはかなり変わっているみたい。


もう、吹いてて手や口がちょっとつらいなと思ったら
すぐに吹くのはやめるようにした。それが自然にできるようになってきた。
どうしてだろう。5年近くも、ずーっとそれができなかった。
そんな状態で無理に吹いても楽しくないし上達するわけもないのにね。
中学や高校の部活でそれをやったらどうなるかわからないけど
今は部活じゃないから、怒る人なんて誰もいないし。


で、吹奏楽とは関係のないことだけれど
先月私にとって大きな事件があった。
そこで気づいたことは
私は、自分が好きでやっていることに対しても
そのうち義務感の方が大きくなってきてしまうということ。
私は、「ねばならない」思考に陥りやすいということ。
でもそうやって、「ねばならない」に無意識のうちに縛られて
回転数を上げてると、そのうち無理が来る。
でも鈍感だから無理していることに気づかない。
そして、偶発的な事故のような(自分が原因ではない)何かが起こって初めて
不満がどっと出てくる(笑)


友の会も2年間かなりのテンションでやってきたけど
(おかげで、入会後まだたったの2年という気がしない。日々濃すぎて)
ちょっとやりすぎだったと今にして気づいた。
これじゃ後が続かない。
引越しがいい機会になるし、今やっている係の任期が切れるし、
4月からはちょっと休むつもり。半年か、1年か。
そしてまた戻る気になれば戻るし、
そこまで必要ないと思ったらフェイドアウトの可能性もある。
今の時点では何も決めていない。
友の会がなくても私は一生楽しく暮らしていけるだろうと思う反面、
なんだかんだと私は友の会からは離れられないかもという気もしなくはないけど。
(何しろ、初めて友の家(友の会の集会所)に行った時、
自分がこんなに気取らずに素で居られる場所があるなんて!
と衝撃を受けた。あの驚きは忘れない)
でもまあ、わかんないな。
どっちみち、少し距離は置く。
大事なのは頑張りすぎないこと。
「ねばならない」という考え方を極力取り除くこと。
もともと私は「ねばならない」が多すぎるから
意識して取り除くくらいでちょうどいい。


私は多分、変に、過度にまじめなので
もうちょっといい加減に楽しんでいけたらいいと思うのよ。何でも。

先頭 表紙

ねばならない、ってなったならなんもかも放り出してやめるのも一つの手ですよ。それができないのなら、それはねばならない、ではなく生きていくうちのひとつの義務なんではないでしょうか。 / えとう ( 2012-11-17 19:10 )
人間、変われないところもありますが、成長とともに熟成していくことは可能なのよ〜。私は20代の頃真面目に仕事をやりすぎて円形ハゲになりました。それ以来、少しずつ手を抜く事を練習して、今じゃ必要最低限しかやってないかも〜。でも、ときどき本来の生真面目さが出て苦しくなったりもしてるけどね。習い事の役員の仕事とか? / 雅(みやび) ( 2012-11-14 22:38 )

2012-11-13 携帯のメールアドレスが決まらないっ

1192296kmkrbkf@(いい国作ろう鎌倉幕府)
にしたかったんだけど、最初の一文字は英字じゃないとだめだって。
残念。

先頭 表紙

E国(笑) / みなみ ( 2012-11-13 23:44 )
Eにしてみるとか(^^; / うつぎ@未ろぐいん ( 2012-11-13 22:42 )

2012-11-13 だって好きなんだもん (その1)

今日、ここ2年ほどで(長い付き合いのような気がするけど、まだ2年なのか……)親しくなった、
私をよく知る友達(最近片付けブログも読んでくれている)が
「みなみさんは、うまく言葉にしにくいようなことを文章にするのが上手だよね」と言ってくれた。
それに対して
「私はもともと文章を書くのが大好きで、そのことについては長い間訓練してきたから」と
自然に、本当に自然に答えた自分がいて、自分で少し「おおっ」と思った。


1996年発行のある小説の解説で、村上龍が
小説というのはテキストのない翻訳だと私は考えている。
創造や表現というより、翻訳に近いと思う。
形の見えない自己の狂気を翻訳しようとする作家もいるし、
言葉を発することなく死んでいった肉親や仲間の肉声を翻訳する作家もいるが、
基本的には、言葉を失わせる何かについて作家は翻訳を試みる。

と書いていて、


また、私の尊敬する学生時代の友人の持論が
「言葉と思考は、本来何も関係がないものだ」
ということだったりして(正確な言葉は覚えていないので、かなり意訳している。本人が聞いたら違うよって言うかも)、



つまり私の根底にはそういうものからもたらされた思考がとても色濃くある。
でもきっとそれ以前に、
私は、
本来ならば言葉とは無関係に存在する自分の思考や感情について
言葉を使って、それも、どの言葉を選べばよりそれに近しいものになるのかを考えて
翻訳するのが大好きで、
そのために労力や時間を費やすことをまったく苦とは思わない、
そういうパーソナリティの持ち主なのだと思う。





*** ここから閑話 ***


ちなみに、私の経験上、そういう、「言葉を失わせる何か」に出会った時は
文章表現力を磨く一番のチャンス。
この感じを表現したい。でもうまく言葉にできない。
そういう時に、あきらめず、面倒くさがらずに、言葉で表現しようと試みることが
一番、自分の表現力を豊かにする。
さらにつっこんで言えば、もっともっと大事なのは
「言葉を失わせる何か」に出会うことそのもの。
ものすごく俗な言い方をすると「感動すること」とか、「絶句すること」。
これを翻訳したいっっっ!!!! という気持ちになること。だと思う。


自分自身に関して言えば、映画を観てその感想をここに書く、というのが
表現力を上げるためにかなりの訓練になったと思う。
映画は、台詞という「言葉」はあるが、基本的には
映像・音楽・ストーリーという、言葉からかけはなれたものがメインとなり、
観る側の感性に訴えてくるので、
その感想を言葉に翻訳するのは意外と難しい。


*** 閑話休題 ***

先頭 表紙

2012-11-13 だって好きなんだもん (その2)

どうして私がそういうパーソナリティを得たのかというと
それには答えがない。
ただ、そういう人間だったからとしか言いようがない。
ただ過去のいつかに、おそらく、私がものを書くのが好きになるきっかけがあり
それに私自身が反応した、そういう個性の持ち主だったからとしか言いようがない。
言いかえれば、私の人生にはきっと、スポーツが大好きになるきっかけとか
ビジネス命になるきっかけとか
そういうものだってきっとあったはずなのに
私はそれらには反応しなかった。


いま私は、たとえば、
掃除や料理を好きになろうとか
家をきれいに片付けられるようになろうとか
そういう風に自分の方向性をコントロールしようとしているが、
本来、人は、本当に好きで仕方のないものに対してであれば、
努力を努力と思わず、継続を継続と思わず、
ごく自然に向上心を持ち続けられると思う。
何か秀でたものをもって世に出ている人たちは
きっとみんなそういう風なんじゃないかなあ。



私は
職業的な物書きになればよかった。
ジャーナリストになればよかった。
なりたかった、じゃなくて、なればよかった。翻訳をする人に。
そう思ったのは今日がはじめてかも。
まあ、実際的な頭の良さ、というのが私には一切なかったので
無理だったんだけど。
もしも今、18歳くらいに戻れたら、たぶんなれると思うな(笑)

先頭 表紙

みなみちゃんならなれるよ!今からでも。だって、みなみちゃんの書く文章、キモチがとっても伝わってくる。 / 雅(みやび) ( 2012-11-14 22:13 )

2012-11-01 これが答えだ!!(tabun)

最近は、ストレスフルなことだけじゃなくて、
夢のように楽しいこともいろいろしているので
(イエモンのイベントのために渋谷のライブハウス行ったり、
 知人の、とっても素敵な自宅マンション兼サロンでパーソナルカラー診断してもらったり。
 そこまで特別じゃなくても幼稚園の後に子供たちを遊ばせたりとか。
 どれも全部素敵な友達が一緒。ありがたいことです)
それについても書きたいんだけどね……



私は、他人から「生き急いでいる」という形容をされたことは、
生まれてこの方一回もないんだけど、
でもしかし、今の私は生き急いでいるのかも。
1回目の転機は27歳の時に人員整理で仕事を切られそうになって
ものすごい危機感を抱いたこと。
2回目の転機は29歳の時の出産、
そして決定打ともいえるのが、31歳の時にCMTの診断を受けたこと。
大げさに言うと、命の短さに気付いてしまった。



やりたいことはやれるうちに全部やらなきゃならない
今やらなきゃならない
全力で(は無理でもそれ目指して)突っ走らなきゃならない
みたいな……
私の狭い経験から言うと、10代かそれより前に近しい肉親
(親やきょうだい)を亡くしている友達は
おしなべてそういう傾向があった。
どの人もすごくパワフルだった。
皆、命の短さ儚さを、身をもって知っているんだなと思っていた。




それでね、私、たぶんそれがぜんぜん性に合ってないんですよ(笑)
もともと、宇宙人のような母(マイ時間マイワールドの住人)のもとで
超ダラダラのほほんと育ってきてるから
ここ数年間で改造された自分自身に、もともとの自分がついていけてないんだと思う。
大体さあ、遅刻魔だった私が
今、子供の登園完了時刻の1時間以上前には
子供を幼稚園に連れてってるんだもん。
考えてみたらおかしくない?
「時間の使い方は命の使い方」by羽仁もと子 ですよ。
その言葉に衝撃を受けて感化されるとか、そのこと自体がおかしくない?



やれることは今やる
友の会もブラスバンドもコーラスも守る会もやる
その前提として家事は自分の仕事だから、それ(勉強・趣味)以上にやりたい。当然クオリティも上げたい。内職もやる
友達とは、どんなに仲がよくても、たとえ一生付き合えると確信している友達でも
必ずいつかは今より疎遠になるから、今のうちにガンガン遊ぶ



昔の友達には驚かれる(笑) 昔とぜんぜん違うねって。



でもしんどい。書いてみてはっきり分かったけど、しんどい。
楽しいけど、というか、楽しいから今まで分からなかったけど、しんどい。
来年の春になったら、コーラスと守る会は辞めなくちゃいけないし
市内とはいえなじみの薄い場所へ引っ越して
交友関係もだいぶ変わるはずだし
仕事に出ることも考えなくてはいけないから
それまでは今の環境で全力疾走〜〜
って思っていたけど。



今月も、手帳を見るとすでに月末までスケジュールみっちりで
それはもしかすると他人から見れば
別にどうってことないじゃない、って内容なのかもしれないけど
私には苦しい。
これだけいっぱいいっぱいだと、手の回らなくなる部分も増えてきて
おそらくけっこう生真面目な(自分で言うなって感じですが)私には
それも苦しい。
全部自分の思うように頑張れないことがストレス。(キャパ小さいから当然なのに)




今の生活が私のしたい生活なの?
たぶん違う。
やりたいことばかりやっているはずなのに全体としては違う。




問題が起きてからこの答えにたどりつくまで、3週間くらいかかった。

先頭 表紙

僕も今は猛烈にしんどいです。仕事の環境を変えようとしているからです。毎日、一喜一憂しています。早く終わりが来ればいいならと思っています。 / ガス欠コイン ( 2012-11-11 10:21 )
みなみさんもよくご存知ですが、私は根がわがままなので、やりたいと思ったことはやり、飽きたら投げ出します。投げ出しても本当にやりたいことにはまた戻ってくるから。そうやって常にやりたいことを全力でやっているので、生き急ぐ感はあまりかんじません。命の短さを感じていないがための余裕なのか・・・。ちょっと考えてみようと思います。 / 霜月 透子 ( 2012-11-06 22:14 )
↓↓の記事のつっこみをここに入れさせてください。私もみなみちゃんと同じ感じでやってきました。なんつーかね、それって、食べ物の好き嫌いってだけじゃなくて、子どもが自分と世の中の折り合いをつけて行く初めの一歩のような気がして。。。 / しえろ ( 2012-11-04 15:23 )
私も人生のんびりしていられない、みたいな感覚があります。でもやりたいことをこなすだけの体力も精神的余裕も足りない、って言う。。もう少しバランス取れたら良いなって思ってます。 / いしざきともこ ( 2012-11-02 22:00 )
的外れかも知れないんだけれど、しんどいのは若さも(まだまだ充分に若いです、みなみちゃん)あるのだと思います。たぶんこれから本当にやりたいことが絞られて削ぎ落とされて最小限のものが残ると少し違ってくると思います。あ、みなみちゃんが生真面目なのはよぉく知ってます(笑)。 / 秋 ( 2012-11-02 06:10 )

2012-10-31 カタストロフィ

今日は早めに22:30ごろには布団に入れたのに、
いろいろ(幼稚園へのクレームとか)考えていたら眠れなくて(現在0:00過ぎ)、
腹痛まで始まった。たぶんストレス。
痛い。正露丸飲んだ。



今月に入ってから、自分の価値観の変更を余儀なくされたというか、
それまで自分が信頼していた場所、
ここならのびのびと臆することなく自分らしく居られると信じていた場所、
理想的だとさえ思っていた場所について、
あることをきっかけに、そう思えなくなってしまい、



そう思い始めると、それまである意味まっさらだった自分の意識に
いろいろなバイアスがかかってきて
(もともとかかっていた逆バイアスが解けたとも言えるのだが)、
それは、たびたびストレス性の胃腸の不調に襲われる程度につらいもので、




なんというか、多感な時期に太平洋戦争の終わりを迎えた人たちのことを思ってしまいます。



あれは侵略戦争でしたとか
天皇は人間でしたとか
大本営発表なんてうそぴょん☆とか
それで父ちゃん兄ちゃんおじちゃん死んじゃいましたとか

いやー、きっついと思うわ。
ありえね。

先頭 表紙

雅さん>そういえば、そうかも! ストレスで太ったことはない……なぁ。大体消化器の状態がおかしくなっちゃうので。食欲がなくなるほどのストレスはめったにないけど、たぶんストレスが高じるとそうなると思います。ダンナも同じタイプ。ポテチは美味しいっていうか、激しく後引く味だから、中毒になっちゃうの納得。 / みなみ ( 2012-11-06 23:08 )
秋さん>おかまいなく♪ / みなみ ( 2012-11-06 23:05 )
みなみちゃんはストレスで痩せちゃうほうだよね?私は今ストレスでまるまる太ってます。再び襲い来たポテチ中毒。でも一過性だから大丈夫と思っていると・・・。中毒が去っても増えた体重は戻らず〜。 / 雅(みやび) ( 2012-11-01 22:35 )
あらら、きっつい思いをしてる時に、下にいっぱいつっこみ入れちゃった(^^;;;  / 秋 ( 2012-10-31 13:44 )

2012-10-27 好き嫌いは許しません。

自分では当たり前の躾を当たり前にやってきたつもりだったんだけど
他の家の子の話を聞いたりすると
私の食事の躾(好き嫌いを許さない)はかなり厳しかったらしい……。
らしい、と過去形にしたのは、
今はもうけめぴこが6歳4歳になり
出された食事は好き嫌いなく全部食べるという習慣を身につけて
(けめ子に関しては完璧と言ってもよし)
私が注意する必要がなくなってきたから。

けめ子が先日、「しょうがくせいになるまでのおやくそくをつくるー!」
と言い出し、自分なりの目標を書き出していた。
そのうちの一つが、「ごはんをぜんぶたべる」だったので
「ごはんはいつもちゃんとぜんぶ食べられるから、
 別のことにしてみたら?」と言ったら
「じゃあ、”にがてなものもたべる”にするー!」と言っていた。
”にがてなもの”の内容を聞いたら、
「わさびとごうや(ゴーヤのこと)。あっ、とうがらしも!」だそうだ。
わが子ながらハイレベルだよ(笑)
ゴーヤが食べられるようになるかどうかは調理法によるところが大きいと思うので
私の工夫が試されますかね。

2人の子を育ててみた限りでは、
好き嫌いをさせない躾は4歳前までが大事な気がする。
私は、その躾だけは手抜きも妥協もしなかった。
だから、1〜2歳代の食事は本当に大変で辛かった。
私は外で仕事をしていなくて時間に融通が利いたからというのもあるけれど
怒り、褒め、おだて、数々のキャラクターを作り、芝居をし、自分の忍耐をフル動員して
ありとあらゆる手を使って食べさせた。
「じゃあ残していいよ」という言葉は極力使わないようにした。
私は、親が作った食事に、子どもが文句を言うということは
本気で許せないと思っているので
子どもの態度に激怒したことも一度や二度ではなく。
もちろん、子どもが無理なく食べられる内容と量の食事を出すことには気をつけていた。
それに対して子どもが難癖つけるというのは甘えです。(きっぱり)

その甲斐あって今はすごく楽。
そして他の子と一緒に食事をすると、好き嫌いの多い子がたくさんいることにびっくり。
子どものころ好き嫌いが多くても、そのまま大人になるわけじゃないから、
別にどうでもいいといえばどうでもいいんだけど、
子どもが、どこへ行っても出された食事を全部おいしく食べられるって良いことだし、
そういう風に躾けておけば、親の負担も子の負担も少ない。

思うんだけどね、この手の躾では、子どもに食べるものを選択させないことが大事。
子どもが、出したものを食べたがらなかった時、
「じゃあ、他のものなら食べる?」「これとあれ、どっちが食べたい?」
などと子ども自身に選ばせると、
子どもは当然、自分に主導権があると勘違いして図に乗るよね。
あと安易に「残してもいいんだよ」っていう空気を見せないことも大事。
出されたものはみんな食えーー!!! でいいと思います。

先頭 表紙

コインさん>自分で自分の食べるものを料理できるって大事なことですよね。生きることに直結しているし。食いしん坊も良いことだと思います! ところで、子供を育てていて思うのが、意外ときょうだいだからといって同じ教育(躾)を受けているとは限らないということです……。個人差ももちろん大きいですが。 / みなみ ( 2012-11-06 23:04 )
つづき>私自身そういう経験があるので、そのつらさは少し分かります。個人差も大きいですよね。でも、好き嫌いについてはやっぱり、物心のつかない(3歳以下)小さい時がかなり大事な気がします。そのぐらいだと、嫌なものを無理やり食べさせられて……という記憶も大して残らないのではないかと。そういえば、お菓子に対しても好き嫌いが多い子がけっこういてびっくりしますね。好きなものだけ選ばせているとそうなるのかな? と思ったり思わなかったり。 / みなみ ( 2012-11-06 23:01 )
秋さん>私も子供の頃は好き嫌い多い方でしたねぇ。幼稚園ではお弁当の時間に毎回ストレスで気持ち悪くなっていたし、みんなが帰りの支度をする時まで一人で食べていたし、学校給食では無理に食べて吐いたことも。でも3年生になったのを境にだいぶ良くなりました。なんでだろ。 / みなみ ( 2012-11-06 22:43 )
家庭の食事の工夫としては、一緒盛りはせずに各自の皿で定食様式です。吐くまでは我慢せずとも、とりあえず盛られたものは食べ残さない努力をする方式でした。今もですけど。最近の給食って無理に食べさせるのは虐待だから居残りさせないと聞いて本当にうらやましく、また、その通りだと思います。と、好き嫌いの激しいオバサンの自己弁護でした〜(笑)。 / 秋 ( 2012-10-31 13:32 )
もちろん私とて好き嫌いなく何でも食べるのは当たり前だしそうありたいと望んでいましたので、大人になるに連れ、なんとかある程度は行儀よく食べられるようになりました。だけど、子どもの頃のことを思うと、自分の子には無理強いできませんでした。結果、成人した上二人は私と同じカタチです。下の子は特に厳しくしなくても好き嫌いはないです。(つづく) / 秋 ( 2012-10-31 13:28 )
ちょっとこういう意見を読むとツライですね。確かにそうなんですけど。私の生まれ育った家庭は私以外は好き嫌いなく何でも食べました。両親はもちろん厳しく好き嫌いなく何でも食べさせようとしていましたし(そのせいで食事の時間は恐怖でした)学校ではいつも給食室に居残りさせられていました。無理に押し込もうとすると全部嘔吐しそうになるので口にも入れられません。(つづく) / 秋 ( 2012-10-31 13:24 )
立派ですな。僕は、親の躾が良かったのかどうかわかりませんが、ほとんど好き嫌いがありません。要するに食いしん坊なんです。兄貴は偏食ですが(苦笑)。それが今になって影響が出てきて、僕はある程度何でも料理ができるのですが、兄貴はできません。東京へ単身赴任で来ている今、何を食べていることやら。 / ガス欠コイン ( 2012-10-29 08:45 )

2012-10-27 TBS金曜ドラマ『大奥〜誕生(家光・有功篇)』

最近、なんだかんだ言ってテレビドラマの『大奥(家光・有功篇)』を見ちゃってるのであった。
ちなみに前の映画版(吉宗・水野篇)は見てません。


筋やセリフはかなり原作に忠実だね。
(↑原作もひっぱり出しながら見てる人。セリフは大体頭の中に入ってるけど時々あいまいになるので)
家光(多部未華子)は最初出てきた時、イメージが原作そのままだったので驚いた。
とても難しい役どころだと思うけど頑張ってるな〜という印象。上手。


田中聖(この人ジャニーズのアイドルなんだね)演じる玉栄も
いい感じだけど、原作イメージ的には10代半ば(17才の設定だけど15才くらいの感じ)
のちっちゃい生意気な小坊主だからなぁ。いろんな意味でちょっとでかい……。
有功よりでかい感じが……。
明慧と比べてもどっちが小坊主なのかわからないような体格&年嵩感だった。
まあ、この後は家光とのからみもあるし、小坊主小坊主していない方が
バランス取れるのかな。


問題は堺雅人の有功で……。
でも、あれは役者の力量云々というより、漫画の有功のイメージを
生身の役者に求めるのが間違っていると自分でも分かってはいる。
しかし、有功の涼やかなイメージを役者が表現しようとすると
常にニタニタとした薄笑いを浮かべた不自然な表情になってしまうのかと思うと
どうなのよと思っちゃうんだよね。
年齢的にももっと若い役者が良かったような……。
あと毎回カツラの不自然さが気になって仕方がない。


それにしても有功の女装がなかったのにはがっかり。
別に堺雅人の女装は見たくないし、製作側も視聴者に見せるのに無理があると
判断してやめたというのはよくわかるよ。
でもあれはビジュアル的にどうこう以上に、物語全体の重要な要だからね。
女装した有功と男装した家光が泣きながら抱き合うのが
あの倒錯した大奥の世界を表現する大事なキーなんだけど。
(漫画のあのシーンは私の漫画史上に残る名シーンですよ)
まあ、好意的な見方をすれば、女装という要素を抜きつつも
無難にうまいことまとめたなってところか。
原作ファンには「えー」って感じだけど
原作知らなきゃそんなこともないだろうし。


以上、原作ファンのたわごとでした。

先頭 表紙

秋さん>例えるなら三浦春馬みたいな中性的な美青年が良かったなぁと思います。あ、彼だったら良かったというわけじゃない(よく知らないので)ですけど。右衛門佐も堺さんなんですよね。なんでだろ。右衛門佐もイメージ違うんだけどなあ……。 / みなみ ( 2012-11-06 22:35 )
うっきーさん>あーやっぱり堺さん本人もつらいのか(笑)。あれ19歳の設定ですよね。でもって有功の女装はやっぱりないといけないですよね。側室女装のシーンで、一人原作と超そっくりな人がいたので驚きました。あっ先週の放送見忘れました。残念。 / みなみ ( 2012-11-06 22:31 )
もうちょっと、涼しげな美男子俳優が良かったです。堺さんは好きな俳優さんですが、この役は・・・う〜ん・・・。 / 秋 ( 2012-10-31 13:40 )
原作読んだけど持ってない私は、「あれ〜女装したような気がするんだけど。したはずなんだけど!!」と思いながら見てました。堺さんは暫く痛々しいかなあ(番宣で十代はきついと言ってました)…後何話か進めば年齢相応の役になる…はずだ…と思って見ています。涼やかさについてはともかく(^^; / うつぎ@未ろぐいん ( 2012-10-28 16:26 )

2012-10-26 イメージ重要

もうかなり昔だけど、山本耕史が
行きつけのラーメン屋を紹介するっていうのをテレビでやっていて
そこの大将が「彼が連れてくる女の人はみんな美人」みたいなことを
言ってて、山本耕史は苦笑って感じの雰囲気だった。
彼女変わるたびにこのラーメン屋に連れてくるのか……と思うと
妙に生々しくて、私は別にファンじゃないけど、
でもなんか「うへー」って気分だった。
洒落っ気の全くない(ゆえに彼女以外絶対連れて行かないであろう)
ラーメン屋ってところがまた生々しすぎて。
私がマネージャーだったらあの大将の発言はカットして欲しいって要望出すレベル。
山本耕史をテレビで見かけるたびにいまだにそれを思い出すんだよね。
イメージの大事な商売って大変だよね。
熊田曜子を見るとこれまたいまだにくまえり思い出すしね。

先頭 表紙

川島直美って言うと「マンガお笑い道場」で車だん吉とコンビ組んでたお姉さんだしね / みなみ ( 2012-10-26 23:23 )

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