〜だめんず・うぉ〜か〜〜
漫画喫茶で気晴らしに手を出した「だめんず・うぉ〜か〜」の現代の恋愛事情を自分を汚すことなく体験できることにハマってしまって(痛い目を見れないということはいい目も見れないのかもしれないから、私は幸せじゃないかもしれないが,SAKURAドロップスのように,みなさんと同じように,私も痛い目は一つでも多く見たくない)昨日なんか350円も出して単行本買っちゃったし、今日なんて105円と時間を与えて(つまりブックオフの旅という実に生産性の無い金の亡者の反感を買う行為をした)また買っちゃったし、それに載ってたせとうちじゃくちょーさんの話にちょっと感動しちゃって、おかげで刹那の日々がなんとなく人生楽しんでるB型ぽい感じ(つまりめでたい奴)に評価を変えた。要は,すごおく惚れることができて,ついでに付き合えてるのなら,それ以上の幸せは無いわよ。例え別れても。みたいなことだ。これは本当の人間らしく生きてる人(=強い人?)だから言えることだろうなと思った。別れたらやはりあれらの楽しさや嬉しさは偽者だったのかなって思っちゃうだろうなと思ってきたけど,でも恋愛部門プラス自分の世界があった人なら、それは一個の生物らしく一生懸命生きてそして結果楽しさにつながてんだろなって思ったから。それって本当に「めでたいやつ」だけど、実は自己満足で終わってなくて,他の人にも勇気とか元気とか活力とか楽しさとか与えてるんじゃなかろうかと思った。そして負の力も振りまいてないんじゃなかろうか。そんな世の中,七色じゃん!最近林真理子のテネシーワルツ(「女の幸せ」を考える話)を読んでいたから,ていうか読みきってないけど、「女の幸せ」なんていう相対の例の俗っぽさなんてのと対極に位置する、絶対ってものは新鮮だった。(やっぱり、人生の先輩っていいなぁ)
〜朝チュン〜
昨日は漫画が止まらなくて深夜に紅茶とか飲んじゃったらやる気の失せていた原稿のやる気がプワハァーと溢れてきた(近い未来、報われない原稿のため息の散文を読むがよい)上に好みのタイプについて不完全な分析に悦に入っちゃったりして(明後日の日記参照)あまり寝ていないで友達に会いにいっちゃったので、楽しかったけど眠かった。私の友達に暗くてナイーヴな奴が多いのはそうじゃない奴が嫌いだという結論に至った。世間話とかに価値を持てなかったけど(世間話てのは内容でなく二次発生物であるノリとかLIVE感とか予定外に手に入れた知識とかに価値があるものなのだろうか)、未来の世間話欲をひっぱりだして消費しといた。楽しいは楽しいけど体の欲望とホルモンには勝てない…ことにしといた。ついでにくっつくまぶたも太陽のせいにしといた。把握できない校舎が自分を新入生気分にさせて、わくわくしながら痛々しさを確認した不思議な感情だった。あと猫と同じように春がそうさせるのか、それとも入学シーズンであることがそうさせるのか(おそらくもう人間はこっちだろう)雄の目が昼からギラギラしていた!
〜「人生、美味なり」(とは何歳で言ってもいいだろう)〜
ちなみに、去年の今頃付き合ってた人の学校だったので少しイベント的に連絡したら、夜勤明けで学校きてないという話で、私の物語はこう来たかと思った(なんて恥ずかしい言い回し)。その数十分前、駅で似た人を見かけて動いた心を確認して、あ、やっぱりあの好きな感情は在ったんだなぁって思って(なぜなら今は皆無だから)ちょっと人生の蜜すすってるような感傷に浸る演出として、そのホームに走って行ってみたらいけすかないただのチャラ男だったのが、またなんとも言えぬ美味さだった。 |