himajin top
ヒポコトリの「書を捨てないで 町へ出る」


今日
昨日  since20030313

はじめまして    chCCygEPcF

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2015-06-17 epi
2015-06-13 手術終わった
2015-06-09 幸先
2015-06-08 チラ裏
2015-06-07 爆破
2015-06-05 死ぬかと思った
2015-06-02 睡眠
2015-05-30 デイ
2015-05-26 灰色
2015-05-20


2015-06-17 epi

先日退院したはいいが本調子は出ないためリハ歩行にRが付き合ってくれる。性交渉はまだ禁止で自分もまだ術後の微熱疼痛あって感染リスクのあることはしたくないしでご飯食べて歩くだけとか珍しい形で会うこととなる。湖沿いの公園とか。ここが都会ならどれだけの人がいただろう!田舎なので数人見かけるだけだ。Rにしたらジョークなことも、いつもと違う環境にいると真実に聞こえる。いつもの環境に戻ると、車内で元の発言をされる。でも奢らず気をつけようと思った。結果安心させたいから早く進めたいんだけど、切羽詰らないと会おうとしない性格なのは母親だから分かる、父に先に合わない約束だけど…。私もいい加減母が多忙とは言え時間を作ろうとされないので、父に会うことを言ってくれるならいいよということとした。というか、そこまで先延ばしにされると思ってなかったからそういう条件下なら全然いいなと思った。予測しないことはおき、目的達成のための条件はかえていいものだ。それと休みになるから遊びたいよーと言ってくれる。昨日のあれはなんだったんだろう。10分でも真実に感じたし、私も本当はそれが普通なんじゃないかと思っていたし。お互い盛んだが。1年いなくなったらどうするか。…。嫌だ寂しいからついていく。この前の国体3日間も寂しかった。色んなとこ連れてこ。だからこれだけ純朴でいてくれる状況を大事にしようと思った。

先頭 表紙

2015-06-13 手術終わった

先日は手術だった。母とRが集まり、見送りしてくれた。Rがハグしようとされたようだが、拒否反応をおこして恥ずかしい目に合わせてしまったのが麻酔前の心残りだ。ここの手術室はあまり働きたくないなと思った。ルートとるのが下手(自分比)なのはしょうがないとして言い訳じみた声かけをしてくるし、高圧的な上司がいる。いや!そんな贅沢は言ってはいけない。硬膜外麻酔を入れる前にたぶんホリゾンを静注され、多少気持ちよくなった。いざ麻酔をかける際に、眠くなりますよと言われる前から明らかに眠くなってきて、遠くなっていった。4時間の時は私には0だった。世界が明るくなる前に声がして、喉に管が入っていて痛いのが分かった。不思議と吐き気はしなかった。お腹に痛みは無かった。私は目が覚めたら言うセリフを決めていて、それは腹腔鏡ですみましたか、病理は問題なかったですかというものだったが、忘れていてとりあえずありがとうございましたを繰り返した。なぜなら医療者が喜ぶからだ。そして目を開けてはっきりした物言いに心がけた。なぜなら医療者は覚醒の度合いを評価したいからだ。
部屋に戻って、母とRに腹腔鏡で腫瘍部分だけとっていますよと後期研修医が声かけしているのが聞こえて、ああ忘れてたと思い出した。とったものを見ますかと母とRに言うので、私が見たいですとアピールして見せてもらった。それは透明な液体に浸かっているがすこしピンクがかった液体になっていて、肉塊がうねうねとあった。嚢胞性が割れているのか充実性だったのか心配だなと思って無言で見ていた。その後はものすごい倦怠感に悩まされた。痛みは波はあるものの悩まされるほどではなかった。
自分の病棟のノリで術後は家族説明と思っていたので待っていたが一向に現れないのでけっこう経った後に気を利かせたRが聞きに行ってくれた。無いとのことで予定通りだったんだなと判断し、母は先に帰ってRがしばらくいてくれた。とても頼もしいなと思った。
Rがいなくなって少ししたら突然の吐き気に襲われ、吐きそうな気がするがちょっと様子を見ていた。一回深呼吸してみようと思ってしたら腸が動いた感覚があって、吐き気が急に消えた。ああ私はイレウスのリスクが人より高かったなと思ってPCAの使用は1回でやめた。PCAがどこまで腸管麻痺に作用するかは疑問だが、痛みはそこまで無いので使うこともないなと決めた。以降吐き気なく、いい便も出た。硬膜外麻酔も術後1日目に抜いたあと痛みはあるので屯用で飲んでいる。そういえば抜く前後に右下腹部の知覚鈍麻があって硬膜外血腫を心配してRに背中を見てもらったが異常ないので安心していたら、それも数時間で良くなり翌日には消失した。
術当日が思った以上に調子が良くて、腹腔鏡と麻酔のおかげだあかと思っていたら、術後1日目は思った以上には回復しなかった。トイレ歩行はできたからバルンは抜けたけど、端坐位で清拭する際にしんどくなってきて早々に横になった。ここの病棟は接遇が花丸だが、その看護師は来た時からマークをつけてて、この時も急かすから最悪だった。仕事は早いんだろうなと思う。いるいる。上司に調子を電話しようと思っていたけど出来なかった。術後2日目は朝から調子が良くて、鎮痛薬を飲みながら離床した。しかし動機付けが薄いので、前回の腸を癒着させねえぞばりに歩いていたよりは少なかったと思う。実際リスクも今回は少ないし…。この辺てエビデンスも無いし…。卵巣がいい位置に来たらいいなと思いながら腹部を丸めすぎない体位でいろんな格好をした。この日は父と母と上司と同僚もきた。Rは毎日のように来てくれた。

先頭 表紙

ご無沙汰です。まあ…病気してるくらいです。吹き溜まりのような場所ですが。最近はのろけブームでださいですね。 / ヒポコトリ ( 2015-06-18 00:58 )
美術を勉強していて、闘病歴があって、リシャコだかオタクっぽいと思ったり、妙な文体の文章を書いていて、あれ NSになってると思ってたら、手術を受けていた。数年ごとに読みにくると思う、経験値が高いね。 / アボガドパンツ ( 2015-06-13 22:37 )

2015-06-09 幸先

先日はついに入院したが、ホテルのように快適な術前を過ごした。昔わざとビジネスホテルに泊まって本を読むという名目で煮え立った頭を冷ましたりしていたが。それより随分お得だ。治療に付随してくるのだから。しかも働かずに休みで。幸せなことだ。それにしても患者側は看護師は自分1人のためにいると勘違いしそうになる。違うのだよ!22人の責任を持っていて自立で急性期でないあなたの優先度は最も低い。
予定入院というのはそういえば初めてだった。午後の何時までに手続きをして、自分で病棟に上がって、病棟の説明を聞いて、病室で待っていた。Rは休みをとってくれて結局送ってくれて一緒に過ごした。なぜならこの日に術前説明があるから。家族じゃないけど、物分かりの悪い母以外の物分かりのいい人がいて欲しかったし、決定にはRが参加してほしかったから。母にも似たようなことを言って問題なく3人で聞いた。医者が来るタイミングも、コメディカルが来るタイミングもランダムなので、ベッドを離れずにいた。本も沢山持ってきた。そのうちに眠くなって2人でまどろんでいた。
外来でみていた医師と入院担当の医師は違った。ついでに後期研修医もついていた。説明は驚くほど楽観的なもので、私は用心した。だからしっかりとアピールした。後期研修医は女性だったから、彼女が味方になってくれるだろうか。私はアピールした。
母は先に帰り、夕ご飯をRと食べた。休みを1日使ってくれてありがとう。説明が意外と良い話だったね。まず普通に作ってみていいってことだあか。その前に一緒にならなきゃね。いてくれて幸せだった。もっと幸せにしたい。私も幸せにしたい。一緒に幸せになろう。

先頭 表紙

2015-06-08 チラ裏

市場価値下降の一途を辿る29歳女Aと、もてない童貞男24歳Bの話。Aは以前大殺界に大病を患ったことから細木某の信者で、これから3年はおとなしくしていようと思っていた。しかしBと部署が別れて以来寂しいなと思って食事に誘ってみた。すると彼女いない歴=年齢のBは初めての異性からのアプローチに舞い上がる。しかも同期からはBにはAが合う以前から推薦があり、デート前に会議が開かれる。Aはプライドが高く誰にも相談はしていなかったが、態度でばれていたようだ。AとBは食事に行ってみて思った以上に話しやすいと思ったそうな。再び同期で会議が開かれ、次のデートで告白しなさいという指令を受けたB。Aは、今回自分から誘ってしまったからあと3回くらいデート誘われるまでおとなしくしていようと思った。一週間以内にBがデートに誘う。場所はAが行きたがってるスポーツ施設で、車で3時間かかる。さすがB、いきなりハードルが高い。Aは道中会話を頑張った。女慣れしてないBはそれを話しやすい人と勘違いし、好きだなと思ってデートの最後に告白する。晴れてカップルが誕生した。
デートは自転車に乗ったり釣りに行ったりドライブしたりお祭りに行ったり、初々しい。そしてDTのBは手も握ってこない。1x歳の時に男の洗礼を受けたAは物足りなくて仕方ない。今日も手を出さず家の前まで送られたから、言葉で誘ってみる。近くの図書館の裏で、少しのはずが割と進む。そのうちに勤務表を見せ合うことになり、Bが連休を合わせたからどこか行こうと、はっきり言わないけど旅行の誘いとなる。初めて72時間一緒にいるというのは試練であったが、とてもナチュラルに過ごせたようだ。AはBが怒ったり不機嫌にならないし体力があるとこがいいなと思ったし、BはAが言いたいことを汲み取ってくれるのが良かったそうだ。しかしDTのBは最後までいけず。そんな時期が長くなる。Aはそんな男性が初めてだったので締まり具合について検索する。爺をしすぎて似たような状況に陥る現代男性が多数いることを知る。悲しくなる。しかしある日にBは無事筆下ろしとなる。動き方のコツがわかったそうな。しかもBは研究熱心でAにとってここまでポイントを心得た人は初めてだった。しかもBの好みの反応の良さをAは持っていて、その後のペースは衰えずに今に至る。
しばしば忘れてしまうものだ、多くの人は欠点同士の付き合いであることを。

先頭 表紙

2015-06-07 爆破

先日は3回して、もう入院までできないなと思って、とても気持ちが良くて自分の存在が無くなりそうな時に、気分のいいこのまま消えて無くなりたいと思った。人生で一番幸せな時だったかもしれない。あと数日で決まる。起きたらもう卵巣は右も左も無いかもしれない。ちなみに存在が自分と自分以外の区別がつかない漂うような感覚って気持ちがいいらしいと、脳卒中の手記が教えてくれている。
先日は講習が無事?終わり…爆発してしまった。懇親会にて。私が一番というのを伝えたいようではあるが、やきもち焼かせたがる意図が見えるもてない男の発言をころころころがすのとか、人の幸せをその場では応援するけど全部だめになればいいと思ってるのとか、ちやほやされる他者への嫉妬とか、ほとんどは円滑なコミュニケーションのための成功例を残してきたと思うが。しかしその後お茶して爆発した。昨日で消えてなくなればいい、と不安をぶつける。不安をぶつけて、日頃の不満をぶつけて、数日やり過ごす

先頭 表紙

2015-06-05 死ぬかと思った

時々手に入れたものを壊したくなるのはなんだろうか。これはパーソナリティとしてとらえていいんだろうか。だとしたら嫌だ。しなぜそうなるんだろうか。先日もごはんだけのつもりで会ってそのまま泊まって2回した。朝は仕事前で時間がないのにしはじめてしまったが5分でできた。短くも長くもできるのは素晴らしいと思った。それなのにもっともっとを求めて、相手の全てを手に入れようとする。いろんな嫌味を思いついたり。いっそのこと全て無くなってしまえば、と思うとそれはそれで気持ちいい時間のように見えた。友達も一つ前の共同体を維持することが苦手で未練もない。個人的なわずかな友達が残るだけだ。一つ前の彼氏とは一緒に暮らして数年経ち、この人を失ったらうつ病にでもなるんだろうなんて息巻いていたが、その日の朝も向こうはなついてきて、しかし終わらしてみたら肩の荷が降りた日々が訪れた。そんな風に。
先日は仕事が色々最悪で、尿量少なくて点滴の指示がでて、指示だからいきたいし、もう時間外業務の時間にさしかかるし別に徘徊する患者を受け持ってるし、記録も終わってないし明日の講習の準備も終わってないしで今いきたいのに、これからリハビリするから20分待てって言ってくるセラピストがいて、お前課長だけど死ねよって思った。お前らみたいに時間外を当然にして業務組んでる職種じゃないんだよ。ほかには、詰所に患者の家族がきて、さっきリハビリして低床になって清潔管理のバッグが床についてるけどいいだろうかって言ってきて、セラピスト死ねよって思った。心電図の緊急アラームが鳴って、受け持ちじゃないけど行って対応してたら、詰め所から自分の名前を呼んで申し送りを待ってるんだよアピールしてきて死ねよって思った。忙しそうだからおまえの患者のシャワー浴をとってやったのに、そのあと緊急入院をふられて、末梢ルートを何度も自己抜去するのを先に見つけたら私のせいにしてくるようなことをユーモラスに言ってきて手伝おうとしてこない様子をみて死ねよって思った。皆が忙しいのは日常茶飯事なので手伝えない中でどうイライラを与えあわないかが手腕だが、110階病棟がいかに暇かを知る情報を聞いて死ねよって思った。軽症患者を手厚くみると、削っていいケアが見えなくなる。この忙しい中で。
そんな口の悪いことは言えないから、上手に言う。

先頭 表紙

今朝この記事の後半部分を寝床で読んで、仕事に出かける勇気貰いました。そうか、私も死ねよって思ってるんだなとか、やっぱnurse凄いわぁとか。 / 麦 ( 2015-06-07 00:05 )

2015-06-02 睡眠

先日は、仕事終わりに会った。私は夜勤あけで数時間寝て、夕方に会社で講習の打ち合わせがあったので行って、終わってから相手が仕事終わるのを待ってごはん食べに行った。
最近は症状が強くなって、不安が強くなっていた。今読んでる本に脳科学者が脳動静脈奇形で脳出血になってリハビリ期にある時期に、パーフェクトに良くなるイメージをもたらしてくれる力が必要だったなんて書いてあって、影響された。今まで携帯のメモ帳に一人で書いてた、元気になったらしたいことをRに聞いてもらった。不安なことも。
でも会ったらそういう心理下にあることも忘れていつも通りでいたら、不安の件について聞かれて嬉しかった。
先日入院と手術の日が決まって、家族じゃないからキーパーソンにはなれないだろうなとあまり期待してなかったけど、休みを合わせてくれることになった。うちの親と会ってて良かったと思った。それもこういうことになりそうな気がして、私が仕向けて、向こうが申し出てくれたことだった。
それまでにやらなきゃいけないことを少しずつ消化していかなければ

先頭 表紙

2015-05-30 デイ

先日は平日休みを合わせてくれたので前夜から会う予定が、相手は残業で私は疲労で寝てしまう。24時に気がついて思う存分会えないなあとイライラしてしまいそうになるが、諦めてそのまま寝る。朝からパターンは久しぶり。朝ごはん食べようと電話して、ノープランでとりあえずモーニング。話してるうちに行きたいところとしたいところが決まって普通に市内デートする。残りの半日で3回した。割と普通に。帰りに、こういうのがずっと続いてもいいなあって思ったりする。って本当に思うので言ったら、そうだねでもずっとこのままではいられないんだよって絵本の引用?をされた。要は結婚したい、一番は一緒に住みたいという話だけど。手術が終わらない限り動けないし、彼母も忙しさを理由に会ってくれんし、そんな状況下だと私も前のめらなくて済むなあと精神的安寧を手に入れてる。凡夫には少しは制約があったほうが動きがいい。

先頭 表紙

2015-05-26 灰色

先日は彼氏と勉強会に行った。前の夜にわたしが夜勤明けから回復してから会って、3回して、翌朝から昼過ぎまで勉強会で、私は少し早く抜けて夜勤へ行った。3回目が良かったということだった。初めて口の中に出されたが、想像以上に死にそうだった。私は2回目が良かった。休みだったからか全体的に変態だった。この前は、連勤後だったからか半日はノーマルに2回して、半日は他県にBMXを乗りに行きたいというので付き合いで行って、私は乗らないから勉強道具を持って行って併設されてる喫茶店でやった。
そのようにして、すっかり自分の勉強ペースを取り戻した感がある。
先日昼ごはんを食べて建物に戻る際にふと、ギャースカピーの話をした。なんでしたんだったか忘れた。GSPは全然したことないよね、と合格の印を押された。
まあ一緒に住んだら変わってしまうわなあ。最近は一緒に妄想ごっこをしてる。彼氏の母が理由をつけて会う日を先延ばしされる。今まで泊まりとか控えるように気にしてたけど気にするのはやめた。そんな今も楽しいなと思う。
チクチク痛い。生理と2週間は痛かったんだ。すごく痛いわけじゃないけどやだなって思う。腰痛にもなってる気がして、試しにロキソプロフェン飲んでみた。スッと痛みだけ無くなって意識は清明なのを確認して驚きたい。まだスッがこない

先頭 表紙

2015-05-20 猿

先日は同僚と彼氏で類セミナーに行って社会的存在であることを感じられて嬉しかった。優しいし仲良いねとお世辞をいただく。セミナーの収穫は、2つあった。往復時間より滞在時間が短かったが…。
猿はその日生理だったのでご飯食べて帰る。
後日受診日に休みをとってくれてたので前夜から会う。衣装が置いてあったので着てみる。少なくとも短いスカートが演出できた模様。朝は普通にする。受診は…結局術前検査と形式的な受診、診察医師も代理だったので聞きたかったことはまた今度になる。ついてきてもらって申し訳なかった。翌日まで一緒にいた。ゆっくり時間があったので整体師ごっこをする。客のふりして普段聞けないことを聞いてみて面白かった。朝は普通にする。

先頭 表紙


[次の10件を表示] (総目次)