今日昨日 since20030313 はじめまして chCCygEPcF |
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2010-02-02 2010年1月 |
2010-02-02 2010年1月 | |
12月31日昼に実家に帰り、1月20日頃までいた。専門学校の試験と面接を受け、学校の卒業に際しての雑事を経て、今日になった。専門学校の試験勉強は、3教科で基礎レベルだったので、時間がなく大変ではあったが難しくはなかった。12月はひたすら専門向けに作られた教科書のような参考書をやり、1月9・10日に予備校に通って、衝撃を受けて本屋で問題集やら参考書を買って、それから10日間はそれを消費して過去問をやった。秋田県が高校生支援として東京に予備校合宿斡旋みたいなことをしていると聞いたが、そこで高校生が講師・授業のレベルの高さにびっくりした、都市の学生が羨ましいと言っていたその通りで、私も世の中の予備校というやつに通ったおかげで受かったと思う。あるいは逆に、予備校という一義的に言ってコツ売り場というものがなければ一流大学に行きたい人は18年間では受からないのだろうと、嫌な気持ちになった。が、学校の歴史から見ればまだまだ幸せな時代だろうと思うことにした。
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2009-12-31 12/30の読売朝刊が面白かった件について | |
・藤子不二雄Aといしかわじゅんの対談
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私も何で書いてるのか分かりませんが… ルソーの『告白』が一番好きな本なのでその影響かもしれません / ヒポコトリ ( 2010-02-02 17:40 ) この独り言日記が続いているのが、悪くない。だけど、他人の日記を盗み見ているような気がしてしまうよ。 / パンツ ( 2010-01-07 21:57 ) |
2009-12-31 今日も過ごせました。 | |
ひまじんネットはなにゆえ作られたものなのか気になったので検索したら、分かったのは、株式会社カルディアというIT系の会社がやっているということで、やはり分からなかった。こういう、広告もなく発展したいわけでもない、素朴なつくりの、ブログと言う言葉はなかった、というようなサイトは結構残っているのだろうか。
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2009-12-30 追記 | |
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2009-12-30 今日も過ごせました | |
2年前に初日の出を高尾山で見たとき、強烈な興奮を体験してから、空や日の出や日の入りには注目してきました。ブータンの人はチベット仏教が完全に肌にしみこんでいて、お寺が日常に溶け込んでいるらしいが、ブータンにとってのお寺、スイス人にとっての山、そういう存在が私の生活圏にとっては空かなと思うのです。ただ、寺、山、そこには人との見えない心地よい共感があるはずですが、今のところ空では成功していません。
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2009-12-29 ご飯をつくって、外を歩いて、勉強をして、本を買いに駅に行って、新聞屋のおじさんと話して、健康に終わりました | |
なんとか退院して2日目の夜を迎えることができた。前回は退院して家に着いてから少し痛くなりはじめて、次の日には痛かったので、とても安心している。ちなみに、前回悪かったのはジャンクフードたるミスタードーナッツが食べたくなって、差し入れてもらったのを全粥2食目時に食べたのが特に効いてしまった気がする。ドーナツというのは、消化に悪いものらしい。油で揚げている故。今回は家に帰ってからも5分粥で出る食事に合わせている。
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お返事ありがとうございます。いろいろと興味深い情報、ありがたいです。最後のまとめがキレイでニタニタしちゃいました(笑)。今年もよろしくお願いします。 / みなみ ( 2010-01-04 16:15 ) と反応したそうです。これも浜のりこの言葉なので本当のところは分かりませんが、浜のりこ自身に対しても、過激派なのでまだ信用するか決めかねていますが、でもなんというか本当に、会社を大きくすればそれでいいんだ、と思ってしまいました。「食べる」ということはもう盛んに論じられてますが「着る」ということも考えられてくる気がします。その歌は初めて買ったCDです!globalization...ならぬglobeですね / ヒポコトリ ( 2009-12-29 23:36 ) いえいえ、おひさしぶりです。生活クラブの会員の方はどこにいるんだろう?と思ったらこんなに近くにいましたか!牛乳は大きいのでためらっていましたが今度買ってみます…!年明けにでも。今日は食パンを買いましたが、見た目がふつうなのでそそられはしませんが口に含んで、おいしいですね。浜のりこが十月号でユニクロ栄えて国滅ぶという文章を書いてこのデフレの危なさを訴えたそうですが、それにユニクロの社長が「反論にも値しないと思いますね。日本もグローバル化していて、その一員であるという視点が抜けている。」 / ヒポコトリ ( 2009-12-29 23:32 ) ↓「お久しぶりです」の「お」が抜けました orz ごめんなさいー! / みなみ ( 2009-12-29 16:00 ) 久しぶりです(いつも読ませていただいてます)。生活クラブの組合員です。牛乳がすごく美味ですよ。価格対品質を考えると、安いと思っています。ユニクロの社長の思想、気になります。ユニクロには世話になっているので。文春見てみます。「たまには誰かと比べたい 私の方が幸せだって……!」とは華原朋美の歌の歌詞でした。どうぞお体お大事に、良いお年を☆ / みなみ ( 2009-12-29 15:59 ) |
2009-12-28 わたしは4度目の腸閉塞になった(3) | |
12月13日(日)
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2009-12-27 わたしは4度目の腸閉塞になった(2) | |
(過去の日記に書いてありますが、私が腸閉塞になる原因というのは、2004年2月に卵巣がんのために行った手術によるようです。その後、2005年1月、2006年7月・10月に腸閉塞で胃管というのを入れて、治りましたが、今回はイレウス管というのを入れても治らなかったので、手術となりました。)
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2009-12-27 わたしは4度目の腸閉塞となった | |
そのあと、12月2日の夜にまた痛くなって、明け方ついに嘔吐したので、12月3日の早朝に病院に行き、入院となった。10日ほどで退院したが、再び痛くなり、吐き気はないもののその痛さであまり食欲が出なかった。1週間後に抜糸(今回は手術となった)で通院の予約が入っており、そこで1週間調子が悪かったんです、と伝え、その際に入院となった。今日はその退院の日である。
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2009-11-30 わたしの超閉塞対策 | |
そういうわけで朝には落ち着き、夜はあまり寝れなかったので、寝不足から寝ていた。昼に起きてもまだうすら痛かったので、2週間かかりっきりだった絵を描きに行くのを思い切ってやめた。家にいれば勤勉の良心がはずれるので、寝たり、本を読んでいた。最近はもっぱらイスラームである。かさねの色目のことが気になり、ネットをしようと決めた。いつの間にか、かつて心をとりこにしたアイドルの現在の情報を探していた。特に気になっていたのは、昔会ったことのあるBerryz工房のファンの人たちが今もそうなのかということと、NYCときいたらNは中島裕翔だろうと普通思うだろうと思っていたが、それが中山なんとかという人だったことに驚いたのは、私が離れている間に常識が変わったのか?ということだった。他には、ヤアヤアヤアの番組はどうなったのかということであり、今も薮と八乙女がはっていると知って、私は驚いた。そして変わらないことは安心だった。太陽くんがバレーボールの時から出ていないこと、堀越の生徒会長だったこと、おもしろいな、と思った。かつてのBerryzファンはエッグのファンであり、その子はあの子に似ていた。…これら全ては、イスラームのベールについての外部からの意見のようなものである。そしてyoutubeで見るその映像らは今も現役で私の心をつかんだ。歴史も鍛錬も消失したかのような歌、として孤独を感じると共に、旋律や踊りは気持ちが良かった。新たに獲得したのは、これだけの人物配置、収集、会場、映像を作ることは、簡単なことではない、プロの仕事なんだなと思った。(それは悔しい気持ちがあった、しかしそこに思想はあるのだろうか。頭で否定しても関わってしまう、それが資本主義の悪魔だと思う。)youtubeはすごかった。その感情は、例えば水村さんがノスタルジアにいいですと形容するような讃えられる生き方の世界から、はまりこんでしまう世界へというものであった。こういうことを、学問に迷い込んで足腰を失い青白くなってしまった幽霊のような、と形容するのが好きだ。ところで、アイドルはやはりすごかった。私は自分がティーンになる前から、そして終わった今でも、彼らの見た目は美しすぎると思っている。そこには、背後に物語ができてしまう。ただし気分がよくないのは、中身がおいしくないだろうに、惹かれてしまう自分の気持ちが居心地悪いのだ。現在の日本のティーンは、他の世代と閉ざされて育つようにできているために、世界観がひどいのだと思っている。その思いは、西洋近代のシステムに近づき列強を目指した日本がいけないのだと思ってのがれられない。なにか、を共存してそれを行うことはできなかったんだろうか。歴史の死んだのとひきかえに、この豊かさを手に入れて…私はどうしてもイスラームでないにしろ、非・資本主義合理的効率的な生き方をしている人々の本を読むのがすきだし、そしてそれは読むまではそんな世界もあるのだとまるで知らなかったのだ。終わりなき日常などという言葉の生まれるのは当然だと思っていたし、イスラームのベールが、見た目という罠からの解放を示している、そのようなものが何もかも死んでしまった、それは渋谷の街であり、下北沢の街であり、芸術であり、悲しい世界であると共に、罪であると思う。 |
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