去年の夏暑かったのか、涼しかったのか? 記憶を探ってみて、去年の夏がかけらも残っていないことき気づいて、少し驚いた。
という小説のフレーズを読んで、自分も去年の夏を思い出してみようと思った。
小説を読むのは珍しい。今読んでいるのも、ある領域についてエンターテイメントから知識を仕入れてみようと思い付いた知識欲から。
去年の夏は、汗かくのってこんなに邪魔なものだったっけ?って思って数年経つなって思ってた。ベタベタして気持ち悪いのと、肌にあたる服が湿ってるよりサラサラしていてほしいから、着替えとサラサラシートを持ち歩いていた。
去年の夏は、普通乗用車免許の合宿に行った。
ATとMTが何の略か未だにわからないままだけど、MTと書いてマニュアル車の方にした。
女子はAT、男はMTという風潮があることを知ったが、実家の実家で車が軽トラしかないというときに役立たずになったらいかんなと思ってマニュアルにした。
そもそも、車の免許を取ろうと決心したのも、震災応援で車を運転できることがいかに役立ってそうかと感じたことによる。
夏休みの1/3はこの合宿による。
ちなみに、もし日本に社会人のバカンスが始まった時、自分は大英図書館の近くに泊まってひたすら調べ物をしたいなと軽く思ったことがあるけれど、
免許合宿もそれに似た目的を持ち合わせていた。
つまり、勉強道具を持ち込んで、教習のない時間は滞在ホテルでおべんきょしようと思っていたのだ。
でも、1週間もするとだらけて新鮮味もなくなり孤独を感じるようにもなった。
教習所で結構話を聞いたりしていたけどその力も最後はかけていた。
試験は、仮免の筆記と実技、本免の実技を一発で受からないと合宿期間延長ということだったが、予定があり延長できないため、自宅近くの提携校に転校という形になると知った。しかもこの学校は26歳以上は延長費用が要るとのことで、かなり怯えていたが普通に受かった。仮免の筆記は満点で何かもらった。ほど対策した。試験コースをチャリで下見したり。暑い盛りに。
だもんで去年の夏といったら時間的に免許合宿ということになる。
しかしその後に行ったアジアの医療現場見学の方が影響力大だ。
人!
人はいいな!と今思う。
人がいたから充実していたんだと思う。私も与える人、愛のある人でありたい。
そして国際線2回目(10代の頃含めると4回だがあの時とは違うものだ)にして、
空港というものの新鮮味が薄れていた。
去年の1回目の時は、空港というものにものすごく感じるものがあって、TRANSIT(雑誌)とかありがたがる感じだった。
言葉も知らんし、おそらく掘れば出てくるんだろうけど。
移動は罪だと思っていた。エネルギーを使うから。
今移動する時じゃないと思っていた、10代の頃から。
ある意味我慢していたが、2010年夏に始めてから今まで、移動量が半端なく増えた。
そして、自分の場合は今で正解だなと思ってる。
アジア、愛知、宮城、アジア、中国、実家の実家、北海道
そして、罪についての考えはまとまらんけど、自分が関わっていきたいことについて力をつけたいなら、今移動して人に会ったりしてることは確実に力になるし、そうしないとだめになるという焦りもきっと少しある。それ以上に楽しいことである。
そんで成田空港に着いた朝に始業式で、荷物受け取りを待ちながら学校に電話した。
午後には登校したが、この学校は重要性のわからない登校が多すぎる。連絡事項3個だけの日とか…
とか言い訳しながら欠課届けを出して就職に響くんかな?とか様子見してる
夏終わる |