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ヒポコトリの「書を捨てないで 町へ出る」


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はじめまして    chCCygEPcF

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2015-07-08 元気になってしてること
2015-06-29 遠出した
2015-06-20 旅行した
2015-06-18 ガイドブック
2015-06-17 epi
2015-06-13 手術終わった
2015-06-09 幸先
2015-06-08 チラ裏
2015-06-07 爆破
2015-06-05 死ぬかと思った


2015-07-08 元気になってしてること

2月〜6月は術後どうなるか分からんだったので防衛的に動いていた。泣きながら書いた元気になったらしたいこと、と書いたメモがある。一つでも叶えば夢のようだった。評価してみよう。
元気になったらしたいこと
Rと結婚→たぶんできる
妊娠→わかんねー 内膜厚いらしいがまだ生理こねー
出産→わかんねー 切迫早産だらけの職場
子育て→わかんね
災害大阪→今年は申し込み通った
海外→行こうと思えば
呼吸療法士→来年にでも
学会→食指動かねー
難病→経験年数必要だったー

夏は立て続けに興奮するような研修を見つける。8月は災害のが通ったが、上司の許可?待ちだ。保守的な上司だ。9月は、先月予想外に良かったAHA関係の。あれを受けてから上下関係があっても建設的介入ができるようになった。10月は、昔お世話になった団体が医療英語の研修を開くというので通った。あー、おもしろいなーー。臨床でも仕事が早くなった。早くなった理由は、単純にカルテ記録を時間内にしていい雰囲気が意図的に生まれたから。今までカルテ記録っていうのは「自分の仕事」扱いで、パソコンに向かってる姿は仕事をさぼってるように見えて控えていた(私は。でもみんなそうだと思う)。それが、口頭での申し送りを廃止したい流れがやっと波及して…ということは、次の勤務者が来る前に記録を終わらせる「ルール」ができた。つまり記録をする姿も仕事として堂々とできるようになった。そしたら劇的に帰宅時間が早くなった。
先日はRと共同生活をするために考えていることについて紙に書いた。どういう生活をしたいか、こういう時どうするか、衣食住金のこと。

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2015-06-29 遠出した

先日は退院後の受診日だった。予定通り待ち時間があり暇なので打ってみる。ところで今産科婦人科外来待合室で幼児をあやしている人がいるが、私なら子供は極力連れてこないなと思った。悲しむ人がいるなと気づくと。自分も気にしてる時点で気にしてるんだろうなと思う。それとも彼女は治療で得た子供なのだろうか。ここの病院は病棟も周産期と婦人科は一緒だったけど、私の病院は階を分けている。以前は一緒だったけど、今の上司の意見で変えたらしい。どれがいいだろうか。分からないけど、対話の上でならいいと思う。

先日は遠出した。急変の資格の研修で2日間。そこで在ったことを書きたいと思った。
内容はとても良かった。見逃せない除脈と頻脈と心電図波形とそこでどう動くかを理解した。DVDと直接的指導だった。講師の数が少なくて済むのはDVDと指導者の質だろう。アメリカのテキストはとても論理的によくまとまっている。何をやるかのガイドラインはテキストで勉強してきた人と、してこなかった人と、してないけど臨床を知っている人がいる。私のグループは4人で(普段は6人だそうだ)、能力を伺いながら運営されていくのだろう。私は経験はほぼ無しで、テキストで勉強してきて理解してる人。もう一人も経験は似たようなもので、テキストはそんなにやってきてないけど、たぶんこういうのが好きで別の勉強でいろいろ知ってる人。あとの2人はテキストさらっと、数ヶ月分の臨床経験で知っている人。だからすぐ実技にうつった。こういう状態の人がいます、どうぞ。やってみて、自信なく続いて、終わってからどうでした、で引き出す。混乱が起きた原因。2分間たったら言いますね、のコミュニケーションが、2分間たちました、に聞こえたという現象がおきた。事実の確認。それはなんでだと思いますか(クローズドループコミュニケーション)。原因検索が進まなかった現象がおきた。今この人がなんでこうなってるか、今アルゴリズムは何なのか、伝わってなかった現象がおきた(声の大きさ)。今指示された治療が違うことについて別の人は気付いてたしアクションはおこしたが変わらなかった現象がおきた(建設的介入、明確な指示)。
イギリスの国語について津田塾の人が語る本を読んでるが、国語にはこういうコミュニケーションも入るようだ。いいなあ。ハリポタの少年が当時いやに上手にしゃべるなと思ってたのはそういうことか。イギリスは他の問題を抱えているとは思うけど。

ガツガツする
背板、お作法、文言
ちなみに急変ではなく急変前を見つけてどう動くかのトレーニングに時代はうつっている。
Rと車で行って、私の研修中Rは別のことしてた。夜に3回して、昼に4回した。

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2015-06-20 旅行した

先日は広島に1泊で行った。Rが2連休だったから。私は療養休暇で休み中。仕事は入院中はもっと早く戻れそうなので上司に言ってみたけど、それ通り休んでと。そしたら退院したら日常生活を送るのがやっとで仕事などとは全然思えず。術後に熱が出るのは正常だけど、退院前には下がってたのがまた38度出たりだらだら続くしどうなるかなと思いつつ、社会復帰のために活動はしなきゃと思って夜散歩に連れてってもらったりはしていた。そのうちに元気になり、車に乗るだけだったら遠出もできるかなくらいにはなって、2日目には普通に買い物くらいには歩けるようになってとても自信がついた。らもうすぐ仕事だ。
広島はミニシアターと本屋に行きたいという理由で選んだ。その2つは私を歓迎してくれた。映画館のスタッフは懐かしい自分の頭で考えてる部類の人たちだったし、映画は2本観れるほど充実していたし、席が良かった。やわらかくてもたれかかれて清潔で机があった。その下は東急ハンズだったから、有能なファイルを見つけて買った。ほかは誕生日の靴を買ってもらえて、理想に近い下着屋さんを見つけて、本屋では参考市場とそしてセレクトショップとしてポランニーの新刊に出会えた。あとはまだ性交は控え中の身だが、素股をためしてみたら3回出来た。最後に帰ってから今の体調なら食べれる気がすると焼肉に行って、活動も調子も右肩上がりだった。目一杯過ごせたことが幸せだし、こうして一緒に行動するのが楽しいし、色んなところに旅行したいと合意した。
なにより…私の今の地での不満の映画館と本屋がこうして解消できることを知って一つ楽しみが増えたようだった。

ガイドブックに載せるとしたら、ミニシアター(笑)とパルコ(笑)とアーケード街をもうちょっとだらか。そういうのでいいんだ。

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2015-06-18 ガイドブック

旅行のガイドブックとは、なぜ定番しか載せないのだろうか。しかもその定番の中も定番しか。広島に何回か行くけど、ガイドブックの定番と言えば広島市内(=平和記念公園など)、宮島。そこに岩国とか呉がおまけでつくくらい。いくら読んでも読んでも全く面白くない。広島に行くということはこれをする、ということなのか。自分で見つける楽しさをサービスで残しているようにも思えない。広島だったら、私だったらクルーズディナーを載せる。

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2015-06-17 epi

先日退院したはいいが本調子は出ないためリハ歩行にRが付き合ってくれる。性交渉はまだ禁止で自分もまだ術後の微熱疼痛あって感染リスクのあることはしたくないしでご飯食べて歩くだけとか珍しい形で会うこととなる。湖沿いの公園とか。ここが都会ならどれだけの人がいただろう!田舎なので数人見かけるだけだ。Rにしたらジョークなことも、いつもと違う環境にいると真実に聞こえる。いつもの環境に戻ると、車内で元の発言をされる。でも奢らず気をつけようと思った。結果安心させたいから早く進めたいんだけど、切羽詰らないと会おうとしない性格なのは母親だから分かる、父に先に合わない約束だけど…。私もいい加減母が多忙とは言え時間を作ろうとされないので、父に会うことを言ってくれるならいいよということとした。というか、そこまで先延ばしにされると思ってなかったからそういう条件下なら全然いいなと思った。予測しないことはおき、目的達成のための条件はかえていいものだ。それと休みになるから遊びたいよーと言ってくれる。昨日のあれはなんだったんだろう。10分でも真実に感じたし、私も本当はそれが普通なんじゃないかと思っていたし。お互い盛んだが。1年いなくなったらどうするか。…。嫌だ寂しいからついていく。この前の国体3日間も寂しかった。色んなとこ連れてこ。だからこれだけ純朴でいてくれる状況を大事にしようと思った。

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2015-06-13 手術終わった

先日は手術だった。母とRが集まり、見送りしてくれた。Rがハグしようとされたようだが、拒否反応をおこして恥ずかしい目に合わせてしまったのが麻酔前の心残りだ。ここの手術室はあまり働きたくないなと思った。ルートとるのが下手(自分比)なのはしょうがないとして言い訳じみた声かけをしてくるし、高圧的な上司がいる。いや!そんな贅沢は言ってはいけない。硬膜外麻酔を入れる前にたぶんホリゾンを静注され、多少気持ちよくなった。いざ麻酔をかける際に、眠くなりますよと言われる前から明らかに眠くなってきて、遠くなっていった。4時間の時は私には0だった。世界が明るくなる前に声がして、喉に管が入っていて痛いのが分かった。不思議と吐き気はしなかった。お腹に痛みは無かった。私は目が覚めたら言うセリフを決めていて、それは腹腔鏡ですみましたか、病理は問題なかったですかというものだったが、忘れていてとりあえずありがとうございましたを繰り返した。なぜなら医療者が喜ぶからだ。そして目を開けてはっきりした物言いに心がけた。なぜなら医療者は覚醒の度合いを評価したいからだ。
部屋に戻って、母とRに腹腔鏡で腫瘍部分だけとっていますよと後期研修医が声かけしているのが聞こえて、ああ忘れてたと思い出した。とったものを見ますかと母とRに言うので、私が見たいですとアピールして見せてもらった。それは透明な液体に浸かっているがすこしピンクがかった液体になっていて、肉塊がうねうねとあった。嚢胞性が割れているのか充実性だったのか心配だなと思って無言で見ていた。その後はものすごい倦怠感に悩まされた。痛みは波はあるものの悩まされるほどではなかった。
自分の病棟のノリで術後は家族説明と思っていたので待っていたが一向に現れないのでけっこう経った後に気を利かせたRが聞きに行ってくれた。無いとのことで予定通りだったんだなと判断し、母は先に帰ってRがしばらくいてくれた。とても頼もしいなと思った。
Rがいなくなって少ししたら突然の吐き気に襲われ、吐きそうな気がするがちょっと様子を見ていた。一回深呼吸してみようと思ってしたら腸が動いた感覚があって、吐き気が急に消えた。ああ私はイレウスのリスクが人より高かったなと思ってPCAの使用は1回でやめた。PCAがどこまで腸管麻痺に作用するかは疑問だが、痛みはそこまで無いので使うこともないなと決めた。以降吐き気なく、いい便も出た。硬膜外麻酔も術後1日目に抜いたあと痛みはあるので屯用で飲んでいる。そういえば抜く前後に右下腹部の知覚鈍麻があって硬膜外血腫を心配してRに背中を見てもらったが異常ないので安心していたら、それも数時間で良くなり翌日には消失した。
術当日が思った以上に調子が良くて、腹腔鏡と麻酔のおかげだあかと思っていたら、術後1日目は思った以上には回復しなかった。トイレ歩行はできたからバルンは抜けたけど、端坐位で清拭する際にしんどくなってきて早々に横になった。ここの病棟は接遇が花丸だが、その看護師は来た時からマークをつけてて、この時も急かすから最悪だった。仕事は早いんだろうなと思う。いるいる。上司に調子を電話しようと思っていたけど出来なかった。術後2日目は朝から調子が良くて、鎮痛薬を飲みながら離床した。しかし動機付けが薄いので、前回の腸を癒着させねえぞばりに歩いていたよりは少なかったと思う。実際リスクも今回は少ないし…。この辺てエビデンスも無いし…。卵巣がいい位置に来たらいいなと思いながら腹部を丸めすぎない体位でいろんな格好をした。この日は父と母と上司と同僚もきた。Rは毎日のように来てくれた。

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ご無沙汰です。まあ…病気してるくらいです。吹き溜まりのような場所ですが。最近はのろけブームでださいですね。 / ヒポコトリ ( 2015-06-18 00:58 )
美術を勉強していて、闘病歴があって、リシャコだかオタクっぽいと思ったり、妙な文体の文章を書いていて、あれ NSになってると思ってたら、手術を受けていた。数年ごとに読みにくると思う、経験値が高いね。 / アボガドパンツ ( 2015-06-13 22:37 )

2015-06-09 幸先

先日はついに入院したが、ホテルのように快適な術前を過ごした。昔わざとビジネスホテルに泊まって本を読むという名目で煮え立った頭を冷ましたりしていたが。それより随分お得だ。治療に付随してくるのだから。しかも働かずに休みで。幸せなことだ。それにしても患者側は看護師は自分1人のためにいると勘違いしそうになる。違うのだよ!22人の責任を持っていて自立で急性期でないあなたの優先度は最も低い。
予定入院というのはそういえば初めてだった。午後の何時までに手続きをして、自分で病棟に上がって、病棟の説明を聞いて、病室で待っていた。Rは休みをとってくれて結局送ってくれて一緒に過ごした。なぜならこの日に術前説明があるから。家族じゃないけど、物分かりの悪い母以外の物分かりのいい人がいて欲しかったし、決定にはRが参加してほしかったから。母にも似たようなことを言って問題なく3人で聞いた。医者が来るタイミングも、コメディカルが来るタイミングもランダムなので、ベッドを離れずにいた。本も沢山持ってきた。そのうちに眠くなって2人でまどろんでいた。
外来でみていた医師と入院担当の医師は違った。ついでに後期研修医もついていた。説明は驚くほど楽観的なもので、私は用心した。だからしっかりとアピールした。後期研修医は女性だったから、彼女が味方になってくれるだろうか。私はアピールした。
母は先に帰り、夕ご飯をRと食べた。休みを1日使ってくれてありがとう。説明が意外と良い話だったね。まず普通に作ってみていいってことだあか。その前に一緒にならなきゃね。いてくれて幸せだった。もっと幸せにしたい。私も幸せにしたい。一緒に幸せになろう。

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2015-06-08 チラ裏

市場価値下降の一途を辿る29歳女Aと、もてない童貞男24歳Bの話。Aは以前大殺界に大病を患ったことから細木某の信者で、これから3年はおとなしくしていようと思っていた。しかしBと部署が別れて以来寂しいなと思って食事に誘ってみた。すると彼女いない歴=年齢のBは初めての異性からのアプローチに舞い上がる。しかも同期からはBにはAが合う以前から推薦があり、デート前に会議が開かれる。Aはプライドが高く誰にも相談はしていなかったが、態度でばれていたようだ。AとBは食事に行ってみて思った以上に話しやすいと思ったそうな。再び同期で会議が開かれ、次のデートで告白しなさいという指令を受けたB。Aは、今回自分から誘ってしまったからあと3回くらいデート誘われるまでおとなしくしていようと思った。一週間以内にBがデートに誘う。場所はAが行きたがってるスポーツ施設で、車で3時間かかる。さすがB、いきなりハードルが高い。Aは道中会話を頑張った。女慣れしてないBはそれを話しやすい人と勘違いし、好きだなと思ってデートの最後に告白する。晴れてカップルが誕生した。
デートは自転車に乗ったり釣りに行ったりドライブしたりお祭りに行ったり、初々しい。そしてDTのBは手も握ってこない。1x歳の時に男の洗礼を受けたAは物足りなくて仕方ない。今日も手を出さず家の前まで送られたから、言葉で誘ってみる。近くの図書館の裏で、少しのはずが割と進む。そのうちに勤務表を見せ合うことになり、Bが連休を合わせたからどこか行こうと、はっきり言わないけど旅行の誘いとなる。初めて72時間一緒にいるというのは試練であったが、とてもナチュラルに過ごせたようだ。AはBが怒ったり不機嫌にならないし体力があるとこがいいなと思ったし、BはAが言いたいことを汲み取ってくれるのが良かったそうだ。しかしDTのBは最後までいけず。そんな時期が長くなる。Aはそんな男性が初めてだったので締まり具合について検索する。爺をしすぎて似たような状況に陥る現代男性が多数いることを知る。悲しくなる。しかしある日にBは無事筆下ろしとなる。動き方のコツがわかったそうな。しかもBは研究熱心でAにとってここまでポイントを心得た人は初めてだった。しかもBの好みの反応の良さをAは持っていて、その後のペースは衰えずに今に至る。
しばしば忘れてしまうものだ、多くの人は欠点同士の付き合いであることを。

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2015-06-07 爆破

先日は3回して、もう入院までできないなと思って、とても気持ちが良くて自分の存在が無くなりそうな時に、気分のいいこのまま消えて無くなりたいと思った。人生で一番幸せな時だったかもしれない。あと数日で決まる。起きたらもう卵巣は右も左も無いかもしれない。ちなみに存在が自分と自分以外の区別がつかない漂うような感覚って気持ちがいいらしいと、脳卒中の手記が教えてくれている。
先日は講習が無事?終わり…爆発してしまった。懇親会にて。私が一番というのを伝えたいようではあるが、やきもち焼かせたがる意図が見えるもてない男の発言をころころころがすのとか、人の幸せをその場では応援するけど全部だめになればいいと思ってるのとか、ちやほやされる他者への嫉妬とか、ほとんどは円滑なコミュニケーションのための成功例を残してきたと思うが。しかしその後お茶して爆発した。昨日で消えてなくなればいい、と不安をぶつける。不安をぶつけて、日頃の不満をぶつけて、数日やり過ごす

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2015-06-05 死ぬかと思った

時々手に入れたものを壊したくなるのはなんだろうか。これはパーソナリティとしてとらえていいんだろうか。だとしたら嫌だ。しなぜそうなるんだろうか。先日もごはんだけのつもりで会ってそのまま泊まって2回した。朝は仕事前で時間がないのにしはじめてしまったが5分でできた。短くも長くもできるのは素晴らしいと思った。それなのにもっともっとを求めて、相手の全てを手に入れようとする。いろんな嫌味を思いついたり。いっそのこと全て無くなってしまえば、と思うとそれはそれで気持ちいい時間のように見えた。友達も一つ前の共同体を維持することが苦手で未練もない。個人的なわずかな友達が残るだけだ。一つ前の彼氏とは一緒に暮らして数年経ち、この人を失ったらうつ病にでもなるんだろうなんて息巻いていたが、その日の朝も向こうはなついてきて、しかし終わらしてみたら肩の荷が降りた日々が訪れた。そんな風に。
先日は仕事が色々最悪で、尿量少なくて点滴の指示がでて、指示だからいきたいし、もう時間外業務の時間にさしかかるし別に徘徊する患者を受け持ってるし、記録も終わってないし明日の講習の準備も終わってないしで今いきたいのに、これからリハビリするから20分待てって言ってくるセラピストがいて、お前課長だけど死ねよって思った。お前らみたいに時間外を当然にして業務組んでる職種じゃないんだよ。ほかには、詰所に患者の家族がきて、さっきリハビリして低床になって清潔管理のバッグが床についてるけどいいだろうかって言ってきて、セラピスト死ねよって思った。心電図の緊急アラームが鳴って、受け持ちじゃないけど行って対応してたら、詰め所から自分の名前を呼んで申し送りを待ってるんだよアピールしてきて死ねよって思った。忙しそうだからおまえの患者のシャワー浴をとってやったのに、そのあと緊急入院をふられて、末梢ルートを何度も自己抜去するのを先に見つけたら私のせいにしてくるようなことをユーモラスに言ってきて手伝おうとしてこない様子をみて死ねよって思った。皆が忙しいのは日常茶飯事なので手伝えない中でどうイライラを与えあわないかが手腕だが、110階病棟がいかに暇かを知る情報を聞いて死ねよって思った。軽症患者を手厚くみると、削っていいケアが見えなくなる。この忙しい中で。
そんな口の悪いことは言えないから、上手に言う。

先頭 表紙

今朝この記事の後半部分を寝床で読んで、仕事に出かける勇気貰いました。そうか、私も死ねよって思ってるんだなとか、やっぱnurse凄いわぁとか。 / 麦 ( 2015-06-07 00:05 )

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