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koedaの「踊る踊る毎日」

映画が大好きな親子の日常
最近観て良かった映画は
夫「ウォンテッド」
私「コッポラの胡蝶の夢」
タバサ「ラースとその彼女」
蜜ちゃん「おくりびと」
(私以外は推測)
みなみさんのところの【一日5分努力する会】に参加中
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目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2004-01-20 成人式 その2
2004-01-19 成人式 その1
2004-01-16 イタリア首相プチ整形
2004-01-07 Buon anno!
2003-12-28 チーズケーキ
2003-12-27 お酒
2003-12-26 ブラックスーツを持っていると言っていたのに
2003-12-20 香典返しの手配
2003-12-17 葬式のあと
2003-12-13 肺炎


2004-01-20 成人式 その2

さて成人式の日ですが
美容院に7時半から予約してあるので
家を6時半に出掛けました。父親が張り切って車で連れて行きました。
友達もそれぞれ6時半とか普段では信じられないような時間に
美容院に行って着付け髪のアップ等々やってもらっていた様子

この着付け代もピンからキリ
何千円から何万円まで
その上に写真代
家は前もって写真を撮ったので今回はなし
だいたい2万5千円くらいかな。実家に送った分も含めると
なんとお金のかかることやら
先日、タバサが中学校で一緒だった子のお母さんに偶然会った。
今は違う市に住んでいるけれどもしそのT市のパルテノンに行けば
彼女にも会えるかなと聞いてみると
そこのお嬢さんは写真撮影の時だけの着付けを頼んだので(成人式当日に借りるのの半額)当日には、式典に出ないそう。
親の懐を察して、大学では奨学金を受けているし、年金の支払いも延期してもらうそうだ。
それにしてもその写真を撮れるところと言うのはT市の式典場の近くの写真屋らしいので、写真当日くらいなら着物を借りていられるだろうから式場近くでも
スナップ撮れるだろうし、なかなかうまい商売していると感心
それに引き替え、今住んでいるI市。式会場は山の上だし近くに美容院も着付けをするところもない。おかけで車の移動が大変。
おまけに式の準備委員が各中学校の出身者で構成され3部構成の最後は同窓会
では、高校から引っ越して来たものには入る隙間がない
それでも高校で一緒だった同じ市の友達と待ち合わせして行ったものの
やはりすぐにバイバイされて
T市に行きそこで中学、小学校の友達と再会を楽しんだそうだ。

お兄ちゃんの時も勿論そこで成人式を行ったが、
別に写真を撮るわけでもなかったが、大勢の新成人が外にいて
やはり学校ごとに集まってしまっているようだった。
やはり転勤族の多い地域なので、
みんな中学時代の友達を待ってしまうようだ。
それでも中に入ると中学の時の先生がお祝いに駆けつけてくれていて
成長を祝ってくれたらしい。

さてタバサはそこの市民ではないので中には入らずにいたところ、T市では、地元のTテレビやらTラジオのアナウンサーが
新成人たちに新成人としての豊富を聞いて回っていて、彼女も豊富を語って来たらしい。
あと外にはイラク戦争反対を訴える人たちがいて
うちにもあるPACE(パーチェ)の旗を振っていたらしいが、何よりも今の関心事は
イラクへの自衛隊派遣なのでそれがT市でもI市でも気になったらしい

ともかく親としては、
新成人として責任のある態度の取れる大人になってくれることを願っています。

後日談
タバサ成人になって一番したいこと   選挙
         豊富        健康に気をつけて素敵な大人になる

上は美容院に行った時に聞かれたことで下は多摩ラジオのおねいさんに聞かれたこと。

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2004-01-19 成人式 その1

タバサ、まだ19歳ですけれど、成人式しました。
土曜日に家族で食事をしたのですけれど、
今の子は、お正月に着物を着ないですね。
私が子どもの頃は、元旦から頭を結って着物を着て松の内は過ごしたものです。
だんだんに少なくなっても三が日は、結っていたと思います。
頭を一旦結ってしまうとくずせないので
箱枕のようなもので寝ていたような記憶があります。
勿論2日の書き初めもたすきをして着物のままだったと言うのに
うちの娘達はとてもそんなことができません。
秋口から着付け教室に行かせようと思いましたが
なんだかんだと忙しいまま年が明け
それでもタバサ本人は成人式の日の着付けとアップにメイクは年内に申し込み
友達とどこの成人式に行こうかと相談をしていましたが
家族でのお食事会にまた着付けを頼むのは費用がかかり過ぎるので
髪の毛と化粧はタバサ本人が着付けは私と母とで
やることにしました。
11時半に食事会を予約したので
タバサは8時頃から頭をセットし始め
私は着物を全て並べ用意をしていたのですが、短い髪なので
思いの外かかり着物の着付けも一時間半くらいかかってしまったようです。
どうにか予約の時間には間に合いお店に着きました
男達は先についていたので店の前で待っていてくれて
その時から写真の撮りまくり。
個室を用意してもらったので、お祝いのお酒やらジュースが出てくるまでの少しの間とかお店の人にも撮ってもらったし、帰る時には、玄関でまた撮ってもらいました。
彼女のおじいちゃんとおばあちゃんとはそこで別れ私たちもそのまま家に帰るのかな思っていましたら
彼女が家族でプリクラを撮りたいというので、まず神社にお参りに行き
そのあとプリクラを撮りました。
今のプリクラは、色々なポーズをさせたり名前を呼んでくれたり、下からやら上からやら息をつく間もないほど次々に写すのでびっくり。

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2004-01-16 イタリア首相プチ整形

今ラジオを聞いていたら、こんなニュースが飛び込んで来ました。
目のまわりを整形したそうで、
「目の大きなイタリア人がどんな整形をしたのか」と
キャスターたち、興味を持ったコメントをしていましたが
普通に考えて、シミとりとか、しわ取りなんじゃないでしょうか?
なんせイタリアの夏の暑さと乾燥、半端じゃなかったです。

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私は色を白くしたいなあ。あと体脂肪も減らしたい。ぜんぜんプチ整形とは関係ないけれど。 / koeda ( 2004-01-19 16:34 )
しわ取りでしょうww  あたしは胸をでかくする整形、受けたいです。ぅ。プチじゃあないっすね・・ww / 眠人 ( 2004-01-16 10:42 )

2004-01-07 Buon anno!

一年中、誰かが口を開いているような我が家にも正月がやってきました。
喪中と言うことで
おせち料理も用意せずに迎えた正月ですが、よくしたもので
かまぼこ、伊達巻き、チーズ巻きにハム各種。
鮭の昆布巻きにごぼうの牛肉巻きなどなど
送られて来たものでかなり間に合ってしまっている状態。
それでも実家の母からおせち食べにおいでとのお誘いを受け
行って参りました。

昨年は、養老孟司教授の「バカの壁」がベストセラーになり
もともと息子が彼の著書が好きで何冊か読んでいたために年末にやっと読んでみたところ、とても易しく書いてあるので、我が家でも「バカの壁」なる言葉がちょっとブーム。
今まで養老氏の本を読んで利口になっていたつもりだったけれど、ホントはわかっていなかったのがよくわかり面白かった。
そして「話せばわかる」と言うことを信じていた我が家は延々と家族の話がつきることがなく、どちらかが妥協するまで続いたのだが、この本を読んでからというもの、
「ああ、バカの壁だあ」と自分の理解できていない範囲がわかるようになった。
しかし、前述のわが実家の母は、わかるわからないに関わらず
延々と話を続けるらしく、娘達それぞれ一泊ずつしたのだが、
一人は十二時まで母に付き合いその後寝たふりをして切り抜け
もう一人はなんと夜中の十時から未明の四時まで付き合わされたらしい。
そしてそんな母の話題を女三人で始めるとそれこそ、一日かかっても終わらない。
と言うわけで今年もとりとめのないことを書き留めていこうかと思っております。

ちなみにタイトルは、今年は少しイタリアを勉強しようかとイタリア語に
してみました。

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みのりんさま。 今年もよろしくお願い致します。そしてイタリアのことは色々とお聞きしたいことだらけです。よろしかったら、メールさせていただけませんでしょうか?ちなみにこちらのアドレスはkoeda@ttv.ne.jpです。 / koeda ( 2004-01-16 15:44 )
koedaさん、Buon anno♪今年も宜しくお願いします。やっとネット復活しました!今年も仲良くして下さいね〜。9日より一時帰国中なのですが、お正月に風邪をひいてしまいいま1つ本調子ではありません。20日過ぎにまたイタリアに戻る予定です。ところで、今年はイタリアを勉強するおつもりとか?素晴らしいっ!!!(^O^)何かお役に立てる事があったら言って下さいね〜♪ / みのりん ( 2004-01-12 18:11 )
コタツムリさま。 今年もどうぞよろしくお願い致します。ところで、エンディングの謎を解明すべく昨日一日あちこち見ましたが、お歌のことでありましょうか。実際に聞いてみないと信じられない思いですねえ。(って疑っているわけではなく、驚きがすごいわけで…)取りあえずはさっき告知があった「めざましテレビ」を見ることにします。 / koeda ( 2004-01-09 07:15 )
あけましておめでとうございます♪今年もよろしくお願いします。昨日のドラマのエンディングで心が乱れてます(笑)。録画すれば良かった…。バカの壁、読みたいけどなかなか読めません。母に貸してもらう約束してるんだけどなあ。 / コタツムリ ( 2004-01-07 11:48 )

2003-12-28 チーズケーキ

タバサが吾郎ちゃんのポスターを見るために池袋まで行って来ました。
どこかわからなくて見られなかったそうですが
帰りに

チーズケーキファクトリーで家族にケーキを購入
NYチーズケーキ
ゴマプリン
ティラミス
バナナレアチーズ
チョコチップレアチーズケーキ

みんなでじゃんけんをして
勝った順に選びました。
私が選んだのはゴマプリン
香ばしくておいしかったです。

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ゴマプリン美味しそう…。あ、ティラミスもいいわね。お腹がすいてきちゃいました(笑)  / 葉瀬(ぱせ) ( 2003-12-29 00:26 )

2003-12-27 お酒

夫の友人の葬式があった。
入社当時、コンビを組んで仕事をしていたような人だった
何度かクリスマスパーティでご一緒したこともあるし
家も近く、近所でお会いすることもしばしばだったようだ。
夫の仕事帰りに待ち合わせて喪服を届け、斎場まで送る。
駐車場には、若い頃見かけた顔があちらこちらに
まだまだ働き盛りだったのに
無念だったことだろう。
お酒の飲み過ぎですい臓を壊したらしいとのことだった。

その帰りに夫の携帯に取引先の友人から電話
年末だから挨拶がしたいとのこと。
数日後会う約束をしていたが
この人は、自分で本業のほかにショットバーも経営していて
友人とはそこで会い
友人達の健康を考えて
決して三杯までしか出ないそう。
健康余命が長くなければ意味ないですものね。

ここをご覧のみなさま。年末年始暴飲暴食に気をつけて下さいね。

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スーパーしえろさま、お久しぶり。年末だからって飲み過ぎちゃだめですよ。私はすでに法事とクリスマス(密かにやったんだな。ケーキ食べたくて)で食べ過ぎ。お腹の調子が今ひとつでございます。 / koeda ( 2003-12-27 21:33 )
き・・・気をつけたい・・・ / スーパーしえろ@未ログインごめん ( 2003-12-27 09:33 )

2003-12-26 ブラックスーツを持っていると言っていたのに

四十九日法要を済ませました。
葬式の時は、なんだかんだ言ってあたふたしていたようです。
家族全員の喪服の用意。
長男にブラックスーツの確認。長女にも確認
次女は、制服
ところが葬儀当日長男が義母から
「きれいな紺のスーツね」と言われたそう。
あわてて長男に黒いスーツを購入しました。

男性のフォーマルスーツは、結婚式にも着回しができるので、それだけでも
買っておいていいと思われますが、お店の人によると最近では、細身の三つボタン、細身の二つボタン(これはちょっと衿が細くておしゃれすぎ)などもあり、長男君はさかんに細身の三ボタンをデートにも着られると薦められましたが、リクルートにも着られるという普通のシングルのフォーマルスーツを購入。
正式には、ダブルなんだそうで、色ももっとくっきり真っ黒だそうです。
しかし、そういう喪服は年長者しか着用されていなかったようなので、
ごくごく普通のものを購入致しました。
タバちゃんは、リクルートスーツが黒だったので、ブラウスも黒のハイネックにしてとてもフォーマルぽかったです。
そして喪主である義母は葬儀社でレンタルしました。
喪服は持っているものの、幸いにも着る機会が少なかったのか
サイズがちょっと合わなくなっていたようで、
葬式当日は、きちんとしたものを着たいけれど、買っている暇もないし
ということでレンタル。
それにフォーマルの帽子もかぶってなかなかでした。
しかし四十九日の時は、持っているものを着て来ていて
裾だしやら、幅だしして着てきたと申しておりました。
女性の喪服は男性より大変だと思います。
若ければ、タバサのように黒いスーツを利用できるものの、
年を重ねてくるとそれなりのスーツやらワンピースを着用。体型の変化やら
寒暖の差がありますので、できるだけ余裕のあるものがいいですね。

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2003-12-20 香典返しの手配

デパートで聞いたら
挨拶状の印刷に10日、それから発送の手配をして一週間くらいみて下さいとのこと。
それはちょっとと言うことで
挨拶状は自分で作り、品物を選び、発送の手配をしてきましたが
届け先の電話番号さえわかれば、住所、所帯主の名前が
わかってしまうのにびっくり。
これじゃあ、うかつに電話番号書けないですねえ。

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葉瀬(ぱせ) さま。ありがとうございます。こういうのってやったらキリがないということで、何事もほどほどが大切ですね。 / koeda ( 2003-12-26 07:16 )
大変でしたね。私も、数年前、母を亡くしましたが、葬式より、香典返しの手配には、疲れました。無理なさらないようにしてくださいね。 / 葉瀬(ぱせ) ( 2003-12-23 00:19 )
暁さま。身内と言っても大変なのは、喪主とその周辺の人たちだと思います。こういう事で連絡しあったりして自然と義母の様子を見てあげることができるのは、いいのですが夫の負担が大変だと思います。みんな元気で苦しむことなく長生きしてもらいたいものです。 / koeda ( 2003-12-22 16:58 )
身内で亡くなった人がいないので経験がないのですが、いろいろと細かいことがあって大変なのですね。 だからこそ気がまぎれて良いという話も聞きますが、やっぱり大変そう。  / ( 2003-12-22 00:32 )

2003-12-17 葬式のあと

いつまでもひっぱるな〜と言われそうですが、
終わってから、未だに香典帳を整理したり
香典返しの手配をしたりで、忙しく過ごしておりますが
何より、挨拶しすぎのためかむち打ち症が再発
通夜の日も怪しかったのですが
告別式の時は、首から背中、腰、腕にまで湿布を貼って過ごしました。
食事の時間も不規則なためかお腹も壊し
それを直してから整形外科に行きましたが
その頃にはもう首は全く回らず、座っているのもやっとでしたが、
これも少しよくなり、最近足の裏の魚の目の治療に行って来ました。
これの治療をすると痛くて歩くのが困難になるのにうっかりして
歩きすぎ、これまた痛い思いをしています。
根がお気楽なんでしょうか。
内臓脂肪のレベルが計れる体重計を買って来ました。
体脂肪は標準より越えてますが、この内臓脂肪のレベルが標準よりはるか下回っておりまして、ちょっとご機嫌です。

話を元に戻すが、香典帳はともかく、会葬者の記帳
今まで何の気なしに書いておりましたが、会葬者が多いと
お名前だけでは、どういう関係で来て下さったかわからない場合があります。
葬儀社の方が、最初に会社関係と一般と分けたらと提案して下さいましたが
こればかりはどのくらい来るかわかりませんし、夫の会社の方ならともかく
取引先の代理で来られた方なのに、ご自分のお名前と住所だけでは、どういう関係かよくわかりません。香典帳と比べ合わせて推測しますが、これがなかなか。
一歩進んで代理と心得て上司のお名前を書かれる方でも上司のお名前を間違われた方もいらして、会葬者名簿の文字ばかりの中にも色々な風景が浮かんで来ました。
葬式は、出したと言っても、全てにかかわることはそれほどあるものではない。
かかわることなく過ごす人だって少なくはない中
両親が離婚したため、直接血のつながっているものが
自分だけになってしまい、十代で父親の葬式を出したという女の子の話を聞いた。
こじんまりと済ませたのだろうが、
それでも役所の手続きなど、どうしてもやらなくちゃならない雑多なことなど
大変なことだったろうと思う。
ただもう半年も経つのに入れるお墓がないので、骨壺を母親に預けていると言うのだが、
母親はどんな気持ちでそれと過ごしているんだろうなと言っていたらしい。

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2003-12-13 肺炎

義父の死因は肺炎でした。
義母が病院の先生に息子たちに知らせないでくれと言ったために
父の入院を知ったのは入院してから一週間目。
最初に義母の説明を聞いた時は何がなにやら
「いつものかかりつけの病院に行ったら
先生がいなくて、いつも沢山あるタクシー乗り場のタクシーも
出払っていていなかったし、来るときは歩いて来たのに
今は何にも食べられないし...
出るものもでない。何言っているかわからないし.....」
なんてしどろもどろな状態。
義母があわてている割には、意識もはっきりしているし、話もできるので、夫は父と話し
私はお母さんの話を聞いて一旦状況を整理しようと家に帰った。
翌週、お見舞いに行くと腹をよじって苦しそうなので、看護婦さんに聞くと
看護婦さんは病状を聞かれても何も教えられないとのことで
看護婦さんに先生に会えるかどうか聞いてもらい、翌日
先生と約束を取り翌週の半ば症状を訪ねに行く。
最初は十二指腸潰瘍と言うことで入院。その後寝たきりと言うことで
腸が閉塞。一時は腸捻転も疑ったが、その心配はなくしかもそれは少しは改善してきているが、鼻から管を通して減圧しないと腸にガスがたまってしまい
他の病気を併発しかねないし、肺炎が少し進んで来て痰がたまり
話すことも聞きづらくなっているとのこと。
ただこの管を入れるのは痛いので本人が嫌がるとできないとのこと。
しかし取りあえずは管を入れないことには、腸閉塞が治らないので、次の治療に進めないとのこと。
夫が期間限定で管を入れることを承諾させることに。

レントゲン室で、管を入れ終えて病室に帰って来たとき
付き添っていた夫が「五日間だけがんばれ」と言うと
義父は「わかった。みんなにもよろしく」と言うのが
廊下で待っている私たちにも聞こえて来た。
管を入れるために体を動かしたためか痰を取ってもらったせいか
とても鮮明に聞こえた。

それから2日後、心配でそっと見に行った時は、もう体は海老のように曲げずに
寝ていたので、お腹の痛みは取れたのだろうと思っていたが、
寝ていても口を開けたままなのが気がかりだった。
案の定、通りかかった担当医がレントゲンを見せてくれた。腸の膨らみがほとんどなくなり、お腹の中がすっきりしていたが、一方、肺のレントゲンは、以前より
白っぽくなっていた。
どうしたらこの状態は良くなるのかの質問に、体を動かしたり起きあがれれば改善されるとのこと。取りあえずは、抗生物質は与えているからとのこと。
取りあえずは、腸の状態が良くなったと言うので、小躍りしながら、義母と病院を後にし、
イレウス管がはずされたら、まめに来て、体を動かすのを手伝ってやろうと思っていた。

しかし次の日の深夜、病院から電話。
夫がまず様子を見に行くと行ってかけつけ、一時間ほどたってから、
私たちもタクシーでかけつけた。
どの瞬間にそれを見たのか今ではよく覚えていないが、死亡診断書の中の
肺炎と言う文字。
あの白いもやもやが....

年老いて行くと肺炎で亡くなる方が多いと聞くが
その日の昼間も弟たち家族と話をしていたと聞くと
なんでという思いが頭をかすめてしまう。

先頭 表紙


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