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ヒポコトリの「書を捨てないで 町へ出る」


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はじめまして    chCCygEPcF

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2008-02-04 結論猶予
2008-02-03 今日の2日目は長い
2008-02-02 今日は7日 - 2
2008-02-02 今日は7日
2008-02-01 続報 - 2
2008-02-01 続報
2008-01-16 変わることが怖いし、変わらないことも怖い のcontext
2008-01-05 変わることが怖いし、変わらないことも怖い
2008-01-02 なんか素敵な年末年始
2007-12-24 男の子は、好きです


2008-02-04 結論猶予

−1
昨日はあまりに眠くて20時に寝た。気持ちよく4時くらいに目が覚めて2/4を満喫するつもりが、24時に気持ちよく起きてしまった。しかし27時には眠たくなってしまう。4時間の間にしたことは、末端の消費者ってやつと久々に同化したことだ。アマチュア無線に手を出そうと思って、1000円の本をついに買おうと思って、でZ会の例の大学受験準備シリーズもついに買おうと思って、1500円以上になると思っていたけれど、後者は発売前にはちゃんとページがあったのにややこしい商品だからか無くなっている。アマゾンの話。ハムの本は都心にあると分かったが、結局そういうことにした。代金引換しかやったことなかったが、ちゃんと考えようと思って、コンビニ払いにした。というのは、払い込み手数料がかかるかどうか明記されていないので代引手数料より高くなることはないにせよ、避けていた。避けていた、という、都合の悪いところに目をつぶる(明晰の罠とどう違う?)。うちからの最寄はセブンイレブンだが、セブンは結構ひどいことが分かったので(なんかで読んだ弁当仕入れについて)不買運動を昨日始めたつもりなので夜が明けてから行くつもりが、ポテチを食べたいっていう、まさにこの今の末端の消費者ちっくな衝動に駆られて、素直に従った。つまり、支払いもセブンでした。名前を適当に入れていたのを後悔した。しかし、すごいな。


0.1
結局再び寝て11時に起きる。今日の予定は無い。明日も無い。明後日の夕方のバイトまで無い。かといって、無駄に過ごすこともしないだろう。という感覚が安定してきて、喜んでいる。結局図書館へ行く。産経の1面、サルコジ大統領再婚に佐藤賢一「双頭の鷲」の引用。"女は男の弱さしか愛さない。憧憬、尊敬、共感、安心、どんな言葉で飾ったところで、男の強さは手に入れて、利用したいと思うだけだ"読みたい。関連キーワードはだめんずだろう。

0.11
買ったもの(ジャージー牛乳、北海道たら、チリレーズン、春巻の皮、ベトナムシナモンパウダー)1300円くらい また買いすぎ…



ついに新聞を頼んだ。やっと「崩壊する新聞」を借りたが、もう購読するのは決めていたものだから、この本の内容が事実的まとめ本であることをさっさと確認して、帰宅後すぐに電話をした。電話然り挨拶に来てくださった方然り、例のごとく新聞中間業の方というのは一見うさんくさい感じの人だった。しかしそれこそ「崩壊する新聞」のダメージを体現している人のように思う…から憎めない。がどうか。
してやられたのは、2/5から購読、日割りで、とつぶやいていたのを聞いたのに、もらった契約書に2/1から、と書かれていたことだ。それも4(4ってなんだよ?)を消して1となっている。しかし置いていった袋2つ分もの主婦的物品。価値の錯乱した2008年よ!
月々の固定支出が大分増えてしまった。新聞、携帯、パソコン回線。それでも貯金はしている(目的が無いところも小物だ)が、年金は学生の後払い制度にしている。それは年金という制度をまだ理解できていないからだ。民衆が選挙にいかないのも、こういう理由じゃないでしょうか。参加する意思はあるが、立候補者のことをよく知らないから、入れたあとで自民党大勝利の時みたいな悔しい思いをしたくない、ってやつ。私は人々のように今そんなに忙しくないので、今度選挙チャンスがあったら調べられるだけ調べようと思います(面白くなかったら挫折するのか)。
何を書こうと思って固定支出が増えてしまったと書き出したか、思い出した。新聞は、昨夜のような末端の消費者ってやつから脱出させてくれるスイッチ的な役割があるんです。

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2008-02-03 今日の2日目は長い

1日目
なかなかいい時間に起きる。米、豆腐、納豆、ヨーグルト、りんご、昆布なっとう

2日目
一応試合。チャチャのスパイラルが試合終わった頃にちょっときれいにできるようになったのが一番の形に見える収穫(試合の日のそれも終わった頃にできるって…)。OBさんたちにいいことをいっぱい教わった。教えを乞うのはものすごくパワーが要る。再び教わっても構わない時間に、「もう、心が疲れた…」と思っていたら、同じく同期が「もういいよ〜」と言った。また例文を思い出した。I have found that all parents have the same troubles.We parents are always relieved to hear each other's stories.この素直な反応は、こう思っても、そう思う自分を否定して挑んでいくのが良質な流れにマッチした風景ですかね。私はそんなんとても嫌いですけど、他に術を知りません。そう、そんな空気の流れるこの世界(日本?)において、他者との関わりはすぐ疲れるので、私は早々自宅に引き上げてしまいます。以前はその関わりすらうまく構築できていなかったので、とりあえず大進歩ではあります。よくロマンチストが使う言葉でいう、「やっとスタートラインに立てました」。

3日目
玄米もち、そば、春菊、天かす、ヨーグルト、ヤクルト
大学生の授業関心度について
帰るとそのようなニュースがやっていた。随分前に記事で見たような気がするというのはどういうことだろう。さっき□竹取物語/星新一訳を読んでふと思ったが、中国では玉が宝物とされていた(る)というくだりについて。今玉的なものなんて街にあふれていて、100均でも売ってるし別にありがたくない。私が玉ってもの(まんまるのもの?)をすごいと思ったのは、自分でまんまるのものを再現しようとした時。造形屋バイトの時の強い記憶がある。村上隆の制作風景も印象に強い。まぁこれは見たの最近か。つまり、玉ってものの奇跡を思うということだろうけど、この2008年に 「玉という存在は知っている、あぁ、考えたらすごいね、ということも知っている。)」という態度が普通だ。”可能的幻滅性の時代”とでも言っておく。色んなことができることも知っている、色んなすごいことがあることも知っている、同時に、そんなこと追求していても人道?を誤るつまんない大人が多いことも知っている(大人だって、成長中なのに)。この時代に対して無自覚に生きている空気の漂っている授業(一部除く先生及び生徒)、私はつまらん…。
ニュースは同列に本を読まないことを並べたが、ここも魔の手が潜んでいる。今50代の先生が言ってました。授業は出なかったけど(全共闘の時代で、無かった?)、仲間でよく話し合ってたもんで、そこで話すためには本を読まないといけなくて、すごく読んだ。ニュースはこの時代と比較して伝えていたのかもしれない。あるいは無自覚的に目立つデータだからと並べたのかもしれない。しかし文脈すら知らない私たちはそう受け取れない。本について少し思うのは、1冊選ぶところから大変というのがあると思います。その形態にも幻滅しているという特殊性に無自覚で、本なんて読んだってねぇ、雑学っぽいのは面白いけどそれどまりだし…と、隠された価値を知らないまま何となく年をとっていく。私はそんな同世代の様子を見て、マナーを違反しない言葉(空気を読む=その場でみんなが参加できる方向性)でしか指摘しない、あるいは指摘しない。私ができることはマナーをもっとつけていいと思う内容を発することですかね。
ちなみに私は本=小説と思っていました。小説を読まなくていいと思ってから(苦手)、本の世界が楽しくなりました…。

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2008-02-02 今日は7日 - 2

今日5日目
買いたい豆腐屋が一方通行で入りにくいところなのでどうしようかと考えて結局スーパーで買うことにする。豆腐の種類がたくさんある。同じメーカーなのに何種類も出していない会社のものを買った。ヨーグルト、ヤクルト、納豆、そばを買う 800円くらい

ドラッグストアに寄る。ボディソープ、ハードジェル、ニキビ予防薬、黒いタイツ3足、ストッキング5足を買う。2500円くらい。この店は割りとい会社な気がする。

お金を使いすぎた。

隣りの古本屋に寄る。古本屋チェーン店業界を少し知ってからは始めて訪れる。ここのちくま文庫にいいやつが多い(読まれた跡は結構ある)。
電話が来る。バイト2に行くことになる。

今日6日目
電車に乗る。着く。牛丼を貰う。お茶が入っていたので飲むが、何となくおいしくない。自分の持ってきてた茶葉で淹れて飲む。やっぱうまい。やっぱ、って言っても、うまいと思って飲んでたわけじゃないが…。持ってきたかりんとうを全部食べてしまう。自然派というが、少し油が多かった気がする。少し体が変になる。「新聞の歴史」新潮選書を読むが、なかなか読みづらい。とはいえ読んだところの内容は理解できた。

睡魔に勝てそうにないので、体を動かすことにする。袋詰めをしながらラジオを聞く。なんだ、本読まなくたって世界は知れるじゃん。もう。ラジオでたぶんケータイ川柳が読まれている。なに、頼りない腕枕がなんだって?きもいなぁ…だから詩とか嫌いなんだよ、何で発表するかなあ…。と、今日メモした”公民館にいた男の声が似ていた””昨日の○○さんちの臭いが似ていた”を後悔した。ただ、詩は昨日少し分かった気がした。もしかしたら紀元になるかもしれない。なんとか珊太郎という人の詩。最相葉月の星新一本に載っていた(星新一の異母兄)。なんか入り込んでしまったんだ。

ラジオのゲストはイタリア最高な、ピアニストのおじさん。イタリアは本当に良い気がする。大きな違いはプロ倫で言ってるらしいところの、資本主義的に超勝ったわけではないところですか?このあと電車に乗って、あるいは日本を思って、全然だめな気がした。イタリアを目指すわけじゃない。目指すとしたら、イタリアが良イタリアである/となれた点について。現日本は、確実に在る良日本とはなかなか遠いところにあるようだ。これでこれからイタリアの記憶が増えるぞ。ていうか、イタリアってものは私は表象でしか見て聞いて知ってないわけだけど。

うっかり終電を乗り過ごすところで、走った。日々運動してるとはいえ、体力はついていない。2,3分できもい。電車がまた臭い。この感覚、死にそうだ。あ、これで「内臓感覚」(NHKブックス)読めそうだ。空く、座れる、生き返る、家に帰れる、こんなことに生き返ると思えるなんて、恵まれてるもんだ。

今日7日目
家に着いてとりあえずラジオを流す。なんか知らないじいさん(知識人らしい)が、たぶん孔子的な人の話を引用してなんか知らんが今を嘆いている。自分の手を洗うのは牛を洗ってからで、そして手にありがとうという?雨が降ってきた、ああ、鼻の穴が下を向いている、そしてありがたいと思う?この人は自分がそう思えない人だからわざわざ言ってるんだろうと思う。健康のために健康してる人のように。私青いですかね。

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2008-02-02 今日は7日

L-25の2/1-2/7号の吉田修一エッセイで、映画を見る回数が減った、CSなどあって録画できるのだが、ありがたみが無い…そして「夜顔」という映画の感想を軸にエッセイが書かれていた。それは映画に付加価値をつけていたという指摘は野暮ですかね。映画と夢を比べる例文を思い出した。As a child,I could never understand why grown-ups took dreaming so calmly while that made such a fuss about movies.This still puzzles me .


候補曲
スロー
1 サルヴァトールアダモSalvatore Adamo「雪が降る」「Tombe la neige」
2 JT「雨」


今日1日目
起きるのが遅いし1日眠い
天津飯つくる(キャベツ、卵2個、米、干し柿)
昨日淹れて冷やしといたコーヒー2+牛乳8を飲む。あ、成功。こう、味の芸術的な何か、は無いが、実にストレスの無い食品だ。これからこれだな。牛乳の期限が1/29だったのが気になるが。

今日2日目
返す本をうつす(ラスコーの壁画、出版クラッシュ)(狂気の歴史、村上隆は時間切れ)本を読むという行為とキーボードを打つという行為はまるで違うらしく、打ち間違い多数。非効率

今日3日目
踊る
たった30分
息が切れるようになれた

今日4日目
本を返す
新聞を読む(読売だけ)
1面と9面に北京五輪取材班による良記事らしきもの
中国農村女性の自殺は夫や姑的な問題らしいが、老人の自殺理由と近い気がする。老人の自殺はうちの田舎(島根の県庁所在地の市だが農村部)でもあっただかあるだか聞いたことがある。最近の頭の軸はラスコー(≒芸術=人間の誕生)なので、それに考えが寄る。ラスコーは創造ということを創造した。きっとそれは自殺が創造されることと似ている(ラスコー人が自殺するとは別)。動物の自殺はまるで知らないが…。自殺の創造された中で生きる人間、自分が人間であるということはどういうことかということに対しての無自覚、その中で自殺は生まれる気がする。でも中国の農村には「嫁は傷めれば傷めるほど素直になる」みたいなことわざのようなものがあるらしく、環境がきついから自殺するという…しかし取材先の村はここは比較的いいとこよと言うらしい。女が集まって本で勉強会とか踊りをする会があるらしい。関野良晴は学生的な年齢の頃の目的地は確かアマゾンだった、2008年に学生の私の選択はここだろうか。
自覚という言葉が気になる。一番いけないのは、無自覚的な生き方だろうか。

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2008-02-01 続報 - 2


星新一
星新一研究の本が賞をとっていました。適当に読んでいますが、これはまた業界研究になる本なんですね。父の星一のように、ビジネスで生きていきながら人道も忘れずにいきていける道はやはりあるんだと改めて思いました。もう1つ感じたのは、近代発生時の、現在(現代)との差異です。最近ジョルジュ・バタイユの本「ラスコーの壁画」を読んでいますが、これは芸術の発生の本ですが、人間が、いつから人間と言って良いのか(…っていうと遊びっぽいですかね?)まあそこに答えは無いわけなんですけど(こういうのって真に科学的ってやつですよね!)、でも「俺達って人間だよな、うん、えーと、でもあいつら(旧石器後期)はうほうほ言ってる(だろう)からちょっと俺達と同じとは思えない。じゃあ、どっからコミュニケーション可能になるんだろう??なんかそれ考えてると北朝鮮のTVでものすごい口調でニュース喋ってんのとか 誰か真似すると笑うサークルの人とか分かんねーよー でもサークルの人たちはそこらの人間より人間的だと俺は思うし…」って感情とかは分かると思うです。で、人間の発生は禁止がキーワード(死や性に対して。これは字面で見ると軽々しいですが、内容はすごい面白いと思うんです)という記述がありました。禁止が人間誕生か… あら!星新一の親の時代は、つまりいわゆる女は結婚して、長男は家を継いで、ってやつは、禁止+禁止ってやつで、うちら、つまりいわゆる30代の女は今悩んでいる…とか倉田真由美が書いちゃうような時代は、禁止+(禁止-禁止)ってやつだろうか?と考えていました。


変人=狂気を持ちながら、別にいかにも生を営むことに矛盾を感じずに生きていけることに気づきました。狂気は、その自然発生的に生まれる定義からして誰もが持っているはずだから、ってこともそうですが(と思ってますが)、
あ、疲れました。


ルソーが、自分と社会の欲求?は一致するものだと断言しているそうです。by東浩紀 私もこの短く不正確な文章からは、とても同意します。そのはずれ具合と、及び「真理」「人は分かり合える」の関係性が気になります。人は分かり合える?ないないないないっていう人がとても周りに多いんです。気になります。

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2008-02-01 続報

去年の年末は暗かったです。年が明けて、朗らかな感じ漂う正月ににこにこできていたものの、1/5もまだ余韻を引きずっていました。でもそれからはずっと精力的に動けていていましたが、しかし再び1/19-21にイライラとしていました。

子宮病(ヒステリー)にいつ辿りつけるか待ってたんですけどそろそろ自分から探すべきです。山のような分かりにくいテキストから分かるテキストを探して入り込もうと思います。


降順

東京新聞を早く頼みたいんですが、本「崩壊する新聞」を読んでからにしようと思って図書館で予約の取り置きを取りに行き待ちです。本当に町の新聞販売所にお金を払うことが彼らを幸せにしているのか、新聞にお金を払うことはいいことなのか、まあいいに決まってるんですけど、どこでお金を落とすのが一番いいのか、どのルート(新聞社の用意したハガキor販売所に直接or...)

とか言ってたら、一緒に住みかけてた同性の子に「そんなこと考えないよ」と言われ、結局、彼女が別の家を借りようとしているのはこういう所にあると思うっているところです。つまり、絶対に一致しない自己と他者。私はそれも社会性のいい練習と思って期待していたんだけど、まあ実際元々1人で暮らしていたつくりの家なので、勉強したい人でお金もぼんぼん稼いで余裕ある彼女なら、自然ななりゆきか。いや、私の片付けは月1方針がだめだったのか、彼女が落ち着くことのできない人だからか。


世界には色々な人がものすごい量でいるので、その人/共同体に出くわす度に、1日が終わるかのようです。あ、メディアでもいいです。今日は3日くらいです。女帝→探偵学園→星新一→サークル→携帯電話→芸術談義??→ミスチル→出版業界 本当に身に入ってんだか。音楽のことはまるでよくわかっていないですが、ミスチルのフェイクって曲が気に入ってます。他のミスチルは、録音は微妙です。


出版
まじめに業界研究をやろうと、本を開いてやっと出てくる現実とのつながりは、今回の本の場合バーフアウトでした。それはthe brilliant greenがよく載っていたので、よく古本屋をまわって集めていたという末端の消費者(消費者とは末端か)という見え方しかなかった話です。バーフウトはビジュアルがおしゃれーな感じでしたね。ビジュアルの本を中心に扱う出版社がすごい潰れたという過去をもつ出版業界だそうです。光琳社は幻冬舎にバーフアウトを引き継いだそうです。引き継ぐ雑誌とは。そこにあるドラマを知りたいですね。幻冬舎は角川のなんかなんでしたっけ。

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2008-01-16 変わることが怖いし、変わらないことも怖い のcontext

(都市の城門のところで監禁されるという、狂人に与えられた特権によって、象徴化されもし現実化されてもいる状況を。つまり、狂人の排除は狂人を囲い込まねばならないのである。)狂人は関門(seuil)じたいのほかには牢獄をもつことができず、それをもってならなないとしても、狂人は通過する地点で取り押さえられるのである。彼は、外部の内側におかれているし、逆に内部の外側におかれてもいるのだ。(これは高度に象徴的な立場であり、もしも、狂人のおかれるこの立場がかつては秩序の明確な要塞だったものが現代では、われわれの意識の城と化してしまったことを認めるとすれば、この象徴的な立場は現代にいたるまで、その姿のまま残っているにちがいない。)<狂気の歴史p28より>

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2008-01-05 変わることが怖いし、変わらないことも怖い

#ちゃんが、あるジャンルに所属する曲(=母が泣く曲≒戦後、サブカル発生前)を流して、わけもなく悲しくて、涙が落ち着くまで時間がかかった。それは今日#ちゃんと別れた時の曲がり角で、#ちゃんが、デートクラブの男についていきながら、こちらを2度見たあのシーン、関係あるのかないのかわからないが、刺激物が、襲ってきた。
私は学問を負うには荷が重すぎるので、まだ社会学に興味を持てない。だから私1人のつまらないサンプルになるだろう話。
変わることが怖いし、変わらないことも怖い、行き場が無い。
だから泣いたのだろうか?母の無く曲を聞いて、うちの両親、安定を求め、哲学に選ばれず(疑問を持たずに自分の欲望を変える、その現象には気づかない)、小市民を演じ終えようとする人間。そこで私は子供で、何も心配しなくて良(い時代性の、平均的な家庭に生まれた)かった。それは、青年期のできた近代では、大人となるには青年期に挑戦しなければならない。変わらなければならない。
でも、暇、も死ぬほどつまらないな。
何もしたくないし、「何もしないことにも興味がない」。※「」は借り物の言葉

私がこの世界で泣かずに生きて行くには、生き延びていくためには、同じ群の人と群れれば、楽だ。それは去年見つけた。色々問題は実に起こるが、諦めずに立ち向かおうと思う。

というスタートラインでさえ、保つのに精一杯・・・

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2008-01-02 なんか素敵な年末年始

31日
私はちょっとだけ好きな人に借りてたものを返しに行き、噂通り帰省中でも空いている家のドアを開けて噂通りカオスな空間を見てものを置いて帰り、続いてドコモショップにバイクを走らせ解約し、そして江古田に向かって青梅街道を走らせていた。なぜか?目的地はそう、ブックオフ江古田店だ。

ちなみにドコモショップで感じたのは
余裕のある空間と客室乗務員かのような衣装の人間を見て、これは我が社のリッチであるという幻想を見せているのか、今現実そうなのか、とにかくイメージ作りについて感じた。でも次世代のやつはずれちゃったしねえ。でもそういうのは置いといて純粋に居心地良い空間でしたね。でも解約客にもそんな印象与えるわけだし・・・。出るときにもう閉める準備をしていたので時間ぎりぎりだったんですね、すみませんと言って、係数aを与えて出力されるドコモショップ員Aのそれはなかなかでした。

昼間で道がすいている日といったら今日くらいだろ、とかねてから評判の江古田行きを決めたのだった。実際、道はすいすいだった。途中上石神井のブックオフを見つけるがなくなく素通る。初めての店舗は行ったら2時間は出れないんだ。

ということで見つけて店に入る。携帯をチェックすると、このあと年越しのためによろうと思っていたバイト先からキャンセルの連絡。がっかり。だけどがっかりの利用法もあるもので、思考を巡らしていた。まあ結局過ごしたんだけど。江古田に1時間しかよれないことになり、2階は見れなかった。

と思ってこれから向かう中野に行こうと地図を見たら、江古田店と思ってみていた店は練馬店であった・・・江古田に寄る時間もないので、じゃあ1/2辺り行くか、ということで解決させる。

Wちゃんから数時間前の着信3回。電話するとちょっと精神が大変な瞬間だったんだけどとりあえず今は大丈夫、という声。安心する。ヒポコ家にいるからという内容。

そして23時頃バイト先に行って、コンビニのそばを食べて、もちを食べながら年明けを迎える。店長がいい正月だと言っていたのがとても嬉しかった。ちなみにバイト先で年を越そうと思ったのは、これからここに人生をかけたいと(大げさだけどそんな感じ)思っているので、その象徴として。店長は正月というと新聞を読んで終わり、だそう。帰りに朝日新聞を買って貰う。自分では東京新聞を買った。コンビニの人にお正月価格と言われるので覚悟してたら、110円て!安!!

1日
家に着く。極寒。Wちゃんが本を読んで待っていた。暖かい布団に潜る。サークルから電話。日の出を見に行く約束時間を過ぎていた。今日はふらふらだしWちゃんいるし諦めて膝枕に顔を埋めていたが、絶対後悔する、と思って奮い立たせて駅に走る。

5時に高尾山着。
トイレの紙がほぼ無くなったので次の人に伝えて駅員さんに伝えに行く。やっぱり、正しいと思える行動は混んでる列も駅員さんも受け入れてくれる。システムの中にいることがみなに漠然と伝わる。

6時30分、やっとみんなに合流。朝日は、やっぱりすごいと思う。地平線もどきもすごかった。出る前の朝焼けもすごかった。泣きそうになったのは、なんかそこにいる人間全員と一体化できた感じが、すごいなあと思って。やさしさのゆくえを感じた。ちなみに正月らしいことをしたのは初めて。

サークルの人は今年は少なかったみたいだけど、それはそれで楽しかった。だんごとフランクフルトだけで我慢した。炭火だんごを垂直に刺すやつとか、いっぱいネタが転がってた。

9時に帰宅。
Wちゃんが寝ている。私も寝る。起きたら、二人で初詣に行こう。

(行かなかったが)

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2007-12-24 男の子は、好きです

全く更新しないのに数アクセスあるというのは何事かね?


今年を振り返ります。

その前に、今興味のあること
・自己愛(fromW子さん)
・青年期(fromN夫くん)
・この世の全て(fromE夫くん)

今年は、細木数子よろしく、立花らしい年を送れたと思う。立花というのは、12でまわる周期のなかで3番目、3つ続いた良い年の最後で、次には悪い(主に身体的に)年が待っている。花にたとえると、3年分の頑張りあるいは怠りがはねかえってきて、それだけの花が咲き、今後12までの運命を決定づける出合いが既に準備されたかのようなもの。と解釈している。

ということで、手当たり次第にバイトをした、手当たり次第に恐れず新しいことをやった、つもりだけど、OSが不出来の私は、いくつか見逃したり誇れるようなものも少ない。
1月 試食バイト
   アイドルコンサートバイト
   造形屋バイト
4月 N夫くんに交換日記を申し出る
5月 2年生、新歓も終わった頃にサークルに入る
6月 複数の世界を同時進行するやり方をまねする
7月 古本屋バイト
8月 合宿という集団行動を及第する
   その場に惑わされない自我の90%完成に出合える予感
10月 古本屋を散策する内に研究所(仮)に出合う★
    N夫くんと別れる決心をする
11月 学園祭を経て共同体に存在しながらサボれる位置を手にする
12月 バイク冬デビュー
    安定した、世の中への鳴り止まない興味


今日はクリスマスイヴですが、今バイト中です。1年前は埼玉のスーパーに試食バイトに行ったはずで、2年前は予備校にいた気がします。それは3年前4年前も同じで、5年前6年前はいわゆる恥ずかしい感じで夜景を歩いていた気がします。が、今の方が断然楽しい。信用とか、信頼とか、ほんとうの関係性とか、学術ルールに従えば何かと言葉にできるのかもしれないけど、その技術を持っていませんので、自分の言葉で言うと「嘘っぽくないつながり、を持っていれば寂しいという感情を会うっていう行為で誤魔化すことで自分を邪魔せずに、自分のやりたいことをできるという、自由」というのは、私には一番精神衛生上良い状態です。そしてそれは全てを解決するもので、とりあえず今青年期の平均寿命は20〜35と見ているんだけど、私は終わったはずです。それを確認したいために、めんどくさいルソーとかの本も読みたくなるもんです。恋愛面を解決したわけだけど、それでもたりたり喋ってたり読んでたり動いてたりする間の瞬間にふと、まだ解明されてない数人の異性の顔、かたち、行動、想像をしていたりする、わけだ・・・。しかし落とし穴は、まだ私は資本主義社会の一員になっていないということ。


くだらない、と思う人でも人格面を合格していると、魂ふるえちゃう瞬間あるよね。喋ることがとことんつまらないおばさんと18時で交代した後、ケーキを買ってきてくれたんよ・・・しかも、店のカウンターで食べていいというもんだから。(さあ、私は今この出来事を個で消費してとどまった上で、社会学的に読み解いていこうじゃあないか。)

以上、受け売りの単語多数



今年手に入れた大きいもの

・W子さん(いわゆる親友?)
・N夫くん(いわゆる元彼??)
・E夫さん(いわゆる師匠???)
もの
・本当に働きたい職場(研究所????)
・健全なる男女不純異性交遊共同体(サークル)
感覚
・ノイズをノイズであると思える感覚
・欲しい答えへの近づき方

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