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ヒポコトリの「書を捨てないで 町へ出る」


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はじめまして    chCCygEPcF

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2011-06-10 血の気がひいていくのが分かる時
2011-06-09 卵黄嚢腫瘍
2011-05-20 打たせる野球
2011-05-16 言うか、言わないか
2011-05-14 今日は幸福記念
2011-05-14 まだ続く
2011-05-09 まだ話す
2011-05-08 久々に悩む
2011-05-06 徳永英明の歌
2011-05-01 5月1日の私


2011-06-10 血の気がひいていくのが分かる時

恋愛の話でいえば、今思えばまさにこれ急性期でしたねという感じで
ご臨終になることなくただいま慢性期に突入しているんでしょうけど
アッ ちゃんと作業はまっとうしてきたつもりです
会わなかったし、会う約束もしました

新たな問題をさっき見つけて、血の気がひいていきました
しばらくはそれと格闘しよう

Jのときもこうだった。
でも終わってみれば、取り越し苦労であった。
それ以上にこだわるべきことはいっぱいあったはずで、それはやはり第三者ではなくて、二人の関係性の話なんだと思う

ところで、昼間の関係性の中に性的欲望は生まれると思う

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2011-06-09 卵黄嚢腫瘍

18歳の時になった卵巣がんの種類は、卵黄嚢腫瘍だ。

ふと婦人科の病気の本(『病気がみえる』)を見ていて、卵巣がんの分類をたどっていくと、卵黄嚢腫瘍に分岐する前のところに受精卵とある…

卵巣がんのうち胚細胞腫瘍は20歳前後で好発するという記述はよく見かけていたので、環境因子じゃないと思っていたんだけど、卵黄嚢腫瘍の場合は違うかもしれない

今まで何度か見ていた本なのに気づかなかった…

思い当たるふしは生理がこなくなったのは18歳の10月で、18歳の8月に1回性交をした記憶はあるが、1回か2回は生理がきたし、その時コンドームもつけていたし、確か射精しなかった。(射精前にも精液は出ていることは知っているが…。)しかも、それまで2年間、生でよくやっていて、この時は半年ぶりだったのだ、相手は1人だったけど。私はこの時期のことを簡単には説明できない

じゃあ人体発生学を見てみよう、とほとんどやっていない本をひっぱりだしてきて見ていると、着床後の話になっている

卵巣がんといわれているし、実際右の卵巣と少しをとっているらしいので、着床前の話だと思う。受精〜卵管に入る前か。受精のほとんどは卵管の入り口あたりでするものだと聞いていたが…

これが着床していたら奇形腫、流産などになるのかな?

あと文献のタイトル見てると、再発もあれば平気で産むのもある感じらしいが…再発は性交をしない限りおこらないことかな?

これ以上の情報を捜すのに手間取りそうだ



追記6/11---------------------------------------------------------

男の子の卵黄嚢腫瘍もあるようだ
これは…
私はなにか大きな勘違いをしているようだ…
恥過去の喋り損カッ

ところで
癌、とか、治療の苦痛には

ところで
医療系にくる前は、
癌→一応寛解してるらしい→定期的に再発検査を受けている→「再発」したときにはよく終わりって聞くなぁ…
程度しか考えていなかったけど、今はもうちょっと細かいし、癌の種類によって「再発」のニュアンスも違うし、「悪性」のニュアンスも違うし、「抗がん剤」の位置づけも違うことを知った上で自分のことをみなしている

こういう風に知ることができたのは、知りたかったからだけど
知らないままでいるときとはまた違う適応が求められるナ
そういうわけで最近久々に手に汗かいてマスガ
知るということは怖いことで、おもしろいことです

問題はサー
医療提供側になったときのインフォームドコンセントで

説明と同意
っていうけど
きっとそこに信頼というニュアンスはない、個人主義的な流れからきている権利の話だと思ってるんだけど、でも様子見てるとアジア型の信頼に移植できていそうで、期待しているのです が、どんな難しいことだろう、どこの病院でできているのだろう、そこで働きたいな

慢性疾患&理解力ある人&知りたがってる人
もいれば、
早くに決断を求められる人&知りたくない人
もいるわけで、
加えて、
知りたいけど、いま知りたくないこともある
知らない方が、結果的に
そのへんどうやってうまく個別性にあわせる方法があるんだろうなー?と思う
説明する側の主役は医師だけど、患者の個別生を一番知る機会があるのは看護師なわけで、その中間役なわけ…

ハッキリいって、副作用とかリスクとか知りたくないし、それで致命的なことが起こっても怒らないが、でもそこに信頼関係がなければ怒るかな、でもこれも私の場合なだけで

患者さんとは長い関係をつくりたいものだ

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2011-05-20 打たせる野球

今階段をのぼったらしい、みえる景色が変わった、でも向こうの方が見えない

今日からまた行ってきます

会えるか会えないか何とも分からないけど、
こんな階段のぼったことなかったから、
今は今でよしとしよう

ぶつかって出てきた言葉、
それがなかったときの方が、よくなかったはずだ
ぶつからなくて済む人ならいいんだろうけど…

ところで、自分の論理では相手の主張を論破できる場合(決してこんなかたい言葉使わんけど)、
それをストレートに表現してもうまくいかない人に対しては、
どういう変化球なら打ってくれるのだろう?
9分割してみるか?(4分割もできないが)




アッ
この日記だとそんなことばかり考えて向かうみたいにナッテル

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2011-05-16 言うか、言わないか

また避難所に手伝いにいくことになった(休学しないでも参加できる方法を見つけた)が、それに関してTに言うか言わないか、決断しようとしまいとその日は過ぎようとしている

というのも、行くことが仮決まりのときに、喜々として言ったら、反対されたから。
それは私を思っての反対というよりも、私を客体化しての批判だったように思う
なぜなら、反対する理由(学生にとってのお金と時間の優先度かららしい)について言えば、私の視点から見ればむしろ賛成となると思うからだ(お金はこういう時のために貯めてたし、勉強は学校よりなんぼかためになる)

自分のやりたいことについて反対あるいは意見する人とは今まで実はあまり縁がなかったので、割と初めての状況が生まれている

それで、それからはもう話題にださないようにしていた。そしてその日が近づいてきた

そもそも、行ったところで、違う避難所に行くので、会えない距離ではないが遠いし、まず自由時間がない、疲れている、そのため会うという状況が現実的ではない それば私だけでなくTもであって、どうやら避難者としてではなく、避難所で働く身分扱いらしいのだ
だから言ったとしても会えない可能性は大きい

それでも私は、帰りの日の解散である夕方から、5000円で帰れるやまびこを使ってささっと帰って疲れをとればいいものを、夜行バスを使おうとしている。可能性を残しておきたいと思っている


あとは、その時期の気分(大抵月経周期にふりまわされるんだが…)と、実はその1週後も2週後も行くことが決まっているという、その兼ね合いかと
そう、去年、何かを活動するということはお金がかかるということが分かり、できるときバイトしてためていたので、今本当に去年の自分に感謝しています

あとは、どうせホテル行くんだから、お金の大事さとの兼ね合いかと
困ったことに、全てお金を払う人であった。たしかに社会人になって長い人と学生とではそうなるんだろうけど、家財は失ったわけだし、その他の様子をみているとかなり主婦的感覚の持ち主とみえるので、無理しているんだろうなぁと


アー
また
電話があった
自分の気持ちを表現するって、気持ちいいナ
じょうずにお話聞けたナ

なんとなくご機嫌そうだったので言おうカナと思ったけど、疲れてるのと用事が残っている感じがしたので、やっぱり保留にした
でもあの感じだと、その日寝不足でなければ会ってくれそうかなーとは思った

タイミング、タイミング、タイミング
ユーモア

Tは自分でも言ってたけど、ネガティブだなーーと思う
慎重、傷つきやすいのかもしれない
その割には今よく言う女っぽい男の子臭はしないけども
でもあちらにも不安があるとしたら、それはありがたいことだなと思う

アー
お腹イッパイ


こういう日は、まじめに生きててヨカッタナと思う

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2011-05-14 今日は幸福記念

幸せとは何だろうか?

呼吸困難とは、主観的なものらしい。
客観的に言えるのは、呼吸不全。(※簡単にいうと)

それと同じ、幸せは主観的なものだ

だから私は、今日なんて、幸せでたまらないんですよ、でも私の周りにある物は何も変わってないし、環境も変わってない

私の幸せは、医療の道と家庭のふたつが共存していることだと確認できたとも言える
そう、今日は医療の人達と会って顔見知りになって一気に話が進んだし、
Tが今日は電話をくれた!
電話をくれた!
電話をくれた!
電話をくれた!

23分の電話のあと、本当に「小躍り」した

いつも短調かキレイな曲が好きで弾くけど、今日は幸福な曲を求めて、
アヴェマリアとベートーベンのメヌエットを弾いた(ピアノは簡単な奴だけ弾ける)

電話は、ずっとくれなかった
前回したときは、自分に興味をもってくれてないとか訴えてしまい、よくない電話だった
それから1週間くらいたっての電話だった

テンションは低くて、会う前と比べるのであれば落ち込むかもしれないけど、今の私が落ち込んでいないのは、相手を全人的に見れているからだということにしておきたい。つまり、その人を知る部分が増えて、その中のどういうところにいるのか、というのが前よりは上手に見えてる

内容は相手は自分の話ばかりで、私はひたすら聞き役だった。意見をいう場も自分の話もする場もあったが、相手の話に集約されていく感じだった
今、話したいのかなーと思いながら聞いてて、まだまだ気をつかうけど、それは幸福なことだった。
下ネタ的にも、S(俺の話を聞け)とM(ああそんなに話さないで)のようで良かった
いや、SMもどきが好きなのではなくて、俺はSでヒポコ氏はMだねという話をしたのを思い出せたことがよかった
私は昔からSだと思ってたが、求められたいというのはMに分類されるのか
ところで、攻めと受けって何で言わないんだろう
やっぱ伏字風がいいのかな

前の電話やメールで感じられる幸福は、甘い言葉にばかりだった
今もあったら嬉しいだろうけど、でも幸せってそれだけじゃないんだなぁというのも、いいな

それはロモのいう回復過程のうち幻滅期の象徴なのかな
こうやって関係性を時とともに作れていくのは、なによりです
でも理論にあてはめてると、「外の人」ととらえがちになってしまうので、また考えをニュートラルにして、再び考えます

今日は人に会って、どれもよいものだったが、疲れた
でも生きている

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2011-05-14 まだ続く

前回から結果に特に何の変化もないが書き残す
結果に変化がなかろうと、その過程が増えているのであれば、価値はあるというのは恋愛では評価できるというのはよく分かってもらえるところだと思うが、
世界を覆う帰結主義が誉められるものではないということも分かるようなものだ

本当に苦しい時や、暗い言葉しかでない時は、今までこのページを開くのを避けてきた
そうつまりそんな数日でした

最近、SNSをよく利用している
それは、メールともデートとも違って、開けた世界だった
共通の知り合いがいる中で、直接やりとりしないまでも、知り合いを含めた上でのやりとりがある
ああ、これはいいなと思った

その後には、嫉妬がおこった
その人は誰?なぜ今のタイミングなの?何があったの?
それへの返事をして私のメールの返事はしないのはなぜ?
その女のねとっとしたコメントは何???

一瞬思って、忘れる





まぁ、今中高生とかいう年齢の人は、さぞこういったことで悩んでいるんだろうなぁろ思った



私は学んだつもりで、
・自分との未来の話はやめた(重いから)
・相手の振った話題に質問するのはやめた(これは謎、へんじがないのでやめた)
・ロモの唱える災害ケアの「ハネムーン期」が終わって、今落ちこみつつある時だという可能性を探ることにした
・結果、天気の話が増えた

そしたら、昨日とか今日とか、悪くなかったよ。
会う前よりは落ちてるけど、でも一番の問題である「私に興味がない」という疑いは晴らすことができたよ
それに、「自分の時間」をつくらないようにしてるおかげで、人とのつながりが増えつつあるよ

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2011-05-09 まだ話す

好きな人の話を人にするほどもうこどもじゃない、みたいな歌詞が10代の時にこびりついているので、
今まであんまり人に話してこなかったが、
最近はよく話してるなぁと思った


世の中の恋愛の話を漁っているうちに気づいたのは、
ほとんどの人たちはそのうちにセックスの回数は減って、
ドキドキがなくなった、なんていうのは
マンネリという昼間でも使える言葉の裏にはそれが隠れている
内田春菊みたいな人がそんなにいるのかなーといぶかるけど、
そうだとしたら世の中の性事情は結構不幸だなと…

それで、Tと会う前に、「たぶん今度会う時が一番気持ち良いんだろうな」と思うようになってしまっていた
よく知らない相手の方が、ドキドキするものだと思う

ロシア人って何なんだろう…

中村うさぎの話を読んだと書いたが、男、つまりはその相手にとっての自分の存在価値、ひいては自分が相手に求められること、それが自分のアイデンティティという話だと思うが、非常に共感した
私は、いくら家族がうまくいっていても、そこで性的に求められていないのであれば、不満足に生きると思う

それで本橋信宏の本を今読んで、あまりのスタンスの違いに驚いている
男側の風俗本というのは、そこに現れる女の生態観察みたいなのばかりだと思うから

最近はこんな本ばかりだな…



毎回、付き合い始めて初めての何かがあるたびに、紙に記憶を書き出す。それは忘れたくない貴重な感覚を忘れたくない、と励むんだけど、決して見返したことはない。

妄想は敵だ


今わたしは、1度会いに行って帰ってから、そっけないもので不安だなーと思ってたところ、
会いにいって嬉しいんだーと確認できるセリフを今日もらったので、
直接的な質問でそれを確かめたいなーと思っても、
今日はしない。
相手にはそんなことに気をとる余裕がない状況である
というのがこないだのやりとりで分かったからだ。

こんだけ注いでて、だめになったらオワリだな、という場合を想像して不安になる状態に適応するために見つけた今の策は、
すごいいい病院を見つけて。
病院の説明会なんてなんてが分かるものか、と思ってたけど、人が違う。たぶん組織を出れば似たような人たちなんだろうけど、組織のなかでのその人たちは、やはりまるで違う。
そんないい病院を見つけたので、
元々、子供・家族がほしいというのと同じ力だけ、いい看護したいというのがあるので、
たぶん死なない程度の精神状態は保てるだろうなぁという想定をした上で、適応している。

何にしてもこういう予防策みたいなのは、匂わせない方が賢明な相手だなということも分かった
例えば「私はあなたの土地で就職したいけど、あなたにはふられるかもしれないのだから、こっちの病院にもいいとこ目星つけてるの。というのも、あなたの土地で就職先を吟味し始めてるわけだけど、そんな私と温度差があるとしたら、滑稽だから、笑われないために一応言ったわ」的なものは、笑われた方が賢明(言わない)

マイナスにとられるのは、相手も不安ということが分かって大きい目でみたら悪くないけど、目の前の状態としてはあまりよくない

あとは、出した話題に関して反応がなくても、ちゃんと聞いているということも分かった
それは、自分は相手の反応のためにいるのではなくて、自分は自分と向き合うものだなということだと思う

あと方言は、文字にすると北島三郎の世界でネタのようだけど、
あれは、すごくいい

あと、妄想は敵だ
少女漫画は、昇華できるものでなければ、悪書だと思う

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2011-05-08 久々に悩む

彼氏と別れてそろそろ1ヶ月、
急にふったことと、付き合っててどう思ってたか聞いてみた
悪い答えは聞かれなかった
やはり長く付き合うのはいいことだなーと。

今の人は、まだまだ何も分からなくて、
不安なことがあって精神不安定状態になっても被災者だから負担かけられないので、
向き合えないのです

それでJに連絡をとって、自分の悪いところを聞いた次第
その上、Tの話も聞いてくれた
抵抗はないらしい
まぁ、元々仏のような人だったからな

別れた人とはこうしてしばらく連絡をとったりする
それでも何年も経つととらなくなるな

Jに話をして、とりあえず
今時分に自信が無くなっているところは、そう心配することもないということが分かった
そして、不安なことは、そのままにするしかないことがわかった
あと、私が都会で暮らしたくないと思っているがJは都会で暮らしていこうという人であるから、お互いにズレを感じていたことが確認できた
少しスッキリして、片付けと風呂に入る気力が出た

ハー、でも
Tとあんまり連絡とれない(避難所の作業で忙しいとのこと)のは
やっぱり不安ダナ
不安というか、時間が過ぎないナ
私も何かに打ち込みたいゼ

分かったのは、恋愛小説もエッセーもネットのアドバイスも掲示板も、
私と相手に人間関係の発生してないところからは
ほとんど何も得るものがないなぁと

被災地での恋愛に関しては、大体が、異常心理下で生まれたものだからいつ別れるかなみたいな意見のようですが、
当人が一番分かっているわけで、
これからいかに関係を作るかだと思います

こないだTと避難所を離れて内陸部で遊んできました
非常に楽しかった、知らない種類の楽しさだった
でも今はなんだか変な様子です
それは、一度遊んで用済みとかそういう話ではない、
個別的な事情があるのだと思う
それに私も避難所の生活を忘れて、感覚がどんどんずれていってる
こんな今のダメ人間の状態と、被災地行ってた時の毎日の行いと収穫の日々の差に、おしつぶされそうです

それに避難民は疲れてきてるらしいので、GWが終わってボランティアがいなくなったところへ、今これは行きどきだなぁ、でも休学するしかないねぇ、と
明日が怖いなぁと

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2011-05-06 徳永英明の歌

被災地では、現地の人に自分の存在がどういう風に見られているか気にしていなきゃいけないから、私にとって気が休まるのは部外者だけになる車での移動中だった。

被災地の本部へ向かう車中でラジオから懐かしい曲が流れて、話をしながらも耳を傾けていた

分かったのは、
小さい頃に聞いて、それ以来聞いていない曲のひとつだということ
今ならそれが徳永秀明の声だということ

それでようやくその曲は「夢を信じて」だと分かった
…ドラクエの主題歌だったから聞いていたようだ

徳永秀明はどうしても中年女性のアイドルというイメージが出来てしまってたので、
純粋な目で見れなくなっている今の自分を知って、
子どもじゃなくなるって嫌だなぁと思った

純粋が、純粋で終わってはただの何でもない
と言ったのは誰だったか
そうかな




私の行った避難所にいた成人期にある人は、もう仕事しなきゃという感じでパラパラとしていたりするらしい。
学生は学校が始まりつつある、高齢者は内陸部にある宿泊施設にいる、働いてる年齢の人は仕事をし始めている。
その避難所では有償ボランティアとして数ヶ月数名分の予算がとれたらしいので、現地の人が数名そこで働く。別にこれまでと同じ生活をするだけだけど。

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2011-05-01 5月1日の私

日曜はいつもの週1のバイト

GWなので金・土に出ることになった

代わりに日が休みになった

日雇いのバイトを入れた





そのバイトより入りたかった稼げるバイトの空きが出た

時既に遅し、まぁしょうがない

日雇いのバイトの連絡先に連絡が送れていないことが判明した

確認したら別の人に頼んだということだった

5/1は暇になった





5/1は勉強する日に決めた

4/30バイトの終わりに、店長の家にお呼ばれした

ご馳走と酒を頂いた

朝まで相手をしてもらった

家帰って寝た

バイトが無くなったということで、学生演劇の延長でやってる人らの公演を見に行けることに気づいた

CDに入っていたBerryz工房を聞いていたら踊りたくなった

近所のダンス屋を調べてタダ体験を申し込んだ

演劇見に行く予定だったことを忘れていたが時間はかぶっていなかった

1.5駅先まで原付で行ってきた

今ここ

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