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せんきちの「日々是口実」


24時間、現実逃避!

せんきちの超おたくサイト「旅荘 愛のさざなみ」(総本家)にも、ぜひお立ち寄り下さい。

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目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2003-09-29 地獄地獄めぐり(8)
2003-09-28 象が踏んでも壊れない
2003-09-26 香港地獄めぐり(7)
2003-09-23 香港地獄めぐり(6)
2003-09-22 香港地獄めぐり(5)
2003-09-21 香港地獄めぐり(4)
2003-09-20 香港地獄めぐり(3)
2003-09-20 香港地獄めぐり(2)
2003-09-19 香港地獄めぐり(1)
2003-09-19 香港地獄めぐり(序)


2003-09-29 地獄地獄めぐり(8)


9月18日(木)

午前8時に起床。今日は帰る日だ。あっという間の4日間。
いつものようにTVBのニュースを見た後朝食、9時30分頃にちょっと散歩へ。
上環の「林奇苑茶行」へ、お茶を買いに行きました。
何しろ忙しくて、一軒もお茶屋さんへ行っていなかったのです。
といっても、何軒か有名店の前は通り過ぎたのですが、最近、香港の有名店ではお茶の値段がとても高くて、敬遠していたのです。
そこへいくと、この林さんのお店は昔ながらのお店で値段も良心的。普段飲むお茶を買うには最適のお店です。
もっと時間があれば、国境を越えて深センへ行っちゃうんですけどね。

というわけで、林さんのお店で黄金桂を半斤購入。
林さんのお店の他にも、上環や西営盤には昔ながらのお茶の問屋さんがたくさんあります。
次回来る時には、そういったお店も少しずつ巡ってみようと思いました。
帰りがけ、乾物問屋で玫瑰(ばら。正確には、ハマナスの花を乾燥させたもの)も半斤購入。紅茶に入れれば、おいしい玫瑰紅茶になります。

ホテルへ戻って、荷造り。
今回は本が多いので(日本から資料も持参していましたし)、トランクは結構な重さになってしまいました。
結局、『國泰故事』『邵氏電影初探』『香港影片大全 4』は、機内に持込むことにしました。

荷造りを終えて、テレビを見ながらぼうっとしているうちに出発の時間になり、チェックアウトを済ませてから迎えの車に乗って空港へと向かいました。
(つづく)

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rui様:こちらこそありがとうございました。香港のお茶、ピンからキリまでありますが、普段気軽に飲むお茶なら、1斤(約600g)180香港ドル(3000円前後)ぐらいのものがよいと思います。 / せんきち ( 2003-10-01 21:23 )
ナルさん:戦利品を眺めてにやけた後、お財布の中の残金を数えるのが私の儀式です。 / せんきち ( 2003-10-01 21:20 )
ぷるぷる様:そうですね!わたくし、今回の滞在中、何度も『深宮怨』のポスターを開いたり丸めたりしておりました。 / せんきち ( 2003-10-01 21:19 )
香港のお茶の値段って、どのくらいなんでしょうか。それと、日記をお休みしようと思います。今までありがとうございました。 / rui ( 2003-10-01 20:51 )
ぷるぷるサン!!!それ!!!判ります!!!(笑)あたくしも、並べてホクホクニヤけてる方です。(笑) / ナルでしぃ〜。 ( 2003-10-01 03:31 )
ホテルに帰ってその日の戦利品をベッドに並べて眺める…その時間が大好きです。 / ぷるぷる ( 2003-09-30 22:10 )

2003-09-28 象が踏んでも壊れない


タイ映画祭に行ってきました(すいません、旅日記はまた後ほど更新します)。

今日は、「日タイ映画交流の黄金時代」という無理やりなキャッチフレーズによる、タイでロケーションをした日本映画の特集上映。
『山田長政 王者の剣』(1959年 大映・タイ合作 ビデオあります)、『波涛を超える渡り鳥』(1961年 日活 ビデオあります)、『バンコックの夜』(1966年 東宝・台湾・香港合作)の3本を、立て続けに見ました。

何が印象に残ったって、『山田長政 王者の剣』の張りぼての象の足。
謀反を起こしたタイの軍人が山田長政(長谷川一夫)にやっつけられて、最後は象の足に踏まれて死んじゃうんですが、それがモロ張りぼてなのよ。
あれだけ大掛かりなタイ・ロケを行っておきながら(それはそれはすごいスケール)、なのに象の足は張りぼて。

ちゃんとばれないように作りましょうね。

結局、映画としての作りが一番しっかりしていたのは、最後の『バンコックの夜』でした。
ですが、これも去年同じ国際交流基金で上映された『香港の夜』(まあ、この映画も「夜」ね。夜シリーズ)同様、長いことお蔵入りになっていたせいか、フィルムの劣化がひどかったです。
ビデオになっていない、劣化のひどい映画が一番きちんとした内容って、いったい。。。。

ちなみに、『バンコックの夜』に主演していた張美瑶(1941〜)は、当時の台湾の人気女優。「宝島玉女」と呼ばれ、香港映画にも主演していました。
1970年、男優の柯俊雄と結婚、引退しましたが、最近テレビドラマでカムバックしました。
今では、「台湾で最も美しい欧巴桑(おばさん)」と呼ばれているとか。
彼女の主演した台湾映画も観てみたいものです。


付記 こんな山田長政さんもいました。
張美瑶のカムバックのところのリンク、繁体字中国語頁です。
そういえば、『バンコックの夜』では、加山雄三と張美瑶のラブシーンで、タイ民謡が原曲の国語時代曲『相思河畔』(紀雲程詞。「小雲雀」と呼ばれた人気女優件歌手・顧媚〔1934(35とも)〜〕の代表曲の一つ。崔萍も歌っていました。最近では、周フイ〔草冠に恵〕が歌っています。)が使われていました。甘いラブソングです。

先頭 表紙

ぷるぷる様:タイの撮影所との提携作品ではありますが、タイでは上映されなかった模様です。でもあれ、タイで上映されたら、外交問題に発展しそうな気が。。。。愚かなタイ人(王の側近)に賢明な日本人(山田長政)という構図ですから。 / せんきち ( 2003-09-29 20:38 )
雷蔵映画かなり見たけどこれは未見ですわ。(ちょんまげモノ以外はほとんど観てない) すんごく面白そうでもあるし、すごく(;´д`)トホホ そうでもありますね。。。 / ぷるぷる ( 2003-09-29 20:26 )
渡り鳥もキョーレツ。宍戸錠の「ラオスの虎」(マレーの虎から頂いたのか知らん)なんか、よくおまわりさんに捕まらないな、と思うような扮装。舞台はタイなのに旭は『ブンガワン・ソロ』歌ってるし。それはインドネシアの歌だよ! / せんきち ( 2003-09-29 00:52 )
長政すごいよ。「私はタイ人になります」と言っておきながら、いつまでも袴姿だし。暑くないのか? / せんきち ( 2003-09-29 00:49 )
『山田長政』には、雷蔵&文子も出ていました。雷蔵ファンのおばちゃんの拍手&声援がすごかったっす。。。。 / せんきち ( 2003-09-29 00:26 )

2003-09-26 香港地獄めぐり(7)


9月17日(水)

(つづき)さて、まだ日も高いので、『ホノルル・東京・香港』(1963年)で尤敏と宝田明がデートをする場所に使われた、香港動植物公園(兵頭花園。映画では「大兵頭花園」)を訪れることにし、地下鉄で中環へ。

昼食抜きで調査をしていたので、とりあえず地下鉄の売店でパンとジュースを買い、地上へ出て、ピークトラム駅行きのバスを待ちます。

バス停に立ってふと空を見上げると、張國榮が自らの命を絶ったマンダリンホテルが見えました。改めて、彼の冥福を祈りました。

15分ほど待って、ようやくバスが到着。オープントップの2階建てバスだったので、もちろん2階席へ。吹き抜ける風も心地よい、ちょっとしたドライブです。
終点のトラム駅バス停で降り、そこからさらに急な坂道をあえぎあえぎ5分ほど歩いて、動植物公園の噴水広場に着きました。
映画では、芝生の美しい眺めのいい公園でしたが、今では樹木が生い茂り、周囲も高層ビルに囲まれて、気分はもう「亜熱帯小町」でした。

噴水前のベンチで、買ってきたパンをむしゃむしゃと頬張り、しばしの休憩。
食後、映画に出てくるのと同じ場所で、写真撮影。
日が翳ってきたので、急いで公園を後にし、近くの天主教総堂を目指します。

またまた急な坂道を汗だくになって歩き、ようやく総堂へ。
ここは、『香港の星』(1962年)で出てくる教会ではないかと、目星をつけておいた所なのですが、実際に行ってみると、どうやらそうではないことがわかり、そのまま引き返しました。

今度は坂道を下り、蘭桂芳(ランカイフォン)を経由して中環へ戻ります。
途中、「杏花楼」へ寄って夕食。
日式叉焼定食(日本式の叉焼、つまり煮豚のことね。これに煮卵、青菜、菜っ葉入り炊き込みご飯が付きます)とマンゴジュース。
うまかったっす。

それから少しみやげ物などを買い、早めにホテルへ引き上げました。
明日は、帰る日です。


写真は、香港動植物公園。

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ナルさん:いつになったら出来るかわかりませんが、とりあえずなるべく早く暫定公開できるよう頑張ります。 / せんきち ( 2003-09-28 23:28 )
ぷるぷる様:憩いの広場ですね。しかし、たどり着くまでに倒れそうな予感が。。。。 / せんきち ( 2003-09-28 23:27 )
調査、調査、調査の旅行だったのですね。内用濃いHPの誕生を楽しみにしてます!!!(*^∇^*) / ナルでしぃ〜。 ( 2003-09-26 23:29 )
ここ好きじゃー。そしてまたしても旨そうな描写が(^¬^) 。 / ぷるぷる@らりり。 ( 2003-09-26 22:55 )

2003-09-23 香港地獄めぐり(6)


9月17日(水)

(つづき)とりあえず、最初の3件の調査は終ったので、それらを返却して、次の3件の資料を借りました。もちろん、コピーです。
今度は、『香港之夜(香港の夜)』(1961年)の特刊と『丹鳳街』(1958年)の特刊、それと林翠が出演した松竹映画『神火101 殺しの用心棒』(1966年)の香港公開時プレスシートを閲覧。
他に、館内に開架で置かれていた『影后尤敏畫集』や『一代影后林黛紀念選輯』、『銀河畫報』といった書籍(及び雑誌)のコピーも合わせて調査しました。

一通り目を通し終えて、開架資料をコピーしていると、係の人(午後になって、別の係の人に代わっていました)がすっ飛んできて「何をコピーしているんだ?」と尋ねてきます。
「これ(開架資料)は、そのままコピーしていいんでしょう?」と言うと、係の人は「あ、それなら大丈夫。でも、閉架資料をコピーする時は、必ずカウンターに言ってね。それと、コピーの分量は10分の1以内だからね」と、改めて念を押されました。

ハア。。。。

開架資料のコピーが終ったので、続いて閉架資料のコピーをしようと思い、カウンターにその旨伝えると、いきなり申請書が出てきて、「これに記入しろ」と言います。
さっきは、係の人が付き添ってくれてコピーが出来たのに、なんだか変だなと思いながら、書類に記入していて、はたと気づきました。
つまり、午前中の係の人は、私が日本人旅行者だと知っていたので、面倒くさい手続き(申請書提出)は省いて、こっそりコピーをさせてくれたのですね。

しかし、今はこっそりができませんから、仕方がありません。
正面突破で書類申請です。
ところが、申請が通ってコピーが出来たら、また資料館へ取りに来てほしいと言われて、当方、ほとほと困ってしまいました。
「明日日本へ帰るので、申し訳ないのですが、郵送して頂けませんか?(国会図書館は郵送サービスあり)」と頼みましたが、そういうサービスはないとかで、結局、香港の知人に取りに来てもらい、知人から当方宛に郵送する、ということに落ち着き、
知人の住所・氏名・電話番号も記入しました。

加えて、コピーしたい理由も根掘り葉掘り聞かれました。
曰く、「論文を書くのか」「雑誌や新聞記事を書くのか」等々。
ここは正直に、「ただの映画ファンです」と答えました。

いろいろ大変ですわ。

どうにか申請書を書き終えて、最後に残り2部の資料(『人鬼戀』〔1954年〕及び『馬戯春秋』〔1957年〕の特刊)を閲覧しましたが、コピーするのにはまた面倒くさい手続きが必要かと思うと、申し込む気力も薄れ、軽く目を通しただけで返却しました。
ついでにコピーカードも返却してデポジットを返してもらい、荷造りを済ませて係の人に挨拶、電影資料館を後にしました。

時刻は、午後5時近くになっていました。
(つづく)


写真は、東宝の定宿だったアンバサダー・ホテル跡(東企業広場)。ちょうど、シェラトン・ホテルの裏に当たります。かつて、シェラトンのあったところには、広い駐車場がありました。
『香港の夜』(1961年)では、日本に馴染めずに香港へ帰った呉麗紅(尤敏)が、アンバサダー・ホテルのショッピング・アーケード内にある洋品店で働いているという設定になっていました。
また、『社長洋行記 正・続』(1962年)では森繁久彌、加東大介、小林桂樹、『香港の星』(1962年)では団令子、『ホノルル・東京・香港』(1963年)では宝田明、『レッツゴー!若大将』(1967年)では星由里子が、このホテルに宿泊していました。

先頭 表紙

めらこ様:はい、そうです。ただ、係の人が親切だったのがせめてもの救いです。それだけに、よけいシステムそのものの不備が浮き彫りにされてしまいましたが。 / せんきち ( 2003-09-26 21:10 )
tomohiko様:ひどいシステムなりにきちっとマニュアル化されてはいますね。でも、ちょっと窮屈すぎますが。 / せんきち ( 2003-09-26 21:09 )
はぁ。。折角遥々出向いたというのにコピーのコピー・・・終始コピーに憑かれ(疲れ)た地獄だったのですね。。 / めらこ ( 2003-09-25 03:17 )
お役所が面倒なのはどこの国でもかわりませんね。手続きがきちんと型にはまっているだけ良いと思うべきでしょうか…。 / tomohiko ( 2003-09-24 22:43 )

2003-09-22 香港地獄めぐり(5)


9月17日(水)

昨晩寝るのが遅かったので、午前8時30分に目覚ましを合わせて休んだところ、なんと時計が大幅に遅れていて、目覚めた時にはもう9時近くになっていました。

ひょえ〜!

TVBのニュースは終っていたので、ATV(亜洲電視)のニュースを見て、朝食。
低血圧のせいか、朝はいつも調子が悪く(子供の頃から)、ようやく10時30分頃に準備完了、電影資料館に着く頃には11時をとうにまわっていました。

資源中心のカウンターで、昨日の申請書の控えを出します。
今朝の係の人は北京語が苦手だそうで、主に英語でやり取り。私がもっと広東語が出来るようになればいいんですが。幼稚園児以下のレベルなもんで。
まずは、『星星・月亮・太陽』(1961年)の特刊と『人約黄昏後』(1958年)の特刊、それに林黛が出演した日港合作映画『東京・香港蜜月旅行』(1955年)の特刊を閲覧。
が!出てきた資料を見てびっくり!

原本じゃないのですよ。コピーなのです。

こちらとしては、当然原本が出てくるものと思っていたので、これには本当に驚きました。
たしかに、今日び、資料の保存のために、原本ではなく複製本やマイクロフィルム、あるいはCD−ROMで閲覧することも多いのですが、この時代よりもはるかに古い時代(江戸期)の資料を本業で扱うことが多い私としては、「なんでやねん?」と首を傾げたくなりました。
つい先だっても、18世紀から19世紀にかけての資料(もち原本)を調査したばかりでしたし。
コピーの閲覧でよいなら当日でOK、原本を閲覧したいのであれば前日までの申請が必要、というのが、まず妥当な線だと思います。

と、なんだか職業意識丸出しになってしまいましたが、文句を言える立場ではないので、衝撃を受けつつもそのままおとなしく調査を進めました。
一通り目を通した後、「さて、コピーでもするか。コピーからのコピーだから、画質が悪くなっちゃうけど、ま、仕方がないか」と思いながら、係の人に「コピーをしたいのだけれど」と告げると、な、なんと、そこでも驚愕の事実が!

全体の10分の1までしか、コピーしてはいけないんですと。
ちなみに、国会図書館では、1回につき全体の2分の1までOKです(もちろん、全頁複写は絶対にいけません)。
頭がクラクラしてきました。

それでも、ようやく気を取り直してコピーをしたい箇所を厳選、コピーカード(これも恐ろしく使い勝手の悪い代物でした。くわしくは付記参照)を購入して、係の人に付き添ってもらいながらコピーを済ませました。

まだまだ苦闘は続きます。
(つづく)

付記:コピーはセルフサービスで1枚50セント。しかし、そこにも深ーい落とし穴がありました(それは次回に)。コピーカードは1枚20ドルで、うち10ドルはデポジット、残り10ドル分でコピーが出来ます。つまり、カード1枚につき20枚しか出来ないというわけです。
写真は、尖沙咀のネイザンロード(禰敦道)沿いにある美麗都大廈。『香港の星』で、日本での留学を終えて帰国した王星〔王連〕(尤敏)が、自宅に戻るためタクシーに乗ってここの前を通りかかった時、もう会わないと誓ったかつての恋人・長谷川透(宝田明)が出てくるのを発見、心が乱れるという場面がありました。
このビル、現在では重慶大廈(チュンキン・マンション)の弟分のようなビルになってしまいました。

先頭 表紙

ぷるぷる様:私立じゃない、公共機関なんですから、もうすこしゆるくしてほしいものです。たぶん、いろいろ悪用する人が多いからなのだとは思いますが。なにしろコピー天国ですからね。 / せんきち ( 2003-09-23 22:46 )
へぇ、けっこうきっちり、というかがっちり管理されているのですね。もっとアバウトかと思ってました。 / ぷるぷる ( 2003-09-22 23:42 )

2003-09-21 香港地獄めぐり(4)


9月16日(火)

(つづき)ホテルの部屋へ戻り、まずは残金を数えなおします。
200ドル余りしかありません。
これでは、あさってまで暮らしていけない気が。。。。
後でシティバンクへ寄ってお金を下ろすことにして、これからの対策を練ります。

とにかく、これ以上の趣味の買い物はしない。
おみやげは安いものを買う。
誘惑に負けぬよう、趣味の店には立ち寄らない。

これを3大原則にしました。

買ってきたお宝を眺めてひとしきりニヤニヤした後、トラムと地下鉄を乗り継いで九龍半島の尖沙咀へ。中秋節の燈籠見物です。
が、その前にまずお金を下ろす必要が。漢口中心にあるシティバンクで500ドルほど下ろしました。

燈籠は帰りがけに見物することにして、まずは夕食。
と、思いつつ、足はついHMVの方向へ。邵氏の映画のVCDを3枚買ってしまいました。
はあ。。。。これで止めにしないと。
でもね、ほんとはもっと沢山買う予定だったんだよ。お金がなくなっちゃったから、3枚しか買えなかったの(苦しい言い訳)。

HMVを出て、ここだけは必ず立ち寄る店「糖朝」へ。
例によって、日本人、香港人が入り乱れて大混雑しています。
10分ほど待って案内されました。
いつものように、メニューを見ながらチェックを入れていきます。
今日は、排骨麺とマンゴー&タピオカ入りココナツミルクを頼みました。
香港の麺は極細縮れ麺ですが、排骨麺の麺はやはり北方系のやや太いまっすぐの麺の方がいいかなあ、などと思いつつ、それでもおいしく頂きました。

食後、尤敏の映画に出てきた場所を4箇所訪れて、写真撮影。
どこもすっかり変わってしまっていましたが(40年前ですからね。変わっていないのは、ペニンシュラ・ホテルぐらい)、「ここに尤敏が立っていたんだなあ」と思うと、感慨深いものがありました。

そしてようやく、中秋節の燈籠見物。
大きな燈籠が、ぐるぐる回っていました。派手だね。
香港名物の夜景も眺め、帰りはフェリーとトラムを乗り継いで、ホテルに戻りました。

部屋へ戻ってから、電影資料館で買ってきた『國泰故事』と『邵氏電影初探』をぱらぱらとめくって読み始めたところ、あまりの面白さに時間を忘れ、寝たのは午前2時30分過ぎ。
特に、『邵氏電影初探』に載っていた、尤敏と李香蘭(山口淑子。1950年代、李香蘭名義で数本の香港映画に出演)が一緒に食事をしている写真は、大発見でした(宝田明は「尤敏と李香蘭は面識がないと思う」と話していたので)。

明日も電影資料館へ行きます。


写真は、尖沙咀・金巴利道63号。『香港の星』(1962年)で、尤敏演じる王星〔王連〕がここに住んでいるという設定になっていました。
現在では、61〜63号にかけて、嘉新大廈というビルが建っています。

先頭 表紙

ぷるぷる様:へい、まだまだ続きやす。 / せんきち ( 2003-09-23 22:44 )
はぁ〜、たまらんわ〜行きたくなるわ〜やめて〜 うそ、どんどん続けてください(^¬^) / ぷるぷる ( 2003-09-22 23:39 )
阿信様:ぜひぜひぶらぶらしてください。でも、香港は、空港も魅力的ですね。 / せんきち ( 2003-09-22 23:30 )
ナルさん:そう、夫婦だったのですよ。離婚後も、いい友人だったらしいですが。で、その後外交官と再婚したのですね。そして『三時のあなた』のおばさんに。。。。 / せんきち ( 2003-09-22 23:28 )
どうもお久しぶりです。香港は最近トランジットばかりなので、久しぶりに外に出てブラブラしてみたいです。 / 阿信 ( 2003-09-22 22:42 )
尤敏と李香蘭!!思わぬところで・・・。ちょっとビックリです。(*^∇^*)李香蘭とノグチイサムが結婚してたと一緒ぐらい。(笑) / ナルでしぃ〜。@情報、感謝です。 ( 2003-09-22 02:06 )

2003-09-20 香港地獄めぐり(3)


9月16日(火)

(つづき)クイーンズロード(皇后大道)から坂道をとぼとぼ上って、知人から教わっていたハリウッドロード(荷里活道)の骨董品屋へ。
狭い店内にガラクタが山積になっていて、その中でじいさんとばあさんが寄り添って店番をしていました。

ばあさんに尤敏の写真を見せて、「この人のものを探しているんだけど」と伝えると、まずはブロマイド探しが始まりました。
数葉のブロマイドが見つかり、あとは店内に飾ってあった葛蘭(グレース・チャン)の映画(『無頭案』。1957年)の特刊を購入することにして、「あれが欲しい」と言ってじいさんに取ってもらうと、今度はじいさん、別のところから「これもいるかい?」と言いつつ、同じく葛蘭の『驚魂記』(1956年)の特刊を出してきてくれました。

すると今度は、「『南國電影』(邵氏〔ショウ・ブラザーズ〕の雑誌)はいらないか?」と奥の方から出そうとします。
私は『國際電影』(電懋〔キャセイ・オーガニゼーション〕の雑誌)の方が欲しかったので、「『國際電影』が欲しい」と言うと、「『國際電影』は、電影資料館が皆買っていってしまった」と言われました。

くそ!

と、じいさんが「2階に尤敏の大きなポスターがあるけど、それはいるかい?」と聞いてきます。
とっさに値段も聞かぬまま「ほしい!」と叫んでいました。とほほ。。。。

しかし、2階からポスターを取るためには、梯子段の前にあるガラクタが入ったトランクの山をどかす必要があります。
トランクを一つ一つどかしながら、その中身も点検すると、樂蒂のお葬式の時の特集雑誌があったので、それも購入することにしました。
トランクの中から昔のスターの雑誌が出てくるたびに、「あ!陳寶珠だ!(1960年代の広東語映画のアイドル)」「あ!葉楓だ!」と私が言うので、店のばあさんは大喜びです。

そうこうするうちに、ようやくポスターを出すことができました。
尤敏最後の主演作品『深宮怨』のポスターでした。
もちろん、買いました。
値段は・・・・、秘密です。

気づいたら、残金が200ドル余りになっていました。
ばあさんに「今度はいつ来る?」と聞かれましたが、まだ全く予定が立たないので(破産寸前だし)「わかんないなあ」と答えると、「じゃあ、今日『南國電影』を見ていったらどうだ?」とすすめます。
が、なにしろ残金200ドルの身。「今日はいいや」と断って、店を後にしました。

後先も考えず、こんなに買ってしまって、一体どうしましょう?
ひとまず、頭を冷やさなければ。。。。
もう一度、ホテルへ戻りました。
(つづく)

写真は、キャットストリートの片隅で、なぜか置き去りにされていた梁朝偉(トニー・レオン)。

先頭 表紙

阿信様:お久しぶりです。日本では、中華明星の名前がカタカナ表記なので、とても困っています。漢字で書いて欲しいです。 / せんきち ( 2003-09-22 23:26 )
ナルさん:やっぱり、そうなると、航空券とホテルを薔薇で、もとい、バラで予約ですかね。また調べておきますね。 / せんきち ( 2003-09-22 23:25 )
ストリートの名前を中国語でも書いて下さっているので、わかりやすいです。数年前までコーズウェイベイ=銅鑼灣というのさえ知りませんでしたので。。。。。。 / 阿信 ( 2003-09-22 22:47 )
ぷるぷるさん、でも、道は険しいのです。。。( ̄▽ ̄;)一緒に行く友達が東京発でして。。。どうやって一緒に行こうか、(安く)奮闘中です。。。 / ナルでしぃ〜。@頭が痛い・・・。 ( 2003-09-22 02:07 )
ぷるぷる様:『裏街の聖者』ですぜ。誰がどこで見つけてきたのやら。そして、いくらで売られているのか。欲しいやつはいるのか。謎は尽きません。。。。 / せんきち ( 2003-09-21 22:21 )
ナルさん:台湾に行くんですね!なんか、いいツアー、探してみましょう。今なら激安の予感。昨日、日華資料センターで『皇天后土』という1980年の台湾映画を観ました。香港へ行く前のシベール・フーが主演でした。アクション以前。 / せんきち ( 2003-09-21 22:19 )
tomohiko様:それはそれは楽しかったのですが、帰ってからのことを考えると、一気に地獄に。。。。無間地獄へまっ逆さま! / せんきち ( 2003-09-21 22:17 )
シャルウィダンス??様:ども。ポスター、とってもいい状態だったので、埃はなかったです。いづれ英語班班長で同行してください。 / せんきち ( 2003-09-21 22:15 )
ああっ、トニーたんが置き去りに。。。お持ち帰りしたいわぁ。 ↓ナルさんは台湾行きなのですね、うらやま〜! / ぷるぷる ( 2003-09-21 20:54 )
す、スゴイ・・・。( ̄▽ ̄;)せんきちさん、素晴らしい!!!あたくしも負けずに散財を・・・。(笑)あ、せんきちサン!!!台湾行き、実現しそうです。でも、、、まだ、ツアーも何も申しこみしてません!!!(苦笑) / ナルでしぃ〜。 ( 2003-09-21 03:49 )
宝の山を目にするとゆーのは、楽しくもあり、辛くもあり、ですね。 / tomohiko ( 2003-09-21 00:37 )
とにかく無事帰還おめでとさんんです。それにしても、一緒に行きたかったな。ポスターの埃をワッセワッセと拭きたかったわん。 / シャルウィダンス?? ( 2003-09-21 00:20 )

2003-09-20 香港地獄めぐり(2)


9月16日(火)

午前8時起床。TVB(無線電視)の朝のニュース(香港早晨)を見てから食事を済ませ、9時30分頃出発。例によってトラム、地下鉄を乗り継いで、西湾河で下車。
駅から地図を見ながら5分ほど歩き、香港電影資料館へ。
1階の展示を見た後、3階の資源中心へ行き、あらかじめホームページの検索システムで調べておいた尤敏関連の資料を閲覧したい旨伝えると、閉架資料は前日までの申し込みが必要との由。
仕方がないので、申請書類に記入して明日もう一度来ることにしましたが、ここでもまたハードルが。なんと1日に3件しか閲覧できないのだそう。
見たい資料は沢山あるのに「なんでそうなるの?(BY:萩本欽一)」とがっかりしていると、係の人が奥の事務所に事情(木曜には帰らなければならない日本人)を説明してくれて、特別に見たいだけ出しておいてくれるということになりました。

よかった。

何とか無事に資料の閲覧を申し込んだ後、ビデオは当日でも見られるとのことなので、これもやはり調べておいた『桃花涙』(1960年。羅維監督。張徹脚本。尤敏、雷震主演)の視聴を申し込みました。
視聴料50ドル(1日券。1年券は300ドル)を支払い、ヘッドホンを借りて視聴室へ。
しばらくして準備が出来たので再生ボタンを押し、いよいよ映画の開始。
ところが!尤敏の声ではありません。
広東語吹替、字幕なしのバージョンでした(尤敏は北京語映画のスター)。少しがっかり。
でも、ま、尤敏はきれいだったのでよしとしましょう。

映画のストーリーは、貧しい家の娘(尤敏)が母の死後、京劇の師匠(羅維)に引き取られてスターになりますが、難病に侵されて闘病を余儀なくされます。しかし、医師である夫(雷震)やまわりの人たちの励ましによって、奇跡的にカムバックを遂げる、というものでした。
尤敏の花旦姿が、「蛙の子は蛙(尤敏の父は粤劇の名優)」という言葉を思い起こさせて、なかなかの見ものでした。

映画を見た後、資料館の1階で『國泰故事』、『邵氏電影初探』などの書籍を購入してから、西湾河の駅上にある市場(街市)の食堂で昼食。
牛肉とトマト、たまねぎの炒め物にレタスの湯びき(オイスターソースがけ)、ご飯。これに通常だとスープがついて27ドルなのですが、スープをドリンクに替えると30ドルとのことだったので、紅茶を頼んでスープを止めにしました。
ご飯が異常に山盛りで少し残してしまいました。なんか、日本のご飯よりもお腹にたまりやすいような気がするのは、私だけでしょうか。

昼食を済ませ、いったんホテルへ戻って荷物を置き、ハリウッド・ロードの骨董屋へ。そこには、とっても魅力的な地獄が、私を待ち構えていました。
(つづく)

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ぷるぷる様:うまかったですよ。店は小汚かったですが。いいですよねえ、香港の人は毎日おいしいものが食べられて。 / せんきち ( 2003-09-21 22:13 )
う、旨そう(^¬^)  米だけは日本のものが好きなので、おかずを持って帰って自分ちで炊いたご飯に乗っけて食べたいっていつも思います。 / ぷるぷる ( 2003-09-21 20:57 )
香港ドルは、1ドル=約16円ほどで計算して下さいまし。 / せんきち ( 2003-09-21 00:50 )
いつの間にやら1万5千ヒット突破。ありがとうございます。 / せんきち ( 2003-09-20 21:45 )

2003-09-19 香港地獄めぐり(1)


9月15日(月)

午前5時起床。朝食を済ませて6時過ぎに出発、午前7時東京駅発の「成田エキスプレス3号」で空港第2ビルへ。
今日利用するのは、全日空909便(午前10時5分発)。
チェックイン後、香港の知人へのお土産や機内で読む雑誌などを買ってから出国。
9時40分に搭乗、時間より少し遅れて離陸しました。

機内では食事、読書、爆睡。
機内食はシーフードのソテー、クリームソースがけ。あまり食が進まず、メインとデザートのみでやめました。
それにしても、あの機内食の日本そばは、何とかならないもんですかねえ。

午後1時30分頃、香港に到着。
迎えの車に乗ってホテルへ。
いつもは九龍サイドのホテルを利用するのですが、今回は香港島の下町・西営盤にある「港島太平洋酒店(アイランド・パシフィック・ホテル)」に投宿。
28階(エグゼクティブ・フロア)の9号室。オーシャン・ビューのツイン・ルームを独り占めです。

ウヒヒ。。。。

が!室内のセーフティ・ボックスに貴重品を入れたら扉が開かなくなり、慌ててマネージャーに電話をして、開けて貰いました。
念のため、もう一度使い方の説明を受けましたが、説明書にあった「Aボタンを押す」という記述が誤りで、正しくは「Bボタンを押す」だったことが判明しました。

どうりで開かないわけだよ。説明書、訂正してくれ。

ついでに、湯沸しポットが見当たらないので「お湯が飲みたいんだけど」と言ったら、壁にはめ込んだ引き出しからポットを出してくれました。

忍者屋敷か?

いろいろありましたが、ようやく一息ついて、お茶を飲んでから、トラム(路面電車)、地下鉄を乗り継いで銅鑼湾の知人の所へ。
その前に、中環(でも、ハリウッド・ロードじゃないよん)にある骨董品屋に寄って、昔の雑誌を物色。
あまり古いものはありませんでしたが、1969年の邵氏(ショウ・ブラザーズ)の雑誌があったので購入しました。
井上梅次監督が邵氏で撮った『女校春色』の日本ロケ特集記事などがあって、なかなか興味深い内容でした。

再び地下鉄に乗り、銅鑼湾の知人を訪問。お茶の先生です。
お茶をご馳走になりながら、ひとしきりおしゃべり。
この日は断続的に激しい雨が降る、あいにくのお天気でしたが、中秋節関連の花火のイベントがあり、知人の部屋の窓からもよく見えました。

8時30分頃に知人の所を辞し、途中、適当に食事を済ませてホテルへ戻ります。
ホテルの近辺は乾物(食材、漢方薬類)の問屋街で、夜はとても静か。
でも、庶民の生活感溢れる一帯で、そこをごとごとのんびりとトラムに揺られていくのも、なかなかよいものです。

ホテルへ戻ってからは、ニュースを見たり、お風呂に入ったりして、午前1時過ぎに休みました。
明日は、電影資料館に乗り込みます。

先頭 表紙

あ、それ賛成します!!!(笑) / ナルでしぃ〜。 ( 2003-09-21 03:43 )
ナルさん:リニューアル、おめでとうございます。「そばをカップめんに替えろ運動」を始めましょう! / せんきち ( 2003-09-20 21:43 )
めらこ様:そばはゴムみたいです。どう見ても、開きスペースを埋めるために置いてあるとしか思いませんです。やはりカップめんがいいです。 / せんきち ( 2003-09-20 21:42 )
ぷるぷる様:いや、単なる失業者でして。。。。失業界のエグゼクティブ。日本そばの代りに、カップめんでも添えてくれるとよいと思いますです。 / せんきち ( 2003-09-20 21:40 )
せんきちサン!お帰りなさいませ!!!(*^∇^*)ノあたくしも賛同します!あのソバ、どうにかならないのでしょうか!?(笑) / ナルでしぃ〜。@HPリニューアル完了。 ( 2003-09-20 16:35 )
へぇ・・蕎麦激マズなのね・・ なんかもぅ香港も「庭」みたいな感覚でどこでもスイスイいけちゃうんですね〜 凄いっ☆   / めらこ@ワクワク♪ ( 2003-09-20 06:45 )
エグゼクティブ…せんきちたんはエリートなのね( ̄▽ ̄)ノ 日本ソバは私もいらんと思います。 / ぷる2@ジェットフォイルでゲ○りました… ( 2003-09-20 00:51 )
写真は、部屋からの眺め。中央下部を行く船は、マカオ行きのジェットフォイル。向かって左手奥には、青馬大橋が見えます。 / せんきち ( 2003-09-19 21:07 )

2003-09-19 香港地獄めぐり(序)



とりあえず、生きて帰ってきました。
香港に行っていました。
日本にいない間に阪神が優勝していたようで、道頓堀では死者まで出たとか。

痛ましいですね(BY:陳曼玲)。

香港では「SARS疑い患者発生」のニュース(その後陰性と判明)やら、インフルエンザの集団感染のニュースやら、危うい情報がいろいろありました。

後ほど、旅日記の執筆を開始いたします。

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めらこ様:きれいですよ。でも、夏よりも11月から1月ぐらいの方が、空気が澄んでいていいと思います。 / せんきち ( 2003-09-20 21:36 )
ぷるぷる様:あ、この雲は夕立が来た後の雨上がりの雲で、翌日はすごーくいいお天気になりましたよん。 / せんきち ( 2003-09-20 21:35 )
ま。。眩しいゎ・・ / めらこ ( 2003-09-20 06:46 )
うおー!香港に行ってらしたのですね。「地獄めぐり」とはどんな旅だったのでしょう。この写真、暗雲がたれこめていますが… / ぷる2@イルミネーション減ったですよね… ( 2003-09-20 00:48 )
tomohiko様:C級グルメ情報でしたら。。。。なにしろ、腹が減ったらそのへんの店で飯、という生活をしてますもので。 / せんきち ( 2003-09-19 21:30 )
いいなぁ、香港。中華の食の本場ですからね〜。おいしい話があったら教えてくださいね〜。 / tomohiko ( 2003-09-19 20:16 )

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