どうもぉ
今日行ったら
世の中は流れていて
体と心が慣れたのか
体と心もそこまで疲れていなくて
明日の見えなかった帰り道も
今日は適当に切り上げられる時間の目処がついていた
そしていいことには、病院を出たらもう考えたくない、考えはするけど心からは考えない=教科書的・理論的には考えるけど、もっと広く相手のこと想像したり今日の振り返ったりはしない…
という日々だったが、今日は初めて考えてた
そんな風に、
慣れたつもりになっていますけども
先生も恋どころかキモイ人になっていた
お菓子など月に1回くらいしか食べないわたくしが
100均に用事があるついでに毎日お菓子を買っているこの頃
これはストレスというよりは、いいことないかなーという昇華で
こういう日を送ってたらすぐ年取りそうだなという感じ
下の土曜はひどいね。
日曜の夕方くらいから前向きになってきたという
逆サザエ現象
きょう思ったのは、
看護師ってポジティブな存在ってよく言うらしいんだけど
自分達の世界の中は完全なるネガティブだということ
それは人の人生を預かっていることの責任ということでもあるだろうけど
自分達の環境がどれだけすごいことかーって
アホ面して幸せ者かましててもいいと思うの
だって
あるアジアの田舎では
点滴台が今必要ということで木の枝を探し、
ちょうどいいのあったねと喜び、
折れそうだねと思ってもそばの誰かが直すし、折れても直せばいいし
わたくしの世界(あるいは最近の日本という世界)では、
点滴台はあって当然、その位置を知ってて当然、位置を守るのも当然、倒れたら管理怠慢で担当者反省会
あれの折り方が分かんないねっていって
知ってそうな年齢の助手さんに聞いて、お仕事中すみませんでしたって謝るし、
机上および無人の空間で勉強して調べたのだから本番でできて当然、病院のやり方や上下関係仕事の事情も熟知してて当然、できなかったら注意という教育をするけど、できてたらゼロ
でもわからない、私の日本への敵意、アジアへの好意の色眼鏡で見ているのだろうか
これが逆だったら、ちょっと!日本はすごかったよ!私たちはもっと厳しくならなきゃ恥ずかしいよ!
って思ってるんだろうか
実際、私の知ってるアジアはそんなことなかったが、私の聞いたアジアはよろしくない。
これは愚痴ではない
愚痴は同意してくれる相手を求めて成り立っている
これは今日の記憶 |