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ヒポコトリの「書を捨てないで 町へ出る」


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はじめまして    chCCygEPcF

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2015-09-20 過労
2015-09-13
2015-09-02 8月末
2015-08-24
2015-08-05 メシウマ
2015-07-24 喉頭侵入
2015-07-19 右心房
2015-07-13 ぬるい
2015-07-08 元気になってしてること
2015-06-29 遠出した


2015-09-20 過労

ようわからんけど過労だったと思う。心も体も。最近勤務体制が変わった。看護師は3交代(8-16、16-24、0-8)の時代が2交代(8-16、16-8)の時代になり、それもそれでよくないのでと変則2交代(8-16、8-20、20-8)の時代になっているらしい。私のとこはずっと3交代で、最近変則2交代になった。私は早く2交代になりたかった方だけど、看護方式も変わってかなり働く内容も変わったりして、自覚的にかなり疲れている。特に8-20の勤務が相当疲れる。のは分かっていたが。私は不運なことにこの勤務が多くて、辛かった。加えて夜勤もあり、夜勤は前の夜勤ほどは疲れないけど(8-16のあと家に帰って0-8に出てきていたから)昼夜逆転はしてしまうので体も狂う。それで本当に毎日疲れていたが、代休をもらえて連休になった。1日目は変わらず疲れて肩も凝って凝って(どうしても抜け出せない凝りはマッサージに月1ー2回行くが、一昨日行ったばかり)これは抜けられないんだろうかと思っていたが、夜になってから1カ月ぶりに体がリフレッシュしたような気持ちを取り戻せた。
Rは出張で4日間不在だけど、私が連休になったから迎えられるのが楽しみ。もうすぐ本当の挨拶にうちにきて、来月は親同士が会う。私の基礎体温はどうも一気に上がる力が無いらしい。万年BMI低値のせいにして、栄養つけてみようと思う。
Rがいなくて、本買い込んだりかぎ針編みしたり勉強したりしてた。なかなか有意義であるが。昔の人の働きっぷりとか苦労を読むと、自分の過労なんて大げさかななんて思う。でも、余暇と権利はセットで、思考する時間と方法が無いと成人の義務を果たせないと教えてくれたのは確かポランニーだったが。だからがむしゃらに働くことは見失うことになる。でもどうなんだろうか。大切なものは見えているだろうか。
下唇が痙攣する。

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2015-09-13 秋

ファンシーグッズと言って伝わるだろうか。ファンシーグッズを売る個人経営の店がまだ現役でやっとられる、と発見して入ったら結構賑わってるのだ。びっくりしたわ。本屋も銀行も全国規模の企業が参入していない。新幹線もない。高速も貫通してない。サービス業も未発達。渋滞知らずの、車・チャリほぼ停め放題で暴力団のいない地域で日が暮れると家に帰りたくなる。しかし情報に疎くリテラシーがないのはどうにかなってほしい。けどお上りさんもいないから選びました。一つ願うのは、ガラスに入った文化に触れたい、歩いて本を選びたい。
過労気味で、毎日Rと外で泊まって癒されることでなんとか気力を取り戻していた。親の出張も重なり自分も夜勤だったりで家帰ってもなかなか会えず、もうすぐ家を出るのだと思うとホームシックになった。今月も生理が来た。

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2015-09-02 8月末

8月は職場で1年目の方に勉強会資料を作り上の人にチェックしてもらった。私はcerebral infarction担当。その目的は経験数年目の私たちなどに教える能力がつくし、1年目も聴きやすいこと。つまり教育が担当する企画。よって上の人というのは教育担当者。といっても能力があって結局色んなことの中心になっている人ではある。その人に資料をチェックしてもらって昨日嬉しい言葉をもらったからウキウキ。ウキウキさせといて、教育上手だな。すごい資料ができた、この数年勉強してきたことが分かる、予定時間で説明するのは無理だからああいうとこは省略して、でも何箇所か聞きたいところがある。詳しい資料というのは、自分で勉強しなくなるから本当は全部書いちゃいけないっていう。でも自分のために書いた。

勤務体制が変わるので業務整理とか必要なハード面をそろえる準備をする係の一人だった。私は3連休に入ってしまうので、任せられた仕事を半分やって休みに入ってしまったので怯えていたけど、他の人がやってくれてた。というか、別に誰がやるって決めずに勤務の人がやるっていう雰囲気だったので別に悪い印象は持たれてなかったように思う。看護師は…勤務がめちゃくちゃだからだろうか、それでどうにかなる。ただ、上司が能力あった。初日は色々あったけど大きな問題は起こらなかったし、早速問題点を話したり反映させた。

研修に行った。毎回内容と別のことを思う。今回は、チームワーク、特に即席(数日〜数週間)のチームをうまく機能させることについて考えた。気持ちの良いコミュニケーションとか、話の進め方、決め方とか。地元に帰って仕事を一日した時に感じたのは、楽だということ。すでに数年来の関係性があるからだろうか、誰がどういう人か分かってるし言わなくても分かることとか伝え方が確立してるから、すごく安心感があった。ただその中でもズバリ伝わる言い方(ただし気持ちよく)ができないなと思うことや、患者さん相手とか他職種相手、状況による伝え方はここでもトレーニングするとつながるなと思った。それができればワンランク上だなと思い、修行だなと思った。

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2015-08-24 夏

心の安寧が続く。R母とついに会って病気のこと含め言うことができた。その場で反応は読み取れなかったから怖くて終わった後に泣いた。でも大丈夫だったらしい。R父の方が急いて古い家を片付けないといけないし家族の関係や親族や住むとこだの式の日や規模などと私には頼もしかったし、家族と話すRを見て、今まで動いてくれないと思っていたのは動き方が分からなかっただけなのかなと心理的には成熟してても社会的なことは初めてで意外と頼りないものだなと思ったりした。ただ、私はやはりR母とお会いした日が一番のターニングポイントであったと思う。失敗しなくて良かった。Rといるのはとても気持ちがよいことなのでとてもいいなと思うし、子どもがいなければ結婚なんてしたくないと思っていたのは昔の話になった。
共通の友人の結婚式に出たが、送迎や余興など共同作業を与えてくれたので絆となったし式は社会的な場だった。あとは今月私が研修で大阪に行くので付き添い旅行してくれるのと、来月Rが研修で神戸に行くので連休が合うといいなあと思っていることと、資料を完成させるべき今日明日明後日。と、思わぬ連休が与えられて戸惑っている今。
仕事は、相変わらずその日の勤務が終われば余裕だったなと思える日は多いけど、高齢者には誰もが予想外のことが起きるので、勤務をこなすほどに怖いなと思うようになったのは少し変わったところだ。高齢者には2種類あって、1つは大事に大事にしてくださいと託された高齢者と、1つは亡くなっても仕方ないですという高齢者。もちろん境界は曖昧だけど、なぜそういう目で見るようになったかと思うと、治せない病気をたくさん抱えて働き手でもない場合QOLが大事になってくるようで、治ったか治らなかったかではなく、どういう対応をされたのかどういう説明を受けたのか亡くなる前にどういう家族対応をしたのか、が家族の反応につながるのだなと経験上思ったからだ。そして前者の高齢者の家族はこの辺の対応を特に重要視してくるので、こちらもマークする。
腹部状態、胸部、何かおかしい様子、末梢循環、皮膚、脈は高齢者には必須にしなければいけないようだ。寝返りを打てない人は加えて体温。呼吸状態は悪化していないSpO2低下もあった。
最近あったのは、PE、腸管壊死…他科的なものか。不整脈は結構救っていると思う。

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2015-08-05 メシウマ

治療、検査、点滴の直接的な実施をすることが多い。ベテラン看護師でも、特殊なものは調べずにスルーしてしまうのか?禁忌を犯すことはないが、こうした方がいい、あるいは正確にはこうすべき、ってやつはスルーされる。上司がハンプのルートで別の点滴をいったり…先輩が髄液採取と血糖を含む採血を同時にしなかったり…色々ある! 私は調子に乗っているようだ! 絶対禁忌以外はこちらからは言わないが、もし聞かれたら指摘する。何でルート2個残ってるの?(抜き忘れかよ?管理不足だなお前)→ハンプって原則単独投与みたいで… 採血スピッツ残ってるけど?(日勤に任せんなよ?)→ルンバールと同時採血みたいです… 私は調子に乗っているようだ!
ついにR母と対面した…対面して分かったのは…私はすごくしっかりしているのではないか?Rより年上なのでしょうがないとは思えるが、ついぞ私はRを掌の上に、手中におさめたのではないか?と客観的に見えた。慢心せずいきたいが、心の余裕を感じた。そして私はこういう関係が幼稚園時代から好きなのかもしれない。
恋人との写真をSNSに上げる人ほど関係または心理が安定してない論は概ね合っていると思う。痛いなと思ってみられてるか、後でメシウマってことになるか、嫉妬するのか。しかし20代前半というのは5割は痛々しいらしい。

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2015-07-24 喉頭侵入

あー幸せだなー。って冷蔵庫の前でつい口から出た。Rとの関係の中でキーパーソンであるR母に関する件が進んだからだ。半年かかった。それはRが真摯で行動力があって解決能力がある証拠にもなるから、だからおとといから私は幸せ極まりない。それが解決した日思う存分3回した。
先日の夜勤あけで休みにカウントされてしまう日、何の枷もない私は思いつきでモーニングを食べに外へ行って、事務ごとを済ませて適当に勉強して、夜は看護師以外の職場の人と食事するという素敵な日だった。何のストレスもない。
最近仕事が何の苦労もない。というか定時に終わる。勤務中、特に午前はストレスフルだが。たぶん今までの人生で今が一番苦労ない。こんなんでいいのかなーと怖い。もちろん日々今まで目の届かなかったところの小さな発見はあるが、それは必ず必要な能力ではないから、今までできてないと誰かに怒られるわけでもない。だから勤務後に何かやらかして電話がこないか、勤務で出て行った時にあれ変だったよって言われるんじゃないかと怖いがそれもない。もちろん致命的なことや法的にいけないことをしなければ、指導してもらえていいことではあるから臆病になりすぎる必要もないが。これが3年目というものだろうか。私の部署では3年目は大きな仕事がない。1年目は病気や業務に必死、2年目はリーダーや治療イベントを任されて必死、3年目は大きな新しいことはない。ところが4年目には研究がきて、5年目には指導者役割がくる。そしてそれ以降はいろいろな仕事があるし、発言も能力も必要。つまり3年目は一番自由なのだ。これは全国比でゆっくりだと思う。3年たったら部署移動とかキャリアアップよくあるから。その理由は何だろうか?でもガツガツした人がいないから井の中の蛙感は拭えない。でも私はそれで悪いことはあまり感じない。自分で外に出かけることもできる。何よりみな精神的に安定して人間的に健康だと思う。もちろん器質的なハンデはそれぞれあると思うが。Bloom where God has planted you.だ。

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2015-07-19 右心房

先日は2連休だというのに、特になにもしなかった。家にいるか、仕事終わりか仕事前のRに会うくらい。なにもしない、というのは私が世界とうまくやっていくために見つけた術だ。私だってたまには出かけていく。旅行や、遠出や、ショッピングや、映画や、本屋、図書館、ドライブ、研修。休みのたびに何かしようというのは辞めた。では衣食住以外になにをしているかというと、横になったり、数点の勉強をしたり、少し本を読んだり、少し出かけたりしている。それが一番の過ごし方だと分かったからだ。
私はまだ地域や親戚の仕事を知らない。そのうち嫌でも知るだろうから自分からは求めない。それがこの土地の若者のスタイルでもある。大体私は仕事をしている。
Rとは小さな波が来ることがあるが、その度に1年前より、半年前より、優しくて強くて安定した絆を感じる。3ヶ月前とはあまり変わらない気がする。横になっているとそばにきて、飽きずに求められる度に愛されているなと思う。縦になっているときにはふとした時に連絡が来て、構ってくれているなと思う。時々来ない時は仕事でも頑張ってるんでしょう。

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2015-07-13 ぬるい

この秋のことはまだよく分からないが、この夏は楽しいことが待ってる。あるいは、楽しいことの基準が素朴になった。先日はRの実家に行った。最近のRは会話で結婚ネタが多くてかわいい。気が早いけど、今度の休みは不動産屋デートをしてみる。そのあとは、友人の結婚式の準備ついでに式場を訪れてみる。夏はお祭りをみて、花火はしっかりみて、研修ついでに大阪で過ごす。海外旅行とか理想だけど、研修に予算をとられたのとRはすごく行きたいわけでもなさそうで。旅行は好きだけど、ごろごろTVを見てるだけでも楽しめる。
先日、愛されてることを実感したいなーと思い布団の中で、愛して、って言った。返事は愛する!と言ってシャワーに入っていった。戻ってきて、もう忘れた頃にお前は何者だって聞かれたら俺はヒポコを愛するものだって言おうと思った、一つ加わったと言われた。シャワーしながら考えてた。そういう風に忘れた頃に言われることが多くて、表情や言葉に出なくても時間をかけて考えてるということが分かった。
家では横になって過ごしたいからリビングに隣接する畳ゾーンが欲しい。
そういえばしっかり生理がきて安心した。ちょうど術後1ヶ月だった。基礎体温もつけはじめて、割ときれいに二相ができてて嬉しかった。術操作で生理周期がリセットされたのかもしれんほどにみえた。

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2015-07-08 元気になってしてること

2月〜6月は術後どうなるか分からんだったので防衛的に動いていた。泣きながら書いた元気になったらしたいこと、と書いたメモがある。一つでも叶えば夢のようだった。評価してみよう。
元気になったらしたいこと
Rと結婚→たぶんできる
妊娠→わかんねー 内膜厚いらしいがまだ生理こねー
出産→わかんねー 切迫早産だらけの職場
子育て→わかんね
災害大阪→今年は申し込み通った
海外→行こうと思えば
呼吸療法士→来年にでも
学会→食指動かねー
難病→経験年数必要だったー

夏は立て続けに興奮するような研修を見つける。8月は災害のが通ったが、上司の許可?待ちだ。保守的な上司だ。9月は、先月予想外に良かったAHA関係の。あれを受けてから上下関係があっても建設的介入ができるようになった。10月は、昔お世話になった団体が医療英語の研修を開くというので通った。あー、おもしろいなーー。臨床でも仕事が早くなった。早くなった理由は、単純にカルテ記録を時間内にしていい雰囲気が意図的に生まれたから。今までカルテ記録っていうのは「自分の仕事」扱いで、パソコンに向かってる姿は仕事をさぼってるように見えて控えていた(私は。でもみんなそうだと思う)。それが、口頭での申し送りを廃止したい流れがやっと波及して…ということは、次の勤務者が来る前に記録を終わらせる「ルール」ができた。つまり記録をする姿も仕事として堂々とできるようになった。そしたら劇的に帰宅時間が早くなった。
先日はRと共同生活をするために考えていることについて紙に書いた。どういう生活をしたいか、こういう時どうするか、衣食住金のこと。

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2015-06-29 遠出した

先日は退院後の受診日だった。予定通り待ち時間があり暇なので打ってみる。ところで今産科婦人科外来待合室で幼児をあやしている人がいるが、私なら子供は極力連れてこないなと思った。悲しむ人がいるなと気づくと。自分も気にしてる時点で気にしてるんだろうなと思う。それとも彼女は治療で得た子供なのだろうか。ここの病院は病棟も周産期と婦人科は一緒だったけど、私の病院は階を分けている。以前は一緒だったけど、今の上司の意見で変えたらしい。どれがいいだろうか。分からないけど、対話の上でならいいと思う。

先日は遠出した。急変の資格の研修で2日間。そこで在ったことを書きたいと思った。
内容はとても良かった。見逃せない除脈と頻脈と心電図波形とそこでどう動くかを理解した。DVDと直接的指導だった。講師の数が少なくて済むのはDVDと指導者の質だろう。アメリカのテキストはとても論理的によくまとまっている。何をやるかのガイドラインはテキストで勉強してきた人と、してこなかった人と、してないけど臨床を知っている人がいる。私のグループは4人で(普段は6人だそうだ)、能力を伺いながら運営されていくのだろう。私は経験はほぼ無しで、テキストで勉強してきて理解してる人。もう一人も経験は似たようなもので、テキストはそんなにやってきてないけど、たぶんこういうのが好きで別の勉強でいろいろ知ってる人。あとの2人はテキストさらっと、数ヶ月分の臨床経験で知っている人。だからすぐ実技にうつった。こういう状態の人がいます、どうぞ。やってみて、自信なく続いて、終わってからどうでした、で引き出す。混乱が起きた原因。2分間たったら言いますね、のコミュニケーションが、2分間たちました、に聞こえたという現象がおきた。事実の確認。それはなんでだと思いますか(クローズドループコミュニケーション)。原因検索が進まなかった現象がおきた。今この人がなんでこうなってるか、今アルゴリズムは何なのか、伝わってなかった現象がおきた(声の大きさ)。今指示された治療が違うことについて別の人は気付いてたしアクションはおこしたが変わらなかった現象がおきた(建設的介入、明確な指示)。
イギリスの国語について津田塾の人が語る本を読んでるが、国語にはこういうコミュニケーションも入るようだ。いいなあ。ハリポタの少年が当時いやに上手にしゃべるなと思ってたのはそういうことか。イギリスは他の問題を抱えているとは思うけど。

ガツガツする
背板、お作法、文言
ちなみに急変ではなく急変前を見つけてどう動くかのトレーニングに時代はうつっている。
Rと車で行って、私の研修中Rは別のことしてた。夜に3回して、昼に4回した。

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