本来は勤務時間外。あの職員に相談をしたいんだけどお願いできるかというナースコール。その場面を察知してまず思ったのは面倒、その話を聞くコミュニケーションも時間がかかるから面倒、そのあと所在を確認して伝言を頼んだりして部屋に引き返して限りなく無駄なくコミュニケーションとって。ていうかさっきも話してたじゃん。その家族が平均値より高い要求をしてくると面倒だなって思う。その平均というのは経験則でしかないが。
って思ってさっさと帰った。そして嫌だなって思った。面倒って思った自分も嫌だし、同僚たちはそんな風に見せないのすごいなって思ったし、要求がそのまま仕事量に直結してくるからその日の仕事量を見積もれない不確かさがあるし。ていうか全く大した要求じゃないのに。ていうか意外とああいう他職種に関する要求が一番めんどい。検査の結果とか今の状態がどうとか休日に聞かれたり。別に答えたっていいけどちょっとした表現で勝手に妄想されてトラブるからできれば火種は巻きたくない。そんなことに医師を呼び出せるほど暇じゃない。時期を見て説明してるし。入院が長くなって信頼関係のある家族ならともかく。大体熱があるかないかばっかり聞いてきて面倒臭い。そしたら今度はSpO2の値にとらわれて面倒臭い。その常識の差を感じるのも嫌だ。啓蒙欲もない。
って思いながら、面倒だと思いたくないなー面倒だと思うのはなんでだろー。大変な状況にある本人家族をくりぬいて考えると、尽くしたいなあと思う。でもその人の24時間365日を支えるのは無理だし、そもそもその日だけで何十組も見なければいけない。そう思うと、全国でこうして病院を頼ってくる人がいて、それにこたえるという仕事をお金もらいながら人も時間も役割もサイクルで動いているんだなあと思った。だから少しの部分だけで済むけど。一人の患者さんは主治医もときに変わるし看護師も交代だし必要なリハビリをする人もまわってるし薬検査社会制度に詳しい人々も関わる。部屋きれいにしたり。まあそんなこんなで頼りたくなくても頼らざるをえない声にこたえて分け合って手伝ってるだけなんだなーと認識した。
だから面倒だと思う瞬間って沢山あるけど、いやむしろ余裕があるとき(勤務者がいつもより多いとかナースコールが少ない日とか)の援助および突発の要求にこたえるのは本当に楽しいけど。面倒だと思う瞬間は生まれるけど、そうしえ気を抜いた時の対応がいつしかクレームを発生させそうなので、そんな損なことはしないようにがんばろうと思った。修行だと。
ちなみにあの要求のその後はどうだったろうかと、まず本当に伝言ゲームが機能したか確認するのが第一段階で、翌朝担当者にあった時に聞けて良かった。そしてどんな話だったんかいなと記録を読んだら、他病院の愚痴と、この病院への信頼を示すものだったので安心したというか、危うくけがすところだった。
そしてその他病院の愚痴というのは…どうだろうか?限られた資源の中でできる限界をこえていたんではないかと療養型病床が心配になった。いわゆる看護配置7:1とかじゃない世界だが。しかの今後はそういうとこを増やすんだよ。まず専門医に頼れない、使える薬に制限がある(値段的に)、介助度が高い、きっと認知症だらけ、基本的にこれ以上よくなることはない、けど安い、きっと仕事量はんぱないし、モチベーションも保てるかもわかんないし、環境的にはなかなか辛そう。今いる病院はコストの心配はそこまでないから、この恵まれた環境を生かさねばと。思った。 |