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みなみの「さぼのーと」

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★お買い物ブログ 「こんなものを買った」

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2010-12-23 家を建てるという経験
2010-12-20 無為と自由と思考
2010-12-18 クリスマス会で歌ってきた (その1) 
2010-12-18 クリスマス会で歌ってきた (その2) 
2010-12-10 養命酒を飲んでみた。
2010-12-10 幼稚園のコンサートと成長記録
2010-11-29 目指せ100個! 捨てマラソン【87〜97個目】
2010-11-24 お久しぶりです
2010-11-07 ファミコン終了!!
2010-10-21 【CMT&オーボエ】切り離して、考える (その1)


2010-12-23 家を建てるという経験

家を新築するべく、夏に土地を買って、いま間取りを決めている最中です。
設計は義母、施工(棟梁)は義父。
こういう環境なので
(夫婦そろって田舎生まれで、「家」の概念が
そもそも一軒家だったというのもある。
それと、親孝行という意味合いも大きい。
特に義父にとって、息子の家を建てるっていうのは
大きな夢だったんだろうなと思うので……)、
マンションや建売ではなく注文住宅を選択した訳ですが
正直、注文住宅って贅沢だなあと思います。

私はもともと、マイホームには夢も執着もなく、
定年まで社宅で良いんじゃ……とか思っていたくらいなので、
なおさらそう思うのかも。
注文住宅というのは、金銭的に、身の程に合っていない気すらします。
安く上げようとすれば、中古の安いマンションがいくらでもある中で
こんなにお金のかかることをしてしまって良かったのだろうかと
貧乏性の私は思わずにはいられない訳です。

そこで、考え方を変えました。
高い金を払って、土地を買い、家を一から建てるのは、
「土地を買い、家を建てる」という経験を買っているのだと。
現に、少しずつ勉強をしていく中で、土地や家に対する興味は
以前とは比べ物にならないくらい大きくなりました。

最近は、用事のない週末はほとんど義理の実家へ行って(往復100km)
間取りについて深夜まで相談したりしています。
義母の話の端々から、建築家という種族のスキルのすごさが垣間見えます。
家の話を介して義理の家族と過ごす時間そのもの、
義理の家族のことを知ることができる(それは私のことを知ってもらうという
ことでもある)ということ、
そういう経験を持てるのも、家を建てることにして良かったと思えることのひとつ。

信頼できる身内に家を建ててもらえるのは、非常に恵まれていることだなあと
しみじみ思う今日このごろ。
これも、やってみなければわからなかったことのような気がする。

どんな家が建つのか楽しみです。

先頭 表紙

雅さん>ありがとう、確かに信頼できる人に家作りを任せられるのはとても恵まれていると思います。一からメーカーなり工務店を探すとなると、まずそこを信頼できるかどうかの判断から始めないといけなかったので、相当大変だっただろうなあ……。「仮住まい感」、うちのダンナも今の社宅に対してたまに言ってますよー。私は気にならないんだけど、やっぱり自分の物でないと思って、掃除とかいい加減にしちゃってる部分はだいぶあるような。。 「自分たちの家」に住んだらそれに変化はあるのか、今からちょっと楽しみです。 / みなみ ( 2010-12-26 02:17 )
ステキ!家を建てるって一生に一度あるかないかの事よね。しかも、信頼できる人に設計してもらえて、信頼できる人に施工してもらえるなんて!つなぎで少しの間だけ借りて住むつもりだった中古住宅を8年目にして買ってしまった身としては羨ましい限りです。ココは前に住んでいたおばあちゃんが注文して建てた家なので小さな子がいる身としては動線が悪いし、光熱費もかかるし・・・。我が家なのに、仮住まいみたいな感じがいまだにあるの。だからいつかは「自分達の家」が欲しいと思ってるんだけど。 / 雅(みやび) ( 2010-12-24 00:14 )

2010-12-20 無為と自由と思考

■無為

少し前の日曜日。ダンナは泊りがけの出張で留守。
珍しく何も用事のない日だった。
子供の面倒もろくに見ず、一日中布団の中でゴロゴロしながら
漫画を読んでいた。
一日が終わる頃、「無駄に一日を過ごしてしまった……」と
空しい気持ちに襲われた。

そういう気持ちを味わうのは、
ものすごく久しぶりだということに気づいた。
10代・20代のころは、かなりの頻度で、
そういう気持ちを味わっていたことを思い出した。

最近、午前中は毎日出かける用事があって、
昼に家に戻ったら、料理と食事。
一息ついたら幼稚園の迎えの時間。
その後は、けめぴこ二人を連れて
病院に行ったり、公園で遊ばせたり、家事をしたり。
あっという間に夕方。
忙しい。

空しさを感じるのは暇だから。
若い頃はものすごくたくさんの時間を無駄に過ごしてしまった……。
最近の私は違うけれども、
基本的に、人間は変わっていないと思うので
子供が成長して手がかからなくなったり
家族と死別したり別居したりして一人になったら
また無為無為の空しい人生に戻るのかも

とちょっと思ったりする。




■自由

最近の私は自由だ。
好きなことや楽しいことをいろいろしている。
やりたいことはまだまだいくらでもある。
んだけれど、身はひとつでお財布の中身にも限りがある。
のが残念だ。

あれもしたい、これもしたい、もっともっとしたい。
というのは、ブルーハーツの曲の歌詞だけど、
20代だった私は、それを聞いて、いい曲だとは思っても、
同じように感じることはできなかった。
やりたいことがなかった。
あるいは、やりたいことがあっても、実行することができなかった。
のかもしれない。

今はなぜか、少し違う。
あれをやりたい、これをやりたいと思う。
やりたいことをする実行力がある。
やりたいことをするためにはどうしたらいいか具体的に考えられる。

いまだかつてなく自由な感じ。
昔の私はどうしてあんなに不自由だったんだろう。
自分を不自由にしていたのは、いつも自分。
妙なコンプレックスとか思い込みとかいろいろ。
そんな感じ。


■思考

最近、ある会に入ったので、今日はその集まりに行った。
宗教団体ではないのだけれど、その会の創設者(故人)が、
キリスト教を信仰していた関係で、
その会では、集まりのはじめに、賛美歌を歌ったりする。
それから、創設者の文章を読んで、感想を話し合ったりもするのだけれど、
その中には、キリスト教の思想に触れた宗教的なものもある。
今日の読書のテーマに選ばれたのは、そういう、宗教色のある文章だった。
皆で段落ごとに音読し、その後に感想を話し合っていく。

私は特定の宗教は信じていない。キリスト教もしかり。
他のメンバーもそんな感じ。

でも、その文章のとある一節に、「これはこういうことを示しているにちがいない。」
と感じるものがあった。
キリスト教の神のことについて書かれてはいるが、そこに示されているのは
宗教に限定されないものであって、
人としての普遍的な生き方、心のあり方についてのことなのだろうなと。

宗教的で難しい、というか、一見面白くなさそうなその文章から、はっと気づけたことがあった。
自分の感性と思考が、それを、その文章から発掘した。

ひとつの気づきで、自分の幅がひとつ広がる。
面白い。楽しい。そして嬉しい。それはさらなる広がりの始まりだから。

考えよう。もっと考えよう。考えるのは楽しい。
考えるのには材料が必要だから、それももっと集めないとね。

先頭 表紙

秋さん>どんな仕事をしてどんなことをして生きていったらいいのか全然分からなくて困っていた20代のころ。今は亡き杉浦日向子さんが江戸時代に関する著書でそれと同じ事を言っていて(江戸時代は人々の生き方にも着物の形にも制約がある、でもその枠がある方がかえって自由なのだと)、いたく感銘を受けた経験があります。私もその通りだと思います。 / みなみ ( 2010-12-23 21:01 )
私もその方の著書が大好きです。自由って実は不自由で、括りがあるからその中で自由でいられるんだなぁというのは、年齢を重ねて知ったことです。 / 秋 ( 2010-12-22 13:12 )

2010-12-18 クリスマス会で歌ってきた (その1) 

今日は幼稚園のママさんコーラスの本番でした。
園のクリスマス会で歌ったのです。
ギャラリーは、園児と、年中の保護者。全部で300人くらい。
さりげなくお客さんいっぱい。

コーラスには夏から参加し始めて、
その時期から今日まで、夏、秋、そして今回のクリスマスと、
本番は3回あったものの、私は始めての参加。

ずっとブラスバンドの練習の方を優先させてきたから、
(特に秋はブラスのコンサートがあったのでブラス一辺倒)
練習も本番も出られなかった。
基本的に曜日が同じなんだよ……orz
今回は、楽器をメンテナンスに出していて、ブラスの方は一ヶ月近く
お休みせざるを得なかったので、おかげさまでたっぷりコーラスできたお。
歌、楽しい〜♪♪♪

みんなで衣装揃えて、サンタ帽かぶったりして、ちょっと緊張しつつも楽しい雰囲気。
ルンルン。
でも、あれですね……。
超ポピュラーな賛美歌やクリスマスソングを歌ったり。
歌に合わせてほんのちょっとした振り付けをしたり。
ハンドベルしたり。
そういうもろもろに合わせて、並び順や立ち位置を変えたり。

傍から見たら多分、決して難しいことには見えなくて、
さらっとやってるように見えるであろうことも、
実際やってみると結構難しいというか、
何度も練習しなくちゃできないこと。なんだなあ……。
と実感。

2〜3、歌詞とちった……。
音取れないところもあったし。
あと、本番前のリハで初めて、「あっ私、この箇所、間違ってる! みんなとずれてる!」
というところを発見……。
本番の1番ではそのまま間違えました……。
2番で修復。
メジャーな曲は、メジャーなだけに、
自分の中にある先入観の方が優先されがちだから、譜面通りに歌うのがかえって難しかったり。
ぬう……。

でも楽しく歌えたのでよし。
大きなトラブルもなかったし。

客席のけめ子も楽しく聞いていてくれたようです。
ぴ子はステージの上でウロウロしてました(笑)。
同い年のKちゃんと一緒に、ステージの端っこでちょこんと腰掛けていたのが
かわいかった。
あの二人の姿、正面から見てみたかった。

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2010-12-18 クリスマス会で歌ってきた (その2) 

演奏の後は、クリスマス会を鑑賞。
本来、年中組の保護者以外は入場できないのだけれど
コーラスのメンバーは、それ以外でも鑑賞できるのです。ちょっと役得。
サンタさん(扮装をした欧米人の男性。英会話の先生の知り合いかな??)が
登場すると園児はみんな釘付けに。もう夢中。

そこで思い出した、自分が幼稚園児の時のクリスマス会の記憶。
やはり、欧米系のサンタさんがやってきました。
本当に完璧なサンタさん。
しかしその時、私の隣にいた男の子が叫びました。
「サンタさんは、園長先生の友達だよっ!!」
私の通っていた幼稚園はカトリック系で、園長先生(神父)は外国人でありました……。
(確かカナダ人だったかな)

なんかもうね。圧倒的な説得力がね。
園長先生の友達がサンタさんに扮しているんだろうという、彼の推測にはありましたね。
「そ、そうか! そうなんだ! 確かにその通りかも!!」みたいな……。
30年経った今でも覚えているくらいだから、相当なショックだったのかもしれません。
私には、「サンタさんを信じていた記憶」というのがないです。
その「事件」の後も、もしかしたら本当にいるのかなー、くらいには思っていたような気がするのだけれど。
でも、「絶対にいる!」とかそんな風に考えていた記憶はない。

まあ、おそらく、あの男の子の叫んだ瞬間が、
あのサンタに対する夢が破壊された時だったのでせうね。

自分が親になった今、あの男の子が近くにいなければよかったのに……
とかちょっと思いまする。
子供には夢を見ていて欲しいよね。どうせ夢なんかそのうち覚めるんだしさ。
子供に夢を見ていて欲しいという大人の夢。
それもまた短い夢っぽいな。

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2010-12-10 養命酒を飲んでみた。

最近、昔からうっすら気になっていた「養命酒」を買ってみた。
1リットル1500円位。結構安いのね。
付属の小さなカップに注ぐと、トクトクトクと、とっても良い音がする。

箱の中に説明書が入っていて、14種類の生薬の名前と写真が載っている。
それを読むと体に良さそうでワクワクしてくる(笑)
就寝前に飲んでみた。
甘くて薬草くさいけど、酒飲みにはイケる! これ。
アルコール度数14度。気持ちよく飲める。

布団に入ってみた。
胃がぽーっと熱い。
それがだんだん引いてくる。
すると今度はなんと、両足の指がぽわーんとあったかくなってきた!!
想像以上の血行促進効果にびっくり。
さすが薬用。
養命酒のおかげで、全身が温まったのか、夜中に布団の肩のあたりを剥ぎ取っていた模様。
冬なのに。

しかし夜中、トイレに起きたら、気持ち悪い。
座っているのさえ辛く、一瞬でも早く布団に戻りたい気持ち。
養命酒のせい??

ここ5年くらいほとんど酒を飲んでいなくて、とにかくその点は自信がない。
先日、久しぶりに飲み屋に行って、ビールやら焼酎のお湯割やら4杯飲んだら
翌日の昼過ぎまで酒が残って、頭は痛いし、体は重いしで、だるだるだった。
昔だったらほとんど残らないくらいの酒量だったけど、もう違うねえ……。
酒は毒物だとつくづく思った。
もともと明晰でない頭脳がさらに鈍るので、あんまり飲むのはやめとこうとか
思ってしまった。(いや、子育て終わったらまた鍛え直す!)

でも、14度って言ったら日本酒と一緒でしょ……。
それを20ml飲んだだけでこんなに気持ち悪くなるか?
下戸ならともかくなぁ。。



と思ったら、案の定、子供の胃腸風邪が伝染していたのでした。orz



どうでもいいけど、養命酒を飲んでいたら、
子供にも飲ませたくなってきた。
これ4歳児に飲ませたら、酔っ払って速攻寝るよなあ、あー寝かせたいなあと(笑)
そんなことを考えていたら、はるか昔、子供の頃に、誰かにちょっとだけ養命酒を飲まされた、
遠い記憶がよみがえってきた。
淡い淡い記憶だけれど、確信できる。確かにいつか、そんなことがあった。
この小さなプラスチックのコップでこの変な味のお酒を飲んだことがあった。
飲ませたのは誰だろう?
祖母かな??
たぶんそうだと思うんだけど、よく覚えていないなあ。。



これからしばらく、養命酒、飲んでみようと思います。

先頭 表紙

まっきー>へー、飲みやすいんだー。ちょっと意外です。ハイパー、どんな味なんだろう……かなり甘そう。興味はあるけど飲むのは一口で良いかな(笑)。話のネタに良さそう。 / みなみ ( 2010-12-20 23:46 )
YINさん>確かに歯磨きは……(笑)。養命酒、寝る前に飲んだ後、口をゆすぐだけで済ませてますが、やっぱ良くないかなぁ〜。ベネディクティン初耳なので検索してみまーす。これまた修道院関係っぽい名前ですね。 / みなみ ( 2010-12-20 23:45 )
前にバーでシャルトリューズを飲んだけど、飲みやすかったことしか覚えてないです(汗) オロナミンCとヤクルトを混ぜた飲み物があって、養命酒が加わるとハイパーって名前になって人気でした。薬草臭さが苦手な人にはいいかも。 / まっきー@未ログイン ( 2010-12-11 18:56 )
私の枕元には10年近く薬草酒のベネディクティンのミニボトルがあります。眠れない夜に…と思うのですが、飲んだ後歯を磨くのか?と考えると(笑) / YIN ( 2010-12-11 09:29 )
そういえば薬草酒といえば一度は味わってみたいのがシャルトリューズ。そう思い始めてもう15年くらい経つけどまだ入手したことがない。 / みなみ ( 2010-12-10 23:55 )
「不老不死の霊薬として1605年にカルトジオ会で解読(作成?)された処方がフランス王アンリ4世の式部官であったマレシャレ・デストレに奉げられ、1764年にシャルトルーズ修道院に渡り、1767年に製造がはじまったとされる。(中略)詳細な製造法は、現在でもシャルトルーズ修道院の修道士3人のみが知る秘伝となっている。ブランデーをベースとして(中略)130種類のハーブを加え、5回の浸漬と4回の蒸留を経て調製されるということだけが公開されている。」 / みなみ ( 2010-12-10 23:55 )
以上ウィキより。シャルトリューズはエリクサーの一種なんだよ。そそるよね。ロマンだよね。ねっねっ。 / みなみ ( 2010-12-10 23:54 )

2010-12-10 幼稚園のコンサートと成長記録

6日、幼稚園のコンサート(ピアノ&フルート)を聴いてきた。
演奏したのはプロの音楽家のご夫婦で卒園生の両親とのこと。
あれだけじっくりプロのフルート聴いたの初めて。
やっぱりプロの音とテクニックはすごいのう。すべて神業に思えたww

とにかく音が太い(倍音たっぷり入ってま〜すって感じ)。
ダイナミクスの幅の大きさと自在さ、
速いパッセージでも正確さを失わないタンギング(当たり前だが、指とタンギングが一切ずれない)、
超絶技巧曲20〜30分ぶっ続けでもへたれずに吹き続けられる持久力……。
うおおお。それで食っていけるだけの演奏ってすごいね。
あと、プロは、いかに難しいフレーズを吹き終わった後でも、
「はあ、終わったー」って顔をしたりはしないのね(笑)
つねに余裕の表情で。

一番すごいなあと思ったのは、ダイナミクス(音の強弱)が
本当にあまりに自在なことだった。
超高速で音が動くパッセージの中で、ひとつひとつの音が
細かくきっちりコントロールされているのを聞いていると、
「息をいっぱい入れたら大きな音が出るでしょ?
息を少なくしたら小さな音が出るでしょ?
ただそれだけのことでしょ?」と言われているような気がした(笑)
実際はそれがものすごく難しいわけですが……。
息の量は変えつつ、息の圧力は常に最高に保つ、というのができないのよね。

ところで、奥さん(ピアニスト)が、演奏の合間に、
「うちの子供たちは中学生になり、しっかりしてきたので、
最近では私の方が怒られてばかりです。」とトークしたところ、
ぴ子が間髪入れずに「おこられてばかりでちゅ!!」と叫んだ。
場内爆笑……。
たぶん、自分の意味のわかる言葉が出てきて、嬉しかったんだろうな。

演奏があとほんの少しで終わり、というところになって、ぴ子が騒ぎ始めたので、
別室(演奏の様子がモニターで見られる)に移動したのだけれど、
モニター越しだと、やっぱり音が全然……。
音楽は生で聴かないとね。。
子連れでこういうプロの演奏を聴ける機会があるのは、本当にありがたいです。。。



最近のぴ子。あと数日で2歳半。

ご飯の食べこぼしはまだあるものの、一時期に比べればだいぶましになってきた。
排泄の事後報告はほぼ完璧。でもまだ大と小の区別はできない。
トイレはまだまだ無理。でも、出た後に言えるようになったから、あと少しかな……。
パンツの中にしてしまった後に、「でちゃった(;_;)」と言いながら、ものすごいがに股で歩くのがかわいい……。



以下、自分のためのぴ子記録。

・「タオルがない」「タオルがちっちゃくなっちゃった」掛け布団(毛布)が自分の体にかかっていない、の意。
・「おぷとん」ふとん。
・「ぷちゅーん」スプーン。
・「こーく」フォーク。
・「ぴ子ちゃん、ぷちぷちできてない! できてない!」
水いぼができたかも、ということで皮膚科に行ったら(水いぼの治療はかなり痛い。現在けめ子が治療中)、
こう泣き叫んで否定しまくり。よく意味がわかっている。結局ただの湿疹で一安心。
・「ねこちゃん」
私の猫の靴下(猫の顔と、フェルトでできた耳がついている)が超お気に入り。
人形ごっこによく使っている。
「ちゃいろねこちゃん」「ぴんくねこちゃん」の二種類がいる。「ぴ子ねこちゃん」と呼ぶと、
猫になりきって「にゃーん、にゃお、にゃお〜」と返事する。
「ぴ子ちゃんは何色ねこちゃん?」と聞くと、だいたい「ちゃいろねこちゃん」と答える。

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2010-11-29 目指せ100個! 捨てマラソン【87〜97個目】

うーん、なんと2ヶ月ぶりの捨てマラソン。
今回特筆すべきはプラチナの指輪ですね。いや別に、ゴミ箱にポイした訳じゃないけど。


87.子供が壊したおりがみケース
88.古い証明写真
89.よれた大人用靴下
90.よれた子供用靴下
91.楽器関係の小物を入れていたが、金具が壊れてしまった100均のポーチ
92.【貰】壊れた鉛筆削り器
93.よれた下着5点
94.【貰】布団袋9枚【母へ】
95.【貰】アクセサリー箱の肥やしになっていたプラチナの指輪【リサイクルショップへ】
96.もう着ない洋服やパジャマ、大きなビニール袋2つ半【リサイクルショップへ】
97.バッグ2点(貰い物のピンクの手提げと無印のショルダー)【リサイクルショップへ】

少々コメントをば……。


92.鉛筆削り器。
子供が成長してきて、鉛筆を使うようになってきたので、鉛筆削り器が欲しいなーと
思っていたところ。3月に親戚の家に行ったら、もうほとんど使っていないという
鉛筆削り器があったので、ねだってもらい受けて来た。
おそらく従姉・従兄が子供の頃から使っていたもので、30年ものだと思う。。
早速家で使い始めたら、しばらくして、鉛筆を固定する金具の部分が駄目になった。
住み慣れた(?)家を離れて、自分の役割も終わったと思ったのかな。
無印で買い直しました。でもちょっと小ぶりで安定性が良くない…。
長く使うものなのでもっとじっくり探せば良かったかな。

94.布団袋。
これまで使っていた布団袋(もらい物や、布団を購入した時についてきたもの)が
使いにくかったので、思い切って全部処分し、買い換えた。
新しく買ったのは、オレンジページの収納特集で紹介されていた円筒形の収納袋。
http://www.rakuten.co.jp/brico/429250/445080/599587/
敷布団用、掛布団用、毛布用、2つずつ揃えて8000円以上。
高かったけれど、押入れがすっきりしたし、布団を取り出しやすくなったので
かなり満足。押入れの中のスペースもかなり節約できた。
入りきらなかった布団は、やはりくるくる丸めて縛り、古いシーツで包んだ。
これでも十分といえば十分だけど、出し入れはやっぱり専用の袋の方が楽だね。

95.プラチナの指輪。
とある日曜日。家でまったりしていたら、突然玄関のチャイムが鳴った。
来客の心当たりもなかったので、警戒しつつ出たら、スーツを着た男性が立っていて、
貴金属リサイクルの出張買取だという。
鑑定士も一緒に来ていて、その場で鑑定して査定してくれるというので、
家で眠っているプラチナの指輪を見てもらった。
その指輪は、むか〜し、とある男性にプレゼントしてもらったもの。
でも、別に取っときたいものでもないし、取っときたい思い出もないし、
身につけるのもなんだし、前々から売りたいなーと思っていた。
でも、家に置いといても腐るもんじゃないし、場所も取らないし、
指輪ひとつを店に持ち込むのは面倒で、何年も放置していた。
そこに出張買取。これは上手い商売方法だなぁ。
(ちなみに都内から買い取りに来たらしい。ちょっとびっくり。でもしっかり元が取れそうw)
34グラムで5000円。相場と比べたら格安なんだと思うけど、出張買取というアイディアに
感心したので、それで良いかなと。引き取ってもらった。

97.古着
全部で260円ちょっとで引き取ってもらった。
33000円とか、6000円とかの値札がついた新品の服も入っていたので
もうちょっといい値段がつくかなと思っていたのだけれど、
シーズンを外していたので安くなっちゃったみたい。
ちょっとがっかり。

先頭 表紙

2010-11-24 お久しぶりです

久しぶりといっても2週間ちょっとしか空いてないわけですが。
精神的にはなんだかすごく久しぶり。ログインは時々していたんだけども。
今日、ログインしたら、♂さんの日記が昨日でおしまい。というお知らせがあって。
またお気に入りのライターさんがひまじんからいなくなってしまうわぁ、と。
ここもますます寂しくなりますね。悲しい。
でもまた会えますように。ここで出会えたいろんな人に。離れてしまってもまたいつか。
またどこかで。





なんだか最近、mixiのつぶやき機能がクローズアップされてからというものの
どうもmixiメインになってしまって、ひまじんから足が遠のいてしまっていた。
つぶやきの手軽さを味わってみると……ツイッターが流行るの、分かるわぁ。
私は携帯とかではネットしないことにしているので
ツイッター系の手軽さ、その真髄は決してわかっていないと思うけれど。

ただ、思うんだけど、ツイッターやつぶやきのように、文字数が制限されると
書く内容も制限されるね。
あと、言いたいこと言いっぱなしになるというか。
(それができるからこその「手軽さ」でもあるわけだけれど)
書く内容が制限されるということは、ある意味、思考が制限されると
いうことでもあると思う。
書けば書くほど思考が深まっていく……
「書くこと」には、そういう作用もあると、私は確信している。
ここで10年近く日記を書いてきた末の、それが実感。

私自身は、書くことを思考のツールとして使いたいので、
ツイッター系の手軽さも良いし、面白いけれど、
それだけにどっぷりはまるのは、良くないかなぁとも感じている。

そういえば、香山リカが、『なぜ日本人は劣化したか』という新書の中で嘆いていたが、
最近の雑誌から彼女が依頼される原稿は、極端に文字数が少ないらしい。
6000字は必要と思われるような内容に、600字の指定がつけられていることもあたりまえ……
みたいな話だったと思う。
それだけ文字数が少ないと、物事の因果関係や説明をほとんど書き込むことができず、
ごくごく端的な、箇条書きのようなものしか書けなくなるということだった。
なぜそんなに少ない文字数を編集者が指定してくるかというと、
「それ以上長い記事は読者が読めないから」だそうな。

そんなあれこれも頭の片隅にとめおきつつ、書くことは続けていきたいと思います。
何度目の「書き続けます」宣言なのかか、もうわからないくらい宣言してるね、私(笑)
好きだから続けていこう。少しずつでも。
変人マスターの経営する学生街の喫茶店のように。
それがここ何年も変わらない私の目標。

先頭 表紙

でむでむ>長いから読めないってのは、「読みたくないから読めない」んだろうか? 仕事の書類とか学校のテキストだったら皆読めるのかな? 根本的に本当に読めないのかなぁ。 どうだろね。最近のバラエティとか、ほんとどうかなと思うよ。短いのもそうだし、中身がなさすぎる。お笑いも、練り上げたコントとか今はほとんど見ないね(私が知らないだけ?)。頭を使わないから娯楽っていうのもわかるけど、テレビつけてうんざりして消すこともしばしば。 / みなみ ( 2010-12-04 04:22 )
マッキィ。さん>前、ひまじんオフに参加して、ここで書いている人は本当に文章を書くのが好きな人が多いんだな、と感じたことがあります。今ではだいぶ寂れてしまったけど、やっぱりいい場所だよね。マッキィも頻繁な更新よろしく(笑) 私もがんばります。 / みなみ ( 2010-12-04 04:19 )
ちゃあ。>ありがとう。そう言ってもらえるとすごく嬉しい。ちゃあの言ってること、よくわかるよ。忙しい毎日を過ごしていると、目の前のことだけ見て考えて、それだけで毎日終わってしまうよね。お互いちょっとずつでも脳みそ耕していこう☆ そして、立派な大根を安く買えたのはすごく大事なことだと思う!(笑) / みなみ ( 2010-12-04 04:18 )
雅さん>ありがとう。雅さんのようなつっこみを入れてくれる人がいるから、書いた日記に一件もつっこみが来なくても私は寂しくないんです。ちゃんと、読んでくれている人がいるなって、感じられるんですよ! / みなみ ( 2010-12-04 04:15 )
よくmixi記事でもちょっと長い記事だったりすると「ながくて読めない」みたいなコメントがたくさんつくんだけど、あの程度で長くて読めない人って普段の生活どうしてるんだろ、と思うよ。。お笑いも瞬間芸や短時間コントばかりになってるし(つまりそのほうが視聴率が上がるんだろう)、「娯楽」はなるべくアタマを使わない方向に流れてるのかな。 / 電ボ屋 ( 2010-11-27 15:06 )
ここは考えた文章を書くライターが多かったと思います。それに刺激を受け、わたしもしっかり考え、そして書く、鍛えられた場所です。ときに軽いノリで書いたこともあるけれど。だから、「嗜好が深まっていく」のはとても共感します。わたしも書き続けまーす!もっとペース上げて(汗) / マッキィ@未ログインで失礼 ( 2010-11-26 16:59 )
私も、みなみの思考を文字にした文章読むのを楽しみにしてる。まさに「思い」「考え」た言葉はこちらにも思考することを促してくれるからすごく有難い。私はともすれば日常に流されて思考しないで生きてしまうから。Twitterも便利だけどね。でも、立派な大根を安く買えた、とかくだらないことしか私は書いてない(^^;) / ちゃあ。 ( 2010-11-25 23:03 )
しつこいようだけど、ワタシひまじんの、深〜いみなみちゃんの日記スキなんだなぁ。楽しい日記もそうだけど、気軽に突っ込めない感じの時も、つっこまないけど、一所懸命ふむふむと考えながら読んでるのよ〜。 / 雅(みやび) ( 2010-11-25 22:06 )
ここにも、コッソリ更新を心待ちにしている読者がいるのよ。(笑) / 雅(みやび) ( 2010-11-25 22:04 )

2010-11-07 ファミコン終了!!

いやーーーーーー
本日、われらがママさんブラスの第二回ファミリーコンサートが無事終わりましたああ。。
個人的には、最後の2曲を除き、極度の緊張によるパニック状態の中で吹いたので
(本っ当に緊張ってのは恐ろしいよ!! 詳しくは後述)
なんだかんだと思うところはあるのですが
でも、大きなトラブルもなく終わって良かった。

去年のファミコン、私は、客席側で見ていたため、今回が初出演。
その時は、皆の演奏を聞いて「みんなで一から始めたバンドがここまで来たんだ……」と
一人感動していたけれど。
今年は、これまた、演奏中に「こうして演奏できて幸せだなあ……」と
しみじみ感動(笑)
まあ、同じ感動は、毎回の練習でしょっちゅう感じているのだけれど。
また改めて。

中学の部活で吹いていた時は
楽器を吹けること自体が幸せとか、みんなで演奏できて幸せとか、
そういうことはたぶんあまり感じてなかったなぁ。
ソロは大好きで、楽しみながら吹いてたけど(笑)
今はソロをぜんぜんまったく楽しめないかわりに、幸福だけはバリバリ感じてます。
両方手に入れば言うことないんだけどね(^_^;)

大げさと思われるかもしれないけれど、私が楽器を吹ける場所、吹く場所は、
ここしかないという気がする。
私のような初心者レベルのプレイヤーを受け入れてくれるっていう意味でもそうだし、
他のいろいろな意味でもそう。
今日も、私には、子供を預けられる人が誰もいなかったので(ダンナは先週から出張中)
演奏中に託児(団がプロのシッターに依頼。利用料金の半額を団が補助してくれる)を
利用したんだけど、、それがなかったら私は演奏会には出られなかった。

そういう細かいシステムをはじめとしたいろいろなものが、
「もとからそこにあったもの」とか、「誰かが作ってくれたもの」とかじゃなくて、
団のみんなが、自分たちのために、一から考えてつくりあげたもの。
そういう実感が持てる場所だな……と。
コンサートも同じ。
今年は、コンサートの運営に関係する係に入ったので、そういう部分にも多少関わったけど、
コンサートを作るのって面白いんだね。

しかしとにかく今日は緊張して疲れた。そろそろ寝ます。
明日は公民館のストレッチ教室(無料、しかも託児付き!)、
終わったら幼稚園のバザーに顔出ししようかな。
バザーは終了間際しか行けなさそうなのでちょっと残念。

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2010-10-21 【CMT&オーボエ】切り離して、考える (その1)

ママさんブラスの立ち上げに関わって
オーボエを再開してから3年3ヶ月。
CMTの診断を受けてから、ちょうど3年。
私にとって、これまでずっと、オーボエを吹くことは、
自分がCMTであることを思い知ることとイコールだったけれど、
それが、この1ヶ月半ほどで、ちょっと変わってきた。

私の所属するブラスバンドは、来月に2回目のコンサートを開く。
私は、昨年8月から今年の4月まで、髄膜炎の後遺症のために
休団していた。
復帰してからもあまり調子が良くなくて、
練習は休みがちだったけれど、
コンサートは出ると決め、9月から本腰を入れて練習を始めた。

出演するにあたり、本番用のリードを準備しなくてはいけない。
そのためには、既製品のリードを削って調整するための、リードナイフが要る。
ナイフは、私が思うに、楽器と、リードと、掃除道具の次に必要なものであって、
本当ならば、オーボエを再開したその時点で、持っていなければいけないものだった。

それなのに、なぜ3年間も、私はナイフなしでやってきたのか。
実家に、昔使っていたナイフがあるのはわかっているが、
今から探しては間に合わない。
結局、1万2千円も出して同じナイフを買った。
どうして私は、3年間、1度もナイフを探そうとしなかったのか。
自分で自分がわからない。

……でも、今、その答えがわかった。
私は、多分、この3年3ヶ月というもの、ずっと、
オーボエを吹くということに、正面から取り組めていなかったんだと思う。
私にとって、オーボエを吹くということは、
自分の指が思い通りに動かないということ、
自分の体がどんどん自分でコントロールできなくなっていくということ、それを思い知ることそのものだった。
だから、練習帰りの車の中では、毎回つらくて泣いていたし
楽器を吹くのも嫌な……というか、髄膜炎のために休団せざるを得なくなって
ほっとしていた時期、というのが確かにあった。



つまりは、楽器を吹くことと、自分が病気であることを、混同していたのかなと。



でも、CMTはCMTで、オーボエを吹くことは、オーボエを吹くことで、
体を使って楽器を吹く以上、そこには大きな関係があるけれど、
だけど、別のものなんだね。
「切り離して考えれば良いんだ」、
そう意識する前に、自然と、切り離して考えられるようになった。
言葉は後付け。

CMTを受け入れることはできないと思う。多分死ぬまで。
症状は、改善せず、停滞せず、それこそ死ぬまで、ずっと進んでいくと思う。
それを受け入れろったって無理な話かと。
症状が進むたびに凹み、ショックを受け、やっぱり病気なんてやだなあと
思いながら生きていくに違いない。
でも、それでいいんじゃないかなと思う。
というか、それしかない。

どうして、「切り離して考える」ことができるようになったのか、原因を考えてみると、
団内のいろいろな人に、思い切って、ちょこちょこと
「自分はこういう病気で、手が思うように動かない」ということを話したこと。
みんな、さりげなく気を使ってくれて、それでとても精神的に楽になったこと。
病気についていろいろ情報交換したり、つらい時に話を聞いてくれる
CMT仲間がいること、
それとやっぱり、自分で「これは本気で練習しなくちゃ!」と思って
真面目に練習し始めたこと
(できないことに目を向けるのではなく、努力してできることと
 努力してもできないことを見極めて、できることに力を注ぐようにしたこと)。
多分その3つがすべてかな、と思う。


おかげさまで楽器を吹くことがとても楽しくなった。
皆様感謝。

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コインさん>「薬を飲まないと生きていけない」「薬がないと不安だ」……確かに随分ニュアンスが違うかもですね。いずれにせよお大事に。ブランク長くても、練習すればちゃんと(ゆっくりだけど)上達するみたいですね。今年はそれに気づけたので良かったなと思います。コインさんもギター是非弾いてください! / みなみ ( 2010-11-24 22:52 )
ちょっと言い過ぎたかな。薬がないと不安だという意味です。僕も二十年近く弾いてないギターでも弾こうかな / ガス欠コイン ( 2010-10-29 14:36 )
僕も二つの病気を抱えている。いずれも命に別状はない病気だが、薬を飲まないと生きていけない。みなみちゃんは大したもんだと思う。まあ、頑張りすぎないようにやってください。 / ガス欠コイン ( 2010-10-29 14:29 )

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