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ヒポコトリの「書を捨てないで 町へ出る」


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はじめまして    chCCygEPcF

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2017-10-15 食べたもの
2017-10-14 7w 食べたもの
2017-10-09 食べたもの
2017-10-08 8
2017-10-08 7
2017-10-08 6
2017-10-08 5
2017-10-08 4 食べたもの
2017-10-07 3
2017-09-26 2


2017-10-15 食べたもの

昨日はあの後
餃子11個
米1/2合
ぶどう
オレンジジュース
お茶
を摂取した。ウプッ感はスーパーに買い物に行った時と寝る前が強かった。前ほど寝込まなくてもいいんだけども何かする元気もなく無為に過ごす。好きで食べてたのにこの度食べれなくなったものは、漬物、納豆、キムチ、コーヒー、ラーメン。特に昨日の寝る前夫がチゲみたいな匂いの何かを食べてたが、寝床まで辛かったので寒いが窓を開けた。王将のサンラータンメンが食べられそうなので行きたいが、一食食べられなさそうなのと、店の匂いに負けそうなので行ってない。におい一般やはりダメになったが、中でもおむつのおしっこ、うんこのにおいが一番ダメです。ウッときて死にそう。普段は全然平気なんだけども。
今日は起きて昨日の残りの
トマトソース
米1/3合 ゆかり
食べて、カロリーメイトゼリーを持ってモスバーガーにネット注文したのをとりにいって
モス野菜
食べた。モス野菜2個とモスバーガー1個買ったので、もう1個食べれそう。今月前半は休みが多くて助かる。

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2017-10-14 7w 食べたもの

昨日はロング日勤。果たして乗り切れるのかと…。歩くように感じる吐き気はそれほどきつくなかったが、エネルギーがとにかく足りてない。
カロリーメイトゼリー1個
蒟蒻畑4個
オレンジジュース250ml
お茶700ml
この辺をちょこちょこ休憩室に戻って腹ごしらえしていた。そして恐怖の昼。前回は食堂にこっそり行ってざるそばを完食できた。でもあんまり不在にしたくないのでとりあえず売店へ。もしかしたら食べれるかも、半分食べれたら十分だなと思って
麻婆オムライス
を買った。いつもペロリと食べるやつ。そしたら9割食べれたのだ!びっくりした。休憩室で食べる以外することがないみたいな環境のおかげな気がする。食べた後はしばらく(夜まで)苦しかったが、エネルギー不足のような飢餓感が午後はなく、気持ちよかった。調子が良かったのでサッと定時で帰らず1時間残業したが、サッと帰ればもうちょっと調子良かったかもしれない。帰ってからは変わらずつわり感だったので、何か食べようと2時間ほどTV見ながら横になってお腹を楽にさせ、
わかめラーメンカップ麺9割
食べて寝た。
この日は、初めて雑誌の執筆依頼というものがあったと聞いた。先日研究発表したのを見て、看護雑誌の特集のテーマに合うので5000字2万円で書かないかと看護部長宛てに来ていたらしい。興奮した!こうして反応が来るものなのかと。ただまだ論文発表していないので先に書くと論文投稿できなくなるので断ったから、と指導官に言われた。とてもいい日だった。というか論文途中で投げ出してつわりモードに入り無為に過ごしている状態なので取り組まねば。とてもいい日だった。
翌朝は、空腹だけどウプッ感は変わらず、寝ながらトマトソースなら食べれる…と感じ、久々に調理した
トマト缶
たまねぎ1/2
セロリの残り
ツナ缶
で炒めたものを1/4量食べた。白米と一緒に食べようと思って炊飯器開けたら1/10合しか残ってなかった…

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2017-10-09 食べたもの

昨日は夜勤明けで、夜まで調子が良かった(食べようとしたら半分ほどしか食べれないが、横になったりしなくても苦痛じゃない)。夜には調子悪くなった(食べる気なし、寝ててもウプッとくる)。
ぶどう
を食べた。ぶどうは調子に関わらず食べれる。梨も買ってもらった。
今朝は普通(ゆっくり歩かないと気持ち悪いが、何か食べようという気にはなる)、昨日の前半の調子の良さは何だったのか…。今朝、ところでいつかは吐くのだろうか?と今の状態で吐けるか想像したところ、今でも吐けそうな気がした。吐くことはイレウスで練習済みなので要領は分かる。ああもうやばいと思いながら、トイレの便座を上げ、顎を乗せ、うえーっとやれば込み上げてくる。そんなことを想像してたら本当に気持ち悪くなってきたので焦ってやめた。今日は、補食が無くなってきたし、クリニックでカードで払った時の25万円の引き落としが明日なのでゆうちょに入金に行くため、スーパーに行くことにしていた。セロリのスープを食べたいなという気になったのでそれも少し。量は食べれないけど補食が高いから食費が結構なことに。帰って久々に煮込むとかいう料理ができた。
キャベツ、じゃがいも、セロリ、塩胡椒とオリーブオイルのスープを一杯
米1/4合 ゆかり のり
梨1個
お茶150ml
カロリーメイトゼリー
を食べれた。途中でギブアップすることなく。盛る量が分かってきたのもあるが。

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2017-10-08 8

移植周期。ホルモン補充しか選択肢なし。自然周期というのも世間にあるらしいが…自分は卵巣嚢腫があるからこっちの方がいいだろう、と言い聞かせる。毎週の受診で2万円かかる感じ。採卵と凍結で50万かかったし、移植には30万以上かかることになる。毎週2万は現在進行形だ。確実に説明と違うがこういうものと思わせられざるを得ない。移植に対しては色々と検索の余地があり、セックスしてると精液の成分が免疫にいい作用をするらしいので膣座薬が始まる前まで積極的にした。移植後当日は、笑って過ごすといいらしいのでユーチューブでとみおか高校のダンスを見て少し笑った。ちなみに移植のためにおしっこを膀胱にためるという仕事があるのだが、尿回数の少ない私は楽勝と思っていたがなかなか大変だった。見え方は良好と言われ安心した。移植直後に排尿しても構わないと聞き、エコー見ててもこれが排尿で流れる気はしないと感じ、終わってすぐ歩いてトイレで排尿した。葉酸は二分脊椎予防のため枝豆食べたりしていたが疲れたのでサプリでとるようにしていた。ストレスを排除するため休みの日は休んだ。これくらいだろうか、したことは。ちなみに融解した胚盤胞は、第一希望の一番いいやつは壊れた。日本の技術では壊れるのは1%らしいが、なかなかショックだった。拡張しすぎてるのにハッチングしないからかなーと思うことにした。第二希望のものを移植することになったが、融解後の写真がなかなか不安になる形で、回復率も60%、不信感がつのった。予定通りアシステッドハッチングした。透明帯が厚い方らしいし、凍結したから。シート法は初めての移植だったためしなかった。
移植時子宮内膜は14.8mm,E355,P17.6だった。移植後症状はよく鼠径部チクチクとかいうらしいが特に何もなかった。いわゆる生理前の胸の張りが続いていたがこれはホルモン補充のせいだし。判定はBT12と遅いので、BT6にフライング検査した。初めて見た陽性ライン。まさか、まさかと思った。BT12、hcg1287で着床していることが示唆された。BT19、hcg23000、子宮内に胎嚢が確認され、5w4dとされた。次は6w6dに心拍が確認できたらいいなというところ。そう、まだまだなんですがどこにも記録できないのでここにすることにしました。

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2017-10-08 7

1回目の採卵。刺激には、自己注射の毎日だった。採卵は、卵巣嚢腫があるととてもやりづらい。幸い卵胞が腫瘍の手前側に育ったため、14個の卵子が採卵できた。裏側にもあったが十分個数が育ったので採るのはやめられた。これでもし採卵がうまくできなかったら、また大学病院に送り返される(改めて手術)ところだったらしい。だから次の採卵があったとしてうまくいくとは限らない。刺激方法は色々あるが、想定より育ちすぎたたためOHSSのリスク高く、新鮮胚移植はやめられて、全て凍結の方針となった。歩くと腫大した卵巣の存在を感じた。どうか卵巣腫瘍がホルモン剤やら採卵手技やらで変なことになりませんように。
14個のうち、11個受精し、11個胚盤胞に育ち凍結された。胚培養士の方に凍結前の卵の写真のコピーを見せてもらった。今まで、どれだけ子作りしようと一歩も歩みを感じることができなかった。卵の写真を見ると、一歩何かを実感することができた。
次の周期はピルで早く終わらせ(子宮、卵巣機能を整え)、その次の周期で移植予定となった。またこれが長い。

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2017-10-08 6

夫とは結婚を12月にしたが、子作りは4月頃から解禁していた。卵巣嚢腫の手術後は妊娠しやすいというのでその期間も入ってるし、結婚後1年して妊娠しなかったら不妊治療というものをしてみようと思った。結局、子作りしてちょうど2年で門を叩いたことになる。その間、かすりもしなかった。BMIが17.5なのだが、痩せてると妊娠しづらいらしいので頑張って食べたが、もうこれは子供の頃からの痩せで、2年で1kg太れた程度だった。ただ痩せるのは簡単である。気を抜くとすぐ痩せる。生理は規則的で、排卵頃の症状もあるし、一度排卵検査薬を使ったら大体想定通りだったこともあって、基礎体温もある程度つけていたのでタイミングはとれていたようだ。一度だけ、ものすごい腹痛に襲われて生理が始まったことがあった。剥がれていくなにか。あれは着床してみたのかもしれないが、生理は1、2日遅れ以外で来たことは無い。妊娠検査薬も一度も陽性を見たことがない。私の部署は放射線を使う手術室の介助があるので、万が一妊娠してたらやだから、職場に検査薬を常備していた。でも妊活してるから嫌です、ってことが通る上司と通らない上司がいて、今は通る上司が強いので免除されていたが、スタッフから通らない上司の方が支持があるので免除されていることが申し訳ないと思わされる環境にもあった。早く妊娠して堂々と免除されたいと思った。
体外受精の始まりは、血液検査などなど、既に想像以上のお金がかかっていた。AMHは4.04で、年齢にしては良い値だった。体外受精の価値があるという指標。卵巣が低形成でAMH0の場合、どんなに刺激しようと卵胞は育たない。インターセクシャルの方や、小児白血病で抗がん剤をした方などに起こりうる。大変な話だ。今は卵子だけ、とか精子だけ、から生命を作ることができかけているので、また未来には大変とは思わないかもしれない。抗がん剤前に卵巣凍結は今実際にある話。でもそこからまた戻して受精卵を育てて、は気の遠くなる作業だろうなとも思う。
体外受精は発生異常の独特のリスクがある。かつての性教育で学ばされた、精子が膣に放出されて長い道のりを経た奇跡の生命誕生、とも違う。お金も大量にかかる。自然にできるに越したことはない。でもそれしか無いのだ。特にためらいはなかった。年々体外受精で生まれる子供の数は増えており、かつては今やクラスに一人と言われたが、2014年では21人に一人だ。

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2017-10-08 5

不妊治療は、大学病院の紹介状を貰いに行き、膝のトラブルで手術をはさみ(スポーツや肥満とは無縁なので円板状半月という半月板の形が変だからなるらしいと結論。スケートは1年やってないが1年前にちょっと傷ついてたのかなーとも思うが)、やっと始まった。結局は、一刻も早いIVFをという内容だったらしい。卵巣がんの方は大学病院の医師的にはもう過去のことで、残りの卵巣も子宮内膜症(チョコレート嚢腫)になってまた大きくなりつつあるから、今のうちに、ということらしい。卵管検査をしたことは無いし去年の手術時も癒着はほとんどなくてきれいだったという感想だったので自然妊娠も0ではないのかなとは思うが、また大きくなる=手術が必要になる(悪性化も0ではない)=核出だとしても卵巣機能はどんどん落ちるし、早いIVFを、ということかなと理解した。それで体外受精が始まった。わたし的には、ホルモン剤をだらだら長い期間使うことでの乳がんとかの方も嫌だったし、普通には妊娠できないだろうなーと何となく感じていたので、初診から体外受精顕微授精の希望欄にも○していた。初めから○する人はあまりいないらしい。自分は人と境遇が違うのだなと思い、というか、ステップアップというけれど、セックスや夫の精子に問題ない場合に人工授精を挟む必要ある?と多く不妊治療患者に問いたい。
で受診となり、次の周期に体外受精を始めることとなった。で今周期はタイミング療法(点鼻とか注射も使うような)と。薬の説明をされた。ホルモン剤にとにかく不妊治療医との感覚の違いがあるので、その意味が分からなかった。体外受精するのにこれを今するんですか?と聞いて、医師的には一周期も無駄にせず、という意図で組んだようで、お金もかかるし嫌だと思ったけど、私は全てをよく分かってないし、意図に反することには気に入らない系の医者だと感じたし、分かりました、と背中を向けて涙しながら退室した。この頃には既にもう疲れていたのだ。
その周期は要は排卵日を確実にしてセックスせよという周期だった。3日間完璧にセックスして、やはりだめだった。私のタイミング療法周期はこれで終わり。

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2017-10-08 4 食べたもの

夜勤だった。
昨日は一日臥床、時折ふっと気持ちよくなれることがあって助かった。昨日たべれたもの
カロリーメイトゼリー2個
ゆかりごはん 計茶碗に半分くらい
ミートソースの残り
こんにゃくゼリー3個
夜勤前にもうちょっと何か食べたかったが、寝ていたく起きたくない。ギリギリの時間に起きてシャワー浴びて行く。
夜勤に向かう駐車場を歩いていて、息を吐くたびにウッとくる。これは乗り越えられるのか…と絶不調。歩くのも辛く、ゆらゆらと歩く。ALSのレスパイトの方がいて、いつも話す(パソコンで)のだが、そんな愛想も振りまけず。何かを察してくれたのか話題振られず(この患者さんにだけ、自分は辛いのに、妊婦の話がヤダ、と半年前に言ってなぐさめられたことがある)。患者さんの体位変換、オムツ交換に回る。尿の臭いに吐きそうになる…。なんとか休憩1番をゲットして、横になる。あまりにしんどいと眠れもしないが、なんと十分に休息。昼間もずっと寝てたのに。少し調子良くなる。ちょいちょい水分とったりカロリーメイトゼリーやらこんにゃくゼリーやら炭酸水を飲む。色々持って来てて安心。5時半に軽食休憩。意外と食べれる。でもつい完食しようとして食べ過ぎて深呼吸して休憩。いつもなら食べ終わって歯磨いてパッと動くけどそんな周りについていけず。パッと動く周りに対し、ダラダラだけど早めに点滴準備したり細々と片付けることでカバーする。ALSの人も起きて、朝のケア終了。カルテ(パソコン)持ちながら観察。コール。注入。トイレ介助。朝食配膳。朝食介助は本当は夜勤はしなくていいんだけど最近は忙し過ぎて残業同然で夜勤も自主的に参加していたが、今日はやめさせてもらった。記録。なんか調子いいかも。夜勤で食べたもの
カロリーメイトゼリー
ゆかりごはん 茶碗半分くらい ゆかりのあの口に入れた時にウッとくる何かを蹴散らす驚異的なパワー…!!
辛い春雨スープ
こんにゃくゼリー2個
レモンの炭酸水100mlくらい
お茶200mlくらい
意外と食べれた。いつもはペロリとスパゲッティとか炊き込みご飯とか食べる。
自分の仕事が終わって、周りは残ってるがすみませんがと帰らしてもらった。周りにはまだまだ不安定な時期なので言えず。9:30。丸亀くらい食べれそうなほど調子いい。やはり夜勤とか関係なく朝は調子いいのだろうか。丸亀はあいてないのですき家とか行ってみる。まぜのっけ朝食を半分は食べれた。完食できる気で行ったがだめだった。これ以上食べたらもたれとの戦いが始まりそうだった。寝る。昼起きる。変わらずなんか調子いい。冷蔵庫の残り物のトマトソースが美味しそうと思いながら食べれず、今なら食べれる気がして食べた。
トマトソース1食分くらい(夫がよしけいで作った残り)
ご飯茶碗2/3くらい ゆかり
炭酸水100mlくらい
お茶 200mlくらい
こんなにまとまって食べれたのは久しぶり。調子いいけど食べたら食べれない、くらいなら全然耐えられるんだけど、またぶり返しませんように。

追記
調子良く、その後ハーゲンダッツとベビースターラーメンの小袋を食べた。
19時頃から割と急に、またきもちわるい。私のつわりは食とはあんまり関係ない気がする。トリガーもない。ただちょっとつわりがあって安心した。次の寛解を感じても、不安にならない。

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2017-10-07 3

気づいたのは5w2dの夕方らしい。つわりの始まりだ。なんとなく気持ち悪いかもと。5w4dには慢性化した。この頃少量の出血が続いていたのでそっちの方が気になっていたが、安静にしても仕方のないものだから普通に仕事や講習のインストラクターをして打ち上げにも参加できていた。でも6wからはもうだめ。仕事も頑張って手抜きしないとできない。カロリーが足りなくて動けない。午後は特にしんどくて息を吐くのもしんどい。寒気もする。なんとか13時間勤務を終える。今週来週はシフトが緩いからいいけど、只今妊婦2人が病欠で1人が介護病欠、再来週は連勤なので耐えられるか…妊娠継続できていればどんなつわりにも耐えられる、と思うけど結構しんどい。と思ったら今は久々に調子がいい。今朝いつも通り起きて、朝が一番調子いいのだけど何か食べたらもう終わり、一日ずっと気持ち悪い。ベッドで上体起こして休んでたら2時間かけて少し楽になってきた。これなら何かできるかもしれないくらい。この気分は、イレウスが手術で治った後の気分に似ている。とても気持ちの良い時間で、それだけを味わっていたい。
ところでつわりとは、なんだろうか。3人の経産婦が4人目、妊娠と気づかず胃が悪いと思って胃カメラしたりしていた。その気持ちはわかる。胃部不快感だ。胃腸の流れが悪い感じだ。蠕動が止まってるか逆流する感じだ。決して船酔いとか術直後の気分不快とは違う。イレウスは腸の方が張って腹部膨満感な感じだからまた違う。ついでにイレウスだったらここまで長いこと気持ち悪かったら、先に吐いて吐いて激痛が来て嘔吐物も色が違うのでまた違う。つわりは長い戦いらしい。

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2017-09-26 2

受診したのはUという県内で2つしかない不妊クリニック。もう一つのYというところも実は行ったことがある。結婚前、生理痛が強くなり元々生理痛がほとんどない私は異常を感じ、ネット検索で出たレディースクリニックがYだった。エコーで卵巣腫瘍あり、驚かれる。わたし的にはいつもの見慣れた大きさだなーとは思ったが、大学病院の定期受診を早めてもらって、そちらを受診して下さいと言われる。ここは実は不妊クリニックの1つだった。不妊クリニックという言葉を体外受精もするという意味で使ったが、タイミングや人工授精だけのクリニックが県内にあるのか調べたことはない。いわゆる婦人科、では手を出しているそうだが、あまり聞いたことがない。それほど県人口が少ないのだ。この手術のことは昔ここに書いたので省略する。
でその後、勤務先に痙攣の若い女性が入院した。経過の始まりにはYでの人工授精、抗生剤内服とからめて書かれていた。辺縁系脳炎という診断の、抗NMDA受容体抗体脳炎が仮診断だった。腫瘍による自己抗体が脳を攻撃し、痙攣などの症状が出る。腫瘍は卵巣が多い。この方は、それらを満たしていた。結局良くなったのだが、ヒステリー(心因性の痙攣などの身体症状)の方がそれらしかった。義父母との不仲もあったらしい。Yや不妊治療に対しあまりいいイメージを持たなくなった。卵巣腫瘍を抱えて生きる身として、意識障害や痙攣が出た時のことを考え、病歴を紙に書いて病院ファイルの裏に入れ、夫に有事見せるよう言った。
Uを選んだのは、本気で不妊治療を考えた頃、大学病院の定期受診で不妊治療をしても大丈夫か、するならどこがいいか、聞いてのことだった。この頃はまだ、不妊治療は大学病院などでするもの、と思っていたのだ。通院に1時間かかるのに、よく考えていたものだ(でも都市部でも有名クリニックにそれくらいかける方はいること、県内の不妊クリニックに数時間かけて通う方もいることも知らなかった)。待合室の不妊治療冊子の一番上に載っていたということもある。この大学病院の先輩医師であるというから、連携もとりやすいだろうし、病院はこの連携のしやすさがいかに大事か、連携外のことをする患者の異質性を感じているので(稀な疾患や状況でない限り)、勧めてくれるところがあって良かったと思った。卵巣腫瘍をしているので紹介状(診療情報提供書)とかなしで行ってもいいものか聞いたがいいでしょうという。
結局、Uを受診し、大学病院の紹介状がほしいと言われ、受診し直す(勤務もあり2週ロス)。MRIの予約に1ヶ月ロス。その間に膝が悪くなり手術が決まり半月ロス。再受診に2週ロス。やっとUの門をくぐれたのは初心から2ヶ月経っていた。この頃、入院患者が毎日待ち時間なく検査できること、お会計がすごく安いこと、なのに文句たらたらな方もいる、本当は看取っていきたいと思ってる家族にガンガン治療するアホな勤務医、そんな日本の高齢者医療に幻滅した。勿論、ご病気の大変さが違うのは承知です。

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