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ヒポコトリの「書を捨てないで 町へ出る」


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はじめまして    chCCygEPcF

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2009-08-26  気に入ったところベスト5
2009-08-26 気に入ったところベスト5
2009-08-26 近畿⇔東京 原付の旅 5日間
2009-08-03 人と協力すること
2009-07-30 ニヒリズム
2009-07-19 幸福
2009-07-12 なぜデアゴスティーニの画家シリーズは、1番目がゴッホなのか
2009-07-06  狂気
2009-07-06 狂気
2009-07-06 6月


2009-08-26  気に入ったところベスト5

第3位 静岡、磐田市の天竜川沿いの県道343号
土手に平原と、所々にできている大きくなりつつある木、それらを覆うツタが、輪郭を曖昧にさせて、まるで菌のように、ナウシカのような風景であった。夏の空に浮かぶ深い雲や、秋の空に浮かぶ羊雲など、それら1こ1こにコロニーができているんじゃないかと勝手に想像させられてしまうような、それが木として、すぐそこにある木なのに、そう思わせるような風景が、しかも結構長い。


第4位 奈良から三重の伊賀市に向かう25号の、伊賀市に入ったところらへん、空とうまく並んだ電線

写真


第5位 ねむの木村
宮城まり子さんには、「ファンになる」という言い方が一番しっくりくるが、突き放したかのような冷たい感じがする。女の人と遊ぶ街の有名人でありながら、作品も生活もそうでありながら、その人を好きになって、その人にもおそらく「1ばん」好かれていて、という生き方というのはどういうことなのか、というのが一番惹かれているところだと思う。そして、こちらねむの木村の案内の中に、吉行淳之介文学館の字が平然とある、というのがもうおもしろかった。子ども美術館を建てた藤森照信さんを知ったのは今年で、本を読んで、話を聞きに行って、ねむの木学園を知ったのも去年で、たった2年のうちに、知ることが増えることで、私は県道81号を寄り道して、丘を登ってどんぐりを見つけて、やはり本と世界はつながっていて、一番便利で安くて本当で、時々辛いけど、喜びという収穫だった。
奈良で一緒をした人の言っていた五感について考えた。五感は5つの総称にすぎないと思うけど、それらがあわさっての五感といったら、それは各々の感覚器官を離れて、感じがいい、とか、あるいはあさましい感じがする、というようなことを言っているのだと思う。それは知識も含められて、知識は感覚器官をもっと繊細にすると思う。

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2009-08-26 気に入ったところベスト5

まずは、この旅行での、大きな感想から書きたいと思う。それは気に入った場所という見方で紹介するのがふさわしいと思うので、大きな感想に続けてランキング形式にしようと思う。しかし、例えば「静岡の磐田を通った」といっても、地図を見て必見らしき土地に出向いたわけではなく、国道を避けるために通った道、または迷った道で偶然感じた場所、その時の時間帯、なども関係してくるだろうが、偶然なので、「静岡の磐田」の印象を伝えられてはいないと思う。しかし、名古屋が地獄であったのは確かである。


第1位 熊野
ここに住みたいと思った。奈良を南下し、169号→県道20号→168号と進む。和歌山の田辺の南方熊楠の地に向かっていた。けれど、奈良で寄り道をした上に迷ったせいもあって、とりあえずの目標である南方熊楠記念館や顕影館の閉館時間である17時には間に合わないことが山に入ってしばらくして分かったが、けれどとにかく進んでいた。その山は感じたことないほど、感じがよくて、しかも人が住んでいて、その住み方が、感じがよいのだ。商業施設があるところを見て、また貸家と張られた札を見て、町が機能していることを感じた。168号を途中まで来て、疲れと、空腹とで、次に休憩所があったらそこで休んで諦めよう、と決めた。そこが十津川村だった。これだけの山、森の中に、十津川村の道の駅と、十津川村歴史資料館(300円)と、ひらけた川と、足湯温泉(無料)と、あと十津川警察署と役場と近所に学校があるという案内があることに、森という自然の中に住みながら、人里の中にあるという安心感があった。そば屋は15時で閉まっており、喫茶店しかなかったが、けれどよくできていて、よくあるようなセットを頼むと、ボリュームのある食事が出てきた。土産を売っていて、『奥熊野かづら工房』原秀雄、原水音著という本を買った。読んで、私もここで巣作りをしたいと思った。もっとロマン主義に書くと、私は、初めて自分が子どもを育てたい、と思える土地を日本、いやこの世に見つけた。日本には無いと思っていたから、ここ熊野以外にもあるのかもしれないという希望を抱くこともできる。私はこれが、心の支えになるだろう、この旅の収穫は、これだろう、ということを思いながら、東京に戻った。


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第2位 朝霧高原から見る富士
東京から20号→139号とひたすら走ると、突然左手に葛飾北斎のまさにあの富士山はこれか、と思うような風景がひらける。樹海を抜けた辺り。写真のものは生い茂ってるが、それよりその先に行ったところが、完全に平原で、とてもよかった。なぜ生えないのだろう?開発されたあとなのだろうか?帰りも期待して夕日の時刻に通ったが(その時は東側の、より樹海である県道71号を通った)、雲でほとんど見えなかった。
近くにある県道71号沿いのミルクランドはとてもわくわくした。おみやげ買うのにも最適な感じがする。2,3時間持つ保冷剤が50円+簡易保冷袋が100円・150円、繰り返し使えるという保冷袋が315円。それはアイラブミルクと書いてあったので違うなと思い、簡易保冷袋の150円の方が繰り返し使えそうだったので200円払って、牛乳とチーズとソーセージが買った。
あと、樹海は非常に寒い、熊野と同じかもしれない。それにやはり何となく怖い。

(125cc以下は139号を走るとき注意。走っちゃいけないところがあるが、もう車線変更できないようなところに標識が現れたり、横道から入ったらそれは既に進入禁止の道路を走っていたりする。東京の不親切さにはかなわないが)


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2009-08-26 近畿⇔東京 原付の旅 5日間

 8月21日から昨日25日にかけて、奈良を目的地に、50ccの原付(リトルカブ)で行って帰った。


 旅行や遠出の記録というのは、控えており、まとめたのはここに載っている京都までの18きっぷ旅行(7年前)くらいしかない。この時の旅は、「もう1人旅はしない」と思ったように、上手に旅行することはできなかったのに、この時の旅がなぜか最も思い出すことができているのが悔しい。それはまとめたものが無いせいだろうということで、今回は残すことにした。


 大学が奈良に宿泊施設を持っている。個人で利用したり、夏季の企画旅行で利用されるらしい。その施設を使った。

 奈良というのものには、授業で習っておもしろいなあと思ったものの多くが、奈良で大きな潮流を始めていたりしていたから、興味が湧いていた。玉蟲厨子や、紫神金字金光明最勝王経の眠る地に行きたかった。ミーハーと大差ないのに立派な感じがするのはなぜだろう。今年度、美術史という授業を初めて受け、面白いと思い、その数ヵ月後に、企画旅行の委員をやっている友人に宣伝された。企画旅行というのは大学と学生が運営する7泊の奈良・京都旅行であり、日本の美術品をみまくる、というものだ。奈良2泊・京都5泊で、それが逆だったら私も参加したかった。しばらくして、その委員の人が前々日から個人的に奈良2泊を追加するらしいが、同行する予定の人が行けなくなったから行かないか、と誘われたので行くことにした。



そういうわけで、

1日目・東京→静岡(フェリー)三重→奈良(奈良泊)
2日目・(奈良泊)
3日目・奈良→和歌山→奈良(橿原泊)
4日目・奈良→愛知→静岡(浜松泊)
5日目・静岡→東京

という旅行を昨日終えて、戻ってきた。

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2009-08-03 人と協力すること

最近思っていたことは、今日、次のようにまとめられた。

人と協力するということが決定的に向いていないということを感じる毎日である。
理性や知性でもどうにもできない。

たとえば
リーダーシップをとれるということが、
場を理解し、その場にとって有用なこと、誰も嫌悪感を抱かない言動をすること
であるとしたら、

場を理解したとしても、
有用なことを言う前にその人のアラを指摘したくなる。
そんなことを言っても仕方がないので、口をつぐむ。

有用なことを言えたとしても、偽者である自分の設定が必要であり、
それはその場の過ぎ去った後に多大なストレスとなる。
また、人々が自分をその場以前より好感、親しみ、信頼を感じているらしき言動を受け、そこに快楽はあれど、とまどう。
後にストレスとなる。

そして、世の中で活躍している人達としていない人達の違いというのは、
そこが上手であるか、あるいは喜びを得られる人であるかどうかということだ思う。


そして、私は今あたかも普遍であるかのように、活躍しているという指標の優性を含めたが、
活躍という、その人の関わること、あるいはその人自信が有名であるかどうかという指標と、
美徳という隠れがちな指標は、早いうちに逆転してほしいと思う。
(そうしてくれたら、私はとっても生きやすくなる。)

人々は、子どもの時であるほど生来の特性が表れている場合が多いだろうが、
中学生のときにはお互いに相性の悪かった人も、
20歳ころになればある程度誰とでも話すことができたりするなどして、
各々の特性から成長というものができるのだろう、と思っていた。

けれど、どう意識、努力しても、
例えば私は人と協力するということに絶対的な喜びを得られない。
そして、それだけならまだしも、風邪を引く。精神が冷え切ってしまう。

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2009-07-30 ニヒリズム

自分の欠点は、自分の欠点について考えすぎるということだと思った。
それは今まで何度も気づいていることなのに、忘れてしまう。

おそらく衝撃的で長くて全てであった暗黙知というものが
「やる気のない方がかっこいい」ということに未だに引きづられているのか。

自分を認識する自分というのは決して客観ではない。

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2009-07-19 幸福

チケットを売らなきゃと思って昔の知り合いを思い出していて
携帯を変える度に連絡するのを怠る私だから既に連絡などしようがなくて
私はそういう人がいいなと思ってそうしていた

思い出す名前で検索をかけると少し出た
その中にモデルになっていた子がいた
その顔は知っている顔だったけれどそこにモデルによくある表情がかぶさっていて不気味だった
嫉妬を覚えた
絵と言う制約の中で何かを表すということに感じる息苦しさなど屁でもなく
モデルというのは制約制約制約の嵐でとても好きでないとやっていられないだろうと思った
しかしとにかく不気味だった


まず普通に歩いている人の化粧やキめた髪型や形のいい服にさえも世界から浮いていると感じる私だから余計に

いや みんなそんな平気そうな顔をしているけれど本当だろうか?

私達の知っている素晴らしい人たちは、その、狂気に対するそれを、見てみぬふりして文脈に乗っとって空気と同化して個を発揮するという、神業をしている。
見てみぬふり、というのはゴヤの『』に通ずると思う。私はそれを描こうと思った。

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2009-07-12 なぜデアゴスティーニの画家シリーズは、1番目がゴッホなのか

 

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2009-07-06  狂気

私は今狂気を調べている
ということになった

私は決して発狂という才能は無い。
けれど、狂気のことを思うようになってから、心が自由で平穏を感じる時間が増えた。
今日はものすごく気分がいい。理由1過去(歴史)2気分(本人)3その他
このその他 それが狂気

今日はついに2年前少し読んだ『狂気の歴史』を借りた。
そこのはじめに書いてあった現実という言葉は それだけでも概念の友情だった
大澤真幸の言っていることへの理解も深まった。

述語としての現実という言葉にこめられた、歴史的背景
みんなで可愛がってきたその子供




今日はものすごく気分がいい ふらふらとはするが 頭は働く 私は昨日あまり寝なかった てんかりんの日記を読んでいたから 
こういう時は隣の人が気に入らないことも気にならないから
本を読むときかもしれない

ところで昨日読んだどこかの若者が、駅で肩がぶつかった人にも切れるという殺伐さに異議を唱えていたが私はとても切れる気持ちがわかった 切れはしないが


今日はものすごく気分がいい 絶対的自由を感じる
昨夜不安を煽った、てんかりんの日記から思い起こした私の暗黒の中世は、
朝目覚めたときのSの存在、態度、終わりなき日常的な終わりのあるだろう幸福な日常の1コマ、によって、
中和された






私は昨日念願のブリヂストン美術館に初めて行った。

マティス、デュビュッフェ、ゴッホ、ルドン、聖猫、ザオ・ウーキー
素晴らしく素晴らしかった。
私がマティスを見たかったのは、村上隆が、みんな最後はマティスを好きになる、と言っていたからだ。
ブリヂストン美術館が念願だったのは、ザオー・ウーキーを見たかったからだ。
不意なる収穫は、ルドンだった。




outsider artという呼称については、なんとかならないかと思っている人でも、なぜブログのタイトルや講演会のタイトルに使うんですか?そのあなたの行動が、outsider artという傷を深めているという自覚はないんですか?ハズカシイ


彼らの言葉は空虚だ 耳が傷む とても聞いていられない 目を伏せる 頭が拒否する
けれどそう言える人は言葉は空虚しかし頭はいいし心もある すてたものではない

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2009-07-06 狂気

狂気のことを調べている
ということになった

はじめは「生の芸術」という4文字で表された概念にひかれて
本当にわたしはひかれていいのかというのを確かめるためだった

まず「art brut」と題した展示をしたジャン・デュビュッフェという人を調べた
その人に親近感を覚えた
町の人のコミュニケーションのその、うまくいっている感じに対して彼の覚えた感覚に対して。
彼は彼が訓練を受けた教育や技術はそれを包括していないと感じた。

日本という私の依拠する国で最も触れやすいものは
「パラレル・ビジョン」という神がかったカタログだった
そこには多くの思想の細切れが入り込んでいた。
私がそれを知ったのはどこかのおにいさんのブログだった。
(なぜ、あのように、神聖さを消して、書き写せるものだ、と今も思う。)

私は既に博物学ばりの文献世界の存在を知っていたから
多くのinformationを収集した
その中から私の能力との戦いで とても遅い。

とりあえず「パラレル・ビジョン」で小出由紀子さんの言うように
必読書『The discovery of the art of mentally ill』だかof insaneだかいう本を読み始めた

日本語には訳されていなかった。
気になるタイトルを1週間かけて1章分読んで、その章自体の内容は重要ではなく中盤に位置するものであったけれど
目の覚めるような文章に毎度のようにでくわすこの本のことを信じて
再びprefaceから読み直し今は5章に至る。

その間に芸術新潮の小出由紀子さんとabcdなんとかという美術館の館長さんとの対談を読む機会があった
私がart brutに感じていた何か、および、art brut→outsider artへの理解の停滞さ(=人々が、狂気(反現実)をいかに隅に置いているか、2009年でさえ)
について全く同じことを言っていて、私は自信を持った。

その日の午後、バイトにバイトのおにいさんがやってきて、そのおにいさんも日ごろから水木しげるとか鬼のお面とか言っている人なので、このことを話したら、アントナン・アルトーのことを教えてくれた。そういうわけで、アルトーもゴッホも私のショートカットに入ることになった。

ところで、outsider artなる俗悪語の万延には、アメリカで年に一度に行われるoutsider art即売会が大きくあるというのが1つあるということだそうだ

きっかけは気分
竹内久美子いわく、排卵前に外出したくなるのは、partnerのいる人の場合は浮気欲から、partnerのいない人は妊娠欲から、ということだそうだ。
私は排卵前であったが、どうしても、普段行かないところへ行きたくなった。
それは、普段にとってはありがたいことで、つまり、お金も時間もとられる都会に行くと疲れて帰ってくるばかり、という普段の私にとってはありがたいことなので、活用させていただくことにした。

ワタリウム美術館に行きたかった。
それは、おにいさんが貸してくれた本は、素晴らしく、あまりとりあげられないart brut集だったので、それをワタリウムで買ったと言っていたから、お店を見たかったのだ。
「アロイーズ展」は見なかった上、期待した本も見つけられなかったが、
水木しげるの『猫楠』を買った。
そして、南方熊楠の本がよく並んでいたので、
それから昨日までは熊楠を宿らせていた。

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2009-07-06 6月

最近は家にSが住むようになったので、寂しさというものを忘れました。
ちょうどひとつきくらい経ちました。

家の中のものは完全に私のもので
Sは寝る場所とかばんくらいしか分け与えられてないという状態なのにも関わらず
愚痴を言うでもなく どこかをうろつくでもないので
ありがたいという感じです
一応家賃の半額を頂きました。
夜ご飯はうちで用意するし(といっても大したものではないのだけど)
光熱費分みたいにしてもらうものはないけれど
それでもちょっともらいすぎかなと思います

なので1万円はこっそり貯金しました
まだひとつきぶんしかやっていないのですが
続けられるといいなと思います

Sはいわば無職なので
あまりに安いとか0円とかでもよくないかなあとも思ったところもあります

無職とゆってもほぼ毎日去年まで通っていた学校へ行き
やりたいことがあり
その行動や言動に私は感心するところがあるので不安のようなものは感じていません

逆に毎日何かしらの新しい何かや知識をもって帰ってきてくれたりしてくれて
感覚が喜んではいます。
むしろたとえば毎日23時に帰宅して疲れてすぐ寝るような生活だったらとても続けられない気がしました。

このあいだ久しぶりにパソコンの電源をつけてから
橋本甜歌さんのことを調べたりしたり
主にてれび戦士のその後などですが
一度つけたら止まらない
この間にもどこかの受験生や研究者や政治家が(これ以上は含めません)
時間を惜しんで励んでいることを思うとひどい罪悪を感じますが
けれどアールブリュットから入った、人の様々な生き様を盗み見してからというもの
楽しいという感情を信じて行動を選択するということが昔より増えました
ということでそれはそれ

問題なのは私はちゃんと週に5日を働ける人として頑張れるかということ
それは励む人としてではなくて単調な生活スタイルとして。

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