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せんきちの「日々是口実」


24時間、現実逃避!

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目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2004-03-30 浅草名画座
2004-03-29 カレーの王様
2004-03-26 テシカンオン
2004-03-25 やらしいのがお好き
2004-03-23 テレビドラマ『大奥』第1回
2004-03-21 万年議員
2004-03-17 純純的愛
2004-03-14 幼い日の思い出
2004-03-11 皇后女優のその後 再び
2004-03-08 この道より


2004-03-30 浅草名画座


浅草へ仁侠映画を観に行きました。
タイトルは、『博奕打ち』。1967年の東映映画。主役は鶴田浩二。
さいきん凝ってる橘ますみのデビュー作(らしい)。
役どころは飛田遊郭の女郎・小花。同じく女郎である小菊の妹分。
小菊を演じるのは、桜町弘子。「東映城のお姫様」も、ここでは安女郎です。
桜町弘子は鶴田浩二と、橘ますみは鶴田浩二の舎弟の待田京介とそれぞれ恋仲になりますが、敵役である若山富三郎によって上海に売り飛ばされてしまいます。
待田京介は殺されちゃうわ、女二人は売り飛ばされちゃうわ、なぜかいい人役の小池朝雄も死んじゃうし、この映画の鶴田浩二、強いんだか弱いんだかよくわかりません。ま、待田京介はたいてい途中で殺されることになっているらしいんですけどね。

映画はそれなりに面白かったですが、映画館がとにかくすごかったです。
あやしいおっさんたちが佃煮のようになっていました。みんな酒臭いし、上映中に痰や唾を床に吐くし、禁煙のはずなのにライターの「カチッ」という音がするし。
でも、受付のおばちゃんは親切でした。

というわけで、橘ますみは「飛田遊郭」を振り出しに「大奥」を経由、最後に「尼寺」に入ったことがわかりました。そしてその間にも、乱心した鍋島の殿様に斬られたり、吉原へ売り飛ばされたり、新宿のヌードスタジオで働いたり、温泉あんま芸者をやったりしていたのですね。ごくろうさまです。

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2004-03-29 カレーの王様


ここんとこシモネタばかりですが、今日はシモネタ&スカトロネタです。苦手な方は、ご遠慮下さい。すんません。

私が高校生の頃、『フリークス』(トッド・ブラウニング監督)という映画が静かなブームを呼んでいました。
新宿にあるミニシアターで件の映画が自主上映されていることを知った私は、部活(演劇部)の仲間を誘って一緒に観に行くことにしました。
ところが、一足先に観に行った兄のガールフレンド(現・義姉)から「同時上映の『ピンク・フラミンゴ』(ジョン・ウォーターズ監督)が、すごかったよ。最後にねえ、うん○食べちゃうんだよ!」という報告を聞き、早速仲間に報告、映画帰りに「カレーの王様」でカレーを食べるという楽しい(?)新企画を急遽加えて、部活が休みの日のある放課後、仲間と3人で新宿へ向かいました。
最初に上映された『フリークス』は聞きしに勝るすごさで、見終わった後、口々に「いやあ、びっくりしたねえ」と感想を話し合いましたが、その後の『ピンク・フラミンゴ』にはさらなる驚きが待っていました。
始まったフィルムにはなぜか日本語字幕がなく、英語力皆無の我々は初めこそ戸惑いましたが、観すすめていくうちに対立する二つのファミリーの血で血を争う抗争を描いた映画だということがわかり、それなりに楽しく鑑賞していました。
しかし、映画も中盤に差し掛かった頃、きれいなお姉さんがにこにこ笑いながら手を振っていると、なぜかお姉さんの股間にカメラがパン、そしてそこにはまぎれもない男性の象徴が映っているではありませんか、しかも全くの無修正で!

わたしゃ、びびりましたよ。

「女子高生、学校帰りに制服姿で堂々と無修正映画を鑑賞」という社会面の見出しがとっさに頭の中に浮かび、「おまわりさんが捕まえにきたらどうしよう」とびくびくどきどき、それでもスクリーン上に繰り広げられるキテレツな場面の数々に笑い転げ、ラストのうん○食べパフォーマンス(パティ・ペイジの『ワン・ワン・ワルツ』にのって主演のディヴァインが登場、犬のうん○をむしゃむしゃばくつく)まで、補導されることもなく無事に見終えることができました。

鑑賞後、我々は当初の計画通り歌舞伎町の「カレーの王様」へ直行、おいしくカレーをいただいたのでした。

それから3年。パルコのスペース・パート3(現・シネクイント)でジョン・ウォーターズ監督作品の特集上映があり、再び『ピンク・フラミンゴ』を観る機会に恵まれましたが、今度は日本語字幕があるかわりに、ぼかしもばっちり入っていました。
でも、無修正バージョンの方が、圧倒的に面白かったです。

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tomohiko様:バキュームカーも今は昔ですね。『温泉あんま芸者』で芦屋雁之助がやってた役が、汲み取り業者(これ、放送禁止用語かしら?)でした。 / せんきち ( 2004-04-02 21:25 )
高校生の頃、寮でカレーがでまして、今からメシを食う奴の耳許で「ばきゅーむ」とささやいたら、彼は食事ができなくなったそうです。 / tomohiko ( 2004-04-02 02:39 )

2004-03-26 テシカンオン


テシカンオン
鉄観音茶悠久なゐ栽培技術と特殊な加工工芸べ世界中にその名を馳せハいます。本品は本場の福建安渓特級鉄観音茶を精選レたもので、柔和な黒く光ゐ光沢、馥郁たゐ清らガな香リ、艶として透明な茶の色、喉えを過きても残ゐ潤へ、そレて特殊な”観音茶韻”レ韻は韻と同レ(になぜか濁点)を備え、何度もお茶を入れハ飲めます。に最も価値あゐ天然飲料と言えまレすう。

うまいのかまずいのか。博打気分で飲むお茶です。

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2004-03-25 やらしいのがお好き


1968年、日本映画が凋落の一途を辿っていた頃、唯一隆盛を誇っていたピンク映画に対抗してメジャー映画会社である東映がエログロ映画製作を開始、それに倣って他のメジャー会社もエログロ映画製作に手を染めることになったといいますが、ここで同時代の香港映画界に目を転じてみると、なかなか興味深い現象が浮かび上がってきました。

日本に遅れること2年の1970年、広東語映画の女優・李紅は摩登電影公司を作り、『黒珍珠』(1970)『模特兒之恋』(1971)といった「色情電影」を発表、物議をかもしました。
『香港電影海報選録』(1992年、三聯書店)によれば、『黒珍珠』はアメリカのチャイナタウンでは大胆な場面を大幅にカットして上映されたとのことです(この手の映画でそういう場面をカットしたら、後には何も残らないと思うのですが)。

北京語映画の方でも、1973年から巨匠・李翰祥監督が「風月片」と称する古装物のエロチック作品群(『風流韻事』『金瓶梅』等)を発表しますが、この流れの中で生まれた最大の異色作は、楚原(『大丈夫日記』が有名かしら?『ポリス・ストーリー』の悪役のおじさん)監督のレズビアン武侠映画『愛奴』(1972) でした。
そして何よりすごいのは、この映画でヒロイン・愛奴(すごい名前)を演じたのが、邵氏(ショウ・ブラザーズ)のトップ女優・何莉莉(リリー・ホー。コン・リーとジョイ・ウォンと相田翔子を足して3で割ったようなお顔立ち。香港女優の王道である「大富豪と結婚・引退」という経歴の持ち主)だということ。
さしづめ、藤純子が「異常性愛路線」に出るようなものでしょうか。

そういえば、中平康(楊樹希)監督が香港で撮った『猟人』(1969)にも金漢(主役)がシャワー・ルームでエッチするエロエロ場面があって、今の香港映画なんかよりもよほどきわどい描写だったのでけっこうびっくりしましたし、松尾昭典(麥志和)監督の『女殺手』(1971)でも、「とりあえず出しとけ」とばかりに裸のお姉ちゃんが登場していました(コンクリート・ミキサーで人間ミンチなんていうグロ場面もありました)。また、香港最初の巨乳女優である狄娜が出現したのも60年代後半のことでした。

エロチック・ムーブメントは、海を越えて波及していたのですね。

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今日気づきましたが、何莉莉は桜町弘子にもちょっとだけ似ています。 / せんきち ( 2004-03-30 22:31 )
しんちゃん様:ははは。上海で東映のオバカエロ映画のVCDが出たら、即ヒットするんじゃないかと思います。「ポルノ」という語も、東映が最初に使い始めたそうですし。 / せんきち ( 2004-03-30 22:29 )
タイトルに惹かれまくり即つっこみの僕っていったい・・・。合掌。 / しんちゃん ( 2004-03-30 18:25 )
1974年にはポルノ女優第1号・池玲子がゴールデンハーベストで『悪魔の生首』(心魔)に出ていますが、これはホラーみたいっす。 / せんきち ( 2004-03-25 22:50 )

2004-03-23 テレビドラマ『大奥』第1回


なんだかひねりのないタイトルですが、横浜の放送ライブラリーにアジア映画祭のニュース映画を観に行ったついでに、テレビドラマ『大奥』の第1回も観てきました。
去年放映された『大奥』の公式サイトには、「〜今から20年前(1983年・せんきち注)。フジテレビ系で放送され一世を風靡した名作時代劇「大奥」最高視聴率30%を超え、それは社会現象とも言うべき記録的大ヒットであった」とありますが、これは関西テレビ開局25周年記念として製作されたもので、正確には1968年、同じく関西テレビが開局10周年記念に東映と共同製作した『大奥』が、全てのルーツなのであります。
そして、この『大奥』の第1回から第4回までの3代将軍家光(中山仁)にまつわるエピソードで、春日局に見出されて大奥へ入り、将軍から寵愛されることになる古着屋の娘・お楽を演じたのが、『温泉あんま芸者』(いきなりですが)の項でご紹介した橘ますみ(初々しい)。
春日局(三益愛子)&瀧山(丹阿彌谷津子)の薫陶を受けつつ、対立するお万の方(桜町弘子。春日局に毒を盛られて子供が産めない身体になった)&そのお付の者たち(沢村貞子、花園ひろみ)の執拗ないじめ(もうドロドロ。眠っているお楽の顔に煮え湯をかけようとしたり、皆でよってたかって裸にしようとしたり)にもじっと耐え、やがて将軍に見初められるまでが第1回のストーリーでした。
第2回では、お万の方が京都から呼び寄せた「秘密兵器」お玉(伊藤栄子。故河原崎長一郎夫人)が登場、さらにドロドロ度が増すようなのですが、残念ながら所蔵されているのは第1回のみ。
すっげー面白かったので(しかも超豪華キャストだし。北林谷栄も出てる)、ぜひ続きも閲覧可能にしてほしいものです。

それにしても、橘ますみは時代劇全盛時代だったらこのままお姫様女優として安定したキャリアを築けたものを、なまじ映画が斜陽になった頃にデビューしちゃったものだから、この後東映がピンク映画に対抗するべく打ち出した「異常性愛路線」のヒロインに抜擢されて、めくるめく倒錯の世界に足を踏み入れてしまったのでありましたよ。
誰がこのドラマと同じ年に海辺で逆さ水磔される橘ますみの姿(『徳川女刑罰史』)を想像できたでしょうか。嗚呼。。。。
でも、どんな映画に出ていても、けなげで可愛いらしいんですけどね。

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2004-03-21 万年議員


台湾の総統選挙、選挙結果に不満を持つ野党勢力(国民党・親民党)が各地で抗議行動を起こして、大変なことになっていますね。
今後は司法の判断に委ねられるのでしょうが、暴力に訴えること(現に、高雄や台中では検察当局が襲撃されました)だけは慎んで欲しいものです。

ところで、選挙というと、台湾にはかつて「万年議員」というきわめていびつなシステムが存在していました。
それは、国共内戦に敗れた国民党政府が台湾に逃れてくる前の1947年から48年にかけて、中国大陸で選出された国会議員が、台湾へ移ってからも改選されることのないまま議員の座に安住していたというもので、1992年に初の国会議員全面改選が実現されるまでこの状態は続きました。
なぜこんなばかげたことが許されていたのかといえば、それはとりもなおさず蒋介石・経國父子(どこかの独裁国家のように、蒋介石も長男・経國に権力を委譲しました)率いる国民党の一党独裁体制があってのことでした。

そして今、民主化が進み野党に転落した国民党と、そこから分裂して成立した親民党の支持者が、かつて「党外」と呼ばれ弾圧の対象となった民主化勢力の中から生まれた民進党所属の総統がいる総統府を取り囲むという事態が発生しています。
台湾の民主主義が、それだけ深化したということなのでしょうか。
最悪の事態にならないよう、ただただ祈るばかりです。

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日本の報道姿勢もなんかなあ、と思います。ちょっと偏りすぎですね。 / せんきち ( 2004-03-22 11:19 )

2004-03-17 純純的愛


先日、都内某所で林青霞(ブリジット・リン)の1974年の映画『純純的愛』(劉家昌監督)を観ました。相手役は当時の代表的な二枚目俳優・秦祥林(チャールズ・チン)。
この2人に秦漢(チン・ハン)、林鳳嬌(リン・フォンチャオ。ジャッキー・チェンの奥さん)を加えた「二林二秦」が、70年代の台湾で大人気を誇ったスターでした。

物語はいわゆる「不治の病もの」のメロドラマ。
主人公が音楽をやっていたり、スケート場が出てくるところなど、1970年のアメリカ版不治の病もの『ある愛の詩』の影響をかなり受けています。
ところが、映画の途中でそれまでピンピンしていた林青霞が、全く唐突に苦しみだすものだから、思わず大爆笑してしまいました。
しかも、不治の病なのに入院もしないで自宅のベッドで普通に寝ているし。
ラスト、二人が結婚式をあげるところでおしまいになるのですが、よくよく考えてみると、この映画の監督の劉家昌は、前年(1973年)にも『愛の大地(愛的大地)』(翁倩玉〔ジュディー・オング〕主演。こちらは『サウンド・オブ・ミュージック』の影響を受けています)という不治の病ものを作っていますし、よほどこの手のネタがお好きなようです。
ただ、同じ不治の病ものでも、ゴールデン・ハーベストが台湾向けに作った北京語映画『秋霞』(1976年、陳秋霞主演)の方が、内容的にはしっかりしていました。
それでも、劉家昌監督は当時のヒットメーカーだったそうですから、とにかく「(映画を)作れば当たる」時代だったのですね。
台湾映画の全盛時代を偲ぶ一本として、記憶しておくことにします。

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tomohiko様:下手に生かしておくと、若い二人のこと、破局する可能性大なので、「消えてもらおうか」ってとこでしょうか。 / せんきち ( 2004-03-21 00:00 )
不治の病、やですね〜。病気は完治してHappy Endってな具合にならないでしょうか。それじゃ映画として駄目かな。 / tomohiko ( 2004-03-18 00:05 )

2004-03-14 幼い日の思い出


物心ついた頃、私の家の近所には映画館が5件ありました(もちろん、今は1軒も残っていませんが)。
東宝系、東映系、松竹系、日活系、そして洋画の2番館(3番ぐらいかも)。
このうち、東宝系の映画館は私が4つぐらいの時に廃業してマンションになり、日活系の映画館はロマンポルノ専門にシフトチェンジしたため、子供の私にはお呼びでない場所になり、洋画も外国語がわからない私にとってはやはりお呼びでない所でした。
というわけで、私がしばしば足を運んだ映画館は、東映系と松竹系のそれでしたが、それにはもう一つ大きな理由がありました。
我が家は商店街の角地にあったので、映画ポスターを貼るには抜群の立地条件で、東映系・松竹系共にうちの壁にポスターを貼っており、そのため、新しい映画がかかる度にうちには映画館の招待券が届いたのでした。
といっても、当時の東映映画は暴力とセックスのオンパレードでしたから、私が行くのは「東映まんが祭り」とアイドル映画がかかるときぐらい。大人の映画(なんかすごい表現ですが)を観に行くようになったのは、『トラック野郎』以降のことです。
そこへ行くと、松竹は子供も安心して観られる映画が多かったですから、「寅さん」なんかの最終上映を母親とよく観に行ったものです。それに、ふだんは松竹の映画しかかけないくせに、なぜか「ゴジラ」(東宝チャンピオンまつり)だけはかけるので、これもよく観に行きました。
そして、こういうはっきりとした映画の記憶の他に、なぜか薄ぼんやりとした、それでいて決して消えない映画の記憶があります。
それは、東映系の映画館で観た時代劇の記憶です。
題名は全く覚えていないのですが、大奥か何かが舞台で、ものすごい拷問シーンがありました。
しかし、なにせ「薄ぼんやりとした」思い出でしかないので、もしかしたらこれは私が勝手に作り出した幻想で、それがあたかも実際の記憶であるかのように一人歩きをしているのではないか、とこれまでは思っていました。
ところが、最近になって一連の「異常性愛路線映画」を観るにつけ、どうやら幻想でも何でもなく、実際に観た映画の記憶だったことが明らかになってきました。
親に連れられて観に行ったのだとは思いますが、それにしても、なんでこんな成人映画を観ていたんだか。

不思議です。

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おにぎり様:いやあ、何であんな映画を観に行ったのか、いまだによくわかりません。当方、実は六歳の時に吉原・松葉屋のおいらんショーも体験しています。おそるべき女児。。。。 / せんきち ( 2004-03-17 22:09 )
私の愛夫も、友人の父親の仕事がら、タダでよく見に行っていたそうですよ多分、子供が見てもイイ系のを。。。 / おにぎり ( 2004-03-15 22:25 )

2004-03-11 皇后女優のその後 再び


橘ますみのことが書いてあるというので古本屋から取り寄せた『朝日のようにさわやかに』(川本三郎、1986年、ちくま文庫。親本は1977年刊)を読んでいたら、『温泉あんま芸者』のことを絶賛しており、中でも例の高倉みゆきがメインの件を激賞していました。
しかし、さしもの川本氏もあれがかつての皇后女優・高倉みゆきだとはわからなかったらしく、「あの女優さんは誰?」と書いていました。
ま、わたくしも、偶然タイトルバックで高倉みゆきの名前を見つけ、注意して観ていたのでそれとわかったという次第で、タイトルで名前を見落としていたら、一生わからなかったでしょう。
この映画、よくよく考えてみると、石井監督と高倉みゆきの他にも、あんま芸者のリーダー格に三原葉子、橘ますみが慕う町医者に吉田輝雄と、元新東宝のメンバーが勢ぞろいで、なんだか新東宝同窓会のような映画です。
そういう意味でも、やっぱり泣ける成人映画です。


付記:この映画、公開当初から良識ある人々には問題視されていたらしく、内閣府の世論調査でも槍玉にあげられています。でも、今観るとなんでこれが成人映画なのか、はっきり言ってよくわかりません。古谷一行の「混浴露天風呂シリーズ」と大差ないですもの、露出度的には。
それにしても、この映画の橘ますみはいいです。三原葉子もね。

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この文庫本、まだ絶版にはなっていないみたいですが、再版するときにはぜひとも「高倉みゆき」の名前を入れて欲しいものです。 / せんきち ( 2004-03-11 23:22 )

2004-03-08 この道より


この道よりほかに 我を生かす道なし この道を歩く

「白樺派の巨人」武者小路実篤の詩です(「ほかに」がない場合もありますが、ここでは私の記憶どおり、「ほかに」を入れておきます)。

高校時代、せんきちはこの詩を知り、「おお!すんばらしーじゃあーりませんか!!!」と大感激、『武者小路実篤詩集』(新潮文庫)を買い込んでは、繰り返し読みふけったものです。

が、先日、『温泉あんま芸者』を見ていたら、吉田輝雄扮する温泉街の町医者が「ぼくの大好きな言葉を、君に送ろう」と言って、橘ますみ演ずるあんま芸者(千代)に教えるのがなんとこの詩で、せんきちはびっくらこいてしまいました。
しかも映画のラストで、橘ますみは「あたいには、この道(あんま芸者)しかないわ」と、このありがたい言葉を噛み締めつつ、温泉あんま芸者としてスケベオヤジをたらしこんで、もっともっと稼ぎまくろうと決心するのでありました。

なんだかすごすぎます。。。。

そしてもっとすごいのは、この映画が製作された当時(1968年)には、まだ武者小路実篤は生きていたということ。
実篤自身は、自分の詩がこんな使われ方をしていることを知っていたのでしょうか。

よく問題にならなかったな。

石井輝男、おそるべし。

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↓更にすいません。売防法ですね。売るのか買うのかわからなくなってしまい。。。。 / せんきち ( 2004-03-14 21:03 )
↓すいません。売春法じゃなくて買防法(買春防止法)でした。とほほ。。。。 / せんきち ( 2004-03-14 21:02 )
ぷるぷる様:この元祖『温泉あんま』もかなり問題になったらしいです。当時、温泉場の女性あんまは売春法施行以後、その筋の職から転身した人が多かったのだそうです。 / せんきち ( 2004-03-14 21:01 )
さすがせんきちさん!そうですそうです。半裸でもう必死にマッサージする玉緒がぜんぜんいやらしくなく可愛くて。2話の鉢合わせギャグもおもしろかったわ。3話は憶えてない…。ん〜、もっかい観たくなりました。しかし温泉あんまの方、「秘術をつくしての悩殺戦」ってスゴイですね… / ぷるぷる ( 2004-03-13 17:49 )
ぷるぷる様:この映画ですね。当時のスポーツ新聞にも沢山記事が載っていました。ちなみに、『温泉あんま芸者』のルーツは、この映画らしいです。 / せんきち ( 2004-03-12 22:52 )
もちろん若くてキュートだったころ(今もある意味キュートですが)の玉緒です。そして芸者ではないあんまさん、だったと思いマス。 / ぷるぷる ( 2004-03-12 11:08 )
そういえば、中村玉緒が温泉宿であんまさんをやる映画を見たことがあります。ストーリーはほとんど忘れてしまったのですが「おもしろかった」という記憶があります。浴衣姿で汗だくになってあんまする玉緒がなんとも可愛らしかったのを覚えています。 / ぷるぷる ( 2004-03-12 11:06 )
tomohiko様:追伸 みょーに安っぽい主題歌もサイコーです。あと、覗きの場面でやたらと軽快な音楽がかかったり。 / せんきち ( 2004-03-11 23:35 )
tomohiko様:ぜひ観てください。これはすんばらしー映画です。ひさびさにはまりました。 / せんきち ( 2004-03-11 23:31 )
ぷるぷる様:「人形佐七捕物帳」なんて、ふと思い出してしまいました。人形道もゲーム廃人道もけもの道かと。。。。 / せんきち ( 2004-03-11 23:30 )
この道しかないと覚悟を決めて邁進する姿、感動的ではありませんか(って映画は見てないけど)。私も「この道を歩く」と言える道にたどりつきたいものです。 / tomohiko ( 2004-03-09 23:13 )
「あたいはこの道(人形道)しかないわ」 / ぷるぷる@ゲーム廃人道も見えてきた ( 2004-03-09 00:56 )

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