さきほど、最近自分が診療所にお世話になった疾患を検索した。そしたら同じ疾患で、救急外来受診しちゃって、入院になって、不満タラタラで基本姿勢が愚痴になっている記録を見かけた。私だって何も考えず診療所にいったわけじゃない。場所、タイミング、準備、の選択の根拠があったのだ。
今まで医療不信とは、医療側にばかりあると思っていた。でもそうじゃないのかもな、と思った出来事だった。
「教育委員会はいじめ隠しが問題になったね」
「不透明性は医療界も負けてないよ」
学生同士の会話だ
私はもうすぐ看護学校を卒業しようとしている。
何度となくなぜ自分はこの職を目指したのか、と考えた。
それは主に気の迷いではなく、人に聞かれるためにである。
それはその時々で色々答えた。どれもが嘘ではない。
最も簡潔にいうならば、医療界側の人間にならなければ怖いから、ということだ。
変だと思ったんだ。
婦人科の手術をして、1年後にイレウスになった。なってから聞くと、開腹術をした人はなりうるらしい。30年後でも。エッじゃあ初めに言ってよ。別に切った後でもいいから、今後のこと教えてよ、教授でしょ、看護師でしょ。知ってたんでしょ。私が半年間吐き気に悩んでたの、返してよ。とは言わないけど。治してくれたのもあなたたちだから。医原病っていうんだ。ふーん。でも、体調ちょっと悪いって時に、どういうとこにどういう形で受診すればいいかなんて、わかんないよ(という疑問さえ当時は湧かなかったよ、医療界側になってやっとここを疑問にすべきと分かったよ)。
他には、
イレウス3回目。学校近くの市民病院に入院となった。イレウスっぽくなる時期は、生理前で、生理が遅れるとその分余計たまってしまうなあとは思います。でも婦人科の主治医は関係ないって言います。外科ではね、関係してるって考えるよ。エッそうなんですか。まじか…あの人教授なのに。教授でも知らないんだ、こんなありふれていそうな知識。でも診断をつけられるしカイザーはできるしがんを治すことはできる。エーこれは。
これは、私は今後の長い人生、医療に怯えること間違いなしやん。
と思って、が根元にあるかもしれんです。
喜び部門では、人がなぜ疾患になるのかをリアルに学びとっていけるところ。
楽しさ部門では、診療の補助(尿カテーテル入れるとか、注射するとか、オペ室とか)が楽しい
社会部門では、お金が貰えるところ
話が志望動機にそれたが、
医療不信は多くの人が直面しうる問題だと思うんです。
だから、そうならないように、昔の自分を救いたいと思うんですが、
患者さんは本当にいろいろな人がいて、患者さんに学ぶことがあります。
そこで3つの認識論を得ました。
1.おしなべて人は、医療不信を感じるような仕組みになっている。だから、そうならない仕組みに変える努力をすべき。(医療側の問題)
2.医療不信という一限的な捉え方は見誤っている。患者と医療も人間関係、社会の中。上手に捉えて上手にコミュニケートして疑問は噛み砕いて、不信をおこさず真実も掴んで上手に医療と付き合っている人がいる。年配の人に多い。年の功。こうはなれない人ばかりピックアップしなくてもいい。(患者側の問題)
3.
つづく
つづく |