himajin top
ヒポコトリの「書を捨てないで 町へ出る」


今日
昨日  since20030313

はじめまして    chCCygEPcF

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2009-07-06 6月
2009-06-16 気に入っている道具について:ICレコーダー
2009-05-23 病院について
2009-05-22  アール・ブリュットについて
2009-05-19 大航海No.70
2009-05-19  近況
2009-05-19 近況
2009-05-12 アール・ブリュットについて
2009-05-11 ラテン語原書 素人の乱
2009-05-11 Salve


2009-07-06 6月

最近は家にSが住むようになったので、寂しさというものを忘れました。
ちょうどひとつきくらい経ちました。

家の中のものは完全に私のもので
Sは寝る場所とかばんくらいしか分け与えられてないという状態なのにも関わらず
愚痴を言うでもなく どこかをうろつくでもないので
ありがたいという感じです
一応家賃の半額を頂きました。
夜ご飯はうちで用意するし(といっても大したものではないのだけど)
光熱費分みたいにしてもらうものはないけれど
それでもちょっともらいすぎかなと思います

なので1万円はこっそり貯金しました
まだひとつきぶんしかやっていないのですが
続けられるといいなと思います

Sはいわば無職なので
あまりに安いとか0円とかでもよくないかなあとも思ったところもあります

無職とゆってもほぼ毎日去年まで通っていた学校へ行き
やりたいことがあり
その行動や言動に私は感心するところがあるので不安のようなものは感じていません

逆に毎日何かしらの新しい何かや知識をもって帰ってきてくれたりしてくれて
感覚が喜んではいます。
むしろたとえば毎日23時に帰宅して疲れてすぐ寝るような生活だったらとても続けられない気がしました。

このあいだ久しぶりにパソコンの電源をつけてから
橋本甜歌さんのことを調べたりしたり
主にてれび戦士のその後などですが
一度つけたら止まらない
この間にもどこかの受験生や研究者や政治家が(これ以上は含めません)
時間を惜しんで励んでいることを思うとひどい罪悪を感じますが
けれどアールブリュットから入った、人の様々な生き様を盗み見してからというもの
楽しいという感情を信じて行動を選択するということが昔より増えました
ということでそれはそれ

問題なのは私はちゃんと週に5日を働ける人として頑張れるかということ
それは励む人としてではなくて単調な生活スタイルとして。

先頭 表紙

2009-06-16 気に入っている道具について:ICレコーダー

OLYMPUSのVoice-Treck V-61

買った当時(2008年の1月頃)
容量は中の上くらいだったはず
値段は1万ちょいだったはず

なんといっても、丈夫
カバーなどなしでポケットに入れていて、たまに落として、1回くらい小雨にさらされて、毎回冷や冷やさせられても、今の所大丈夫です。

録音できます。けれど失礼の無いように。

音楽も聞けます

USBなので様々なシーンで役に立ちます

先頭 表紙

2009-05-23 病院について

医者について、看護士について、検査技師について…も、医療について、というよりも、「病院」という言葉が、体の異変を感じて頼るところの象徴に相応しいと思ったので「病院について」とする

頭を強く打った。すぐよぎったのは多田かおるである。病院にいこうかという判断をどう下してよいものか。いくら友人に相談したところで判断材料にすべきではない。それは本人の精神状態がよくないときに落ち着けるためのものとすべきである。

とりあえず病院に電話した。今日は土曜日であるからそこは休みだったので、相手は救急外来である。
1.待たされること
2.打った直後のことを     られる
3.絶対とはいえないが

次にネットというものを利用してみる。
「頭の外傷はあとからでる」というのは有名らしい。それは科学革命の普及する前のなごりも含めて。脳に感覚がないためだそう。そして特に打った直後に気を失う、前後の記憶が無い、場合には気をつけなければならないということだった。そして症状の出る前に防げるとしたらCT検査が必要だろうということが分かった。お金がかかる…

とりあえず外に出て歩いてみた。いつものように、正しい歩き方にはいつ手が届くのか、という不満を感じながら、まっすぐあるくことができた。行く先の電柱をまっすぐみつめられた。これは、まっすぐ歩けますか、という問診やこの紙のこの点を見つめてください、というテストがありそうだなあというかなりあやしい安心材料である。

安静にするべきかどうかは、まあ、ボーッとしたりめまいがするらしいが、頭を低くして安静にしていればよいだろうという文章をみつける。




頭を打った人のためには、
1.意識があればまあ安心らしいが、打った直後に意識を失ったか、状況を覚えていなければ診察をすすめる
2.直後であれば、呼びかける。返事がなければ必ず診察をすすめる
3.その日〜特に数日間〜最高で2ヶ月間様子を見て、頭痛が出てきたら診察をすすめる

医者はそこまでカバーできないだろう。忙しいから。(自分が知っていても、患者に対して説明する時間がないということ)とはいえ医者以外の人間がそっとアドバイスしたとしたら、およびそのアドバイスがその中途半端な能力からして正しいものでなければ(また正しいアドバイスというのがどこまで可能かということがある)、それはそのなわばりを仕切る者(医者?)にしたらめざわりなことであるという人間関係が生まれ、そして責任は誰がとるのか、ということへの予防からか、現在そのアフターサービス機関に私はめぐり合えたことがない。それをカバーするためにスーパー看護士をつくるべきである。ところで専門看護士という方はどこにいるのだろう??

自分が健康であれば、相手はこの不安であることを、すぐ忘れてしまうものだ。

先頭 表紙

2009-05-22  アール・ブリュットについて

・アール・ブリュットの中にシェイクスピア時代に言うところのcreateを見ているのかもしれない。けれど、その生涯付き合わなければならないその性質に対して、そういい捨てるかのようにできるのはその人がその拭えなさを持たなくて済んだからであろう。また、心理学や精神医学からの切り口は避けた方がいい。到底手に負えたものじゃない





・関連のある作家
ジャン・デュビュッフェ


ジョン・マグレガーJohn M.Macgregor米?美術史家
『The Discovery of the Art of Insane』
小出由紀子 慶大卒資生堂入社後
松宮秀治
『アーティスト症候群』
はたよしこ


資生堂


ヘンリー・ダーガーHenry Darger米
『』
マッジ・ギルMadge Gill英

先頭 表紙

2009-05-19 大航海No.70

国家と芸術/松宮秀治

「芸術」という言葉は意味不明な「アート」という語に置き換えられ、「芸術」は
ほとんど死語化している。

昔、昭和30年代、人々は戦争が過ぎ去り、美への飢えを満たそうとするかのよう
に展覧会に群がった。豪華な全集が出まくった。それは美術ではなくても文学に
も。

対して現在、当時の文化勲章受賞者の永井荷風、谷崎潤一郎を読んだことすらな
い文学部学生がいる。教員まで読書力が衰退している(らしい)。このような状
況の現在のなかで「芸術」を語るということ自体が時代錯誤である!

---

しかしその昔も特異な時代である。

その時代、伊藤整をのぞいたほとんどの知識人たちは「芸術の自律性」を疑わな
かった。だからその時代の芸術はエライ!といった風潮を生み出した。しかしこ
の「芸術の自律性」は、芸術のすべてではないのだ。

芸術は、人間の工作物である。つまりそれはイデアの模倣とか、神に捧げるとか
、死者を送るとか、そういう出自である。「芸術の自律性」はそこでは生まれな
い。なぜなら人間の工作物にすぎないから。

「芸術の自律性」思想が生まれたのは18世紀の西欧である。理由は省略。

しかし時代は下がり、その「芸術の自律性」の無力に気づく。なぜか、昔の古代
的芸術作品のような「職能的な技芸」以上のものを生み出せない。それは、信じ
きっていた「芸術の自律性」が芸術の一部でしかないことを知らされていないか
ら。

そこにピカソ、デュシャンが現れた。「芸術の自律性」で勝負できるわけがない
ので、スキャンダルやパフォーマンスや破壊行為で、これが新しい創造だ、とい
う錯覚をうみだした。

今日、「芸術」は逸脱によってしか存在証明を果たし得ないものになりさがって
いる。けれど、「芸術」はそこで終わらせるにはもったいないものだ。

「芸術」の価値を呼び戻すためには、「芸術」という用語をできるかぎり使わな
い、または捨てて、もっと職能的な呼称にすることだ。

先頭 表紙

2009-05-19  近況

とはいえこんな教養はたかがしれているのは分かっていて、それは小学生のときにあんな本を読んでいた東浩紀らスーパーマン、それすらも数の多い日本、それより広い世界、に通用するわけがない。その上特に目的はない。面白くないわけでもない。処女はまず子宮がんにならないというようなことを知る度に早く神奈川で看護師の処女航海を旗揚げをする来年を迎えたいと思うが、おそらくそこには今得ているあれやあれ(魂の共感者の多い今の環境、及びそれに関連する何かしら、肉体的年齢)がないだろうし。けれど、私は勉強するという世界があることを知ったという消えない道具を既に持っている。それに必要なもの…住民票、大学図書館、公立図書館、それらに付属する静かな勉強場所、その後にその日の孤独を紛らわしてくれる誰か

自分がたかがしれないのは分かっている、けれど学問や教養を愛している。そしてそのような人が非常に少ないということを現代の不思議だと思っている。本を読む限り、そういう人がこの世にこれだけいないわけがない、と思っている。ということを今日同級生と共感することをした。私はそんなことを思っていたのか。

そこから孤独の話になった。それって孤独じゃない?孤独!
けれど私はそれ以上に孤独のようで、その孤独とは寂しがりやの類である。彼女は話し相手のいないことの孤独だった。私はそれに加え、1人でいるのが寂しいという孤独がついてきている。


変わるのが怖い。のは変わらない。けれどそれはここ数年で得たものか発病したものだ。保守的で、死の時を見つめている。

けれどそれを感じていない人がいるとしたら、よほど感覚が休んでいる人であるか、よほど忙しい人かだとも思う。つまり、健康的な精神でいきていたら、おめでたいやつ、と言われ、不健康らしき精神でいたら、そのとおりで、まったく落ち着かない。

老人には、話したがりが多い。その図太さを羨ましいと思う。そういう人の存在を、ありがたいと思う。



のように、ひとりごとは、誰かに話した途端に発展できるから、話した方がいいと思う。

先頭 表紙

2009-05-19 近況

フランクリン自伝を読んだ。妻と子どものことが一言も出てこなかった。私のほとんどはそれによっているというのに。また、ああいう人がアメリカ人であるということに驚いた。アメリカ人像の極端なところがきえた。
1700年代のアメリカ、ペンシルバニアという地ではあのように、普通に生きていれば経済的な成功を手に入れることができたのだろうか。今は、正直者がバカを見る、蔓延しており、グローバルに監視され評価されあっという間にかすめとられ、そこに浪漫は無く、それすら予定に入っていたことのようである。今、あのように普通に生きていれば、と言った。語弊がある。フランクリンは非常に勤勉のようだけど、突拍子もないことをやったわけではないということだ。

突拍子もないことに価値を置く、あがめる、みんなで讃えましょう、というものが純文学が純文学として評価されているところに表れている、芸術が芸術という名を帯びている、というようなことを今売っている大航海で小谷野敦が言っている。

小谷野敦が対嫌煙な理由で東大を辞めたらしい、東大駒場派なんとかという本が出たのはそれありきの話で、ということを最近知ったけれど、私が1ヶ月前夢で見た気になっていた似たような事実は何だったんだろう。その夢は「小谷野敦がこれまでは『退屈論』などというふざけた本で半分遊んでいたが、本腰を入れはじめた」というような概念が、媒体すら不明のものとして、だった。ちなみに私が少なからず学術的な本に始めて触れたのは『退屈論』だった。ちなみに本の内部に入ることをしったのは『ねじまき鳥クロニクル』である。


昨年、一昨年どっぷり漬かったサークルを辞めた。そこでは自分が内部に居ることを初めて感じるところだった。世の中の若者がどういう風に日々を過ごしているか、どういう風にああいう風になったのか、大体分かった。辞めて、毎日のように寂しさが吹いては去っていくが、やはりその寂しさを埋めていたものは、前から言っていたように誤魔化しでしかない、ということだった。けれど、そこにつけくわえたいのが、喜びの源泉がそこにあるということだった。

辞めて、ひたすら自分のために知識を詰め込んでいる。英語、ラテン語(2年)、中国語(2ヶ月)、世界史(6ヶ月)。あとは好きに現代ノンフィクション、文学、生物学、芸術に関する本を読んでいる。授業は美術史に出ているが、特に奥に入ろうとはしていない。週に1回は体を使うようにしている。砂漠のでき方と新聞の読み方を知りたいので地学と現代社会を好きな時期にスタートさせ、夏休みには生物か物理か化学をはじめからちゃんとやろうと思う。

先頭 表紙

2009-05-12 アール・ブリュットについて

なんでかいているんですか?
と聞くことが相手の心を惑わして描けなくすることが想像されるから、うかつに聞けない

ひきこもること、
1種の生物の環境が1代2代3代のうちに変わってしまって、その前に身体が1万年基準としたら100人200人でうまくいくように慣らされているというのに。底を流れるものより富国が優先されて、その功罪として、とてもストレスの多いところに生きている私達。共同体は簡単に消失してしまって、あるいは共同体自信が盲目のような扱い方をされてしまって、日々知らないことに晒され、知らなかった人のことを考えなくてはいけなくて、それに対応している間に一生が過ぎていってしまいそうだ。そして不器用な人が”ひきこもり”ではなくともひきこもり、何か情熱的にしているのだとしたら、それこそが美しいと思う。


・論点
研究書が少ない(無い?)。あっても、アーティストの紹介集
言いだしっぺのデュビュッフェの言う「生まの芸術」という字面から受け取ったのはもっと広いところだったし、とても良い表現だと思ったが、本人の定義するところが条件的であって、それよりは広く、あるいは各々にあるかもしれないある種のものを扱いたいし、本質はそちらにあると思っている。
また、アウトサイダー・アートという訳語はその条件的なところの一部分を抜き出した印象があり、よくないと思う。現に取り違えた用法をした冊子も見たことがある。
また、斉藤環の『アーティストは境界線上で踊る』に出てくる作家は、また違う気がする。

・不器用、客観観念を知ってはいても体はそちらに向かない(笑い/客観/共感のうち、真ん中ではない)、生活そのものが

・人間の誕生の時に、精神病者が深く関わっているのではないか、と言ったのは誰の本だったか。アインシュタイン、デビット・ボウイ、天才の近親者には躁うつ病、分裂病がよくいる。それは、遺伝的にそういった性質(簡単に言って凝り性)を受け継いでいながら発病までにはいたらない、そういった人間が(ひとりの天才が歴史を作ってきたように)、人間の誕生に深く関わっているのではないかと提言した(それは、その病の率が当時と今とほとんど変わっていないからだという論拠)外人の本を紹介していた。のは竹内久美子さんだ。でもどの本だったか返したのでもう忘れた。

・上の本は『遺伝子が解く!なんたらかんたら』竹内久美子という本で、その外人の本とは『天才と分裂病の進化論』D.ホロビン

・隠遁思想
東洋では反体制がドンキホーテになりえることがなかった(『芸術崇拝の思想』松宮秀治)

・アウトサイダー・アートという言葉は2つにおいて被害を被っている。1つはアウトサイダーという語訳のもつ色々。もう1つはアートの同じく。アートについては松宮秀治さんが素晴らしく指摘している。
これによって、英訳者     さんの本を読まなければならなくなった…
けれど追いかけたい本質は人が汎することによる弊害に対してではなく、隠遁への共感と(それは共同体を失い、理想、夢、虚構のあとという時間に生まれた出自に関係するらしいが)、様々な中でもアール・ブリュットへの特別な思い入れが生まれる所以を知りたいためである。

先頭 表紙

推敲すればきっと書けます! / ヒポコトリ ( 2009-05-01 15:10 )
なぜ、君はこの文体で書き続けるんだ。まったくもって、要領の得ない修飾と絡まったような表現が続くだめな翻訳のようじゃないか / ぱんつ ( 2009-04-26 05:59 )

2009-05-11 ラテン語原書 素人の乱

■翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソースhttp://www.kotoba.ne.jp/sysinfo.cgi?k=maps&fsz=2
というページがあり

そこの
□ラテン語翻訳とラテン語辞書・羅語辞典 : 翻訳のためのインターネットリソース
http://dir.kotoba.jp/ddcat.cgi?k=latin
というところから

”西洋文化を鳥瞰する超弩級の人物百科事典的アーカイブサイト”なる
■BIBLIOTHECA AUGUSTANA
http://www.hs-augsburg.de/~harsch/augusta.html
へ飛ぶことができ

そこからJ.Monfrinという人が編纂した原書が読めました。
乱は起こす気も起こす実力もないですが、喜びました。

先頭 表紙

2009-05-11 Salve

今日はいい日だった
 
●気づいたら、暗かった
私はT図書館の2階下にいたはずだった。
私は漢字の意味を一個一個調べるのに嬉んでいたはずだった。
あれ、これはM図書館の中2Fのときの話だったか?
外がいつの間にか暗くなっている。
私は椅子に座りなおして、続きを調べることにした。蒙という字について。
そこには漢字の字典があった。図書館の奥には『じが』があるはずだ。電子辞書だってもっている。けれど、動けない(漢字の多さに、漢字の外にあるものの多さに、途方に暮れていることに気付かない)。
もう一度顔をあげてみると、残っているのは私だけになっていて
みんな家に帰って、誰かのために生きていたし、誰かと喜びを分かち合っていたし、誰かを罵っているようだった。
だから、私も家に帰ってみた。
私は話し相手をやっと見つけたけれど、
誰かのために生きるのにも、誰かと喜びを分かち合うのにも、誰かを罵るのにも、
心を任せることはできなくなっていた。
けれどみんなは、そんな方法を学ばずとも、いや、方法って何語だい?とでも言いたげに、簡単にやってのけているようだった。
夜は、なかなか明けてくれない。
みんなが起きるまで、私は漢字の続きを調べることにした。

夜も忘れたころ、家に訪問者がきた。
その人は年が違う人がいることを改めて教えてくれたし、知識や経験によって選ぶ行動が変わってくることを教えてくれた。
気づいたら、外が少し明るくなっていたけれど、私は外があることを、カーテンを、雨戸を、ドアがあるということをただ忘れていただけのようだった。

●外部(時間的/集合的)から覗き見る争いというもの
争いを静めた者に対するこの英雄的感情はなんだろう。
その感情には瑣末な犠牲は見えてこない(手段が何であれ、英雄にかわりはない)。
その、最も善いらしきところを目指そうという気がおこってしかるべきと思うが、
私がこの実現実で目指したいと思えるのはそこかというと違ったから、なんだろうと思う。


●日本の外人に対する感情
ポルトガル人のことを悪く書いていない。
先生の指導の下、高校生が訳した本があるという。
バイト先で、ずっと売れない100円本の中に書いてあった。
『日曜日の図書館』という本の宮下啓三、勝原晴希という方のところを読んだ。
その高校生の本というのは『外国の教科書の中の日本と日本人』というものだ。
結構いろんな図書館に置いてあるようだ。



 いい日だったというのは気のせいだったらしい。
 内田春菊は1人目を育てていたとき、寝るという死の前に世の中を見たいという欲望なんだろうなと思ったと言っていた。泣き止まないときに、お散歩にでかけて、そのうちに寝てくれるというところから。それですか。
 ロッテリアでパソコン使いながら勉強して、風呂入って、飯食って、ちょっと片付けて、ガザ特集を見て、新聞を読んでいた頃は今日はいい日だったと書こうと思っていた。そのうちに、寝るらしい時間がやってきて、TVはいまわの清しろうがうつっていて、つまり世界の広さ(清しろうは隣りの世界の出来事だからであって、新聞という媒体は私の隣の世界にとってはマイナーである)を知らされたとき、自分がいま一人だという概念を教えられたとき、急におかしくなりはじめた。
 おそらく、横になって無理やり本を開けば面白くなって、そのうちに眠るだろう、でもまだ今日を生きたかった。未知の未知を探さなきゃいけない。媒体を変えた。TVからつながっている線をDVDに変えた。1年前に買って封をあけていなかったBerryz工房のDVDを入れた。これはよかった。

先頭 表紙


[次の10件を表示] (総目次)