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ヒポコトリの「書を捨てないで 町へ出る」


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目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2009-12-30 追記
2009-12-30 今日も過ごせました
2009-12-29 ご飯をつくって、外を歩いて、勉強をして、本を買いに駅に行って、新聞屋のおじさんと話して、健康に終わりました
2009-12-28 わたしは4度目の腸閉塞になった(3)
2009-12-27 わたしは4度目の腸閉塞になった(2)
2009-12-27 わたしは4度目の腸閉塞となった
2009-11-30 わたしの超閉塞対策
2009-11-30 わたしの腸閉塞対策
2009-11-19 壮年にとっての人口問題
2009-11-03  読書記


2009-12-30 追記

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消費税をあげる件について
 日本では贅沢品も生活必需品も同じ税率であることに違和感を感じるのは、税率が低いから、ということのようだ。低いから、5%だろうと0%だろうと可愛いもんだということだろうか。だから与謝野さんが増税のことで別に消費税の差をつける話を出してないのは、流れを知っている人たちは当然そうするだろうと知っているからのようだ…恥ずかしい私。

 消費税をあげるとすれば、個人的に感情として納得できそうなのは、1年に1%ずつ段階的に引き上げて15%まで、その際に食材(つまり喫茶、レストラン、弁当、ペットボトルとかの加工飲み物などを除く)・書籍・文化事業を0%に近づける。という案。
2010.2.27

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2009-12-30 今日も過ごせました

 2年前に初日の出を高尾山で見たとき、強烈な興奮を体験してから、空や日の出や日の入りには注目してきました。ブータンの人はチベット仏教が完全に肌にしみこんでいて、お寺が日常に溶け込んでいるらしいが、ブータンにとってのお寺、スイス人にとっての山、そういう存在が私の生活圏にとっては空かなと思うのです。ただ、寺、山、そこには人との見えない心地よい共感があるはずですが、今のところ空では成功していません。


気持ちの良い例文集

・This is the best book (that) there is on the subject.
「この本はそのテーマで書かれた中で最もよい本です。」
主格の関係代名詞の省略可能なもの、(that)there is、(that)I think、Thre is〜(that)、It is〜(that)強調構文


・What he says is different from what he does.
「彼の言うことは行うことと違う。」


・From what little I know, I cannot judge whether he is reliable or not.
「わずかながら私が知っていることからでは、彼が信用できるかどうか判断できません。」
実に旬な良い例文です。事業仕分けなどに関して与謝野さんがこれまた文藝春秋の今号で書いていました。大筋は、民主党は、今回の予算は国債でまかなうけれど、高負担つまり増税となることを参議院選挙までにおわせずにいくつもりでしょう、これまで私が長期計画でやってきた借金返済計画がオジャンです、というものでいいと思います。元であれ大臣が普通の雑誌に書くというのにまず私はそういうものなのかと無知でしたが、与謝野さんという人はやはりいいのではないかと思う中で、消費税についてのところがとても気になりました。消費税は上げても構わないのです、私は。でも、消費税とひとくくりにまとめているところが怖いのです。食品にはそんなに増やさないでほしいのです。ゲーム機具にはいっぱいつけるがいいと思います。


 つまり私はお正月が好きなので、高尾山で初日の出は無理にしても同居人と何かを過ごすのが楽しいだろうなと思った。そしたら今日当たり前のように仙台の実家に帰ってしまった。そういうものか。私は今夜はじっくり過ごして、明日から、近くなった実家に帰ろうと決めた。

 昨日あれだけ目当ての本が無かった紀伊国屋書店だが、今日小さな本屋に行ったらちゃんとあった。あまりにあったので、『をちこち』という確か東京新聞の匿名コラムで紹介されてたやつとブータンの新書を買わせて頂いて、岩波新書『イスラエル』は買わなかった。思想が無いのも嫌だけど、思想すぎるのはもっと大変らしいが、しかしなぜ思想すぎてしまうのか、それは風土論でいけるのか、いけるべきだと思う私ですが、つきつめて一番興味があるのは、なぜ人はこうも違うのかということです。あとブータンの医療が気になるのと、その、外から言えばチベット仏教という名の世界観について、中の人で疑問を持つ人はいないのかと気になった。ミンダナオ島だったか?たしかオリバー・サックスの本であったのが、目がよく見えない人ばかりの島で、外を知りたいという若者がいたというやつ。ブータンはここ数十年で「近代化」したゆえ若い人は西洋文化に憧れているというどこかで読んだ言葉が気になる。西洋文化という名が表すのは、やはり物質文明というやつだと思う…。何にせよ、昨日の本とは全く違う。この本、筆者は、これだから研究者はよいよね、と思わされるうちの1人だ。

 フランス語ができれば、気づけば、色々なことが叶うことに気づいた。デュビュッフェの言葉が読めるし、サニエの映画も見れるし、発展途上国医療にも参加できる(これは英語でも可)。

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2009-12-29 ご飯をつくって、外を歩いて、勉強をして、本を買いに駅に行って、新聞屋のおじさんと話して、健康に終わりました

 なんとか退院して2日目の夜を迎えることができた。前回は退院して家に着いてから少し痛くなりはじめて、次の日には痛かったので、とても安心している。ちなみに、前回悪かったのはジャンクフードたるミスタードーナッツが食べたくなって、差し入れてもらったのを全粥2食目時に食べたのが特に効いてしまった気がする。ドーナツというのは、消化に悪いものらしい。油で揚げている故。今回は家に帰ってからも5分粥で出る食事に合わせている。

 若田光一さんが、地球で歩くと非常に重力を感じて重い、帰るとクタクタになっている、といっていたので、歩くだけでもそんなに体が鍛えられるものなのか、と勇気をもらい、近所で未踏の地を歩いた。病院という、制約のある生活を経るのは、これだからいいと思う。これだから、1日にこれだけのことができるのだなあと思わせてくれるのがいい。あまりに自由である我々未就業児は、競い合って、自由を謳歌しようと、自由を無駄にしまいと、何かに励んでいるが、迷いのある者は、その1日への評価に自信が持てず、いい顔を失っている。と、私は思っているが、その観点について話したことはないので、少なくとも私は私のことをそう思っており、そんな私があるということは、みなにもそれがあるはずだと思っているので、我々とした。

 そういうわけで、今日は色々なことができた、と思える幸せを得た。幸せということは、比較の話であるとは誰が言っていたか忘れた。犬養道子の本に幸福の何たらというのがあったので、期待している。

 ウィルコムの契約変更をしようと思うが億劫で、しかし入院中に調べてみたらネットでできるということなので(電話ではうまくできなかった)しかしウィルコムのネットでは表示がうまくいかずできなかったので帰宅して行い、本当にできた。これで2000円ほどが浮く。なんでもっと早くやらなかったか…。

 生活クラブの店が近所にあるのは知っていたが、初めて買いに行ったら、会員しか買えないというので、初めて方針を知るに至った。月々200円がかかる上に高いので、学校が始まったらどれだけ買えるか分からないが、スーパーで買う際のあの果てのない思考から解放されるのを思えば、救われるような思いである。内実が分からない懸念があるが、グローバリズムへの反抗として初めてできることを見つけた次第である。また、ユニクロは着た服を回収していたので信用できるのではないかと思っていたが、今月の文藝春秋の浜のりこの文章に載っているユニクロの社長の言葉を読んで、あ、これは思想が違うなと確信するほどのものだと思ったので、やはりユニクロにはしばらく近づくのをやめようと思う。

 岩波新書でブータンの本があるというので見に行ったら、無かったので、木楽舎から出ている本を買ってしまったが、これはあまり面白くない本であった。でもデザインや写真の具合はすごくいいなと思った。と書いて、私はデザインに1800円も払ったということか、と思った。本(という分野)の奥深さを知らずにいる人の場合、つまりこれで本を読む気を失せるのである。「(勇気を出して、珍しく本を読もうと1800円という大金を払ったのに)ふ〜ん、まあ、いってみたいわねえ、本なんて、どうせこの程度、ならBSを見るわ。」こういう本は、編集者が企画したような本ということだろうか。

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お返事ありがとうございます。いろいろと興味深い情報、ありがたいです。最後のまとめがキレイでニタニタしちゃいました(笑)。今年もよろしくお願いします。 / みなみ ( 2010-01-04 16:15 )
と反応したそうです。これも浜のりこの言葉なので本当のところは分かりませんが、浜のりこ自身に対しても、過激派なのでまだ信用するか決めかねていますが、でもなんというか本当に、会社を大きくすればそれでいいんだ、と思ってしまいました。「食べる」ということはもう盛んに論じられてますが「着る」ということも考えられてくる気がします。その歌は初めて買ったCDです!globalization...ならぬglobeですね / ヒポコトリ ( 2009-12-29 23:36 )
いえいえ、おひさしぶりです。生活クラブの会員の方はどこにいるんだろう?と思ったらこんなに近くにいましたか!牛乳は大きいのでためらっていましたが今度買ってみます…!年明けにでも。今日は食パンを買いましたが、見た目がふつうなのでそそられはしませんが口に含んで、おいしいですね。浜のりこが十月号でユニクロ栄えて国滅ぶという文章を書いてこのデフレの危なさを訴えたそうですが、それにユニクロの社長が「反論にも値しないと思いますね。日本もグローバル化していて、その一員であるという視点が抜けている。」 / ヒポコトリ ( 2009-12-29 23:32 )
↓「お久しぶりです」の「お」が抜けました orz ごめんなさいー! / みなみ ( 2009-12-29 16:00 )
久しぶりです(いつも読ませていただいてます)。生活クラブの組合員です。牛乳がすごく美味ですよ。価格対品質を考えると、安いと思っています。ユニクロの社長の思想、気になります。ユニクロには世話になっているので。文春見てみます。「たまには誰かと比べたい 私の方が幸せだって……!」とは華原朋美の歌の歌詞でした。どうぞお体お大事に、良いお年を☆ / みなみ ( 2009-12-29 15:59 )

2009-12-28 わたしは4度目の腸閉塞になった(3)

12月13日(日)
退院
 実家に帰ることにする。入院した際は、「またか、6日くらいで帰ろう」と思っていたので、親が見舞いに来るのもおおげさで嫌だったが、手術となり、実家に帰って面倒を見てもらうのが自然な流れとなっていた。実家がたまたま再び都内に設置されていたため可能となった。
 帰りの車で、午前に抜け出して近所で買った芋ようかんを食べた。きっとこれもよくなかったのだろう。
 夜から、腸がグルルルルと鳴って、うすら痛い。


12月14日(月)
12月15日(火)
 例えるならイレウス管を入れられて腸をぐいぐいやられたゆえの気持ち悪さと同じ痛みと同じように、あまりにグルルルと動いて痛いので、とても食欲がわかなかった。これがなぜなのか分からないが、私は薬の効きすぎと判断して、薬を減らし・回復のためにものをたべるという方針を打ち出してしまった。ゆえに、私はすしなら食べたいと思ってすしをかってもらってしまった。

12月16日(水)
12月17日(木)
12月18日(金)
12月19日(土)
 加えて、おにぎりなら食べたいと思ってふりかけとしてわかめを選んでしまった。しかし、この日は初めて調子がよかったのだ。

12月20日(日)
 朝から、下痢の時の力の抜けるような痛みが5分感覚で続く。時々なくなるが、入院後まで続く。

12月21日(月)
 9時に抜糸のため病院へ行く。調子が悪かったので、それを伝えた。触診?たしかにちょっとはっている。消化のよいものを食べて、痛くなったらすぐ来て、といわれる。会計に向かう途中で、受付ファイルが大きかったので、かばんから落ちてしまってどっかいったのに気づき、戻ったら、忘れ物しましたというだけのはずが、なにやら呼び戻す予定だったそうで、レントゲンを一応とることになり、とりにいった。不思議な展開であった。手術で癒着をはがしたところではないとはいえ(癒着は色々あったが、全部はがすと更にぐちゃぐちゃと癒着するものらしいので、前回のもととなっているところだけはがしたと聞いていた)いわゆる腸閉塞な画像だったので、入院となった。どういう治療ですかと聞いたら経口禁止ということだそうだ。いわば点滴だけのために入院できるなんてやさしい国家やね…と思った。
 レントゲンを取った後待合室で待っていたときと、処置室で入院のベッド待ちのときが一番辛かった。痛かったので。
 結局明け方まで下痢痛が続いたが、この2日間が一番辛かったなあと思う。ところで、辛さの度合いは、看護師さんが側にいるときのありがたさで測れる気がする。痛み止めの点滴を入れてくれるが、5%くらいは効いた気がする。
 母に聞いたら、前回の入院費は18万ということだった。父親の人生安定方針と、国家のみなさまの36万円にありがたく、申し訳ないです。

12月22日(火)
 明け方にやっと眠れた。不眠で幻覚が見えるというのを聞いたことがあるが、幻覚が見えないにしろ、思考がままならない感覚の入り口をみた気がした。

12月23日(水)
12月24日(木)
 夜に流動食が始まった

12月25日(金)
 3分粥

12月26日(土)
 5分粥
 明日から改修工事だそうで、この病棟に新しく入院患者を入れないので、私を残してみな退院してしまったため、夜は一人だった。病院を出てしまえば、同室の人も家族以外いないし、様子を伺いに来る看護師さんもお医者さんもいないし、そうじをしてくれる人もいないし、わたしがここにいながら廊下を通るひともいないので、むしろこういう「一人」の方が基本形なのだろうと今の社会を思った。

12月27日(日)
 結構不安だったが、退院した。

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2009-12-27 わたしは4度目の腸閉塞になった(2)

(過去の日記に書いてありますが、私が腸閉塞になる原因というのは、2004年2月に卵巣がんのために行った手術によるようです。その後、2005年1月、2006年7月・10月に腸閉塞で胃管というのを入れて、治りましたが、今回はイレウス管というのを入れても治らなかったので、手術となりました。)

12月2日(水)
夜はアルバイト。22時あたりから痛み始める。最後の食事は15時に食べた麻婆豆腐、20時に差し入れで貰ったサーティーワンのアイス。24時に少し気持ち悪くなりはじめる。

12月3日(木)
 明け方に嘔吐したので、あこれは入院だなと思って、勉強道具をかばんにつめて、タクシーを呼んで病院に行った。6時に着いた。家で2回嘔吐の波があってからは痛みが落ち着いていたので、病院来ちゃったけど早まったかなぁ…恥ずかしいかもしれないがこれはこれでありがたいかもしれない…と思いながら診察を受けていた。20代らしき若い医者が、眠そうで、くしゃみして、私が「2回です…あ、3回だったかもしれないです」と言ったのを記入するときに、2を3に書き換えるのをちんたらとやるので、最悪だなあと思っていたら、ちゃんと本番の医者が出てきて救われました。レントゲンもとらないうちから、今迄で一番早く鼻から管を入れてくれました。(腸閉塞1回目の時は一晩待って、ずっと痛みと嘔吐を繰り返して辛かった。)
 午前のうちに病棟に移ったが、吐き気が続いていて、嘔吐した。きちんとトイレに行けたが、これが間に合わないほど突然来るという人がいるらしいことをネットの日記で知ったが、私の場合の吐き気は、吐き気がたまっていって、ある程度を超えたところで、気持ち悪さを解消するためにトイレに向かって、便器を見て初めてこみ上げてくる感じのものである。ちなみに、痛みの質と強さは毎回違う。
 管が入っているのに嘔吐するというのは初めてだな、と思って嫌だな、と思った。管を見て気づいたが、途中でつまっているらしかった。それを伝えて「ひいて」もらうと、その後は吐かなかった。もう辛くはなかった。

12月4日(金)
イレウス管に入れ替えることになった。
レントゲン?で見ながら入れる。胃を過ぎたあたりでもぞもぞと動いたり、おなかを押されながら入れられるのは、何というか気持ち悪かった。2mくらい入れると言ったが、1m70cmくらい入った。40分くらいだった気がするが、あれ以上続いていたら気持ち悪くて吐いていた気がする。帰りは気分が悪くて車椅子で運んでもらった。その後気分悪く夜までパラマウントベッドをおこしてもたれていた。その後はぐっすり寝れた。

12月5日(土)
12月6日(日)
12月7日(月)
手術
手術室に入るなり「オペ室勤務の」看護師さん3人が妖精のように集まってきた。背中から麻酔を入れる際に体をおさえてくれる手がすごく安心した。前回の麻酔は、完全に記憶がないので、今回の麻酔は覚えてみようと思って、意識を保とうとしてみた。体が重くなっていき(しかしそれは下に向かってではなくて、色々な方向に向かって)それは徐々にではなく、そしてぷっつりと意識は切れた。気づいたら、先に痛みがあった。切ったところが非常に痛かった。1時間くらいその痛みから感傷的になった。看護師さんにやたら喋りかけたりした。15時から1時間半くらいの手術だった。

12月8日(火)
12月9日(水)
鼻の管のせいでのどがいたいのが辛い

12月10日(木)
12月11日(金)
12月12日(土)
12月13日(日)
退院
実家に帰る

12月14日(月)
12月15日(火)

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2009-12-27 わたしは4度目の腸閉塞となった

 そのあと、12月2日の夜にまた痛くなって、明け方ついに嘔吐したので、12月3日の早朝に病院に行き、入院となった。10日ほどで退院したが、再び痛くなり、吐き気はないもののその痛さであまり食欲が出なかった。1週間後に抜糸(今回は手術となった)で通院の予約が入っており、そこで1週間調子が悪かったんです、と伝え、その際に入院となった。今日はその退院の日である。


 12月をほぼこれに費やしたことになってしまうが、その12月に思ったことについて。

・おいしんぼを病院にあるだけ読めたこと(その病院には雑誌や漫画や本の棚が小さいながらもあった)
・今回も細木数子の言う殺界の時期に腸閉塞となったこと に数日のうちに気づいた自分
・苦しいときの看護師さんは天使のようであること
・『フリブール日記』犬養道子著で難民というもの・スイスというものをやっと知った。30年前の話だが、ここ数十年の国民性(風土性・歴史性)というのはほぼ全く変わっていない気がした。ここに書かれる難民キャンプといまここで体験する日本の病院との違いに、どうすればいいのかと思った。例えば、あれだけ憎い企業というやつがなければ、その企業の収めてくれる税金がなければ、病院は成り立たないのだろう。
・新聞というのは、文藝春秋のような本とセットでないとおもしろくないなと思った。
・朝日と夕日の時間によく屋上に出た。住宅街ではあるが、ダスクの時間には特に、建物の光の光景というのが好きだった。アメリカなど大嫌いであるが、私はそこに異国情緒をみて、日本から感じるアメリカなど大嫌いであるが、そこにニューヨークという象徴をしていた。それは、大嫌いは企業というものと結びついた海外出張で滞在するホテルの夜景、あるいは、大嫌いな観光海外旅行のような。しかし私はそれに憧れているらしかった。けれどたとえばそれでも、そのきれいなベッドやきれいな服や身だしなみの中の自分というのは、子供の頃からと同じように居心地悪いと思った。
・高校英語にこれだけ明確なルールがあるのかと初めて知った。

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2009-11-30 わたしの超閉塞対策

 そういうわけで朝には落ち着き、夜はあまり寝れなかったので、寝不足から寝ていた。昼に起きてもまだうすら痛かったので、2週間かかりっきりだった絵を描きに行くのを思い切ってやめた。家にいれば勤勉の良心がはずれるので、寝たり、本を読んでいた。最近はもっぱらイスラームである。かさねの色目のことが気になり、ネットをしようと決めた。いつの間にか、かつて心をとりこにしたアイドルの現在の情報を探していた。特に気になっていたのは、昔会ったことのあるBerryz工房のファンの人たちが今もそうなのかということと、NYCときいたらNは中島裕翔だろうと普通思うだろうと思っていたが、それが中山なんとかという人だったことに驚いたのは、私が離れている間に常識が変わったのか?ということだった。他には、ヤアヤアヤアの番組はどうなったのかということであり、今も薮と八乙女がはっていると知って、私は驚いた。そして変わらないことは安心だった。太陽くんがバレーボールの時から出ていないこと、堀越の生徒会長だったこと、おもしろいな、と思った。かつてのBerryzファンはエッグのファンであり、その子はあの子に似ていた。…これら全ては、イスラームのベールについての外部からの意見のようなものである。そしてyoutubeで見るその映像らは今も現役で私の心をつかんだ。歴史も鍛錬も消失したかのような歌、として孤独を感じると共に、旋律や踊りは気持ちが良かった。新たに獲得したのは、これだけの人物配置、収集、会場、映像を作ることは、簡単なことではない、プロの仕事なんだなと思った。(それは悔しい気持ちがあった、しかしそこに思想はあるのだろうか。頭で否定しても関わってしまう、それが資本主義の悪魔だと思う。)youtubeはすごかった。その感情は、例えば水村さんがノスタルジアにいいですと形容するような讃えられる生き方の世界から、はまりこんでしまう世界へというものであった。こういうことを、学問に迷い込んで足腰を失い青白くなってしまった幽霊のような、と形容するのが好きだ。ところで、アイドルはやはりすごかった。私は自分がティーンになる前から、そして終わった今でも、彼らの見た目は美しすぎると思っている。そこには、背後に物語ができてしまう。ただし気分がよくないのは、中身がおいしくないだろうに、惹かれてしまう自分の気持ちが居心地悪いのだ。現在の日本のティーンは、他の世代と閉ざされて育つようにできているために、世界観がひどいのだと思っている。その思いは、西洋近代のシステムに近づき列強を目指した日本がいけないのだと思ってのがれられない。なにか、を共存してそれを行うことはできなかったんだろうか。歴史の死んだのとひきかえに、この豊かさを手に入れて…私はどうしてもイスラームでないにしろ、非・資本主義合理的効率的な生き方をしている人々の本を読むのがすきだし、そしてそれは読むまではそんな世界もあるのだとまるで知らなかったのだ。終わりなき日常などという言葉の生まれるのは当然だと思っていたし、イスラームのベールが、見た目という罠からの解放を示している、そのようなものが何もかも死んでしまった、それは渋谷の街であり、下北沢の街であり、芸術であり、悲しい世界であると共に、罪であると思う。

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2009-11-30 わたしの腸閉塞対策

 11月で終わらす予定の卒業制作が終わらないことがわかった。その最後の日である今日は、全くやらなかった。それというのも、腹痛だったからだ。昨日と一昨日の夜は今年最初の腸閉塞の恐怖であった。時期の悪さもあるが、一昨日、とりあず治ったといって昨日の夜食べ過ぎたのがいけなかった。私は、腸閉塞にかつてなってからというもの、生理と腸の動きの関連性を思ってならない。生理がきたとたん、とても調子がよくなるのだ。その代わり、生理になる前というのは非常に腸の調子が悪い。つまり今は生理前である。このことを婦人科のお医者さんに聞いてみたら、わからないと言われた。


・晩夏〜春が対策期間である。つまり寒さが敵である。私は晩夏からはらまきがかかせない。おそらくはらまきがなければ毎日恐怖を味わうだろうほど、効果は大きい。ちなみに、はらまきはしめつけの強いものが多いので、ちょうどよいものを探すのが仕事である。私は小田急線の経堂駅のジョイフルのどこかで買ったが、数年ぶりに通ったらジョイフルはなくなっていた。ユニクロで探したことはないが、ところでユニクロで買いすぎないように私はみなさんにお願いしたいですが、気持ちの良い肌着というものは、結構、スーパーに入ってる肌着屋さんで買える。

・競技ダンス部に入ってから、私は健康をとりもどした。あと、少し恐怖を感じ始めたときに、競技ダンスではラテンのチャチャチャという踊りの、基礎練をするようになったが、これは効くと思う。これのおかげで助かったかもしれないというのは3回ほどあった。分からない人はあれをやればよい、ちょっと前に流行った

・あとはタイミングの悪さでしかないと思っている。毎回、今回はなぜ回避できたか、また回避できなかった数回のことを比べても差がよく分からない。

・大建中湯を飲む。病院で出してくれる。私はこれが欠かせなかったが、ある頃から勝手に減らすようにし、最後に腸閉塞になって(2006冬)1年後から飲まなくなった。そう医者に言ったら飲んだほうがいいと言われたので、本当はよくないはず。でも今日久しぶりに数年前のやつを一応飲んで、なんか効いた気がする。

・かがむ姿勢はよくない。土曜日は、絵の床に近いところをかくためにずっとかがんでいた。

以上は迷信である。

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生理前に腸閉塞もどきの痛みがある、あるいは生理が来た途端にうんこがいっぱい出て、お腹がすっきりするとはこのことか!という話については、どうやら本当に関係があるらしい。どっかのネット上のpdfファイルで(見失った)一般向け腸閉塞パンフがあったが、生理前は女性ホルモンが出ていて腸の動きがにぶります、とあった。あと、入院したときに聞いたら、外科では関連付けて考えますよ、と言われた。盲腸が痛むのと関連するとか。 / ヒポコトリ ( 2009-12-31 04:33 )

2009-11-19 壮年にとっての人口問題

 S先生*0と話したら、ところで人口問題についてどう思いますかと聞いたら、私は町中の人であればきらめく瞳となったが、感銘のそれではなかった。つまり、先生は、「少子化と食料問題のせめぎあい」という、実に社会の中にいる、中立的らしき情報を述べた。そして、あなたはどう思うかと言われ、絵を描くのは罪だと思って、描かなくても済む私のような人間は、描かない方がよくて、それでも描かずにはいられない人だけが描くべきだというようなことを言った。それはオブラートに包んだ言葉であり、社会的な言葉であり、つまり、絵以外の能力があるのなら、僕は漫画描く以外できそうになかったといって菓子工場から帰ってきた才野茂*1でないのなら、絵なんてゴミをつくるな、と言っても言い過ぎではない状況が私が肌で感じる世界では起こっている状態なのだというのが、私の中のリヴァイアタンである。けれど同時に私は認めたいと思う、私は「毎日絵を描きたい、太鼓たたいていたい、イルカといつも遊んでいたい」*2と思える程の才能がないということを。

 私が興味があるのは、真が何であるのかと同時に、善とは何であるのかであり、それは生きるという、行動の選択を迫られるものの中で、気持ちよく生きるために必要である善というものを、例えば2009年にはどういうことなのか、ということである。過去の名著にそれらしきヒントが沢山転がっている。

 ただ認めておきたいのは、私が、これから成長の時代ですよ、これから産業革命ですよ、これから上京ですよ、これからルネサンスですよ、と言われている環境にいたのなら、こうは思わず、迷わず上京し、ピルグリムファーザーズになり、カップヌードルを食べ、南カリフォルニアに行っただろうということだ。私は東京に住んでいたから、経済的余裕にある家に生まれたから、アールブリュット日本版で言えば正規の教育を受けたから、そう思うのだろうということだ。これはイギリス人や日本人が第三世界に対して環境破壊を考えてくれと言うのと同じような、「思想と行動の不一致」をにおわせるので、陸の孤島あるいは僻地つまりは手の届く世界単位*3世界で生活した後にどう思うか、考えたいと思う。


*0 壮年
*1 まんが道という漫画の登場人物で、藤子F不二雄がモデル
*2 天才てれびくんMAXの2005年頃に歌ってた歌の歌詞
*3 世界単位という言葉は、高谷好一の本を読めば分かるが、乱暴な言い方で言えば、「常識」が共有されている区域、と思っている。けれど、ここで使った意味合いでは、小宇宙のようなもの。

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2009-11-03  読書記

11/
*『岩波講座社会科学の方法9 歴史への問い/歴史からの問い』「3 自然・歴史・風土」オギュスタン・ベルク
11/ー了
『ジーニアス・ファクトリー』
11/
*『世界の大思想 モンテーニュ 随筆録エセー上』25章
11/
*『世界の名著 ルソー』「学問芸術論」
11/3-
*『新・脳の探検』フロイド・E・ブルームブルーバックスB1431,B1432/2004/各2000円
11/3-
*『成長の限界 人類の選択』ダイヤモンド社/2005.3
11/3了
『「成長の限界」に学ぶ A.ペッチェイ:21世紀への行動指針』鳩山由紀夫/小学館
11/1-3了
『グラン   モーゼス  農  100年の自伝』グラン  マ・モーゼス/未来社
”わたしたちがこどものころというのは、食べ物というのはかたいものばかりだったので、歯磨きなんて毎日するものではありませんでしたし、虫歯にもなりませんでした。”
10/-11/3了
『』山下清/ちくま文庫
10/-11/2了
『ヨーロッパ文化と日本文化』ルイス・フロイス/岩波文庫青439-1
7/-10/了
『郵便配達夫シュヴァルの理想宮』岡谷公二/河出新文庫?/2001(1992、作品社の文庫版)
10/29
『批判的想像力のために グローバル化時代の日本』テッサ・モーリス=スズキ/平凡社
外人で日本研究した人で、日本人に有名なのは、批判対象となりうる人たちのみで、ルース・ベネディクトであり、エドウィン・ライシャワーであり、エアウラ・ヴォーゲルとなってしまう。日本への批判的研究は無視される傾向がある。英語圏で言えば、ハーバート・ノーマン、ハリー・ハルトゥーニアンと酒井直樹。


*つまみ読み

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