himajin top
ヒポコトリの「書を捨てないで 町へ出る」


今日
昨日  since20030313

はじめまして    chCCygEPcF

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2010-06-27 ティッシュ配り(サンプリング)をする
2010-06-13 初夏の日記
2010-06-02 非正規雇用もどき日記2
2010-06-02 非正規雇用もどき日記1
2010-05-23 国際協力(医療系)
2010-05-23 ↓の訂正…
2010-05-13 自分の病気について詳しく知りたい人のために
2010-05-11 私は20代で手に入れた感覚ですが皆さんは…
2010-05-10 平和の病
2010-05-05 英語のいいところ


2010-06-27 ティッシュ配り(サンプリング)をする

ティッシュをはじめとした、街頭で何かを配る仕事を、業界ではサンプリ
ングという らしい。ハッ ふざけた名前。日払いの仕事に片っ端から手をつけ
ている私はついにあの街頭チラシ配りをやることになった。ティッシュな
らまだしも、チラシ!わたしは受け取ったことがない。いやそれどころ
か、わたしの生活圏にいる「サンプリング」の人たちは皆気分を害するタ
イプなので、ティッシュさえまず受け取らない。気分の重いまま、仕事場
に向かった。


しかし結局わたしは「多い人で◯◯枚配る」の◯◯枚の2倍を配り、「で
もいくら枚数配れなくても、店に◯◯人案内できる人の方がもちろん優
秀」の◯◯人を案内した。

ただしこれは報われるわけじゃないので(出勤簿みたいなところの
空白に小さく自己申告書いておわり)、とても毎週やろうとは思え
ない。

その後は、「サンプリング」の人たちを見る目が変わってしまった。個人
的に最悪だと思うのが

・遠いところに出される
→欲しいかもしれないと思ってた人がとれないことがある。シャイなわた
したちは自分の領域から出にくい

・何を配ってるのか分からない
→「お願いしまーす」意味がわからない、おめえの仕事をお願いされたく
ない
ティッシュ以外は、「都内の店のクーポン券です」「アルバイト情報誌で
す」「コンタクトの割引券です」「シャンプーの試供品です」など言わな
いとわからない。ティッシュも、「武富士でーす」とかより「武富士から
ティッシュによる広告でーす」…までいかなくとも、「武富士のティッ
シュでーす」なり言われた方が私は気持ちいい。ちなみにホットペッパー
配布集団はうっとうしいので私は是非やりたくないし近寄りたくないが、
もし自分で考えたセリフで喋ってる人がいたら受け取りたい。

・対象を選ぶ視線を送ってはいけない
→選ばれようが選ばれなかろうが、不快である。できれば選ぶ時は下半身
に視線を送った方がいいと思う。対象に制限があるために配れない人が来
たと思ったら後ろを向いて作業をするなどして不快な思いをさせないよう
にする

・邪魔になってはいけない
→人の波が自分をよけてくれるのではなくて、基本自分が端にいて、人の
波に近づく形が人の営みだと思う。出すぎてしまったら端に戻る

・自分の目の前を過ぎてから受け取る人がいるので、ぎりぎりまで差し出
す。ただし疲れている時に最もミスしやすいのがここだと思った。結構神
経を使う

・人の波が多いと、受け取ってもらえる率はむしろ下がる

・左右の手にスタンバイし、どちらに来ても出せるように準備する

・わたしは頭が悪く始め気づかなかったが、波が大き過ぎて直接声掛けで
きなかった対象をとばして次に人に出してはいけない。これこそまさに、
人を選んでいる風。1回の声を2、3人分のためにする
時の意識の切り替えに手こずった。

・その他、風俗店のティッシュとか特殊なものはその事情にあわせた手法
が望ましいと思われる。インドカレー屋の人とか、ファスト接客的愛想なん
てまるでないが、非常に好感的である。

おもしろいと思うのは、自分の声掛けで人の視線が変わる(こちら
側をみる)現象。その時の視線の動きが無ければ、まず受け取って
もらえない。貰ってくれるかどうかというより、単純におもしろい。ファ
スト接客のおもしろさに似ている。

先頭 表紙

[選ばれようが選ばれなかろうが、不快である]……確かに!!! / みなみ ( 2010-07-01 22:11 )

2010-06-13 初夏の日記

+月;日

またもや他の医療系団体に侵入する。非常に刺激的であると同時に、どこか違うなという感覚が残る。数日後、その違和感は滅私で拭えるものでもあり、反抗もできるなというものでもあるという認識をする。けれどこの瞬間には言葉にできないものであった。帰りながら、また別の日日本を読みながら、この感覚を言葉にしてみる。

「現地で金銭を持たぬ人に奉仕治療をする、しかし自分は給料をもらい(ここまではいい、しかし家族を養うことと保守の悪は通じているのではないかとも思う)、そして現地でバーベキューをする。OK、それもOKとしよう、しかしその話し手は、活動することのよさのひとつに現地での話が酒の肴になることといい、バーベキューの肉の硬いことに触れる。」

「OK、それは私たち先進諸国人に向けてのリップサービスだとしよう。けれどそこを除いてもだ、ここに流れる空気に耳を傾けてみよう。質問するために残ってみた。けれど他の人が質問するのを聞いているうちにそれで足りてしまった。いつの間にか自慢大会になっているようだ。採用担当者はうまくかわしている、あるいは”我々に必要なのは人間性ではなく、多少の人間性と多大な能力である”ゆえに聞かなかったことにしているのだろうか」

そそくさと会場を後にした。

これが例の目標設定、数値設定、統計分析だろうか? 物質的に人の命を1人でも多く効率的に救うこと、それは、病ある人にとってとてもありがたいことだろう。ああそうだろう、だからとりあえずここを1つの目標に、今なすべきことが見えてきたから、とりあえずそうしてみるよ。けれどそうではない団体が精神面をクローズアップされて取り上げられているのも、おもしろいことだ。



*月O日

朝飯を食べないと、胆石ができるらしい。寝ている間にも肝臓がつくる液が、朝食べないともてあまされてしまって、質が悪くなり、石になるらしい。(肝臓でつくったある液体は胆嚢にいく。)

胆石ができたわけではないが、この前早く寝たので朝飯をしっかり食べて学校に行ったら、えらく調子がよくてびっくりした。逆に、その数日前には朝飯もろくに食べず、コンビニなんかの油っこいパン1つをちょいちょい食べて、夕方のボランティーア前にうどんを食べて細身ズボンを履き、コーヒーを頂いたら、下痢になってしまった。あれは体調からくる下痢だろうと思う。

普段の日に、調子がよいというのが嬉しいのは、数年来味わわなかった感覚だなと思った。健康すぎると、退屈なのだ。辺見庸の苦労とは比較できないだろうが、しかしこういうことだろうなと思う。でも今は健康でないとやっていけない世界にいる…。

ところで、自分が「からだの俗ネタ」で満たされてしまいそうで、おそろしい…あっているかもわからないことを、鵜呑みにするしかない現在。自ら勉強せねば………しかし本はどこに? それにプチ医者を目指すなとも言われる……… 優先すべき勉強は他にあるらしい…

先頭 表紙

2010-06-02 非正規雇用もどき日記2

3.登録制のバイト
昔もやったことはあったが、業界が成り立っていることは知らず、あまり仕事のないところに登録していたことに気づき、改めて複数登録しにいった。
私はここを書きたくて今日記を書き始めたのだ。そう、今日の電話対応の女がサイアクソだった。大抵登録に出向いた時の会社の雰囲気で、普通の人間の営みを超えてしまっている社員さんであることは分かっており、期待はしていなかったのだが、電話をすると時々「ウソあんたの人間性惹かれるわね」というような人もいる。しかし今日はサイアクソだったのだ。まず、形態電話に会社からの着信が残っている。留守番電話もある。週末の予定が空いていたら仕事を頼みたいのですという内容である。大体ピンとくるのだが、おそらくこの電話は人の営みを無視していると思った。なぜなら、私は既に土曜の仕事を申し込んでいる。それに、不足している現場も、HPを見ていればこちらも分かるので、別の仕事ではないだろう、日曜のではないだろう、と分かるのだ。つまり、登録者リストの上からテキトーに電話をしているのだろう、申し込んでいる人を除外するより効率がいいから。とはいえ、日曜の仕事があるのなら私も入りたいし、電話かけられておいてかけ直さないというのも失礼だなと思って、30秒20円もかかる電話で、10分しかない休み時間にかけ直したのだ。その時の女がサイアクソだったのだ。まず私をその現場に入りたい人だと勘違いして、もう埋まっちゃってますねー、という。言葉が自分の都合によって変換されている。そしてそうではないことを伝えると、確認の電話ですかー?という。2度目の変換である。しかも「確認の電話」というのは昨日済ませるべきであったのであり、「1日遅れでかけてくるペナルティ人」とみなされている。私はそれでも失礼な対応をしないよう、そうではないことを伝えると、何のクッション言葉も、「会社による間違い」という設定もなく、何も何も何も何も何もなく、じゃあそれは違いますねーという感じだった。ここまで、私はアルバイトとしての名前をまだ名乗っていないので(かかってきた番号はチェックできるかもしれないが)、失礼しましたと言って失礼なタイミングで即座に切った。小さな反抗であった。
これを、いわゆる非正規雇用の世界の人は日々繰り返しているのだろうか?そういえばこの前の仕事で隣にいた男性は全ての思考が「そういうもんだ」となってしまっているんじゃないかなという印象をうけた。まあ、登録者は学生メインらしいが。ちなみに就職活動者は雇いたくないらしい。でも働いてる人に聞くと「つなぎの仕事にいい」というので、まあ就活人は多いだろうと。
私は普段の世界が狭い世界なので、こういう世界はこういうのでありがたいし、一期一会の感覚が楽しいのだが、だからといって気持ちよくない人は…
まあわざわざ書かなくても、学校に入ってからというもの、毎日のように嫌な経験をするのですが(今日はいい日だったが、「今日はいい日である」というのはいい日が週1くらいだから成り立つ言葉だなあと思う)、非正規雇用系は読めばおもしろがる人多いと思ったので書きました。


ところで、世の中にはIQの高さを活用したアルバイトがあるようである。それは高給さから言っていわゆるアルバイトではないだろうというレベルらしい。私の思考回路ではそれに縁が無かったが、ほとんどの人は縁が無いらしいので、これでいいかと思うことにしている。

先頭 表紙

2010-06-02 非正規雇用もどき日記1

 お金を稼がなければいけなくなったので、今やっている週1のバイトとは別にバイトを探していた。2週間ほど考えているうちに、登録制のバイトを選んだ。8年程前にはよくバイトをしていたが、改めて「アルバイトを探した」のはその時以来だった。大学時代は学内に勝手に貼ってある(掲示の既成がゆるかった)もので足りていた。それに、偶然かもしれないが、世の中に「この仕事なら一生やってもいいな」と思える仕事に出合えたのも大学内に掲示されていたものだった。実際選ばなかったが、この出合いは大きかった。何の仕事も続けられそうにない、という意識の変革だった。つまり、大学外に掲示してあるアルバイトは、いくつやってもよいものが一個も見つからなかった、ゆえに大学外で探すことがためらわれていたということだ。
 アルバイトを探して、8年前の方法ではうまくいかないことが分かった。コンビニにあるフリーペーパーや100円の情報誌では見つからないのだ。同じ情報がネットで無料で見れることに気づくのにも時間がかかったが、そこからも見つけられなかった。おそらく、まず初めに探した場所がセオリーじゃないし、加えて自分の希望が厳しかったのだろう。
 結局は、業界を決めて、大手らしいというのが数個あるということをネットで知り、ネットで検索して決めた。
 アルバイトを探しているというのは結構楽しいもので、新たな選択肢を思いついては自分の人生をロールプレイングして楽しんだ。

1.コンビニ(希望条件:週1〜2、朝の〜8:30、近場)
近場で探すのが楽しかった。6:00〜9:00というくくりが多いらしい。聞かなくても募集を出しているところがあったが、そこは前から対応がよくなくて好きではなかったのでためらっていた。週2というのはよかったが。もう一方の対応の気持ちよいコンビニは募集を出していなくて、聞くかどうか迷っているところだった。結局、「レギュラー」のバイトを週1以上増やすのは私に向かないと思い、やめようと思っていた頃に、登録制のバイトから不足のところに入りませんかという電話があってそちらに向いた。ところで、この「一期一会を好む」「決まりきった職場が嫌だ」という自分の好みを確認しては、山谷の本に書いてあったことを思い出した。

2.パン屋(希望条件:同上)
やはり「対応の気持ちよい店で自分も気持ちよく働きたい」という思いが強く、それと朝やっているところということで駅前のパン屋が選択肢にあがった。しかし隣駅であること、週3〜という条件からして却下となった。

先頭 表紙

2010-05-23 国際協力(医療系)

国際協力(医療系)の一般人向け講座に参加した

驚いたこと
・途上国は子供を沢山つくるが、何人か死んでしまうから多く作る。子供が死ななくなれば、作り過ぎなくなる。
・「コンドームの配布」が参加者から簡単に口に出ることが多かったが、私はそういう質の悪いことは質の悪い結果を生むと思う。
・現地活動を何年もしてる人の話。「カトリックはふまじめでプロテスタントはまじめ」と言った。「だからカトリックの多いこの国では教会に行かない」ええーうそだその論理。こういうことを扱う、宗教伝播形成変化学みたいなものはないのだろうか。
・この国が福祉予算を出せないのは、道路なりなんなりを作っても、多国籍企業が利益をもっていってしまうからだそうだ。けれど参加者はあまり関心は無いように感じた。それとも当然知っていたのだろうか。ここが根元だろう、そして力の無さを感じるところだろう。

先頭 表紙

2010-05-23 ↓の訂正…

わざわざ看護学校に受付などの人とメンドーなやりとりをしなくとも、本屋に行けば済むことが分かりましたっ

新刊書店は新宿か神保町か池袋というイメージなのですが(東京しか分からずすみません)
知りたいことは初歩なので大きい本屋だったら置いていそうなものです。
見やすさで選んで新宿のジュンク堂に行きました。


話は変わるけど
看護学生は『レビューブック』というのを持ってる人が多いらしいことに気づきました
毎週1日だけ移動本屋さんが来ますが(という頼りない本屋事情ですが)、
そこでこの『レビューブック』がでかでかと並べられていました
そして周りの1年生が買っていくんですよ…

値段を見て5000円!
今日見つけて気軽に買えるものじゃないので、前からチェックしていたということなのか
しかしつられて買う人もいる…
これは本当に貧乏人が来るので有名な、貧乏ネタでブラックジョークを言われる講師のいる学校ですか!?

中を見てみてびっくり、疾病別ファイルが行われている……!!
やっぱり存在するんじゃないか、司書さん…私の伝え方、間違ってましたか…
ただし、カラーが目にうっとうしいのと、国家試験向けの構成なので、ここに書き込んでいくにしてもまだいらないかな…と思った。

だから「資本主義」と「新刊書店の取次の存在」に用心深い私は、大きい本屋に行って類似品を見つけて品定めをしにいったのです、新宿にも用があったので




残念ながら『レビューブック』の類似品は無く、代わりに『今日の診断指針』というのを見つけました。どちらとも平積みの扱いなので、難しいコーナーに迷い込むことなく一般人でも見つけられました。平積みって怖いなあと思うんですが、ここは素直になってもよさそうです。
これです、『今日の診断指針』1冊で入り口になれると思います。
2万円ですが…。
あともちろん知りたいことは全て載っていませんが…


あと医学書院の系統看護学のシリーズもよいかと思います。診療科別にあります。結構心打たれる文章が時々あって、看護ってなりたいと思う人ならなれる職業だからいまいち疑いながらなんですが、希望を抱けるなあと思いました。なんか時々オカルトまがいな記述もありますが…。「あたいの病気の知識はけっこうあるのよ」って方もおもしろく読めるんじゃないかと思います。


そういえば校長がオカルトだということが分かりました。
ああいった授業をされると、一日イライラしてしまいます。

先頭 表紙

2010-05-13 自分の病気について詳しく知りたい人のために

最近はもう、頑張りたいのに頑張れない、「頑張りどころ」の見つからない、けれど日々は過ぎていく、そんな焦る日々が続いた。しかし今日、これからしばらくの仕事を見つけた!


〜私にとってゴールに近づくまで〜
まず「近所の本屋」に答えはないだろうというのは分かった。
そこで病院に「患者用の図書室」というのがあったので、期待して行った。これというものは無かった。
医学部のある大学の図書館という手があるのだろうなと思ったが、絶対に途方に暮れると思って近寄らなかった。
看護学校に入ったはいいが、あまりの図書室の狭さと埃臭さに近寄らなかった。




今は身体の構造・身体に関する化学反応・看護の理論という、かなり漠然とした勉強しかしていない。身体のことを知る勉強は楽しいが、このペースでやるとしたら、間に合わないんじゃないか!?と思った。これは、私の学校が専門学校だからなのだろうか?看護大のトップの方か医学部は一体どういう勉強をしているのだろう?シラバスでも盗み見に行こうかというところだった。



ところがそれは図書室にあった!今日はぶらぶらしたい気分だったので昼休みに司書さんに聞いてみたのだ。以前、別の学年の人が司書さんに「○○みたいな病気の人にはどうすればいいですか」と聞いて、司書さんはすらすらと答えていたのだ。なに!?看護学校の司書とは本のプロでなくて医療のプロなのか!?と思いつつも、元気が無かったのでつっこまないでいた。それで今日は「そういう気分」だったので踏み出して、「これこれこういうことを知りたいんですが」と聞いてみたら、ちゃんと「そういう本」が出てきたのだった!
ゴール!



∴看護のみの学校の図書室に行けば、狭いので、途方に暮れることなく見つけることができる。自分のかかった診療科の分類のところに行けば、『○○科』みたいな本があって、その器官のしくみ・主な疾患が載ってる!文章は平易である!なぜこの本が町の本屋の「怪しげな健康コーナー」に並ばぬのか!!!





ところで、私が自分の病気について知りたいのは、「原因」「病気となるしくみ」「今後どういうことが起こりうるのか(どういうことに気をつければいいのか)」の3点に集中する。病院で説明されてもうっとうしいという人もいるらしいが、逆に知りたいという人がいるとして、何を知りたいのかは分からないので、とりあえず自分が知りたいことを基準にして調べることにした。病気ごとにその3点をまとめたものをコツコツと溜めていくことにした。ただし「原因」「今後どういうことが起こりうるのか」という答えを見つけるのは大変そうである。ただし「主な病気」とその「症状」「治療法」などの大まかななことはたった1冊でカバーされている。まずはこれでゴールと言ってよいだろうと思う。
内田春菊は若い医者を卓上の知識とバカにしていたが、私もそんな医者は怖いが、でもいざこれから病院に出て行こうとする者としてできるのは卓上の知識を豊富にすることだろう。私の学校の看護学生は病院実習に行ってからそういうことを始めるらしい(でももしかしたらその直前に授業でやる気もするな…私は早まっているのかもしれない)が、医者や他の看護学校はどうなのだろう。やはり、もうちょっと余裕が出たらシラバス盗み見は実行しようと思う。

この疾病ファイル化は、世界各国のことを調べていた時と似たような感覚である。

先頭 表紙

2010-05-11 私は20代で手に入れた感覚ですが皆さんは…

ここ最近手に入れた感覚がある

その感覚は、「象徴的な何か」である、つまり記憶にあるものではなくて、頭の中で作り出したもの

大体が創作物を消費している時に起こる。そうでなければ、夜中とか、起きた後とか、宵に起こる。つまり、宵に外を歩いて音楽を聴いている時とか、寝起きに絵を見たときなどは、よく起こる。


かなり感覚的な何かである





その2次的なものなら言葉に言い表しやすいので、体験したことのある以下に箇条書きにしてみる
・    の絵
・ドラえもんのファミコンの音楽
・沖縄の湿度
・オーストラリアの湿度

先頭 表紙

2010-05-10 平和の病

平和の病の一つは、保守的なところだと思った出来事があった。

講師で、どこの出自だか分からないが、医療界の小ネタにやたら詳しい人がいる。半信半疑で聞いている。

エイズの話の時。「いったん臨床医になったが高校生の性教育が重要だと思って医者を辞めて保健体育の高校教師になったという有名な人がいるが…」と心打たれる何かを話し始めたと思いきや、話し手がこの人である限りそんなわけがなく、やはりそれはネタだった。高校ではなくて小学生エイズという単語を出したかっただけらしい。「僕も発起してそうしようかと思ったけど、もう高校生じゃ遅いんですね、小学生エイズが…」といつもお決まりの可愛い系下ネタで三流落語家に落ちぶれたのであった。要は被せればいい、という話。



ろくな性教育を受けた記憶はない。

だからといって、どのような性教育がいいのか、分からない…(この人のでないことは確かだ)

しかし、今の所一番ハッとさせられた話がある。読み返そうと思った。





『セーヌ左岸で』犬養道子
「もろはのナイフ・性教育」から要約
コンドームについて聞かれた教師が、逆に聞き返した。
13歳の生徒は「妊娠させないための道具です」と答えた。
教師は「あなたはものごとを否定的にしか見ないのですか、いつもはそうじゃないでしょう。例えばナイフは何ですか?人を殺す道具ですか?」続けて「避妊とは、2人が深く考えて、お互いと子供のためにいちばんよい時期に生むための道具です。それは肯定的なものです。逆に否定的な意味で使ったとき、人の倫理からそれます」
ナイフは便利なもの、火も、水も、けれどよいものがすべてひっくりかえったときに怖ろしいものに変わる。一時期「刃なし運動」がはやった。ナイフの事件がはやったからで。しあしそれは「すべての人間はナイフを見たら殺人をしたくなる」という理論を前提にしている、それは人間の否定だろう。
性教育はそれに似ている。





犬養道子の本はこの時代のものしか読んだことがないが、ヨーロッパと日本と、背景の違う間でどう相手の文明を生かせるか、という視点が抜けているのが気になる。それでこそ今巷に溢れている本に多い。でもこの時代はそもそもその情報自体レアなものだったのかもしれない。それならこのきつい口調も理解できる。

しかし、文化の分析のおおよそは30年前と変わっていないと思う。日本は画一的だ。多数決が民主的だと思っている。話し合いは権力が勝つことを知らない。



ところで、平和の病とは私のことである。
この授業、初回はあまりの「(知識を売り物にする)知識人ぶり」に耳をふさがずにはその場にいられなかったが、今では平和な日常の中を繰り返す日々の中では、むしろこういった方が、短絡的な刺激の方が、歓迎しているのである。これが非独学の病か。その人の役立つ場所は偶然見出される、あいまいな世の中、これが世の中か、と思った。

先頭 表紙

2010-05-05 英語のいいところ

私にとって外国語のいいところは、自分と他者を離して見ることができるところです。


常識を自明のものとして伝えてくるメールには閉口します。そこで、TOEICの問題集に載ってるメールの文章かのように見なしてみます。すると、そういう人もいるんだなと思えます。


心ない新聞屋の電話に対して、英語のCDだと思えば、もやもやが消えます。



それは他者と分かり合うこと=妥協点を見つけることの諦めでもあり、
生きていく知恵でもあります。


あるいは、私はかなり、いわゆる日本人で、どんな人とも同調できるものだという認識につかっているということです。それは、上のことを英語がどうのこうのと持ち出す前に、難なくやってのけている人が結構いるからです。




あるいは、
「こういう口調の人はこういう人、こういうことを言う人はこういう人」
「この表現はこういうこと、この表現にはこういう背景がある」(例の、政治家/行政家語とか…)
ということが分かりすぎてしまう自分の国の言葉に疲れています…


∴頼みたい新聞を頼める店がありません…

先頭 表紙


[次の10件を表示] (総目次)