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ヒポコトリの「書を捨てないで 町へ出る」


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はじめまして    chCCygEPcF

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2015-08-05 メシウマ
2015-07-24 喉頭侵入
2015-07-19 右心房
2015-07-13 ぬるい
2015-07-08 元気になってしてること
2015-06-29 遠出した
2015-06-20 旅行した
2015-06-18 ガイドブック
2015-06-17 epi
2015-06-13 手術終わった


2015-08-05 メシウマ

治療、検査、点滴の直接的な実施をすることが多い。ベテラン看護師でも、特殊なものは調べずにスルーしてしまうのか?禁忌を犯すことはないが、こうした方がいい、あるいは正確にはこうすべき、ってやつはスルーされる。上司がハンプのルートで別の点滴をいったり…先輩が髄液採取と血糖を含む採血を同時にしなかったり…色々ある! 私は調子に乗っているようだ! 絶対禁忌以外はこちらからは言わないが、もし聞かれたら指摘する。何でルート2個残ってるの?(抜き忘れかよ?管理不足だなお前)→ハンプって原則単独投与みたいで… 採血スピッツ残ってるけど?(日勤に任せんなよ?)→ルンバールと同時採血みたいです… 私は調子に乗っているようだ!
ついにR母と対面した…対面して分かったのは…私はすごくしっかりしているのではないか?Rより年上なのでしょうがないとは思えるが、ついぞ私はRを掌の上に、手中におさめたのではないか?と客観的に見えた。慢心せずいきたいが、心の余裕を感じた。そして私はこういう関係が幼稚園時代から好きなのかもしれない。
恋人との写真をSNSに上げる人ほど関係または心理が安定してない論は概ね合っていると思う。痛いなと思ってみられてるか、後でメシウマってことになるか、嫉妬するのか。しかし20代前半というのは5割は痛々しいらしい。

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2015-07-24 喉頭侵入

あー幸せだなー。って冷蔵庫の前でつい口から出た。Rとの関係の中でキーパーソンであるR母に関する件が進んだからだ。半年かかった。それはRが真摯で行動力があって解決能力がある証拠にもなるから、だからおとといから私は幸せ極まりない。それが解決した日思う存分3回した。
先日の夜勤あけで休みにカウントされてしまう日、何の枷もない私は思いつきでモーニングを食べに外へ行って、事務ごとを済ませて適当に勉強して、夜は看護師以外の職場の人と食事するという素敵な日だった。何のストレスもない。
最近仕事が何の苦労もない。というか定時に終わる。勤務中、特に午前はストレスフルだが。たぶん今までの人生で今が一番苦労ない。こんなんでいいのかなーと怖い。もちろん日々今まで目の届かなかったところの小さな発見はあるが、それは必ず必要な能力ではないから、今までできてないと誰かに怒られるわけでもない。だから勤務後に何かやらかして電話がこないか、勤務で出て行った時にあれ変だったよって言われるんじゃないかと怖いがそれもない。もちろん致命的なことや法的にいけないことをしなければ、指導してもらえていいことではあるから臆病になりすぎる必要もないが。これが3年目というものだろうか。私の部署では3年目は大きな仕事がない。1年目は病気や業務に必死、2年目はリーダーや治療イベントを任されて必死、3年目は大きな新しいことはない。ところが4年目には研究がきて、5年目には指導者役割がくる。そしてそれ以降はいろいろな仕事があるし、発言も能力も必要。つまり3年目は一番自由なのだ。これは全国比でゆっくりだと思う。3年たったら部署移動とかキャリアアップよくあるから。その理由は何だろうか?でもガツガツした人がいないから井の中の蛙感は拭えない。でも私はそれで悪いことはあまり感じない。自分で外に出かけることもできる。何よりみな精神的に安定して人間的に健康だと思う。もちろん器質的なハンデはそれぞれあると思うが。Bloom where God has planted you.だ。

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2015-07-19 右心房

先日は2連休だというのに、特になにもしなかった。家にいるか、仕事終わりか仕事前のRに会うくらい。なにもしない、というのは私が世界とうまくやっていくために見つけた術だ。私だってたまには出かけていく。旅行や、遠出や、ショッピングや、映画や、本屋、図書館、ドライブ、研修。休みのたびに何かしようというのは辞めた。では衣食住以外になにをしているかというと、横になったり、数点の勉強をしたり、少し本を読んだり、少し出かけたりしている。それが一番の過ごし方だと分かったからだ。
私はまだ地域や親戚の仕事を知らない。そのうち嫌でも知るだろうから自分からは求めない。それがこの土地の若者のスタイルでもある。大体私は仕事をしている。
Rとは小さな波が来ることがあるが、その度に1年前より、半年前より、優しくて強くて安定した絆を感じる。3ヶ月前とはあまり変わらない気がする。横になっているとそばにきて、飽きずに求められる度に愛されているなと思う。縦になっているときにはふとした時に連絡が来て、構ってくれているなと思う。時々来ない時は仕事でも頑張ってるんでしょう。

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2015-07-13 ぬるい

この秋のことはまだよく分からないが、この夏は楽しいことが待ってる。あるいは、楽しいことの基準が素朴になった。先日はRの実家に行った。最近のRは会話で結婚ネタが多くてかわいい。気が早いけど、今度の休みは不動産屋デートをしてみる。そのあとは、友人の結婚式の準備ついでに式場を訪れてみる。夏はお祭りをみて、花火はしっかりみて、研修ついでに大阪で過ごす。海外旅行とか理想だけど、研修に予算をとられたのとRはすごく行きたいわけでもなさそうで。旅行は好きだけど、ごろごろTVを見てるだけでも楽しめる。
先日、愛されてることを実感したいなーと思い布団の中で、愛して、って言った。返事は愛する!と言ってシャワーに入っていった。戻ってきて、もう忘れた頃にお前は何者だって聞かれたら俺はヒポコを愛するものだって言おうと思った、一つ加わったと言われた。シャワーしながら考えてた。そういう風に忘れた頃に言われることが多くて、表情や言葉に出なくても時間をかけて考えてるということが分かった。
家では横になって過ごしたいからリビングに隣接する畳ゾーンが欲しい。
そういえばしっかり生理がきて安心した。ちょうど術後1ヶ月だった。基礎体温もつけはじめて、割ときれいに二相ができてて嬉しかった。術操作で生理周期がリセットされたのかもしれんほどにみえた。

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2015-07-08 元気になってしてること

2月〜6月は術後どうなるか分からんだったので防衛的に動いていた。泣きながら書いた元気になったらしたいこと、と書いたメモがある。一つでも叶えば夢のようだった。評価してみよう。
元気になったらしたいこと
Rと結婚→たぶんできる
妊娠→わかんねー 内膜厚いらしいがまだ生理こねー
出産→わかんねー 切迫早産だらけの職場
子育て→わかんね
災害大阪→今年は申し込み通った
海外→行こうと思えば
呼吸療法士→来年にでも
学会→食指動かねー
難病→経験年数必要だったー

夏は立て続けに興奮するような研修を見つける。8月は災害のが通ったが、上司の許可?待ちだ。保守的な上司だ。9月は、先月予想外に良かったAHA関係の。あれを受けてから上下関係があっても建設的介入ができるようになった。10月は、昔お世話になった団体が医療英語の研修を開くというので通った。あー、おもしろいなーー。臨床でも仕事が早くなった。早くなった理由は、単純にカルテ記録を時間内にしていい雰囲気が意図的に生まれたから。今までカルテ記録っていうのは「自分の仕事」扱いで、パソコンに向かってる姿は仕事をさぼってるように見えて控えていた(私は。でもみんなそうだと思う)。それが、口頭での申し送りを廃止したい流れがやっと波及して…ということは、次の勤務者が来る前に記録を終わらせる「ルール」ができた。つまり記録をする姿も仕事として堂々とできるようになった。そしたら劇的に帰宅時間が早くなった。
先日はRと共同生活をするために考えていることについて紙に書いた。どういう生活をしたいか、こういう時どうするか、衣食住金のこと。

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2015-06-29 遠出した

先日は退院後の受診日だった。予定通り待ち時間があり暇なので打ってみる。ところで今産科婦人科外来待合室で幼児をあやしている人がいるが、私なら子供は極力連れてこないなと思った。悲しむ人がいるなと気づくと。自分も気にしてる時点で気にしてるんだろうなと思う。それとも彼女は治療で得た子供なのだろうか。ここの病院は病棟も周産期と婦人科は一緒だったけど、私の病院は階を分けている。以前は一緒だったけど、今の上司の意見で変えたらしい。どれがいいだろうか。分からないけど、対話の上でならいいと思う。

先日は遠出した。急変の資格の研修で2日間。そこで在ったことを書きたいと思った。
内容はとても良かった。見逃せない除脈と頻脈と心電図波形とそこでどう動くかを理解した。DVDと直接的指導だった。講師の数が少なくて済むのはDVDと指導者の質だろう。アメリカのテキストはとても論理的によくまとまっている。何をやるかのガイドラインはテキストで勉強してきた人と、してこなかった人と、してないけど臨床を知っている人がいる。私のグループは4人で(普段は6人だそうだ)、能力を伺いながら運営されていくのだろう。私は経験はほぼ無しで、テキストで勉強してきて理解してる人。もう一人も経験は似たようなもので、テキストはそんなにやってきてないけど、たぶんこういうのが好きで別の勉強でいろいろ知ってる人。あとの2人はテキストさらっと、数ヶ月分の臨床経験で知っている人。だからすぐ実技にうつった。こういう状態の人がいます、どうぞ。やってみて、自信なく続いて、終わってからどうでした、で引き出す。混乱が起きた原因。2分間たったら言いますね、のコミュニケーションが、2分間たちました、に聞こえたという現象がおきた。事実の確認。それはなんでだと思いますか(クローズドループコミュニケーション)。原因検索が進まなかった現象がおきた。今この人がなんでこうなってるか、今アルゴリズムは何なのか、伝わってなかった現象がおきた(声の大きさ)。今指示された治療が違うことについて別の人は気付いてたしアクションはおこしたが変わらなかった現象がおきた(建設的介入、明確な指示)。
イギリスの国語について津田塾の人が語る本を読んでるが、国語にはこういうコミュニケーションも入るようだ。いいなあ。ハリポタの少年が当時いやに上手にしゃべるなと思ってたのはそういうことか。イギリスは他の問題を抱えているとは思うけど。

ガツガツする
背板、お作法、文言
ちなみに急変ではなく急変前を見つけてどう動くかのトレーニングに時代はうつっている。
Rと車で行って、私の研修中Rは別のことしてた。夜に3回して、昼に4回した。

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2015-06-20 旅行した

先日は広島に1泊で行った。Rが2連休だったから。私は療養休暇で休み中。仕事は入院中はもっと早く戻れそうなので上司に言ってみたけど、それ通り休んでと。そしたら退院したら日常生活を送るのがやっとで仕事などとは全然思えず。術後に熱が出るのは正常だけど、退院前には下がってたのがまた38度出たりだらだら続くしどうなるかなと思いつつ、社会復帰のために活動はしなきゃと思って夜散歩に連れてってもらったりはしていた。そのうちに元気になり、車に乗るだけだったら遠出もできるかなくらいにはなって、2日目には普通に買い物くらいには歩けるようになってとても自信がついた。らもうすぐ仕事だ。
広島はミニシアターと本屋に行きたいという理由で選んだ。その2つは私を歓迎してくれた。映画館のスタッフは懐かしい自分の頭で考えてる部類の人たちだったし、映画は2本観れるほど充実していたし、席が良かった。やわらかくてもたれかかれて清潔で机があった。その下は東急ハンズだったから、有能なファイルを見つけて買った。ほかは誕生日の靴を買ってもらえて、理想に近い下着屋さんを見つけて、本屋では参考市場とそしてセレクトショップとしてポランニーの新刊に出会えた。あとはまだ性交は控え中の身だが、素股をためしてみたら3回出来た。最後に帰ってから今の体調なら食べれる気がすると焼肉に行って、活動も調子も右肩上がりだった。目一杯過ごせたことが幸せだし、こうして一緒に行動するのが楽しいし、色んなところに旅行したいと合意した。
なにより…私の今の地での不満の映画館と本屋がこうして解消できることを知って一つ楽しみが増えたようだった。

ガイドブックに載せるとしたら、ミニシアター(笑)とパルコ(笑)とアーケード街をもうちょっとだらか。そういうのでいいんだ。

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2015-06-18 ガイドブック

旅行のガイドブックとは、なぜ定番しか載せないのだろうか。しかもその定番の中も定番しか。広島に何回か行くけど、ガイドブックの定番と言えば広島市内(=平和記念公園など)、宮島。そこに岩国とか呉がおまけでつくくらい。いくら読んでも読んでも全く面白くない。広島に行くということはこれをする、ということなのか。自分で見つける楽しさをサービスで残しているようにも思えない。広島だったら、私だったらクルーズディナーを載せる。

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2015-06-17 epi

先日退院したはいいが本調子は出ないためリハ歩行にRが付き合ってくれる。性交渉はまだ禁止で自分もまだ術後の微熱疼痛あって感染リスクのあることはしたくないしでご飯食べて歩くだけとか珍しい形で会うこととなる。湖沿いの公園とか。ここが都会ならどれだけの人がいただろう!田舎なので数人見かけるだけだ。Rにしたらジョークなことも、いつもと違う環境にいると真実に聞こえる。いつもの環境に戻ると、車内で元の発言をされる。でも奢らず気をつけようと思った。結果安心させたいから早く進めたいんだけど、切羽詰らないと会おうとしない性格なのは母親だから分かる、父に先に合わない約束だけど…。私もいい加減母が多忙とは言え時間を作ろうとされないので、父に会うことを言ってくれるならいいよということとした。というか、そこまで先延ばしにされると思ってなかったからそういう条件下なら全然いいなと思った。予測しないことはおき、目的達成のための条件はかえていいものだ。それと休みになるから遊びたいよーと言ってくれる。昨日のあれはなんだったんだろう。10分でも真実に感じたし、私も本当はそれが普通なんじゃないかと思っていたし。お互い盛んだが。1年いなくなったらどうするか。…。嫌だ寂しいからついていく。この前の国体3日間も寂しかった。色んなとこ連れてこ。だからこれだけ純朴でいてくれる状況を大事にしようと思った。

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2015-06-13 手術終わった

先日は手術だった。母とRが集まり、見送りしてくれた。Rがハグしようとされたようだが、拒否反応をおこして恥ずかしい目に合わせてしまったのが麻酔前の心残りだ。ここの手術室はあまり働きたくないなと思った。ルートとるのが下手(自分比)なのはしょうがないとして言い訳じみた声かけをしてくるし、高圧的な上司がいる。いや!そんな贅沢は言ってはいけない。硬膜外麻酔を入れる前にたぶんホリゾンを静注され、多少気持ちよくなった。いざ麻酔をかける際に、眠くなりますよと言われる前から明らかに眠くなってきて、遠くなっていった。4時間の時は私には0だった。世界が明るくなる前に声がして、喉に管が入っていて痛いのが分かった。不思議と吐き気はしなかった。お腹に痛みは無かった。私は目が覚めたら言うセリフを決めていて、それは腹腔鏡ですみましたか、病理は問題なかったですかというものだったが、忘れていてとりあえずありがとうございましたを繰り返した。なぜなら医療者が喜ぶからだ。そして目を開けてはっきりした物言いに心がけた。なぜなら医療者は覚醒の度合いを評価したいからだ。
部屋に戻って、母とRに腹腔鏡で腫瘍部分だけとっていますよと後期研修医が声かけしているのが聞こえて、ああ忘れてたと思い出した。とったものを見ますかと母とRに言うので、私が見たいですとアピールして見せてもらった。それは透明な液体に浸かっているがすこしピンクがかった液体になっていて、肉塊がうねうねとあった。嚢胞性が割れているのか充実性だったのか心配だなと思って無言で見ていた。その後はものすごい倦怠感に悩まされた。痛みは波はあるものの悩まされるほどではなかった。
自分の病棟のノリで術後は家族説明と思っていたので待っていたが一向に現れないのでけっこう経った後に気を利かせたRが聞きに行ってくれた。無いとのことで予定通りだったんだなと判断し、母は先に帰ってRがしばらくいてくれた。とても頼もしいなと思った。
Rがいなくなって少ししたら突然の吐き気に襲われ、吐きそうな気がするがちょっと様子を見ていた。一回深呼吸してみようと思ってしたら腸が動いた感覚があって、吐き気が急に消えた。ああ私はイレウスのリスクが人より高かったなと思ってPCAの使用は1回でやめた。PCAがどこまで腸管麻痺に作用するかは疑問だが、痛みはそこまで無いので使うこともないなと決めた。以降吐き気なく、いい便も出た。硬膜外麻酔も術後1日目に抜いたあと痛みはあるので屯用で飲んでいる。そういえば抜く前後に右下腹部の知覚鈍麻があって硬膜外血腫を心配してRに背中を見てもらったが異常ないので安心していたら、それも数時間で良くなり翌日には消失した。
術当日が思った以上に調子が良くて、腹腔鏡と麻酔のおかげだあかと思っていたら、術後1日目は思った以上には回復しなかった。トイレ歩行はできたからバルンは抜けたけど、端坐位で清拭する際にしんどくなってきて早々に横になった。ここの病棟は接遇が花丸だが、その看護師は来た時からマークをつけてて、この時も急かすから最悪だった。仕事は早いんだろうなと思う。いるいる。上司に調子を電話しようと思っていたけど出来なかった。術後2日目は朝から調子が良くて、鎮痛薬を飲みながら離床した。しかし動機付けが薄いので、前回の腸を癒着させねえぞばりに歩いていたよりは少なかったと思う。実際リスクも今回は少ないし…。この辺てエビデンスも無いし…。卵巣がいい位置に来たらいいなと思いながら腹部を丸めすぎない体位でいろんな格好をした。この日は父と母と上司と同僚もきた。Rは毎日のように来てくれた。

先頭 表紙

ご無沙汰です。まあ…病気してるくらいです。吹き溜まりのような場所ですが。最近はのろけブームでださいですね。 / ヒポコトリ ( 2015-06-18 00:58 )
美術を勉強していて、闘病歴があって、リシャコだかオタクっぽいと思ったり、妙な文体の文章を書いていて、あれ NSになってると思ってたら、手術を受けていた。数年ごとに読みにくると思う、経験値が高いね。 / アボガドパンツ ( 2015-06-13 22:37 )

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