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ヒポコトリの「書を捨てないで 町へ出る」


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はじめまして    chCCygEPcF

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2018-05-21 休み終わった
2018-05-19 職場復帰した
2018-04-28 癒されること 『紳士協定』『ちいさい言語学者の冒険』『大世界史』『勉強法』『京都の凸凹を歩く』「悪人(映画)」「女衒(映画)」「川の底からこんにちは(映画)」
2018-04-07 放送大学のネット配信を聴きながら『大正天皇』
2018-03-30 バイタルサインについて 愛のむきだし
2018-03-27 処置のこと 海辺の生と死
2018-03-24 退院3日目
2018-03-23 退院
2018-03-16 入院40日目
2018-03-06 分娩の記録2


2018-05-21 休み終わった

土日休み終わった。案外嫌いじゃない。また交代勤務に慣れられるかな。
夫、昨日は結局朝行くときにサラダチキンとプロティーンウィダー、塩のために昼にレトルトカップのチゲみたいなの飲んだらしい。で帰る前にサラダチキン。今日も似た感じで帰ってから私の残してたアボカド半分と味噌汁作って飲んでた。塩のためにと味噌汁とわかめを茹でて弁当作られていた。私はじゃがいもとかグレープフルーツとか10枚切りパンとか食べるけど炭水化物には手を出してこない。買うものばっかだけどそれでもちょっと食べるようになってきて安心している。子供ならその何倍心配するんだろうか。基本ローな感じで陽気な感じがしないのは寂しいがそれでもスキンシップは元通りなので安心している。
今日は1時間半で終えてサンジャポ30分は見たい願望が4時間かかったので見れなかった。昼食のずれ込みもあり。体重減ってしまった。47.3kg(妊娠前49kgBMI17.8、入院前55kg、分娩後46kg、退院時46.5kg、職場復帰前47.5kg、最近最高48.5kg)。

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2018-05-19 職場復帰した

職場復帰して半月過ぎた。こんなに調子戻るとは思わなかった。体力的に、お腹的に。季節も良かっただろうか。食事時間とか気にしながら、1万歩は歩いて、謎の勉強とか実家荷物をリュックにかついでハードオフに売ったりしていた。歩くのはいいけど上半身もと思ってプールや懸垂も少しした。2000kcalはとれるようになった。あとは外食困難ゆえ作り置きや弁当を作るようになった。
働いて2000kcalとるのはなかなか難しい。カロリーメイトが結局一番安くて手軽ということが分かる。しかし夫がハンストというか、食べるのをやめてしまって今困っている。きっかけは私が新人指導でストレス溜めていい加減デブなのやめろみたいなことを言ったからだ(デブとは言ってない)。その後トイレで嘔吐されててそれから弁当も返された。その日はお茶と水。次の日の夜は塩をとって頭痛が治ったらしい。その次の日は休みで運動しようにも力が出ないから蛋白とったらしい。あとは私が伊藤園のビタミンジュースを仕込んでいるのを時々飲んでいる様子。やや安心。嘔吐もしてないし。母も兄も夫も心配で、心配するの辞めたら自由人みたいでいけない気がして、でもとりあえず自由に埋没して教養をつけようと無い頭でやっている。
来週からは交代勤務でまたおかしくなるけど、今週までは毎日日勤で、朝20-30分は数学ができた。夕方帰って風呂入ってさっぱりしてから明るい時間は散歩、英語を聞いていた。夜は眠いので早く寝るか単純作業で漢字とかやってた。世界史に集中する自信がなかったのでできなかった。今日は休暇として午前プール、本屋で3000円買ってしまった。お弁当代で浮いた分と考えれば、相殺された。でも4、5月は給料が0なのだ(健康保険からいくらか出るけど、まだ出ないので)。

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2018-04-28 癒されること 『紳士協定』『ちいさい言語学者の冒険』『大世界史』『勉強法』『京都の凸凹を歩く』「悪人(映画)」「女衒(映画)」「川の底からこんにちは(映画)」

死産でも産後8週の休暇が労働基準法で義務とされている(たしか妊娠17週以降)。給料は出ないが2/3が健康保険から支給される。3週はまだ入院してたけど残り5週が終わった。しかしちょうど土日祝日が挟まりまだ働いていない。社会保険の支払いは免除される(会社によるのかも)が、産休終了日の前月までなので結局1ヶ月分のみ免除だったりする。中小企業なら居場所に辛いとどうしても精神で感じてしまうし、総合職とかならできる仕事がさもしくなって同様かもしれないが、下手に量産専門職なので新しいの雇うよりは私の方が全然マシだろう、院内研究でちょっと成果残したし(結果というよりはそれができるという免罪符)、という自負はあるのでまあ普通に仕事していこうと思う。それでも低栄養になったり十分に動けない気がしたら、夜勤や重労働じゃない職を見つけないとなあとは思っている。はーっ!ありがたいなあ!

退院後は乳幼児を見てよく泣いていた。近所を手を引かれて歩くよちよちの女の子。あー、女の子だぁ、って思った。近所のスーパーで、新生児に近い泣き方するくらい小さな乳児を連れる大学生かと思うくらい若い男女。あー、夫婦で協力しとる、って思った。夜に夫に報告してずびずび泣いたりしていた。今はそういう事もないけど、また職場で扱われた時に客我を見て悲しくなってしまうんだろうなあ。口に出さなきゃいけない単語もあるだろうし。そんな中でも、夫に未来の子供の話をすることが癒されることを見出した。虚しくなりそうで、ならない。夫が子供を混乱させることを言って私が困りそうだ、とか。私は能力が低いながらも役に立たないことをよくしているのでまた勉強してるの?って言われるよとか。を昨日は珍しく歩いて喫茶店に行って、帰りに近所の見せたい花を見せた。どうやったら小学校に通わせないで済むかとか(危険思想)。夫となら子育てできそうだ、と思えるだけでいいだろう。子供はかわいそうだ。

佐藤優のお母さんは優の4年前に分娩後にすぐ亡くしたようで、写真と一緒に骨壷にお線香あげていたと昨日『先生と私』で読んで、私も写真をプリントしようと思った。そして私も優みたいに愛情を注ぎたいものだ。優は自家中毒とかあって大変だったみたい。よくロシアで渡り歩いたな!小6で沖縄で怪我して敗血症みたいなのにもなっている。

ということで今後の目標は、
1体力を作る
仕事で十分疲労するからそれだけで十分と思ってはいけない、余暇に走ったりプールにいく
食べる
栄養補助食品の活用
2腸閉塞にならない
絶食する勇気
調子に乗らない
負荷をかけすぎない
責めない
食中心の生活
3子作り
4今の職を続ける
不可能なら他の安定職を見つける
その不条理の中で人格を見つける
絶食する勇気

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2018-04-07 放送大学のネット配信を聴きながら『大正天皇』

原武史が放送大学で2017年から日本政治思想史を講義している。ラジオ放送だし、権力に館を考えるの履修語が望ましいって書いてるし、講義ではテキストにないことを喋るっていうし、試験は筆記だし、履修まではいいかな…と思っていた。入院中イレウス管が入ると腹痛嘔吐は無くなるので、入院当初は売店で文藝春秋買って読んだり、数1Aのドリルを少しやったり、入院最終頃はロジックやりながら放送大学を聞いていた。といっても書く系は集中すると前かがみになってしまいお腹に負担がかかるので意図的にやめていた。で放送大学で日本政治思想史を聞いて、大正天皇や皇后というもの、その周辺に興味を持ち『大正天皇』を読んでいる。

最近は、信じられないほどほぼ普通の暮らしをしている。同年代で腸閉塞で1年入院、4年自宅療養、やっと社会復帰の人をネットで今日見て、ああそうだった、こんなに大変なものだった、と思い出し、怯えた。ほぼ普通の暮らしといえど、食事、間食、運動、食休み、お腹の声を聞く、が暮らしの8割を占めている。
食事 主食は雑炊、フレンチトースト、柔らかいうどん、だとお腹が楽。あと繊維や油の多いものはしんどいが少量なら大丈夫になった。あと一番気にしてるのは一度の量、1時間以上かけて普通人の7割くらいが上限。外食は食材および食事時間および食後の反応が怖いのでしたくないが、うどん屋に2回いった。
間食 よって間食でカロリーをとることで栄養を確保。入院中に便宜的に胃術後食(1食が少なく間食が出る)食べていたのでその習慣を引き継いでいる。健康補助食品のウエハースやヨーグルトやミロをとっている。ここ数日は運動後に外出で食べている。
運動 はじめは腹筋と血行と日常生活のために筋トレと散歩を始めたが、歩くうちに行くところがなくて距離が伸びたり肩がこるので改めて肩周りの筋肉のなさを感じて懸垂したりで働くための体力づくりという感じになってきた。そして1時間で帰ってこれなくなったので出先で間食して帰ってくるという感じに。しかしそれも春の陽気がなしていたことで、寒く雨の日々の今日はなんとプールに行けた!意外と健常時通り泳げた。今のところ、歩行時は体が軽い。しゃがむ系は衰えている。まだ時間はあるので仕事復帰できるほど続けて行きたい
食後の反応 食事が突っかかった感じというのがあるのだが、医師にはレントゲンのガスやお腹の明らかな張りや便秘がなければ相手にされない(入院中の主治医は興味持ってくれるタイプだったのだが異動してしまった)。しかしこれをほっとくとすぐ終わり感がある。今は食後の様子を気にして、大丈夫なら活動し出し、だめなら休むということが可能なので実践している。ここ3日は1回くらい変だっただけで、あと夕食時はあまり下腹部がクリア感がないので量を控えめにして成功している。働いたら一体いつ満足にとれるのだろうと不安だが、まずは今の状態に感謝。

夫は日常を生きているので色々大変と思うが、私は日常が奇跡ということを忘れながらも感じている。今日は調子が良かった、調子がずっといい、ということを伝えると傾聴してくれるのが嬉しい。やや不安な日があると平気なふりをして、翌日くらいに改善した後に昨日は調子悪かったが今いい、と伝える癖があることに気づいた。平気そうにすると不安が増長しない気がするからだけど、心配してほしいからするとされる自傷行為はしないタイプだなと思う。
そして平和な休日の2日目とかに変わらず家で食事して遠出するわけでも浪費するわけでもない日を私と過ごすと、刺激は欲しくないのかなーと夫に思ったりする。

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そういう機能ありましたね。ありがとうございます / ヒポコトリ ( 2018-04-28 08:05 )
お誕生日おめでとうございます。 / しん ( 2018-04-22 20:30 )

2018-03-30 バイタルサインについて 愛のむきだし

愛のむきだし(映画)を借りて見た。評論家が好きそうな、と思った。満島ひかりが普通体型だった。いつ痩せたのだろう。大体女は10代は太り20代は痩せるな。

入院中のバイタルサインについて。
健診での血圧(職場で測る)は110/60くらい。妊娠してから110-120くらいにはなってた。働きだす前は90/50 脈60くらい。だからこうして高血圧に向かっていくんだな…と思っていた。ところが分娩後、ゆっくりときれいに90/50 脈70くらいに戻っていった。なんだ、ただの仕事中の活動のせいだった。
手術後、脈が150になってたらしい。自覚なし。しかもモニター心電図もすぐとれる。朝にはとった。2日間くらい脈130-160。脈は整、血圧は110くらいあるけど脈は弱い。。術中腸管から1.5L引けたらしいので、脱水。加えて術後の易化期。尿量も少ないのでどんどん点滴される。術翌日(着床が前日23時なぼでほぼ当日)はトータル5000ml入った。循環器疾患のない若いからって…。術後3日目に足が結構浮腫んでいることに気づく。左右差あり。サーっと青ざめる、DVTか…肺塞栓コースか?最悪や。しかしホーマンズ徴候とかチェックしたりしてみる。なし。左右差あるけど両足浮腫んでるし、左が強いのは左を下にしがち(お腹の張りが楽)だからだろうか、と言い聞かせる。結果、血管内脱水かと思われる。まあ、傷も今までで一番でかいし、腸管も今までで一番いじったっぽいし、侵襲がすごかったのだろう。妊婦だったし。要は、腸管での吸収不良、術後の易化期、妊婦。心不全も考えたけど呼吸は楽だし傷とチューブ類と痛みを頑張れば歩ける。浮腫は5日間くらいで消えた。
体温は術後3日目までくらいまで37度台、分娩の際の膣錠使うと寒気後に発熱。分娩翌日くrしmsで37度くらい。
SpO2は97-99%、入院初期に94-95%になることがあったが末梢も温かいし何だったのだろう。術直後も酸素3Lマスク朝までという指示だったぽいがつkrtろられず近くにおいて吸っていた それも外れてるのに気付いた時も99%で早朝みこっそりオフにした。しかし術後って眠い痛いで寝てれば大体過ぎ行くのに何であんなにしんどかった(痛いわけでも苦しいわぇでもないのに身の置き所がなく気も紛れずごそごそしていた、まあ嘔吐はしたが。イレウス管入ってるのに)のか。

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2018-03-27 処置のこと 海辺の生と死

牛乳じゃなくて牛肉の間違い。牛乳買って高いと思うとか、そんな世帯は今あるのだろうか。そういえば今日はお肉屋さんに行ったらスーパーと同じか安くて驚いた。そこはコロッケ類がおいしくて有名だったりやや高いおいしい焼肉屋さんとかやってるので肉が安いことに驚いた。というのも、最近は療養と言う名の専業主婦をやらせてもらってるので(期限あと1カ月)このスーパーは日曜に卵が100円になって水曜に野菜とかが安くなるとか、このドラッグストアは毎月この日にポイント10倍になるとか、そんなの学んだりしている。普段はそういうの大事にできない。両立できる人もいるんだろうけど

そういうわけで入院中の夢だった弁当作りだが、弁当は夜のうちにほぼ詰めて(寝坊したら嫌なので)、6:30頃に起きて準備して結局自分もご飯を1時間近くかけて食べて食休みするというのが今一番の仕事でもあるのでそんなことしてたら結局睡眠時間がわたし的にかなり減っていて、それでも平気だったんだけども今日は昼下りにものすごい眠くなったので筋トレ的なことをして本読んですぐ寝てしまい、目覚まし虚しくそのまま6時間寝てしまった!夜より長く寝てしまった!だから夕食準備しておかず作って満島ひかりのDVDをしっかり見て夫とゴロゴロして排便してシャワーしてスキントーンテープ貼り替えて3時になってしまったが眠くない…夜更かしは妊娠中体調に影響本当にあった。なのに夜勤もするし、でも全部日勤も今の部署は体がしんどいし、本当にしんどい。

処置は採血や末梢ルートからPICC、もちろんイレウス管挿入や手術前後の麻酔やら傷のことやら。
処置について、主治医はすごく丁寧でこだわりを持ってやってくれて本当にありがたかった。傷のことは途中からWOCも入って2人でやってくれて、幸せだなあと思ったし、なかなかお腹が動いてくれないまでも傷は良くなっていってくれて励みになった。まあ、傷として良くなったとはいえもちろん満島ひかりや新井貴子にようなスッとしたお腹はもう手に入らないのだが、あんなお腹を持っていた自分だって、こんなに綺麗な体をもっていても愛でてくれる相手がいなくて虚しいことだな、と思ったのは14歳か17歳くらいだっただろうか、本当に思ったのを覚えている笑 だからSNSで投稿してしまう少女の軽率さは分からないが危うい心理は分かる。

処置の後は、30分くらいは何もせず横たわってしまう。髄液検査の介助の時、エビデンスは無いが処置後1時間安静、と医師に確認して説明したりする。エビデンスが無いから、動いたっていいのだ。でも自分だったら1時間安静にしちゃうだろうなと。PICC抜いた後でさえ、動かしたり血圧上がることで刺入部が綺麗にならなかったら嫌だから横たわっって念入りにおさえちゃううし、硬膜外麻酔抜いた後も自分で軽く圧迫して横たわって過ごしたし、じゃあ別にすぐ動いて問題ないですよって、その動く理由にもよるだろうし、その人の性格であの医者には30分て言われてこの医者には1時間って言われて、いいんですかそれで?とか言う人との対応の仕方
そしてとにかくチューブ類のストレスはなかなか。シャワーも色々な意味でなかなかできず、退院間近のシャワーの時に初めてこれはシャワーをした、と思った。それまでの何回かのシャワーはあくまで汚れを落とすという作業だった。この日は、シャワーという気持ち良いことをしたと感じた。それにはチューブや痛みや体調という問題が無いことが必要だった。もちろん、作業的に体拭きやシャワーができただけでも違うのだが。

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2018-03-24 退院3日目

今日も過ごせている。ありがとう。
一個前の日記を書く動機になった、夫が家を整えて待っていてくれていたことの喜びを書くのを忘れていた。久しぶりの家は違う匂いがして、部屋に入った瞬間にこんな家だったっけと思った。ちゃんと片付いていて、ゴミ袋もかえてあって、トイレもきれいで、洗濯物も畳んであって、ベッドのところも片付いていて、ほこりもなくて、ガス台も綺麗に拭いてあって、そ一つ一つを感じる度に迎え入れてくれた感覚を覚えた。退院初日は久しぶりの夫との距離の近さもあって本当に幸せを強く感じた。
あさイチにユーミンが出てて雨の街をという曲を知った。悲しい曲調なのですぐ子供さんの感覚を覚えた。次の日は聞くのが怖かったけど何度も聞いてメロディを覚えるくらいになって麻痺させるのもいいなと歌った。

弁当とか人の朝ごはんとか、ほぼ初めて作ってみている。常備菜があると昼とかにとりあえず食べるものを探さなくていい。今日は百均で弁当グッズを買った。その前に隣の店でお見舞いのお返しを買った。その前にスーパーで果物を買った。アガーで作りたかったけど消化を考えてゼラチンにした。うっかり牛乳とオリーブオイルを買ったので安いスーパーだけど高くなってしまった。その前にしまむら系列の店でサコッシュとジェットストリームの換えインクとノートを買った。やっすいサコッシュで夫に見つかったら笑われてしまうけどうっすいので気に入った。車の中で雨の街をを覚えた。なぜか車のオーディオにBluetoothで繋げられなくなってたのでそのままスマホで聞いた。

短期目標は特に根拠はないが3日間何も無く過ごすことにしていた。次はゆっくり食事を一般に近づけていこうかな。

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2018-03-23 退院

今日も過ごせました。8年前の前回の腸閉塞退院後、日々思った言葉だ。あの時は退院直後から調子が悪く(お腹の声を聞く)、外来日に結局再入院したこともあるが、今回は今のところお腹の声は悲鳴をあげていない。だから忘れそうになる、今日が何も無く過ごせて当然ではない、という声を思い出して、今日も過ごせました、と思うようにする。その始まりの退院当日。

夫は休みの日だった。というか全粥軟菜食になって2、3日で退院かなというところ、夫の休みにあわせて翌日にしてもらった。翌日を2日と数えるのか1日と数えるのか分からないが。まあ、お腹の様子だってほぼほぼ動いてなかったらその日のうちに気配があって翌朝嘔吐みたいな日もあったし、ちょっとおかしいなで数日後来ることもあるし、それこそ腸閉塞食というのではないからとうもろこしとか入ってるので何か食材でだめになる時が来るかもしれないし。今日退院でも明日でもどっちでもという感じはする。というわけで今日帰った。

帰るまでに色々と寄って、なかなか外食も怖いのでまたスーパーで色々と買って帰る。とりあえず横になる。横になって夫とくつろぐことができるのが本当に幸せだった。先の見えない入院中、早く帰りたい、という思いにはただ家に帰りたいのではなく、また元気になりたい、なれるのか、色々な思いがこもっていた。痛みや苦しみが強い時期は、疲れ果てて頑張ろうという気力を失い、人は死ぬゆく時にこういう感覚なのかもしれない、と思ったりもした。そして帰れたね、と夫と喜びを分かち合った。女の子、育てたかった、と言って泣いて、夫も育てたかった、と言った。夫は普段運動をするのだけど今日は夫はちょこんとそばにいてくれてゴロゴロした。休みの日にゴロゴロしているとたまの同じ休みなのになーと思ったりするけど、今日はそれが尊く感じた。

入院中食事量を多くとりづらかったので間食が出ていて、その習慣で同じような間食をし、その後午睡した。そして起きて弁当用のおかずなんかを初めて作り始めて、夕食には親子丼と野菜の炒め煮を作って、またおかずを作って、シャワーして、ロジックしてるうちにニュースチェック11が終わって時論公論が終わって今日はNHKの予算について内閣や国会の人達を交えた会議を流すというので聞いていたら興味深く、こんなに政府とつながりがあったらそりゃ色々あるわなと実感したり、本当の議論はどこで行われるんだろうかと思ったり、野田女史の聞きやすさを知ったりして、夜が更けてしまった。でもお腹はしっかり動いている。夜更かしに反省。

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2018-03-16 入院40日目

昔卵巣がんになった時も、今回子宮内胎児死亡が分かった時も、時々見かける感情「なんで私が?」とは思わなかった。なにか原因はあるんだろうし、どこか偶然があるんだろうし、原因の全てはいつの時代でも分からないだろうし、それがただ私に起こったということ。産科で看護師さんが貸してくれた本にはそういう「なんで私が」という反応をする方が多く載ってて、そういう方はその意味を考えると心穏やかになれるらしい。意味、それよりも原因と対策を知りたいと思う。胎児に問題は無さそう(解剖はしなかったが)。胎盤は病理に出した。不育症検査は保留。だって、専門の病院ないからね、したところで新幹線もない土地から2県先に出産まで通う覚悟はまだ無い。

「何で私が」とは考えないにしても、よく思い出しては「あの時ああすれば」「あの時に戻りたい」とはどうしても思ってしまう。あの時はまだお腹で元気そうだった。あの時に言っていれば(でもこの34週からしかみれないNICUで26週は見れないだろう!搬送?緊急帝王切開?障害?そのシナリオも大変そうだ)。大建中湯をもらっていれば。腸閉塞の前兆が無かったからと油断してなければ。あの日ご飯をやめて絶食してれば。
それはよく思うし、思う自分も嫌だ。死産後も時間はかかったがやっと今食事が始まっている。それでいいじゃないか。ストマも回避できた。重篤な合併症も起こらなかった。
これからずっと思い出しては後悔し、涙するのだろうか。それは嫌だと夫に助けを乞うた。夫は、それだけこどもさんを大切に思っているということ、時々そうやって思い出して忘れないようにしてあげるといいんじゃないか、と言った。私はそれでいこうと思った。その夫を大事にしようと思った。

「何で私が」と思う方には、その意味を考えるといいらしい。さしあたり私の場合、あの時こどもが諦めてを救ってくれたというのだろう。私もいつか意味を考えることがあるのだろうか。

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2018-03-06 分娩の記録2

処置3日目
今日は天気よく春の到来
夫はこの日休んでもらった
8時 バルーンは降りてきている このまま足に固定してバルーンが外に出たら胎児が出てくるとのこと 膣錠1個
9時 重だるくしんどい 助産師内診でまあまあ開いてるので分娩室へ 寒気すごくシバリング 電気毛布で30分後に暑くなっt
嘔吐 イレウス管から引けているのか口からは出ず助かる
11時 膣錠1個
尾てい骨あたりが痛く、骨が広がらんのか…と
痛くて小さい声でうなる
骨盤位だし進みが遅いかも、長期戦かなと言われる
まじかこれが何時間も…
あまりに痛くてコール
12時 内診 バルーンが痛いのだろうとバルーンの水を40mlにして抜去される
そして退室された直後にものすごい便意 ちょっときばったら出てきそうな感覚 これを長期戦?無理!とナースコール
出るーーーと叫んでいたと思う
先にたぶん声を聞いてかけつけた主治医 袋がもう出てるからと助産師の準備を待ち抑えられてる 押さえられてるということはきばったらいけないということか 辛い辛い はよ着替えてー
少し波がおさまる 主治医も準備 立会いでいいんだよね?と確認される ここまで付いていて立会いしないは無いだろう とお互い心の中で思う
また波が来て、あまり力入れずともずるずるなにかが出て行く感じ 途中破水なのか透明な液体がピシャッと飛んでいた お腹の中が楽になっていく感じがあった しかしまだみたい いつのまにか夫母(助産師)いる
まだあるということはこれ頭なのか きばればいいのかとあーー!と叫びながらものすごい便秘で痔になる要領で出すことができた ひりひりしたがそれまでの痛みとお腹の中の物がなくなった
すぐ胎盤が出てきたらしい 目視ではきれい、臍帯の位置も形もいい、首にマフラーのようにからまって出てきたと一報受ける
夫が可愛い顔してるよって言ってくれる
夫母が赤ん坊を抱っこさせてくれる ごめんねごめんねと泣いてしまう 温かくてきれいな顔した女の子だった 手も足もきれいで目は開かないけど口は夫に似ていた ここまで育ってくれたんだなあという思いとここまで育ってくれたのにと 夫は泣いていた 後で聞くとよくわからないが感動してとのことだった この時暖かかった赤ん坊はこの時だけで次第に冷たくなっていく 貴重な時間だった
カーテンをめくってもらうとこの土地に珍しい雲ひとつない天気
名前を決めていなかったので、それまでの候補とは別に感覚でつけることにした これがいい、って口に出したら泣いてしまった
痛みが去って赤ん坊がそばにいて幸せな4時間を分娩台で過ごす
出血は1000ml(羊水300ml含む)
産後のオムツとさらしを巻いてくれる ありがたい…
15時 赤ん坊を保冷剤とバットに入れてくれる 皮が剥けてきて既に傷んできている
安静後トイレ歩行促され、歩けるがトイレ終わりに立っていられず座っていてもしんどく車椅子を待つ間も必死で足踏みする ベッドで臥床 寝る前にはトイレ歩行できるようになったが
へその緒もらう
18時 兄来院 消化器の主治医も様子見にこられる
夫が見てくださいよって赤ん坊を紹介してくれて なんかとても嬉しかった 父っぽかった
20時 夫母が手形足形を夫とともにとってくれる 服とオムツもつけてくれる しかし管理職なのだが毎日遅くまでお仕事されるなあ…
21時消灯するが なんとなく24時まで起きて過ごした

先頭 表紙

こどものおもちゃという漫画に出てきます / ヒポコトリ ( 2018-03-23 02:04 )
名前がとても気になる。 / しん ( 2018-03-07 19:42 )

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