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ヒポコトリの「書を捨てないで 町へ出る」


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はじめまして    chCCygEPcF

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2010-07-12 映画を見る・小説を読む
2010-07-06 医療事故(看護師による)について
2010-06-30 そうした方が、円滑だ
2010-06-27 ティッシュ配り(サンプリング)をする
2010-06-13 初夏の日記
2010-06-02 非正規雇用もどき日記2
2010-06-02 非正規雇用もどき日記1
2010-05-23 国際協力(医療系)
2010-05-23 ↓の訂正…
2010-05-13 自分の病気について詳しく知りたい人のために


2010-07-12 映画を見る・小説を読む

私も大概せちがらく
映画を見るのも小説を読むのも音楽を聴くのも、とりわけ好きではない
おそらくそれは真実は調べて分かることで、表現されるものではないと思っているとか、何の役に立つのか?誰かの言うように、人間の理解にだろうか?しかし、未知の作品を前にしたときには、それはまるで贅肉のように、お前が役に立つのは共通語としてぐらいだろうとも思う。だからかっこいいこと言う人に引用されたりすると困る。かっこいいこと言う人とは、中身がかっこいい人のことである。…というように、行動を評価するときには役に立つ立たないで判断する人だなとも思う、ただしそれは最も平均的なタイプとして、とも思う。

けれど心が栄養分を吸ったかのように感じるのは不思議である

カッ若い人の恋愛話か 25の私でもカッと思うくらいでは この国の大人たちはほとほとつまらないのではないだろうか と思いながら「スウェーディッシュ・ラブストーリー」ロイ監督を見て『首鳴り姫』岡崎祥久を読んだ。スウェーデンのことを知りたかったのと(別にそれはスウェーデンでなくても良かった)岡崎祥久の本を手に入れていたが(別にそれは『首なり姫』でなくても良かった)ほったらかしにしたままだったからである。お金もなくバイトもなく(心身の危機を感じて入れなかった)用事もキャンセルし血族的な仕事もなくJも泊まりでいない土日であった。2日間一日ゴロゴロしすぎて頭が痛かった。こういうときに、自然の近くに住んでいたらいいのにと思う。せめて岩の上でゴロゴロするのだろうか。

「スウェーディッシュ・ラブストーリー」は期待通りスウェーデンの感じが分かっておもしろかった。散歩する惑星の人だと分かったのも面白かった子役の未来を知るのもおもしろかった

『首鳴り姫』は期待通りよい世界観であった。物語として何とは思わないが。ひとついつも違和感を感じるのは、労働に何か意味を求めるところというか、「労働」という言葉があまり好きではない。この国で生きている人のほとんどならば、おんぶされて生きていることに愚痴を言う人という感じのする言葉だからだ。サラリーマンは気楽な家業という歌を知っているのだろうか。まあ知っているだろうが、では何が嫌なの、自分のやる気のないことがいやなの、と話をしてみたいなあとは思う。この話に出てくる女の子に非常に似た感じの人がいるので読ませたら何というのか気になる。でもその子は中肉低背だが、この話に出てくる女の子は低肉中背な気がした。





面白い言葉があった

「愛おしき隣人」より

私は精神科医です
もう27年もやっています
身も心もボロボロです
何年も何年も患者の話に耳を傾ける
自分たちの人生に満足せず―
楽しみを求め 私に その手伝いをさせる人々
彼らの相手は疲れます
私の人生だって楽しくはない
彼らは要求しすぎる
それが私の結論です
幸せを求めるくせに―
彼らは自己中心的であり 大変 身勝手です
とても心が狭い
私は正直でありたいと思います
彼らはただ単に意地の悪い人間たちです
多くが そうです
何時間もかけて セラピーをして―
意地悪な人々を幸せにする
そんなの無意味です
あまりに虚しい
だから やめました
最近は薬を出すだけです
効きそうな強い薬を
それで十分です

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2010-07-06 医療事故(看護師による)について

医療事故で死んでいる人というのは、交通事故で死んでいる人よりも多いだろうという教育を受けた。医療事故防止の授業でだ。その授業の先生はそういう機構で働いている人らしい。


その授業の大要はこうだ。”医療事故は、それを起こした本人が悪いのはなく、その病院の医療事故防止システムがなっていけないのがいけない”


私はメディアを通しての情報しか知らないので、個々の出来事を聞くと、確かに


ところが、上の学年の人の会話を聞いていると、確実に感覚が違う。同じ授業でも先生が違うだけで、こうも違うのかと思った。あの先生の授業を受けていたら、「そんな単純なミスして患者さん死んじゃって、その看護師の能力を疑う」みたいな話はできないはずだ。今の先生と去年の先生のどちらが真実/有用か、多数派・少数派かを知りたいと思う。




ところで、それは分かった。でも、では自分は看護師としてどう気をつければいいかは分からなかった。はっきり言って優良大学以外の看護師(つまりほとんど)はデシリットル単位で覚えていた数値がミリリットル単位で出題される問題を間違える人たちである(そして出題方法に対してケチをつけるだろう、なんたる善良庶民である)。ただし、医療事故を起こす人がそういう人かというと、聞いた話では、非常に優秀な人だそうだ。

でも、医療事故の授業で習ったのは「この容器とこの容器はラベルが違うだけだから、間違いやすい」という事例による「医療事故」の責任が「看護師1人に負わされた」これは確かにその看護師が悪いだろうが、「けれどその看護師だって被害者だろう、誰かが起こすに違いない状況にあった、その1人目を担当した、被害者だろう」ということだ。


ただし、確実にダメな場合もあるだろう…




---

ところで、その授業はとっくに終わって、私は日払いバイトなどをして、ヒヤリハットな現場を沢山見たというか仕事場というものはヒヤリハットに満ちていると思った。そして、「病院のように、事故防止活動のない仕事場って、かわいそうだな〜」「病院はやりがいがありそうだぜ」と思っていた。



そして日々は過ぎ、医療事故に関する授業を経て初めてニュースで医療事故を知ることになった。ここで思った。「あれ、事故防止活動および”加害者も被害者”感は意識として未熟である」


私たちの習ったのは理想図だったのだ。いや、だからこそ、習ったのではないか…

けれどここが”理想”という言葉とは異なる”理想図”であって、結構本当に理想が現実になることが多々あるらしいので、何かできることを見つけたときにはがんばりたいと思う。


ただし、(高度)医療のおかげで生きている人が医療事故で亡くなるケースは多いので、もし私が医療の客として発言できるのだったら、文句は言わないと思う。もし文句を言うとしたら、その時の対応が人の営みでなかったときだろうか。


ひっかけ問題を沢山こなせば「看護師による医療事故」はなくせるのだろうか?(ただし医療事故は技術的なものもあるらしいが)
それ以上に防止機構の充実をした方が有用なのだろうか。
でもひっかけ問題と現場のあの感じは違うだろうなとも思う。







ところで、トラックの運転手が確実に見えなかった子供をひいてしまう、業務上過失致死しょうって何なのか…

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2010-06-30 そうした方が、円滑だ

私は「生徒」役を求められたので、まるで交渉する気はなかったが、困った顔・粘る顔をして、休んだ理由を述べた。休んだ理由次第で交渉の対象となるからだ。私はそんなことを言いふらしに来たのではない。ただケアをしにきたのだ。面倒見が良いために1人の欠落にも顔を出してくる制度のために。けれどそんな態度は出さなかった。私は「患者役を演じた」ならぬ「生徒役を演じ」て、そうした。そうした方が、「円滑だ」と思ったからだ。

※「患者役を演じる」という言葉が聞かれることがある。患者さんは本当は困っていることがあるのにいい患者のふりをして
我慢をすることがあるので、まだ観察を要するという言葉だ。

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2010-06-27 ティッシュ配り(サンプリング)をする

ティッシュをはじめとした、街頭で何かを配る仕事を、業界ではサンプリ
ングという らしい。ハッ ふざけた名前。日払いの仕事に片っ端から手をつけ
ている私はついにあの街頭チラシ配りをやることになった。ティッシュな
らまだしも、チラシ!わたしは受け取ったことがない。いやそれどころ
か、わたしの生活圏にいる「サンプリング」の人たちは皆気分を害するタ
イプなので、ティッシュさえまず受け取らない。気分の重いまま、仕事場
に向かった。


しかし結局わたしは「多い人で◯◯枚配る」の◯◯枚の2倍を配り、「で
もいくら枚数配れなくても、店に◯◯人案内できる人の方がもちろん優
秀」の◯◯人を案内した。

ただしこれは報われるわけじゃないので(出勤簿みたいなところの
空白に小さく自己申告書いておわり)、とても毎週やろうとは思え
ない。

その後は、「サンプリング」の人たちを見る目が変わってしまった。個人
的に最悪だと思うのが

・遠いところに出される
→欲しいかもしれないと思ってた人がとれないことがある。シャイなわた
したちは自分の領域から出にくい

・何を配ってるのか分からない
→「お願いしまーす」意味がわからない、おめえの仕事をお願いされたく
ない
ティッシュ以外は、「都内の店のクーポン券です」「アルバイト情報誌で
す」「コンタクトの割引券です」「シャンプーの試供品です」など言わな
いとわからない。ティッシュも、「武富士でーす」とかより「武富士から
ティッシュによる広告でーす」…までいかなくとも、「武富士のティッ
シュでーす」なり言われた方が私は気持ちいい。ちなみにホットペッパー
配布集団はうっとうしいので私は是非やりたくないし近寄りたくないが、
もし自分で考えたセリフで喋ってる人がいたら受け取りたい。

・対象を選ぶ視線を送ってはいけない
→選ばれようが選ばれなかろうが、不快である。できれば選ぶ時は下半身
に視線を送った方がいいと思う。対象に制限があるために配れない人が来
たと思ったら後ろを向いて作業をするなどして不快な思いをさせないよう
にする

・邪魔になってはいけない
→人の波が自分をよけてくれるのではなくて、基本自分が端にいて、人の
波に近づく形が人の営みだと思う。出すぎてしまったら端に戻る

・自分の目の前を過ぎてから受け取る人がいるので、ぎりぎりまで差し出
す。ただし疲れている時に最もミスしやすいのがここだと思った。結構神
経を使う

・人の波が多いと、受け取ってもらえる率はむしろ下がる

・左右の手にスタンバイし、どちらに来ても出せるように準備する

・わたしは頭が悪く始め気づかなかったが、波が大き過ぎて直接声掛けで
きなかった対象をとばして次に人に出してはいけない。これこそまさに、
人を選んでいる風。1回の声を2、3人分のためにする
時の意識の切り替えに手こずった。

・その他、風俗店のティッシュとか特殊なものはその事情にあわせた手法
が望ましいと思われる。インドカレー屋の人とか、ファスト接客的愛想なん
てまるでないが、非常に好感的である。

おもしろいと思うのは、自分の声掛けで人の視線が変わる(こちら
側をみる)現象。その時の視線の動きが無ければ、まず受け取って
もらえない。貰ってくれるかどうかというより、単純におもしろい。ファ
スト接客のおもしろさに似ている。

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[選ばれようが選ばれなかろうが、不快である]……確かに!!! / みなみ ( 2010-07-01 22:11 )

2010-06-13 初夏の日記

+月;日

またもや他の医療系団体に侵入する。非常に刺激的であると同時に、どこか違うなという感覚が残る。数日後、その違和感は滅私で拭えるものでもあり、反抗もできるなというものでもあるという認識をする。けれどこの瞬間には言葉にできないものであった。帰りながら、また別の日日本を読みながら、この感覚を言葉にしてみる。

「現地で金銭を持たぬ人に奉仕治療をする、しかし自分は給料をもらい(ここまではいい、しかし家族を養うことと保守の悪は通じているのではないかとも思う)、そして現地でバーベキューをする。OK、それもOKとしよう、しかしその話し手は、活動することのよさのひとつに現地での話が酒の肴になることといい、バーベキューの肉の硬いことに触れる。」

「OK、それは私たち先進諸国人に向けてのリップサービスだとしよう。けれどそこを除いてもだ、ここに流れる空気に耳を傾けてみよう。質問するために残ってみた。けれど他の人が質問するのを聞いているうちにそれで足りてしまった。いつの間にか自慢大会になっているようだ。採用担当者はうまくかわしている、あるいは”我々に必要なのは人間性ではなく、多少の人間性と多大な能力である”ゆえに聞かなかったことにしているのだろうか」

そそくさと会場を後にした。

これが例の目標設定、数値設定、統計分析だろうか? 物質的に人の命を1人でも多く効率的に救うこと、それは、病ある人にとってとてもありがたいことだろう。ああそうだろう、だからとりあえずここを1つの目標に、今なすべきことが見えてきたから、とりあえずそうしてみるよ。けれどそうではない団体が精神面をクローズアップされて取り上げられているのも、おもしろいことだ。



*月O日

朝飯を食べないと、胆石ができるらしい。寝ている間にも肝臓がつくる液が、朝食べないともてあまされてしまって、質が悪くなり、石になるらしい。(肝臓でつくったある液体は胆嚢にいく。)

胆石ができたわけではないが、この前早く寝たので朝飯をしっかり食べて学校に行ったら、えらく調子がよくてびっくりした。逆に、その数日前には朝飯もろくに食べず、コンビニなんかの油っこいパン1つをちょいちょい食べて、夕方のボランティーア前にうどんを食べて細身ズボンを履き、コーヒーを頂いたら、下痢になってしまった。あれは体調からくる下痢だろうと思う。

普段の日に、調子がよいというのが嬉しいのは、数年来味わわなかった感覚だなと思った。健康すぎると、退屈なのだ。辺見庸の苦労とは比較できないだろうが、しかしこういうことだろうなと思う。でも今は健康でないとやっていけない世界にいる…。

ところで、自分が「からだの俗ネタ」で満たされてしまいそうで、おそろしい…あっているかもわからないことを、鵜呑みにするしかない現在。自ら勉強せねば………しかし本はどこに? それにプチ医者を目指すなとも言われる……… 優先すべき勉強は他にあるらしい…

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2010-06-02 非正規雇用もどき日記2

3.登録制のバイト
昔もやったことはあったが、業界が成り立っていることは知らず、あまり仕事のないところに登録していたことに気づき、改めて複数登録しにいった。
私はここを書きたくて今日記を書き始めたのだ。そう、今日の電話対応の女がサイアクソだった。大抵登録に出向いた時の会社の雰囲気で、普通の人間の営みを超えてしまっている社員さんであることは分かっており、期待はしていなかったのだが、電話をすると時々「ウソあんたの人間性惹かれるわね」というような人もいる。しかし今日はサイアクソだったのだ。まず、形態電話に会社からの着信が残っている。留守番電話もある。週末の予定が空いていたら仕事を頼みたいのですという内容である。大体ピンとくるのだが、おそらくこの電話は人の営みを無視していると思った。なぜなら、私は既に土曜の仕事を申し込んでいる。それに、不足している現場も、HPを見ていればこちらも分かるので、別の仕事ではないだろう、日曜のではないだろう、と分かるのだ。つまり、登録者リストの上からテキトーに電話をしているのだろう、申し込んでいる人を除外するより効率がいいから。とはいえ、日曜の仕事があるのなら私も入りたいし、電話かけられておいてかけ直さないというのも失礼だなと思って、30秒20円もかかる電話で、10分しかない休み時間にかけ直したのだ。その時の女がサイアクソだったのだ。まず私をその現場に入りたい人だと勘違いして、もう埋まっちゃってますねー、という。言葉が自分の都合によって変換されている。そしてそうではないことを伝えると、確認の電話ですかー?という。2度目の変換である。しかも「確認の電話」というのは昨日済ませるべきであったのであり、「1日遅れでかけてくるペナルティ人」とみなされている。私はそれでも失礼な対応をしないよう、そうではないことを伝えると、何のクッション言葉も、「会社による間違い」という設定もなく、何も何も何も何も何もなく、じゃあそれは違いますねーという感じだった。ここまで、私はアルバイトとしての名前をまだ名乗っていないので(かかってきた番号はチェックできるかもしれないが)、失礼しましたと言って失礼なタイミングで即座に切った。小さな反抗であった。
これを、いわゆる非正規雇用の世界の人は日々繰り返しているのだろうか?そういえばこの前の仕事で隣にいた男性は全ての思考が「そういうもんだ」となってしまっているんじゃないかなという印象をうけた。まあ、登録者は学生メインらしいが。ちなみに就職活動者は雇いたくないらしい。でも働いてる人に聞くと「つなぎの仕事にいい」というので、まあ就活人は多いだろうと。
私は普段の世界が狭い世界なので、こういう世界はこういうのでありがたいし、一期一会の感覚が楽しいのだが、だからといって気持ちよくない人は…
まあわざわざ書かなくても、学校に入ってからというもの、毎日のように嫌な経験をするのですが(今日はいい日だったが、「今日はいい日である」というのはいい日が週1くらいだから成り立つ言葉だなあと思う)、非正規雇用系は読めばおもしろがる人多いと思ったので書きました。


ところで、世の中にはIQの高さを活用したアルバイトがあるようである。それは高給さから言っていわゆるアルバイトではないだろうというレベルらしい。私の思考回路ではそれに縁が無かったが、ほとんどの人は縁が無いらしいので、これでいいかと思うことにしている。

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2010-06-02 非正規雇用もどき日記1

 お金を稼がなければいけなくなったので、今やっている週1のバイトとは別にバイトを探していた。2週間ほど考えているうちに、登録制のバイトを選んだ。8年程前にはよくバイトをしていたが、改めて「アルバイトを探した」のはその時以来だった。大学時代は学内に勝手に貼ってある(掲示の既成がゆるかった)もので足りていた。それに、偶然かもしれないが、世の中に「この仕事なら一生やってもいいな」と思える仕事に出合えたのも大学内に掲示されていたものだった。実際選ばなかったが、この出合いは大きかった。何の仕事も続けられそうにない、という意識の変革だった。つまり、大学外に掲示してあるアルバイトは、いくつやってもよいものが一個も見つからなかった、ゆえに大学外で探すことがためらわれていたということだ。
 アルバイトを探して、8年前の方法ではうまくいかないことが分かった。コンビニにあるフリーペーパーや100円の情報誌では見つからないのだ。同じ情報がネットで無料で見れることに気づくのにも時間がかかったが、そこからも見つけられなかった。おそらく、まず初めに探した場所がセオリーじゃないし、加えて自分の希望が厳しかったのだろう。
 結局は、業界を決めて、大手らしいというのが数個あるということをネットで知り、ネットで検索して決めた。
 アルバイトを探しているというのは結構楽しいもので、新たな選択肢を思いついては自分の人生をロールプレイングして楽しんだ。

1.コンビニ(希望条件:週1〜2、朝の〜8:30、近場)
近場で探すのが楽しかった。6:00〜9:00というくくりが多いらしい。聞かなくても募集を出しているところがあったが、そこは前から対応がよくなくて好きではなかったのでためらっていた。週2というのはよかったが。もう一方の対応の気持ちよいコンビニは募集を出していなくて、聞くかどうか迷っているところだった。結局、「レギュラー」のバイトを週1以上増やすのは私に向かないと思い、やめようと思っていた頃に、登録制のバイトから不足のところに入りませんかという電話があってそちらに向いた。ところで、この「一期一会を好む」「決まりきった職場が嫌だ」という自分の好みを確認しては、山谷の本に書いてあったことを思い出した。

2.パン屋(希望条件:同上)
やはり「対応の気持ちよい店で自分も気持ちよく働きたい」という思いが強く、それと朝やっているところということで駅前のパン屋が選択肢にあがった。しかし隣駅であること、週3〜という条件からして却下となった。

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2010-05-23 国際協力(医療系)

国際協力(医療系)の一般人向け講座に参加した

驚いたこと
・途上国は子供を沢山つくるが、何人か死んでしまうから多く作る。子供が死ななくなれば、作り過ぎなくなる。
・「コンドームの配布」が参加者から簡単に口に出ることが多かったが、私はそういう質の悪いことは質の悪い結果を生むと思う。
・現地活動を何年もしてる人の話。「カトリックはふまじめでプロテスタントはまじめ」と言った。「だからカトリックの多いこの国では教会に行かない」ええーうそだその論理。こういうことを扱う、宗教伝播形成変化学みたいなものはないのだろうか。
・この国が福祉予算を出せないのは、道路なりなんなりを作っても、多国籍企業が利益をもっていってしまうからだそうだ。けれど参加者はあまり関心は無いように感じた。それとも当然知っていたのだろうか。ここが根元だろう、そして力の無さを感じるところだろう。

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2010-05-23 ↓の訂正…

わざわざ看護学校に受付などの人とメンドーなやりとりをしなくとも、本屋に行けば済むことが分かりましたっ

新刊書店は新宿か神保町か池袋というイメージなのですが(東京しか分からずすみません)
知りたいことは初歩なので大きい本屋だったら置いていそうなものです。
見やすさで選んで新宿のジュンク堂に行きました。


話は変わるけど
看護学生は『レビューブック』というのを持ってる人が多いらしいことに気づきました
毎週1日だけ移動本屋さんが来ますが(という頼りない本屋事情ですが)、
そこでこの『レビューブック』がでかでかと並べられていました
そして周りの1年生が買っていくんですよ…

値段を見て5000円!
今日見つけて気軽に買えるものじゃないので、前からチェックしていたということなのか
しかしつられて買う人もいる…
これは本当に貧乏人が来るので有名な、貧乏ネタでブラックジョークを言われる講師のいる学校ですか!?

中を見てみてびっくり、疾病別ファイルが行われている……!!
やっぱり存在するんじゃないか、司書さん…私の伝え方、間違ってましたか…
ただし、カラーが目にうっとうしいのと、国家試験向けの構成なので、ここに書き込んでいくにしてもまだいらないかな…と思った。

だから「資本主義」と「新刊書店の取次の存在」に用心深い私は、大きい本屋に行って類似品を見つけて品定めをしにいったのです、新宿にも用があったので




残念ながら『レビューブック』の類似品は無く、代わりに『今日の診断指針』というのを見つけました。どちらとも平積みの扱いなので、難しいコーナーに迷い込むことなく一般人でも見つけられました。平積みって怖いなあと思うんですが、ここは素直になってもよさそうです。
これです、『今日の診断指針』1冊で入り口になれると思います。
2万円ですが…。
あともちろん知りたいことは全て載っていませんが…


あと医学書院の系統看護学のシリーズもよいかと思います。診療科別にあります。結構心打たれる文章が時々あって、看護ってなりたいと思う人ならなれる職業だからいまいち疑いながらなんですが、希望を抱けるなあと思いました。なんか時々オカルトまがいな記述もありますが…。「あたいの病気の知識はけっこうあるのよ」って方もおもしろく読めるんじゃないかと思います。


そういえば校長がオカルトだということが分かりました。
ああいった授業をされると、一日イライラしてしまいます。

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2010-05-13 自分の病気について詳しく知りたい人のために

最近はもう、頑張りたいのに頑張れない、「頑張りどころ」の見つからない、けれど日々は過ぎていく、そんな焦る日々が続いた。しかし今日、これからしばらくの仕事を見つけた!


〜私にとってゴールに近づくまで〜
まず「近所の本屋」に答えはないだろうというのは分かった。
そこで病院に「患者用の図書室」というのがあったので、期待して行った。これというものは無かった。
医学部のある大学の図書館という手があるのだろうなと思ったが、絶対に途方に暮れると思って近寄らなかった。
看護学校に入ったはいいが、あまりの図書室の狭さと埃臭さに近寄らなかった。




今は身体の構造・身体に関する化学反応・看護の理論という、かなり漠然とした勉強しかしていない。身体のことを知る勉強は楽しいが、このペースでやるとしたら、間に合わないんじゃないか!?と思った。これは、私の学校が専門学校だからなのだろうか?看護大のトップの方か医学部は一体どういう勉強をしているのだろう?シラバスでも盗み見に行こうかというところだった。



ところがそれは図書室にあった!今日はぶらぶらしたい気分だったので昼休みに司書さんに聞いてみたのだ。以前、別の学年の人が司書さんに「○○みたいな病気の人にはどうすればいいですか」と聞いて、司書さんはすらすらと答えていたのだ。なに!?看護学校の司書とは本のプロでなくて医療のプロなのか!?と思いつつも、元気が無かったのでつっこまないでいた。それで今日は「そういう気分」だったので踏み出して、「これこれこういうことを知りたいんですが」と聞いてみたら、ちゃんと「そういう本」が出てきたのだった!
ゴール!



∴看護のみの学校の図書室に行けば、狭いので、途方に暮れることなく見つけることができる。自分のかかった診療科の分類のところに行けば、『○○科』みたいな本があって、その器官のしくみ・主な疾患が載ってる!文章は平易である!なぜこの本が町の本屋の「怪しげな健康コーナー」に並ばぬのか!!!





ところで、私が自分の病気について知りたいのは、「原因」「病気となるしくみ」「今後どういうことが起こりうるのか(どういうことに気をつければいいのか)」の3点に集中する。病院で説明されてもうっとうしいという人もいるらしいが、逆に知りたいという人がいるとして、何を知りたいのかは分からないので、とりあえず自分が知りたいことを基準にして調べることにした。病気ごとにその3点をまとめたものをコツコツと溜めていくことにした。ただし「原因」「今後どういうことが起こりうるのか」という答えを見つけるのは大変そうである。ただし「主な病気」とその「症状」「治療法」などの大まかななことはたった1冊でカバーされている。まずはこれでゴールと言ってよいだろうと思う。
内田春菊は若い医者を卓上の知識とバカにしていたが、私もそんな医者は怖いが、でもいざこれから病院に出て行こうとする者としてできるのは卓上の知識を豊富にすることだろう。私の学校の看護学生は病院実習に行ってからそういうことを始めるらしい(でももしかしたらその直前に授業でやる気もするな…私は早まっているのかもしれない)が、医者や他の看護学校はどうなのだろう。やはり、もうちょっと余裕が出たらシラバス盗み見は実行しようと思う。

この疾病ファイル化は、世界各国のことを調べていた時と似たような感覚である。

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