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ヒポコトリの「書を捨てないで 町へ出る」


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はじめまして    chCCygEPcF

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2009-10-29   アール・ブリュットについて
2009-10-20 二次的な言葉
2009-10-19 真なるもの
2009-10-17 読書記
2009-10-15 温暖化はしない、の次
2009-10-15 ヘイマンス
2009-10-05 「アドルフ・ヴェルフリと白恐怖」松田行正についての疑問
2009-10-05  「アドルフ・ヴェルフリと白恐怖」松田行正についての疑問
2009-10-04 新宿の模索舎、荻窪の古本屋
2009-09-25 「自分さがし」への批判への反駁


2009-10-29   アール・ブリュットについて

 それはデュビュッフェの話でしかない。デュビュッフェが収集の基準を定めた、そのときの定義でしかない(その定義の3つあることを「アウトサイダーズ・アートブログ」という、ペンネームしか分からない作者のサイトで知ったが、私はまだ読んでいない)。



・「Daybook」デュビュッフェが収集し始めた頃からつけた日誌
・「conversation」Macgregorがデュビュッフェとの会談の時につけた記録?
ここに、「アール・ブリュット」「生の芸術」という言葉の放つ神秘性についての秘密がつまっている。


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それどころか、
・”Prospectus”→英語訳出てる?
・”Ibid”→英語訳出てる?
・”          ”→英語訳出てる?
などでデュビュッフェの直接の言葉で説明がされている。

あと、面白いと思ったのは、文化的な人々より、一般市民の方が美術の本質を知っていたのは1940年代の話で、今や(いつなのかは未確認)知識人の方がましだ、と言っている。(私の、英語文の解釈があってたら、たぶん)

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バックパッカーは、伝染病とか犯罪が怖くて結局なっていません…今かなり頭でっかちな気分です。中国では差不多って言葉がよく使われるって昨日の新聞にありました。何でも市の人間文化財みたいな人が人間国宝として紹介されて、差不多って言って客寄せされたとか… / ヒポコトリ ( 2009-11-19 18:21 )
ちなみに俺の方は6年で変わった事と言えば仕事で年がら年中、上海に行ってたことかなー。あーあと結婚もしたわ。結婚シンドイwww  / nsjm ( 2009-11-06 10:09 )
(゜Д゜)トモクゥォォォォォォォォォォ―――!!! とか言ってた頃から6年経ってるからねぇ・・・ 時の流れは速いわw でもヒポコはまだ学生かー。羨ましい。昔話してたバックパッカーの夢は実行したのかな?ヒポコって良い意味で独特な雰囲気や思考を持ってそうだし海外行ったら、もっと自分を成長させられそうだねー。日記読んでるとホントに何か分らないけど惹かれるモノがあるよ。飲みながら話ししてみたいw / nsjm ( 2009-11-06 10:07 )
今は卒業制作というのをやっていますよ。卒業論文のある大学の、その代わりのようなものです。Tommyことザ・ブリリアント・グリーンは事務所の契約が無くなりましたね。ああいうのはよく分からんですが、円満解約ということなんでしょうかね。 / ヒポコトリ ( 2009-11-03 21:57 )
よっ!また来ちゃった。 そーいやーヒポコは絵の勉強どーなったの?つーか今何やってんの? / nsjm ( 2009-11-02 17:56 )

2009-10-20 二次的な言葉

■「私は○○というものは分からないが・・・」
共感はできないが、偉大さは理解しているつもりなので、それを否定すると自分の能力の無さを認めるというぬるい場になってしまうのを避ける際につかう言葉
及び自分が神でないことの証拠
例)「私はセザンヌというものは分からないが、近代絵画の父と呼ばれている人ですよね。どうかしましたか。」
例)「私はセザンヌというものは分からないが、二次元の神というのは分かりますよ。」


■マナー
自明なものとしてつかう、日本人の弱点
例)「他学年の部屋に勝手に入ってきたり、制作場所に置いてある画集を無断で見たりするのはマナーとしてどうなのか・・・声をかけるなどして、考えて下さい。」


■汚い「ありがとう」
自分の怠惰の尻拭いをしてもらった時のそれ



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セザンヌは『セザンヌ』ジョアシャン・ガスケ /岩波文庫2009.4
がいいらしい


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↑の本は、セザンヌの知り合いの子供が書いた本だが、主観的なにおいがするらしい。その本をつかって「セザンヌ」「ルーブル美術館訪問」をとっているストローブ=ユイレという人たちがいて、その人たちは、セザンヌ展用に以来されて作った映像を美術館側に拒否されたらしいが、理由は解説書に書いてなかったが、ガスケの本のせいなのだろうか。

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2009-10-19 真なるもの

 真なるものを探すように生きて楽しくなって久しいと確認するときに、真なるもの、という言葉をよくわからないまま使っている。わかっているのは、「真なるもの」は、本や頭の中だけでは作り出せないものであって、人と人との間や経験の中にあるもの、「真なるもの」を見つけたときは、それが良いことであれ悪いことであれ、目の覚める思いのするものであるということ。



 だから本の世界に触れられない日でも、人との関係をよくしようと努め、目的に対してよりよく進もうと努めるべきであって、そうするが、それでも1日本に触れられないとなると、もう頭が悲鳴をあげて、やっぱり向いてないから、それでも社会的に生きることをあきらめたくない場合、努力だなと思う。しかし、人と人との間というのを過大評価していたとも言える経験を先週の水曜日にした。


 先週の水曜日、国家的な話になったら「右」という単語が出て、井戸端会議のような雰囲気で終わったが、それは平和慣れではないか、と思った・・・。私は、国を愛する、と言ったら気持ち悪いかもしれないが、そうする方がいいと思っていた。(どうも愛とか好きとかに関する言葉が不自由だ・・・。)小さな範囲で言うと、自分の所属する会社、学校、地域を好きになる、そうしなければ建設的なことができないというのが自明なことだと思っていた。耐えられないのであればそこを離れればいいことだが、国は避けられないと思っていた。もちろん、国というものへの捉え方は境界的な生き方の定着している部族もいるからそれは別の話になれると思うし、国家という制度自体に対する意見はまた別にしたい。個人主義の人は国家をよりよりしていかないと生きづらくてたまらないのだと思う。


 ここで「真なるもの」として確かなものは、40代の人にとって「右」という言葉はかなり定着しているということだ。この僻地で、この年代差間の価値観のかなり減っている現在において、これだけの動揺がおこるということは、自分は随分保守的なのかと思った。もう少し対話したいと思うが、私は一日の分量の限界が早い・・・。






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10/29

その人が言っていた「右」というのは、おそらく「忠誠」ということだ。私は「愛国心」と「国家への忠誠」の区別を意識していなかった。

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2009-10-17 読書記

10/-
『エクソフォニー』多和田葉子/
10/-了
『多文明世界の構図』高谷好一/中公新書1339/1997
イスラーム世界の、日本でいう世界史の教科書というのがどんなものなのかを調べようと思う。
10/-
『ナジャ』アンドレ・ブルトン(巌谷國士訳)/岩波文庫/2003.7
これ(文庫前のはいつのだか不明)以前に出ている「ナジャ」は全て非1963年版
10/了
『岩波世界の美術 クールベ』2004
10/了
『科学者の9割は 温暖化      』/宝島新書/2008
10/
『死はなぜ進化したか』クラーク
10/
『ピアニスト』エルフリーデ・イェリネク/
10/
『倫理学』1、2、3、4 和辻哲郎/岩波文庫
10/
『家族における   』中根千枝/講談社学芸文庫
10/
『群像 11月号』ナボコフ関連、高橋源一郎、
10/
『緋色の研究』コナン・ドイル
10/
『考える人 ルソー』ファゲ/高波秋訳/ジャン・ジャック書房
10/つまみ読み
『インテリジェンス人間論』佐藤優/新潮社
10/-了
『甦る怪物』佐藤優
9/25-
『ポオ 詩と詩評』
9/24-
『シャーロック・ホームズの冒険』コナン・ドイル
9/22-24了
『魔女の1ダース』米原万里/新潮文庫
9/了
『疲れすぎて眠れない夜のために』内田樹/
9/-
『司馬遼太郎が考えたこと2』司馬遼太郎/新潮社
9/-10/2了
『風土』和辻哲郎/岩波文庫
9/了
『自壊する帝国』佐藤優/新潮文庫
8/-
『宮城まり子が選ぶ 』
8/了
『淳之介さんのこと』宮城まり子/文春文庫
8/ -
『獄中記』佐藤優/岩波現代文庫
8/了
『国家の罠』佐藤優/新潮文庫
8/
『外務省ハレンチ物語』佐藤優/
7/30-
『リヴァイアサン』ホッブズ/中央公論社
6/
『ゼロ年代の想像力』宇野常寛/早川書房
5/9-
『日曜日の図書館』/勝原晴希、宮下啓三ほか 小阪修平監修/ぺブル選書2/増進会出版社
5/8-
『アベラールとエロイーズ』畠中/岩波文庫
『中世騎士道物語』ブルフィンチ/野上やえこ訳/岩波文庫
5/7-8了
『愛の往復書簡』佐藤輝夫/角川文庫
5/4-
『西域物語』井上靖/新潮文庫
5/3-
『不倫は家庭の常備薬』田辺聖子//
『20世紀アメリカ短編選(上)』大津栄一郎編訳
4/30-5/1了
『孤独な夜のココア』田辺聖子/新潮社/S57?
4/26-
『創造活動の理論The act of creation』アーサー・ケストラー
4/23了
『至高聖所(アバトーレ)』松村栄子
4/20-24了
『Y染色体から見た日本人』中堀豊/岩波科学ライブラリー110
4/19了
『人間は遺伝か環境か?遺伝的プログラム論』日高敏明/文芸春秋/2006?
4/16-
『ゲド戦記 2』
4/12-
『利己的な遺伝子』ドーキンス
4/6-断念
『個体発生と系統発生』
4/5-10
『アダムの呪い』ブライアン・サイクスBrian Sikes
4/2-13
『ゲド戦記 影との戦い』
1/了
『告白』ルソー/岩波文庫
1/22
『だりや荘』井上荒野
1/20
『風の谷のナウシカ』宮崎駿
1/12
『 東綺譚』永井荷風

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2009-10-15 温暖化はしない、の次

温暖化はしないという考えを丸山茂徳の本で理解したので、次はそれに対する意見を調べることにしようと思う。

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国が何ゆえ二酸化炭素25%削減を掲げたのかについての推測
1.という名の、脱石油
2.日本という国の立場的に(軍事費が少ないとか、比較的平和とか、自然の恩恵とか)

いずれも、二次的な理由(敵を作らない)があるという前提で…

--
丸山茂徳の受け売りとして、人口問題と高齢化と年金のことを考える

私の提案
1.年金を廃止する
2.代わりに、誰であれ老人であればお金を支給
3.これまで年金を払ってきた人たちは、そこに上乗せしてもらえる
4.そのためには増税して構わない



ーーー
温暖化・山火事・正のフィードバック  by関良基

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2009-10-15 ヘイマンス

Andorean Joseph Heymansアンドリアン=ジョゼフ・ヘイマンスという人の絵を損保美術館で見て、調べたら、全く出てこなかった。○○美術館展という展覧会の数千円のカタログは何年も経って数百円になってたりするけど、こういうこともあるのだなあと思った。2005府中市立美術館の『ベルギー   』2009損保美術館の『ベルギー近代   あゆみ』     の『    』   ゲント美術館  などに載っているらしい。




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「ハイマンス」で色々出てくる

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2009-10-05 「アドルフ・ヴェルフリと白恐怖」松田行正についての疑問

 季刊d/SIGNのNo.5(2003年)に載っている「アドルフ・ヴェルフリと白恐怖」松田行正という文章をどうとらえたらよいのか困っている。

 この文章において、アドルフ・ヴェルフリとは、1895年に41歳で慢性統合失調症のため精神病院に収監され、4年後にエンピツを渡され、そこからヴェルフリのすさまじい創造活動が始まったとされている。そして、死後15年を経て、デュビュッフェに見出され、ヨーロッパで広く知られるようになった人、とされている。

 『The discovery of the art of the insane』Macgregorでは、ヴェルフリに捧げられた章がある。そこでは、精神病院に収監されたのは連続少女レイプ犯で捕まり、裁判にかけられ、刑務所に入り、その5年後に精神病だとされたからだ理解していた。あと、1895年には31歳なのではないか。"Wolfli was born in 1864 in Nuchtern, near Bern.(中略)As a consequence of a series of sexual assaults on young girls he was imprisoned in 1890 at the age of twenty-six.(英語に自信がないので、特にa series of sexual assaults on young girlsというのは連続少女レイプと言う意味ではないのか。seriesがよく分からない)His hospitalization in 1895 was the result of a further sexual assault and recognition by the judicial authorities that he was mentally ill and dangerous to society."(p.211)あと、エンピツを渡してくれたおかげというのを強調するのが違う気がする。"It was in 1899 that he quite spontaneously began to draw and write."(p.211)とあるし、アール・ブリュットが何たるかというとき、精神病や障害者ではなく、自発的というのがキーワードだと思うからだ。また、ヨーロッパに広く知れ渡ったのは、デュビュッフェの影響力の方が効いたかもしれないが、生前にMorgenthalerが出したヴェルフリについての本がよく読まれて、有名になったし、自分が評価されていることは十分理解していたらしい。"In his essentially art-critical endeavor Morgenthaler succeeded brilliantly with the result that Wolfli achieved fame as an artist in Europe well before his death in 1930. Wolfli wanted his own name to be used in the book; he knew of his fame, and in fact was taken no see the first public exhibition of his picture in Bern."(p.209)"Well before his death, Wolfli knew that he was famous and that his pictures were actively sought after."(p.213)そして、Morgenthalerや他の人のために絵を描いたり、あと売ったりして、けれどその絵は魅力は薄くなっていた、つまり評価された故に才能は壊れてしまった、とまで言われている。決して社会的に切ない死に方などしていない、と理解していた(*1)。けれど私はこの本しか読んでいないため、これ以上の判断はできない。



 私が色々な本を知れたのは小出由紀子のおかげであるが、少しショックだったのは、1993年12月号の芸術新潮においての文章である。

 作品が残されることより、精神病の症状が緩和されることの方が、幸せなことだと思う…精神病で入院したことのある創作活動者を1人しか知らない私は、一般的にも、そうだろうと思っている。けれど、もし精神が安定しなくても作っていたいんです、と考える人がいるのなら臨機応変に判断していいと思う。その、作っていない間に、精神不安に襲われてもいいのなら。

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2009-10-05  「アドルフ・ヴェルフリと白恐怖」松田行正についての疑問

*1
"-and second group that consists of pictures, often on smaller sheets, executed for other people, and for sale. Morgenthaler refers to these as 'Brotkunst,' sheets drawn for others in order to obtain pencils, paper tobacco or just to please. Interestingly, Wolfli kept record of all the pistures that he sold to Morgenthaler, Dr. Forel, or others. These pictures are often inferior productions, created outside of the great mythological record, and frequently were little more than dry imitations of himself, or even direct copies. Morgenthaler was the first to realize that the interest of physicians could have a destruction effect on patient art, a fact that has since been made obvious by the efforts of art therapists working in mental hospitals."(p.213)



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バーバラ・フリーマンがより詳しいことを書いていた。
連続少女レイプ犯→1890年に幼い少女に性的ないたずら未遂2人で、禁固2年。さらに、今度は性的ないたずらを3歳半の女の子に、した。1895年に収容
a series ofは「連続」ではなく「一連の」がよいのだろうか

「パラレル・ビジョン」(展図録)

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2009-10-04 新宿の模索舎、荻窪の古本屋

先月、新宿のブックファーストのがすごかった、ホガースの本が売っていた、と書いた後、
荻窪の古本屋に行ったらへいぜんと売っていたので、都会はすごいなと思いました。




読みたい本は図書館で借りられ、あるいはコピーでき、
欲しい本は家にいても買えるために、
本屋をうろついてると、早く帰らなきゃと思うけど、
タイトルも作者も知らなくてもこの分野の本、というのを見つけられ、
いつか都会から離れることを夢見て本を買うため、
あと娯楽のため、『全国古本屋地図』を今日も持ち歩いた。


新宿に用があった。模索舎は3年間通学路沿いにあったので、2回入ったことがあったけど、識字能力の無かった私はさっぱり分からなかった。今日は初めて、面白かった。
『復活!精神病新聞全部3』小林絵理子
『PLANETS No.05』
『PLANETS No.06』
『甦るフレーブニコフ』亀山郁夫/平凡社
『考える人・ルソー』E・ファゲ著 高波 秋訳/ジャン・ジャック書房
今年の初めにルソーの告白を読んで、大きな衝撃を受けた。少し読んでみたところ、その手垢のついていない文章に期待した。帰って少し読んで、訳者的注がまた気に入った。当時の「良い人」の良いbonとは、道徳的な良いではない、ということなど。また、ルソー本人以外によるルソー関連の本を初めてだったので、当然のことだが、ルソーの客観的事実を初めて知った。イケメンだったとか、5人の捨て子は義母の考えかもしれない、とか。また、2009年出版だったのに原書は100年前のものらしく、勇気をもらった(私はそういう本に初めて出会った。)なぜなら、アール・ブリュットの主要な本は19世紀前半に集中しているからだ。もちろん、訳されていない。


用事が終わって、帰った。荻窪で乗り換えがあった。荻窪は○○書店がいい、と聞いた○○のところを忘れたので、何となく美術と書かれてあるところを回った。すばらしかった。あと子連れが街にいっぱいいていいなあと思った。歩きやすそうだった。



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○○書店とはささま書店のことで、やはりささま書店はすばらしかった。ここも、数年前はよく分からなかったが、今でも分からない棚は分からないのだが、この日も、この後の日もすばらしかった。

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2009-09-25 「自分さがし」への批判への反駁

 読売新聞に、旅行をなぜするのですか?今夏のアンケート、1位が「自分さがし」だった。どういう聞き方をしたのか、これほどまで「自分さがし」が批判されているのを見る機会が多いのに、一体どの欄にチェックをしたら「自分さがし」にカウントされてしまったのだろう。

 「自分さがし」というのが「ほんとうの自分」とか「個性」とかいう主観的、ロマン主義的な概念を前提としているという意見は、少しずれていると思うけど、いい反論の仕方が見つかってないので、放っておく。安易に旅行に出かけるのは嫌いだが…。

 旅行をする人が「自分さがし」と言って出て行くことを批判する人、に対して言いたいことについて。旅行は「自分さがし」という名の、自分の客観視、自分の文化の相対的位置、視野の広がりにつながるものだと思う。そういう社会的なもの以外にも、自然的なものの中の人間を見るにも、いいと思う。

 「自分さがし」を批判するには、まず「自分さがし」という概念の定義の曖昧さ、それをそのままにして「自分さがし」を語ること、への批判をした方がいいと思う。一番いやなのは、こういう大衆批判をする人の本は、こわい、新書のタイトルとか、言い切ってる文章とか、こわくて、下向いちゃう。

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