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みなみの「さぼのーと」

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★お買い物ブログ 「こんなものを買った」

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2010-06-25 2年ぶりに演奏会出席
2010-06-19 ゆうつい
2010-06-18 けめぴこ近況/角界だめぽ
2010-06-17 パソコンの中には誰もいないのに
2010-06-16 結婚に伴った選択がトラウマ
2010-06-15 上品とはなにか
2010-06-15 【出産記録】2年前の6月12日(その1)
2010-06-15 【出産記録】2年前の6月12日(その2)
2010-06-15 焦らなくていいから、自分のペースでゆっくりやろう
2010-06-09 私の家遍歴


2010-06-25 2年ぶりに演奏会出席

ここ数日でようやく少し憂鬱が晴れてきた。
やっぱり体調の影響が大きかったみたい。
ここのところ、必要な用事以外はほとんど外出せず、家でごろごろしながら
漫画や小説を読み漁ってた。
近年まれに見る読書量。(といっても新しく買ったものはなく家にあるものばかり)
かなりの現実逃避度だったと思われる。
子供から伝染った風邪が抜けてきたら
気分もすっきりして、横になる回数も減ってきた。
子供を外で遊ばせる気力も湧いてきた。

今日はブラスバンドの訪問演奏に行ってきた。
保育園での演奏会。
朝、高速を使って片道40分。
帰りは下道で1時間。
先月や先々月だったら、元気がなくて行けなかった。
(そもそも、本番どころか、練習も1度も行けてなかった……)

練習不足もあって私自身の出来は散々だったけど
演奏会に出られただけで今回は良しとしようかな。
私が本番に出たのは、なんと2年ぶり。
(バンド自体は、この2年間で10回くらい本番をこなしている)
私が出演した前回の本番は、ちょうど2年前の5月末。
ぴ子が生まれる2週間前だった。
それから、産休でしばらく休団。
ぴ子が1才になったら、髄膜炎で倒れ、その影響で半年休団。
その間、CMTの件で鬱々としたりと、色々あり。
また演奏会に出ようと思えるようになったのは、
メンバーの気遣いによるところが大きい。
ありがたいことです……。

憂鬱が晴れてきた、とはいえ、
憂鬱の根本的な原因は、
自分自身の性格や性質や能力のせいで、自分自身の人生を十全に生きられない
と、自分自身が感じている。
というところにあるので、

なんというか、
憂鬱がすっきりと晴れきることは多分ありえないのだけれども。

子供を育てていると、
人間の性格やエネルギーは持って生まれたものが大であること、
その性格やエネルギーの質と大きさがその人の生き方を大きく左右すること、
それら(性格やエネルギー)がうまく回り、スムーズに流れる、ような道筋を自分自身でつけられるかどうかが
とても大事であること
などが、ものすごく良く分かってきてしまって、
なんというか、あーっていう気分になるのですがね。

精神は、努力次第でまだいくらでも矯正できるかなあ、っていうのが
幻想かもしれないと思いつつも、希望でもあり。
同時に、努力次第で矯正できるかもと思うこと自体の裏に
また堂々めぐりする憂鬱が潜んでいるわけでもあり。


と、書いていて、私って筋金入りの怠け者だと思った。
私以上に怠け癖のある人ってあんまり見たことない。
うちの母親くらいかな(笑)
(でも真面目な話、あの人のは怠け癖じゃなくって病気なのかも)

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ちゃあ。>そうなんだよー。怠ける→鬱になる→さらに動けなくなる。調子が悪いとこの循環が始まっちゃう。そろそろ私も外に出て働いた方が良さそうだと思ったり……そう思えるようになったのは毎日に余裕が出てきた証拠かね? / みなみ ( 2010-06-26 19:46 )
多分私の方が怠け者よー。怠けるのがわかっているから仕事した方がいいと思って働いてる。金銭的に苦しくなくても働かないときっと怠けて鬱になっただろうな。体調第一だけど、外に出るのは怠け者にとってはとてもいいことだと思うよ。 / ちゃあ。 ( 2010-06-26 00:22 )

2010-06-19 ゆうつい

なー。


(ゆうつい=憂鬱+い)


なんか、アストラル体が肉体から数センチずれちゃってるような気分。
ここのところ、ずっと。


ひまじん日記も最近全然。書いてて乗らない。

昨日の夜中には、私の通っていた大学の掲示門の前に立っていた
「直樹地蔵」のことを書こうと思っていたのだけれど、
朝になったら書く気力がなくなりました。


最近は外出も最低限で、家にいる間はほとんど横になっています。
筋力が低下しているのを実感できます。
これではいけないと思うけれど何をするのも億劫で。


気分が乗らない時は食事に困る。
頑張って作っても、そういう時は、かなりの確率で大失敗するからな……。
料理に集中してないんだろうね。
ものすごく簡単な手順のものしか作っていないのに。
焦げちゃったり味がいまいちだったり。


今日も頭痛がする。風邪薬を飲んでいます。

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2010-06-18 けめぴこ近況/角界だめぽ


昨日からけめ子は熱と咳で幼稚園欠席。夜中に40度超えの高熱。
本人元気そうだけど、さすがに40度超えると寝苦しかったみたい。
日中外出しなくてよかった。(友達とのランチをキャンセルした)

今日からぴ子も熱が出てきた。ここ数日ものすごく機嫌が良くない。
体調のせいかなあ……。
それと、ここ一週間くらい、チャイルドシートに乗りたがらなくて騒ぐ。乗っても脱出する。
私は、子どもがチャイルドシートに座らないのは絶対許さないので、厳しく叱るし叩きもするけど
2歳児は、チャイルドシートの必然性がまだよくわからないらしい。言うことを聞かなくて困る。
(けめ子はどうしてチャイルドシートに座らなければいけないのか、ちゃんとわかっていて、
私と一緒にぴ子に説教してくれる。4歳ってすごいね)

全般的にぴ子の自我が強くなってきた気がする。魔の2歳児とはよく言ったもんだ……。
考えてみたら、今までぴ子はおとなしかった。
けめ子に比べてほとんど手がかからなかったからなー。これからかなー。
ぴ子は、ここ1ヶ月くらいで、「あじゅちゃん(けめちゃん)」「ぴこちゃん」と、けめ子と自分の名前を言えるようになった。
たまに間違えて、自分のことを「あじゅちゃん」って言ってるけど(笑)





私、別に相撲ファンじゃないんだけど、相撲の今後って、心配といえば心配。
相撲って、20年後、30年後にはどうなっているのかなぁ……。
角界の不祥事があれこれ噴出して、ダークなイメージが一杯ついちゃってて、
日本人の新弟子がこれから増えるとはあんまり思えないし
年配のファンは亡くなっていくだろうし。
相当衰退していくのではなかろうか。


暴力団と通じて組織的賭博ねぇ……みんな脳みそまで筋肉なのか???


相撲自体は、面白いと思うけど、国技とか神事っていう言葉で
権威付けしてるところがかなり胡散臭い。
30代の私ですらそう思うくらいだから、もっと若い人の感覚にはとてもマッチしないだろう。





五月場所7日目に両国国技館に相撲観戦に行ってきました。
木戸口には、見覚えのあるあの親方が!(この場所が木戸口デビューだったらしい)
親方にチケットを切ってもらっているのは、でむぼ君。じゃなくって知らないお兄さん。

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でしょww / みなみ ( 2010-06-20 11:55 )
後姿似てるなwwwww / 電ボ屋 ( 2010-06-20 06:48 )

2010-06-17 パソコンの中には誰もいないのに

ついパソコンを開いてネットに繋いでしまう。誰もいないのに。


















うーん、調子悪い(精神的に。でも体調も良くないのかも)。ここんとこずっと……。

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2010-06-16 結婚に伴った選択がトラウマ

私は、5年ほど前に結婚して、名前が変わり、仕事を辞め、
住む所も変わったわけなんだけども、
考えてみたら、結構そういうのってトラウマかも……。と思う。

住所はまあ、一番どうでもいい。
住む場所変わったら、人間関係も変わっちゃうけど、
本当に本当に繋がり合っていられる人とは、それでも変わらず付き合っていけるから。
そういう人は本当に本当に数少ないけれど。

新しい名前には、最近ずいぶん慣れてきた。
旧姓を失ったら、自分の名前がなくなるような気持ちになったし(私は家族・親戚・幼馴染以外には名字で
呼ばれていたので)、
新しい名字と下の名前のバランスが恐ろしく悪くなったし、
そもそも慣習的に女性が姓を捨てなければいけないというのも嫌だったし、
名前が変わることに関してはマイナスの感情しかなかったけど、所詮名前なんて本質には関係ないので
これもまたどうでもいいといえばいい。

一番ひきずっているのは仕事を辞めなければいけなかったことだ。
自分で選択したことではあるから、現実では、絶対、誰にも愚痴らないけど(今、ここだけには書く)、
今でも、落ち込んだ時には「本当は、仕事辞めたくなかったのにな……」とか思ってしまう。
ただの派遣の事務職で、給料は安くて、たいした責任もなくて、雇用も不安定だったけど、
自分の力を活かせる仕事だと思えたし、それに対して、その時の自分の持てる力を全て注ぎ込んでいたから、
その仕事から得られるものは全部得ようと思ってやっていたから。
人間関係も良かったし(恵まれてたし、努力もしてた)。

これが、頭のいい女の人なら、こういうものを全部失わずに結婚だってできたのかなと思う。
若い時からの計画性が必要だよね。
運や縁も必要か。





私信:えとうさん江
おひさしぶりです。姪御さんのお誕生おめでとうです(これからますます可愛くなりますよ)。
えとうさんのブログのアドレス紛失してしまいました……。よかったら教えてください。

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2010-06-15 上品とはなにか

より本能的ではないこと。

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本能を他者が不愉快にならないように表現すること?かな。 / 萩 ( 2010-06-15 18:03 )

2010-06-15 【出産記録】2年前の6月12日(その1)

に、ぴ子が生まれました。
その時書いた記録をUPし忘れていたのでUPしておく。




■3:00ごろ 陣痛らしき腹痛で覚醒

たぶん20分間隔くらい?
最近、朝方生活をしており、もともと3:30に起きて弁当を作るつもりだった。
予定通り起床するものの、そわそわして弁当は作る気になれず。

■7:00ごろ おしるし来たる

けめ子のお腹の調子があまり良くないので、本当は保育園を休ませて
しっかり治療食を食べさせる予定だったが
私の腹痛が陣痛であることは間違いないようなので、登園させることにした。
盲腸君には前日のカレー、けめ子はパンとバナナで簡単に朝食を済ませてもらう。
7:30、盲腸出勤&けめ子登園。
念のため、入院に備えて家の掃除をし、シャワーを浴びる。
寝ていた時に比べて、家事を始めると、少し陣痛が遠ざかった。

■10:00 病院へ

雨が本降り。
ちょうど健診日だったため、車を運転して病院へ行く。
陣痛の間隔は10〜15分くらい?
即入院とはならないだろうと思ってはいたが、その通りだった。
O先生の、「次は病棟で会いましょう」という言葉が格好よかった(笑)

■12:00 帰宅

昼食をとり(朝食は食べそこねた)、徒歩で郵便局とスーパーへ行く。
陣痛は、普通に歩ける程度。
間隔は5分前後で立て続けに来たかと思うと、20分近く開いてしまう時もあり。
家で時計とにらめっこしながら、いつ病院に電話しようかと
そわそわしながら過ごす。


■13:30 病院に電話

陣痛の間隔が8〜9分で安定してきたので、病院に電話する。
看護師長さんが応対。
「経産婦だし、急にお産が進む可能性もあるので、もう入院してください、
 タクシーで来てください」と言われたところ、
「14〜15時に主人が帰ってくるので、送ってもらいます」と食い下がる。
この余裕……二人目ってすごいなあ(^_^;)
14:00、盲腸帰宅。

■14:15 入院

陣痛室に入る。NST検査(1時間弱)。抗生物質の注射。
分娩室から出産中の人の悲鳴が聞こえる。怖いようなうらやましいような……。
しばらくしてLD室へ移る。

■LD室にて

16:30〜17:00ごろ盲腸君とけめ子が来て、18:00前に帰っていく。
(けめ子の食事・入浴・寝かしつけのため)
18:00に食事。3分の1ほど食べる。あまり食欲がない。
このあたりで内診。子宮口の開きは5センチ。
20:30ごろ? 母が来る。

LD室では途中からずっとテレビをつけていた。
画面の時刻表示で陣痛の間隔を測っていたのもあるし、
適度に雑音があると落ち着いた。

〜17:00 大奥
〜19:00 ニュース番組
〜20:00 徳光和夫のなんたら「逢いたい」
〜21:00 うたばん
21:00〜 木曜洋画劇場

「逢いたい」の後半から陣痛が強まってきた。
「うたばん」のゲストは中尾彬だった。ことくらいしか覚えていない。
21:00になり、私の大っ嫌いな「渡る世間は鬼ばかり」が始まりそうになったので
母にチャンネルを変えてくれるよう頼む。
それ以降、テレビの内容は全然わからない。

途中から助産師さんが来て、ずっとマッサージをしてくれた。
おかげでものすごく楽だった(といっても痛いけど……)。
マッサージに身を任せていると上手く力を抜くことができた。

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2010-06-15 【出産記録】2年前の6月12日(その2)

■21:40ごろ さらばLD室

21:00前後から、陣痛時に悲鳴が上がるようになる。
そのうち、さらに一段階痛みが増し、「いきみたい感じ」が出てきた。
そこですぐに助産師さんが内診。
どうでもいいけど、陣痛の波が来ている時の内診ってホント痛いよな……。

内診の結果、子宮口全開(!!)。
「分娩室へ行きましょう」との助産師さんの言葉に
「えええー?! こんな程度でもう分娩室行けるんですか?
 これでもう全開なんですか? これでいきめるんですかっ?!
 一人目の時って一体なんだったんだ!!」
と叫んでしまったワタクシ。

いや、それくらい、けめ子の時は大変だったのですよ。
今回だって十分痛かったけど、前回は、
そこからさらに痛さがもう一段階アップして、
時間ももっとかかったからね……。

■22:02 出産、初対面

分娩室に移動すると同時に母が盲腸君へ連絡。
が、立会いは間に合わず。母も立会いできず。

今回は前回と違って陣痛の間隔が短かったせいか(おそらく3分くらい)
いきむタイミングは、自分ではほとんど見極められなかった。
助産師さんの指示に全部お任せ。

前回はいつ破水したのかわからなかったけれど
(入院前〜入院後にダラダラ破水した感じ)
今回はよくわかった。
「ぴしゃん」と、水風船が破れて、ぬるま湯が出てきた感じ。

分娩台に上がってから20分くらい?
で、めめとご対面。
初印象:「け、けめ子の生まれた時にそっくり……!!」
いったんめめをスタッフに預け、再度抱かせてもらう。
この時は目を開けていた。
第二印象:「も、盲腸君にそっくり……!!」




【痛みの極点、その地からの展望】


誰もが驚くスピード安産、とかではないにしろ
一人目に比べれば何もかもが楽だった。
とはいえ、やっぱり、痛いもんは痛い。
発露(赤ん坊の頭が足の間に挟まった状態)は痛いよ。。
史上最強に痛い。
もう、その時はただ、「痛い、痛い、いたいいたいいたいいたい」しか言えなかった。

面白いことに、痛みが少ない時は、「痛い」とは言葉は出ないものなんだよね。
ただうめいているだけ。
本当に痛くてたまらなくなった時にこそ「痛い」と叫びたくなってくる。
それは多分他の人も同じじゃないかな。
分娩室から聞こえてきた、他の産婦さんの叫び声も、「痛い、痛い」だったし。

理性が吹っ飛ぶくらい痛い時に、「言葉」という、理性的?なものが出てくる。
それくらい、言葉というのは、人間の根幹的なところにガッチリ根を下ろしているんだなあ。
言葉はもはや道具じゃない。
人を人として構成する、とても基本的な何かだと思う。

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先週、うちの姉が初出産いたしました。33時間の苦闘だったそうで。男の自分としてはただただ驚き恐れおののくのみ。姪っこがめちゃくちゃ可愛かったっすわ。まあ、なんというか女性は凄いなと。子育て頑張ってください。 / えとう ( 2010-06-15 22:30 )

2010-06-15 焦らなくていいから、自分のペースでゆっくりやろう

とか思ってると本当に人間ダメになるよねwww 際限なく。
私そういうタイプの人間。

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無意識に「あ、あ、あ〜」ってうなずいちゃった私も多分同類w / レイ ( 2010-06-16 09:50 )
同じく。自分に甘い人間には向かない言葉だね☆ / ちゃあ。 ( 2010-06-15 23:27 )

2010-06-09 私の家遍歴

2歳まで住んでいた家は、ほとんど記憶にない。
当時は父親が実家から離れた町で仕事をしていたので、その職場の近くに住んでいた。
決して新しくはない貸家だったのだろうと推測する。

18歳まで住んでいた実家は、私が子供の頃にしてすでに「築100年以上」と言われていた。
そう言うと、名家なんじゃない? とか勘違いされてしまったりするが、そういわけではなくて、
ただ本当に古いだけ。私が幼稚園の時に多少リフォームはしたものの……。
毎日のように、母親の「使いにくい、住みづらい」という愚痴を聞かされ続けて、子供心にうんざりした。
まるでお化け屋敷のような家だが、今も一応建っている。

学生の頃に住んだアパート、一軒目は、駅から徒歩1分の、築十数年の1K。
あまり古い、汚いという印象はなかったけれど、思えば、壁には、
キラキラしたものが入ってた(砂壁だった)。レトロだなあ。
部屋の前が団地の駐車場で、夜でも煌々と明るく、夏の真夜中は蝉の鳴き声がすごかった。
二軒目は、築3年くらいの1K。見た目は綺麗だったけど、壁や天井が薄くて、周囲の音が良く聞こえた。
一度、台風の時に、部屋にいるとどうしても怖くなり(家鳴りや音がひどかった)、
友達の家に非難したことがあった。
古いアパートはどこもそれなりに作りが良いのだが、新しいアパートはそうではなかった。

学校を卒業して住んだ祖母の家(母の実家)は、戦後すぐ建てられた家で、
私の部屋は、その増築部分(二階)にあった。これまたたっぷり築50年以上。
広いコンクリのバルコニーに面していて、夏は異常に暑く、灼熱地獄。
部屋の床は水平でないし、障子の枠もゆがんでいるしで、だいぶ痛んでいた。
その家は、トイレが半ば戸外にあり、一度外気に体を晒さないとトイレに入れないので、冬はつらかった。
階段が狭くて急なので、足を踏み外して落ちたこともあった。腰を打つと、しばらく息ができないくらい痛い。

今住んでいる社宅の玄関には、昭和30年代の国勢調査のシールが貼ってある。
最低でも、築40年は経っているようだ。
間取りは、当時のトレンド……という感じ。間違っても今風ではない。
同じ社宅の中で2回引越しをした。最初の部屋は狭くて不便だったけれど、後の2つは結構広い。
特に、今の部屋はリフォーム直後なので、内装はきれい。
古い社宅ということで、不便なところは多々あるけれど、使い方の工夫でだいぶ改善した。
日当たりと風通しは最高なので、わりと気に入っている。


考えてみたら、古〜〜〜い家にしか住んだ記憶がない私でした(笑)。
(1Kアパートは家とは言わない、部屋と言う)

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