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ヒポコトリの「書を捨てないで 町へ出る」


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はじめまして    chCCygEPcF

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2010-02-25 コンクリートから砂利へ  ARCレポート
2010-02-06 「…は今まで難しくてよく分かんなかったのですが、この本はおもしろくて、すいすい読んでしまいました。例えば、引用ですが”これはこういうことで、あれはああいうことである”って、やっと納得がいきました。」
2010-02-03 飛びぬけると煙たがられるのは日本だからではない
2010-02-02 2010年1月
2009-12-31 12/30の読売朝刊が面白かった件について
2009-12-31 今日も過ごせました。
2009-12-30 追記
2009-12-30 今日も過ごせました
2009-12-29 ご飯をつくって、外を歩いて、勉強をして、本を買いに駅に行って、新聞屋のおじさんと話して、健康に終わりました
2009-12-28 わたしは4度目の腸閉塞になった(3)


2010-02-25 コンクリートから砂利へ  ARCレポート

『入門 経済学』大瀧
『スティグリッツ 入門経済学 第3版』
『ミクロ経済学 上下』八田
『入門 経済思想史 世俗の思想家たち』ハイルブローナー
『経済学史』
『医療経済学』大森

をほとんど読んだところ。経済学というのがどういうことをやっているかは大体分かったつもりで、これ以上は手をつけなくていい気がしている。全貌はまだ見えず、分析も素直に眺めているだけで騙されかねない。あとは演習本と入門本が何冊も手元にあるのでそれを消化したい。

 しかし経済学ひとつ取ってももう既にかなりお金と時間をつかってしまった。これでもまだ世の中の持つ見えない落とし穴に抗する武器を10個くらい持たなければならないと感じている。これは、生きるということは、とんでもない荷をしょってるなと思った。でも弥生や封建よりはいいだろうと思った。その内に、では効率化とは国が栄えるため(八田の本で言うと便益最大化のため)、税金を納めるために頑張るものだろうか?高福祉は幸せなことだけれど…というところで、経済学の本が眠たくなってきた。そして経済学部の不真面目学生と話す場を持った。その人は「○○○国は政府と国民の信頼関係が強いから、高負担高便益でうまくいっている。たとえ経済とか政治の勉強しなくても、頑張ったり楽しかったりして生きられる国というのがいい」と言った。それで私は、いやだまた優等生(ただし受験に受からない優等生)になってた自分は、と恥じて3日経った。この3日は楽しかった。

 ARCレポートという神雑誌が世の中にはあると知った。スイスの戦争品輸出のことは明記されていなかったのでどこまで信じられるものかわからないが、税金の制度とか産業別雇用者数とか教育制度が大体分かる本。これが置いてあるのが、非常に頭のいい学校なので、匂いを嗅いでみると、これは優等生だなという匂いがする。そしてそれは時代と環境に作られてしまう、非常識人ほど優等生になっている気がした。ただし私が初めに読んだ素晴らしい経済学の入門書はここの学校の先生だったから、どれもこれも一部だとは分かっている。けれど、優等生が行政を行うことは怖い。ARCを読んでいて、日本はイギリス・ドイツととても似ていた。そしてこの3国は、行政はデータから国の方針を決める、それは保護者にきれいに磨かれたエリート社会なのではないかと感じた。逆にフランスは良かった。ただし、それは国家としての話。

 そして、私が生きている時代は信頼関係は半分くらいしか無いわけだけど、これが絶大な信頼関係となるためには、今の世代の人がちゃんと監視して、お金がかかるけど勉強して、ちゃんとした投票と消費をしていくべきだということで落ち着いた。つまり私はアルバイトを増やそうとしている。


 便益最大化がどうのと言っているのは何何経済学といわれているのか、それ以外とあと『大転換』と、ワルラス均衡を導く功罪のあたりの歴史にいる人のものから手を付け直そうと思う。あとなるべく人と話したい。が、話す相手になりえていない状態。

 城山三郎は大学在学中に傘を持っていなかった、それは外に出なかったから、本を読んでいたから、というが、私はとても贅沢に、家があるのに本を持って外に行ってそしてお金もつかってしまう。1駅2駅で大分勉強環境が整っているので、歩くが、土手と砂利を見ると、心が安らいでしまう。私の子供の頃は、土手と砂利があって、中高生になってからは無かったのだ。変わらないととてもやっていけない時代だと聞くが、変わらないものをひいきしてしまう。

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2010-02-06 「…は今まで難しくてよく分かんなかったのですが、この本はおもしろくて、すいすい読んでしまいました。例えば、引用ですが”これはこういうことで、あれはああいうことである”って、やっと納得がいきました。」

 立花隆の勉強方に従ってみて気づいたこと。本を選ぶとき、私は今までは本としての”おもしろさ”ばかりを求めていた。良書と言われそうなものや、物語のように人を夢中にしてしまう力をもつもののことである。

 ”おもしろい”という感情は、かなり主観的で危険だと思った。世の中を自分に都合よく見てしまう手助け。もちろん、本を読むという人は魅力的な人が多いし、役に立つこともあっただろうが。私も前より感覚器官が喜んでいる。けれど結局こういう私みたいなのは、知らない人よりは、ちょっと知ってるだけで、正しいことは分かってない、そういう意味で、世界を自分に都合よく見るためのものになってしまっているんじゃないかと思った。

 その結果は、本人はエッセンスを集めたつもりでいて、肝心のところは欠けている、という感じ。とはいえ計画的なところもあった。古本屋で安値で揃えて、それをためて僻地で働きながら読むのが夢だな、とか。夢想好きなのか。研究者は目指さないだろうからそれでいいかと思っていたが、研究者じゃなくてもこれはよくないなと思った。積み上げられ本が目に入る度に、先送りして興味を失っていってしまうかのような焦燥感に襲われた。




 そうなのかもしれないと気づいた瞬間が次のとき。立花隆『ぼくはこんな本を読んできた』でいう、


1.”大金”を持って新刊書店をはしごし、

2.以下の本を探し
入門書3冊くらい
史的なもの最低1冊
学説別に3視点くらい
辞典的なもの最低1冊
関連分野のなども見る
読みもの的なものがいくつかあると休憩にもいい   ←←←

3.予算にあわせるために探した時につけたメモを見直す



ここで、メモをしたあとに、「読みもの的なもの」ばかりだったのに気づいて、こりゃいかんと思ったのだった。もっと言えば、今までわざわざ本屋や図書館やネットやらで、チェックしてたものを求める時は、まず9割「読みもの的なもの」だったと気づいた。

 でもそれは、とてもセンスの足らぬわれわれにとっては、しょうがないことだと思った。書評を参考にするし(書評は脇道の方が好まれているようにみえる)、(○○学部の)学生でもなければ、なかなか時間と労力のお金のかかることだと分かったら記憶から薄くなっていく…読んでも教科書的な名著1冊…。逆に言えば立花隆やら佐藤優がやったことというのは珍しいというか、でもこれが珍しいというのは何だか変な話だとも思った。こちらの方が正攻法なはずなのに。





 というわけで、中世ヨーロッパギルドの人たちの人生観を早く知りたいので、体系を早く終わらせて、読みたい。そして、「ヨーロッパだって、飛びぬけることを嫌っていたのが普通だった時代があった。日本の人々は外国に行って、自己主張をしないといけないんだなって、日本って周りに合わせる人たちですね、って思いました、なんて言うけれど、そんな分析どっかで聞いたことある話でつまんなくて、ヨーロッパやアメリカの人がはっきりと主張するのはこれこれこういうことをしてきた近代化っていう流れの一部であって、アフリカの人たちはこういう風にものごとを決めるし、サウジアラビアの人たちはこうだし、日本はもしかしたら50年後にAO入試的自己主張が謙虚にすり替わって美徳はどこか行ってしまうのかもしれない。だとしたらそれは近代化とはどういうことか、歴史とか伝統の軽視がどういうことか、私達が常識だと思っていることはどういうことか、っていう話をあの時した方が真に近かったはずだ。」と、その”おもしろい”だろう本を、”自分に都合よく”解釈したい!

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2010-02-03 飛びぬけると煙たがられるのは日本だからではない

 私も資本主義を批判したいし、町にもそういうタイトルが溢れているので、経済に手を出したら、どうやらその何かいやなものは「資本主義」ではなくて「市場システム」というものらしい。市場システムというのは一般的な語ではないらしいし、この本の著者の話に時々?マークをつけたくなったので、明日も読み進めたいと思う。

 1500〜1700年くらいに徐々に市場システムが現れたらしいが、はじめは、よりよい絹の生産方法とか、いわゆる時間的効率のよい生産方法などは、煙たがられたという。ヨーロッパの話。

 日本の場合近代化して150年くらいなんでしょうか、ヨーロッパの近代化の歴史とは違うから、日が浅いといえるのか急速であったのか時間の量だけじゃ分かりませんが…。けれど、農耕民族だったから、とか空気がどうのこうのとか、色々言う人はいますが、日本人は…とやけに限定的に使う人がいますが、その人の知性は今日私にばれました。



 少なくとも日本人には流れている、目立つ人を気に食わないという風潮は、日本人だからなのか、近代化の問題なのか、地理的な問題なのかは学問に任せるとして、もうちょっと、飛びぬけられることは何が嫌で何が良くて、協調することはどこが悪くてどんな利点があるか、というのを話し合うことをしたいです。この話題に限らず、対話サロンがほしいです。このままでは息が詰まりませんか、と思います。

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2010-02-02 2010年1月

 12月31日昼に実家に帰り、1月20日頃までいた。専門学校の試験と面接を受け、学校の卒業に際しての雑事を経て、今日になった。専門学校の試験勉強は、3教科で基礎レベルだったので、時間がなく大変ではあったが難しくはなかった。12月はひたすら専門向けに作られた教科書のような参考書をやり、1月9・10日に予備校に通って、衝撃を受けて本屋で問題集やら参考書を買って、それから10日間はそれを消費して過去問をやった。秋田県が高校生支援として東京に予備校合宿斡旋みたいなことをしていると聞いたが、そこで高校生が講師・授業のレベルの高さにびっくりした、都市の学生が羨ましいと言っていたその通りで、私も世の中の予備校というやつに通ったおかげで受かったと思う。あるいは逆に、予備校という一義的に言ってコツ売り場というものがなければ一流大学に行きたい人は18年間では受からないのだろうと、嫌な気持ちになった。が、学校の歴史から見ればまだまだ幸せな時代だろうと思うことにした。


 現代文が面白かったのと、高校英語をやらずに英文を読んでいた自分が本当にバカだと思った、のがよかった。英文がおそろしいほど読みやすくなったし、現代文があんなこと(バカの壁、言語論)をやってたとは思わなかった。


 最近、立花隆の本の話を読んで、本人の思想には共鳴しないが、勉強法を真似している。知らない世界が見えてきた。とても感謝している。たとえば、今まで、この会社がのさばったら世の中はよくない、会ったこともない人たちのつくる、何を考えているかもわからない人たちのつくる、野菜や食べ物や家電やらを選ぶことへの真剣な悩みは、無駄でなかったことを、共有できた。つまり、経済学に、「悪いやつがいて、でも悪いやつのやることを避ければ、悪いやつは限りなく0に近づく」という考えがあるというのが、驚きだった(ただここで入り込むのにひと手間かかるのは、悪いやつがいなくなるとはいえ、あの悪かったやつは今何歳だろうか、死ぬのを待てというのだろうか、それを見過ごすことは非常に人工的な何かだな、という思いは扱えないということを、許さないといけないことだ)。


ところで、東アジア共同体の話題がいよいよ盛んなようですが、私たちは帝国時代に日本がアジアにしたことについてまともな教育を受けていないために、非常によくない流れを感じます。国民主権というからには、今こそ2丁目の新築に住んでるお父さん自ら学ばねばならないのでしょうが、お父さんのようにまっとうな生活を送ってる人は、勉強する時間をとれないという、皮肉!

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2009-12-31 12/30の読売朝刊が面白かった件について

・藤子不二雄Aといしかわじゅんの対談
Aが愉快、浜田ブリトニーと話したら言葉が分からなかったのでちばてつやに通訳してもらったという。それでいしかわじゅんが、浜田ブリトニーと藤子さんが同じジャンルになれるというので、マンガってすごいとコメント、愉快。あと、今は編集さんがプロデュースしたりするから、逆に好きなもの描いて、と言ったら何を描けばいいですか、というのとか。美大で言ったら、展示のために描くというやつで、こういうのを、思想がないと呼んでいます。ところで、福満しげゆきは、Aネタをよく出すが、これをどういう風に読むのだろう。何もつまらない(することがない)、フィギアを中野に見に行くくらい、みたいなことを昔言っていたが…しかし、福満しげゆきは思想を持っている。


・鍋の掃除の方法
アルミ製には、りんごの皮を煮て、汚れをとって、数日使わない
ステンレスは、重曹で煮て、汚れを取る
本当だろうか。明日やってみる。

・胎児の微笑を撮影
これへのコメントがいい、川上清文曰く、情動の進化を解明する手がかりが隠されているかもしれないとのこと。

・1面に、小沢さんの秘書の件について、完全に黒として書いているが、ところで東京新聞でこないだ終わってしまった佐藤優のコラムの最後は、自分を重ねていた。つまりよくわからないが、色々な尻拭い先としてこの秘書が矢面に立たされているということだった。新聞は難しいなぁ…

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私も何で書いてるのか分かりませんが… ルソーの『告白』が一番好きな本なのでその影響かもしれません / ヒポコトリ ( 2010-02-02 17:40 )
この独り言日記が続いているのが、悪くない。だけど、他人の日記を盗み見ているような気がしてしまうよ。 / パンツ ( 2010-01-07 21:57 )

2009-12-31 今日も過ごせました。

 ひまじんネットはなにゆえ作られたものなのか気になったので検索したら、分かったのは、株式会社カルディアというIT系の会社がやっているということで、やはり分からなかった。こういう、広告もなく発展したいわけでもない、素朴なつくりの、ブログと言う言葉はなかった、というようなサイトは結構残っているのだろうか。


 今日は最高に調子が良かった。ただ、日が落ちてまだ外にいて、寒さのこたえる気温にいると、内臓が悲鳴をあげてくるようだ。この反応はそういえば数年前によくあったもので、でもここのところは感じていなかったので、やはり今回の腸閉塞はびっくりするというものだ。腸閉塞とは、救急のとこにいたお医者さん曰く、毎日のように見る(本当かな…確かに同じ病棟に1人いたが)とのことだが、入院したところ(外科だったが、以前のとこでは消化器内科だった)のお医者さん曰く、腸閉塞持ちだとしても、なぜその人が今つまってなぜあの時つまらなかったかというのは分かっていない、というようなことを言っていた。だから十何年も経ってからなる人もいるし、というフレーズはよく耳にした。あと酸化マグネシウムという薬がよく出されるみたいで私も飲んでいるが、以前読売新聞で体にマグネシウムが溜まる(不確か)という記事があったので、まあその頃は飲んでなかったので、あらまあと思ったわけだが、今回聞いてみたら、あの記事は変なのでなんとか医師会が抗議文を出しました、と言っていた。国内に?体に溜まったマグネシウムをはかる機械はありませんと。

 そういうわけでまたダスクの時間に散歩に出たわけだが、空はやはり屋上からでないと、あれほどは面白くなかった。犬養さんが30年前の日記でヘラルドトリビューンの意見家がやっぱりいい、というので、IHTたるサイトを覗いていたが、ヘラルド朝日というのを見つけて、近所の朝日新聞の配達やさんで買えないかな、と向かったのです。そしたら、そこで話してくれた人が、人間だったので、とても嬉しかった。あまり町にいると人間になってしまうと言って山探しに向かった人の言う人間ではない方の人間。そしたら駅のキオスクにあると教えてくれた。昨日ネットで調べたらキオスクでもあんまり置いてないとのことだったが、最近は都心でなくても乗換駅くらいなら置いてあるのかもしれない。ところで、医療びいきというので決めていた読売もそろそろ苦痛になってきて、でも新聞で定点観測をやめるのが怖いのでやめてこなかったが(しかも今日12/30の読売朝刊はおもしろかった)、この新聞という人間は、一紙に決めてしまうのは怖ろしいということにやっと気がついた。定点観測をとるか、バランスをとるか、それとも定点観測+キオスクとするか…犬養さんが言う、スイスは田舎でも夕方に土の人々が軽食店?に集まって新聞の話をするという、それがあれば一人で何紙も読まなくてもいいし愉快だなあと思った。ところでスイスの武器輸出は誰が決めているのだろう。

 整理をしていて、2009/9/1のプチ書評欄の切り抜きを見つけて、本は疲弊しそうなので読みたくないが、いい感じの紹介文であった。『やっぱり、人はわかりあえない』中島義道・小浜逸郎著/PHP新書で、東京新聞の月という人が紹介文「(略)2人の対決の背景には、多神教的な包み込む風土に、一神教のもとで発展した哲学がむりやり嵌入している、日本の精神の風景そのものが見える。それにしても漢字が多い! 双方つい観念語で武装してしまうのだろう。観念はわかりあえないのに。これを「語り言葉」でやったらまた面白いのではないかと思った。」最高…!!!

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2009-12-30 追記

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消費税をあげる件について
 日本では贅沢品も生活必需品も同じ税率であることに違和感を感じるのは、税率が低いから、ということのようだ。低いから、5%だろうと0%だろうと可愛いもんだということだろうか。だから与謝野さんが増税のことで別に消費税の差をつける話を出してないのは、流れを知っている人たちは当然そうするだろうと知っているからのようだ…恥ずかしい私。

 消費税をあげるとすれば、個人的に感情として納得できそうなのは、1年に1%ずつ段階的に引き上げて15%まで、その際に食材(つまり喫茶、レストラン、弁当、ペットボトルとかの加工飲み物などを除く)・書籍・文化事業を0%に近づける。という案。
2010.2.27

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2009-12-30 今日も過ごせました

 2年前に初日の出を高尾山で見たとき、強烈な興奮を体験してから、空や日の出や日の入りには注目してきました。ブータンの人はチベット仏教が完全に肌にしみこんでいて、お寺が日常に溶け込んでいるらしいが、ブータンにとってのお寺、スイス人にとっての山、そういう存在が私の生活圏にとっては空かなと思うのです。ただ、寺、山、そこには人との見えない心地よい共感があるはずですが、今のところ空では成功していません。


気持ちの良い例文集

・This is the best book (that) there is on the subject.
「この本はそのテーマで書かれた中で最もよい本です。」
主格の関係代名詞の省略可能なもの、(that)there is、(that)I think、Thre is〜(that)、It is〜(that)強調構文


・What he says is different from what he does.
「彼の言うことは行うことと違う。」


・From what little I know, I cannot judge whether he is reliable or not.
「わずかながら私が知っていることからでは、彼が信用できるかどうか判断できません。」
実に旬な良い例文です。事業仕分けなどに関して与謝野さんがこれまた文藝春秋の今号で書いていました。大筋は、民主党は、今回の予算は国債でまかなうけれど、高負担つまり増税となることを参議院選挙までにおわせずにいくつもりでしょう、これまで私が長期計画でやってきた借金返済計画がオジャンです、というものでいいと思います。元であれ大臣が普通の雑誌に書くというのにまず私はそういうものなのかと無知でしたが、与謝野さんという人はやはりいいのではないかと思う中で、消費税についてのところがとても気になりました。消費税は上げても構わないのです、私は。でも、消費税とひとくくりにまとめているところが怖いのです。食品にはそんなに増やさないでほしいのです。ゲーム機具にはいっぱいつけるがいいと思います。


 つまり私はお正月が好きなので、高尾山で初日の出は無理にしても同居人と何かを過ごすのが楽しいだろうなと思った。そしたら今日当たり前のように仙台の実家に帰ってしまった。そういうものか。私は今夜はじっくり過ごして、明日から、近くなった実家に帰ろうと決めた。

 昨日あれだけ目当ての本が無かった紀伊国屋書店だが、今日小さな本屋に行ったらちゃんとあった。あまりにあったので、『をちこち』という確か東京新聞の匿名コラムで紹介されてたやつとブータンの新書を買わせて頂いて、岩波新書『イスラエル』は買わなかった。思想が無いのも嫌だけど、思想すぎるのはもっと大変らしいが、しかしなぜ思想すぎてしまうのか、それは風土論でいけるのか、いけるべきだと思う私ですが、つきつめて一番興味があるのは、なぜ人はこうも違うのかということです。あとブータンの医療が気になるのと、その、外から言えばチベット仏教という名の世界観について、中の人で疑問を持つ人はいないのかと気になった。ミンダナオ島だったか?たしかオリバー・サックスの本であったのが、目がよく見えない人ばかりの島で、外を知りたいという若者がいたというやつ。ブータンはここ数十年で「近代化」したゆえ若い人は西洋文化に憧れているというどこかで読んだ言葉が気になる。西洋文化という名が表すのは、やはり物質文明というやつだと思う…。何にせよ、昨日の本とは全く違う。この本、筆者は、これだから研究者はよいよね、と思わされるうちの1人だ。

 フランス語ができれば、気づけば、色々なことが叶うことに気づいた。デュビュッフェの言葉が読めるし、サニエの映画も見れるし、発展途上国医療にも参加できる(これは英語でも可)。

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2009-12-29 ご飯をつくって、外を歩いて、勉強をして、本を買いに駅に行って、新聞屋のおじさんと話して、健康に終わりました

 なんとか退院して2日目の夜を迎えることができた。前回は退院して家に着いてから少し痛くなりはじめて、次の日には痛かったので、とても安心している。ちなみに、前回悪かったのはジャンクフードたるミスタードーナッツが食べたくなって、差し入れてもらったのを全粥2食目時に食べたのが特に効いてしまった気がする。ドーナツというのは、消化に悪いものらしい。油で揚げている故。今回は家に帰ってからも5分粥で出る食事に合わせている。

 若田光一さんが、地球で歩くと非常に重力を感じて重い、帰るとクタクタになっている、といっていたので、歩くだけでもそんなに体が鍛えられるものなのか、と勇気をもらい、近所で未踏の地を歩いた。病院という、制約のある生活を経るのは、これだからいいと思う。これだから、1日にこれだけのことができるのだなあと思わせてくれるのがいい。あまりに自由である我々未就業児は、競い合って、自由を謳歌しようと、自由を無駄にしまいと、何かに励んでいるが、迷いのある者は、その1日への評価に自信が持てず、いい顔を失っている。と、私は思っているが、その観点について話したことはないので、少なくとも私は私のことをそう思っており、そんな私があるということは、みなにもそれがあるはずだと思っているので、我々とした。

 そういうわけで、今日は色々なことができた、と思える幸せを得た。幸せということは、比較の話であるとは誰が言っていたか忘れた。犬養道子の本に幸福の何たらというのがあったので、期待している。

 ウィルコムの契約変更をしようと思うが億劫で、しかし入院中に調べてみたらネットでできるということなので(電話ではうまくできなかった)しかしウィルコムのネットでは表示がうまくいかずできなかったので帰宅して行い、本当にできた。これで2000円ほどが浮く。なんでもっと早くやらなかったか…。

 生活クラブの店が近所にあるのは知っていたが、初めて買いに行ったら、会員しか買えないというので、初めて方針を知るに至った。月々200円がかかる上に高いので、学校が始まったらどれだけ買えるか分からないが、スーパーで買う際のあの果てのない思考から解放されるのを思えば、救われるような思いである。内実が分からない懸念があるが、グローバリズムへの反抗として初めてできることを見つけた次第である。また、ユニクロは着た服を回収していたので信用できるのではないかと思っていたが、今月の文藝春秋の浜のりこの文章に載っているユニクロの社長の言葉を読んで、あ、これは思想が違うなと確信するほどのものだと思ったので、やはりユニクロにはしばらく近づくのをやめようと思う。

 岩波新書でブータンの本があるというので見に行ったら、無かったので、木楽舎から出ている本を買ってしまったが、これはあまり面白くない本であった。でもデザインや写真の具合はすごくいいなと思った。と書いて、私はデザインに1800円も払ったということか、と思った。本(という分野)の奥深さを知らずにいる人の場合、つまりこれで本を読む気を失せるのである。「(勇気を出して、珍しく本を読もうと1800円という大金を払ったのに)ふ〜ん、まあ、いってみたいわねえ、本なんて、どうせこの程度、ならBSを見るわ。」こういう本は、編集者が企画したような本ということだろうか。

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お返事ありがとうございます。いろいろと興味深い情報、ありがたいです。最後のまとめがキレイでニタニタしちゃいました(笑)。今年もよろしくお願いします。 / みなみ ( 2010-01-04 16:15 )
と反応したそうです。これも浜のりこの言葉なので本当のところは分かりませんが、浜のりこ自身に対しても、過激派なのでまだ信用するか決めかねていますが、でもなんというか本当に、会社を大きくすればそれでいいんだ、と思ってしまいました。「食べる」ということはもう盛んに論じられてますが「着る」ということも考えられてくる気がします。その歌は初めて買ったCDです!globalization...ならぬglobeですね / ヒポコトリ ( 2009-12-29 23:36 )
いえいえ、おひさしぶりです。生活クラブの会員の方はどこにいるんだろう?と思ったらこんなに近くにいましたか!牛乳は大きいのでためらっていましたが今度買ってみます…!年明けにでも。今日は食パンを買いましたが、見た目がふつうなのでそそられはしませんが口に含んで、おいしいですね。浜のりこが十月号でユニクロ栄えて国滅ぶという文章を書いてこのデフレの危なさを訴えたそうですが、それにユニクロの社長が「反論にも値しないと思いますね。日本もグローバル化していて、その一員であるという視点が抜けている。」 / ヒポコトリ ( 2009-12-29 23:32 )
↓「お久しぶりです」の「お」が抜けました orz ごめんなさいー! / みなみ ( 2009-12-29 16:00 )
久しぶりです(いつも読ませていただいてます)。生活クラブの組合員です。牛乳がすごく美味ですよ。価格対品質を考えると、安いと思っています。ユニクロの社長の思想、気になります。ユニクロには世話になっているので。文春見てみます。「たまには誰かと比べたい 私の方が幸せだって……!」とは華原朋美の歌の歌詞でした。どうぞお体お大事に、良いお年を☆ / みなみ ( 2009-12-29 15:59 )

2009-12-28 わたしは4度目の腸閉塞になった(3)

12月13日(日)
退院
 実家に帰ることにする。入院した際は、「またか、6日くらいで帰ろう」と思っていたので、親が見舞いに来るのもおおげさで嫌だったが、手術となり、実家に帰って面倒を見てもらうのが自然な流れとなっていた。実家がたまたま再び都内に設置されていたため可能となった。
 帰りの車で、午前に抜け出して近所で買った芋ようかんを食べた。きっとこれもよくなかったのだろう。
 夜から、腸がグルルルルと鳴って、うすら痛い。


12月14日(月)
12月15日(火)
 例えるならイレウス管を入れられて腸をぐいぐいやられたゆえの気持ち悪さと同じ痛みと同じように、あまりにグルルルと動いて痛いので、とても食欲がわかなかった。これがなぜなのか分からないが、私は薬の効きすぎと判断して、薬を減らし・回復のためにものをたべるという方針を打ち出してしまった。ゆえに、私はすしなら食べたいと思ってすしをかってもらってしまった。

12月16日(水)
12月17日(木)
12月18日(金)
12月19日(土)
 加えて、おにぎりなら食べたいと思ってふりかけとしてわかめを選んでしまった。しかし、この日は初めて調子がよかったのだ。

12月20日(日)
 朝から、下痢の時の力の抜けるような痛みが5分感覚で続く。時々なくなるが、入院後まで続く。

12月21日(月)
 9時に抜糸のため病院へ行く。調子が悪かったので、それを伝えた。触診?たしかにちょっとはっている。消化のよいものを食べて、痛くなったらすぐ来て、といわれる。会計に向かう途中で、受付ファイルが大きかったので、かばんから落ちてしまってどっかいったのに気づき、戻ったら、忘れ物しましたというだけのはずが、なにやら呼び戻す予定だったそうで、レントゲンを一応とることになり、とりにいった。不思議な展開であった。手術で癒着をはがしたところではないとはいえ(癒着は色々あったが、全部はがすと更にぐちゃぐちゃと癒着するものらしいので、前回のもととなっているところだけはがしたと聞いていた)いわゆる腸閉塞な画像だったので、入院となった。どういう治療ですかと聞いたら経口禁止ということだそうだ。いわば点滴だけのために入院できるなんてやさしい国家やね…と思った。
 レントゲンを取った後待合室で待っていたときと、処置室で入院のベッド待ちのときが一番辛かった。痛かったので。
 結局明け方まで下痢痛が続いたが、この2日間が一番辛かったなあと思う。ところで、辛さの度合いは、看護師さんが側にいるときのありがたさで測れる気がする。痛み止めの点滴を入れてくれるが、5%くらいは効いた気がする。
 母に聞いたら、前回の入院費は18万ということだった。父親の人生安定方針と、国家のみなさまの36万円にありがたく、申し訳ないです。

12月22日(火)
 明け方にやっと眠れた。不眠で幻覚が見えるというのを聞いたことがあるが、幻覚が見えないにしろ、思考がままならない感覚の入り口をみた気がした。

12月23日(水)
12月24日(木)
 夜に流動食が始まった

12月25日(金)
 3分粥

12月26日(土)
 5分粥
 明日から改修工事だそうで、この病棟に新しく入院患者を入れないので、私を残してみな退院してしまったため、夜は一人だった。病院を出てしまえば、同室の人も家族以外いないし、様子を伺いに来る看護師さんもお医者さんもいないし、そうじをしてくれる人もいないし、わたしがここにいながら廊下を通るひともいないので、むしろこういう「一人」の方が基本形なのだろうと今の社会を思った。

12月27日(日)
 結構不安だったが、退院した。

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