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ヒポコトリの「書を捨てないで 町へ出る」


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2010-03-28 社会学の、あのスカッとしない感じについて
2010-03-26 読んだ本
2010-03-26
2010-03-26 追記(宮本政於)
2010-03-23 2時間単位で読める本(美術で食べて生きたい人への仕事作りの提案)
2010-03-23
2010-03-23
2010-03-15 ユートピアだより
2010-03-13 今週のサザエさん
2010-03-11 2時間単位で読める本


2010-03-28 社会学の、あのスカッとしない感じについて

 私の読書歴はなかなか頼りない。初めて読みきった!と思ったのは中1『シーラという子』トリイ.L.ヘイデン 破天荒な少女には永遠の憧れが花開いた。それは今も続くが、少女少女というあの最近の絵画を見ると若者として恥ずかしくなる。ジブンノコトバカリデスカそれは時代の真なるものかもしれないが”現代性のある芸術”など興味無い!しかしこの本のテーマは学校不適合児童についてなのだろう。
『バイトの達人』で遠藤周作と村上春樹と椎名誠を面白いなと思い、それは後にキリシタンと若気の至り(昔こう言われていたのを読んだ)と嘘つき野郎に変わった。
 冗長なので話を飛ばすと、宮台真司を読んだ時に何だこの回転の速い感じはと衝撃を受けた。梨沙子ちゃんの舞台挨拶に来ていたので知った(湘南瓦屋根というのに元天才超能力少年という役で出ていた)というのも、それはお気に入りになってしまうだろうというものだ。
 でもこの界隈の人の言うことをいくら読んでもなんか悪徳商人みたいな感じがするのだ。役に立つとしても、マーケティング的なこととか…。時代分析なんて枝葉末節で消費っぽくて嫌な感じがする、なのに視界に入ってくると気になるなと思うのがスカッとしなかった。商業と仲が良いのかもしれない。
 私は秀才によく憧れる…といっても現実で出会って惹かれるのはまた違うタイプだが、宮台、東、佐藤優はそういう意味で流行った。(子供にもそういうことを期待するタイプなのだろうかと今から怖がっている。)そのうちケインズにも憧れたりするのか。今は落ち着いて、それはよりよい何かにつながるのかどうか、秀才より善人だなという風に見るようにしている(善という言葉の後ろには泥臭い努力批判が含まれているのだろうか…まだ知らないので使う)。「おもしろい」は本当危険、と。



 なのでこれでいくことにした

「九月十八日
社会学という名によっておこなわれている思考方法と討論の大多数のものは、人間生活の改善にかんするかぎり、ほとんど価値をもたないとわたくしは考えている。その理由はそれが真実でないとか、それのあつかっている諸問題があまり重要でないとかのためではなくて、人間の制度の予想される結果や傾向についての、多かれ少なかれ思弁的な性格の情報はそれだけでは、その制度を改善しうるものではないようだということである。社会の改善のために必要なものは、人びとがその行動の可能な結果に着いて詳しい情報をもつことよりも、むしろ人々が正・不正のするどい感覚をもち、商売のように、これを適用することがもっともやりにくいところもふくめて、「正・不正」の考えを生活のあらゆる諸関係に適用するよう自覚し、その認識にもとづいて行動すべきことである。〔われわれは?〕もっと多くの知識をたしかに必要としている。しかしそれ以上に必要なことは、われわれのもっている知識にもとづいて行動するという傾向である。そしてわたくしが社会学者一般に不平をいいたい気持になるのは、かれらが直接の義務についてではなく、遠い結果に注意を集中している点であり、また罪の代わりに不便を、良心の代わりに社会の福祉をおくことであり、その結果世界は破壊の町からとびたった悲惨な罪人であると感ずることをやめ、未来の可能性について思弁をめぐらすことにより、今日の責任を免れようとすることである。」
R.H.トーニー『ある歴史家の時代批判――第一次大戦前夜の日記』p70-71

先頭 表紙

2010-03-26 読んだ本

『ガセネッタ&シモネッタ』米原万里

p168
 この話を聞きながら、二〇〇〇年ほど前の古代世界では胡散臭い新興宗教の一つにすぎなかったキリスト教が、(中略)プロテスタントは、これに対してあくまでも個人の内面的な悔い改めを求めた。しかし、どうしてもそれでは心の平安が得られないという信者が続出して、結局、牧師への告白を認めたらしい。カトリックの人身掌握術の方に軍配が上がった形になった。自分一人で抱えきれないからこそ聞き手を求めているのに、神や仏に告解せよ、つまりはおのれの良心と向き合えと説くのは、大多数の人々には無理な話だったのである。


(おのれの良心の話について思うこと…
 中学1年の時の無記名アンケートで「相談ごとをする相手は誰ですか」というのがあった。私は思い当たらなかったので「自分」と書いた。後日担任がホームルームの時に「自分て書いた人がいて、」と言って何が言いたいのか分からなかったが話のネタになっていた。私は自分はおかしい人なのかもしれないと思ったが、自分の頭で考えてアンケートを書いた自信はあったので特に傷つきはしなかった。

 小学4年の時、あとで思い返せばおそらくいじめアンケートみたいなものがあった。4年になって何となく友達の感覚が違うなと思うことがあったので、それが女子というもんだろうなと思いながらも「冷たいときがある」みたいなことを書いた。そしたら後で先生に呼ばれて、詳しく聞かれて、親に連絡された。詳しくといってもそれ以上話すことなどなかったが。そもそもそのアンケートは、誰にも言いませんから素直に書いてくださいというアンケートだったのに。

 保護者会のある日は、廊下が無礼な肉の塊になって、香水臭くて、それで先生と親しいらしい、幅をきかせている「○○ちゃんのお母さん」みたいなのが存在するらしくて、気分が悪かった。月に1回くらいそれを経験する度に、「私もこれにならなくてはいけないのか…なら子供は生めないかもしれない…」と思った。

 小学5年の時に、通知表をもらって、右下に人物評価みたいなのがあって、私はここがどうすればあがるのかさっぱりわからなかった。先生は「大事なのは左のじゃなくて右下のですからねー」と言ったが、私たちの毎日は、国算理社…というものしかないはずなのに、ひどい話だなと思った。)

先頭 表紙

2010-03-26 〃

p118
柳瀬 いや、「英英」と「英和」と両方ですね。ただぼくはほとんどの英和辞典に不満で、つまりやや厳しくなるけれど、日本の英和辞典を作っている人たちは英語の実例を知らないんですね。読んでない。読んでない人たちが、いかに多数集っても、これは編集部に迷惑をかけるだけで、これぞっていう訳語は浮かび上がってこない。これぞという例文は選ばれないでしょうね。

p132
いや、わたしは翻訳者の質だと思いますけどね。ある意味では、農奴制時代もそうでしたし、ソ連時代もそうでしたけど、ロシアというのは長いあいだ、市場原理の支配下になかった。だからあまり気が散らないで、あることに集中できる。ものすごい集中力を発揮して仕事ができるんです。凝り性じゃないといけませんでしょ、よき翻訳者は。それができる環境にあったんですね。
 かつては金儲けのことを心配しなくてもいい貴族だったり、あるいは共産主義時代は、ある能力があれば、それだけで保障されますからね。その本が売れようと売れまいと。そういう環境、市場原理ではないところが芯にならないと、文化はなかなか発展しにくいと思うんですよ。もちろん市場原理の刺激も必要ですけど。
 市場原理にからめとられると、やはり英語がいちばん効率的になっちゃうんですね。一番多くの人が話すし、辞書にしても本にしても、英語であればいちばん売れます。ところが、市場原理を離れると、実はどの民族にも価値がある。どの民族にも面白い歴史と文化があるわえで、それを知るためには、それぞれの言語をやらなくちゃいけないんですね。市場経済はこれを省略しているんですよ、効率一辺倒ですから。

p141より
『博士と狂人』
OEDの編者ジェイムズ・マレーとその協力者(精神病院に入れられた金持ちで暇なある人)の話

p241
永井 ある女性言語学者が男言葉・女言葉の起源についてこんなことを言っています。もともと方言の中には性差はなく、ほとんど同じ言葉をしゃべっていた。それが、儒教の男尊女卑思想が浸透してきたことで、江戸時代になると、女性の言葉づかいがうるさく言われ、明治維新以降の良妻賢母教育で締め付けはいっそう厳しくなったと。

p267より
プロコフィエフの「ピーターと狼」

p283
 日本語に「国際化」という単語はあっても、英語ではインターナショナリゼーションという単語を使わない。彼らはグローバリゼーションと言う。それが、「自分たちの基準で地球を覆い尽くそう」という意味で、日本人の考える「世界に合わせよう」という意味での国際化とは正反対。

p283より
『ユーゴスラヴィア現代史』柴宣弘、岩波新書
『ユーゴスラヴィア――衝突する歴史と抗争する文明』岩田昌征、NTT出版

『あたしが海に還るまで』内田春菊
『サーカス村裏通り』久田恵
『あなたの知らない精子競争 BCな世界へようこそ』竹内久美子

先頭 表紙

2010-03-26 追記(宮本政於)

斉藤学に良書と言われた方の宮本政於の本をちゃんと読んだら、ちゃんと読めた。同じ著者でも本によってそこまで変わるものかという思いは初めてだった。

『お役所の掟』宮本政於

p40より
お役所の序列
 中央官庁は、大臣、次官(事務次官と政務次官)、局長(厚生省では9人)、審議官(7人)ここまでが指定職という権威のある職。部長(2人)、課長、課長補佐、係長、係員、補助員(アルバイトの女性)

p89
だが役所内の力学を上手に利用して、ときにはマスコミに自分のやりたい政策を取り上げてもらうこともあるようだ。七、八月の政府の新しい政策が新聞紙上をにぎわせたりするのは、有能な官僚、だいたい課長クラスが情報をマスコミにリークするからだ。マスコミもニュースの少ない時期だから、貸しを作っておくのも悪くないと、行政官のちょうちん持ちになる。

p202
私 日本にしばらく住んでいるとわかるようになりますが、役人が新規の政策に踏み切る場合、必ずその背景に、マスコミとか各種団体が不平不満を、声を大にして叫んでいる、という状況があるのです。それに国会議員の先生たちが加わって問題が大きくなると、役人は初めて重い腰を上げるのです。

p207
自分の体に鞭を打つ行為は「心頭滅却すれば火もまた涼し」といった哲学の形態をとり、賞賛される行為となるのです。(中略)昔、快川という禅僧がいたのですが、彼が焼き討ちにかけられた寺と運命をともにしたときに発した句で、精神集中して無念無想の境地に至れば、五感の感覚も失せて火に焼かれても感じないし、どんな苦痛でも耐えられるという哲学です。

p212
 そのとおり、また不思議なことに役所のような集団社会では、教養をみんなの前で出すことはマイナスになりこそすれプラスにはならないのです。(中略)彼は、マキャベリが『君主論』(岩波文庫)での中で「出世したければ、自分がいかに他人より洗練されているかを示してはいけない」と書いてあることをもっと端的に言ったのですよ。

p222
 ジョージ・オーウェルが『1984年』(ハヤカワ文庫)という本で、全体主義社会を批判していますが、その中で全体主義社会を維持していくには、二重思考(ダブルシンク)という考え方が必要だと書いてあります。二重思考とは、ひとつの精神が同時に相矛盾する二つの信条を持ち、その両方とも受け入れられる能力である、と定義されていますが、建て前と本音の使い分けはまさしく二重思考なんですよね。
 きっと日本人は、ファシスト的な権力者がひとつの方向に導こうと思ったら、とても情報操作のしやすい国民ではないですか。


(日本の労働問題に関する現代社会参考書の記述…
日本の三大雇用慣行とその変化
(1)終身雇用制 新規採用をすれば定年まで解雇しないという慣行。社内教育で熟練労働者を養成し、安定雇用を実現する。ただし、1990年代の不況下でリストラが行われ、この慣行は崩壊しつつある。
『一目でわかる現社ハンドブック2007→2009』p164)


日本で使う「戦後」という言葉には近代と産業革命と市場経済が含まれているなと思う。明治〜1929年、明治〜第2次世界大戦に力を入れた日本近現代史みたいな本を探すことにする。

先頭 表紙

2010-03-23 2時間単位で読める本(美術で食べて生きたい人への仕事作りの提案)

『この世でいちばん大事なカネの話』西原理恵子 1単位

 「○○だから△△」という文章をよく使うが、○○と△△がつながっていることを前提にしていて気分悪し。子供の時の体験を繰り返し商品化していますが、それはとてもおもしろいです。
 一番大事なのがお金と言って、本人もお金に振り回されて、変。カール・ポラニー読む方がお金のこともっとわかるし、それ以上のもっと色んなことがわかると思うので、これは読みもの指定です。
 あと巨匠だって仕事で描いてたんだよ、とレンブラントとかフェルメールを出すのはずるいと思う。じゃあゴッホは?と言ってあげなさい。



 ところでまた最近東京都で騒がれた表現の自由とは何のことを言ってるんですか、表現を何だと思ってるんですか、と思う。

 この人は、「学校の課題で描く絵」で、「絵の具を買うのにも非常にお金がかかるのに、お金も生まれない課題の絵を描くより、バカにされてもエロ業界のカットの仕事の方がいい」ということをよく言いますが、だからこそお金が出なくても表現せずにはいられないという人を尊敬しませんか…?おそらく絵描きのほとんどの人はそうだと思い………たいが、確かに絵描き・先端芸術を目指す人にはアッパーと金に余裕ある人は多いと思う。

 本当に少年愛や少女の裸を描かずには表現ができないのなら、発表しなければいいと思います。



 今日いつも通る道に最近書かれたスプレーの落書きを消してる人がいました。結構味のある字体で好きだったが。あの上に色々と描いたら、工業製品に負けない街並みになっていいのにと思う。4,5人の業者がいたから、結構金かかってると思う。あればサービス業だろうか?修理に入るのかな?
 逆に、よく落書き防止みたいな意味でガード下とかに描かれるあの悪い児童書みたいな絵(大人の描く子供の絵、イラスト。しかも子供までもが大人の描く子供の絵を描く)は何なんですかね、新聞にまでとりあげられて…
 だからよりよい方法を思いついた。


企業・行政がフェンスをたてる

夜中に「そういう人」に落書きされる

絵描ける人がそこに似たような画材でうまく乗せていく(コラボ)

それを再び見た「そういう人」は”社会からの疎外感”を感じなくなる、というか、普通におもしろいと思う

たまたまそこのフェンスの持ち主の企業・行政は話せる人で、OKを出す

業者からクレームがつき、流行るまでには至らない


 芸術はアートと分離した方がいいと思います。アートには軽薄な感じがあるのでとても”表現”に使うには恐れ多いです。でも”アート”は人を動かすには非常に効果があるようです。美術的なことだけでなくて、考え方、つまり全てのことに通用するものが多いと思います。

先頭 表紙

2010-03-23 〃

『官僚の官僚による官僚のための日本!?』宮本政於 1単位
 斉藤学が、「医者になった後官僚になってクビになった知り合い」が、官僚のことがよく分かる良書を出したからというんで期待して読んだら、学校の授業みたいに一方的で、我慢のいる本で、辛かった。ふーんこんな感じなのね、と思う。
 一番イヤだったのは、精神病の観念が全然違うんだなと思ったこと。あの有名な、「狂気は社会が作り出す」と言うのは精神病は社会が作り出す、と言うことだと思ってましたが、違うんですか?
 まあとにかく著者含めて日本の官僚の雰囲気を思って、本当か知りませんが、本当に本当に色々な人がいるのだなと思いました。備えようと思いました。
p80
 みなさんからすれば、規制緩和は日本の生産性を向上させるはずなのに、なぜ実現しないのだろう、という疑問がわいてくると思います。
 なぜ規制緩和が進行しないのでしょう。その答えは簡単です。規制イコール官僚権限であり、規制緩和とは官僚から権力を奪い取る結果となるからです。
p81
 日本的ムラ組織は「能力が秀でている人は犠牲になるべきだ」という先進国としてはちょっと信じられない価値観によって成り立っています。
 すなわち、日本的「調和」とは、才能のある人間が犠牲になることにより保たれているのです。
 規制緩和により自由競争の原理が浸透してしまえば、才能のある人はその才能を生かし、より豊かな生活をいとなむことができるようになります。
 ところが、こうしたことあ日本社会に現れると、幻想にすぎない平等を基本においた、日本的集団主義に引導を渡すことになるのです。

p83
 玩具のトイザらスは、従来の日本的な流通経路を通さずに、すなわち江戸時代から大きく変化をとげていない卸売りの制度を通さずに直接に販売をする方式を取りました。

p84
 これらのアメリカ企業がとった行動は、既存の商慣習に打撃を与えることに成功しました。しかし、日本の会社はけっしてこういった行動をとりません。なぜなら、生産者のために国民は生存しているのだ、という考えがその基本にあるからです。

先頭 表紙

2010-03-23 〃

p87
 たしかに、日本的「調和」に飼いならされた国民は、通常は強いリーダーシップを発揮する人を嫌いますが、その置かれた状況により、戦争とかの極端な危機に瀕した場合、なだれを打つように強いリーダーに判断も理解もなしに従ってしまうという危険性があることを、同時に指摘しておきたいと思います。そのよい例が軍部官僚のリーダーシップのもと、国民が多大な犠牲を強いられた第二次世界大戦です。

(ファシズムについてのポラニーの記述…
自由主義的資本主義が逢着するにいたった行き詰まりに対するファシストの解決策は、生産領域と政治領域の双方におけるあらゆる民主的制度の破壊という代価を支払うことによって達成される市場経済の改革と表現することができるだろう。崩壊の危機に瀕した経済システムは、それによって再び活性化することになろうが、当の民衆は、その人格を歪め、政治における責任ある単位としての活動を不可能とすることを目的とした再教育を受けなければならなかった。人間の連帯を称揚するあらゆる形態の思想を否定した政治的宗教の教義から厚生されているこの再教育は、抵抗するものに対して科学的拷問という方法を用いつつ、大量転向という行為の強制によって成し遂げられたのであった。
 このような運動が先進的工業諸国ばかりでなくようやく工業化が始まったばかりの多くの国々にも出現した原因を、当時の人々が常にそう考えていたように、それぞれの国の事情や国民あるいは歴史的な背景によるものであるとするわけにはけっしていかないだろう。ファシズムは、第一次世界大戦にもほとんど関係がなあkったし、ヴェルサイユ条約とも無縁だった。あるいはまた、ユンカー軍国主義やイタリア人の情熱的な性格とも無関係だった。(中略)実際のところ、ひとたびファシズム出現の条件が与えられれば、それに対して免疫を与えるようないかなる背景も、すなわち宗教的、文化的、民族的な伝統も存在しなかったのである。『[新訳]大転換』K.ポラニー p427-428)

p90
 ところが、日本社会では失望する痛みを避けようとすることが優先します。自己愛的同一化が成立していれば、失望による痛みは起こりません。
 日本の多くの精神分析学者は、そうした実態を「モラトリアム人間」母性社会」「甘え」などの概念を用いて説明しています。

p100
 まず第一に新しいことをしようとしてはいけない。国民やマスコミが騒ぎ出すまで待っていればいい、騒ぎが大きくなってから行動しても、相手が望んでいることをしてやるのだから十分に感謝される。
 また、たとえ政策に問題があったとしても、『国民があれだけ要求したからだ』と言い逃れもできる。自分から責任を負うようなことは極力避けるようにしたほうがよい。大過なく与えられたポストをこなせれば、最低防衛庁の課長ぐらいにはなれる」

p116
(サンドイッチバター抜きの話)
 日本人に限らず人間一般に言えることですが、衝動は二つのレベルで制御されます。
 一つは内的なもの、すなわち、個人がみずから事故の衝動を制御する部分。もう一つは、外部からの圧力によって自分の衝動を制御する部分です。他人の目を気にすることにより、自分の行動を決定するのはその典型です。
 また、定められた枠組みに自分を入れることも、やはり外部からの自分の衝動の制御をしていると言ってよいのです。

先頭 表紙

2010-03-15 ユートピアだより

この国には、産業区と自由区があります。(図1:青色が産業区、白色が自由区)

産業区ではお金を稼ぎます。

自由区では、あなたが企業でなければ、付加価値税以外の納税の義務はありません。その代わり医療など社会福祉を享受することもできません。また、行政の監視がとても厳しく、やたらに利潤の多い企業はいません。利潤が大きければ納税すればいいというわけではなく、大抵が何かしら倫理の感じられない経営であるからです。そういう意味では完全な自由ではありません(市場経済をほったらかしにしておくことは経済学ではありません)。自由区では、産業区で疲れた人が余暇で訪れたりします。なぜなら自然が豊かだからです。ただし皆自由区の入り口で車を停めることになっています。なので自由区の入り口には人の喜ぶような自然やホテル・商業施設が造られ、余暇を楽しむ人は主にここで満足します。内部に進めば牧歌的な光景が広がり、更に進むと原生林などありのままの自然がただあるだけです。内部は自然であるので、つまり安全ではないので、時々人が死にますがニュースなどで中継されることはありません。人はそれを当然のことだと知っており、ニュースだと思っていないからです。74チャンネルはある意味で有名なチャンネルですが、このチャンネルをつけていると、「自然郡に行きたいの?なら74チャンじゃなくて本読んだら?危険を娯楽ニュース化してるのを見てる自分を恥ずかしいと思わないの?」と言われます。自由区ではその他に、それまで海外に行っていたような若者のバックパッカー姿をよく見かけます。若者は産業区に帰るとまた職業訓練校生や大学生やフリーターに戻りますが、家族や友人に自由区で出会ったおじいさんの奇天烈な人格や生き方を語ります。外国ほどの文化の違いを感じずに、人間の違いを感じたようです。




義務教育は9年(前期小学校3年後期小学校3年中学校3年)です。

後期小学生には、時間割のようなものはありません。朝集まり、夕方集まるだけです。朝の会が終わると、野球、昆虫採集、図書館に行く、昨日の勉強の続き、などそれぞれ昨日からやりたい事がたまっているので、一目散に教室を出て行きます。それでも教室に残った生徒が10人ほどいます。皆で話し合って午前と午後のテーマを決めて、先生が普通に授業を行います。途中で「明治い新」に興味を持った子が、教室を出て行ったりします。夕方に今日やったことを先生に報告します。

児童手当のようなものはありません。飽食の時代には人が増えすぎることを知っているために、自然に任せて子供をつくっていると地球に負担をかけることになるということを皆が知っているからです。その代わり生まれた子供はみんなで大事に育てます。もちろん何人目手当てのようなものもありませんし、逆に制限もありません。何人目手当てのようなものは個人は喜びますが世界の流れと逆行していると皆知っていますし、産む子の数を制限されることは楽しいことではないからです。ただし、産業区では子を作らない人も多いので、人口は順調に減っていっています。彼らに言わせると、老後の心配はそんなに無いからとのことです。また、児童手当のある時代もありましたが、当時は教育が手薄だったため、無思慮に子供を生む層が社会問題となりました。そしてその時代は老人も子供も多くなったため社会保障支出が急速に増加し、労働層はやや損をしたと言えるかもしれません。しかしその層が増税に愚痴も言わず、民主主義の責任の重さを自覚して思考し、仕組みを整えてくれたために今があります。

先頭 表紙

2010-03-13 今週のサザエさん

3/8月
A喫茶
B駅まで歩いてC大学の図書館が目的だった。でも選択ミスだった。
タリーズコーヒーで声の大きい家庭で育ったんだなという人がいた。パソコンを膝の上に載せる人に話しかけた。
さんまみりん5枚390円を買う。1枚焼く。最高にうまい。
今日は量をこなせた。

3/9火
雪であった。
皮膚科に行った。前回は症状の得体が知れなくて重い気持ちだったのと比べて、今回のなんと何でもないことか。
A喫茶。建物の中のなんと平穏なことか。

3/10水
アルバイトの面接に行った。3/24に入ってみるーというので、どうやら通ったらしい。
踊りの相手を待ってドトールで読んでいた。昨日も今日もあまり進んでいない。相手は結局24時帰りになったので踊れなかった。
さわら2枚400円を2日前に味噌漬けにしておいたものを焼く。やわらかい!
(スーパーのレジ後にある台に置いてあるロール式の薄いビニールをもらい、みそとみりんと酒を入れてもみ、そこにさわらを入れる。1日置いて、みそが魚からとれるように、絞るようにフライパンに出す。袋に残った余った味噌などはその日の味噌汁にしる。)

3/11木
洗濯を2回した。
A喫茶。
勉強会に参加した。勉強会は憧れだったので、私は文学は分からないというのに文学の勉強会に参加した。福光しげゆきのタイトルを岡崎祥久の本を読んだ日のタイトルにしたのは間違ってなかったらしい。そして、寂しいという感覚の中に映画館に行きたいという欲求が結びつくのは間違ってなかったらしい。つまり福田恒存の全体感がどうのこうのという話を読んだ。しかし、喋るスピードが速い、そして切れる、そしてすごく人間に慣れている。どう育てたらあのような秀才になるのだろうか。

3/12金
デニーズ。
青年新聞勧誘家が来た。こういう手法が生き続けるのはどういうことなのか…。特攻隊みたいで怖ろしい人材だった。でも昨日の勉強会でただ「え、これはこういうこと?」って聞く勉強熱心な女学生も同じかなと思った。
A喫茶。
帰ってJに「今日はデニーズにハッピを着た人がおそらく店長でいてね、店が混んできてね、私はいいタイミングで出たと思う、そしたらハッピの人が会計でね、助かりましたみたいなニュアンスが伝わってきてね、ハッピ着てるくせにこんな繊細なことができるのかと思った」と話したら、Jが「そういうのは大抵自分の思い込みの場合が多い」とスパッと切るものだから、新聞の人生相談欄を読むように徒歩で町の人の声が耳に入ってきて、それを主観で受け取って楽しんでもいいじゃない、と言った。というか、主観でしか分からないじゃない、「しあわせもの」には主観でしかなれない、と言って、泣き寝した。

先頭 表紙

2010-03-11 2時間単位で読める本

『決定版 私の田中角栄日記』佐藤昭子 新潮文庫 2単位
p147「徳川幕府が三百年も続いたのは、柳生が外様大名を潰してきたからよ。あんたみたいに政敵を全部閣僚に入れたら、内閣が長くもつわけないわ。あんたは情がありすぎるのよ。」

p165
「河野洋平ら六人が自民党を脱党し、新自由クラブを結成。腐敗との決別というのが、その謳い文句とか。田中批判のブームに乗ったようであまりいい感じはしない。河野一郎氏のような迫力を感じない息子さん。また自民党に戻ってくるんじゃないか。」


思想(考えと行動の選択の推敲)を感じられませんでした。ただプライドのようなものばかりでした。

先頭 表紙


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