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ヒポコトリの「書を捨てないで 町へ出る」


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はじめまして    chCCygEPcF

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2009-12-27 わたしは4度目の腸閉塞になった(2)
2009-12-27 わたしは4度目の腸閉塞となった
2009-11-30 わたしの超閉塞対策
2009-11-30 わたしの腸閉塞対策
2009-11-19 壮年にとっての人口問題
2009-11-03  読書記
2009-11-03 神保町の古書市
2009-11-03 疑問
2009-10-29   アール・ブリュットについて
2009-10-20 二次的な言葉


2009-12-27 わたしは4度目の腸閉塞になった(2)

(過去の日記に書いてありますが、私が腸閉塞になる原因というのは、2004年2月に卵巣がんのために行った手術によるようです。その後、2005年1月、2006年7月・10月に腸閉塞で胃管というのを入れて、治りましたが、今回はイレウス管というのを入れても治らなかったので、手術となりました。)

12月2日(水)
夜はアルバイト。22時あたりから痛み始める。最後の食事は15時に食べた麻婆豆腐、20時に差し入れで貰ったサーティーワンのアイス。24時に少し気持ち悪くなりはじめる。

12月3日(木)
 明け方に嘔吐したので、あこれは入院だなと思って、勉強道具をかばんにつめて、タクシーを呼んで病院に行った。6時に着いた。家で2回嘔吐の波があってからは痛みが落ち着いていたので、病院来ちゃったけど早まったかなぁ…恥ずかしいかもしれないがこれはこれでありがたいかもしれない…と思いながら診察を受けていた。20代らしき若い医者が、眠そうで、くしゃみして、私が「2回です…あ、3回だったかもしれないです」と言ったのを記入するときに、2を3に書き換えるのをちんたらとやるので、最悪だなあと思っていたら、ちゃんと本番の医者が出てきて救われました。レントゲンもとらないうちから、今迄で一番早く鼻から管を入れてくれました。(腸閉塞1回目の時は一晩待って、ずっと痛みと嘔吐を繰り返して辛かった。)
 午前のうちに病棟に移ったが、吐き気が続いていて、嘔吐した。きちんとトイレに行けたが、これが間に合わないほど突然来るという人がいるらしいことをネットの日記で知ったが、私の場合の吐き気は、吐き気がたまっていって、ある程度を超えたところで、気持ち悪さを解消するためにトイレに向かって、便器を見て初めてこみ上げてくる感じのものである。ちなみに、痛みの質と強さは毎回違う。
 管が入っているのに嘔吐するというのは初めてだな、と思って嫌だな、と思った。管を見て気づいたが、途中でつまっているらしかった。それを伝えて「ひいて」もらうと、その後は吐かなかった。もう辛くはなかった。

12月4日(金)
イレウス管に入れ替えることになった。
レントゲン?で見ながら入れる。胃を過ぎたあたりでもぞもぞと動いたり、おなかを押されながら入れられるのは、何というか気持ち悪かった。2mくらい入れると言ったが、1m70cmくらい入った。40分くらいだった気がするが、あれ以上続いていたら気持ち悪くて吐いていた気がする。帰りは気分が悪くて車椅子で運んでもらった。その後気分悪く夜までパラマウントベッドをおこしてもたれていた。その後はぐっすり寝れた。

12月5日(土)
12月6日(日)
12月7日(月)
手術
手術室に入るなり「オペ室勤務の」看護師さん3人が妖精のように集まってきた。背中から麻酔を入れる際に体をおさえてくれる手がすごく安心した。前回の麻酔は、完全に記憶がないので、今回の麻酔は覚えてみようと思って、意識を保とうとしてみた。体が重くなっていき(しかしそれは下に向かってではなくて、色々な方向に向かって)それは徐々にではなく、そしてぷっつりと意識は切れた。気づいたら、先に痛みがあった。切ったところが非常に痛かった。1時間くらいその痛みから感傷的になった。看護師さんにやたら喋りかけたりした。15時から1時間半くらいの手術だった。

12月8日(火)
12月9日(水)
鼻の管のせいでのどがいたいのが辛い

12月10日(木)
12月11日(金)
12月12日(土)
12月13日(日)
退院
実家に帰る

12月14日(月)
12月15日(火)

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2009-12-27 わたしは4度目の腸閉塞となった

 そのあと、12月2日の夜にまた痛くなって、明け方ついに嘔吐したので、12月3日の早朝に病院に行き、入院となった。10日ほどで退院したが、再び痛くなり、吐き気はないもののその痛さであまり食欲が出なかった。1週間後に抜糸(今回は手術となった)で通院の予約が入っており、そこで1週間調子が悪かったんです、と伝え、その際に入院となった。今日はその退院の日である。


 12月をほぼこれに費やしたことになってしまうが、その12月に思ったことについて。

・おいしんぼを病院にあるだけ読めたこと(その病院には雑誌や漫画や本の棚が小さいながらもあった)
・今回も細木数子の言う殺界の時期に腸閉塞となったこと に数日のうちに気づいた自分
・苦しいときの看護師さんは天使のようであること
・『フリブール日記』犬養道子著で難民というもの・スイスというものをやっと知った。30年前の話だが、ここ数十年の国民性(風土性・歴史性)というのはほぼ全く変わっていない気がした。ここに書かれる難民キャンプといまここで体験する日本の病院との違いに、どうすればいいのかと思った。例えば、あれだけ憎い企業というやつがなければ、その企業の収めてくれる税金がなければ、病院は成り立たないのだろう。
・新聞というのは、文藝春秋のような本とセットでないとおもしろくないなと思った。
・朝日と夕日の時間によく屋上に出た。住宅街ではあるが、ダスクの時間には特に、建物の光の光景というのが好きだった。アメリカなど大嫌いであるが、私はそこに異国情緒をみて、日本から感じるアメリカなど大嫌いであるが、そこにニューヨークという象徴をしていた。それは、大嫌いは企業というものと結びついた海外出張で滞在するホテルの夜景、あるいは、大嫌いな観光海外旅行のような。しかし私はそれに憧れているらしかった。けれどたとえばそれでも、そのきれいなベッドやきれいな服や身だしなみの中の自分というのは、子供の頃からと同じように居心地悪いと思った。
・高校英語にこれだけ明確なルールがあるのかと初めて知った。

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2009-11-30 わたしの超閉塞対策

 そういうわけで朝には落ち着き、夜はあまり寝れなかったので、寝不足から寝ていた。昼に起きてもまだうすら痛かったので、2週間かかりっきりだった絵を描きに行くのを思い切ってやめた。家にいれば勤勉の良心がはずれるので、寝たり、本を読んでいた。最近はもっぱらイスラームである。かさねの色目のことが気になり、ネットをしようと決めた。いつの間にか、かつて心をとりこにしたアイドルの現在の情報を探していた。特に気になっていたのは、昔会ったことのあるBerryz工房のファンの人たちが今もそうなのかということと、NYCときいたらNは中島裕翔だろうと普通思うだろうと思っていたが、それが中山なんとかという人だったことに驚いたのは、私が離れている間に常識が変わったのか?ということだった。他には、ヤアヤアヤアの番組はどうなったのかということであり、今も薮と八乙女がはっていると知って、私は驚いた。そして変わらないことは安心だった。太陽くんがバレーボールの時から出ていないこと、堀越の生徒会長だったこと、おもしろいな、と思った。かつてのBerryzファンはエッグのファンであり、その子はあの子に似ていた。…これら全ては、イスラームのベールについての外部からの意見のようなものである。そしてyoutubeで見るその映像らは今も現役で私の心をつかんだ。歴史も鍛錬も消失したかのような歌、として孤独を感じると共に、旋律や踊りは気持ちが良かった。新たに獲得したのは、これだけの人物配置、収集、会場、映像を作ることは、簡単なことではない、プロの仕事なんだなと思った。(それは悔しい気持ちがあった、しかしそこに思想はあるのだろうか。頭で否定しても関わってしまう、それが資本主義の悪魔だと思う。)youtubeはすごかった。その感情は、例えば水村さんがノスタルジアにいいですと形容するような讃えられる生き方の世界から、はまりこんでしまう世界へというものであった。こういうことを、学問に迷い込んで足腰を失い青白くなってしまった幽霊のような、と形容するのが好きだ。ところで、アイドルはやはりすごかった。私は自分がティーンになる前から、そして終わった今でも、彼らの見た目は美しすぎると思っている。そこには、背後に物語ができてしまう。ただし気分がよくないのは、中身がおいしくないだろうに、惹かれてしまう自分の気持ちが居心地悪いのだ。現在の日本のティーンは、他の世代と閉ざされて育つようにできているために、世界観がひどいのだと思っている。その思いは、西洋近代のシステムに近づき列強を目指した日本がいけないのだと思ってのがれられない。なにか、を共存してそれを行うことはできなかったんだろうか。歴史の死んだのとひきかえに、この豊かさを手に入れて…私はどうしてもイスラームでないにしろ、非・資本主義合理的効率的な生き方をしている人々の本を読むのがすきだし、そしてそれは読むまではそんな世界もあるのだとまるで知らなかったのだ。終わりなき日常などという言葉の生まれるのは当然だと思っていたし、イスラームのベールが、見た目という罠からの解放を示している、そのようなものが何もかも死んでしまった、それは渋谷の街であり、下北沢の街であり、芸術であり、悲しい世界であると共に、罪であると思う。

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2009-11-30 わたしの腸閉塞対策

 11月で終わらす予定の卒業制作が終わらないことがわかった。その最後の日である今日は、全くやらなかった。それというのも、腹痛だったからだ。昨日と一昨日の夜は今年最初の腸閉塞の恐怖であった。時期の悪さもあるが、一昨日、とりあず治ったといって昨日の夜食べ過ぎたのがいけなかった。私は、腸閉塞にかつてなってからというもの、生理と腸の動きの関連性を思ってならない。生理がきたとたん、とても調子がよくなるのだ。その代わり、生理になる前というのは非常に腸の調子が悪い。つまり今は生理前である。このことを婦人科のお医者さんに聞いてみたら、わからないと言われた。


・晩夏〜春が対策期間である。つまり寒さが敵である。私は晩夏からはらまきがかかせない。おそらくはらまきがなければ毎日恐怖を味わうだろうほど、効果は大きい。ちなみに、はらまきはしめつけの強いものが多いので、ちょうどよいものを探すのが仕事である。私は小田急線の経堂駅のジョイフルのどこかで買ったが、数年ぶりに通ったらジョイフルはなくなっていた。ユニクロで探したことはないが、ところでユニクロで買いすぎないように私はみなさんにお願いしたいですが、気持ちの良い肌着というものは、結構、スーパーに入ってる肌着屋さんで買える。

・競技ダンス部に入ってから、私は健康をとりもどした。あと、少し恐怖を感じ始めたときに、競技ダンスではラテンのチャチャチャという踊りの、基礎練をするようになったが、これは効くと思う。これのおかげで助かったかもしれないというのは3回ほどあった。分からない人はあれをやればよい、ちょっと前に流行った

・あとはタイミングの悪さでしかないと思っている。毎回、今回はなぜ回避できたか、また回避できなかった数回のことを比べても差がよく分からない。

・大建中湯を飲む。病院で出してくれる。私はこれが欠かせなかったが、ある頃から勝手に減らすようにし、最後に腸閉塞になって(2006冬)1年後から飲まなくなった。そう医者に言ったら飲んだほうがいいと言われたので、本当はよくないはず。でも今日久しぶりに数年前のやつを一応飲んで、なんか効いた気がする。

・かがむ姿勢はよくない。土曜日は、絵の床に近いところをかくためにずっとかがんでいた。

以上は迷信である。

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生理前に腸閉塞もどきの痛みがある、あるいは生理が来た途端にうんこがいっぱい出て、お腹がすっきりするとはこのことか!という話については、どうやら本当に関係があるらしい。どっかのネット上のpdfファイルで(見失った)一般向け腸閉塞パンフがあったが、生理前は女性ホルモンが出ていて腸の動きがにぶります、とあった。あと、入院したときに聞いたら、外科では関連付けて考えますよ、と言われた。盲腸が痛むのと関連するとか。 / ヒポコトリ ( 2009-12-31 04:33 )

2009-11-19 壮年にとっての人口問題

 S先生*0と話したら、ところで人口問題についてどう思いますかと聞いたら、私は町中の人であればきらめく瞳となったが、感銘のそれではなかった。つまり、先生は、「少子化と食料問題のせめぎあい」という、実に社会の中にいる、中立的らしき情報を述べた。そして、あなたはどう思うかと言われ、絵を描くのは罪だと思って、描かなくても済む私のような人間は、描かない方がよくて、それでも描かずにはいられない人だけが描くべきだというようなことを言った。それはオブラートに包んだ言葉であり、社会的な言葉であり、つまり、絵以外の能力があるのなら、僕は漫画描く以外できそうになかったといって菓子工場から帰ってきた才野茂*1でないのなら、絵なんてゴミをつくるな、と言っても言い過ぎではない状況が私が肌で感じる世界では起こっている状態なのだというのが、私の中のリヴァイアタンである。けれど同時に私は認めたいと思う、私は「毎日絵を描きたい、太鼓たたいていたい、イルカといつも遊んでいたい」*2と思える程の才能がないということを。

 私が興味があるのは、真が何であるのかと同時に、善とは何であるのかであり、それは生きるという、行動の選択を迫られるものの中で、気持ちよく生きるために必要である善というものを、例えば2009年にはどういうことなのか、ということである。過去の名著にそれらしきヒントが沢山転がっている。

 ただ認めておきたいのは、私が、これから成長の時代ですよ、これから産業革命ですよ、これから上京ですよ、これからルネサンスですよ、と言われている環境にいたのなら、こうは思わず、迷わず上京し、ピルグリムファーザーズになり、カップヌードルを食べ、南カリフォルニアに行っただろうということだ。私は東京に住んでいたから、経済的余裕にある家に生まれたから、アールブリュット日本版で言えば正規の教育を受けたから、そう思うのだろうということだ。これはイギリス人や日本人が第三世界に対して環境破壊を考えてくれと言うのと同じような、「思想と行動の不一致」をにおわせるので、陸の孤島あるいは僻地つまりは手の届く世界単位*3世界で生活した後にどう思うか、考えたいと思う。


*0 壮年
*1 まんが道という漫画の登場人物で、藤子F不二雄がモデル
*2 天才てれびくんMAXの2005年頃に歌ってた歌の歌詞
*3 世界単位という言葉は、高谷好一の本を読めば分かるが、乱暴な言い方で言えば、「常識」が共有されている区域、と思っている。けれど、ここで使った意味合いでは、小宇宙のようなもの。

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2009-11-03  読書記

11/
*『岩波講座社会科学の方法9 歴史への問い/歴史からの問い』「3 自然・歴史・風土」オギュスタン・ベルク
11/ー了
『ジーニアス・ファクトリー』
11/
*『世界の大思想 モンテーニュ 随筆録エセー上』25章
11/
*『世界の名著 ルソー』「学問芸術論」
11/3-
*『新・脳の探検』フロイド・E・ブルームブルーバックスB1431,B1432/2004/各2000円
11/3-
*『成長の限界 人類の選択』ダイヤモンド社/2005.3
11/3了
『「成長の限界」に学ぶ A.ペッチェイ:21世紀への行動指針』鳩山由紀夫/小学館
11/1-3了
『グラン   モーゼス  農  100年の自伝』グラン  マ・モーゼス/未来社
”わたしたちがこどものころというのは、食べ物というのはかたいものばかりだったので、歯磨きなんて毎日するものではありませんでしたし、虫歯にもなりませんでした。”
10/-11/3了
『』山下清/ちくま文庫
10/-11/2了
『ヨーロッパ文化と日本文化』ルイス・フロイス/岩波文庫青439-1
7/-10/了
『郵便配達夫シュヴァルの理想宮』岡谷公二/河出新文庫?/2001(1992、作品社の文庫版)
10/29
『批判的想像力のために グローバル化時代の日本』テッサ・モーリス=スズキ/平凡社
外人で日本研究した人で、日本人に有名なのは、批判対象となりうる人たちのみで、ルース・ベネディクトであり、エドウィン・ライシャワーであり、エアウラ・ヴォーゲルとなってしまう。日本への批判的研究は無視される傾向がある。英語圏で言えば、ハーバート・ノーマン、ハリー・ハルトゥーニアンと酒井直樹。


*つまみ読み

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2009-11-03 神保町の古書市

 神保町の古書市というのに初めて行ったが、普段と違うのは、店の前にも棚を並べること、店とは関係無しに路上に並んでるのが少し、日曜・祭日でも開いている、あとすごいなと思ったのが、出版社がある種の本を100円や300円やらで売っているところ、それ以外にすごいところがあったのかは分からない。出版社は岩波書店や中央公論新社などは100円というのはやっていなかった気がする。私は結局、普通の店内で4冊買った。もしかしたら、店の人は店内にもこの日のためにいいと思うものを出しているのかもしれない。
 その通りを通ったのは珍しかったのだが、その通りに美術の古本屋さんがあったのは知らなかったので、源喜堂しか知らなかったので、知れたのが良かった。高めだなあと思ったが、なんであれ、同じ町に2つあるというのは、何回か行ってみたいと思う気にさせられるなあと思う。
 あと、私はけっこう町にいる若い人のほとんどが嫌いだが、おじさんのほとんども嫌いだなあと思った。初めから人をよける気がないようなので、そしてぶつかってきたあと見てそれがケンカを売ってくるように感じるので。そういうときは、ドアをくぐるみたいにして、目をつぶって、ふんっと思って、忘れることにするといい。そういうのがバイク乗ってる時に起こると、バーンってほんとうに口に出して、その車が事故るのを想像すると、すっと収まるのでいい。あと、下北沢はこの間行って大嫌いになったが、渋谷に行ったらもっと大嫌いなところを見つけてしまった。それでも私はそういうことをやめないので、お金を使うのも町で人を感じるのも好きなんだろうなあと思う。でも、町では顔が沈むので、その時の心は嫌な感じなはずなので、このことをもう少し考えたいと思う。

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2009-11-03 疑問

・シュルレアリスムに関する本が豊富で、アールブリュットは皆無に近いことがなぜか。あと、シュルレアリストどころか、20世紀の視覚芸術の象徴となれるんじゃないか、といわれていたプリンツホルンの本も訳されていない。これは、精神医学の方でどれだけ知られているのか分からないが、彼らは頭がいいから、外国語の本というのは朝飯前だから訳して欲しいというのがアホな話なのかもしれない。美術手帖、芸術新潮、みずゑ、その他雑誌に少し載っている程度で、非常に困っている。あと展覧会でいえば、私はそういえばシュルレアリスムがテーマの展示というのは見たことが無かったと思った。知ったことも無い気がする。そっちで言えばアール・ブリュットの方が今は盛んだ。あと演劇の人はダダという言葉をよく口にしていたと思う。ところで、世田谷美術館は設立当初、「ナイーヴ派に重きを置く」と言う方針があったと芸術新潮に書いてあった。その芸術新潮は、今日読んだものだが、「素朴派バンザイ」と背表紙に書いてある特集で、数ページほど切り取られていたことに気づいたが、買ってから10日ほど経っているので、レシートはもう「おかね」帳につけてあるので、捨ててしまったからここで書いてやろうと思った。けれどなんだか気持ち悪いなとも思うので、下北沢のどこかの古本屋さんとだけ言おうと思う。でもそこは、欲しい本がとてもとてもあったので、店員さんのミスの2%のうちの1つに当たってしまったのだろうと思いたいが、その時の店員さんは抜け作っぽい店員さんだったので、抽象化によると、その店は要注意ということになった。

・冷えから来る腹痛で下痢になり、そして便をすれば治るのはなぜか

・イスラーム圏での世界史の教科書
日本の世界史の教科書は、キリスト教圏のものであり、近代ヨーロッパのものであるので、その最たる対立軸としてのこれが読みたい。

・科学者の9割は〜で丸山茂徳が挿入している図版のうち、『多文明世界の構図』から拝借しているものが、元の本から探せられない。

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2009-10-29   アール・ブリュットについて

 それはデュビュッフェの話でしかない。デュビュッフェが収集の基準を定めた、そのときの定義でしかない(その定義の3つあることを「アウトサイダーズ・アートブログ」という、ペンネームしか分からない作者のサイトで知ったが、私はまだ読んでいない)。



・「Daybook」デュビュッフェが収集し始めた頃からつけた日誌
・「conversation」Macgregorがデュビュッフェとの会談の時につけた記録?
ここに、「アール・ブリュット」「生の芸術」という言葉の放つ神秘性についての秘密がつまっている。


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それどころか、
・”Prospectus”→英語訳出てる?
・”Ibid”→英語訳出てる?
・”          ”→英語訳出てる?
などでデュビュッフェの直接の言葉で説明がされている。

あと、面白いと思ったのは、文化的な人々より、一般市民の方が美術の本質を知っていたのは1940年代の話で、今や(いつなのかは未確認)知識人の方がましだ、と言っている。(私の、英語文の解釈があってたら、たぶん)

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バックパッカーは、伝染病とか犯罪が怖くて結局なっていません…今かなり頭でっかちな気分です。中国では差不多って言葉がよく使われるって昨日の新聞にありました。何でも市の人間文化財みたいな人が人間国宝として紹介されて、差不多って言って客寄せされたとか… / ヒポコトリ ( 2009-11-19 18:21 )
ちなみに俺の方は6年で変わった事と言えば仕事で年がら年中、上海に行ってたことかなー。あーあと結婚もしたわ。結婚シンドイwww  / nsjm ( 2009-11-06 10:09 )
(゜Д゜)トモクゥォォォォォォォォォォ―――!!! とか言ってた頃から6年経ってるからねぇ・・・ 時の流れは速いわw でもヒポコはまだ学生かー。羨ましい。昔話してたバックパッカーの夢は実行したのかな?ヒポコって良い意味で独特な雰囲気や思考を持ってそうだし海外行ったら、もっと自分を成長させられそうだねー。日記読んでるとホントに何か分らないけど惹かれるモノがあるよ。飲みながら話ししてみたいw / nsjm ( 2009-11-06 10:07 )
今は卒業制作というのをやっていますよ。卒業論文のある大学の、その代わりのようなものです。Tommyことザ・ブリリアント・グリーンは事務所の契約が無くなりましたね。ああいうのはよく分からんですが、円満解約ということなんでしょうかね。 / ヒポコトリ ( 2009-11-03 21:57 )
よっ!また来ちゃった。 そーいやーヒポコは絵の勉強どーなったの?つーか今何やってんの? / nsjm ( 2009-11-02 17:56 )

2009-10-20 二次的な言葉

■「私は○○というものは分からないが・・・」
共感はできないが、偉大さは理解しているつもりなので、それを否定すると自分の能力の無さを認めるというぬるい場になってしまうのを避ける際につかう言葉
及び自分が神でないことの証拠
例)「私はセザンヌというものは分からないが、近代絵画の父と呼ばれている人ですよね。どうかしましたか。」
例)「私はセザンヌというものは分からないが、二次元の神というのは分かりますよ。」


■マナー
自明なものとしてつかう、日本人の弱点
例)「他学年の部屋に勝手に入ってきたり、制作場所に置いてある画集を無断で見たりするのはマナーとしてどうなのか・・・声をかけるなどして、考えて下さい。」


■汚い「ありがとう」
自分の怠惰の尻拭いをしてもらった時のそれ



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セザンヌは『セザンヌ』ジョアシャン・ガスケ /岩波文庫2009.4
がいいらしい


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↑の本は、セザンヌの知り合いの子供が書いた本だが、主観的なにおいがするらしい。その本をつかって「セザンヌ」「ルーブル美術館訪問」をとっているストローブ=ユイレという人たちがいて、その人たちは、セザンヌ展用に以来されて作った映像を美術館側に拒否されたらしいが、理由は解説書に書いてなかったが、ガスケの本のせいなのだろうか。

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