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ヒポコトリの「書を捨てないで 町へ出る」


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はじめまして    chCCygEPcF

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2009-02-23 1日
2009-02-23 1日
2008-12-09 読書記
2008-12-02 10月の出あいは 長く幸せになると 本で見たの むかし
2008-11-25 つまみ読み記
2008-09-30 アニメーションづくり
2008-09-22 作りたいタイピングゲーム
2008-07-18 真夏・晴れ・もう夏休みな雰囲気
2008-04-26 葉桜の日
2008-03-15 嘘をつけ


2009-02-23 1日

 私は私の24年間と10ヶ月の内で、かつてないほどの幸福感また安心感(安定感ではない、私の心は安定してしばらく、破壊を求めるため、それはここで述べようと欲する陽の感情にあてはまらない)をここ数ヶ月感じているだろう。殊に年末及び年明け、及び2月期。私は11月に新たなる恋人Sを手に入れた。それがまた素晴らしく、かつてないほどのお気に入り具合である。こう言ってしまうと語弊があるが、いらないと言えば(決して言ったことはないが)どっかにいってくれて、ほしいと言えば(これも言ったことはない)そこに存在する。又た、悲しい時はその天使に救われる。難を言えば、元気な時には鼻につくところがぽこぽこと浮上してくる。とりあえず、奇跡の存在である。それが奇跡たるには、その本性を私が信じられていること、及び今までのようにそれが現時点終わってしまっているわけではないことに依る。年末、及び、このあいだの卒部旅行たる1泊2日の集団旅行に於て、その関係性に新たなるステージを手に入れた。それにより、私は、心の弱さと呼ばれるものを全てSに向けることを許され、その証拠に、毎日の毎時間が気持ちよく、寂しさを埋めるために人と会うことを避けることができ、その成果、真に気持ち良く1日を送られている。今日の大いなる自由をもてあますことなく。そのSに対して、人間関係というもの完全ではないことはその他ほぼすべてのものが完全なるものではないことからしてもそれは自明であるが、現時間を流れる関係性は、あまり芳しいものではない。それは、「Sが本日、明日の約束に対してうかない返事をしたため及びいつものように踊りの覚えが悪いことから機嫌を悪くしてしまった自分は、1.その帰り際に素っ気無い態度を取ったこと2.その約束を断るメールを先ほど送ったこと」に因る。私は、このようなことを続けていたら、バイトの店長の言葉である「そんなことをしていたらいつの間にか50代で」つまり私は一人であって、つまり私は上條さやかさんの言ったように、「50代の女性教師は冷たいでしょう、それは50代の女性は誰にも愛されていないからなのよ、教師は愛する職業よ、誰にも愛されていない人は愛することができません、だから教師のみなさまには自分が幸福であることをいつも確認してほしい。」に涙をするような、人間である。ところで、私の、その霊に最も共感し希望しそれが全てであると思っていたルソーはヴァランス夫人の下におけるルソーであって、本日さしかかった第五巻において、それは泡と消えた。泡と消えたとはいえ、私はルソーの晩年の著述によってその時の再現をたしかに精神に宿した。これは”理想家”たるところの満足に値する。



 私は一人であること以上に孤独であることが存在することを未だ知らない。


 そうというのは、複線ではなくて、あるらしいのだと誰かがささやいているから、補足として付け足しておいた。 このような感情の流れが在ることを記すことによって、世界史上実に弱弱しい生き物となってしまった人類というものをここに証明する。

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2009-02-23 1日

 そろそろ自分にも慣れてきて、例えば今みたいに、ミクシィで見る周りの日記らが、実は人間レベルの高い人たちだろうことにも気づいていて、99%を否定する自分にも慣れてきたわけだから、レベルの高い人たちをおのづから否定している自分が危険であることも、知っている。だから右上の×を押して、早く消してしまうことが精神衛生上有効であることも知っている。だから消した。



 私はおそらくこんな文章を、インターネット及びキーボードというものが無ければ書いていないだろう。完全なる創造など、どこにもない。



 1920年頃に使われる”理想家”たる言葉が、自分にあてはまるらしい。2000年頃で言えば”完璧主義”だろうか。とはいえ私の部屋は散らかっている。部屋の隅は丸く掃かないが、むしろ掃くときは丸く掃かないで、疲れたら辞める。これは理想家だ。坂口昴の『概観世界史潮』でルソーへの言葉としての”理想家”である。1個上のように文章を始めることを、”冒頭でゴタクやウンチクをたれる”と言うらしいことを、紀伊国屋で貰ってきたフリーペーパーに載ってる中森明夫の文章で知った。そして、今見直してみたら、1個上の文章を書いた時にどことなく感じた罪悪感が、村上春樹の『風の歌を聴け』の冒頭の文章を模したものであることを、見つけた。曰く、「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」。



 ルソー、ルソー、その霊に共感の多いルソー、



その冒頭を見直してみたい気持ちが興った。ところで、桑原武夫氏の訳が素晴らしい気がする。第一部冒頭、「これこそは自然のままに、まったく真実のままに正確に描かれた唯一の人間像、このようなものは、かつてなく、また今後もおそらくないであろう。」。第一巻冒頭、「一、わたしはかつて例のなかった、そして今後も模倣するものはないと思う、仕事をくわだてる。自分とおなじ人間仲間に、ひとりの人間をその自然のままの真実において見せてやりたい、そして、その人間というのは、わたしである。」。私は著作権を気にしなくていいらしい。怖ろしい、世界だ。そして、楽しすぎる世界だ。わたしは今日のこの文章を次の弱さで括りたいと思う。

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2008-12-09 読書記

12/10-    『パンダの親指 上』スティーヴン・J・グールド/早川書房
12/9-    『いつかソウル・トレインに乗る日まで』高橋源一郎/集英社
 50代でだってそうなんだ!
12/5-    『ラテン語のはなし』逸見喜一郎/大修館書店
11/23-    『わたしたちに許された特別な時間の終わり』岡田利規
 この小説の20代半ばと思われる人たちのように、肉欲の神に憑かれる、あるいは私たちの文化圏としては内から湧き上がる、そういったものが表現の立派な一つになりえているところに、私は未来への苦悩を見る。これを10代に閉じ込めることはできないのか。恋だ愛だ欲望だ、というのは恥ずかしいんだ。
11/4- 『空飛ぶ寄生虫』藤田紘一郎/
10/28-30了 『哲学は人生の役に立つのか』木田元/PHP研究所
幸福という言葉には他人との比較が含まれているらしい。健康、お金。
10/14-    『サルトル全集23情緒論なんとか』
10/8-    『日本の聖と賤 中世篇』野間宏・沖浦和光/人文書院
9/21-    『アメノウズメ伝』鶴見俊輔/
9/20了    『いのちの食べ方』森達也/理論社
9/18-    『南方熊楠日記T』
9/10-    『少年H』妹尾河童/-
9/4--    『更級日記』橋本武訳
9/4了    『すべての男は消耗品である』村上龍/-
9/2--    『マイ・ドリーム』バラク・オバマ/ダイヤモンド社
9/1--    『死刑』森達也/朝日新聞社
8/31-9/02了 『少年A』少年Aの父母/文藝春秋
8/28-8/31  『奇想の図譜』辻惟雄/筑摩

8/27-8/30  『日本人は世界一間抜けな美術コレクター』新見/光文社
自国の作家による芸術品が外国人の手あるいは外国に渡ってしまっていることと、多くの若冲作品が外国にいってしまっていることを並列に並べて語ってはいけないと思う。若冲周辺の美術に純粋に惹かれ、お金も持っていた、それがたまたま外人だった。
村上隆への評論家の言及に対して、あとづけの論理である、としたところに共感した。

8/11-8/23了 『決壊』平野啓一郎/新潮社
8/6了    『若冲になったアメリカ人』/小学館

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2008-12-02 10月の出あいは 長く幸せになると 本で見たの むかし

 2006年の10月に私は確かに幻想を体現していて、Nを追うのに必死だった。Nは見目かたち良くて、人間のださいところを持っていなくて、完璧だった。完璧でないところを見つけたときには、Nとの間に起こる現象のおもしろさでカバーした。Nは無口だった。黙々と絵を描いていた。人を気にしていないようだった。よくトイレに立って、掲示板を見て、食堂にいた。それは私が人恋しくて人と話す時間を故意に設けるのと同じようにそうしているようだった。私はある時話しかけて、挨拶をできる間柄にした。それがNの生活環境で数えるほどの少数であったことの延長上に今があるように、Nは相変わらず友達を作らないし、私は少しの優越感を保存している。

 2007年の10月に私は退屈していて、パン屋でくだらない本を読んでいた。それも夕方であった。何かを埋めてほしくて、バイト先と同じ業種のおもしろそうな店のメモを元に、電車で350円くらいのところに向かった。着いた町を徘徊する私は今思えば痛ましくて、同じような他人を今発見すると、やはり痛ましい。そこに在る感情は汚らしいが、<2度生まれる者>の必ず通る道だと思う。そこで出合った世界は、根元的なものであり、その当日に書いた日記の予言した通り、大きく人生が変わった出合いだった。あるいは、それまで世界のエッセンスというものの存在を知らなかった。その延長線上に今があるように、今でもその根元は変わらないし、私は忙しそうにしている。Nとはその11月に形式上の付き合いを辞めた。

 2008年の10月に私は幸福を手に入れた。幸福を手に入れるという言い方はおかしなもので、幸福は感情であるために一時的なものであるとは洗練された思想家のいうところであることを11月に知ったことだが、どうしても、幸福を手に入れたという言い方がしっくりきてしまうため、書いた。私は23歳で、なぜか既に臆病だった。自分の弱さを感じる毎日で、自分の人間としてのだささを認めなくてはいけなかった。Sの存在は未だにミラクルである。痒いところを掻いてくれ、(い)なくても平気なときにはそれで構わなくて、しかし張り裂けそうな時には必ず何かしらで埋めてくれて、それは発展的で、おまけに建設的で、おまけに愉快である。それは2007年の5月からそうだった。ずっとそうだった。とは言い過ぎかもしれないけれど、現に今だって、今日だって、あのようなものを見つけられたのはSのふとした発言のおかげだった。それが世界の視点から大したことのないことであろうが、気持ちが良いことであり、生きられないかもしれない閉塞感から思えばそれはありがたくてたまらない、という風に私の結論はいつも感情に因り、愛は可滅的なるものの中の非可滅的なものに向けられ、それは本当に存在するのか分からない。
 
 2006年のNと2007年の店とは、熱帯雨林の集中豪雨からもう出てしまったが、時々雨に降られ、それはやはり対面であった。私は切々と寂しさを感じていて、Sを失った時に果たして生き続けられるだろうか、と思う。しかしそれは少し前の私の望んでいた、波乱のある人生のはずであるが、どうしたのだろう、何があったのだろう、もう寂しいのはごめんなんだ、いやちがう、何となく世界が固まっていってしまうのを感じていて、しかしそれは私が足を留めているだけかもしれない。

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2008-11-25 つまみ読み記

12月
『トリックスターの系譜』ルイス・ハイド/法政大出版
『ハリネズミと狐』バーリン
『幸福論』アラン
『怒りについて』セネカ
11月
『情念論』デカルト花田圭介訳
『アーレント=ハイデガー往復書簡集』U.ルッツ
『伝記サルトル』フランシス・ジャンソン
文芸春秋12月号 佐藤優と立花隆の私の100冊
『神、人間及び人間の幸福に関する短論文』スピノザ畠中尚志訳
『宗教的経験の諸相 上』W.ジェイムズ桝田啓三郎訳
9/24
『日本の妙薬』三橋一夫/ルック社『サライ』絵巻(一遍)、屏風絵特集
9/23
『まんが夜間飛行』イーストプレス『まんが堕落論/白痴』イーストプレス

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2008-09-30 アニメーションづくり

おおまかな流れ
絵を描く→フォトショでつなげる(荒いままでいい)→家で右にPCを置き左にTVを置いて確認しながらおおまかな修正をする→一夜明けてフォトショで再加工する(背景いらない)→家に持って帰ってFreeAnimationStudioを起動する→aviで作成→WindowsDVDメーカーを起動する→5分くらい待つ

1.絵
忠実に再現するのは諦めた方がいいふにゃふにゃでも見栄えがいいものがいいと思う、同じように動いている(平行移動のような見た目のところ)けれど動かさない方が楽なところを見つける それをどこにするかは全体を作ってから出ないと難しい
1カウントごとでもなんでも要所要所を押さえて、つなげていく、でないとプロポーションがめちゃくちゃになる



2.photoshop
psdファイル、あとでFreeAnimeStudioで読み取ったときの順番は下から上の昇順である。
はじめは線の流れが分かればいいわけだから、メモ書き消去とかしないでよし、番
号もカウント気にしなくてよし

その後に絵を直した上で

最後に数字を入れるのが望ましい




3.FreeAnimeStudio
612×840


4.WindowsDVDメーカー
画面幅に合わせないでもらうやり方が分からない

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2008-09-22 作りたいタイピングゲーム

・問題文と判定文が違う(ex.表示は日本語、入力は英語など覚えたい語)
・一度正解したものは出てこない(更に要求すると、間違えた回数の多いものの出る頻度が高くなる=5回くらい正解してやっと出てこなくなる)
・音が鳴る
・VBで作れる


今の疑問(VB2008)
・作成したファイルの保存方法が分からない(1個1個個別に保存しても、テキストファイルのようなものが単独で呼ばれてしまい形にならない、いちいちエクスポートするのか)
・プロパティの、インデクサの概念がちーともわからない

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2008-07-18 真夏・晴れ・もう夏休みな雰囲気

説明文でなく、会話文で表現する。平画面投影を使う。
・腐れ男子・女子集合の張り紙。ところはヒミツだったのに「シスコの小さい方」連絡来ないのかな。隠れたいけど集まりたい、
・1,2年で構成されたサークルの雰囲気は賑やかだ。外の何もかもを忘れられることが必要だ。
・正十二面体

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2008-04-26 葉桜の日

今日、Nくんに定規を借りました。定規とコンパスと推奨図書を借りました。

待ってる間、私は自分をすごく気にしながらも落ち着いているふりをして、
あの足音がして、
Nくんはぬっと出てきて、体はもう逃げていた。

私は人になつかない猫で、
わかった ありがとう
としか言えなくて
きっとNくんも人になつかない猫で、
「汚すなよー」「汚さないよー うるさいなー」
なんてのを
岡崎京子に載っていそうな会話を知っていながら このライトノベルに出てきそうな会話くらいならできるかなって思って でも口をついて出たのは つたない文法だった。

私はかばんに入っているMr.の画集を取り出せなかった

いつも見た目が変わっていたけど、どこも変わっていなかった。
長い付き合いになればいいなと思った。
借りたコンパスの匂いが胸に痛かった。

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2008-03-15 嘘をつけ

僕はどちらでもよかった。ただその判定を思うとわくわくするだけだった。かといって、ふられるのは身の切れる思いだろうし、その逆が最高に幸福だろうことも計り知れない幸福であろう。
ではなぜ僕を気にかけたんだ?とは別に言いたくなくて、ふーん、完敗というわけではないんだなと思って、だからって諦めないというわけでもないし、諦めようと思うわけではない。
それに、僕は相手が気にしてるほどメールを媒体としたことを恥じなかった。それは、僕がなぜ恥じなかったかが不思議だと思った時に思い出したことがあったからだ。そうだ、電話でも直接会いながらでもしたことがある。メールはしたことがない。だからか。
僕は頭の中のスケジュール帳に、2勝1敗と書き加えても良かった。僕が本当に愛せたのは彼女だったろう、と書き加えても良かった。
僕は強い人間になってもよかったし、都合の悪い記憶として消すことで未来催眠療法を受けるかのように処理してもよかった。
僕は涙が出そうになったし、涙は出なかった。
こうして僕は自分を中庸に保つために、破壊された細胞を修復するかのように、あるいは増えすぎた細胞の壊死をマクロファージで食いつぶすかのように、もしかしたらプログラム細胞死するかのように。
僕はラディゲの中に彼女を見ていたはずだった。「彼らは、もっとも密やかな類似のなかにこそ、もっとも深遠な自分との類似が存在することを知らないのだ。」でも僕は今ラディゲの中に僕を見た。「  」

ただひとつはっきりしている。本当にただひとつだ。それは、彼女の好きな男というのを知りたくないということだ。僕と全然関係の無い人だといいと思った。違うコミューンに所属する、同じような形の人だといいと思った。深い絆のあるような人だといいと思った。僕と比べられるのはまっぴらだからだ。
僕はただ一度の就活に落ちて自分を全否定されたかのようだ。よく言うあれ。でも僕はその会社以外に勤めることができないんだと思うと、少し憂鬱にもなった、試験前を思い出した。

経験と、悲しみと、やる気、何でもいい、新しいものを手に入れた、どこを悲しめばいいと言う?
僕が一番怖いのは、黒板の前に立つ先生の後姿を見て、席に座ったままでいることだ。

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