himajin top
ヒポコトリの「書を捨てないで 町へ出る」


今日
昨日  since20030313

はじめまして    chCCygEPcF

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2008-12-09 読書記
2008-12-02 10月の出あいは 長く幸せになると 本で見たの むかし
2008-11-25 つまみ読み記
2008-09-30 アニメーションづくり
2008-09-22 作りたいタイピングゲーム
2008-07-18 真夏・晴れ・もう夏休みな雰囲気
2008-04-26 葉桜の日
2008-03-15 嘘をつけ
2008-03-12 きょうのできごと
2008-03-12 きのうのできごと


2008-12-09 読書記

12/10-    『パンダの親指 上』スティーヴン・J・グールド/早川書房
12/9-    『いつかソウル・トレインに乗る日まで』高橋源一郎/集英社
 50代でだってそうなんだ!
12/5-    『ラテン語のはなし』逸見喜一郎/大修館書店
11/23-    『わたしたちに許された特別な時間の終わり』岡田利規
 この小説の20代半ばと思われる人たちのように、肉欲の神に憑かれる、あるいは私たちの文化圏としては内から湧き上がる、そういったものが表現の立派な一つになりえているところに、私は未来への苦悩を見る。これを10代に閉じ込めることはできないのか。恋だ愛だ欲望だ、というのは恥ずかしいんだ。
11/4- 『空飛ぶ寄生虫』藤田紘一郎/
10/28-30了 『哲学は人生の役に立つのか』木田元/PHP研究所
幸福という言葉には他人との比較が含まれているらしい。健康、お金。
10/14-    『サルトル全集23情緒論なんとか』
10/8-    『日本の聖と賤 中世篇』野間宏・沖浦和光/人文書院
9/21-    『アメノウズメ伝』鶴見俊輔/
9/20了    『いのちの食べ方』森達也/理論社
9/18-    『南方熊楠日記T』
9/10-    『少年H』妹尾河童/-
9/4--    『更級日記』橋本武訳
9/4了    『すべての男は消耗品である』村上龍/-
9/2--    『マイ・ドリーム』バラク・オバマ/ダイヤモンド社
9/1--    『死刑』森達也/朝日新聞社
8/31-9/02了 『少年A』少年Aの父母/文藝春秋
8/28-8/31  『奇想の図譜』辻惟雄/筑摩

8/27-8/30  『日本人は世界一間抜けな美術コレクター』新見/光文社
自国の作家による芸術品が外国人の手あるいは外国に渡ってしまっていることと、多くの若冲作品が外国にいってしまっていることを並列に並べて語ってはいけないと思う。若冲周辺の美術に純粋に惹かれ、お金も持っていた、それがたまたま外人だった。
村上隆への評論家の言及に対して、あとづけの論理である、としたところに共感した。

8/11-8/23了 『決壊』平野啓一郎/新潮社
8/6了    『若冲になったアメリカ人』/小学館

先頭 表紙

2008-12-02 10月の出あいは 長く幸せになると 本で見たの むかし

 2006年の10月に私は確かに幻想を体現していて、Nを追うのに必死だった。Nは見目かたち良くて、人間のださいところを持っていなくて、完璧だった。完璧でないところを見つけたときには、Nとの間に起こる現象のおもしろさでカバーした。Nは無口だった。黙々と絵を描いていた。人を気にしていないようだった。よくトイレに立って、掲示板を見て、食堂にいた。それは私が人恋しくて人と話す時間を故意に設けるのと同じようにそうしているようだった。私はある時話しかけて、挨拶をできる間柄にした。それがNの生活環境で数えるほどの少数であったことの延長上に今があるように、Nは相変わらず友達を作らないし、私は少しの優越感を保存している。

 2007年の10月に私は退屈していて、パン屋でくだらない本を読んでいた。それも夕方であった。何かを埋めてほしくて、バイト先と同じ業種のおもしろそうな店のメモを元に、電車で350円くらいのところに向かった。着いた町を徘徊する私は今思えば痛ましくて、同じような他人を今発見すると、やはり痛ましい。そこに在る感情は汚らしいが、<2度生まれる者>の必ず通る道だと思う。そこで出合った世界は、根元的なものであり、その当日に書いた日記の予言した通り、大きく人生が変わった出合いだった。あるいは、それまで世界のエッセンスというものの存在を知らなかった。その延長線上に今があるように、今でもその根元は変わらないし、私は忙しそうにしている。Nとはその11月に形式上の付き合いを辞めた。

 2008年の10月に私は幸福を手に入れた。幸福を手に入れるという言い方はおかしなもので、幸福は感情であるために一時的なものであるとは洗練された思想家のいうところであることを11月に知ったことだが、どうしても、幸福を手に入れたという言い方がしっくりきてしまうため、書いた。私は23歳で、なぜか既に臆病だった。自分の弱さを感じる毎日で、自分の人間としてのだささを認めなくてはいけなかった。Sの存在は未だにミラクルである。痒いところを掻いてくれ、(い)なくても平気なときにはそれで構わなくて、しかし張り裂けそうな時には必ず何かしらで埋めてくれて、それは発展的で、おまけに建設的で、おまけに愉快である。それは2007年の5月からそうだった。ずっとそうだった。とは言い過ぎかもしれないけれど、現に今だって、今日だって、あのようなものを見つけられたのはSのふとした発言のおかげだった。それが世界の視点から大したことのないことであろうが、気持ちが良いことであり、生きられないかもしれない閉塞感から思えばそれはありがたくてたまらない、という風に私の結論はいつも感情に因り、愛は可滅的なるものの中の非可滅的なものに向けられ、それは本当に存在するのか分からない。
 
 2006年のNと2007年の店とは、熱帯雨林の集中豪雨からもう出てしまったが、時々雨に降られ、それはやはり対面であった。私は切々と寂しさを感じていて、Sを失った時に果たして生き続けられるだろうか、と思う。しかしそれは少し前の私の望んでいた、波乱のある人生のはずであるが、どうしたのだろう、何があったのだろう、もう寂しいのはごめんなんだ、いやちがう、何となく世界が固まっていってしまうのを感じていて、しかしそれは私が足を留めているだけかもしれない。

先頭 表紙

2008-11-25 つまみ読み記

12月
『トリックスターの系譜』ルイス・ハイド/法政大出版
『ハリネズミと狐』バーリン
『幸福論』アラン
『怒りについて』セネカ
11月
『情念論』デカルト花田圭介訳
『アーレント=ハイデガー往復書簡集』U.ルッツ
『伝記サルトル』フランシス・ジャンソン
文芸春秋12月号 佐藤優と立花隆の私の100冊
『神、人間及び人間の幸福に関する短論文』スピノザ畠中尚志訳
『宗教的経験の諸相 上』W.ジェイムズ桝田啓三郎訳
9/24
『日本の妙薬』三橋一夫/ルック社『サライ』絵巻(一遍)、屏風絵特集
9/23
『まんが夜間飛行』イーストプレス『まんが堕落論/白痴』イーストプレス

先頭 表紙

2008-09-30 アニメーションづくり

おおまかな流れ
絵を描く→フォトショでつなげる(荒いままでいい)→家で右にPCを置き左にTVを置いて確認しながらおおまかな修正をする→一夜明けてフォトショで再加工する(背景いらない)→家に持って帰ってFreeAnimationStudioを起動する→aviで作成→WindowsDVDメーカーを起動する→5分くらい待つ

1.絵
忠実に再現するのは諦めた方がいいふにゃふにゃでも見栄えがいいものがいいと思う、同じように動いている(平行移動のような見た目のところ)けれど動かさない方が楽なところを見つける それをどこにするかは全体を作ってから出ないと難しい
1カウントごとでもなんでも要所要所を押さえて、つなげていく、でないとプロポーションがめちゃくちゃになる



2.photoshop
psdファイル、あとでFreeAnimeStudioで読み取ったときの順番は下から上の昇順である。
はじめは線の流れが分かればいいわけだから、メモ書き消去とかしないでよし、番
号もカウント気にしなくてよし

その後に絵を直した上で

最後に数字を入れるのが望ましい




3.FreeAnimeStudio
612×840


4.WindowsDVDメーカー
画面幅に合わせないでもらうやり方が分からない

先頭 表紙

2008-09-22 作りたいタイピングゲーム

・問題文と判定文が違う(ex.表示は日本語、入力は英語など覚えたい語)
・一度正解したものは出てこない(更に要求すると、間違えた回数の多いものの出る頻度が高くなる=5回くらい正解してやっと出てこなくなる)
・音が鳴る
・VBで作れる


今の疑問(VB2008)
・作成したファイルの保存方法が分からない(1個1個個別に保存しても、テキストファイルのようなものが単独で呼ばれてしまい形にならない、いちいちエクスポートするのか)
・プロパティの、インデクサの概念がちーともわからない

先頭 表紙

2008-07-18 真夏・晴れ・もう夏休みな雰囲気

説明文でなく、会話文で表現する。平画面投影を使う。
・腐れ男子・女子集合の張り紙。ところはヒミツだったのに「シスコの小さい方」連絡来ないのかな。隠れたいけど集まりたい、
・1,2年で構成されたサークルの雰囲気は賑やかだ。外の何もかもを忘れられることが必要だ。
・正十二面体

先頭 表紙

2008-04-26 葉桜の日

今日、Nくんに定規を借りました。定規とコンパスと推奨図書を借りました。

待ってる間、私は自分をすごく気にしながらも落ち着いているふりをして、
あの足音がして、
Nくんはぬっと出てきて、体はもう逃げていた。

私は人になつかない猫で、
わかった ありがとう
としか言えなくて
きっとNくんも人になつかない猫で、
「汚すなよー」「汚さないよー うるさいなー」
なんてのを
岡崎京子に載っていそうな会話を知っていながら このライトノベルに出てきそうな会話くらいならできるかなって思って でも口をついて出たのは つたない文法だった。

私はかばんに入っているMr.の画集を取り出せなかった

いつも見た目が変わっていたけど、どこも変わっていなかった。
長い付き合いになればいいなと思った。
借りたコンパスの匂いが胸に痛かった。

先頭 表紙

2008-03-15 嘘をつけ

僕はどちらでもよかった。ただその判定を思うとわくわくするだけだった。かといって、ふられるのは身の切れる思いだろうし、その逆が最高に幸福だろうことも計り知れない幸福であろう。
ではなぜ僕を気にかけたんだ?とは別に言いたくなくて、ふーん、完敗というわけではないんだなと思って、だからって諦めないというわけでもないし、諦めようと思うわけではない。
それに、僕は相手が気にしてるほどメールを媒体としたことを恥じなかった。それは、僕がなぜ恥じなかったかが不思議だと思った時に思い出したことがあったからだ。そうだ、電話でも直接会いながらでもしたことがある。メールはしたことがない。だからか。
僕は頭の中のスケジュール帳に、2勝1敗と書き加えても良かった。僕が本当に愛せたのは彼女だったろう、と書き加えても良かった。
僕は強い人間になってもよかったし、都合の悪い記憶として消すことで未来催眠療法を受けるかのように処理してもよかった。
僕は涙が出そうになったし、涙は出なかった。
こうして僕は自分を中庸に保つために、破壊された細胞を修復するかのように、あるいは増えすぎた細胞の壊死をマクロファージで食いつぶすかのように、もしかしたらプログラム細胞死するかのように。
僕はラディゲの中に彼女を見ていたはずだった。「彼らは、もっとも密やかな類似のなかにこそ、もっとも深遠な自分との類似が存在することを知らないのだ。」でも僕は今ラディゲの中に僕を見た。「  」

ただひとつはっきりしている。本当にただひとつだ。それは、彼女の好きな男というのを知りたくないということだ。僕と全然関係の無い人だといいと思った。違うコミューンに所属する、同じような形の人だといいと思った。深い絆のあるような人だといいと思った。僕と比べられるのはまっぴらだからだ。
僕はただ一度の就活に落ちて自分を全否定されたかのようだ。よく言うあれ。でも僕はその会社以外に勤めることができないんだと思うと、少し憂鬱にもなった、試験前を思い出した。

経験と、悲しみと、やる気、何でもいい、新しいものを手に入れた、どこを悲しめばいいと言う?
僕が一番怖いのは、黒板の前に立つ先生の後姿を見て、席に座ったままでいることだ。

先頭 表紙

2008-03-12 きょうのできごと

チベットに行った友達に金正日のペンダントが欲しいと頼んだら、ダライラマのペンダントをくれたのは、ちょうど1年前その友達と同じアルバイトをしていた縁からだ。今日の新聞には、僧300人がデモをしたらしい。中国政府への反抗として?ダライラマがなんとか寺院に向かった49年前の同じ日にやったらしい。僧もデモって呼ぶんだね。
中国?元首相?のなんとかさんが、59歳で、もう政治に興味無いという見出し。斉藤学の言葉を借りると(最近これが一番自分のはやり)これはデジタル表示だと知らないと、誤解しちゃう。政治に興味無いって、なんか中国人ってそういう極まり語をはっきり言っちゃいそうなイメージがあるから、日本のそれとちょっと違う。でも、それは私のメディアを通しての中国人のイメージで、アナログでデジタル交換をしたことのある留学生とかにはあんまり感じない。でも、店に来る留学生は、なーんかその国そのまま持ってきたって人が多いかな。

先頭 表紙

2008-03-12 きのうのできごと

今日は用事をドタキャンしてしまった。迷惑がかかるのは自分にだけ(他大学との合同練習)なので別にいいんだが、断った理由というのが、この感情の流れ、つまりめんどくさい=無気力風な感じは、子供の頃と被り、危険かな〜と思ったりする。でもたぶん2日もすれば用事やる気満々マンになってることだろう。この気まぐれな資質はもう変わらない気がする。ただそれが社会(他人)とうまくやれるかどうかは別の能力だし、見合ってる仕事がどれとも下せないと…思いたい。

思うにやり始めてしまえば大して苦でないことはたくさんあるというか、乏しい過去を振り返れば全てそうかもと思ってるが、私の子供時代には責任の課されるものを与えれば良かったんじゃないかなあと思う。自分じゃないと他が困る出来事を。

---

何の用事も無い日も1日1回は外に出ようと何となく決めているので、昨日は閉店2時間前の紀伊国屋に行って本を買った後買ったり借りたりするまでもないかなと思ってる本の調査をさせてもらおうと思った。そこで面白かった出来事。
買おうと思ったのは孟子とテトライテスだかなんだかの数学者の対話篇。性善説を理解せずに性善説がどうのこうのとずっと思っていたが、いい加減浅い理解に苦しみはじめたので、ちゃんと読もうと思った次第。テトラなんとかは、複素数ってのを文系的に理解したいなあと思った次第。ということで、まあ岩波文庫かなあと棚の前へ。テトラさんがすぐ見つかる。すごいな、この環境。孟子は抜けてたが、新書で平積みだ。すごいな、この恵まれた環境…。右から複数の20歳くらいの男の子達。

A「あ ドストトフスキー、や、ドフトエフ、ドストエフスキー。」
B「はは、ドS この人おもしろいの?」
A「俺これこないだ買ってちょっと読んだんだけど超長いの。」
B「どんな話?」
A「いや、わかんない。まだ…」1/10の価値と1/3の価値は同じである
C「この棚って自分で作れんだよ。お店に注文すると2冊仕入れてくれるんだ、で1冊棚に入れるの。だから自分の棚になる。」

AB君と友達でいながら、そんなC君である。店じまいが始まり帰ろうとエレベーターに乗ったら、1人C君が乗っていた。そんな面白い出来事であった!

---

結局買った本
1、ラディゲ「肉体の悪魔」光文社古典新訳文庫 500円 08.1/20
ランボーと比較して、平凡である天才さとして小説家の天才としてラディゲ、と言われてるらしい。ああ、小説さが平凡さという、そんな空気があったとは…。騙されることが非常にむかつく私は、小説は騙されている感じが一番にくるので苦手だが、海外のはそんなむかつかないのは、騙そうと思った対象外として存在しているからか、あるいは良質な小説のように、言語や文化を超えたところの騙しというむかつかなさを備えているからか。…って言えるほどまるで小説を読まない私である。でもとりあえず、この小説のように一つの文がむかつかないもので構成されているものは、好きだ。あと一番個人的にありがたがった文は、この時の僕はマルトを好きなのではなく、マルトをものにしたかっただけであった、みたいなところ。しかも僕は明日にも1分後にも変化するというのすら伝わってくるところ。

2、孟子 岩波新書
未読

数学者のやつは金が底をついたため先送り

先頭 表紙


[次の10件を表示] (総目次)